ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

「ごんぎつね」を図書館に寄贈するプロジェクトについて紹介されました

2016-10-31 |   新美南吉
 ベラルーシ図書館界の専門雑誌「ビブリヤテカ・プラパヌエ」2016年第4号で、新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」をベラルーシの図書館にチロ基金が寄贈するプロジェクトについて紹介されました。
 
 その結果はこちら

スカルィナの詩も日本語になりました

2016-10-30 | 日本文化情報センター

 最近ベラルーシ語の詩をいろんな国の言葉に翻訳するのがベラルーシで流行っているみたいです。

 昨年は「世界の民族の言葉によるフランツィスク・スカルィナ」という本が出版されました。

 それによると、一つの詩を66ヶ国語に翻訳したそうです。
 そのうちの一つが日本語で、私が担当しました。
 日本語も仲間入りできてよかったですよ。

 詩の内容の詳細はこちらのブログをご覧ください。

 ところで、スカルィナ(ロシア語表記からカタカナにするとスコリナ)のことをご紹介しようと思って検索していたら、こんなのを見つけました。
スコリナ (小惑星)

 そうか、星の名前になっていたんですね。ベラルーシ人はスカルィナと言うと、「聖書」という言葉が出てくる人が多いと思うのですが、私はやっぱり「宇宙」ですね。

 それからスコリナはベラルーシを代表する有名人で、半生が映画化までされているんですが(ちなみにスコリナの役を演じたのはオレグ・ヤンコフスキーです。)日本では知られてないですね・・・
 文献の中では日本語でも紹介されているんですが、インターネット上で検索しても詳しい情報が出てこない・・・
 とりあえず、こちらCD「月と日」の解説をリンクしておきます。

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 2月7日の追記です。
 ネット上で朗読が配信されました。ベラルーシ語を含む14ヶ国語で、同じ詩を聞くことができます。リンク先はこちらの新聞社「ズビャズダ」のサイトをご覧ください。


ミンスクにある長崎の鐘について(8)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は長崎の鐘の鐘楼の足元の部分です。
 この黒い石版を動かすと、下に土を入れたカプセルが納められるようになっているはずです。
(実際に持ち上げて見たわけではないですが。)(^^;) 
 
 2016年10月29日現在、長崎の鐘はこのような状態です。
 分かりづらいですが、そばに赤いものが散らばっています。
 これは慰霊のためのろうそくを入れる特別な容器があり、ベラルーシではよくお墓の前に置いてあります。教会内で購入することができます。赤いガラス製のろうそく入れが長崎の鐘に捧げられていたのに、ペンキ塗りの業者が落として割ってしない、しかもそのまま放置している状態です。

 このガラスの破片が鐘に続く階段にも散らばっていて、しかも私が画像を撮影しているときちょうど小学生の校外学習の団体がやってきました。案内役の先生と思われる女性も
「みなさん、これが長崎の鐘です。あれ? 今工事中のようですね。えーと福島で事故があったのはみなさん知っていますね? ・・・。」
と話していました。
 
 子どもが通るのにガラスの破片が散らばっていてとても危険なのですが、幸いその小学生たちがガラスを踏んづけることはありませんでした。
 しかし団体さんがいなくなってから、あまりにもひどい光景(カトリックの教会の敷地内の光景ですよ、これが。)なので、階段のところのガラスの破片は私がゴミ箱に捨てました。

 まあ、日の丸と星条旗が並んでいる光景を小学生たちに見られるよりはましかもしれませんが、慰霊のための鐘の足元がこんな状態。
 赤い教会側は何とも思わないのでしょうか?
 普通片付けようとすると思うのですが・・・
 ミンスクの工事の業者のほうもモラルが低いですね。
 骨壷が入っているわけじゃないですが、墓石の上で同じことをしているようなものですよ。
 
 早く教会の人が気づいてほしい。と言うより、さっさとペンキ塗りを終わらしてほしいです。

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 この記事の続き、長崎の鐘の国旗の問題についての結果報告はこちらです。
 
 


ミンスクにある長崎の鐘について(7)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 日の丸と星条旗が掲げられていた柱、金属プレートがあったところもご覧の通りです。
 取り外されて、しかも柱の表面が削られています。
 つまりペンキの塗り直しを始めたということですね。
 ということは国旗が全部なくなってるのは、赤い教会が政治色を払拭するためではなく、単にペンキを塗り直すため・・・
 
 なーんだ、すごいオチ。・・・とみなさん思ってはいけません。
 問題なのはペンキを塗り直した後です。
 長崎の鐘はどのような姿になるのでしょうか?

