ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第229回」

2018-08-13 |  ビタペクト配布活動
 8月13日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第229回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト6個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを1部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2626個、セルロースの合計は150個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2193部となりました。
 今回で通算245回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2626人の子どもにビタペクトを、約143人の子どもにセルロースを、2193家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回は2家族がミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から保養に来ていました。

(家族A)

お母さんが9人の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2012年4月にもSOS子ども村に保養滞在していたことがあります。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第132回」(家族B)

 2012年と今回のそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時17歳)11ベクレル → 11ベクレル 
次女(18歳)20ベクレル ○ → 27ベクレル ○
三女(16歳)30ベクレル ○ → 11ベクレル
長男(14歳)34ベクレル ○ → 33ベクレル ○
次男(12歳)28ベクレル ○ → 12ベクレル
三男(11歳)32ベクレル ○ → 11ベクレル
四男 (9歳)35ベクレル → 13ベクレル
五男 (7歳)(今回初測定)→ 17ベクレル
四女 (4歳)17ベクレル
六男 (2歳)16ベクレル

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。
 前回は長男、次男、三男、四男に言語障害があって専門の治療を受けているということでしたが、6年経った今では、その話はでませんでした。
 次女と長男は背骨が曲がっており、特に長男は30分間しか座ることができないそうです。
 学校の授業は「寝ながら受けてください。」と医者に言われたそうです。
 でも現実的ではないので、有料のマッサージを受け続けたところ、改善してきたそうです。
 
 前回と比べると内部被曝量は減りましたが、お母さんはどうして今でも被曝しているのか、など質問されました。
 この一家のお母さんはスルーツク(チェルノブイリ原発から約250キロ)の出身で、今でもお母さんの両親が暮らしています。実家の庭にさくらんぼの木があり、その実で作ったジャムをもらってはよく食べているから、それが原因では、と話していました。しかし、チェルノブイリ原発が起きて、2、3年後そのさくらんぼを計測したことがあるそうです。その結果、放射能は検出されず、また近所で採れた果物や野菜もきれいだったそうで、そこの住民は安心した、とお母さんは話していました。
 スルーツクのさくらんぼは被曝には関係なさそうです。ということはミンスクで流通している食品が原因ということになりますね。
 ミンスクで暮らしている私は人事ではないのですが。 

 
(家族B)

 お母さんが7人の子どもを連れていました。この家族には4個のビタペクト3を渡しました。それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親 16ベクレル
長男(10歳) 12ベクレル 
長女 (9歳) 15ベクレル 
次男 (8歳) 24ベクレル ○
次女 (6歳) 21ベクレル ○
三男 (4歳) 13ベクレル
四男 (2歳) 23ベクレル ○
五男 (2歳) 27ベクレル ○ 

 お母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたとき、まだ生まれておらず、自分のお母さんのお腹の中にいたそうです。(妊娠初期だったそうです。)
 事故が起きてから約半年後生まれましたが、特に問題はありませんでした。
 子どもたちも特に持病はないそうです。8歳の次男は生まれつき心臓の壁に穴が開いているそうですが、大きさは小さく、経過観察中だそうです。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、日本語で子どもの名前を書いたカード、せんすなどをプレゼントしました。年齢が小さい子ども達は、日本とか折り紙、と言っても「?」という感じでしたが、大きい年齢の子どもは、日本語に関心を示していました。折り紙も早速作っていました。何事にも積極的ですね。
 画像は記念撮影した様子です。
 (家族A)の長女も写っています。19歳になるので、今回の保養には子どもとして選ばれなかったのですが、食費は自己負担で滞在しており、弟と妹のお世話、食事作りの手伝いとして同行していました。(この人の分は予算が出ず、被曝量の測定はしていません。このように保養滞在に対してSOS子ども村は柔軟な対応をしていますね。)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

日本人のベラルーシビザ取得についての新法令

2018-08-08 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 在ベラルーシ日本大使館のHPからの情報を貼っておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・

http://www.by.emb-japan.go.jp/itpr_ja/00_000281.html

2018年7月24日より,一定の条件を満たす日本国民に対するベラルーシ共和国における短期滞在無査証制度が変更されました。

平成30年7月28日掲載

本制度の要点は以下の通りです。
●日本国民が査証を取得することなくベラルーシに滞在可能な期間は,入・出国日を含め,最大30日間。
※なお,ワーキング・デーで5日間以上滞在し,かつホテル・ホステル・サナトリウム等の施設に宿泊しない場合,滞在地域の内務省機関で滞在登録を行う必要がありますので,ご注意下さい。
●ミンスク国立空港より入・出国する場合にのみ適用。
※陸路での入・出国の場合はベラルーシの査証が必要となりますのでご注意下さい。
(過去陸路にて無査証で入国・通過しようとした邦人が拘束された,罰金を科された,との事例があります。)
●ロシアからの入国,ロシアへの出国を予定している場合は,ミンスク空港を利用する場合であってもベラルーシ査証の取得が必要。
●本制度が適用されるのは,日本国の有効な一般旅券所持者に限られます。
●本制度を利用するためには,上記以外にも一定の条件を満たしている必要があります(滞在費用,海外旅行保険加入等)。詳細な情報については,駐日ベラルーシ共和国日本大使館等関係機関にお問い合わせ下さい。

