ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

被ばくした人は被ばくしてない人に対し・・・

2012-03-31 | 放射能関連情報
 ジャーナリスト木下黄太さんのブログで「被曝した人は被曝させたい心理構造にある・・・」という記事が投稿されています。
 詳しくはこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/10f722aa3626b1ed6796c2bed01ca6b4?st=0


 この中に
「ウクライナやベラルーシで患者を見ている人からよく聞く話ですが、「俺も被曝したから、あんたも被曝しろ」という文言を良く吐くそうです。その言葉に何か深い意味があったり、論理的な構造があったりもしないそうです。なんとなく、自分が被曝したのだから、他の人間にも被曝させたいという構図です。・・・」

 とあります。
 私は17年間ベラルーシに住んでおり、また10年間のチェルノブイリ関係のボランティア活動を通じて、2000人以上の被ばくしているベラルーシ人に会ってきました。主に子どもですが、大人にも会っています。
 しかし「俺も被曝したから、あんたも被曝しろ」と言うベラルーシ人に一度も出会ったことはありません。

 そう心の中で思っているけれど、たまたま私にはそう言わなかっただけの話かもしれません。
 そういう考えのベラルーシ人、そういう発言をしているベラルーシ人もいることと思います。

 しかし被ばくしているベラルーシ人、全員が同じ考えだとは思わないでください。
 被曝していることが分かり、特に子どものことを心配し、被曝を減らすよう努力する人が私が知っている限りではほとんどです。「あんたも被曝しろ。」などと言っている場合ではありませんから。それより自分と家族のことでいっぱいいっぱいです。
 また「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを自宅近くの学校や幼稚園などに持って行って配ってくれる人もいます。
 こんな行動を取るベラルーシ人が「あんたも被曝しろ。」と思っているわけがありません。

 そしてお願いですが、日本人で被ばくしている人も、みんな同じこと(私は被曝しているから、今被爆していない人も被曝すべき)を考えていると決め付けないでください。

 また「日本人ならみんな平等に被曝しよう。」という考えもやめてください。
 このような平等主義はおかしいと私は思います。
 戦時中の考え方みたいです。
 それに日本人全員、きれいに平均100ベクレルずつ被曝する、といったことはできないし、起こらないことです。

 私も私の子どもも測定をして食べ物による体内被ばくをしていたことが分かっていますが、「私も被ばくしたから、あんたも被ばくしろ。日本人はみんな被ばくしろ。」などと思ったことは全くありません。
 逆に日本人、ベラルーシ人という人種に関わらず、誰も被ばくしてほしくない、と思いました。

 ニュースで悲惨な殺人事件や特に人災による事故にあって亡くなられた方の遺族の話が報道されることがあります。
 多くの遺族の方が
「このような事件(事故)が二度と起こってほしくない。」
「このような思いをするのは私たち家族で最後にしてほしい。」
といった話をすることがあります。
 心痛と悲しみのどん底にいるのに、他人のこと、社会全体のことを思いやり、警鐘を鳴らしている言葉だと思います。

「自分は交通事故にあって、障害者になってしまった。だから交通事故にあったことのない人は、みんな事故に一度はあって、障害者になればいい。」
という考えの人も広い日本、どこかにいるかもしれません。
 しかし、そういう人はごく少数だと思います。

 日本人で被曝した人のうち「他の人は被曝してほしくない。」と思っている人のほうが多数だと思います。

 被曝や事故、事件に関わらず
「私は何も悪くないのにこんなに苦しんでいるのだから、他の人も苦しみを味わえばいい。」と思うのも人間。
「私はこんなに苦しい思いをしたので、他の人はこんな苦しみは味わってほしくない。」と思うのも同じ人間ですね。
 

ペクチン入りのお菓子について

2012-03-28 | 放射能関連情報
 先日、ネットで放射能関連のテーマであれこれ検索をしていたら、偶然ある日本人の方のブログを読むことができました。
 それを読んでいろいろ思うことがありましたので、このブログでも私の意見を書きますね。

 まず、やはり日本とベラルーシは社会体制がちがう、ということです。
 弊訳書「自分と子どもを放射能から守るには」78ページの「ペクチンがとれるベラルーシのお菓子」について読者の方の中には
「チェルノブイリ原発事故が発生してから、ペクチンがセシウム排出に効果があるということで、ペクチンをたくさん入れたお菓子を作り始め、バンバン宣伝している。ベラルーシ人もみんなそれを知っていて、そのお菓子をどんどん買って、子どもに大量に食べさせている。」
というように誤解している人がいるかもしれない・・・と思いました。
 
 ベラルーシはですねえ、日本のような資本主義の経済体制の国ではないのですよ・・・。
 だから日本人の皆さんがある日ベラルーシで暮らし始めたら、びっくりするようなことがベラルーシでは当たり前のように起こります・・・。
 あるいは日本では起こって当たり前のことがベラルーシでは起こりません。

 ここでは詳しく書きませんが、お菓子に関して言えば、パッケージに「放射能排出するペクチン配合!!!」といった宣伝文句を印刷しているような商品はベラルーシにはありません。
 またテレビCMなどで同様にペクチンの作用を宣伝しているお菓子はありません。
「ペクチンが入っているから、我が社のお菓子は放射能排出に効果ありです!」
と宣伝しているような企業はベラルーシにはありません。
 ベラルーシに住み始めて17年になりますが、そのようなペクチンが放射能排出に役立つ、と言ったことを宣伝している食品会社の広告やCMを目にしたことは全くありません。
 
 また弊訳書で「べクチン入りのお菓子を放射能排出に効果あり、と企業も宣伝しているし、国も国民に対して推奨している。」といったことは書いておりません。
 
 弊訳書で紹介しているベラルーシのお菓子は昔から売られている駄菓子です。(日本で言うところの金平糖やかりんとうのような感覚でしょうか。)
 ペクチン入りのお菓子はチェルノブイリ原発事故が起こるずっと前から売られています。

 日本でもマーマレードジャムが売られていますよね。 あれにもペクチンが含まれていますが、福島第1原発の事故発生前からずっと売られているのと同じです。 
 ペクチン入りのお菓子を子どもに食べさせているベラルーシ人のお母さんはもちろん事故前からもいますし、事故後もいます。
 3.11前からマーマレードジャムが好きでパンに塗って食べている日本人がいるのと同じです。

 ただ以前はペクチンと放射能排出の関係について、誰も知らなかったし、今でも知っている人と知らない人がいる、ということです。

 ベラルーシでこの駄菓子にはペクチンがたくさん含まれているからあえて買って子どもに食べさせている、という人は、知識や教養のある人です。前述のような企業による宣伝などがされていませんから、知らない人は知りません。
 どうせお菓子を買うなら、体に悪い食品添加物が入っているお菓子より体にいいお菓子を買うほうがいい、ということで、私はボランティア活動で、ベルラド研究所はパンフレットなどを通じ、ベラルーシの一般人に知ってもらおうと努力しています。宣伝というものではなく、ペクチンが入っているお菓子を子どもに与えましょう、という食育指導です。

 こんな食育指導を日本人に対しても言うようになるとは、福島第1原発の事故前は想像もしていませんでした。

 ともかくベラルーシではペクチンについて知っているお母さん、新たに知って信じるお母さんは意識してペクチン入りのお菓子を子どもにあげています。しかし知識のない人、信じてない人は意識して、「ペクチン入りのお菓子」を子どもにあげてはいません。
 単なる「おいしい駄菓子」として子どもにあげているだけです。
 
「そんなに体にいいお菓子なら作っている企業もバンバン宣伝するのではないか? どうしてそうしないのか?」
と思う人もいるでしょう。しかしこれこそ日本人的発想で、ベラルーシでは起こらないことなのです。
 一言で非常に簡単に表現するとすれば「商売っ気がない」んです。

 それからペクチンを多く含んでいるお菓子と言っても
「この駄菓子を1個食べただけで、体内放射能が消える」わけではありません。
 お菓子はあくまでお菓子であってサプリとは違います。
 また「ペクチン入りお菓子に放射能排出効果大!」といったことを私は言ったことはありません。
 またベルラド研究所もそのようなことを発言したことはありません。
 ベルラド研究所が作っているパンフレットでも、弊訳書「自分と子どもを放射能から守るには」にもそのようなことは記述されておりません。

 それから私もベルラド研究所も、「ペクチンさえ飲んでいれば、セシウム被ばくしてもいい。」などと発言したことは一度もありません。
 SOS子ども村での活動においても、ビタペクトを子どもにあげるだけではなく、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーも併せて配布しています。
 それはビタペクトを飲んで、体内のセシウムが排出されても、食事で再び被ばくしたら元も子もないからです。
 つまりビタペクトを飲んで排出すればいい、という考えだけではない、ということです。
 残念ながら被ばくしていることが分かった場合はビタペクト(ペクチンサプリ)を飲んで早く排出しましょう。そして再び蓄積しないように調理などに工夫をしましょう・・・この二つの考えが両輪となれば、セシウム被ばく対策として前進できるけれど、一つだけでは片手落ちだとチロ基金は考えているからです。
 
 ベルラド研究所は、ベラルーシ政府が定めた食品の基準値について子ども向けの食品、1キロ当たり37ベクレルでも
「多すぎる。ゼロにするべき。」
という意見です。「自分と子どもを放射能から守るには」の38ページにもそのことが記されています。
 このような意見の持ち主が、
「ちょっとぐらい被ばくしてもペクチンさえ飲めば大丈夫。うちが作っているペクチンサプリを買って。」
と言うでしょうか?
 また放射能汚染地域に住んでいる人に対して
「住み続けても大丈夫。ペクチンさえ飲めば住めますよ。だから移住など一切しなくていい。」
といった発言も私もベルラド研究所もしたことはありません。
 もちろん強制的に退去しなくてはいけない地域もありますが、それほど危険ではないけれど汚染されている地域、あるいは低汚染地域にも関わらず、体調が悪いなどの症状が出ている人もいます。
 すでに体の不調が出ている人には移住や保養をお勧めします。それに加えてペクチンサプリを飲むことを勧めます。

 発症したわけではないけれど身に危険を感じており、移住したいと思っている人は移住したらいいと思います。
 しかし移住をするのは難しい問題です。思い立ったので明日実行! というわけにもいきません。
 特に日本は人口密度が高いし、土地も家賃も高い。仕事も簡単にやめられない、すぐに新しい仕事が見つかるか分からない、子どもも年齢によっては気軽に転校したくない、という場合が日本人には多いと思います。
 しかし放射能は目の前にあるかもしれない・・・
 このような人に対して、すぐ移住しないのは呑気である、と思う人もいるかもしれません。そんなことを直接言うと、今度は人間関係がギクシャクしてしまうでしょう。
 私は心配な人は今日からすぐできる対策、簡単にできる対策は実行してほしいと思います。 

 とにかく被ばくは避けるべきです。特に小さいお子さんほど被ばくしないようにしないといけません。
 が、こんなこと、いちいち私に言われてなくても誰でも分かっていることです。
 
 問題なのは測定をしてみたら、被ばくしていることが分かった場合です。
 もう被ばくしたから、と白旗を上げてあきらめるのでしょうか?
 何も対策はないのでしょうか? それとも対策があるらしい、と知っているけれど何もしないのでしょうか? 
 