 再び日の丸と星条旗が並んで掲げられるようになるかもしれません。

 長崎の鐘のその後については後ほどこのブログでご報告します。

 ついでなので、もう1枚画像を公開します。
 ミンスクにある長崎の鐘について(8)をご覧ください。



ミンスクにある長崎の鐘について(6)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 もしかして私が長崎大司教区にメールを送り、その後長崎大司教区からミンスクの赤い教会に問い合わせが来て、慌てて星条旗を取り外した??? とも考えましたが真相は分かりません。

 長崎大司教区からは私に返事をしておりませんし、私には長崎とミンスクの両者の間にやりとりがあったのかどうかも分からないのです。

 しかしアメリカの国旗が外されて少し安堵しました。しかしニューメキシコの土と金属プレートはそのままです。
 こういったものは外すのが大変なので、とりあえずすぐに外せる旗だけ外したのだろうと、考えました。

 その後、10月17日にことです。赤い教会の近くに用事があったので、長崎の鐘を見に行くと、あれれ? 全ての国旗が取り外されていました。ロシアの国旗もベラルーシの国旗も日の丸もです・・・
 さらには旗の根元にある旗を固定する金具も全て取り外されていました。

 このほうが政治色を払拭していいと赤い教会が判断したのかもしれない・・・などと考えていました。
 長崎の鐘も鐘楼らしい姿になったと喜んでいたのです。
 
 ところが今日、10月29日、私は長崎の鐘を見る機会があったのですが、とんでもないことになっていました。

 添付画像をご覧ください。長崎の鐘が剥げている?

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(7)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(5)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 一方で、そもそも長崎の鐘は長崎大司教区の方々が献金し合って集めたお金があったからこそ、ベラルーシに建立できたものです。
 同じカトリック信者同士が連携し合って、原爆や原発の被害者のを思ったその思いが形となったものです。
 そうでなければどうしてわざわざベラルーシのミンスクに建立する話になったのか分かりません。

 しかしここへ二国以外の国の土も入れるようになったから、話がおかしくなり、それていったのではないかといった指摘を日本人の方からいただきました。

 例えば、カザフスタンのセミパラチンスクでは被爆の被害が公式に認められています。
 しかしロシアのノヴァヤゼムリャはもともと人口が少ない地域で、しかも民族的にはロシア人が住んでいなかった(今も少ない)地域でソ連とロシアが核実験を行ってきた(今も行われている)場所です。
 もちろん人的な被害、つまり被爆は公式には認められていません。
 現地の住民も声を上げられないでいるような状態なのでしょう。

 トリニティ実験場でも被爆したと何十年も経過してから訴えている団体がいるそうですが、根拠はないとしてアメリカ政府は認めていません。
 広島や長崎、チェルノブイリなどと違って公式には被爆が認められていない地域の土も埋められているのです。
 被害が認められていなくても、核実験をした歴史的な場所なら、どこのものでもミンスクにある長崎の金の下に埋めてよい、ということであれば、北朝鮮からも土を持ってこないといけませんね。

 このようにロシアのノヴァヤゼムリャの土を埋めたあたりから、長崎の鐘の本来の意義が歪められていったのではないか、とも考えられます。

 公式には被害が認められていないロシアの核実験場の土を入れていいなら、同じく被害が公式に認められていないが、核実験場だった(しかも人類初の!)アメリカの土も入れていいだろう・・・とアメリカ側が言い出したのか、ベラルーシ側(赤い教会)が賛同したのか、はっきりした経緯は分かりませんが、推測はできます。

 しかしこのような長崎の鐘の変貌について、長崎側は承知しているのかどうか気になった私は、長崎大司教区のサイトからメールアドレスを見つけ、メールを送りました。これが10月4日のことです。

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 題名: ミンスクの教会にある長崎の鐘について現状をご存知ですか

