ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第164回」

2014-07-28 |   ビタペクト配布活動
 7月28日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第164回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2230個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2010部となりました。
 今回で通算179回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2230人の子どもにビタペクトを、2010家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



今回はミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から1家族が自分の子ども11人と親戚の子ども2人を引率していました。
 親戚の子どもはソリゴルスク(チェルノブイリ原発から約230キロ)で暮らしています。
 それぞれの測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。

父親(チェルノブイリ事故発生時11歳)10ベクレル
母親(チェルノブイリ事故発生時15歳)14ベクレル
長女(15歳)18ベクレル
次女(14歳)11ベクレル
長男(13歳)23ベクレル ○
次男(12歳)30ベクレル ○
三男(11歳)40ベクレル ○
三女(10歳)24ベクレル ○
四男 (8歳)16ベクレル
五男 (6歳)19ベクレル 
六男 (5歳)41ベクレル ○
四女 (3歳)33ベクレル ○
五女 (1歳) 0ベクレル
甥  (9歳)34ベクレル ○
姪  (7歳)28ベクレル ○

 ご両親に子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 長女は生まれつき腎臓病(遊腎走)で、慢性膀胱炎を抱えています。
 次女は生まれつき右足の膝の裏側にこぶのようなものがありましたが、だんだん小さくなってきて、今は消えています。特別な治療はしていないそうです。また両足の関節の中の潤滑液が少ない病気で、関節痛を訴えていたのですが、最近はほとんど痛くないそうです。
 長男は目の機能性の病気で18歳になったらレーザー手術を受けることを勧められていますが、費用が7000ドルなのと、成功率が高いわけではないので両親は躊躇しています。
 次男は心筋の働きが弱いと診断されましたが、食事療法でよくしていこうとお母さんが努力しています。
 四男は不整脈があります。五女は両目の瞳孔の大きさが違いますが、同じく大きさが違っていた六男は現在同じ大きさに自然になったそうなので、あまり心配していませんでした。 
 甥っ子は斜視だそうです。

 11人兄弟で13人家族と言うこの一家、とても仲がいい家族でした。
 どんな生活をしているのだろうと思いましたが、多子家庭ということで申請をして、団地の隣り合った2室をミンスク市からもらったそうです。
 両方を合わせると6部屋になるので、13人が分かれて暮らしているそうです。
 なるほど、と思いましたが、やはりどんな暮らしをしているのか、想像してみても、想像できないです。
 
 それにしても同じものを食べているはずの兄弟の間でも内部被爆にばらつきがあります。
 食品はほとんど市内のスーパーで買っているそうですが、田舎のおばあちゃん(スルーツク市の近く。チェルノブイリ原発から約250キロ)から野菜を送ってもらっているそうです。
 この田舎は汚染地域ではありませんし、指定されたこともありません。
 土地の測定も受けたことがありますが、問題はなかったそうです。

 画像は記念撮影したものです。ナナカマドの木の下で記念撮影しました。(1人保養とは関係ない子どもが写っています。)
子どもたちには折り紙や折り鶴のプレゼント、そして日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。また日本の踊りも紹介しました。
 お父さんは日本にすごく興味があるようで、「日本には毒を持った虫はいますか?」といったあまりされたことのない(^^;)質問を受けました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

ゴシケーヴィチ情報をありがとうございました! 弁天崎、亀田丸について

2014-07-27 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 先ほどの「ゴシケーヴィチが撮影した新島襄の写真」という記事に引き続き、ご報告です。
 感光板のこと以外にも調べていたことがありました
 ゴシケーヴィチが寄贈した球状の明かりのことと、バロメーターをプレゼントした亀田丸についてです。
 この明かりは常夜灯、バロメーターは晴雨計のようです。

 これについても詳しく調べて教えてくださった方がいて、本当に助かりました。メールをいただいたときは大変うれしかったです!