 私はあきらめる前にペクチンを飲むことを勧めます。でも強要するものではありません。
 日本人の皆さんそれぞれご自分のご判断に沿った方法で、放射能の排出をしてください。

 あるいは「何もしない」ことを選ぶ人もいるでしょう。しかしそれはそれで個人の自由な判断です。
 私からあれこれ意見を言うつもりはありません。

 日本はベラルーシと違って、情報もたくさんあり、情報ツールも発達していて、知識を手に入れることも非常に簡単です。
 そして集めた情報や知識を元にどう行動するのかも個人で決めることができます。自由に判断することができるのです。
 

チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第131回」

2012-03-27 |   ビタペクト配布活動
 3月26日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第131回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 前回の配布に続いて今回も子どもたちにビタペクトTを渡すことができませんでした。代わりにペクチン配合セルロースを配布しました。
 以前のこの活動でもセルロースをビタペクトTの代わりに子どもたちに渡したことがあります。
 詳しくはこちらの記事をご覧ください。

133回目に当たるチロ基金の活動「ビタペクト2無料配布」について。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c5c13bdc865c7071c69c29024464ff6d


チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第123回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b70d590afa565bd909875ae3aae13527


 ペクチン配合セルロースについてはこちらです。
ペクチン配合セルロースについて (1)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


ペクチン配合セルロースについて (2)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5d48a74eef693b9246d188dfa277d076


ペクチン配合セルロースについて (3)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/33089b7659d42b742cf36a33deba21ad



 ビタペクトTを製造しているベルラド研究所側の事情により、現在ビタペクトTの製造が休止しています。さらに現在のところ在庫もありません。
 もうすぐ製造が再開する予定です。しかしチロ基金としては子どもたちに何もあげないよりは、ペクチン配合セルロースを渡すほうがいいと考え、今回はビタペクトTの代わりに「ペクチン入りセルロース・ツルコケモモ」(250グラム入り)3個(6人分)をSOS子ども村にて保養滞在している家族に渡しましたのでご報告いたします。
 これでチロ基金が今までに子どもたちに渡したペクチン入りセルロースは合計9個になりました。
 ペクチン入りセルロースは250グラム入りで、ビタペクトTは152グラム入りです。そのためペクチン入りセルロースを子どもたちにあげるときには1個で2人分として渡しています。

 また「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。これで今までに配布した「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1700部となりました。
  
 今回で通算141回目の配布となりました。延べ人数ですが、1700家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


 今回はボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から3家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。


(家族A)
 
 お母さんが実子2人と親戚の子どもを2人引率していました。
 この家族には1個のペクチン入りセルロースを渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりです。○印の子どもにセルロースを渡しました。

母親(事故発生時2歳)7ベクレル
長女 (6歳)17ベクレル ○
長男 (3歳) 0ベクレル
女子(14歳)13ベクレル
男子 (8歳)21ベクレル ○

 お母さんはよく胃炎を起こすそうです。この体質が遺伝しているのか、長男も次女も胃炎を起こしており、次女は入院までしたそうです。長男はさらに風邪をよくひくそうです。
 14歳の女の子も風邪をよくひくので、免疫力が落ちているとお母さんは話していました。
 

(家族B)
 お母さんが実子3人と親戚の子ども1人を引率していました。
 この家族には1個のペクチン入りセルロースを渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりです。○印の子どもにセルロースを渡しました。

母親(事故発生時6歳)14ベクレル 
長女(14歳)23ベクレル ○
長男 (9歳) 0ベクレル
次女 (2歳)16ベクレル 
女子(11歳) 0ベクレル

 お母さんは風邪をひきやすく、胃炎にも苦しんでいます。でも慢性的に背中が痛く、とても大変だと話していました。
 長女は鼻の横の部分に腫瘍が見つかり、手術するよう言われ、近いうちに摘出する予定だということでした。さらに頭痛持ちで、診察してもらったところ、血管が拡張するために起こる頭痛だという診断でした。(これは片頭痛ですね。)
 長男は首の部分のリンパ腺が腫れ、治らないので、1つの腺を摘出手術しました。このほか肝臓と脾臓が肥大しており、治療によって脾臓のほうはだいぶよくなったのですが完治はしていないそうです。このほかホルモン分泌の異常もあります。
 次女は慢性気管支炎、アレルギー体質で特に皮膚が弱いそうです。
 11歳の女の子も気管支系統の病気全般によくかかると話していました。   


(家族C)
 お母さんが4人の子どもを引率していました。この家族にはセルロースを渡していません。セルロースは容量が多くて1個を2人で分けます。
 そこで家族Bの長女にあげたセルロースを家族Cの11歳の女の子と保養滞在中、分け合って飲むことになりました。保養終了後、残ったセルロースは家族Bの長女が帰宅後飲み続けることになります。
 この家族の測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時13歳)0ベクレル
女子(13歳)16ベクレル
女子(11歳)18ベクレル ○
男子 (5歳)15ベクレル
男子 (2歳)20ベクレル

 このうち男子2人は兄弟です。今回は私のほうからSOS子ども村には行かず、日本文化情報センターで開催中の着物展に皆さんご招待したのですが、この2人が保養に来てからそろって風邪をひいてしまったため、家族Cのお母さんはSOS子ども村に残ってしまい、私は直接お話をうかがうことができませんでした。
 そのため他のお母さんと13歳の女の子から話を聞きました。

 それによると、家族Cのお母さんは手に湿疹が常にできており、腫れて痛々しく、ひびがあちこちに入っているそうです。
 13歳の女の子は胃炎と中耳炎に苦しんでいる、と話していました。
 5歳の男の子は視力に問題があり、よく気管支炎になるそうです。
 2歳の男の子も喉頭炎によくかかる、ということでした。特にこの兄弟はよく病気をしており、とても体が弱い、ということでした。
 SOS子ども村へ保養に来たのに病気になってしまうなんて、残念ですよね。

 最後になりましたが、ペクチン配合セルロースの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわし、紙風船など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方にこの場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 画像は日本文化情報センターで撮影した物です。
 病気のためにここには写っていない子どももいます。 

「チェルノブイリのバックグラウンド」(4) 暫定基準値

2012-03-22 | 放射能関連情報
 この記事も1990年発行、アレクサンドル・リュツコ著「チェルノブイリのバックグラウンド」からですが、日本人の皆さんにはそんなに役に立たない内容かもしれません。
 しかし、あまりにも驚いたのでご紹介します。ただこの本はチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年に発行されたものですので、そのことを念頭に読んでください。
 ( )内の文章は私のコメントです。

・・・・・・・・・・・・・

 人間の被ばく限度については、3つのカテゴリーに分けられる。
 第1グループは原発従業員、アイソトープ研究員、放射線治療従事者など被ばくの可能性が高い職業に就いている人で、年間の被ばく限度は50ミリシーベルトとしている。
 第2グループは放射線関連施設で働いているが、直接放射線を扱わない仕事に就いている人である。(第1グループの施設で掃除や警護など裏方の仕事をしている人のことです。)このグループの年間被ばく限度は5ミリシーベルトである。
 第3グループは第1・第2グループに該当しない人、つまり一般人で、年間被ばく限度は1ミリシーベルトである。
(以上の規定はソ連政府が自国民に対して決めたものです。)

 もちろん第1グループの人が一般人より、放射能に強い体であるから、といった理由で異なる被ばく限度が定められているわけではない。 
 第1グループや第2グループの人は被ばくの検査や、そのほかの健康チェックも細かくしているので、被ばくによる影響が出ないように予防することも早くできるようにしている。そのためこのような被ばく限度量にしている。

 しかしチェルノブイリ原発事故が起きてから1年間は以上のグループ分けに関係なく、(ソ連政府国民)全員の被ばく限度を年間100ミリシーベルトに引き上げた。
 そしてこれを元に食品についての暫定基準値も計算され、定められた。
 1986年5月にソ連政府が設定した食品の暫定基準値は次のとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。

飲料水 370
牛乳 370
練乳 18500
サワークリーム、カッテージチーズ 3700
バター 7400
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 3700
牛肉、牛肉の加工食品 3700
植物油、マーガリン 7400
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 3700

 チェルノブイリ事故発生後1年経ってから被ばく限度量が見直され、1990年1月までに30ミリシーベルト、25ミリシーベルト、と引き下げられていった。
 食品の暫定基準値も改定され、1988年10月に定められた基準値はこのとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。

飲料水 18.5
牛乳 370
練乳 1110
サワークリーム、カッテージチーズ 370
バター 1110
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 1850
牛肉、牛肉の加工食品 2960
植物油、マーガリン 370
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 740

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これを見て、文字通り、いや(@Д@;) 絵文字どおりの顔になってしまいましたよ・・・。
 これはひどい。ソ連政府って・・・。
 ちなみにこの本が発行されたときはまだソ連崩壊前でした。そして上記の文章から推測すると、この本が発行されたのは1990年ですが1月以降ですね。(発行年は記載されてあすが、月日が記載されてないのです。)
 そしてその時点でも1988年設定の暫定基準値が適用されていた、ということです。 
 この後ソ連崩壊、ベラルーシ共和国独立、各共和国ごとの基準値が作られていくことになります。
 もちろん現在のベラルーシの基準値はもっと厳しいものになっています。また食品の分類も細かくなっています。

 それにしてもバベンコさんが「自分と子どもを放射能から守るには」出版記念講演のため来日したときは、日本のマスコミ各社から
「日本の暫定基準値についてどう思いますか?」
と質問攻めにあい、
「日本人の食生活に合わせて、もっと厳しくすべきです。」
と応えていたら
「日本の基準値は甘すぎる!(とベラルーシの専門家も言っている。)」
とか報道されましたが・・・

 「チェルノブイリのバックグラウンド」のこのページを見た私は・・・何だか日本がとてもすばらしいよい国に思えてきました。(^^;)

 いやあ・・言葉が出てこないと言うか何と言うか・・・この基準値はソ連政府よ・・・犯罪行為ではないですか・・・。
 事故発生から1年間はこんな基準値でOKだった食品を国民が食べていたから、後になって甚大な健康問題が国民の間に出てきたんですよ。(涙)

 しかし、よく考えると1986年当時、このような基準値だったからと言って、(今の)ベラルーシ(やウクライナ、ロシア)で流通していたの肉類がどれもこれもぎりぎりOKの1キロ当たり3690ベクレルだった、ということではありません。
 測定してみたら10ベクレルだったから流通OK、100ベクレルだったからOK、1000ベクレルだったからOK、3000ベクレルだったからOK・・・とさまざまな食品が出回っていたと思われます。
 もちろん0ベクレルだった食品も食べていたということです。

 一方でチェルノブイリ原発事故が起きてから間もない時期には食品の検査体制が整っていなかったので、全ての食品を検査できていたわけでもありません。
 実際にどのような食品を当時の国民が口にしていたのか、実態ははっきりしていません。でも1986年5月、1キロ当たり18499ベクレルの練乳は堂々と売ってよかった、ということです・・・。

