3月22日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第115回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクトTを9個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2(ビタペクトT)は合計1785個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1540部となりました。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215
(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13
(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所のサイトはこちらです。)
http://www.belrad.nsys.by
(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。両家族とも、ゴメリ州バブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から来ており、複数回SOS子ども村に滞在したことがあります。
それぞれの家族に話を伺いました。
(家族A)
おばあちゃんと3人のお孫さん。この家族はSOS子ども村滞在は5回目です。
2005年の1回目の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第30回の(家族B)をご覧下さい。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no30.html
2006年の2回目の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第44回」の(家族A)をご覧下さい。
http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/004.html
2007年の3回目の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第62回」の(家族A)をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/b1f2b646e09d44ebfd5e052b924a6e22
2008年の4回目の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第82回」の(家族A)をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9e8fc5e93ae9711827f521fddcc6ea37
体内放射能値の測定結果についてはこのように推移しています。
(2005年→2006年→2007年→2008年→2011年の順に表記しています。)
おばあちゃん(事故発生時25歳)14ベクレル → 8ベクレル → 13ベクレル → 10ベクレル →13ベクレル(一度もビタペクト2を飲んでいません。)
11歳の孫(男の子)32ベクレル ○ → (2006年は入院したため測定なし)→25ベクレル ○ → 13ベクレル → 16ベクレル
(2005年と2007年にビタペクト2を渡しました。)
9歳の孫(女の子) 18ベクレル ○(2006年に初滞在)→ 24ベクレル ○ → 18ベクレル ○ → 30ベクレル ○
(2006年、2007年、2008年、2011年にビタペクト2を渡しました。)
5歳の孫(女の子) 0ベクレル(2007年初滞在。)→ 15ベクレル → 29ベクレル ○
(2011年に初めてビタペクトを渡しました。)
このほか、5人の子どもを引率してきていました。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。
男子(12歳)31ベクレル ○
男子 (9歳)28ベクレル ○
女子(11歳)28ベクレル ○
男子 (7歳)24ベクレル ○ (この2人は姉弟。)
男子(10歳)13ベクレル
引率してきた子どもたちの親は職場の同僚で、いずれも多子家庭の子どもたちです。この家族には6個のビタペクトTを渡しました。
孫の男の子は2005年の滞在のときは元気だったのに、2006年の滞在直前に悪性腫瘍が見つかり、緊急入院。重篤状態が続いていましたが、持ちこたえてその後退院し、2007年は検査を受けるためSOS子ども村に滞在していました。2008年の滞在時C型肝炎を併発していることが分かり、今もまだ肝炎は治っていないそうです。ずっと投薬治療を受けています。
9歳の孫はどもりが治らない、と心配していました。
5歳の孫はビタペクトTをもらって、
「プレゼントありがとう!」
ととても喜んでいましたが、本当はビタペクトTなど飲まないですむほうがいいのに・・・。と渡したほうは複雑な心境でした。
他の子どもたちについては、健康だとおばあちゃんは話していましたが、どちらかと言うと自分の孫の健康状態が心配で、他の子どものことはきちんと把握してないようでした。
(家族B)
この家族はSOS子ども村滞在は3回目です。前回の滞在は2005年2月と2008年11月です。
2005年の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第28回」の(家族B)をご覧ください。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/index.html
2008年の4回目の滞在の様子は
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第82回」の(家族B)をご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9e8fc5e93ae9711827f521fddcc6ea37
この家族には2個のビタペクトTを渡しました。この家族の放射能値の推移はこのとおりです。(2005年→2008年→2011年の順に表記しています。)
母親(事故発生時18歳)5ベクレル → 8ベクレル → 7ベクレル(ビタペクト2は一度も渡していません。)
長男(16歳) 11ベクレル →14ベクレル → 14ベクレル(ビタペクト2は一度も渡していません。)
次男(13歳) 20ベクレル ○ → 21ベクレル ○ → 36ベクレル ○
三男(13歳) 5ベクレル → 26ベクレル ○ →20ベクレル ○
このほか、多子家庭協会会員である2人の子どもを引率してきていました。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。
女子(10歳)12ベクレル
女子(10歳)26ベクレル ○ (この2人は双子。)
この家族には3個のビタペクトTを渡しました。
次男と三男は双子です。長男は障害者です。(癲癇患者。知的障害もあります。)
前回お会いしたときはお母さんは暗い表情でしたが、今回はだいぶ明るい感じになっていてよかったです。
ただ相変わらず、長男は学校から放置され状態で、全く教育を受けていません。お母さんが身体障害児協会に援助を求めると、3000ルーブルもらったそうです。これではパンが3個も買えません。
さらに次男です。高血圧になり、アデノイドも大きくなってしまいました。
アメリカへ保養に行ったそうですが、血圧は下がらず風邪をよくひくようになり、こちらも学校を休みがちだそうです。
日本で言うと高校生と中学生の兄弟が2人ずっと家にいるわけですか・・・。
教育を受けることによって経済的な自立を図ることが難しい状態です。この家族にとっても不幸ですが社会にとっても問題ですよ。
ベラルーシ社会の負の部分を見てしまった気がします。
それからこの双子の女の子ですが、よく風邪をひく以外は健康ということでした。
しかし一卵性双生児でそっくりなのに、1人だけ放射能の値が高く出ています。理由はよく分かりません。食事も同じものを食べているはずですが・・・。
ビタペクトTをあげたほうの女の子は
「どうして私は飲むの?」
と泣き出してしまって周りが慰めるのに大変でした。
こうして結果を見てみると、汚染地域に住み続けていて、汚染された食品ばかり食べている場合は、やはりビタペクトTは1年に1回(できれば2回)飲むほうがいいと感じました。
画像は記念撮したものですが、今回は日本文化情報センターのあるミンスク市立第5児童図書館での撮影です。
そう、着物展に来てくれたので、そのときに着物を見て、そしてビタペクト2も渡しました。
今回もいつものように子ども達に折り紙、折り紙の作り方などをプレゼントしました。絵葉書に名前を筆ペンで日本語で書いてあげたら、とても喜んで家族やペットの名前も書かされました。(^^;)
そして羅臼昆布のプレゼントもありました。おやつ昆布です。再び「海草を食べよう!」と力説しました。
最後になりましたが、ビタペクトTの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、昆布など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。