 まず明かりが設置されていたという「ベンテンザキ」ですが、弁天崎のことで函館市にあった弁天台または弁天台場のことだろうと思われます。ここには19世紀、砲台の台場が建設されており、プチャーチンが日本に寄贈した大砲の一部も設置されていました。詳しくはこちらをご覧ください。

 函館戦争のとき戦場にもなった弁天台ですが、1899年に解体され消失し、現在は函館市弁天町になっています。
 つまり弁天岬はもうないということです。
 ここに砲台があったのははっきりしており、写真も残っているのですが、これを見た限りでは、明かりのようなものはぶら下がっていません。
 足元に置いて使うようなものだったのかもしれませんが・・・

 この写真は明かりがその後「シンケイマル」という船に移された後に撮影されたものであるかもしれません。だから写っていないのかも。
 弁天台場が完成したのは1854年ですから、これも時間的にはゴシケーヴィチが函館にいた時期に当たります。明かりを寄贈しても不思議はありません。

 シンケイマルについてはまだ分かりません。ロシア人にとって日本語の名前や名称は聞き取りづらいものですから、船の名前も誤表記してしまった可能性もあります。
 もともとベンテンザキとシンケイマルの明かりのことはロシア側の文献はこの情報を日本の文献、阿部正己著「歴史地理」(1920年発行)の141-146ページにある「函館駐剳露国領事ゴスケウィッチ」から引用しています。
 このときに漢字を読み間違えて、ロシア語表記にしているので、そのとき誤記してしまい、現在になってもともとの船の名前が分からなくなってしまっている可能性があります。

 またカメダマルのバロメータのことは元木省吾著「北方渡来」(1961年発行)の59-61ページに記述かあるとして、論文の参考文献に記しているのです。 次にゴシケーヴィチがバロメータを寄贈した船「カメダマル」は亀田丸と考えると、同じ名前の船があったことが分かりました。
 こちらをご覧ください。
 同じ名前で別の船、という可能性もありますが・・・。もっともバロメーターの行方は分かりませんし、これだけでは本当にゴシケーヴィチがバロメーターを寄贈したのかどうかも確証はありません。
 安政6年に完成したそうですが、これは西暦で言うと1859年です。ゴシケーヴィチは1858年から1865年まで函館領事を務めていましたから、やはり時間的には不自然なことはありません。

 それにしてもここまで詳しく知ることができるとは思いませんでした。
 調べてくださった方、本当にありがとうございました。

 ゴシケーヴィチの謎はいろいろありますが、また少し解明されたと思います。
 生誕200年の年に不確かな部分ははっきりさせるほうがいいと私は思っているので、これからもできるだけ分かったことをまとめて、ベラルーシ側に伝えようと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 追記です。
 シンケイ丸、晴雨計、常夜灯について詳しく分かりました。
 こちらをご覧ください。

ゴシケーヴィチ関連情報をありがとうございました!感光板について

2014-07-27 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 初代ロシア領事ゴシケーヴィチについて書かれている文献「白ロシアのオデッセイ」(グザノフ著)で紹介されているゴシケーヴィチの木箱がプチャーチンのトランクであることが判明したことについてすでにお知らせしました。

 この本にはゴシケーヴィチが1860年代に撮影に使ったネガ(感光板)を手にした写真家の「クワジマヨウイチ」さんの写真も掲載されており、このクワジマさんをご存知の方は教えてください、とお願いしていました。
 ほとんどあきらめていたのですが、親切な方がとても詳しく調べて教えてくれました。本当に感謝、感謝です!