メッセージ本文:
 私はベラルーシ共和国ミンスク市に住んでいる日本人です。2000年に長崎大司教区が贈った献金を元にミンスク市中心部にある聖エレナと聖シモンのカトリック教会(通称赤い教会)に浦上天主堂の鐘のコピーである長崎の鐘が設置されたことはご存知と思います。そこに長崎、広島そしてチェルノブイリから運ばれてきた土が埋められています。しかし最近同じ場所にアメリカのニューメキシコ州の土が埋められたことをご存知ですか? これはアメリカが初めての核実験を行った場所で、これが成功したことから広島と長崎への原爆投下へつながったものです。鐘には日本国旗が掲げられていますが、そのすぐ横にアメリカの星条旗も並んで掲げられています。
 地元のベラルーシ人に「日本に原爆を投下したのはアメリカなのに、原爆の慰霊のためのモニュメントにアメリカの核実験成功の地から運んできた土をいっしょに埋めることについて、日本人であるあなたはどう思うのか?」と質問され、何も答えことができず、とにかく事実確認のため写真撮影をしに行きました。(このメールフォームに画像を添付できないのが残念です。)
 その後現地の日本大使館にこのような事実があることを大使館は把握しているのかどうかだけでも教えてほしいと、他の在日本人が質問したのですが、全く返答はありません。
 さらにこの赤い教会の神父にも質問しましたが、よく知らないけどこれはアメリカと日本の和平交渉の結果なのではないのかと逆に質問されたそうです。
 私は広島や長崎の出身ではなく、身内に被爆者がいるわけではありませんが、日本人として今の長崎の鐘の姿には違和感を感じます。
 長崎の方はどのように思われるのでしょうか? 今日もこの教会には地元の信者や観光客が訪れて、日の丸と星条旗が並んでいるのを見ています。この鐘の建立のために尽力された長崎大司教区が、このような現実をご存知なのかどうかお伺いしたく、このメールを差し上げることにいたしました。私は長崎の鐘建立の意義がいつの間にか変質したように感じますが、長崎大司教区がこの件について把握しており、またこの現状をお認めになるでしたら、どのようなお考えでお認めになっているか教えてください。
 私はカトリック教徒ではありませんが、ミンスクに永住予定の日本人で、しかも勤務しているのが日本文化情報センターというところなので、今後もこの長崎の鐘についてベラルーシ人から質問を受ける可能性があります。そのときにどのように答えたらいいのか、分かりません。長崎のカトリック教会のお考えをどうかお教えください。何卒宜しくお願い申し上げます。
 
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 ちなみに今日は10月29日ですが今のところ長崎大司教区から何の返事もありません。

 ところが、このメールを送ってから2日後の10月6日のことです。

 ベラルーシ人の知人が夕方長崎の鐘のそばを通ったら、星条旗だけ取り外されているのを発見。
 証拠写真を撮って、私に送ってくれました。
 それがこの記事の添付画像です。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(6)」をご覧ください。) 

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 11月3日の追記です。長崎の鐘の一件について日本大使館が対応してくれていたことが分かりました。

 まずベラルーシ在留日本人の方がベラルーシにある日本大使館に長崎の鐘に取り付けた星条旗について質問したのは、8月下旬のことです。

 私が長崎大司教区に上記の問い合わせメールを送ったのは10月4日のことです。
 その後10月の中旬、日本大使館側が赤い教会側と面会して、長崎の鐘に取り付けられた星条旗について申し入れを口頭でおこなったそうです。
 赤い教会側の見解は二ューメキシコでの核実験が長崎と関わっていたという事実を知らなかった・・・そうです。
 
 こんな大事な歴史的事実をよく知らないまま、長崎の鐘に星条旗を掲げていたということですね。
 あきれますね。考えがなさすぎます。
 あるいはこのような発言は適当に言ったもので、実際にはアメリカ側から圧力や多額の献金などをもらったので、断れずニューメキシコの土入れたのではないか、という見方をつい私はしてしまいます。

 ともかく日本大使館側の申し入れの後、赤い教会側は星条旗もプレートも撤去すると約束したそうです。
 ただ、星条旗は10月6日には撤去されていたことが分かっていますし、プレートもペンキ塗りのために10月29日には外されていることを私が確認しています。

 日本大使館が申し入れをしたものの、口頭のみというレベル(公式な書面で申し入れや質問状をだしたのではない。)ですので、赤い教会側も口約束のレベルです。ペンキ塗りが終わった後、赤い教会側がどうするのかが問題です。

 ペンキ塗りの後も元通り星条旗、プレート、土の三点が戻ってくるかもしれません。
 しかしそのときには明らかに赤い教会が約束破ったということになり、日本側から批判を受けても仕方がないですね。
 ともかく大使館からの質問に、自分たちが土を入れたけど詳しいことをよく知らなかったなどと、ぬけぬけと答えるカトリック教会側の担当者(えらい人)が非常に情けない・・・というのが私の感想です。

  


ミンスクにある長崎の鐘について(4)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 この画像は私が9月初めに撮影した長崎の鐘です。
 このように金属板プレートが鐘楼の右側の柱に取り付けられたその上のほうに、日本とアメリカの国旗が掲げられています。
 画像の左のほうに見えるのは、鐘楼全体で言うと中央部情報にあるベラルーシ国旗です。

 日本人として私は違和感を覚えるのですが、広島、長崎の方はどのように感じられますか?