【参考】本制度に関するベラルーシ外務省HP
http://mfa.gov.by/en/visa/visafreetravel/e0ced19bb1f9bf2c.html


・・・・・・・・・・・・・

 私からのアドバイスですが、
・外国人登録が必要な場合は忘れずに。
・保険には加入しましょう。日本の保険会社の旅行保険ではなく、ベラルーシの保険会社「BELGOSSTRAKH」でないといけません。
「え? 日本で旅行保険入ったけど?」
というのは通用しません。
・ロシアからの入国は空路でも陸路でもお勧めしません。

 このブログ内の旅行者、留学生向けの記事も参考になさってください。リンク先はこちら


将棋指導 高田尚平七段来館されました 2

2018-07-24 | 日本文化情報センター
 直筆の色紙もいただきました。
 弊センター将棋クラブにとって光栄なことです。
 お忙しい中、ご来館の時間を見つけていただき、また貴重なご指導をくださって、高田七段には大変感謝しております。
 ありがとうございました。

将棋指導 高田尚平七段来館されました 1

2018-07-24 | 日本文化情報センター
 7月23日日本文化情報センターにてベラルーシに来られた高田尚平七段が、将棋クラブのメンバーに将棋の指導をしてくださいました。
 もうすぐドイツで行われるヨーロッパ将棋大会を観戦する前にベラルーシへお寄りただいたのがきっかけです。
 プロ棋士に直接ご指導がいただけて、一同感謝、感動です。

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第228回」

2018-07-18 |  ビタペクト配布活動
 7月18日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第228回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト6個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを1部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2620個、セルロースの合計は150個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2192部となりました。
 今回で通算244回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2620人の子どもにビタペクトを、約143人の子どもにセルロースを、2192家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

(家族A)
 ピンスク市(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た家族。
 お母さんが6人の子どもを引率していました。この家族には1個のビタペクト3を渡しました。

 この家族は2009年5月、2010年7月、2011年4月、2015年6月にも保養滞在していたことがあります。そのときの様子はこちらをご覧ください。

「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第90回」(家族A)

「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第105回」(家族A)


「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第116回」(家族A)


「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第179回」(家族A)

 2009年、2010年、2011年そして2015年の測定結果については以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時14歳)  0ベクレル → 9ベクレル → 17ベクレル → 17ベクレル → 6ベクレル
女子 (15歳)26ベクレル ○ → 33ベクレル ○ → 23ベクレル ○ → 45ベクレル ○ → 11ベクレル
男子 (15歳)18ベクレル ○(2011年初測定) → 23ベクレル ○
 → 34ベクレル ○
女子 (14歳)22ベクレル ○ → 32ベクレル ○ → 19ベクレル ○ → 25ベクレル ○
 → 12ベクレル
女子 (11歳)(2009年は測定なし)30ベクレル ○ → 17ベクレル → 7ベクレル → 13ベクレル
男子 (6歳) 5ベクレル(2015年初測定) → 19ベクレル
女子 (4歳)(2018年初測定)10ベクレル’ 


 この一家は10人子どもがいますが、そのうち6人の子どもを連れてきています。
 車椅子の男の子は15歳になってすっかり大きくなりましたね。
 子どもたちの健康状態ですが、6歳の男の子は斜視で、両足が曲がっており、2度手術を受けて、だいぶ上手に歩けるようになっていました。
 このように運動障害を抱える子どもはなかなか一般のサナトリウム施設で保養滞在できず、行くことができないそうですが、SOS子ども村は受け入れてくれるので、助かります、とお母さんは話していました。
 今回は子どもたちの内部被曝量も大幅に減りました。
 お母さんは被爆の原因は近所の森で摘まれたビルベリーではないかと以前疑っていましたが、最近ビルベリーは食べないようにしているそうです。
 前回保養に来たとき、ビルベリーなど測定したほうがいいですよ、とアドバイスしましたが、今回尋ねたら、食品の測定はしていない、と話していました。(まあ、そんなものですね。子どもが大勢いると、育児に追われて、目に見えない放射能のことは後回しになってしまうのでしょう。)


(家族B)

 ジトコビチ市(チェルノブイリ原発から約190キロ)から来た家族。家庭タイプ孤児院の家庭でした。
 お母さんが10人の養子を引率していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
 測定結果は以下のとおりです。丸印の子どもにビタペクトを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時18歳)6ベクレル
男子(16歳) 18ベクレル 
女子(16歳) 16ベクレル  
女子(15歳) 15ベクレル 
女子(15歳) 17ベクレル  
女子(14歳) 18ベクレル 
男子(12歳) 23ベクレル ○
女子(12歳) 23ベクレル ○ 
男子(11歳) 29ベクレル ○
女子 (7歳) 34ベクレル ○ 
男子 (7歳) 23ベクレル ○