 でも事故から2年半経ってもこの基準ですよ。
 日本は約1年後の2012年4月からもっと厳しい値に改定されるわけですから、ソ連政府よりずっと対応のスピードが早いと思いました。
 (ここのところがまだ救いになっているかも・・・。でもソ連などと比べるな、と言う日本人もいるでしょうねえ。)

「チェルノブイリのバックグラウンド」(3) 除染方法

2012-03-20 | 放射能関連情報
 1990年発行、アレクサンドル・リュツコ著「チェルノブイリのバックグラウンド」からの抜粋日本語訳の続きです。
 今回は除染について。
 チェルノブイリ原発事故が起きてからまだ時間が経過していない時期に書かれていたので、一般人でも自宅ですぐできる除染方法についても紹介しています。( )内の文章は私のコメントです。

・・・・・・・・・・・・・

 地面で言うと雨水など自然の降水によって、放射能は流れていく。しかしそれだけでは除染としては不十分である。
 汚染された場所や物は水でよく洗う。地面の場合、凝固剤を入れた水を撒いて、放射能を固める。
 泡が出る化学薬品を水に混ぜるのも、水だけよりも効果が出る。

 舗装されていない道路にはアスファルトを敷く。アスファルトを敷いた後はその上に積もった放射性の塵を水で洗い流すのも楽になる。
 
 しかし洗った水のほうに放射能が移動するだけであることを忘れてはいけない。
(確かに。除染してきれいになった、と思っても、洗った水のほうが汚染されていることに注意しないといけませんね。)

 地面の奥にしみこんだ放射性物質を植物が根から吸い上げ、また地表やその上の部分に放射能を戻してしまう可能性がある。
 これでは地面を除染しても無意味である。
 そこで除染で効果があるのは、その場所に生えている植物全てを完全に伐採、再び生えてこないように根も掘り起こして廃棄することである。
 さらに地面の表層部分の土をそいでおく。
(木も草もすべて引っこ抜いて捨てろ、ということです。この部分を読んで絶句しました。人間の健康のための除染とは言え、自然に対して我々は何をしているんでしょう?)

 広い面積の除染は経費のことも考慮すると困難。
 そこで広大な森などがある場合、除染を行うより、国立の管理公園に指定して、立ち入り禁止地区にし、さらに森の放射能を観察・実験をする場にしてしまう。
 このようなケースがベラルーシには多い。
(要するに汚染地域が広大すぎるので、除染をあきらめる、ということです。逆に実験フィールドとして研究の場にしよう、という逆転の発想ですね。)

 乾燥した空気のとき、天気のよい日は空間線量が高くなる傾向があるので注意。
 またこの時期に畑仕事の多い時期が重なると、さらに空間線量が高くなる。
(春、種まきをしようと畑の土を掘り返すと、土の中の放射能が空気中に飛び散る、ということです。)

 逆に家の裏などの地面で、湿っている場所の空間線量は低い。
(できるだけ畑仕事の際には地面に水を撒いて湿らせておくほうがいい、ということか・・・と思いました。しかし・・・)
 汚染地域でどうしても畑作をしたい場合は、極論かもしれないがガスマスクをつけて作業することを勧める。
 ガスマスクのタイプは中にガーゼがたくさんの層になって入っているもので、畑仕事が終わったら、そのガーゼは捨てること。
(ここの部分を読んで再び絶句しました・・・。)

 窓やドア、靴を通じて放射能は室内に入ってくる。
 毎日濡れた雑巾で水拭きの掃除をすること。
 濡れ雑巾は、泡の出る洗剤を入れた水に浸して濡らすほうが効果がある。
 壁を洗うのも、家具を洗うのも効果がある。
 放射能は絨毯の毛の中に集まりやすいので、できる限り頻繁に絨毯掃除をする。
 (泡掃除も推奨しています。)

 薪を利用する場合、枝の部分、特に針葉樹の薪は使わないほうがよい。
 また幹の年輪部分で言うと中心部分に放射能がより多く蓄積しているので、薪を作るときに注意する。

 このほか、保養については・・・
 病人、病弱な人は夏場に保養に行くこと。
 出産予定のある女性、妊娠中の女性は妊娠期間の全期間、非汚染地域で暮らすほうがいい。
 (発病リスクで言うと、妊娠8-15週目が被ばくの影響を胎児が一番受けやすい時期なので、注意が必要、としていますが、念のため妊娠中は汚染地域に住まないようにしよう、ということですね。)

「チェルノブイリのバックグラウンド」(2) 発病のリスク

2012-03-18 | 放射能関連情報
 アレクサンドル・リュツコ著「チェルノブイリのバックグラウンド」からの抜粋の続きです。
 発病のリスクについて書かれてる章があります。ただしこの本はチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年に発行されたものですので、そのことを念頭に読んでください。
 ( )内は私のコメントです。

・・・・・・・・ 

 理論上では被ばく量が多ければ多いほど発病のリスクが高くなることになっている。
 しかし体の強い人も弱い人もいて、発病するかどうかはその人による。
 ガンを発病する人が出てくるとしても、それが10-20年後になる場合もあるし、遺伝子による病気がその人ではなく、その子どもに出る場合もある。
 しかも発病の原因が放射能被ばくであるかどうかを実証することは難しい。

 骨髄が被ばくすると白血病になる。また白血病にならなくても免疫力が落ち、伝染病に罹りやすくなる。虚弱体質になったり、貧血になる。

 被ばくすると視力が落ちる。数年後白内障になる。失明するかあるいはほとんど失明に近い視力になる。
(この本ではベラルーシに白内障患者が増えることを、すでに予想していたわけです。)

 妊娠8-15週目が被ばくの影響を胎児が一番受けやすい時期なので、注意が必要。
  
 低量被ばくによる特別な健康への影響はない。しかしいくつかの種類の病気を促進することがあるので、低量被ばくが無害である、とは言い切れない。0.1から1シーベルトの範囲内の被ばくでも奇形や変形を持つ新生児が生まれてくる率が2倍に増えた。
  
 ガンについてはまず最初に現れるのは白血病で、被ばくして5-25年後に現れる。
 その次に乳がん、甲状腺がん、肺がんなどが現れる。
(この点については予想が外れています。特に子どもの甲状腺がんはこの本が発行された1990年に増え始めました。早くて5年後に白血病が現れてから甲状腺がんが出てくるとした予想ですが、実際には事故が起きてから4年後には甲状腺がんが増えました。)

 年齢が低いほど白血病の発症数のピークは早く来る。(若い人ほど、事故後早い時期から発症者数が増える、ということです。)
 しかしそれ以外のがんの数は時間が経てば経つほど増えるであろう。

 チェルノブイリ事故後は貧血、心臓病などさまざまな病気が増えた。
 免疫力の低下も見られる。事故前にはなかったことである。(事故後4年間の調査結果です。)

 まだ被ばくが与える影響についての研究は進んでいない。

 アルコール飲料の摂取が被ばくを防ぐ、と言う人もいるが定かではない。しかし汚染地域でアルコールを常飲している人の中に体力低下が見られるので、アルコール飲料の多飲は勧められない。
(現在ではアルコールが被ばくを防ぐ、という説は否定されています。赤ワインを奨励する医者もいますが、これは免疫力アップのためで、被ばくを防ぐ物ではありません。)

 今後、病気の種類や経過を詳しく観察しなければいけない。特に原発で事故処理作業をした人々の健康はより詳しく見守らないといけない。
 研究や調査をすることによって、発病リスクについての理解も深まり、対策方法を考え出すこともできる。
 それを将来生かすこともできる。もし、将来この地球上で同じような事故が繰り返されることがあれば、であるが。

(この文で発病リスクの章が終わります。この最後の部分を読んで泣きたくなりました。)

「チェルノブイリのバックグラウンド」(1) ストロンチウム90

2012-03-17 | 放射能関連情報
 私はミンスク市立の児童図書館内にある日本文化情報センターで働いています。
 同僚である図書館員から
「うちの図書館の貸し出しコーナーにこういう本があるわよ。」
と本を貸してもらいました。
 灯台下暗し・・・。児童図書館で子ども向けの本しかないと思い込んでいた私を許してください・・・。

 借りた本のタイトルを訳してみると「チェルノブイリのバックグラウンド」
 1990年出版なので、チェルノブイリ原発事故が起きて4年目に発行された本、ということになります。
 しかし4年しか経っていないのに、かなり詳しいことが載っていました。特にストロンチウム90についての記述は目を引きました。
 内容を簡単ですが日本語に訳してこのブログに掲載します。

 著者は(執筆当時)ベラルーシ大学助教授のアレクサンドル・リュツコ。専門は物理数学。出版社は「ベラルーシ・ソビエト・百科事典社」です。
 何だか難しそうな内容のことが書かれているのでは? と思ったのですが、児童図書館に置いてあるだけあって、中学生でも分かる(つまり私でも分かる)噛み砕いた文章でした。

 以下、ストロンチウム90についての記述を中心に抜粋しました。( )内の文章は私からのコメントです。

 
・・・・・・・・
 
 ストロンチウム90を含む小麦を製粉し、小麦粉にすると、100あったストロンチウム90の量がおよそ30-70へと減少した。

 ジャガイモ、ビートの皮をむくと含んでいたストロンチウム90が40%減少した。
 セシウム137もほぼ同じ割合で減少した。

 ストロンチウム90を含む牛乳から生クリームを作ると5%しか残らなかった。(95%は乳清のほうへ移行した、ということですね。ただしベラルーシの生クリームは乳脂肪率10%のものが多いです。)

 セシウム137を含む牛乳からバターを作ると、1.5%しか残らなかった。
 サワークリームを作ると、9%残った。
 チーズを作ると、10%残った。
 カッテージチーズを作ると21%残った。

 ストロンチウム90もセシウム137も食肉の中では豚肉が一番蓄積量が低かった。
 
 1986年の事故後の調査ではベラルーシ北部の野生の鹿の肉のほうが、南部の放射能汚染地域で飼育されていた肉牛の肉より10倍多く汚染していた。
 鹿がエサとしている森の苔が高い被ばく量であることが原因である。

 放射能性核種は川や湖の水底にたまりやすい。貝類、甲殻類、水草に放射能は蓄積しやすい。
 
 魚はエサ、そしてえらを通して被ばくする。そこから各種内臓に蓄積していくが、特に高い値で蓄積するのは肝臓である。
 しかし最も危険なのは魚の卵である。
 汚染された魚の身や卵を食べるのはよくない。出汁を取って、スープやブイヨン類を作るのはやめておくこと。

 ジャガイモ、ビート、スイバ、キノコはゆでるとセシウムの50-80%がゆで汁に移行する。
 
 果物は比較的放射能を含まない。しかし種は多く含んでいるので、食べないこと。
 
 1989年の秋にベラルーシ各地で収穫されたリンゴを集めて測定したが、汚染地域でとれたリンゴも「きれい」で食べることができた。
 リンゴは比較的放射能を蓄積しない果物だと言える。

