ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

第10回 体調と対策メモ 読書

2017-03-27 |   体調と対策メモ
 お久しぶりです。「体調と対策メモ」第10回目の寄稿となりました。
 この投稿記事をお寄せくださっている方から読書がうまくできなくなった、と言う症状についての対策について、詳しく教えていただきました。
 いつものようにこのブログ上で公開しますので、このような症状があるかた、思い当たることがある方、ぜひご覧ください。

(第1回からの「体調と対策メモ」はこちらにまとめてあります。)
 
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 こんにちは。
 お久しぶりです。
 体調と対策メモの者です。

 体調不良対策を続けて、現在の体調は、不調ながら安定しています。
 午前中や気温の低い日の体調はよくないですが、よくないながらデトックスや、体温保持を心がけていると、なんとかすごせているというところです。

 本日は、ある特殊な不調の症状について、対策を書こうかと思います。同じような症状の方の参考になればと思います。

 2011年の夏ごろから、わたしには体調不良とともに、原因不明のある症状がありました。 それは、「テレビドラマを見ても、すんなりと筋立てがわからない」というものでした。
 年が明けて、2012年の2月頃になって、これに加えて深刻な症状が出ました。

 本が読めないのです。

 短い文章や、町の看板のようなものは読めます。
 チャットも出来ますし、文章もかけますし、言葉も話せます。

 しかし、長い文章が、目が滑ってしまってまったく読めないのです。
 ふつうに会話はできますし、長い文章も書けるので、「長い文章を読む」ことだけができないのは、驚きでしたし、不便でした。

 当時、同時に発現していた身体症状としては、持続するリウマチのような神経の痛みと、毎日続く激しい疲労感、忘れっぽい、左手のしびれです。

 もちろん、精密検査も受けました。
 結果として「異常なし」と言われていたため、どうしたものだろうと長い期間悩んでいました。

たとえば、脳梗塞などで右脳に異常が出ますと、左手がしびれて動かなくなったり、言葉を操る能力のにどこかに異常が出ることがあるそうです。

 わたしは、精密検査では異常がないと言われましたけれども、脳梗塞などの重い病気ではなく検査ではわからないくらいの、もっと軽微な異常が右脳のどこかにあったのかもしれないと思いました。

 長い文章が読めないのは、生活していく上で本当に不便なので、わたしは自分なりに出来る限りの対策をいたしました。
 以下にそれを列挙します。


○亜鉛サプリを摂取する。

 長い文章を読むためには、脳の海馬と言うところに読んだ文章を一時的に記憶しておか
ないといけないようです。そうすることで、長い文章の前後関係を理解しながら読んでいくことができるそうです。
 この海馬が必要とするミネラルは亜鉛です。
 亜鉛は、体内に重金属が吸収されたときなどに、免疫力を上げたり有害物質を排出するために大量に使用されるそうなので、亜鉛不足ではないかと思い、亜鉛サプリを飲むようにしました。
亜鉛は、過剰に飲むと身体に害が出ますので、気をつけて一日の摂取量を守ってください。また、鉄は亜鉛の吸収を阻害し、亜鉛は鉄の吸収を阻害するので、亜鉛と鉄のサプリは同時に飲まないようし、朝は亜鉛、夜は鉄と言うふうに時間を離して飲むようにしました。
 サプリで過剰症になるのが不安な方には、食品での摂取をおすすめします。
 亜鉛を安全に摂取できる食品は、ココアとビール酵母です。


○カルシウムをたくさん摂取する。

 脳が必要とする栄養素として大切なのがカルシウムです。
 食品からのカルシウムは、ストロンチウムが含まれている心配があるためなるべく避け、サプリメントで飲むように心がけました。
 食品で摂取したい方には、高野豆腐や切り干し大根など乾物にたくさん含まれています。

○パズルなど、頭を使う遊びをする。

 短期記憶が衰えており、頭を使うさまざまな能力が落ちてきていますので、リハビリのためにパズルや神経衰弱などのソリティアをしました。
 最初は、頭を使うとめまいがしたり頭痛がしたり、神経の痛みを感じたりしましたが、だんだん解けるようになっていき、楽しくなりました。
 後述しますが、わたしが絵本などを読んでいたころ、同時にパズルをしていたのが回復を早めたと思っています。