 長崎の鐘を見た他の日本人の意見ですが、同じように違和感を感じる方もいれば、憤慨される方、また
核兵器の歴史という括りで見れば、おかしくない。公式には認められていないがニューメキシコの核実験のせいで被爆したアメリカ人もいるのだから、と言う方もいました。
 さらに反核、反原水爆という趣旨であれば同じ場所に土が埋められていてもかまわないが、アメリカの国旗を掲げるのは話が変わってくる。アメリカは核保有国の一つであり、たとえば広島の平和公園にロシアやアメリカの国旗が掲げられるなど被爆者にとって現状では考えられないことだから・・・というご意見もお聞きしました。

 長崎の鐘は慰霊のためのもの、つまり第一に魂のためのものであると私は思います。そこに国家のシンボルである国旗がたくさんつけられているのを見ると、宗教的な場所が政治的な場所に変貌しているように感じます。

 ちなみにベラルーシにある日本大使館に公式な質問状ではありませんが、この長崎の鐘の現状を日本大使館は把握しているのかどうか尋ねた人がいましたが、二ヶ月経った今でも全く返事はありません。

 日本大使館が「これはどういうことですか?」と赤い教会側に質問してくれたらよかったのですが、そういうことは政治が絡んでいるからか、もしかすると外務省からの指令待ちなのか、日本大使館から抗議文や質問状が出されてことはないようです。

 仕方がないので、今度は直接赤い教会に日本人が質問したのですが、もちろん正式な質問状を出せる立場の人ではないので、とりあえず教会に行って、そこにいた神父に口頭で尋ねたにすぎません。
 それによると・・・
 「赤い教会の中にいた神父さんの一人に、長崎の鐘の横の旗について聞いてみました。結論から言えば、その方は、星条旗が掲揚された経緯を知らないと言い、ただ最近現れたことだけは承知しているとのことでした。
そして『何か日本とアメリカの和平交渉の結果なんじゃないか』という ことをボソボソ言ったりしました。さらに、経緯を知りたければ、もっと上の人(おそらくこの教会の一番偉い人のことだと思いますが)に聞いてみるように言われ、ただその人はいつもいるわけではないので見つけるのは大変だと言いました。
誠意があれば、その上の人に会わせてくれるか、その人がいる日を教えてくれてもいいのにと思いましたが、何となく空々しい対応でした。これ以上は赤い教会に聞いても無駄のようです。」
 ・・・ということでした。

 つまり現地の日本大使館は動こうとしない、長崎の鐘を同じカトリック信者から贈られたミンスクのカトリックの神父もその教会でお勤めしているのに、ちゃんと説明してくれない(あるいは分かっていないか、分かっていても分かっていないふりをしている)ということです。

 このような状況にこうなったら、ベラルーシのマスコミに話してみようか、などと私は考えていました。
 私のような外国人が質問しても無駄でしょうが、ジャーナリストがその教会の上の人に取材すれば、もう少し内容のある返事がもらえるかもしれない、と思ったからです。
 これが10月初めのことです。

(続きは「ミンスクにある長崎の鐘について」(5)をご覧ください。)




ミンスクにある長崎の鐘について(3)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 こうしてこのような姿になった長崎の鐘を私は2015年夏にも見たのですが、特におかしいと思うようなことはありませんでした。

 ところが、今年、2016年8月末、ベラルーシ人の知人が、最近長崎の鐘を見たけれど、おかしなことになっている、知っていますか?と撮影した画像を見せてくれました。

 それは、長崎の鐘に新しく、アメリカの土が埋められ、しかもそのことを示す金属板が、日本のプレートの隣に取り付けられ、しかも日の丸と星条旗が並んでかかげられているということでした。

 しかもアメリカの土と言うのは人類史上初めて原爆の実験が行われ、そして成功したニューメキシコ、アラモゴードの近くの土、という説明が金属プレートにベラルーシ語と英語で刻まれています。

 これはトリニティ実験の土ということですね。詳細はこちらをお読みください。
 ここにも以下のような記述があります。

 トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。

 つまり核実験の歴史としては輝かしいスタートである実験です。

 その実験場の土を、核の犠牲者の慰霊のために建立された鐘の足元にいっしょに埋めるというのはどういうことなのでしょうか?

 長崎や広島で被爆された方々がこれを見たらどう感じるのでしょうか?

 ベラルーシ人の知人からは
「日本に原爆を投下したのはアメリカでしょう? その二つの国の国旗が並んでいるのを見て、日本人のあなたはどう思うのか?」
ときかれました。

 これが例えば同じアメリカの土でもスリーマイル島原子力発電所事故で、放射能が漏れ出た被害のあった地域の土なら、理解できます。

 しかし原核被害者の慰霊のための鐘の下に核実験の成功地の土をいっしょに埋めるのは、私はおかしいと思います。
 そしてベラルーシを訪れる日本人がこれを見たら、どう思うだろうと考えると恥ずかしくなりました。

 画像はプレートの部分を撮影したものです。
 2013年に12月に土を埋めたとありますが、おかしいです。
 ネットで検索しても2013年に長崎の鐘にアメリカの土を追加したので記念式典を開催したといったニュース記事はヒットしません。