 生の野菜や果物はよく洗う。 
 骨からとった出汁を使った料理は食べる回数をできるだけ減らす。
 危険なキノコは食べない。
 

・・・・・・・・

 事故から4年後の時点でもちゃんとストロンチウム90のことを研究していたのですね。
 でもこの本の中でも
「ストロンチウムは新陳代謝により体外に排出されるが、そのスピードは非常に遅い。」
「効果的な排出方法はない。」
としています。
 できるだけストロンチウム90を含まない食品を食べるようにし、また調理の下ごしらえに工夫し、またふだんからカルシウム不足にならないようにすることを提言しています。
 

ミンスク州のホットスポットでとったキノコ

2012-03-16 | 放射能関連情報
 ベラルーシ人の友人から聞いた話です。この人の同僚が自分の奥さんとミンスク州ビレイカ市の近くにあるホットスポットへ去年の秋行きました。
 このホットスポットはチェルノブイリ原発から400キロ離れたところにあります。
 この森は危ない、と思いつつもキノコをたくさん拾いました。
 そしてミンスクへ持って帰って来ましたが、周りの人から
「そんなキノコ危ない。食べないほうがいい。念のため検査したら?」
と言われたので、検査に出したところ1キロあたり4500ベクレルでした。
 基準値を超えてしまっています・・・。
 結果を聞いた友人たちは
「ほら、言わんことじゃない。食べたらだめだよ、そんなキノコ。」
と言いました。
 
 その人は家で奥さんに検査結果を告げ、
「食べるのやめよう。」
と言いました。ところが奥さんは
「せっかく採ってきたのに捨てるなんてもったいない。絶対いやよ。私は食べる。」
と反対し、夫婦喧嘩となりました。
 (女性のほうが放射能に危機感を抱いている場合が多いのですが、この夫婦は逆のようです。)

 友人は
「そんなに食べたいなら、よくよく洗って、何度も煮て煮汁は捨てるようにすれば?」
とアドバイスしました。
 その後この夫婦がキノコをどうしたのかは知らない、と言うことでした。

 チェルノブイリ原発事故が起きてから25年半の時点でこのような状況です。
 

チェルノブイリ原発ツアー

2012-03-14 | 放射能関連情報
 先日ベラルーシのカメラマンで新聞社で働いている人と話をする機会がありました。
 その人はチェルノブイリ原発ツアーに行ったことがあるということで、詳しく教えてもらいました。

 チェルノブイリ事故が起きたとき、ご本人は生後1ヶ月だったので、事故のことはもちろん何も覚えていません。ミンスク生まれで、ご両親もこれと言って事故のことを話したこともありません。
 また被ばくが原因と思われる症状なども出ていません。
 
 2007年の21歳のとき、カメラマンとして働き始めた頃、新聞の編集部から
「チェルノブイリ原発の写真がいるんだ。撮りに行ってくれ。」
と言われました。
 仕事なので承諾し、経費などももちろん編集部が出すことになりました。
 チェルノブイリまで行く、と言っても編集部が車を出してくれるわけではなく、ベラルーシの旅行会社がウクライナの旅行会社とともに手配しているチェルノブイリ原発パックツアーに申し込んで、一般の観光客といっしょに行くことになりました。

 このパックツアーは今でもあります。1年前の2011年の時点では2日間で80$の料金だそうです。この中に交通費、食費、宿泊費、立ち入り許可証発行の代行などが含まれています。(安い・・・。)
 ミンスク市内で参加者が集合し、夕方バスでウクライナのキエフに向けて出発。
 朝起きるとキエフに到着し、ホテルへ行きました。
 このとき注意されていたのは原発の見学後、着ていた服は捨てないといけないので、捨てても惜しくない服を着ていくこと。そして着替えを持っていくこと、でした。

 きれいな着替えはキエフのホテルに置いておきます。
 それから専用のバスでチェルノブイリ原発へ向かいました。
 各人には線量計が渡され、ガイドも同行します。
 この話をしてくれた人は出張だったわけですが、そのほかのツアー客は一般人で、どちらかと言うと
「怖いもの見たさ。」「変わったところへ行ってみたい。」「なかなか行けないところへ行きたい。」
と言った参加理由の人が多かったようです。

 まず原発関係者の町だったプリピャチに入って、そこで停車。
 カメラマンさんは仕事なので、たくさん写真を撮ったそうです。もちろん無人の町になっているのですが、雑草や苔が伸び放題になっていました。
 人も車もめったに通らないので、道路のアスファルトを突き抜けて若木が生えてきていたり、枝を払うといった手をかけることがなくなったので街路樹が伸びて葉っぱのトンネルができていたりしたそうです。
 異様に巨大な植物や、明らかに奇形の植物、などは見かけなかったそうです。

 このように植物が街中に生い茂っている状態のプリピャチですが、地面のところどころ直径10メートルぐらい丸く植物が「抜けている」部分があるそうです。
 周りは雑草が生えているのに、その「サークル」には草も苔も全く生えていません。線量計を近づけるとそこは特に線量が高く、ガイドから近くに寄らないように、と言われました。

 観光客が
「どうして草が全く生えていないこんなサークルが地面にあるんですか?」
と質問するとガイドは、推測ですが、と前置きして
「おそらく事故が起きたときに核燃料のかけらが飛び散って、ここに落ちたのでしょう。落ちた地点から半径5メートルには、何も生えないし、虫も動物も生き物という生き物はいません。死のサークルなのです。」
と説明しました。カメラマンさんは、さすがに気持ち悪かった・・・そうです。

 近くの森には野生動物がいて、人間がいないせいかすぐ近くまで近寄っても怖がらないそうです。おかげで至近距離で野生動物が撮影できた、とカメラマンさんは喜びました。
 そのほか絶滅危惧種の鳥も増えてきているそうで、自然が野生的に変化しており、動物にとっては楽園のような森になっているそうです。
 
 その後チェルノブイリ原発へ。石棺にはひびが入っていました。
 しかし線量計はそんなに高い数値を示さず、恐怖は感じなかったそうです。

 観光も終了し、その後30キロ圏内から外へ出ました。
 そこに建物があって、そこで着替えます。ホテルに置いてきた「きれいな」服はちゃんと業者が別の車に乗せて、その着替え所まで持って来てくれていました。
 それまで着ていた「汚れた」服は全部脱いで、袋にまとめていれます。
 その後業者さんがその服を、放射能廃棄物専用のゴミを捨てる穴に捨てに行ってくれます。
 ツアー客はバスに乗ってキエフのホテルに帰ります。そこでシャワーを浴びます。そして夕方バスに乗り、翌朝ミンスクに到着、解散、となります。

 カメラマンさんは編集部に行き、撮影した写真を渡し、その後数枚の写真が新聞に載りました。
 そして編集部から保養に行くよう言われ、24日間被爆者向けのサナトリウムに滞在しました。
 そこでは被爆者専用プログラムが組まれています。
 1日6回の特別食。ビタミンのサプリ。マッサージ。食事には赤ワインも出ました。
(赤ワインのポリフェノールが免疫力を高めるとして、ベラルーシでは適量を飲むことを奨励している。)
 費用や手続きは編集部が負担しています。
 仕事のために危険な場所へ若い人を送り込んだのですから、当然と言えば当然ですよね。

 保養所から帰ってきてしばらく働いていると、さらに「保養に行きなさい。」と出張も兼ねて、バリ島へ行ったそうです。
 そこで夏休み3週間を編集部の経費で滞在しました。
 (すばらしい! 編集部太っ腹!)

 もっともこのカメラマンさんはWBCで測定をしていないので、チェルノブイリ原発へ行ったとき、どれぐらい被ばくしたのか、また保養の効果でどれぐらい放射能が排出されたのかは分かりません。

 カメラマンさんはもうすぐ26歳になりますが持病などはなく、とても元気に仕事をしている、ということでした。

 貴重な話を伺えてよかったです。
 それにしてもこのカメラマンさんは出張で行ったわけだけれど、怖いもの見たさでこんなツアーに参加する人もいるとは・・・。
 私としては未来の日本に「フクイチ パックツアー」などと言うものが存在してほしくないです。
 もともとそこで働いていた人や近くに住んでいて、今避難を余儀なくされている住民の方々の気持ちを考えると、観光なんかしてほしくないです。

 
 

山火事に注意してください

2012-03-12 | 放射能関連情報
 日本では春先が一番山火事の多い時期です。空気が乾燥していて、枯れ枝も多い3月は山火事の多い月です。
 山や森がある場所で、汚染地域になっている場所では、火事の発生に気をつけてください。
 山間部は除染が難しく、進んでいないところが多いので、放射性物質は山の地面の部分(地表)にたくさん残っていると思われます。
 もし山火事が起きると、煙(上昇気流)にのって、地表部分の放射能が上空へ舞い上がります。そして遠くへ飛ばされていきます。
 空間線量が落ち着いてきた場所でも再び線量が上昇してしまいます。
 どうか放射能汚染地域の山間部で火事が発生しないように、また発生してもすぐに消火するようにしてください。
 
 同じ理由で震災がれきを焼却処分するのはとても危険です。
 もちろん処分の前にどれぐらいの放射能を含んでいるのか測定する必要があります。
 それで問題なければ、焼却処分してください。しかし高い放射能が検出された場合は、焼却処分するのはやめてください。
 煙といっしょに放射能が空中に拡散されてしまいます。
 また焼却後の灰には放射能が濃縮されますので、体積は小さくなりますが、どこにどのようにして埋めるのか? 処分するのか? といった新たな問題が出てきてしまいます。
 
 チェルノブイリ原発事故のときは自身や津波といった自然災害は起きませんでした。そのためがれきをどうするのかという問題も発生していません。
 しかしもしベラルーシで震災がれきの問題があったとしても焼却処分はしなかったでしょう。
 もともとベラルーシではゴミを焼却処分しません。そのような施設がないのです。
 じゃあ家庭から出るゴミはどうしているのか、と言えば、巨大な穴を掘って、その中に直接投げ込んでいるだけです。穴が満杯になったら、土をかぶせて蓋をします。そしてまた新しい穴を掘ります。
 (この方法も自然環境に対して優しい方法なのかどうか疑問ですが。)

 もともとゴミを焼却処分する、という発想がないのです。ゴミを焼こうと思えば相当の火力が必要で燃料もいります。しかしベラルーシは石油やガスなどの可燃性の天然資源が非常に少ないので、ほとんどをロシアからの輸入に頼っています。
 もしロシアが輸入を止めると、大量の死者が出て、国が大混乱します。
 そしてロシアから燃料エネルギーを購入するために常に国家予算が逼迫している状態が続いており、これがベラルーシ経済がよくならない最大の原因の一つなのです。
 燃料を買うために四苦八苦している状態なので、ゴミを燃やすのに貴重な燃料を使うなんて、とんでもなくもったいないことなのです。

 ベラルーシ人に
「日本では震災のために出たがれきを焼却処分する。」
と話しても
「はあ? なんでわざわざ燃やすの?」
と全くピンと来ないのです。
 
 でもそんなベラルーシ人でも
「放射能を含んだものはがれきでも何でも、絶対焼いちゃダメ! 灰が危ない。その灰のほうはどうするの?」
と強く言います。

 今がれきの処分について自治体が受け入れるか受け入れないかで、地元住民が反対したり、逆に日本人なら等しく分かち合おう、と賛成したり、さまざまな意見が紛糾しています。
 私は処分する場所のことも気になりますが、それより処分方法を焼却にするのが、とても心配です。
 他の処分方法はないのでしょうか?