 その方からの情報によると、クワジマヨウイチさんは北海道の写真家、桑島洋一さんであることが分かりました。
 桑島洋一さんはゴシケーヴィチの写真技術の弟子だった横山松三郎の研究もしていた方で、また北海道新聞にも関係があることが分かったため、北海道新聞に問い合わせました。
 その結果、かつて北海道新聞社で働いていたカメラマンであったことが分かりました。
 その後桑島さんに直接、問い合わせた結果、このようなことが判明しました。

 まず「白ロシアのオデッセイ」に写真が載っている桑島さんですが、ご本人に間違いないそうです。
 そして手に持っている感光版ですが、新島襄が写っているとのことでした。
 この写真については桑島さんがご自分で調査されたことを、まとめて記事にしたものが1988年に同志社大学社史資料室(現在は社史センター)が発行している論文集「同志社談叢第8号」に掲載されていることが分かりました。
 「新島襄の函館脱出時の写真について」という記事です。
 
 それによると1864年6月13日に函館で写真の撮影会があり、そこで複数名の日本人が撮影してもらったのですが、その中に新島襄がおり、また撮影をゴシケーヴィチが担当したそうです。

 もっともその感光板はゴシケーヴィチの撮影技術の問題のため、そのまま印刷すると、とても暗くて、何が写っているのか分かりにくい写真になってしまいました。
 ちょんまげ姿の新島襄の写真も撮影会で写したほかの日本人の写真も不鮮明なできです。

 新島襄に撮影会のときに写真を撮るようすすめたのは二コライ主教で、その写真を手紙とともに江戸の父宛に送ったのは新島襄本人です。
 この手紙と写真は現在同志社大学で保管されています。

 さて、感光板がどのような経緯で桑島さんの手に渡ったのか質問したかったのですが、ご高齢のため直接の回答を得られませんでした。
 しかし桑島さんの話によると、感光板そのものは、グザノフ(「白ロシアのオデッセイ」の著者)がロシアへ持って行ってしまったようなのです。というのもその後その写真がロシアの雑誌「今日の日本」などで紹介されたからなのです。

 桑島さんによるとグザノフはゴロブニンの生地にあるロシアの博物館に感光板を寄贈したらしいです。
 それが本当なら今でもその博物館に保存されているはずですがはっきりしていません。

 感光板がロシアのどこかで保管されていればいいのですが、ロシアではなくベラルーシに住んでいる外国人の私には探すのも難しい状態です。

 感光板がロシアへ渡る前に紙焼きしたものが同志社大学に残っているのが、幸いです。

 とにかくゴシケーヴィチが新島襄を撮影していたこと、そしてその写真が残っていたことが感動です。

 撮影会では新島襄以外の日本人も撮影されており、林儀助と言う人が息子と写っている写真も、撮影した月が6月と同じ、撮影したのは外国人と箱書きがあり、また暗くて不鮮明な写真で、新島襄の写真と同じ「失敗」をしていることから、同一人物が撮影した可能性が高いのです。つまりゴシケーヴィチが撮影した写真の1枚と考えられます。
 この写真は函館市立中央図書館のサイトで見ることができます。

 ゴシケーヴィチが撮影した写真が日本で残されている事実はベラルーシでは知られていませんから、私としてはぜひベラルーシ人にこの事実を伝えようと思っています。

・・・・・・・・・・・・

 追記です。(8月7日)
 感光板がロシアへ渡る前に紙焼きしたものが同志社大学に残っている、と書きましたが、実際には紙焼きされた写真は残っていませんでした。
 残っていたのは感光板そのものでした。
 詳しくはこちらをご覧ください。
 
  

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第163回」

2014-07-07 |   ビタペクト配布活動
 以前、お知らせしていとおりSOS子ども村では保養施設の改装工事が行われており、その間保養家族の受け入れをお休みしていましたが、ようやく再開しました。

 7月7日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第163回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2222個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2000部となりました。
 今回で通算178回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2222人の子どもにビタペクトを、2000家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は2家族が現地の多子家庭協会の会員の子どもたちを引率していました。


(家族A)

 ゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から来た家族。お母さんが自分の子ども5人と多子家庭協会の子ども2人を引率していました。この家族には4個のビタペクト3を渡しました。それぞれの測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時7歳)14ベクレル
長男(14歳)28ベクレル ○
長女(11歳)26ベクレル ○
次男 (6歳)19ベクレル  
三男 (4歳)18ベクレル
四男 (2歳)23ベクレル 
女子(13歳)27ベクレル ○
女子 (6歳)26ベクレル ○

 13歳の女の子と6歳の女の子は実の姉妹です。
 子どもたちの健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
 長女は2年前に腎臓病になり、入院して治療したところよくなったのですが、その後また再発しました。ミンスクにある専門病院に行って診てもらうことを希望しています。
 長男と次男は偏平足だそうです。三男は臍ヘルニア(でべそ)だということでした。でもでべそって深刻な病気ではないですよね。
 6歳の女の子は斜視で視力が低下しており、また多動です。言われてみれば落ち着きがないかなあ、という感じでした。

 子どもたちは冬になるとよく風邪をひきますが、学校でインフルエンザの予防接種を受けさせたいのに、最近は受けていないとお母さんは話していました。
 何でもゴメリ市ではここ数年慢性的に予防接種のワクチンが足りず、希望者全員に行き渡らないそうです。
 今ベラルーシには安いワクチン(主に中国とインドから輸入されています。)がたくさん入ってきているはずなのですが、地方都市には行き渡っていないのかと少し意外に思いました。


(家族B)

 ミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)からお母さんが5人の実子と1人の子どもを引率してきていました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。それぞれの測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時10歳)6ベクレル ○
長女(14歳)18ベクレル
次男(10歳)17ベクレル 
三男 (9歳)22ベクレル ○
四男 (3歳)19ベクレル

 17歳の長男も保養に来ていたのですが、測定には行っていないので、結果が分かりません。
 お母さんにもビタペクト3を渡したのはダイエットしたいという希望だったからです。(体重は3桁です。)1回飲んだぐらいでは目に見えてはやせられないと思うのですが、ペクチンダイエットにどれぐらい効果があるのか、気になるところではあります。
 この一家は家族全員がぽっちゃり体型で、長女も長男もやせたい、とかお母さんも子どもを何とかやせさせたいとか言っていましたが、私から言わせると食生活を改善するほうがペクチンを飲むより早くやせられるのではないかと思いました。

 問題は体重のことだけではありません。体内のセシウム量を調べると同時にベルラド研究所ではカリウム量も測定しているのですが、結果を見ていてよくある傾向は、体重が重い人はセシウム量が少ない傾向にあり(体重1キロあたりのセシウム量で結果を出すのですから当然こうなります。)そしてカリウム量が極端に多い傾向もあるのです。
 体内にカリウムが多いとセシウムが体内に入って蓄積するのを防ぐのでそれはそれでいいのですが、カリウムが体内にありすぎるのも体にとってはよくありません。(ごくごく微量ですが、放射性カリウムというのも存在します。)
カリウムを体内から排出するするには、やせるのが一番効果的ということで、ダイエットしたほうがいいという考えなのです。(もっともみんな簡単にやせられないので苦労しているのですが・・・。)

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。
 長女は2年前胃炎を起こし、その後も1年に1回治療のために通院してるそうです。イタリアとドイツに保養に行ったことがありますが、放射能の測定などはしなかったそうです。
 三男は斜視で、臍ヘルニア(でべそ)だそうです。

 子どもたちは冬になると風邪をひくが、予防接種を学校で受けているので、インフルエンザにはなっていない、というお話でした。やはりミンスクではワクチンの数が足りているようです。

 画像は記念撮影したものです。ようやくベラルーシも夏らしくなってきて、外で記念撮影しました。(1人保養とは関係ない子どもが写っています。またお昼寝中で写っていない子どももいます。)
 子どもたちには折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物から作った巾着袋をプレゼントしました。また日本の踊りも紹介しました。少しでも日本文化に触れてもらえてよかったです。
 子ども達はとても喜んでいました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。