お母さんに子どもたちの健康状態について尋ねました。16歳の男子と11歳の男子は2人とも心雑音が聞こえるそうです。16歳の男子は今はよくなっているそうです。
 子どもたちの多くが背骨が曲がっており、カルシウム不足を指摘されていますが、お母さんから言わせると、この家庭に引き取られる前、生みの親から育児放棄されていた子どもが多く、そのために栄養不足になっている、ということでした。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、日本語で子どもの名前を書いたカード、5円玉お守りなどをプレゼントしました。
 子どもたちはお母さんと日本に行きたいと話していました。育ててもらった子どもたちが育てのお母さんに日本旅行をプレゼントする日が来たらいいですね。  
 画像は記念撮影した様子です。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ユーラシアバザーのご報告

2018-07-14 | チロ基金
 先日お知らせしました日本ユーラシア協会大阪府連主催の『2018年夏のユーラシアバザール』についてご報告です。

 バザーにお越しくださった皆様、そしてベラルーシの商品をお買い上げくださった皆様、本当にありがとうございました! 厚くお礼申し上げます。
 日本人の皆様がベラルーシの商品を通し、ベラルーシの文化に触れていただき、また興味を持ってくださったら、本当にうれしいです。(^^)
 チロ基金のような小さな基金にとっては、バザーの売上金はとても大切な活動資金となります。
 売上金は今後の基金の活動のため、有効に活用させていただきます。
(チロ基金の活動について詳しくは、このブログこちらをご覧下さい。)

 今後の活動において大きな助けとなります。ありがとうございます。 

 会場の中で広いスペースを用意してくださっただけではなく、ベラルーシ商品のPRを熱心にしてくださる日本ユーラシア協会大阪府連の方々にもお礼申し上げます。
 
 日本ユーラシア協会大阪府連の皆様、「Vesna!」のスタッフの皆様、毎回裏方で大変なご苦労があると思います。
 スタッフの方々やお買い上げくださった方々のおかげで、チロ基金の活動が継続できていること、いつも痛感しています。本当にご苦労様でした。
 ベラルーシという日本ではあまり知られていない国のことを日本でご紹介してくださる、この貴重な機会に毎回お誘いくださり、本当に嬉しく思っています。
 
 ご協力くださった皆様に、深く感謝申し上げます。
 次回のバザーでも再びお世話になると思いますが、チロ基金をどうぞよろしくお願いいたします。

 それではまた次回のバザーをお楽しみに・・・(^^)

 


  

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第227回」

2018-07-07 |  ビタペクト配布活動
 7月7日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第227回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを6個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを3部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2614個、セルロースの合計は150個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2191部となりました。
 今回で通算243回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2614人の子どもにビタペクトを、約143人の子どもにセルロースを、2191家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回もビタペクトではなくセルロースを渡しました。

(家族A)

 ブレスト市(チェルノブイリ原発から約440キロ)から来た家族。
 お母さんが3人の実子を引率していました。この家族には3個のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時2歳)14ベクレル
長女 (11歳) 22ベクレル ○
次女  (8歳) 23ベクレル ○
長男  (2歳) 27ベクレル ○

 お母さんに子どもたちの健康状態について尋ねましたが、よく風邪を引き、しかも長引くことが多いそうです。
 長女は1年前心雑音が聞こえて、今は経過観察中と話していました。

 お母さん自身は長女を妊娠中に、肝臓にのう胞ができていると言われ、どうしたらいいのかと医者にききましたが、出産には関係がないということで、そのまま長女を出産。
 次女妊娠中にはのう胞が二つに増えた、と言われましたが、その治療は受けないまま出産。
 長男妊娠中にはのう胞が一つ減っていて、そのままもう一つも放置しているとのことでした。このままもう一つも消えてほしい、とお母さんは話していました。
 他にも次男に予防接種を足にしたら、丸く腫れてしまったので、医者に見せると、外科手術をして切除しましょう、と言われてお母さんはびっくり。
 ハーブの煎じたものやキャベツの葉で湿布をしたら、半年後にほとんど治ったそうです。
 またこのお母さんは子宮筋腫があったのですが、コリアンダー・シードを煎じたものや、ビートのジュースをずっと飲んでいたら、きれいに消えたと話していました。
 このような自然なものを使った療法は全て、おばあちゃんから教えてもらたもの、と話していました。
 効果が科学的に証明されているとはかぎりませんが、ベラルーシの民間療法ということで、ご紹介しておきます。


(家族B)

 ブレスト市(チェルノブイリ原発から約440キロ)から来た家族。
 お母さんが1人の実子、ブレスト多子家庭協会の子ども4人を引率していました。この家族には2個のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時20歳) 10ベクレル
男子(11歳) 15ベクレル 
男子(15歳) 15ベクレル
女子(12歳) 32ベクレル ○
男子(11歳) 13ベクレル 
男子(9歳)  23ベクレル ○