 ベラルーシがゴミをどんどん穴に捨てることができるのは、人口密度が低いからで、空き地がたくさんあるからです。
 日本はあいている土地があまりないので、焼却して体積を小さくしたい、という気持ちは分かるのですが・・・。
 他に方法はないものでしょうか。

 私個人としてはがれき、という言葉は好きではないです。がれきをゴミ扱いしているかのようなことを書きましたが、本心ではありません。
 本来は誰かの家であったり、持ち物であったりしたものですよね。それをがれきと言うのは気が引けます・・・。

1年

2012-03-11 | 放射能関連情報
 東日本大震災が起きて1年経ちました。
 私にとってはとても長い1年でした。
 この日をもってさまざまな区切りをつける被災者の方々がテレビなどで紹介されていました。
 確かに一つの区切りですよね。
 長い道のりの一里塚のようです。まだまだこれからも続く道のりです。

 日本文化情報センターの追悼展に来てくれた人たちと、いろいろ話をしました。ベラルーシ人からも追悼の言葉をいただきました。
 ベラルーシ人は放射能の影響をとにかく心配しています。
 これからも長い道のりが続くと・・・ベラルーシ人はそう思っているようです。私も同感です。

 しかし、絶望して被ばくと戦うことをあきらめてはいけない! と話す人もいました。
 方法はある。対策もある。しかもいろいろな方法があるので、日本人はすぐに降参してはいけない。日本人ならできるはず、とも言われました。
 戦う、とか長い道のりが先に続いている、と思うと気が遠くなりますが、そうは思わず、放射能と隣り合わせの生活になったことを自覚し、自衛するようにしよう! と考えないと・・・とベラルーシの人たちからの話を聞いていて感じました。
 
 日本人ならできる、とか日本は技術力が高いから乗り越えられる、とかベラルーシ人に言われると、もちろんうれしいのですが、広範囲・長期間に及ぶ放射能の流出・被ばくは日本人は初めての経験なので、現実にはとまどっている日本人も多い・・・。
 といったことを話すと、
「落ち着いて賢く対処するようにするのが一番。」
「ストレスをためるのが健康にとても悪い。免疫力が下がる。ストレスを感じないようにして!」
と励まされました。
 ベラルーシからの励ましの言葉をこのブログを通じて日本の皆さんにお伝えしますね。
 

 
 
 
 

日本文化情報センター 東日本大震災追悼展

2012-03-09 | 日本文化情報センター
あの2011年3月11日からもうすぐ1年・・・
 とても長くてつらい1年だったと振り返ってみて言わざるをえません。

 日本各地で追悼式典が行われると思います。
 ベラルーシにある日本文化情報センターでも東日本大震災追悼展を3月9日と11日に行っています。
 本当は10日も入れて3日連続で実施したかったのですが、センターの入っている図書館が土曜日は休館日なので、このような日程になりました。
 画像は展示のようすです。同じく9日からも着物展を始めました。

 大したことができず、残念です。ろうそくを灯すことも考えたのですが、児童図書館内で火事になると危険なのでしないことにしました。
 モスクワでは11日から1週間かけて九つの追悼コンサートやチャリティコンサート、さらにフクシマをテーマにしたドキュメンタリー映画の上映会が在モスクワ日本大使館などの協力の元、行われるそうです。
 しかしベラルーシでは(私が知っている限りでは)そういったものがいっさいありません。
 住んでいる日本人が少ないのも理由の一つでしょう。
 
 私がベラルーシに住み始めた95年は長期滞在(3ヶ月以上滞在する場合、日本大使館に在留届を出さないといけない。)している日本人は10人でした。うち1人は臨時代理大使で、1人は大使館員でした。
 その後20人に増えて横ばい状態がずっと続いていたのですが、2011年、初めて30人になりました。
 
 以前あるブログで隣国ウクライナのことを「日本人は200人しか住んでいない国」と紹介してあって、
「その10分の1の20人しか住んでいないベラルーシはどうなのか?」
と思ったことがあります。
 
 もっとも在留届を出している日本人が30人、というだけで、3ヶ月以下の短期留学生や出張や旅行でベラルーシに来ている人はもっとたくさんいます。
 震災以降はチェルノブイリ、放射能関連でベラルーシに訪れる日本人が増えました。
 日本とベラルーシの距離が縮まった1年でもありました。

 しかし、です。
 ベラルーシ人と話をしていると、あることに気がつきました。
 3月11日に大地震と津波が起きて、福島第1原発で事故が起きたことは、誰でも知っています。
 ところがその後「放射能が大量に漏れた」(←つまりチェルノブイリ原発事故と似た状況が発生している。)といったことをちゃんと知っている人と全然知らない人に二つに分かれているのです。
 知っている人はインターネットで外国のニュースサイトをチェックしている人や、ユーロニュースなど外国のニュース番組をテレビで視聴している人たちです。
 逆に知っていない人はベラルーシのテレビや新聞しか見ていない、ネットはしていない、という人たちでした。

 知っている人は何かと心配していています。
 ところが知っていない人は本当に何も知らないです。
「福島の原発で(水素)爆発? そんなのあったの? いつ?」「原発の建屋が壊れている? 知らなかった。」「事故処理作業? まだ終わってないの? 日本にも事故処理作業員(リクビダートル)がいるの?」「住民が避難している? 退去命令が出たの? いつ?」
 ・・・といった具合です。さらには
「最近はテレビのニュースで日本のこと取り上げないから、知らなかった。」「そう言われてみれば最近日本のことはニュースで言わないから、すっかり落ち着いたと思っていた。福島第1原発はもう石棺で固めたと思っていた。」
と言っています。

 とにかく知っている人と知っていない人の差が大きすぎるのです。
 知っている人はホットスポットの地名まで把握してるのですが、知らない人はまるで何も知りません。
 これがチェルノブイリ原発事故と無関係の外国なら、あまり縁がないから、と時間の経過とともに関心が薄くなっていくのも分かります。
 しかしベラルーシ人がこうでは、情けないです。
 そもそもベラルーシのマスコミにも責任の一端はあると思いますが・・・

 このような状況だったので、今回日本文化情報センターが行った追悼展は、犠牲になった日本人の方のための鎮魂を祈る、というのはもちろんのこと、それに加えて、ベラルーシ人に知ってほしいと思ったことも内容に入れました。
 そのため防護服を着た日本人の被災者の方の写真や、煙を上げる福島第1原発の写真なども展示してあります。

 展示を準備した私もいろいろなことが思い返されました。この展示を見るベラルーシ人の人たちも日本の現状に少しでも思いを馳せてほしいです。

・・・・・・・

 ここから先の書き込みは3月16日のものです。
 ベラルーシでも追悼式典が在ベラルーシ日本大使館により行われることになりました。
 しかし追悼式典が行われるのは3月11日ではなく、3月15日・・・
 その知らせが私の元に届いたのは3月13日・・・
 せめて連絡だけでも3月11日までにしてほしかったです。
 
さらに後から分かったのですが、14日に第1日目の追悼式典があったそうです。しかしこれには私は招待されていないので、どんなものだったか分かりません。
 2日目の追悼式典には招待されたので行って来ました。

 ベラルーシには大使館員を含め、30人の日本人が長期滞在しています。おそらく全員私と同じように招待されていたと思いますが、大使館員を除くと、日本人は私を含め3人しか来ていませんでした。
 ベラルーシには大使はおらず、臨時代理大使がいますが、その挨拶、ベラルーシからの支援への謝辞の言葉が述べられました。みんなで黙祷しました。
 会場となった友好会館の側からも言葉があり、さらにロシア語で俳句を作っているという詩人の方が自作の俳句を朗読。
 DVDで日本外務省作成の英語版のビデオ作品(テーマは日本から世界の人へ支援ありがとう)がロシア語訳付きで上映されました。
 再び臨時代理大使から挨拶があり、お礼の心を表す料理が振舞われました。

 会場には震災の写真展示、被災地に住む子どもたちの絵がロシア語訳つきで展示されていました。
 私は震災のことを考えて、食欲もなくなってしまい、しばらく子どもたちの絵を眺めていました。飯舘村の子どもたちが書いた未来の飯舘村の絵があり、泣きたくなりました。

 会場にはミンスク市役所の人やベラルーシ外務省の人も来ていましたが、日本側からの謝辞に対する挨拶は全くありませんでした。
 会場には150人ぐらいベラルーシ人や各国大使がいましたが、献花した人は10人もいませんでした。
 花は会場の片隅のテーブルの上の花瓶に入れられていました。(私はお花を持って行きましたが・・・)
 
 ロシアではこういう追悼式典だったようです。

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-120315X055.html


被災中高生、恩返しのメッセージ=ロシアの支援に感謝の集い―モスクワ
2012年3月15日(木)08:04
 【モスクワ時事】「支援にスパシーバ(ありがとう)」。東日本大震災から1年を迎え、モスクワの在ロシア日本大使館で14日夜、犠牲者を追悼し、ロシアの緊急援助隊派遣などに感謝する集いが開かれ、岩手、宮城両県の被災した中高生からのビデオメッセージが紹介された。
 生徒らは、メドベージェフ大統領のスベトラーナ夫人の発案で昨年ロシアに招待された。8月に極東ウラジオストクで休暇を過ごした岩手・野田中学校の吹奏楽部員は「交流で笑顔が増えた。今後もみんなを笑顔にできるよう演奏を続けたい」と感謝の言葉を寄せた。
 集いでは、出席した約300人の黙とうの後、モスクワ音楽院で学ぶ日本人学生らが復興への「絆」の思いを込めて弦楽四重奏を披露。ロシアの子供たちも唱歌「ふるさと」などを合唱し、日本にエールを送った。 
[時事通信社]


 ロシアと比べてはいけないのですが、ベラルーシでももう少し工夫すればいろいろできたのに、と思いました。
 臨時代理大使からはミンスク市役所が仙台市の高校生を保養に招待したことに対して感謝していましたが、その高校生の様子をたぶんビデオ録画していた人もいると思うんです。
 それを追悼式典で上映すればもっと「日本とベラルーシ」という点が強調できたと思います。

 悲惨な震災の写真展の前で、大勢の招待客がワインを飲んだり、(立食パーティー形式だったので)オードブルの類を食べたりしているのを見るのは気が滅入りました。
 しかも今ベラルーシは復活祭前の精進斎期で、肉食は禁止なのです。(魚は食べてよい。)
 でもテーブルの上にはほかほかの焼肉が山盛り置いてあって、ベラルーシ人がそれを次々頬張っているのを見て、これが追悼式典なのかどうかよく分からなくなりました。
 
