ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

キルギス日本人材開発センターのライブラリーニュースで「ごんぎつね」が紹介されました

2016-12-28 |   新美南吉
 新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」を先日キルギス日本人材開発センターに寄贈したのですが、ライブラリーニュース83号(2016年12月21日)で、紹介されました。
 こちらをクリックしてみてください。

 キルギスと言えば、ベラルーシには全くない高い山々がそびえているイメージですが、そんなところにも「ごんぎつね」をお渡しすることができて、本当によかったです。

 キルギス人材開発センターは国際協力機構(JICA)がキルギス国立総合大学をパートナーとして実施する技術協力プロジェクトとして運営する一方で、公益法人も設立しております・・・とご説明でした。
 立派な図書室もあるうえに、大学をパートナーとして国際協力機構が・・・と聞くと、成人のビジネスマンや技術職の人を対象としたセンターに思え、日本の童話を寄贈してもいいのかどうか心配でしたが、ジュニア世代にもセンターの門戸を開いているそうで、児童文学の寄贈も大変喜ばれました。
 寄贈して本当によかったです。
 またこのように日本の児童文学を紹介する貴重な場所がキルギスにあること自体が喜ばしいです。
 
 キルギスの子どもたちが、新美南吉の童話を読んでどんな感想を持つのでしょうか。日本人やベラルーシ人とはまたちがった新鮮な視点で読んでもらえるかもしれません。

 

 
 

バフダノヴィチの詩 多言語翻訳プロジェクト

2016-12-25 | 日本文化情報センター

 ベラルーシの詩人マクシム・バフダノヴィチの詩を日本語に翻訳したことがあるのですが、昨年、文芸誌「マラドスツィ」編集部から新しいプロジェクトの参加のお誘いを受けました。
 
 編集部のほうからバフダノヴィチの詩を1点選び、それをいろんな国の言語に翻訳するという試みです。
 そのうち日本語への翻訳を頼まれましたので、試行錯誤しながら完成させました。
 
 英語、ドイツ語、中国語などに翻訳された作品が「マラドスツィ」2016年12月号特集ページで掲載されましたので、ご報告いたします。
 ロシア語には3種類の翻訳が掲載されていました。
 翻訳する人により、似ている言語に翻訳しても、違いがでてくるんですよね。
 それを見て、どの人の翻訳がいいとか悪いとか批評する人も出てくるのですが、詩の翻訳は簡単に甲乙つけがたいような気が私にはします。

 せっかくのなので、ベラルーシ語オリジナルと日本語訳はここで発表します。

 
Я хацеў бы спаткацца з Вамі на вуліцы
У ціхую сінюю ноч
I сказаць:
«Бачыце гэтыя буйныя зоркі,
Ясныя зоркі Геркулеса?
Да іх ляціць нашае сонца,
I нясецца за сонцам зямля.
Хто мы такія?
Толькі падарожныя, – папутнікі сярод нябёс.
Нашто ж на зямлі
Сваркі і звадкі, боль і горыч,
Калі ўсе мы разам ляцім
Да зор?»


あなたに会いたい、道の上で
静かな青い夜に
そして言います
「あの大きな星が見えますか?
輝くヘラクレスの星座が。
あそこまで私たちの日の光は飛んでゆき
地球が太陽を追いかけます。
いったい私たちは何者なのでしょうね?
旅人-せめて天空のさすらい人であれば。
なぜ地上では
いがみ合いに諍い、苦痛と嘆きに満ちて、
いつになったら星までともに
飛んでゆけるのでしょうか、私たちは?」 


 ちなみにこの詩にバフダノヴィチはタイトルをつけていないようです。
 「マラドスツィ2016年12月号」のリンク先はこちらです。


日本文化情報センターの活動「日本の着物と人形展」

2016-12-23 | 日本文化情報センター
 2016年12月22日から2017年1月8日までの予定で、日本の着物と人形展を開催しています。
 初日の昨日は早速SOS子ども村で保養滞在しているゴメリの子どもたちが来てくれました。

 会場の事情があり、今回は帯がほとんど展示できないため、着物だけではなく、お人形も展示して、帯がないのをごまかしております。(^^;)
 ただ、今回は情報を多くして、着付けの方法や、普通は展示しない小物類(腰紐や帯板など)を展示しています。

 またここ数年の間に新しく寄贈していただいた着物を中心に展示しました。
 思い出の置物をご寄贈してくださった日本人の皆様、本当にありがとうございます!