 お母さんの話によると11歳の息子はアレルギーが出て、腕の皮膚がいつも荒れているそうですが、医者に診てもらっても、アレルゲンが何なのか分からずじまいだそうです。
 

(家族C)

 ブレスト市から約20キロ離れたルィシチツィ村(チェルノブイリ原発から約460キロ)から来た家族。
 お母さんが2人の実子、姪1人を引率していました。この家族には2個のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時0歳)17ベクレル
長男(11歳) 17ベクレル 
長女 (9歳) 26ベクレル ○
姪  (4歳) 14ベクレル 

 子ども達は風邪をよく引くほかは比較的健康だそうです。ただお母さんは7年前甲状腺がんになり、甲状腺を全部摘出したそうです。
 今はホルモン剤を飲み続けており、他にもカリウムサプリを摂っているそうです。障害者認定を受けていますが、カリウムサプリは全額自己負担。月に日本円にして8000円の障碍者年金を受け取って、それでホルモン剤やカリウムサプリを購入しているそうです。
 このお母さんのカリウム量ですが、目安の半分しかなく、明らかにカリウム不足。サプリを飲んでいるのに足りていません。
 また転移がん予防として、手術後放射性ヨードを一回飲んだとも話していましたが、素人判断で、「それって大丈夫なの? 新たな被曝にならないの?」と思いました。しかし、甲状腺を全て摘出後なので、大丈夫なのだそうです。手術して7年経ちましたが転移はないそうです。
 ただお母さんはやせていて顔色も悪く、首元には手術の跡(いわゆるチェルノブイリのネックレス)があって、痛々しかったです。

 画像は記念撮影したものです。子どもたちには折り紙や折り鶴、和風美人画モチーフのカード、子どもたちの名前を書いた色紙などをプレゼントしました。
 子ども達からは「日本語で何かしゃべってー!」とねだられ、大変でした。でも日本語に興味がある子どもが増えてきてうれしいです。
   
 今回のセルロースの購入費には、CD「月と日」の売り上げを使いました。
 最後になりましたが、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 べラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

聞き取り調査

2018-07-07 | 放射能関連情報
 1986年のチェルノブイリ原発事故が起きたとき、ベラルーシの人たちはどうしていたのか、その後の健康状態はどうなのか・・・
 あくまで私の身近にいる人、偶然出会った人ですが質問してみました。
 内容は簡単ですし、対象となった人たちは医学の専門家でもありませんが、このブログでご紹介しようと思っています。

 質問事項ですが、(A)性別 (B)事故当時の年齢 (C)事故当時住んでいた場所、現在住んでいる場所 (D)事故当時起きた症状 (E)現在の症状 (F)そのほか気がついたこと ・・・となっています。

 この記事は回答が増えるたびに更新します。
 日本人の皆様に役立つ情報があれば、と思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)(A)女性 (B)20代 (C)ミンスク。5月1日のメーデーの行進に参加した。(D)なし (E)甲状腺肥大、高血圧、1年中止まらない咳 (F)高血圧と咳は遺伝によるものかもしれない。

(2)(A)女性 (B)20代 (C)ミンスク (D)なし (E)慢性的な頭痛。顔色がいつも悪い (F)子どもが2人いるが、甲状腺肥大で2人とも投薬治療中。

(3)(A)女性 (B)20代 (C)ナロブリャ。(チェルノブイリ原発から約60キロ)1992年にミンスクへ移住命令が出た。(D)頭痛。口だけではなく喉がとても乾いている感覚があった (E)免疫力の低下 (F)もっと早く移住したかった

(4)(A)女性 (B)30代 (C)ミンスク。事故が起こった日、日光浴をした (D)なし (E)数年後から肺炎を繰り返すようになり、入退院を繰り返す。今は肺炎はおさまった。顔に血管がいつも浮き出て見えている 

(5)(A)女性 (B)28歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし (F)妹は現在甲状腺肥大で投薬治療中。

(6)(5)の息子さん。(A)男性 (B)1歳 (C)ミンスク。事故当日、散歩をしていた。
 (D)首のリンパ腺が腫れた。暗赤色の斑点が全身にできた。医者は皮膚病と考え「何なのか分からない。」と言っていたが、後で内出血であることが分かった。その後症状はおさまる。18歳のとき兵役義務で軍隊に入ったが、その頃から体が弱くなったと感じるようになった。入隊していた軍事施設の周囲に住む住民にがん患者が多い、という話がある。今でも南風が吹くと、体調が悪くなる。

(7)(A)男性 (B)4歳 (C)ミンスク。事故のことは知らなかったが、偶然事故直後モスクワの親戚のところへ行っていた。 (D)なし (E)なし (F)ゴメリ州の食品は買わないようにしている。ベリー類は測定している。

