7月30日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第137回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト3を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1937個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1760部となりました。
今回で通算148回目の配布となりました。
延べ人数ですが、1937人の子どもにビタペクトを、1760家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
今回はミンスク(チェルノブイリ原発から350キロ)から2家族が保養滞在していました。それぞれの家族のお母さんにお話をうかがいました。
(家族A)
お母さんが7人の子どもを引率していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時8歳)11ベクレル
長男(14歳)19ベクレル
次男(14歳)30ベクレル ○
三男(13歳)21ベクレル ○
長女 (9歳)36ベクレル ○
四男 (7歳)26ベクレル ○
五男 (5歳)28ベクレル ○
六男 (2歳)29ベクレル
長男と次男は双子です。
六男は3歳以下であるためビタペクト3を渡すことができませんでした。
子どもたちの健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
長女は幼いときからよく病気をしていましたが、だんだんよくなってきて、今は喘息だけが残っているそうです。
三男は成長ホルモンの異常のため、身長が伸びません。そこで今はホルモン剤を定期的に服用しており、その間は身長が伸びるそうです。
ベラルーシではこのような病気は以前は非常に珍しかったのですが、現在は患者数が増えており、1つの病院につき、この病気の子どもが必ず複数は通院していると、担当医が話しているそうです。
しかしよいホルモン剤が今はあるので、あまりお母さんは心配していませんでした。ホルモン剤投与のおかげで今は普通の身長になっっています。
それより私が驚いたのは長男と次男の双子です。顔がそっくりで一卵性双生児であることはまちがいないのですが、身長差がありすぎるのです。画像で言うとお母さんのすぐ隣にいるのが次男で、その隣にいるのが長男です。
双子だから身長が全く同じでないといけないわけではありませんが、この2人は差がありすぎると思いました。(10センチは違いがあると思いました。)
お母さんは三男にはホルモン剤をあげているのに、長男の身長のほうは心配していないようでした。
他の子どもたちは健康だと言うことでした。
お母さんはベラルーシの生まれではなく、チェルノブイリ原発事故当時被曝などはしていません。しかし事故が起きて2年後の10歳のときにゴメリ州ジロービン(チェルノブイリ原発から約170キロ)へ引越ししました。
その後ミンスクで暮らしており、子どもたちもミンスク市内の生まれです。
お母さんはミンスクで暮らしているので、六男が3歳以上になったら、ベルラド研究所へビタペクト3を買いに行きたい、と話していました。
(家族B)
お母さんも7人の子どもを引率していました。この家族にも5個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時8歳)8ベクレル
長女(12歳)44ベクレル ○
長男(10歳)23ベクレル ○
次女 (8歳)39ベクレル ○
次男 (7歳)31ベクレル ○
三男 (5歳)31ベクレル ○
四男 (3歳)26べクレル
五男 (1歳)21ベクレル
お母さんのお話によると5歳の男の子によく分からない皮膚病ができていて、近いうちに専門病院へ行って検査するそうです。粉がふいたようになっているそうです。
他の子どもは健康ということでした。
このお母さんはウクライナの出身で、チェルノブイリ原発からは300キロぐらい離れた村の出身だそうです。
長女はウクライナ生まれです。この長女は生まれたときから目の下にクマがあり、12歳になった今も一度もクマがとれたことがないそうです。
44ベクレルと今回結果がよくなかったのも、「この子だけウクライナ生まれだから?」とお母さんは心配していましたが、おそらく関係ないでしょう。
事故発生から26年も経っているので、子どもの被曝は食べ物によるものがほとんどなので、生まれた場所は関係ないと思います。
お母さんは長男を妊娠しているときにベラルーシへ引越ししました。
そのため子どもたちは長女以外ミンスクの生まれです。
お母さんは五男妊娠中に甲状腺の異常を医者から指摘されました。ベラルーシでは妊娠すると、いろいろな検査を受けますが、その中で甲状腺の検査も妊娠初期に行われます。