○編み物をする。

 右脳を刺激するために、左手で細かい作業をしてみようと思いました。また、当時はよく左手がしびれたり、指がつったりしていたので、このまま左手が動かなくなったら怖いな、という不安がありました。
 それで、両手を使う細かい作業は何かなと考えたとき、「編み物をしてみよう」と思い立ちました。
 編み物のいいところは、失敗したらほどいてやり直せるところです。
 身体はだるいし、思い通りにならないことが多い時期でしたが、編み物をしていると落ち着きましたし、何かしら形になるものが出来上がるのは続けるモチベーションになりました。
 他の手芸とちがって、太い毛糸と太い針を使えば、そんなに目にも負担にならないのがいいところです。出来上がったものは、ちょっとしたギフトにもなりますし、体調不良の方にはおすすめの趣味だなと思いました。


○本を読んでみる。

 まず、字の大きな絵本から読み始めました。
 最初は絵本でも、読むだけで疲れてしまったので悲しかったです。でも絵本からはじめたことで、「まだ自分にも読みきれる本がある」と思えたのはモチベーションになりました。
次に、児童書を読みました。
 児童書は字が大きく、わかりやすいのがありがたいです。以前なら30分もかからないで読めたような本でしたが、最初は一冊読むのに一週間かかりました。
 ページを開いて左下まで読むうちに右上のほうの内容を忘れてしまい読み戻る、ということを何度も続けましたが、読みきれたとき、「やった!」と思いました。


 児童書が読めるようになったら、ことわざや格言のような本、ビジネス書のようなノウハウ本を読むことにしました。
 こういう本は、役に立つことも書いてあるのがありがたいです。
 また、ビジネス書は、見出しが大きく書いてあり、そこにポイントをおさえて、いくつかの段落にハウツーが書いてある、という内容が一般的なので、長い文章の前後関係を理解しなくても読めるので、ありがたかったです。
 同時に、読みながらポイントをノートに書き写すようにしました。記憶力を回復させるためでした。これは役に立ったように思います。

 最後に、字の細かい小説です。
 最近、ようやく、字の細かい文庫本が読みきれるようになってきました。
 まだまだ時間がかかり、普通の人が3時間くらいで読める文庫本を読むのに、まる二日くらいかかってしまいます。
 また、じっと読んでいると、めまいがしたり、頭痛がしたり、眠くなったりしてきますが、そんな時は、いったん字の小さな本の読書はやめて、児童書にもどり、ハウツー本を読み、編み物をしたりして目を休めてから、小説にもどるというローテーションで読書しています。

 リハビリの経過を申し上げると、まず、絵本からはじめて児童書を読みきるまでは一年かかりました。その後は緩やかに回復しており、今は字の小さな文庫本を読みきるのに二日、というペースまで回復しました。
 ただ、倒れる前は、文庫本を一冊三時間くらいで読んでいたわけですから、ぜんぜんまったく遅いのですが、それでも小説を読めるようになったのはうれしいことです。
 目標は一日一冊です。

 今回のメモは以上です。
 最近、ネットなどを見ても、字が読めなくなった、文章がわからなくなったなどの症状をちらほらと見かけます。長い文章がダメ、漢字がダメ、むしろひらがながダメなど様々な症状の方がいらっしゃることを知りました。

 読めないけど書ける、しゃべれる、言葉を知っている、等とちぐはぐなところがある症状のため、他人に説明することが難しいですけど、打てる手はどこかにあると思います。必ずなおるとは断言できませんが、わたしの例が誰かのお役に立つことがあればいいなと思っています。

 また、最後になりますが、わたしは自分の症状を被爆のせい、放射能のせいとは断言いたしませんし、脳に異常があったとも申しません。(精密検査では「異常なし」でした)
 ただ、とても不思議な不調で不自由をしたことがありますので、この体験がどなたかの
お役に立てればという思いで書きました。参考程度にしていただければと思います。

 もし、実際に「文章が読めない」「左手がしびれる」という症状がある方は、絶対にまずは精密検査をお受けになってください。脳の異常は、検査をして早めに対処が必須です。
 そのうえで、どこも異常がないという結果になりましたら、ダメもとくらいで、わたしの方法を試していただけたらと思います。


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 テーマが「読書」長い文章が読めないという問題なのですが、その対策がパズルや編み物なんて! と感動しました。
 亜鉛やカルシウムといったサプリの話ですが、食材も挙げてくださってありがとうございます。
 この寄稿が誰かのために役立つように・・・!とベラルーシから祈っています。


ミンスク市立中央児童図書館での「子どもの読書」イベントに参加しました

2017-03-25 | 日本文化情報センター
 ベラルーシの学校は今日から1週間春休みです。
 春休み第一日目の今日、ミンスク市立中央児童図書館での「子どもの読書」イベントに日本文化情報センターは参加しました。
 ミンスクには児童図書館が18箇所ありますが、それぞれの図書館で特にたくさんの本を借りている児童とその両親が選ばれ、このイベントに招待され、最優秀来館者ということで、表彰されました。
 他にも関連イベントがありましたが、日本文化情報センターは児童図書館で日本文化が学べます、ということで参加しました。