 またお人形さんたちに囲まれて楽しく仕事をしております。(^^)

 展示会場の様子を今から写真に撮りますので、しばらくお待ちください。

ロシア語でのリンク先はこちらです。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第203回」

2016-12-22 |   ビタペクト配布活動
 12月22日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第203目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を4個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2483個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2153部となりました。
 今回で通算219回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2483人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2153家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)SOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。


(家族A)

 お母さんが6人の実子と1人の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの内部被爆の測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(チェルノブイリ原発事故発生時)11ベクレル
長女(12歳)  4ベクレル
長男(10歳) 19ベクレル ○
次男 (8歳)  6ベクレル
三男 (6歳) 24ベクレル ○
四男 (4歳)  7ベクレル
次女 (1歳) 27ベクレル
女子(10歳)  6ベクレル


 1歳の次女の数値が高かったので、お母さんはこの子にもビタペクト3を飲ませたいと話していましたが、長男にあげたビタペクト3を飲ませてみて、腹痛など起こさなければ、2人で1個のビタペクト3を飲むように話しました。

 10歳の長男と10歳の女の子は背骨が歪んでいます。
 他の子どもたちはよく風邪をひく以外は持病などはありません。
 お母さんは甲状腺に異常があり、ヨード剤を毎日飲んでいるそうです。
 定期的に超音波検査を受けて、様子を見ているという状態です。
 このお母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたとき、両親の判断でロシアの親戚の家に一ヶ月預けられました。
 行ってみると、放射能について正しい知識がなかった人たちから「あの子チェルノブイリ原発の近くから来たんだって。」「病気がうつるかも。怖いわあ。」と怖がられたそうです。
いじめなどはなかったのですが、子供心にも「どうして私のことをみんな怖がるのだろう?」と不思議に思っていたそうです。
「今となっては笑い話よ。」とお母さんは笑っていました。
 その後も毎年両親の判断で夏休みにはロシアの親戚の家で過ごし、また学校からロシアの保養地へ集団保養に行ったこともあるそうです。



 (家族B)

 お母さんが5人の実子と2人の子どもを引率していました。この家族にも2個のビタペクト3を渡しました。
それぞれの内部被爆の測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(チェルノブイリ原発事故発生時5歳) 8ベクレル
長男(14歳) 14ベクレル
長女(12歳) 20ベクレル ○
次男 (6歳) 21ベクレル ○
三男 (3歳)  7ベクレル
女子(14歳)  3ベクレル
女子(14歳) 12ベクレル
 
 このほか1歳の次女がいますが、WBCに座っていられず、測定していません。 
 長男はSOS子ども村に来てから、しばらくして中耳炎になって、しかも高熱が出たため、入院してしまいました。
 他の子どもたちは比較的健康で、ただ冬場はよく風邪をひくそうです。
 お母さんは、出産のたびに病気になるようになり、腎臓結石にもなって、出産後、まだ入院中のときに石が出そうになったことがあるそうです。(聞いているだけで痛い。)

 お母さんはチェルノブイリ原発が起きた当初のことは覚えていませんが、学校に入学してから、甲状腺の検査を他の子どもたちと一斉に受けて、その後投薬治療が必要と言われたので、しばらく飲んでいたそうです。
 再検査のときに治ったと医師から言われたので、薬を飲むのをやめ、その後は現在に至るまで飲んでいないそうです。

 14歳の女の子2人は姉妹ですが、ロシア出身で、半年前にゴメリに引っ越してきたばかりだそうです。
 だから、内部被爆が少ないのだ、とお母さんは話していましたが、どうでしょう?
 事故から時間も経ち、被爆の原因は食物からなので、あまり関係ないと思います。