(8)(A)女性 (B)20歳 (C) ミンスク (D)事故当日頭痛。子どもの寝つきが悪かった。(E) 子どもの免疫力低下。疲れやすい。

(9)(A)女性 (B)28歳 (C)ミンスク。事故当時実家のあるカリンコビッチ(チェルノブイリ原発から約100キロ)へ家族全員で帰っていた。実家の畑でじゃがいもを植えて、はだしで土の上を歩いていた。5月9日ミンスクへ帰宅した。
 (D)なし (E)自分は特にないが、当時6歳だった娘は甲状腺機能に異常が出ている。今1歳の孫は健康。夫は5年前脳卒中で倒れ、現在リハビリ中。 (F)実家のある村は移住の対象にはなっていない、しかし人口が減り、特に若い人が減った。村の周りの森は測定されたが、場所によって線量にばらつきがあった。この森でとれたキノコを瓶詰めにして、ポーランドへ輸出しているのを見た。

(10)(A)女性 (B)38歳 (C)ミンスク。5月1日のメーデーの行進に参加した。風がきつかった記憶がある (D)なし (E)なし 
 (F)物理学研究所で働いていたので、5月中ごろ測定してもらった。事故当時来ていた服を着てくるよう言われたので、そうしたら、測定後に「その服は汚染されているのですぐ捨てなさい。」と言われ、全部捨てた。 

(11)(A)女性 (B)30代 (C)ミンスク。事故当日一日中外出していた (D)なし (E)事故から8年後甲状腺の摘出手術を受けた

(12)(A)女性 (B)14歳 (C)ペトリコフ(チェルノブイリ原発から約130キロ) 事故当日おばあちゃんの家の畑ではだしになって草刈りをしていた。 (D)耐え切れないほどの眠気におそわれた (E)なし 
 (F)事故後、登校したら校内の菜園の手入れをするよう言われ、クラス全員で草むしりなどをした。後になって地域の測定が行われたが、地域内で一番線量が高かった場所が、その学校の菜園だったことが分かった。

(13)(A)女性 (B)20歳 (C)ミンスク (D)事故当日から数日間体がぐったりし、疲労感を感じた (E)甲状腺切除の手術を受けた。今は2児の母になっているが、健康。

(14)(A)女性 (B)8歳 (C)アゼルバイジャン。2年後ベラルーシへ引っ越した (D)なし (E)なし (F)29歳だった父はチェルノブイリの事故処理作業員として呼び出しを受け、4号炉で作業をした。防護服は支給されていた。作業中は父は何も感じなかったが、いっしょに働いている人で気分の悪さを訴えている人もいた。父は今55歳だが、3回の脳卒中に倒れ、リハビリ中。障害者認定を受けている。

(15)(A)女性 (B)28歳 (C)ゴメリ。事故当日竜巻のような強風が吹いた (D)なし (E)なし (F)息子は1986年1月生まれ。ずっと体が弱く、今でもよく病気になる。甲状腺機能にも問題がある。

(16)(A)女性 (B)14歳 (C)ゴメリ。事故当日は家族そろって公園で一日中遊んでいた (D)その日の晩から胃が痛くなり、断続的な吐き気を感じた。夜中から吐き始め、朝まで眠れなかった。 (E)なし

(17)(A)女性 (B)13歳 (C)カリンコビッチ (D)なし (E)関節痛
 (F)事故から1ヵ月後、学校の生徒全員が教師引率でエストニアに保養に行った。エストニアの保養所に夏休みの3ヶ月いて、9月からカリンコビッチに戻った。保養滞在中、エストニアの人から「チェルノブイリから来た子どもたち。放射能がうつる。」と差別された。しかし子どもたちは放射能のことがよく分からず、差別発言の意味も分かっていなかった。

(18)(A)女性 (B)13歳 (C)モズィリ (D)なし (E)疲労感、倦怠感
 (F)自分の周囲で30代前半でガンを発症する人が増えており、不安

  
(19)(A)女性 (B)20代前半 (C)ミンスク (D)なし (E)胃潰瘍 
 (F)事故当日、1歳だった息子をベビーカーに乗せて外出していた。息子は一日中機嫌が悪く、むずかっていた。
 一ヵ月後、夫とその妹の夫は汚染地域へ送られた。避難した後の無人になった住宅に盗みが入らないように、見張る役だった。当時いっしょにこの監視に携わっていた人(全員若い男性)のほとんどは、現在死亡している。夫は今でも健康だが、汚染地域に行ってから急に老けてしまい、今でも実年齢より年上に見られる。
 夫は汚染地域での任務が終わった後、ロシアのレニングラード(現在のサンクト・ぺテルブルグ)にいる親戚の家へ行った。その親戚は物理学者だったが、家のドアを開けてくれず、近くのホテルに泊まるように言った。夫はそのとき初めて放射能が危険なものなのだと理解し、その後着ていた服は全て処分した。息子は現在健康。