 ちなみに2016年4月26日はチェルノブイリ原爆事故が起きてちょうど30年。そのころ日本から視察団やマスコミが大勢来ていましたが、8月末に私が4月にミンスクを訪れていた日本人に尋ねると
「長崎の鐘なら見ましたよ。確かに星条旗がついていた。」
という証言を得られました。

 つまりチェルノブイリ30年という、国内外から注目が集まる時期には、すでに星条旗が掲げられ、土も埋められていた、ということです。

 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘について(4)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(2)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 長崎の鐘が核の犠牲者の慰霊のために建立された、という趣旨もあり、その後この鐘楼の土台部分に現在のカザフスタンのセミパラチンスク核実験場の土や、ロシアのノヴァヤゼムリャの土も収められるようになりました。
 どこから運ばれた土が収められているのかは、金属板プレートにベラルーシ語とその国の言葉で文章が刻まれ、プレートは鐘楼の柱の部分に取り付けられています。

 この画像は私が撮影したものです。分かりづらいですが、ベラルーシ語と日本語で「ここに広島、長崎、福島の土を入れたカプセルが埋められている」と刻まれています。
 
 赤い教会を背にして長崎の鐘を見ると右側の柱部分に取り付けられています。

 そしてチェルノブイリの被害が大きかったのがベラルーシとウクライナだったことから、鐘楼の中心部の一番高いところにベラルーシの国旗が、裏側にウクライナの国旗が、左側の柱にロシアとカザフスタンの国旗が掲げられるようになりました。
 さらには金属プレートの情報に日の丸も掲げられました。

 国旗を慰霊碑の柱にあちこち取り付ける、というアイデアは誰が考えたのかは分かりませんが、何となく、犠牲者を悼む、という雰囲気よりは世界平和を感じさせる姿になったように感じられます。
(画像を見たい方はこちらのサイトをどうぞ。)
 
 どちらがいいのか? については人それぞれの意見があると思います。
 
 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘(3)」をご覧ください。)

ミンスクにある長崎の鐘について(1)

2016-10-29 | 放射能関連情報
 ベラルーシでは数少ない日本ゆかりの場所。
 そんな中で、ミンスクを訪れた日本人がよく訪れる「長崎の鐘」について、みなさん、ご存知ですか?
 全く知らないという人もいれば、「ミンスクへ行ったときに見た。」という方もいるでしょう。

 長崎の鐘はミンスク市中心部にある独立広場に面したカトリックの教会、聖シモン・聖エレーナ教会の敷地内にあります。
 この教会は赤レンガで造られていますので、別名赤い教会と呼ばれています。

 2000年にのことになりますが、長崎大司教区が集めた献金が赤い教会に納められ、それを元に長崎にある浦上天主堂(原爆のため破壊されたが、再建された)にある鐘の複製が造られました。
 
 これがミンスクで長崎の鐘と呼ばれているものです。
 その鐘を吊るす鐘楼も赤い教会の敷地内に建立され、2000年9月には除幕式が行われました。
 それに合わせて、長崎の原爆写真展もこの教会の中で開かれ、さらに長崎から運んできたという被爆マリアの像も公開されました。私は鐘の除幕式には招待されていなかったので、見たのは写真展と被爆マリア像だけですが、式には長崎から浦上天主堂の司祭が出席し、こちらの新聞にその言葉として長崎の鐘が「ベラルーシとの連帯、並びに経済的・文化的だけでなく精神的結びつきの象徴となるように。」希望すると述べています。

 さらに鐘楼の下の土台部分には、広島、長崎、チェルノブイリから運ばれた土がカプセルに入れられた状態で埋められています。
 ロシア語版のウイキペディアですが、こちらに画像もあるので、ご覧ください。
 
 つまり核の犠牲者になった人々の慰霊のために、この鐘が日本とベラルーシのカトリック信者の協力の下建立された、ということです。

 2011年以降にはここに福島の土も埋められました。

 そのようなわけで、ベラルーシを訪れる日本人がよく立ち寄る場所であり、またベラルーシの子どもたちなども校外学習の一つとして、よく団体で訪れ、平和教育を受けている場所です。

 ・・・とこのようなわけで、ミンスクに住んでいる日本人からすると、長崎の鐘は日本とベラルーシの友好の記念碑であり、改めて原爆や放射能被爆について考え、過去の犠牲者の魂を悼む場である、という位置づけです。

 ところが、最近この長崎の鐘がおかしなことになってきました。

 (続きは「ミンスクにある長崎の鐘(2)」をご覧ください。)


 
 

 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第200回」

2016-10-17 |   ビタペクト配布活動
 10月17日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第200目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を4個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2466個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2148部となりました。
 今回で通算216回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2466人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2148家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。


(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


 今回は2家族が保養滞在していました。

 (家族A)