 画像は記念撮影したようすです。ただ入院したため、ここには写っていない子どももいます。
 今回は日本文化情報センターで着物と人形展が始まったので、SOS子ども村からセンターのほうへ訪問してもらいました。女の子は着物に大喜びでしたが、男の子や小さすぎる子どもたちは、長く展示物を見ることができず、かと言って図書館内で騒いだりすると他の来館者に迷惑がかかるので、DVDでアニメ(ジブリアニメ「魔女の宅急便」。原作は児童文学なので児童図書館での上映が○印のアニメ。)を見ることに・・・
 みんな急に静かになりました。(^^;)

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、お母さんたちには小物入れをプレゼントしました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙やなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 今年最後のビタペクト3配布活動になりました。来年もこの活動が続けられるよう、皆様の支援をどうかよろしくお願いいたします。


アゼルバイジャンで日本語を教えている先生のご意見を紹介します

2016-12-13 | 日本文化情報センター
 新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」を旧ソ連で日本語を教えている地域の学校や図書館に寄贈をしています。
 その中で、アゼルバイジャンの首都バクーにある第225番学校で日本語を教えているラウフ・マンマドフ先生から日本語で書かれたお礼状が届きました。
 その後マンマドフ先生からこのような内容のメールをいただきました。


「(前略)現実は出稼ぎとか日本の文化に全く興味がない外国人たちが大勢日本に住みついて、日本の企業にも入ろうとして、日本語と日本の文化を熱心に学んだ人は日本の企業や役所に就職しようと思っても、”日本で皆日本語話せるから日本語しゃべれる人は別に要りません”というスタンスにぶつかりますから、そこが大なる逆説で、今熱心に日本語を学ぼうとする子たちの将来が正直言って心配です。

 日本語と日本の文化を熱心に学ぶ人たちを日本の国、企業と団体が後押しし、サポートするという流れを近い将来、作らないと日本語を学びに来る子供たちに間違った期待を与えることになるかもしれません。

  私たち日本語教師の努力が子たちの将来の夢の実現に繫がるように、そしてその子たちの失望につながらないようにしたいです。

 我々はそういっても外国人にすぎないので我々の声は日本政府には届かないのですが、日本人である辰巳さんを始め、貴センターの日本人の皆さん方がその問題意識を日本政府にもっとぶつけたら何かがよい方向に変わるに違いないと思います。私、ラウフもやっぱりそのメッセージを直接伝えられなくても、日本人の皆さん経由ででも伝えたくてしょうがないです。」

 ベラルーシでも似たような状況と言えるかもしれません。
 私は日本人で日本語を教えていますが、マンマドフ先生は外国人で母国語ではない言葉をご自分の母国で教えている立場です。
 しかし以上のような意見を発言したいというお気持ちはよく分かります。

 一方で私から日本政府にマンマドフ先生の意見を伝えたところで、誰も耳を貸してくれないでしょう。

 声としては小さいのですが、このブログ上でなら発表できますけど、それでいいでしょうか? とマンマドフ先生にうかがうと、もちろん公開してほしい、本名も出してください、ということでした。

 ということで、ここに公開いたします。

 日本人の皆さん(日本政府関係者でなくても)耳を傾けてください。

 残念ですが、まじめに勉強して、日本語能力試験の認定書を持っている人ではなく、持っていないけど日本人とコネがあった人が日本企業に就職できた、というようなケースを見たことがありますよ。

 こうなると、何のために必死で受験勉強したり、また日本語を教えているほうも、何のためにがんばっているのか? という疑問が出てきてしまいます。
 本当に世の中逆説だらけですよ。

ロシア語翻訳プロジェクト「この星が絵でうめつくされたら」

2016-12-12 | 日本文化情報センター
 日本文化情報センターは絵本「この星が絵でうめつくされたら」稲吉紘実著(フレーベル館)をロシア語に翻訳するプロジェクトに協力することになりました。
 これは著者側からの依頼で、日本文化情報センターから発案したプロジェクトではありません。また出版費用をチロ基金が出すものではありません。