(20)(A)女性 (B)14歳 (C)モロジェチノ (D)生まれて初めての頭痛を起こした (E)なし

(21)(A)女性 (B)12歳 (C)ブレスト (D)なし (E)なし 
 (F)私の家族は他の家族より、被爆に神経質だったので、外出は禁じられた。事故のことをマスコミが詳しいニュースにする前に学校や町で、放射能が飛んできたらしいとうわさになり、あちこちでその話を話していたが、具体的な被爆対策についての情報はなかった。

(22)(A)男性 (B)8歳 (C)ミンスク。家の前の公園で毎日遊んでいた。(D)なし (E)12歳のとき難病にかかって、1年間入院生活を送った。退院したときに身体障害者認定を受け、現在に至る。

(23)(A)男性 (B)0歳 (C)ロシア (D)なし (E)なし
 (F)チェルノブイリ原発事故が起こる3ヶ月前にベラルーシで生まれた。父がロシア人で母がベラルーシ人。両親はロシアで出会って結婚し、ロシアで暮らしていたが、母がベラルーシの実家へ里帰り出産のため戻っていた。
 自分が生まれて二ヶ月のとき、父が子どもをつれて早くロシアの家へ帰ってくるようにしきりに訴えるという夢を母が見て、胸騒ぎを感じ、予定を早めてベラルーシの実家からロシアの父の元へ帰った。直後にチェルノブイリで事故が起きたので、自分は被爆しないですんだ。
 現在自分はベラルーシで暮らしているが、WBCの結果もごくわずかな被爆にとどまっている。母の決断に感謝している。


(24)(A)女性 (B)4歳 (C)コルマ (D)なし (E)なし 
(F)コルマから7キロ離れたところにきれいな森があり、その中に小さい村があったが、事故後高い汚染が認められ、若い世代は移住していった。しかし村を離れたくないという住民は残っていたので除染をすることになり、父がその除染作業に関わった。他の人たちといっしょに森を除染したり、人工の池を掘ったりしたが、被爆しているリスクがあるから、と「手当」と称するお金を給料に上乗せされた形でもらっていた。
その結果立ち入り禁止地区だった森は現在は入ってもよくなり、この村も消えることはなかった。しかし父は現在すでに亡くなっている。被爆との関係は分からない。
コルマは移住先に選ばれ多くの人が移住してきた。コルマのもともとの住民が移住者を差別するようなことは一切なく、みんな同情していた。
子どものとき、移住者の中に女性で髪の毛が一本も生えていない人がやってきたのを見たときは驚いた。現在もこの女の人は健在でコルマに住んでおり、今ではちゃんと髪の毛が普通に生えている。


(25)(A)女性 (B)30歳 (C)スラブゴロド。事故のことは何も知らずに1歳の娘と散歩していた。
 (D)自分自身は何もなかった。夏になってから子どもを連れて、グルジアに保養に行くよう勧められ、二ヶ月滞在した後、スラブゴロドに戻った。その後、娘が急性白血病になった。
 (E)自分は良性の甲状腺種ができている。娘はモギリョフやミンスクの専門病院に入院し、現在は病弱ながらも健在。事故当時3歳だった息子は事故から7年後の10歳になった頃、乾癬を発症。今年31歳になるが完治していない。乾癬は治療方法もまだきちんと確立されていない。
 スラブゴロドの周囲にある14の村が、汚染度が高いことが分かり、家屋全部が地中に埋められた。夫はその作業に従事した。そのため5年早く55歳で年金生活に入り年金をもらっている。しかし現在はしょっちゅう体のあちこちが痛くなり、1日の終わりはぐったりしてよく横になるようになった。
 (F)事故が起きたとき、偶然近所に線量計を持っている人がいた。事故のうわさが流れてきたので、その人は自宅周辺を計測し、近所がほとんど汚染されていることを公式発表より早く教えてくれた。
 夏になってから旧ソ連の各地へ保養に行った人がたくさんいた。現在50代、60代の人で足の痛みを訴える人が自分の周りには多くいる。原因は分からない。
 「埋葬」された村に残ったりんごの木から採れた実を測定したら、ほとんど汚染されておらず、食べてよいということだったが、現在も野生の鹿やいのししの肉は汚染度が高く検査の結果、食べられないと言われることがほとんど。自分自身は子どもに牛乳をあげることをいっさいやめた。周辺の村では1986年は農作物を作ることが一切禁止された。それでもいちごを作っていた人が、検査してみると汚染されていることが分かり、泣く泣く全て廃棄処分したそうだ。
 「埋葬」された村の住民にはミンスクなど移住先が提供されたが、村ごとの移住ではなく、バラバラになってしまい、村民のコミュニティが失われてしまった。移住先の家を売ってさらにどこかへ引越しする人も多くおり、消息が分からなくなっている場合も多い。
 娘が白血病になって、ミンスクの病院に入院しているとき、医者から自主的にどこかへ移住したほうがいいと言われたが、住むところを自分で探さないといけなかったうえ、夫が反対したので移住はしなかった。現在非汚染地域であっても病気になる人は増えてきているので、どこに住んでいようが関係ないという考えを持っている。今は無理して移住しなくてよかったと思っている。
 以前すぐ近所の一戸建てに娘の同級生の一家が暮らしていた。その子は10年ぐらいその家に住んでいたと思う。その後高校を卒業し、別の町にある大学へ進学した。その頃その子の両親は自宅を売りに出すことにした。買い手候補が下見にやってきたが、その人たちは線量計を持ってきていた。そして家の周囲や中をくまなく測定したところ、非常に高い線量だったので、その人たちは家屋を除染し、家の周りの土を全部はがして、新しい土を入れた上でその家を購入し、今も住んでいる。娘の同級生は大学生になってからがんになっていることが分かり、19歳で亡くなった。生きていたら娘と同じ29歳だったはず。住んでいた家が原因で被爆しがんになったと近所の人たちは話しているが、その子の弟は今も元気に暮らしているから、結局のところ発病の原因は分からないと言わざるをえない。