触診のみの検査ですが、異常が発見されても、妊娠中は甲状腺の治療をするのは控えないといけないので、出産後再び詳しい検査を受けることになっています。
しかし子育てに忙しく、まだ病院へ行っていない、というお母さんの話でした。お母さんの健康も子どもたちにとって大切なので、早めに検査するほうがいいのでは? と話をすると、「保養から帰ったら病院へ行きます。」と言っていました。
子どもの健康も大事ですが、お母さん世代の健康も大事です。
お母さんのふるさとの村ですが、ご両親がそこで暮らしています。70代のご両親は健康ですが、村民にいろんな病気の人が増えてきたそうです。一番多いのガンで、しかも若い世代で病気になる人が増えた、ということでした。
その状況はいつ頃始まったのですか? と尋ねると
「2年前から急にです。」
ということでした。
と言うことは事故が起きてから24年後に急に病人の人が増えた、しかも事故当時幼かったか、まだ生まれていなかった世代が病気になっている、ということです。
これはウクライナのある村の状況です。でもやはりベラルーシと大きな差はないと感じました。
また今回の測定結果を見て、10年前は
「ミンスク市民の平均被曝量は8ベクレルぐらい。」
というベルラド研究所のデータを思い出しました。
それと比べると、現在はその平均も遠い昔になったと思いました。
チェルノブイリ原発からの距離や汚染地域に指定されているかどうかは、あまり関係なく、内部被曝が広がっている、というのが私の実感です。
画像は記念撮影の様子です。家族Bの末っ子ちゃんはお昼寝中で写っていません。
子どもたちとお母さんには折り紙用の紙、折鶴、アクリルたわしなどをプレゼントしました。
日本についてのお話など、日本の紹介もしました。特に日本語への関心が高く、質問がたくさん子どもたちのほうから出ました。
子どもたちの名前を日本語で書いて渡すと、興味深々という感じでまたたくさん質問されました。
日本語は難しいのですが、将来こういう子どもたちの中から、日本とベラルーシ友好のために活躍する人材が出てくるかもしれません。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわしなどプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
今回はビタペクト3を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1937個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1760部となりました。
今回で通算148回目の配布となりました。
延べ人数ですが、1937人の子どもにビタペクトを、1760家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1
(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)
http://www.belrad-institute.org/
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
今回はミンスク(チェルノブイリ原発から350キロ)から2家族が保養滞在していました。それぞれの家族のお母さんにお話をうかがいました。
(家族A)
お母さんが7人の子どもを引率していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時8歳)11ベクレル
長男(14歳)19ベクレル
次男(14歳)30ベクレル ○
三男(13歳)21ベクレル ○
長女 (9歳)36ベクレル ○
四男 (7歳)26ベクレル ○
五男 (5歳)28ベクレル ○
六男 (2歳)29ベクレル
長男と次男は双子です。
六男は3歳以下であるためビタペクト3を渡すことができませんでした。
子どもたちの健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
長女は幼いときからよく病気をしていましたが、だんだんよくなってきて、今は喘息だけが残っているそうです。
三男は成長ホルモンの異常のため、身長が伸びません。そこで今はホルモン剤を定期的に服用しており、その間は身長が伸びるそうです。
ベラルーシではこのような病気は以前は非常に珍しかったのですが、現在は患者数が増えており、1つの病院につき、この病気の子どもが必ず複数は通院していると、担当医が話しているそうです。
しかしよいホルモン剤が今はあるので、あまりお母さんは心配していませんでした。ホルモン剤投与のおかげで今は普通の身長になっっています。