 日本文化情報センターの日本語教室(日本語文化愛好家クラブ)のメンバー24名と私が手分けして翻訳、校正を行う予定です。 そのほうが早くできるだろう、という予想と、そして1人でも多くの生徒に翻訳の練習をしてもらいたかったため、このような共同作業の形で進めることにしました。
 この24名のほとんどは日本語を勉強し始めて、2年から4年という生徒です。


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 1人1ページ担当して、総勢25名が参加し、ロシア語訳が完成しました。みんながんばりました。
 あとは日本側が出版してくれるのを待つのみです。
 日本語教室の生徒はプロの翻訳家ではありませんので、ボランティアで参加しましたが、翻訳作業のよい勉強、よい経験になったことと思います。

 せっかくなので、日本文化情報センター入り口前で、記念撮影をすることにしました。(ただ、総勢25名のうち、全員が写っているわけではありません。)
 でも日本文化情報センターの活動の歴史にまた一歩を記すことができました。

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 2018年1月、この本のロシア語版が出版されました。
 詳しくはこちらをご覧ください。
「絵のない絵本・この星が絵でうめつくされたら」ロシア語訳出版されました

ベラルーシのスーパーでバナナを買おうとしたらサソリに刺された事件

2016-12-09 | ベラルーシ生活
 11月30日に起きた事件です。
 ベラルーシの都市バラノビッチにあるスーパーマーケット「ユーロオプト」で、バナナを買おうと品定めしていた男性客が、指をサソリに刺されて病院へ搬送されました。
 手当を受けてすぐ退院したそうです。
 サソリは現地の保健所が捕獲し、体長は5センチほど。

 ・・・ベラルーシは寒い国ですからもちろんサソリは生息していません。
 南国から輸入されたバナナの間にサソリが隠れていたようです。
 
 刺されたお客さんは運が悪かったですね。
 しかしベラルーシに住んでいてサソリに刺されるなんて夢にも思っていなかったことでしょう。

 今年のベラルーシで起きた珍事件第1位ですね。

 ・・・と思っていましたが、今日スーパーマーケット「ヴィタリュール」に行ったら、果物売り場のバナナが並んでいるところに紙が貼ってありました。
「こちらのバナナ検査済。サソリはいませんでした。」

 さらに交通標識のようなマークが印刷されていました。
 映画「ゴーストバスターズ」のマークの中のゴーストがサソリの絵になっているデザインでした。(笑)

 この店のセンスには驚きましたわ。
 
 

ごん吉くんフェイスブックで紹介されました「世界に広がる新美南吉文学」

2016-12-06 |   新美南吉
 ベラルーシで新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」を広める取り組みを続けています。
 それがごん吉くんフェイスブックで紹介されました。

★世界に広がる南吉文学★

 ごん吉くんにほめられてうれしいです! 
 南吉さんの童話がもっと世界に広まってほしいと思うと同時に、やはりこの作品の持つ力に寄るところが大きいとも感じています。

 15歳のとき日記に南吉さんは、アンデルセンのような有名な童話作家になる! と書いていたそうですが、だんだん実現に近づいてきたような気がしますね。
 (今こんなセリフを日本人中学生が言ったら、「ちゅうに病」とか「ルフィーの物真似?」とか笑われるだけかもしれないけど。いやいや、笑ってはいけないですよ。)

ノーベル賞作家アレクシエービッチが来日公演

2016-12-05 | ベラルーシ文化
 ベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチが来日しました。
 そのときの記念講演やインタビューについて調べましたので、ここでご紹介いたします。

「原発事故は新しい形の戦争だ」 ノーベル賞作家 アレクシエービッチさん 東大で講演

 「国は人命に全責任を負うことはしない」 アレクシエービッチさん、福島で思う

「チェルノブイリと同じ」=福島の印象、ノーベル賞作家語る-東京外大

ノーベル賞作家“被災”語り継ぐ大切さ訴え


日本語能力試験受験者への交通費支援活動(1998年-2016年)

2016-12-04 | チロ基金
 毎年7月と12月の第1日曜日に国際交流基金主催の日本語能力試験が世界各地で一斉に実施されます。
 しかしベラルーシでは日本語学習者数そのものが少なく、試験会場になったことはありません。
 したがって越境して受験しなくてはいけませんが、試験会場となる都市までの交通費がベラルーシ人受験者の大きな負担となっています。