(26)(A)女性 (B)15歳 (C)事故当時住んでいた場所はスルーツク、現在住んでいる場所はミンスク (D)事故のことは何も知らず日光浴をしていた。少し気分が悪かったが、熱中症かもしれない。(E)健康に問題はない。
(F)当時母が10番目の子どもを妊娠していた。事故が起きたとき、母は気分が悪いと訴えていた。子どもは生まれたが、全ての内臓の大きさが通常の2倍の大きさで、生まれて10日目に亡くなった。母にとってこれが最後の子どもだったが。上の子ども9人にはこのような異常はなく、健康に育った。


(27)(A)女性 (B)14歳 (C)ブレスト州ピンスク地区にある村 (D)なし (E)甲状腺に多数のしこりができている 
(F)事故当時、事故のことは何も知らなかった。その頃雨が降り、水溜りに黄色い膜のようなものが張っていた。さらに泡もたくさん浮いていた。花粉が大量に浮かんでいるのだろうと思ったが、不自然な感じがした。
 自分たちが住んでいた地域は比較的安全とされていた地域で、地元の牛乳がいつも店で売られていたのに、事故後ゴメリ州やモギリョフ州など汚染地域の牛乳が並ぶようになった。比較的安全と言われていた地元の牛乳はロシアへの輸出用に回されていた。
 地元のコルホーズで飼われていた牛が次々と白血病になった。病気になった牛は処分されたが、その肉は加工工場で加工されて、市場に出回った。


(28)(A)女性 (B)22歳(C)ボブルイスク (D)全身に湿疹のようなものができ、かゆくてたまらなかった。 (E)健康 (F)事故当時、妊娠初期だったので非常に心配していた。夏の間原発から離れた場所で保養するよう勧められ、サナトリウムで暮らした。生まれた子どもは健康。
 事故があった日、両親は郊外で畑仕事をしていた。頭上を変な雨雲が通過するのを見た。後から放射能雲だと分かったが、事故のことは長く知らされなかった。


(29)(A)男性 (B)13歳 (C)ミンスク (D)めまい (E)なし 
(F)事故が起きた日は同級生の誕生日で友人5人と集まってお祝いをしていた。みんなで外に出るとしばらくして小雨が降った。その後友人全員がめまいや気分の悪さを訴え、家に帰った。
 当時70代だった祖父もその日、生まれて初めてめまいを起こして自分自身驚いていた。


(30)(A)女性 (B)31歳 (C)トレスコフシナ村 (D)頭痛 (E)慢性的なせき。25年ぐらい続いていて、原因も分からず治らない。
(F)事故が起きた日は暑い日だった。日差しが尋常ではないほどまぶしかったように感じた。ちょうどその日は夫の誕生日で家に親戚が集まっていた。暑くて仕方ないので、誰も外に出たがらず、一日家にいた。親戚の多くが頭痛を訴えていた。夫は50歳代で死去。


(31)(A)女性 (B)29歳 (C)マチュリシチ (D)発熱 (E)両足の関節、骨盤部分の痛み。心臓の弁がちゃんと閉まらない病気。 
(F)事故後すぐ熱が出て、慢性的に微熱に悩まされるようになった。平熱が37度という状態が続き、病院へ行っても原因が分からない。1990年に夫の転勤に伴い、カムチャッカへ引っ越した。そのとたん熱が下がって健康になった。3年後、故郷に戻ってくるとまた熱が出て何年もたってからようやく平熱が36度台になった。

(32)(A)女性 (B)8歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし 
(F)事故が起きた日、ミンスクに放射能を含む雨が降った。その後できた水溜りを見ると、緑色をした泡が大量に表面に浮かんでいた。気持ち悪い色で今だに忘れられない。当時は放射能と言う言葉を知っている人も少なかった。何年か経ってから近所に汚染地域から移住してきた人が引っ越してきた。その人たちに、放射能ってどんなもの? ときいてみたが、ちゃんと答えられた人はいなかった。当時は多くの人が無知だった。