 1年前の今ごろ被災地では食べる物も水も電機もガスも暖房も毛布もない状態だったのに・・・と思うと私は食べる気がしませんでした。でも大使館員さんからは
「Tさん、早く食べないとなくなりますよ。」
と言われるし・・・。
 確かにこういう形で感謝の気持ちをベラルーシ人に対して表そう、というのは分からなくもないですが、もう少し他の表現方法もあったのではないか・・・と思います。
 それとせめてメニューはやはり精進料理のような、いわゆる生臭さものは出さないほうがよかったと思います。亡くなった方が大勢いるわけで、その追悼式典の場なのですから・・・。

 意外に次から次へとケータリングのお寿司盛り合わせのお皿がたくさん出てきて、食事の量は食べきれないぐらいでした。
 これにどれぐらいの日本国民の税金が使われているのかと思うと・・・私も箸をつけさせていただいた身なので、大きなことは言えませんが、今も大変な苦労をされている被災者のためにその税金を使うほうがいいのではないか・・・と思いました。
 何だか身の縮まる思いでした。

 帰り際に記念品として宮城特産のこけしが一人ひとりに手渡されました。
 これはよかったと思います。これだけの量の記念品を世界中で行われている日本大使館主催の追悼式典で配ったとすると、そうとうな量を日本外務省は発注したと思います。
 これが被災地の経済に少しはプラスになったと思います。

 もう少し早めに連絡してくれていたら他にも壇上に上がる日本人やベラルーシ人もいたと思います。
   

バンダジェフスキー博士のペクチンへの見解について(追加記事あります。)

2012-03-08 | 放射能関連情報
 もうすぐ来日講演される元ゴメリ医科大学学長のユーリー・バンダジェフスキー博士が『「ベルラド」 ステイトメント』をジャーナリストの木下黄太さんに送り、その日本語訳が木下さんのブログ「放射能防御プロジェクト 福島第一原発を考えます」で公開されています。詳しくはこちらです。
「バンダジェフスキー博士の「ベルラド」への見解。また、放射性物質に関するペクチンの限界について。」

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/a53b086fbec77b1e20f403651d1c8b0c


 この文章だけ読むと、バンダジェフスキー博士がベルラド研究所に対して冷たいような態度を取っているように思える人もいるかもしれません。
 またペクチンについても
「私は、ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができると
は、思いません。これらの補助剤は短期間しか使用できません。」
 とバンダジェフスキーさんの言葉を聞くと、
「ペクチンは効果がないのか。今まで飲んでいたのに。」
と憤慨する人もいるでしょう。

 実際私のほうにも「これについてどう思いますか?」という複数の日本人の方からのメールがきました。
 私もバンダジェフスキーさんのこの文章を読みましたが、とても納得できるものでした。どうしてか・・・はこの記事で書いてみます。

・・・・・

 この文章の最後のほうに
「私は、現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」
とバンダジェフスキーさんが書いていますが、これだけ読むとベルラド研究所を冷えた関係にあるような印象です。しかし文章の最初のほう、
「当時、私は、ゴメリ国立大学学長であったと同時に、病理学部学部長でもあり、この研究を監督していました。つまり、これらの研究における放射能測定の研究は、ゴメリ国立医科大学で行なわれた、と言う事実をここに明記しておきます。」
という部分をあわせて読むと、どうやら多くの人がバンダジェフスキー博士の研究とベルラドの研究を一緒くたにして誤解しているのではないか? と私は感じました。
 つまり、バンダジェフスキー博士は医師の立場でゴメリ国立大学としての研究を行っていたのに、それをベルラド研究所の研究だと勘違いしている人(最近は特に日本人)が多くなってきて、博士は不愉快に感じているのではないか? と思いました。

 それはそうですよね。心血注いで研究をしてきたのに、他の研究所が行った研究と勘違いされてたら、
「いや、それは違う。ゴメリ国立医科大学で行なわれた、と言う事実をここに明記しておきたい。私は、現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」
と言いたくなるでしょう。

 それで
「1990年代に、「ベルラド」は、食品や物質に含まれる放射性核種の測定機器を製造していました。ゴメリ国立医科大学は、これらの機器を「ベルラド」から購入しました。」
 ・・・・だったので、ゴメリ国立医科大学で研究をしていた昔はベルラドと関係があったけど、今はウクライナの病院で働いているのだから、「現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」と発言するのは、そのとおりだし、事実を語っている、と思います。

 バンダジェフスキー博士が投獄されていたとき、ベルラド研究所の前所長ワシーリイ・ネステレンコ博士は釈放を要求する運動をしたり、(おそらく生活が困窮したと思われる)奥さんのガリーナさんをベルラド研究所で働けるよう雇ったりしました。
 (でも現在ガリーナさんはベルラド研究所を退職しています。確かに現在はベルラド研究所とは関係のない人になっています。)
 ガリーナさんがベルラド研究所で働いていたとき、ベルラド研究所はバンダジェフスキー博士の論文を奥さんの協力の元、出版しています。

 また文章中の
「「ベルラド」は、かつて、そして現在も、組織として科学的な地位を持たない民間企業です。」
というのも本当のことです。
 ゴメリ国立医科大学は国立ですから、国立大学と民間企業の研究の規模などが違う、というのは当然で、そのことを博士は強調したいのではないか、と思いました。

 さらに「「ベルラド」は、1990年から1999年の間にゴメリ国立医科大学で行われた子供と大人の放射能測定に参加した事はありません。」「また、ベルラドは、ゴメリ国立医科大学で行われた子供と大人の死亡後の放射能測定調査を行ったり、実験研究に参加した事はありません。」
 これらも本当です。ベルラドは測定機材を大学に売っただけですから、実際の測定作業をするのは大学側で、販売した企業側ではないです。
 それにベルラド研究所は医学的なテーマを研究する機関ではありません。
 この研究所で働いている人のほとんどは物理学などが専門の人で、医者や医学者は働いていません。法律的にもまた人材や機材の環境を見ても、専門的な医学のテーマを研究できるような条件は全くそろっていません。
 WBCで測定して、体内放射能値がどれぐらい、とか増減の推移を研究していますが、これは医学的なテーマではないでしょう。

 「自分と子どもを守るには」の本の中に出てくる医学的な内容は全て他の(ゴメリ医大を含む)専門機関の研究結果に基づいています。
 ベルラド研究所で大勢の患者を相手に研究した結果ではなく、公式な統計などを元にしているのです。医学的な内容については引用であることもちゃんと明記してあります。

 副所長のバベンコさんに日本人の方から病気について(特に自分の身の上に起こった症状について)問い合わせる人もいるのですが、バベンコさんは
「私は医学は専門ではないから。」
と回答されていません。
 ご自分の専門の範囲、つまり責任の範囲をわきまえているから、安易な答えはできない、という態度です。研究者としては当然でしょう。

 それからバンダジェフスキーさんの文章中の
「ベルラド独自の研究が始まったのは、もっと後になってからです。」
 これも本当で、測定作業は設立当初から始まっていましたが、ペクチンに関するベルラド研究所の研究が本格的に始まったのはビタペクトを開発してからなので、2000年以降になります。

「私は、1992年から1998年の間、ゴメリ国立医科大学において、ペクチンを含む多数の吸着剤についての膨大な数の研究を行い、1996年から1999年の間、解剖の対象の測定結果を発表し始めました。「ベルラド」は、これらの研究に参加していません。
これらの研究の結果は、いくつかの書籍で発表され、その時に初めて、ベルラドはこれらの研究に興味を示し始め、私の投獄中に、「ベルラド」は私の書籍をいくつか出版しました。」
 これも本当です。
 ベルラド研究所のほかベラルーシの専門家たちが最初にペクチンに興味を示したのはウクライナのペクチンサプリ「ヤブロペクト」が開発・販売されてからです。
 そこでベルラド研究所も独自のペクチンサプリであるビタペクトを開発して、それを使って自分たちで研究・データ集めを行っています。(現在もそうです。)
 ベルラド研究所のビタペクトを使った研究は、それはそれで独立したものです。
 ゴメリ医科大の研究もそれはそれで独立したもので、両者をごちゃまぜにしてはいけない・・・とバンダジェフスキーさんは言いたいのでは? ・・・と私は思いますし、私自身もごちゃ混ぜはよくない、と思います。

 バンダジェフスキーさんはご自分の名誉、ゴメリ医科大の名誉、研究をいっしょにしてきた仲間たちの名誉を守りたいのだろうなあ、と感じました。あれだけの研究をされてきたのですから、そう思うのは当然だと思います。
 同じベラルーシ人だから、と言って国立と民間、大学と研究所を一緒くたにされては困るでしょう。
 来日を前にしてこの点について、あらかじめ日本人の方々に言っておきたかったのではないでしょうか。

 それから
「これらの補助剤(ペクチン)は短期間しか使用できません。」
 についてですが、これも正しいことを言っていると思います。

 ペクチンサプリが短期間しか使用できないのは本当です。長期間使用すると、体に必要なビタミン・ミネラル類も排出されるので、摂取の仕方には決まりがあります。
 ビタペクトで言うと、ベルラド研究所も
「1年に4回(クール)の摂取が望ましい。」
としています。つまり1年のうち1ヶ月飲んで、2ヶ月休み・・・を繰り返しなさい、ということです。
 しかもこれは放射能汚染地域に住み続けている人を対象した飲み方です。
 また摂取する量についても一度に飲みすぎると、下痢や腹痛を起こすのでいけません。
 SOS子ども村では少量ずつ2ヶ月かけて飲む、ということになっています。
 これもちゃんと体内の放射能を測定して、その数値を見て決めていることです。
 (今まで経験はありませんが)もし測定結果が体重1キロあたり数百ベクレル、というような子どもがSOS子ども村に保養滞在している場合は倍の量を1ヶ月かけて飲む、というように指導します。
 「短期間」がどれぐらいの時間のことを表しているのか、人によって受け取り方はさまざまですが、私も2ヶ月が一定の連続摂取限度、とすれば短期間しか使用できない、という表現は正しいと思います。

 バンダジェフスキーさんが
「ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができるとは、思いません。」
と発言しているのは少々疑問です。
 ご本人が自身の論文「放射性セシウムが人体に与える 医学的生物学的影響」で
「体内に取り込まれたセシウムを体外に除去するための治療として、粘土質を加えたペクチン製剤のペクトパルはもっとも有望な製剤のひとつである。」
と述べているからです。

 また
「ベラルーシで比較的普及しているビタペクト(アップルペクチン)の有効性について、妻のガリーナ・バンダジェフスキーは、研究論文をバンダジェフスキーとベルラド放射能安全研究所の所長ワシリー・ネステレンコとの共著で発表し、経口摂取されたペクチンは消化管内でセシウムと結合して体外への排出を促進する効果があると考察している。」
ということもしています。
 詳しくはこちらをご覧ください。ウィキペデイアのバンダジェフスキー博士のページです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