 チロ基金は1998年から日本語能力試験受験希望者で、日本文化情報センター所有の日本の絵本を日本語からロシア語あるいはベラルーシ語に翻訳してくれたベラルーシ人の日本語学習者に、受験地までの交通費を支給する活動を行っています。

 試験会場に指定されており、べラルーシから近くてベラルーシ人がビザなしで入国できる国はロシアとウクライナです。
 そこでミンスク・モスクワ間(1998年以降現在まで。)、あるいはミンスク・キエフ間(2011年から2013年まで。2014年以降は中止。)の列車往復代を支援しています。

 2016年はのべ6名のベラルーシ人が絵本の翻訳作業をし、このうち3名が7月に、さらに2名が12月に受験しました。

 2016年度の翻訳絵本の画像はこちらの日本文化情報センターのサイトでご紹介しています。

 絵本を寄贈してくださった日本人の方々に厚くお礼申し上げます。
 上記のサイトはロシア語ですが、画像で翻訳された絵本の表紙を見ることができます。

 日本文化情報センターとしては、翻訳された絵本の数が増えて大変助かっています。すでに約100冊の日本の絵本がベラルーシの子ども達に読まれています。

 現在までの交通費支援者数はこのとおりです。 

1998年度 4名
1999年度 7名
2000年度 8名
2003年度 1名
2004年度 1名
2007年度 4名
2008年度 6名
2010年度 1名
2011年度 2名
2012年度 3名
2013年度 4名
2014年度 3名
2015年度 4名
2016年度 5名

 今までで合計53名(のべ人数)の受験者に交通費を支給しました。

 最後になりましたが、今年モスクワで受験した5名のための往復列車代をチロ基金を通じ支援して下さった日本人の協力者様、本当にありがとうございました。

 日本語能力試験を受験した人たちが、学んだ日本語を生かして、将来日本とベラルーシを結ぶような仕事をしてくれたら・・・といつも願っています。


(絵本の翻訳活動についてはHP「ベラルーシの部屋」内のこちらのページをご覧ください。ただし、内容は98年度のものだけです。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no1/no1.html


(過去の日本語能力試験受験者への交通費支援活動についてはHP「ベラルーシの部屋」内のこちらのページをご覧ください。ただし、内容は2003年、2004年のものだけです。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/japanese.html


(日本語能力試験についてはこちらの公式サイトをご覧ください。)

http://www.jlpt.jp/



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 2017年1月の追記です。
 2017年から日本語能力試験の会場の一つとしてベラルーシのミンスクが正式に決定しました。
 これをもちまして、この支援活動を終了します。
 長年にわたり、この活動をご支援してくださってきた日本人の皆様、本当にありがとうございました。
 
 2017年からはベラルーシの地方都市に住む日本語学習者がミンスクで受験しやすくなるよう、新たな交通費の支援活動を始める予定です。

 詳細は改めてお知らせいたします。

プルジャヌィ児童図書館で「ごんぎつね」が紹介されました

2016-12-02 |   新美南吉
 先日新美南吉ロシア語童話集「ごんぎつね」を寄贈したプルジャヌィ児童図書館から、地元の子どもたちに南吉童話について紹介してほしいと依頼されました。
 正直言って寄贈するまで「プルジャンヌィってどこにあるの? ルジャンヌィなら知っているんだけど。」という低レベルの知識だった私ですが、電車を乗り継ぎ行ってきました。

 プルジャンヌィはブレスト州にあり、意外と歴史のある町でした。1487年には街として機能しており、16世紀にはイタリアの王族の血を引き、ポーランド国王と結婚したボナ・スフォルツァの統治下にありました。
 その娘アンナはポーランド・リトアニア共和国の女王になりますが、プルジャヌィの町の紋章として、母方の実家であるスホルツァ家の紋章に少し手を加えたものを与えました。
 要するに今はベラルーシにある町、プルジャヌィですが、中世にはイタリア貴族の流れを汲む紋章をもらっていたということです。