 このイベントの詳細はミンスク市立児童図書館のHPで近日中に公開されますので、そのときにはここでもリンクを貼りますね。



半年間無職の国民に罰金というニュースの続報

2017-03-24 | ベラルーシ生活
 今からおよそ2年前に2015年4月、「半年間無職の国民に罰金」というベラルーシ発のニュースをご紹介しましたが、その続報です。

 2年前にこの法律が施行されたときは、「日本でもそうしたらいいのに。」という日本人のネット民の声がけっこう多かったですね。本当に日本でニートの方がどう思うのかと考えると気の毒になりますが。
 さて、当のベラルーシ人はというと、これと言って反対する人もなく、静かでした。
 ところが、今年に入ってから、この法律に反対する人が激増。どうして今頃になって?
 理由の一つはいわゆるニートだけではなく、専業主婦も無職なんだから、この罰金(ベラルーシでは税金と言っています。)を払うようになったからです。
 ちなみにこの法律、ベラルーシに居住している外国人も対象です。私、専業主婦でなくてよかった。

 そのためここ最近では、毎週土日になると、ベラルーシ各地で、この税制に反対するデモ集会が行われています。

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 3月25日の続報です。
 そもそも3月25日は今から99年前のベラルーシ人民共和国樹立の記念日です。
 しかし、結局ソ連に組み込まれてしまい、このベラルーシ民族の悲願であった独立国家は消滅いてしまいました。
 今でも、あのときベラルーシ人民共和国がうまく続いていたら、と思うベラルーシ人も一定数いるわけで、3月25日は政府に批判的なデモが起こりやすいのです。
 結局、今年は3月24日にミンスク市長が、いかなるデモ、集会も認めない、とけん制したものの、25日ミンスク市中央部から少し離れた場所で降雪の中、抗議デモの行進が始まりました。
 機動隊が投入され、100名を超える身柄拘束者が出ました。外国人も含むと報道されましたが、ロシア人ジャーナリストのようです。

 その時間帯は、現場付近の道路の交通規制、地下鉄3駅は停車しなくなりました。
 ベラルーシの夕方6時現在、交通規制は解除され、町は平穏です。

 ベラルーシに長期滞在、あるいは旅行で滞在を予定している日本人の皆さんへ。
 特に最近はネット上で注目を集めたいからと、不用意にスマホなどでデモの様子を撮影しようとする人が多いですが、上記のように外国人ジャーナリスト、あるいは参加者と勘違いされて、身柄を拘束される可能性があるので、そのようなことはしないようにしましょう。
(実際に拘束された日本人が過去にいます。)
  
 

ベラルーシ経由で放射性物質が輸送されていたニュース

2017-03-21 | 放射能関連情報
 アルメニアからベラルーシ南東部の都市ゴメリの空港を介してブルガリアに輸送される予定の貨物から基準値の250倍を超える線量の放射背物質が見つかった・・・というニュース。(2017年3月20日)

 ゴメリ空港で検査をし、さらに合法的に輸送される物であるという文書が添付されていることが分かったので、そのままブルガリアに飛行機(貨物便)で輸送した・・・そうです。

 アルメニアもブルガリアも何を考えているのか。
 私たちの頭上で何が飛び交っているか、その飛行機が墜落したりしたら、どうなるのか、想像するだけで怖いです。

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第207回」

2017-03-20 |   ビタペクト配布活動
 3月20日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第207目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2515個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算223回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2515人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(家族A)

 グルボーコエ(チェルノブイリ原発から約450キロ)から来た家族。
 この家族にはビタペクト3を2個渡しました。
 この一家は2008年、2014年、2015年にも保養に来たことがあります。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」(家族B)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第159回」(家族A)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第174回」(家族A)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2008年、2014年、2015年に測定をした子どもはその結果も表記しました。
 ○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。

母親(事故発生時15歳)17ベクレル ○ → 16ベクレル → 12ベクレル → 14ベクレル
長女(25歳)  4ベクレル → 15ベクレル
次男(19歳) 17ベクレル(2014年) → 3ベクレル → 17ベクレル
三男(15歳) 27ベクレル ○ → 25ベクレル ○ → 19ベクレル → 14ベクレル
次女(10歳)  0ベクレル → 33ベクレル ○ → 17ベクレル → 33ベクレル ○
孫(女・3歳) 11ベクレル(今回初測定)
孫(男・1歳) 17ベクレル(今回初測定)
男子(13歳) 22ベクレル ○ → 6ベクレル → 31ベクレル ○