 ついでにネステレンコ博士のページもありますのでどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3


 ペクチンについての作用についての見解について詳しくは講演会でどなたか直接バンダジェフスキー博士に質問してください。
 ただ私がこの発言について感じたのは、確かに、ペクチンが排出に有効な放射性核種はセシウムだけだし、ペクチンが最高で完璧な排出方法である、とは言えないな・・・ということです。
 そういう意味ではバンダジェフスキーさんの、ペクチンは問題解決につながらない、というのは正しいと思います。
 ペクチンは食物繊維で、放射能の万能薬ではないです。

 チロ基金でチェルノブイリの子どもたちにビタペクトを渡し続けている私としては、バンダジェフスキー博士がこのような発言をしたからと言って、
「じゃあ、支援活動をするのはいっさいやーめた。」
とは思いません。
 ペクチン以外にもっと有効で(できたら安価な)放射能排出の方法があれば、チロ基金はそちらに切り替えるつもりです。
 ・・・と思いながら10年経過しましたが、いまだにベラルーシ国内ではビタペクト以上によい方法が見つかっていません。
 それでずっと支援活動の内容を変えることなく続けています。

 またバンダジェフスキーさんは「ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができるとは、思いません。」と言っているのであって
「ペクチンは全く効果なし。飲むだけ無駄。無意味。」
と言っているのではありません。
 裏を返せば、それだけ人体から放射性核種を取り除くと言う問題は厳しく、簡単に解決できるものではない、と言いたいのかもしれません。
 私も
「ペクチンは効く。だからこれさえあれば放射能なんて怖くない。家の前に原発が経っても平気。ペクチン以外の被ばく対策なんてしない。放射能がたくさん含まれている食品だってどんどん食べられる。基準値なんてわざわざ作らなくてもいい。」
とは思いませんし、このような考えを日本人に言うつもりも全くありません。
 排出する前にできるだけ被ばくしないように努力するのが当然です。

 それから私はこのブログでビタペクトやペクチンについて何度も紹介していますが、ベルラド研究所からお金をもらって、日本人向けに日本語の宣伝をすることを依頼されているものではありません。
 (そういう意味では私も「ベルラドとは関係ない」人間かもです。)(^^;)

 あくまで私はベラルーシ国内でベラルーシの子どもたちの支援活動をしているボランティアの人間です。
 しかし日本でこのような原発事故が起きた以上、
「私はベラルーシの子どもさえ健康になればそれでいいの。それだけが私の役目。日本人の健康なんて知ったことではない。」
などと日本人として言えるわけがありませんし、全くそんなことは思いません。

 10年になるベラルーシでの支援活動から得た情報を、日本人の方々にこのブログを通じてお知らせしたい、伝えたい、というそれだけの気持ちです。
 ベラルーシ発の情報がもしかしたら日本人の誰かのために役立つかもしれないからです。

 また「ペクチンは効果があるのだ。飲め飲め。」と強要するつもりも全くありません。
 飲むかどうかは個人の自由です。
 ペクチン以外にもずっと有効な方法が日本にはあるかもしれませんし、これから研究も進むと思います。

 ただ言いたいのは
「バンダジェフスキーというベラルーシの医者がペクチンでは問題解決につながらないと言っている。今までペクチンサプリ飲んできたのに損した。」
と思わないでほしい、ということです。
 なぜならベラルーシで支援活動をしてきた私はペクチンの効果を実感しているからです。また保養所であるSOS子ども村でもペクチンを支持しています。
  
 バンダジェフスキー博士の意見も一つの意見、私やSOS子ども村の意見も一つの意見として聞いたうえで、どのような被ばく対策をされるのか、皆さんご自身が判断してください。


・・・・・・・・・・・・・

 ここから先は3月19日の書き込みです。
 18日に医学関係者向けに行われたセミナーでペクチンに関する質問にバンダジェフスキー博士が答えました。
 それによると・・・

「(冤罪で)投獄されている間にペクチンの研究が進んだが、公式機関はペクチンの効果を認めていない。ペクチンが万能薬だというのは大きな間違い。」

 ・・・だそうです。ペクチンが万能薬ではない、というのは本当にそのとおりです。放射性核種で言うとセシウム137しか研究結果もありません。
 ストロンチウム90などはペクチンでは排出されません。
 ベラルーシの医者の中にもペクチンは効き目がない、としている人もいます。
 しかしベラルーシのある企業がベラルーシ国内のスーパーマーケットでペクチン入りセルロースを売っていて、その説明書きに「放射能を排出します。」と堂々と書いています。
 これがベラルーシの公式機関も認めていない真っ赤な嘘だというなら、この企業は法律に触れていることになりますが、今でもこの商品は普通に売られています。

 さらにバンダジェフスキー博士は
「私はベラルド研究所とは関係ない。また、健康を守るのは医療関係者が行うべきであって、ビジネスにすべきでない。」・・・とベラルドを批判したそうです。

 私はバンダジェフスキー博士にがっかりしました。
 ベルラド研究所はあくまで研究所であって、ペクチンサプリを販売して儲けている企業ではありません。
 ベルラドを民間の健康食品会社だと勘違いされている日本人がいますが、ベルラドがしているのは研究や調査です。

 研究所は汚染地域の住民に対しては、無料でWBC測定を行っており、無料でビタペクトを渡しています。さらに無料で再測定もしています。
 非汚染地域の住民には有料で測定をしていますが、1回の料金は日本円にしてわずか160円です。
 ビタペクトTも販売していますが、これも1瓶160円です。

 またビタペクトの大量生産も全く行っていません。基本的には汚染地で無料配布できるだけの量が作れればそれでいい、というスタンスです。
 (それどころかこの半年、諸事情からビタペクトの生産が止まっています。1個も作られませんでした。仕方なく子どもたちへの支援のためにペクチン入りセルロースを代用していることはチロ基金の活動報告をご覧ください。
 しかし来月から製造再開されるそうです。ベラルーシの子どもたちが待っています。一日も早い製造再開をチロ基金の人間としては祈るばかりです。
 ちなみにビタペクトは100%ピュアなペクチンサプリではありません。このブログをずっと前から読んでくださっている方にとっては周知のことですが。 

 またベルラド研究所はビタペクトの宣伝をテレビのCMなどで流したことも全くありません。
 ベルラド研究所は利益を追求しなくてはいけない企業ではないので、宣伝などしなくていいのです。
 もちろんビタペクトを放射能の特効薬のように言っていることは全くありません。
 逆に長期連続摂取はしないように説明しており、1年間に4クールの摂取をするよう勧めています。しかもこれはWBCの測定結果がよくなく、さらに汚染地域に住み続けている人対象の回数です。

 とてもベルラド研究所がビジネスライクなことをしているとは思えません。
 じゃあ、研究資金はどうしているのかというと、西側ヨーロッパ諸国の慈善団体などから寄付を受けて行っているのです。

 それにWBCによる測定は医療行為ではありません。でも健康を守ることにつながります。それを医療関係者以外の人間は絶対してはいけないのでしょうか?
 日本でも民間が測定作業を始めていますが、それも医療関係者以外の人間だから絶対するな、と言いたいのでしょうか?
 もちろん法外な測定料金を取るのは「ビジネス」に走っていることになるでしょうが、そうでない検査機関もあります。
 
 チロ基金がビタペクトTを購入することでわずかながら、ベルラド研究所を応援していること、SOS子ども村の子どもたちに渡していることも健康につながることだからしているのですが、それも医療関係者だからしなくていい、ということでしょうか?

 それから感情論だよ、と批判されるの覚悟で書きますが、バンダジェフスキー博士が投獄されていたとき、釈放のための運動をしていたのはベルラド研究所初代所長のワシーリイ・ネステレンコさんですよ。お二人は親友だった、ということになっていますが・・・。
 事件のせいでゴメリ医大をやめさせられてからは、ネステレンコさんはバンダジェフスキー夫妻にときどきお金を差し入れていました。
 お金も大事な生活の要素の一つですよ。お金が全くないと、生活ができない。研究もできない。ボランティア活動もできない。(予算0円でできるボランティア活動もあると言う人もいるでしょうが、電話1本かけるのにもお金はかかりますよ。) 
 これでも
「ベルラド研究所はビジネス第一の組織だ。」
と批判するのですか? 
 
 そんなに民間がやっていることはいけないことなのでしょうか?
 国立や国営、あるいは政府がしていることだけがビジネス第一ではなく、信用できるのですか?
 日本の民間測定所もやってはいけないことなんですか? 無意味なことをしているのでしょうか?
 確かに明らかに法外に高い測定料金を請求するのは、よくありませんが、ベルラド研究所が儲け主義なことをしているとは、私にはとても思えません。
 平均の月給が3万円ほどのベラルーシ人ですら、ベルラドのWBC測定料金は安い、と話しています。
 
 また「犯罪者で服役中の夫を持った」奥さんをベルラド研究所が雇っています。その後、協力し合ってバンダジェフスキー博士の論文を出版しています。ベルラド研究所がこうしていなかったら、服役中の人間の論文を出版するような会社はベラルーシにはなかったでしょう。
 それともこの親切がかえって気に入らなかった(何かのトラブルの元になった?)のでしょうか?
 私のような外側にいる立場の人間には分からないような事情があるのかもしれません。

 しかし私からすれば、健康を守るのはビジネスにすべきでないという理由で、自分が困ったときは助けてくれたベラルド研究所を批判するバンダジェフスキー博士の態度は、医学の専門家と言う前にまず人としてどうなの? と思いました。

 さらに被ばく対策としては
「汚染されていないきれいな食品を食べることが必要。ペクチンは意味がない。できるだけ食事からの蓄積を防ぐ。一番難しいけど一番大事。」
と何度も強調していたそうです。
 本当に一番難しいですね。今の日本の体制では・・・。
 それができれば完璧なのですが、この1年の間に被ばくしてしまった人はどうしたらいいの? と思いました。
 
 そしたら同じことを考えている人がちゃんといて、3月19日に国会議員会館にて行われた記者会見&特別勉強会で議員さんが
「Cs137をいったん取り込んだ場合の治療法は?」
と質問していました。それに対しバンダジェフスキー博士は
「いったんCsを取り込んだ場合、1ヶ月半で排出される。一部は体内で崩壊して蓄積され、それが生命維持に必要な臓器に影響を与える。安定バリウムという非常に有害な物質になる。」
と答え、つまりセシウムを取り込んだら、ほとんどは時間が来れば排出されるが、どうしても一部は有害物質となって体内に残ってしまい、それをなくすことはできない、ということです。
 要するに質問に対し、絶望的な答えが返ってきただけです。

 さらには
「ベラルーシの人々はチェルノブイリ事故が起こる前、'60年代から放射能汚染の影響を受けていた。」
ということも講演会で話したそうですが、日本でもそうでしょ?
 核実験による影響で、60年代は日本でも放射能の線量が高かった。でも、その影響なんか出ていない。だから放射能を怖がるのはやめましょう、と言っている学者も日本にいます。
 横浜のマンションの屋上でストロンチウム90が見つかると
「それは福島第一原発由来のものではない。60年代の核実験によるものだ。」
と説明していましたね。
 要するに日本もベラルーシも60年代は放射能がすぐ目の前にある状態で、さらに原発事故が起こって大量の放射能が拡散したという共通の経験を持っている、ということです。