それより私が驚いたのは長男と次男の双子です。顔がそっくりで一卵性双生児であることはまちがいないのですが、身長差がありすぎるのです。画像で言うとお母さんのすぐ隣にいるのが次男で、その隣にいるのが長男です。
双子だから身長が全く同じでないといけないわけではありませんが、この2人は差がありすぎると思いました。(10センチは違いがあると思いました。)
お母さんは三男にはホルモン剤をあげているのに、長男の身長のほうは心配していないようでした。
他の子どもたちは健康だと言うことでした。
お母さんはベラルーシの生まれではなく、チェルノブイリ原発事故当時被曝などはしていません。しかし事故が起きて2年後の10歳のときにゴメリ州ジロービン(チェルノブイリ原発から約170キロ)へ引越ししました。
その後ミンスクで暮らしており、子どもたちもミンスク市内の生まれです。
お母さんはミンスクで暮らしているので、六男が3歳以上になったら、ベルラド研究所へビタペクト3を買いに行きたい、と話していました。
(家族B)
お母さんも7人の子どもを引率していました。この家族にも5個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。
母親(事故発生時8歳)8ベクレル
長女(12歳)44ベクレル ○
長男(10歳)23ベクレル ○
次女 (8歳)39ベクレル ○
次男 (7歳)31ベクレル ○
三男 (5歳)31ベクレル ○
四男 (3歳)26べクレル
五男 (1歳)21ベクレル
お母さんのお話によると5歳の男の子によく分からない皮膚病ができていて、近いうちに専門病院へ行って検査するそうです。粉がふいたようになっているそうです。
他の子どもは健康ということでした。
このお母さんはウクライナの出身で、チェルノブイリ原発からは300キロぐらい離れた村の出身だそうです。
長女はウクライナ生まれです。この長女は生まれたときから目の下にクマがあり、12歳になった今も一度もクマがとれたことがないそうです。
44ベクレルと今回結果がよくなかったのも、「この子だけウクライナ生まれだから?」とお母さんは心配していましたが、おそらく関係ないでしょう。
事故発生から26年も経っているので、子どもの被曝は食べ物によるものがほとんどなので、生まれた場所は関係ないと思います。
お母さんは長男を妊娠しているときにベラルーシへ引越ししました。
そのため子どもたちは長女以外ミンスクの生まれです。
お母さんは五男妊娠中に甲状腺の異常を医者から指摘されました。ベラルーシでは妊娠すると、いろいろな検査を受けますが、その中で甲状腺の検査も妊娠初期に行われます。
触診のみの検査ですが、異常が発見されても、妊娠中は甲状腺の治療をするのは控えないといけないので、出産後再び詳しい検査を受けることになっています。
しかし子育てに忙しく、まだ病院へ行っていない、というお母さんの話でした。お母さんの健康も子どもたちにとって大切なので、早めに検査するほうがいいのでは? と話をすると、「保養から帰ったら病院へ行きます。」と言っていました。
子どもの健康も大事ですが、お母さん世代の健康も大事です。
お母さんのふるさとの村ですが、ご両親がそこで暮らしています。70代のご両親は健康ですが、村民にいろんな病気の人が増えてきたそうです。一番多いのガンで、しかも若い世代で病気になる人が増えた、ということでした。
その状況はいつ頃始まったのですか? と尋ねると
「2年前から急にです。」
ということでした。
と言うことは事故が起きてから24年後に急に病人の人が増えた、しかも事故当時幼かったか、まだ生まれていなかった世代が病気になっている、ということです。
これはウクライナのある村の状況です。でもやはりベラルーシと大きな差はないと感じました。
また今回の測定結果を見て、10年前は
「ミンスク市民の平均被曝量は8ベクレルぐらい。」
というベルラド研究所のデータを思い出しました。
それと比べると、現在はその平均も遠い昔になったと思いました。
チェルノブイリ原発からの距離や汚染地域に指定されているかどうかは、あまり関係なく、内部被曝が広がっている、というのが私の実感です。
画像は記念撮影の様子です。家族Bの末っ子ちゃんはお昼寝中で写っていません。
子どもたちとお母さんには折り紙用の紙、折鶴、アクリルたわしなどをプレゼントしました。
日本についてのお話など、日本の紹介もしました。特に日本語への関心が高く、質問がたくさん子どもたちのほうから出ました。
子どもたちの名前を日本語で書いて渡すと、興味深々という感じでまたたくさん質問されました。
日本語は難しいのですが、将来こういう子どもたちの中から、日本とベラルーシ友好のために活躍する人材が出てくるかもしれません。
最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわしなどプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。