 ゴメリ州ジトコフ地区にあるビリチャ村(チェルノブイリ原発から約190キロ)から来た家族。この家族に1個のビタペクト3を渡しました。お母さんが9人の養子を引率していました。
 この家族は2010年3月と2012年1月にも保養滞在していたことがあります。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。

 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第100回」(家族A)

 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第128回」(家族A) 
 過去の測定結果と今回の内部被爆の測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(チェルノブイリ原発事故発生時6歳)7ベクレル → 16ベクレル → 13ベクレル
女子(16歳) 21ベクレル ○ → 25ベクレル ○ → 18ベクレル △
女子(14歳) 14ベクレル → 15ベクレル ○ →18ベクレル △ 
男子(12歳) 25ベクレル ○ → 4ベクレル
男子(12歳)(今回初測定) 9ベクレル
男子 (8歳) 25ベクレル ○ (2012年初測定) → 4ベクレル
女子 (8歳)(今回初測定)17ベクレル
女子 (8歳)(今回初測定)16ベクレル
女子 (8歳)(今回初測定)22ベクレル ○
女子 (7歳)(今回初測定) 6ベクレル
 
 子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。
 16歳の女の子はよく風邪をひくそうです。子どもたち全員が風邪になるのは当たり前のようです。
 12歳の男の子は生母が妊娠中に無理やり流産しようとして、それが失敗して未熟児で生まれてきたせいか、腎臓が悪くどもりも治っておらず、ほとんどしゃべらないそうです。
 養母が献身的に世話をしているそうですが、生まれたときからハンデを背負っているので、後から取り返すのは非常に根気と時間がかかるし、それが成功するとも限らないなと思いました。 
 

(家族B)

 ゴメリ州ジトコビッチ(チェルノブイリ原発から約190キロ)から来た家族。この家族に2個のビタペクト3を渡しました。
 お母さんが3人の実子、2人の養子を引率していました。この家族は以前グラダ村に住んでいましたが、最近ジトコビッチ市に引っ越したそうです。3人の子どもは家族Aのお母さんが2012年に引率していました。この3人の子どもの前回の測定結果と今回の測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(チェルノブイリ原発事故発生時4歳)17ベクレル
長女(15歳) 17ベクレル ○ → 10ベクレル
次女(14歳) 16ベクレル ○ → 15ベクレル
三女(12歳) 35ベクレル ○ → 18ベクレル △
男子(13歳)(今回初測定)26ベクレル ○
女子 (4歳)(今回初測定)24ベクレル ○

 三女は6歳のときに自転車に乗っていて転倒し、頭を強くぶつけたそうです。6年経った今も慢性的な頭痛を訴え、体が弱くときどき視界が一部暗くなると訴えているということでした。
 私はそれは絶対おかしいので、早く脳の精密検査を受けたほうがいいと話しました。地方にはよい病院もないので、今保養滞在しているうちにミンスクの病院へ検査にいくほうがいいとも話しました。
 13歳の男の子は常に落ち着きがなく、ときどき攻撃的になるので、投薬治療を受けているそうです。それを飲んでいると落ち着くそうです。

 ここで△印の説明をします。18ベクレルの女の子が3人いたので、3人で一つと言う形でビタペクト3を渡しました。そのため合計4個のビタペクト3を渡したことになりました。
 成長期の女の子がそろって20ベクレル近かったのでお母さんたちたっての希望で渡しました。

 養子をたくさん育てるのは大変だと思います。しかしこのようなお母さんたちのおかげで、助けられている命がたくさんあるのだと改めて思いました。 
画像は記念撮影したようすです。ただ小さい子ども達はお昼寝中で写っていません。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いたカード、お母さんには小物入れをプレゼントしました。

 ついにSOS子ども村へのこの活動も200回となりました。今後もできる限りこの活動を続けて行きたいです。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、小物入れなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 
 

ミンスクのショッピングセンターで大量無差別?殺人事件発生

2016-10-08 | ベラルーシ生活
 10月8日ベラルーシ時間の夕方5時半ごろ、ミンスク市内のショッピングセンター「ヨーロッパ」の敷地内で、無差別と思われる殺人事件が起こりました。
 容疑者の男はマスクで顔を隠しており、ギターケースを持っていましたが、そこに凶器を隠していました。
 ギターケースからチェーンソーを取り出すと、ショッピングセンター内の店舗で働いていた女性店員にいきなり無言のまま襲い掛かりました。女性はその場で即死・・・・・。
 店内にいた買い物客は、何が起こったのかすぐに分からず、映画のロケか何かかと思ったそうです。