 そして博士が語る健康被害のデータは恐怖そのものです。ベラルーシと日本の取り巻く状況がこれだけ似ている、ということは、日本も将来こういう健康被害が出る、と言っているのと同じです。
 しかし、それに対してペクチンは意味がない。セシウムは完全に排出されない、と言っており、解決方法はただ一つ・・・
「汚染していないものを食べましょう。」
・・・なのですから、聞いているこちらは大変です。
 今の日本でこれはまだ完璧にはできない、しかももう被ばくしてしまった人は、解決方法なし、と言われているようなものです。

 解決方法なんかない・・・そのような感想を持った参加者も多かったのではないでしょうか?
 悲しい講演会でしたね。私は絶望、とまではいきませんが、希望の光が小さくなったような気持ちがしました。
 でもベラルーシに住んでいる私は、とにかく自分の信じる方法で、できる限りベラルーシの子どもたちにビタペクトを配っていこう、と思いました。
 
 バンダジェフスキーさんの話は話で尊重するけれど、全てを真に受けていたら、暗闇の世界に落ちていくだけのように感じます。なので、私は気にせずこれからも前に進みます。
 
 

下野新聞に特集記事が掲載されます

2012-03-06 | 放射能関連情報
 3月11日付の下野新聞に両面見開きの特集記事が組まれます。
 私も「栃木県民を励ますメッセージ」を依頼されまして、片隅に掲載される予定です。
 下野新聞は食品の測定なども独自に調査し、その結果を発表するそうなので、読むのがとても待ち遠しいです。
 下野新聞をご購読の皆様、ぜひ11日の記事を読んで、食品からの被ばく対策について考えてみてください。

チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第130回」

2012-03-05 |   ビタペクト配布活動
 3月5日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第130回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 しかしその前にご説明しないといけないことがあります。今回子どもたちにビタペクトTを渡すことができませんでした。代わりにペクチン配合セルロースを配布しました。
 以前のこの活動でもセルロースをビタペクトTの代わりに子どもたちに渡したことがあります。
 詳しくはこちらの記事をご覧ください。

133回目に当たるチロ基金の活動「ビタペクト2無料配布」について。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c5c13bdc865c7071c69c29024464ff6d


チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第123回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b70d590afa565bd909875ae3aae13527


 ペクチン配合セルロースについてはこちらです。
ペクチン配合セルロースについて (1)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


ペクチン配合セルロースについて (2)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5d48a74eef693b9246d188dfa277d076


ペクチン配合セルロースについて (3)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/33089b7659d42b742cf36a33deba21ad



 ビタペクトTを製造しているベルラド研究所側の事情により、現在ビタペクトTの製造が休止しています。さらに現在のところ在庫もありません。
 来月初めには再び製造が始まる予定だそうです。しかしチロ基金としては子どもたちに何もあげないよりは、ペクチン配合セルロースを渡すほうがいいと考え、今回はビタペクトTの代わりに「ペクチン入りセルロース・ツルコケモモ」(250グラム入り)3個(6人分)をSOS子ども村にて保養滞在している家族に渡しましたのでご報告いたします。
 これでチロ基金が今までに子どもたちに渡したペクチン入りセルロースは合計7個になりました。
 ペクチン入りセルロースは250グラム入りで、ビタペクトTは152グラム入りです。そのためペクチン入りセルロースを子どもたちにあげるときには1個で2人分として渡しています。

 また「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。これで今までに配布した「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1690部となりました。
  
 今回で通算140回目の配布となりました。延べ人数ですが、1690家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


 今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。

(家族A)

 ミンスク州ボリソフ地区ネマニッツァ村(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家庭タイプ孤児院の一家。
 お母さんが13人の養子を連れて来ていました。この家族に3個のビタミン配合セルロースを渡しました。

 この家族は2005年、2007年、2009年にSOS子ども村に滞在しています。
 2005年のときの滞在の様子はこちらです。
「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第38回」

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no38.html


 2007年のときの滞在の様子はこちらです。
「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第55回」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2007/no55.html


 2007年のときの滞在の様子はこちらです。
「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第98回」をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/ba497eeef5dd38faa0c2df7bd3395b41


2005年、2007年、2009年、今回の2012年のそれぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2(今回はセルロース)を渡しました。

母親(事故発生時19歳) 10ベクレル → 11ベクレル → 7ベクレル → 10ベクレル
15歳(女子)18ベクレル → 19ベクレル → 12ベクレル → 12ベクレル
13歳(女子)         14ベクレル → 15ベクレル → 19ベクレル ○
13歳(女子)19ベクレル →  0ベクレル → 21ベクレル ○ → 16ベクレル 
12歳(女子)                  19ベクレル → 10ベクレル
 8歳(男子)                  16ベクレル → 18ベクレル ○
 8歳(女子)                  28ベクレル ○ → 32ベクレル ○
 7歳(女子)                  18ベクレル → 14ベクレル

 このほか今回初めてSOS子ども村で保養に来たので、測定そのものも初めて、という子どもが6人いました。
15歳(男子)18ベクレル ○
14歳(男子) 0ベクレル
14歳(男子)20ベクレル ○
12歳(女子)10ベクレル
11歳(男子)16ベクレル
10歳(女子)23ベクレル ○

 この子どもたちのうち、15歳の女の子と13歳の女の子2人は去年の夏と冬、イタリアへ保養に行っています。
 夏は3ヶ月、冬は1ヶ月の滞在だったそうです。
(ベラルーシは学校の夏休みが3ヶ月あるのでこのような長期の保養滞在ができます。)
 また以前にも測定を受けたことのある12歳の女の子、11歳の男の子、10歳の女の子は去年の夏に1ヶ月ドイツに保養に行っています。
 おととしも保養に行ったと言う子どももいました。
 外国へ保養に行った子どものうち、今回セルロースを飲むことになったのは13歳の女の子と10歳の女の子の2人です。

 子どもたちの健康状態ですが、7歳の女の子は生まれつき腎臓が1個しかありません。
 以前にも測定を受けたことのある12歳の女の子は慢性胃炎です。
 14歳の男の子は1ヶ月前に養子になったばかりです。この子も慢性胃炎、慢性気管支炎です。さらに骨に異常があります。とても骨がもろく、しょっちゅう骨折を起こすそうです。今回も右手首にギプスをはめていました。
 ウイルス性感冒に繰り返しかかると、骨がもろくなったり関節痛が起こりやすくなるそうです。この子も場合もおそらくそうでしょう、というお話でした。
「できるだけ風邪やインフルエンザ、アンギーナにかからないように、体を冷やさないように。」
とリリヤ先生から言われていました。
 また
「いつかは自立して親元を離れるときが来る。その後は誰も健康に気をかけてくれなくなる。自分の健康管理は自分でできるようになりましょう。」
と子どもたち全員に話していました。

 
(家族B)
 この家族は家族Aのお母さんの娘とその長男です。娘さんは以前は家族Aといっしょに暮らしていましたが、結婚してからはポーロツク(チェルノブイリ原発から460キロ)に住んでいます。2人とも今回が初めての保養滞在になります。

 お母さん(24歳)の測定値は13ベクレル。2歳の長男は0ベクレルで、今回はセルロースは渡していません。
 お母さんは小学校5年生のときから風邪をよくひくようになり、慢性気管支炎、アンギーナなどによくかかるそうです。
 長男は食物アレルギー(さくらんぼ)があります。
 それ以外は元気だということでした。

 家族Aのお母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたとき、19歳だったのですが、事故発生直後にゴメリ州のベトカ(チェルノブイリ原発から約150キロ)の町に労働奉仕のような形で働きに行くよう言われ、1年間住んでいたそうです。
 ベトカはチェルノブイリ原発事故のとき風下だった場所で、高汚染地域です。
 お母さんはその後結婚して、娘にあたる家族Bのお母さんを事故発生後2年目に出産しています。
「今から考えるとチェルノブイリ原発から遠く離れたところに住んでいたのだから、事故直後にベトカへ仕事に行かなければよかったかも・・・。でも当時は命令だったし、放射能の知識もなく、仕事に行くのが当たり前だと思って、何とも感じていなかった。」
とお母さんは話していました。

 家族Aの一家は村で暮らしており、2頭の牛、3匹の豚(でも2匹はすでに『食料』になったので現在は1匹。もうすぐ2匹の子豚を買うそうです。)七面鳥、あひる、にわとり(ブロイラー50羽)などを飼っているそうです。
 牛から搾乳した牛乳を飲んでいますが、きちんと検査を受けています。基準値を超える放射能が検出されたことはなく、安心して飲んでいるそうです。

 庭にはりんごの木があって、実からジュースを作っているそうです。リリヤ先生は
「搾りかすのほうにペクチンが多く含まれるので、できるだけ搾りかすの入った状態で(きれいに漉さずに)飲むように。また搾りかすはピロシキなどの焼き菓子の中に入れて食べるようにしてください。それでも余った搾りかすは飼っている豚に食べさせなさい。」
 これで豚にペクチンサプリをあげることになり、その豚肉はセシウムが減るでしょう・・・ということでした。
 
 理論的にはそうだろうと思いますが、さすがにベラルーシでペクチンを飲ませた豚をWBCで測定した、という研究はされていませんので、はっきりしたデータがあるわけではありません。
(思わずWBCに暴れる豚をのせようと四苦八苦しているベルラド研究所の職員さんの姿を想像してしまいました・・・。悪夢。)(^^;)

 WBCの測定は人間が優先ですからねえ・・・。でも豚肉になった状態でなら測定ができると思うのですが・・・。
 しかし養豚業を営まれている方、えさにりんごの搾りかす(ペクチン)をあげることを検討してみてはどうでしょうか?
 リリヤ先生は
「ニワトリのえさにも混ぜなさい。」
とも言っていました。
 きちんとした研究所で、家畜のエサにペクチンを加えることを実験してほしいです。

 今回もいつものように子ども達に折り紙、おもちゃの笛などをプレゼントしました。お母さんにはアクリルたわし。私が作ったものですが折鶴をあげるととても喜んでいました。
 今までにもSOS子ども村に滞在したことのある子どもたちは
「折り紙、前にやってみたけど、ちゃんとできたよ!」
と話していました。
 富士山の絵葉書の裏に子どもたちの名前を日本語で筆ペンで書いてあげると、「すごい、すごい。」を連発していました。
(これは私の字がきれいで「すごい」のではなく、筆ペンがすごいのです。) 

 画像は記念撮影の様子です。家族Aのお母さんは急用ができて席を外してしまい、ここには写っていません。
 また3人の子どもが学校に行っていて写っていません。保養期間中も地元の学校に行くことになっているので、勉強が遅れるということになりません。
 SOS子ども村の保養滞在家族の子どもを受け入れている学校はしょっちゅう子どもの顔ぶれが変わるので大変だとは思いますが、ベラルーシでは保養滞在期間が夏休みなどでない場合は保養所から近い学校に通うのが普通です。

 最後になりましたが、ペクチン配合セルロースの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や手作りのアクリルたわし、絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。