 孫2人は長女の子どもです。チロ基金としてはこの長女とその娘は別の家族とせず(家族A)といっしょに表記しています。
 三男は急性白血病患者です。13歳の男の子は養子で、肝臓に腫瘍ができています。
 このお母さんとはまたゆっくり話ができませんでした。13歳の男の子がSOS子ども村のすぐ近くにある子ども腫瘍学センター(病院)に通院治療を請けているので、1日2回連れて行っていました。
 ただ、33ベクレルだった次女が、自分の家の水道の水を生で飲んでいるから、一人だけ数値が高いと思うとお母さんが言い出しました。
 何でも自分の家の水道水を測定にだしたことがあるそうです。すると、放射能に汚染されている、という結果だったので、「どうしたらいいんですか。」ときいても、「どうしようもない。」という返事しかもらえなかったそうです。
 もっとも「数値はどれぐらいだったんですか?」と私がきいても、お母さんは、覚えていないと言う返事でした。おそらく高い数値ではなかったと思います。そうでなかったら、とっくにこの町で病人が続出すると思います。

 チェルノブイリ原発事故発生からもうすぐ31年ですが、地面にしみこんだ放射性物質が、地下水にしみこんでいる混ざっている状態なのかもしれません。ベラルーシでは地下水を汲み上げて水道水に使っている自治体が多いのです。
 お母さんの話ではグルボーコエは周りの土地と比べて標高が低く、放射能がたまりやすいと思うと話していました。
 水道から放射能の含まれた水が出ているなんてショックです。
 フィルターを通してろ過した水を飲むようにすればいいのではないかと思いますが、全て放射性物質が取り切れるか分かりません。
 水道水が汚染されているとなると、「きのこをきれいに洗って放射能を取りのぞきましょう。」といったアドバイスが役に立たなくなります。
 何だか心配です。


(家族B) 
 コルマ(チェルノブイリ原発から約140キロ)からお母さんが5人の実子と2人の養子をつれて保養に来ていました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しています。

母親(事故発生時3歳)21ベクレル
女子(12歳) 45ベクレル ○
男子(10歳) 30ベクレル ○
男子 (7歳) 43ベクレル ○
男子 (5歳) 28ベクレル ○
男子 (2歳) 29ベクレル
養子 (3歳) 40ベクレル ○
養子 (2歳) 36ベクレル 
 
 この一家にはさらに3人の実子がいますが、今回はお父さんと留守番をしているそうです。
 お母さんは子どもたちの数値が高かったので、驚いたそうです。
 お話によると、この一家はもともとゴメリ市に住んでいました。お母さんの祖母が病気になり、介護が必要になったので、思い切ってゴメリの家を売って、祖母の住む村に引っ越したそうです。
 それが5年前。祖母は2年後亡くなったのですが、自然環境のいい村で子どもを育てようと考え、養子ももらいました。
 この村は実際には汚染地域に指定されていたのですが、住むことは許されていました。1年前には汚染地域指定から完全に解除されたそうです。
 ところが、引っ越してから家族が病気になるようになったそうです。まず45歳の父親が急に高血圧になり、降圧薬を飲んでいるのに、全く血圧が下がらないそうです。
 7歳の男の子は、生まれたとき健康だったのに、現在心臓に穴が空き、頻脈になって、この冬2回入院したそうです。医師は18歳になったら、心臓手術をするよう勧めましたが、それまでの11年間は、半年おきに入院しないといけないそうです。

 12歳の女の子は慢性頭痛に悩まされるようになりました。
 10歳の男の子は2カ月前、海外へ保養に行ったそうです。それで、この子は数値が低いとお母さんは話していましたが、私からすると他の子どもと大きな違いはないように思います。
 
 他の子ども達は比較的健康だそうです。
 お母さんは被爆の原因を家で飼っているヤギの乳を飲んでいるからだと、主張していました。
 この一家は、森のキノコ、ベリー、野生動物の肉(ジビエ)、販売されている牛乳などは一切口にしていないそうです。
 一度、心配して飼っているヤギの乳を検査してもらったところ、
「6ベクレルだから大丈夫。」
と言われたそうです。それが本当に大丈夫なのか、あまりお母さんは信じていないようでした。

  画像は記念撮影したものです。全員写っているわけではありません。お絵かきが好きな子どもたちが多かったです。(^^)

 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本のシールなどをプレゼントしました。
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 

ミンスクにある長崎の鐘について(11)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 2017年3月現在の長崎の鐘の様子はこのようになっています。
 このブログ上で問題提起しましたので、3月11日付の投稿記事をご報告とさせていただきます。
 