 次に男はチェーンソーを投げ捨て、ギターケースから斧を取り出しました。そして店内にいた女性客を切り付けました。
 その後も男は斧を振り回しながらショッピングセンター内を走り回りました。
 店内はパニック。買い物客たちは「みんな逃げて! 店を閉めて! 変質者がいる! 警察に通報して!」と叫びながら、店内を走ったり、外へ逃げ出そうとしました。

 このショッピングセンターで勤務してる警備員と店員が容疑者を取り押さえ、その1分後には警察が到着。現行犯逮捕されました。

 容疑者はなんと18歳。(17歳という報道も。生年は1998年だそうなので、誕生日が来たら18歳になる? べラルーシは18歳が成人年齢なので、現在17歳か18歳なのかで量刑が微妙に変わってきそうですね・・・。) 
 取り調べに対して取り乱す様子もなく、容疑を認めているそうです。

 被害は女性店員一人が死亡。もう1人の女性は46歳の買い物客で、胸と肩の二箇所を斧で切り付けられ、重傷。さらに怪我人がいるそうですが数を確認中だそうです。

 共犯者がいた、という目撃者の証言もありますが、その後の警察の発表では犯人は1人だけだそうです。 

 ショッピングセンター内で働いていた店員の証言ですが、
「1階で働いている店員の多くが店内のいすやゴミバケツといったものを手に取りました。そのうち1人の男性が容疑者に向けて投げたゴミ箱が、頭に命中したのです。容疑者は床に倒れ、他の店員や警備員たちが一斉に容疑者を押さえ込み、動けないようにしたのです。」

 すごい! ベラルーシの店員さんって勇気ありますね! さすがベラルーシ男子!
 取り押さえるのが遅れていたら、もっと被害が増えていたかもしれません。

 警察が防犯カメラで確認したところによると、容疑者が店内に入ってから、その場で逮捕されるまでおよそ7分。
 週末の夕方でにぎわうショッピングセンターで起こった事件。その場にいた人にとっては、気が遠くなるほど長い時間に感じられたことでしょう。
 
 センター内の薬局にある薬品ケースの中に隠れていた人や、トイレから出たとき犯人と出くわしたが、以前柔道を習っていたので、とっさに守りの姿勢を取ったら、幸い手に軽い怪我をしただけですんだと言うお掃除のお姉さん(!)もいるそうです。 

 亡くなられた女性店員さんは本当にかわいそう。つくづく運が悪かったとしか言いようがありません。

 犯人の目的は何でしょうか? まだ取り調べ中で詳しいことは分かっていません。
 麻薬をしていたのではないかとも言われていますが、ギターケースに凶器を二つも隠し持ち、人出の多そうな場所と時間帯を狙っているようであることから、反抗は計画的で、麻薬や飲酒は無関係と思います。

 もしかするとテロかもしれません。最近のテロの手口、ロンリーウルフですね。
 でもヨーロッパの田舎ベラルーシでテロを起こしてもアピール力が弱いですし、それにシリアで空爆をしているのはロシア軍で、ベラルーシ軍ではありませんので、それに対しての抗議と考えるのも無理があります。

 比較的治安がいいと言われているベラルーシですが、実際には意外と殺人事件が多く発生しています。(数の上では日本のほうが多いです。)しかし殺人の動機の多くは金銭目的、麻薬がらみ、飲酒の上での暴行が殺人に発展・・・という場合がほとんどです。

 今回のように別に恨みがあるわけでもない無関係の人や弱者に向かっての無差別で、しかも大量の被害者を出す事を目的とした殺人事件はベラルーシ史上初めてだと思われます。
 残念ですね。 
 ある意味、ベラルーシも日本に似てきましたね。


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 この事件について詳細が明らかになってきました。(10月9日追記。)
 容疑者ですが、やはり17歳の未成年であることが発表されました。氏名などは明らかにされていませんが、人種はベラルーシ人で、大学1年生だそうです。裕福な家庭に育っており、両親所有の別マンションで1人暮らしをしていたそうです。大学に入学した今年9月から1人暮らしを始めて今1ヶ月ぐらいだったということでしょうか。

 ショッピングセンター内部に入ったときには、すでに作動させたチェーンソーを手にしていたそうで、それを見た買い物客ら数人は驚いて逃げ出しだそうです。

 そのうちの1人が犠牲となった女性店員でしたが、次に取り出した斧で倒れた女性を3回切りつけたそうです。

 さらにショッピングセンター内にいた46歳の買い物客にも斧で切り付けました。
 またもう1人が怪我をしていますが軽症で、自宅療養しているそうです

 亡くなった女性店員は43歳で、ショッピングセンター内のめがね売り場で働いていました。この女性はもともと孤児で、施設育ちだったそうです。
 21歳の息子さんがいますが、聴覚障害を持つ障害認定者だそうです。