 これがその紋章なのですが、最初見たとき「どうしてこういうデザインなの?」と思う紋章ナンバーワンです。(私の中で。)
 イタリア王族、そしてポーランド・リトアニア共和国の女王ゆかりの紋章なので、蛇の頭の上に王冠が載ってるのは理解できるのですが、この飲み込まれている人は・・・「赤ちゃん」だそうです。

 難しすぎる、スフォルツァ家の人々・・・。
 
 気になったのでごんぎつねそっちのけで、今調べたのですが、もともとこの蛇の紋章はイタリアのヴィスコンティ家の紋章に使われており、親戚の関係であるスフォルツァ家も少々デザインを変えて使うようになりました。
(日本でも分家が本家の家紋の陰紋を使うことがあったのと同じような感覚ですね。)

 このヴィスコンティ家の紋章に描かれているのは大蛇あるいは竜だそうですが、は、昔ヴィスコンティ家の人が竜に襲われそうになっている子供を助けたという話に由来しているという説があるそうです。
 やっぱり子どもなんですね。そして助かっていたんだ。よかった。

 もう一つの説は、また飲み込まれているのは子どもではなく回教徒であるサセラン人で、竜はヴィスコンティ家の祖先の化身であるとする言い伝えもあるそうです。
 先祖が異教徒を食べちゃっている図、ですね・・・。
 
 さらにはこの大蛇は旧約聖書に出てくるレヴィアタンと同じ、という説もあります。
 (私の頭の中ではレヴィアタンは、水木しげる先生が描いていたワニみたいな妖怪・・・。)

 話をごんぎつねに戻します。
 プルジャヌィには3つの図書館があり、そのうちの児童図書館の司書さんの依頼により、3年生と6年生の40人ほどの小学生に新美南吉の紹介、「ごんぎつね」のロシア語訳の朗読、それからきつねの折り紙を作りました。
 その前には館長さん自ら日本についての説明をしてくれました。
 よく分かったのはベラルーシ人の子どもはみんな日本のアニメが好きだということ、でも地震や津波は怖いと思っていることでした。

 すでに本を寄贈していたので、「ごんぎつね」を読んでいた人もいましたが、今回初めて朗読を聞く子どもが多く、兵十が火縄銃を出したあたりから、みんなすっかり静まり返ってしまっていました。
 多くの子どもが「ごんが死んじゃってかわいそう。」と話していましたが、担任の先生は、この話が日本の小学校4年生の国語の教科書に載っているという話を聞いて、
「10歳の子どもにこの話の内容は難しすぎる。」
と言っていました。
 言い換えれば、日本の小学生4年生のレベルは高い、と褒めています。

 ごんが死んでしまってしょんぼり、でしたが、折り紙できつねを作ったら、みんなにこにこしていました。
 3年生は早めに帰ったのですが、6年生の女の子たちにきつねの折り紙に名前を日本語で書いてあげたら、大喜びで日本語を勉強して日本に行きたい!と大騒ぎでした。

 会場にはちゃんと南吉さんの写真も飾られていました。
 日本の方が作ってくれた立体折り紙のふくろう、ロシア語で書かれた日本を紹介する雑誌などもこの図書館に寄贈しました。折り紙のふくろうを作ってくださった方に感謝しております。またベラルーシの図書館に羽ばたいていきました。
 
 今回の朗読会ですがプルジャヌィの皆さんに喜んでもらえてたようでよかったです。
 南吉さんの生家の生業である下駄や畳(と言っても本物ではなく、ランチョンマット)も見せながら説明しましたが、下駄イコール木の靴、と思ったらしく、みんなびっくりしていました。叩いて硬さをチェックする人もいました。

 司書さんたちと話し合って、プルジャヌィ周辺の図書館にも「ごんぎつね」を寄贈することになりました。
 
 意外と大都市より、地方都市のほうがベラルーシ人は外国文化に対して心を開いている場合が多いですよ。

 この図書館で「ごんぎつね」を初め、他の南吉童話にも地元の子どもたちが触れてほしい、いや、そうなるだろうと思いました。