 まあ、またこれからどうなるのか、予測できない部分もあります。
 ベラルーシに住んでいる日本人、また在ベラルーシ日本大使館が(公式ではありませんが)声赤い教会に対して上げたことが、よかったのか、それともそれは無関係で星条旗が外されたのかも分かりませんが、とりあえず今はよし、という状況です。
(あ、ちなみに私が長崎大司教区にサイトを通じて送ったメールの返信はいまだに来ていません。(笑))

 私はミンスクで暮らしていますので、また長崎の鐘の今後についても見守りたいと思います。

 画像は見学に訪れたと思われる一家。私が画像を撮影している間も、長崎の鐘にはけっこう多くの人が訪れていました。
 このような形で、ミンスク市内で核の犠牲者の慰霊、そして反核を訴えている長崎の鐘ですから、それが持つ意義もよく考えて大事にしていかないといけませんね。


 

ミンスクにある長崎の鐘について(10)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前ウクライナ国旗は長崎の鐘の裏側にぽつんと設置されていたのですが、今日本国旗の横に設置されています。
 では、長崎の鐘の裏側はどうなっているのかと言えば、画像のとおり、何の国旗もありません。
 星条旗はどこにもありませんでした。
 また「ミンスクにある長崎の鐘について(3)」でもご紹介しましたが、アメリカからの土の由来を説明するプレートもありませんでした。

 つまりペンキの塗り直しの際に取り外されたまま、元に戻していない、ということです。
 すると、納められているはずの土が入ったカプセルはどうなっているのでしょうか。
 もしかすると、撤去されたかもしれませんが、土はそのままで、星条旗とプレートだけ外されている可能性が高い気がします。
 
 一方でこの長崎の鐘の裏側をよく見ると、右側に1本国旗を取り付けられる器具がつけられていることが分かります。
 ですから、しばらく経ってから、またここに星条旗が設置されるかもしれません。

 
 

ミンスクにある長崎の鐘について(9)

2017-03-11 | 放射能関連情報
 以前このブログで「ミンスクにある長崎の鐘」についてご紹介しました。
 (1)から(8)までの記事についてはこちらです。

 この長崎の鐘にアメリカの国旗がつけられているのは、いかがなものか、という話でしたが、その後、ペンキが塗られ直されることになり、国旗も外されていました。
 もうペンキ塗りも終わっただろうが、その後の赤い教会の対応はどうなっているのだろうと、心配していましたが、昨日様子を見に行くことができました。
 
 画像のとおり、星条旗は外されたままでした。日の丸の横にあるのはウクライナの旗です。
 真ん中はベラルーシ国旗。
 左側にはロシアの国旗とカザフスタンの国旗が風のせいで絡まりあっています。
(やっぱりロシアとウクライナの国旗を並べることは、現状ではできませんね・・・。並べたら、苦情を言う人あるいは政府が出てきそう。)

 
 

第14回ベラルーシ日本語弁論大会に参加しました

2017-03-10 | 日本文化情報センター
 2017年3月10日に行われたベラルーシ日本語弁論大会(ベラルーシ日本語教師会と在ベラルーシ日本国大使館共催)に日本文化情報センターの日本語教室の生徒が初めて参加しました。
 ベラルーシ日本語弁論大会の公式サイトはこちらです。(日本語版)
 この中の「資格とルール」を読むと分かるのですが、母国語ではない言語でのスピーチ、質疑応答はかなり難しく、日本文化情報センターとしては日本語教室の生徒に参加者募集のお知らせをしても、強く勧めることは今までしていませんでした。
 しかし今年、生徒の一人が参加したいと希望しましたので、ついに初めて参加することになりました。

 条件により第1部と第2部に分かれますが、今回は合計17名の参加者でした。それぞれの部ごとに第1位から第3位まで表彰されますが、日本文化情報センターの生徒、カゼルスカヤ・マルガリータさんは、緊張しすぎて結果は全然だめでした。
 しかし参加することに意義がありですね。参加者全員、順位関係なく日本語そして度胸が鍛えられたと思いますよ。 

 マルガリータさんを応援するため会場に来ていた他の生徒たちですが、弁論大会の様子を見て、難しそうだから自分は出たくない、と言うことはなく、
「来年は自分が出場したい。」
と言っていましたので、来年は日本文化情報センターからの参加者数も増えると思います。

 このような形で日本語を勉強するのもベラルーシでは大変よい機会だと改めて思いました。
 今後も日本文化情報センターの日本語教室の生徒で参加希望者が現れましたら、応援していこうと思います。