 明後日の告別式は、ショッピングセンター側が費用を全て負担するそうです。

 容疑者は取調べ中に「現場へ行く3時間前に飲酒した。そのほうが度胸が出ると思ったから。」と話しているそうですが、警察で呼気チェックをしてもアルコール成分は検出されなかったそうです。
 犯行の動機について容疑者は
「人間を切断してみたかった。」
と話しており、犯行数日前にチェーンソーや斧、マスクなどを購入したそうです。 

 しかし予想以上に抵抗にあったとも話しました。(頭にゴミ箱が命中していますからね。)
 つまり、もし邪魔されなかったらもっと多くの人を襲うつもりだったということです。

 精神鑑定をこれから受けるそうです。

 これからどんな判決が出るのでしょうか。
 
 亡くなった方のご冥福をお祈りします。
 

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10月10日の追記です。

 容疑者は2年前に精神科に通院していたことが分かりました。
 父親はミンスク市内に住んでいますが住居は別で、母親と容疑者の姉妹は外国暮らしをしているそうです。
 15、6歳のときに精神科に通っていたことのある息子を、1人暮らしさせて、親は保護者としての責任を果たしていたのでしょうか。大学生とはいえ未成年なのに。

 最初の計画では自分が通う大学で、無差別大量殺人をしようと考えていたそうです。(ちなみに私立大の法学部に在籍。)

 できるだけたくさんの人を殺して逮捕されるときには自殺しようと思っていたが、果たせなかったと話しているそうです。  

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 10月11日の追記です。
 マスコミの取材に容疑者の父親が応じました。
 それによると・・・「息子はとてもよい子だった。法律家になりたいと言ったから大学の法学部に入学したのに・・・。 
 しかし中学生のころ思春期のせいなのか反抗期なのか、当時の担任の先生とうまくいかなくなった。
 その後転校して、問題はなくなった。」
 どうもそのころ、容疑者の少年は自殺未遂をしたらしいです。そのため精神科に通院していたようです。その後に転校したということですね。

 父親の話では顔ににきびがたくさんできて、本人はかなり気にしていた。(外見にコンプレックスがあった?) 
 そこで「病院の皮膚科に行き、薬をもらって飲んでいたがにきびは治らなかった。
 今年の夏、そのことを医者に言うと、別の薬を処方された。それはスイス製の薬で強力なタイプ。その副作用のせいで精神状態がおかしくなり、今回の犯行を犯したと私は思う。」と父親は話しています。

 人をたくさん殺したくなる副作用があるニキビ薬を処方した医者が悪くて、うちの息子は悪くないということですね。

 息子と別に暮らしているのはなぜかと言う質問にはノーコメント。
 この人の奥さんと娘は外国暮らしをしているし、この父親にも少々問題があるように私には思われました。

 父親はミンスク市内の一軒屋で暮らしているそうですが、どうやら親の遺産としてもらった住居らしく同じように遺産をもらう権利があるおじさんが、同じ住所に住んでいるそうです。
 ところが、一軒の家をきれいに半分に区分けして境界線に柵まで作り、男性二人がそれぞれのテリトリーで暮らしている状態。一軒の家に住んでいるのに、お互いの行き来はほとんどなかったようです。
(私だったら、こんな状態で親戚と暮らすより、自分の息子と暮らすほうを選ぶけど。)

 マスコミはこのおじさんにも取材。容疑者の少年を親戚であるにもかかわらず1回しか会ったことがないと語り、事件が報道されて初めて、少年の母親とその姉妹が外国で暮らしていることを知ったそうです。

 家庭環境にも原因があるのかなという印象を受けました。

 10日の追記には私立大学の法学部に在籍と書きましたが、9月の入学後、ほとんど授業に出席しなかったので、退学処分を最近受けていたことが分かりました。

 それで最初は大学構内で無差別大量殺人を計画したがうまくいかなかったので、ショッピングセンターにした・・・そうです。
 じゃあ動機は自分を退学にした大学に対する恨み?
 でもそれが、大学でなくてもいいや、誰でもいいや・・・に変わったということでしょうか。

新美南吉ロシア語訳童話集がベラルーシの新聞で取り上げられました

2016-10-01 |   新美南吉
 新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」がベラルーシの新聞で取り上げられました。
 2016年9月29日付「ズナミャー・ユーノスチ」紙です。
 リンク先はこちら。(本文はロシア語です。)

 9月30日は国際通訳の日ということで、それにちなんだ取材を・・・というお話でした。そのため新美南吉の紹介というより、通訳者であるうちの娘へのインタビューがテーマになっています。
 
 現在ベラルーシ各地への図書館に寄贈している作業中です。
 この新聞記事を読んで、関心を持ってくれるベラルーシ人が1人でも増えたらと願っています。
 
 すでにベラルーシ国内10箇所の図書館に寄贈しましたが、後日まとめて寄贈先をご報告しますね。