(33)(A)女性 (B)13歳 (C)ボブルイスク (D)なし (E)高血圧、心臓病、胃炎。ダイエットをしたら、改善した。 (F)事故当時はニュースにもならず、雨が降る中多くの人が外出していた。しばらくして学校へ行ったら、担任の先生が「原発で事故があり、放射能が出てしまった。」と話して初めて事故のことを知った。
 親戚が10人ほど「仕事のため」と説明してチェルノブイリ方面へ行ってしまった。約1年後全員ががんになり、時期の差はあったものの全員亡くなった。

(34)(A)女性 (B)9歳 (C)ボブルイスク (D)なし (E)胃潰瘍 (F)事故が起きて1ヶ月ほどして、多くの若い兵士がトラックに乗せられて、チェルノブイリへ事故処理のため移動していくのを見た。長い車列だったので、何台ぐらいになるのだろうと道端で数えていた。あまりにもトラックの数が多く、途切れないので疲れて台数を数えるのをやめた。
 しばらくして町中の店から牛乳がなくなり、売られなくなった。説明や理由はなかった。
 またしばらくして、牛乳を積み込んだ特別なトラックがやってきて、広場で量り売りを始めた。町の人たちは久しぶりに牛乳が飲めるので、喜んで容器を持って買いに行った。長蛇の列だったので、おつかいに買いに行かされた。
 弟が2人いるが、1人は事故当時生後5ヶ月で、もう1人も1年後に生まれた。妊娠中で乳児もいた母には被爆に関する情報などは何も知らされなかった。


(35)(A)女性 (B)11歳 (C)ビテプスク州ドクシツィ近くの村。ミンスク (D)なし (E)なし(F)学校では被災者のために寄付を集めることになり、おこづかいを持って行った。村から男性が事故処理作業のためチェルノブイリへ出かけていった。学校で放射能の話を先生がしていたが、ヨウ素剤を飲むような指示はいっさいなかった。ただ、天気の悪いときは外へ出ないように言われた。しばらくして汚染地域から3家族が村へ移住してきた。差別のようなことはなく、新しい住民として普通に接していた。

(36)(A)女性 (B)7歳 (C)ウクライナ北部、ゴメリ (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき、ウクライナにある祖母の家に行っていた。事故のことは何も知らずに森の中で遊んでいたら、突然強風が吹き、雨が降り出すかと思っていたが、降らなかった。しばらくして事故のことを知らされ、両親は心配してビタミン剤を買ってきて飲ませてくれた。毎年夏になると、姉妹そろって黒海沿岸地方やコーカサス地方にあるサナトリウムへ行った。

(37)(A)女性 (B)16歳 (C)ゴメリ。事故のことは何も知らず、メーデーのパレードに参加していた。とても日焼けをした。 (D)なし 
(E)事故が起きてからだいぶ時間が経ってから、事故のことを知った。母は慌ててヨウ素剤を買ってきて、飲ませてくれた。31歳のときに甲状腺の切除手術を受けた。それからホルモン剤を飲み続けている。心臓病も抱えている。
(F)事故から3年後の19歳のとき結婚し、長女が生まれた。生まれつき心臓に欠陥があり、その後卵巣にのう胞が見つかった。手術を何回か受けた。次女と三女にも持病があり、病名はばらばら。成人した長女は結婚し子どもも生まれたが、孫は健康。しかし将来病気になるのではないかと不安な気持ちは残っている。
 
(38)(A)女性 (B)10歳 (C)ピンスク。ゴメリ郊外 (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき4歳だった弟は病弱。ピンスク出身の女性と結婚し、今はモスクワ郊外に住んでいるがその一人娘はアレルギー体質。弟一家は3人とも体が弱く、よく病気になっている。


(39)(A)女性 (B)7才(C)ビテプスク (D)なし (E)なし (F)事故当時妹が生後4ヶ月だった。生まれたときは健康だったが、1歳になる前、肝臓が病気になっていることが分かり、入院した。治療を受けて退院したが、今でも食事制限がある毎日を送っている。

(40)(A)男性 (B)9才 (C)ソリゴルスク、ミンスク (D)なし (E)なし (F)事故当時正式な発表がされる前、「原発で事故があったらしい。」という噂が流れ、母から外出しないように言われて、できる限り自宅にいるようにした。友達が遊びに誘っても断った。しばらく牛乳を飲まないようにしていた。これは数年前の話だが、伯父がミンスクから10キロ離れた森の中できのこを拾い集めた。安全な地域だったが、念のため親戚に測定をしてもらうと、針が振り切れるほどの高汚染だったので、廃棄処分した。

(41)(A)女性 (B)9才 (C)ブレスト (D)なし (E) 背中と足の慢性的な痛み 
(F)当時36歳だった父はトラック運転手として事故処理作業員となり、複数回事故現場で働いた。最後にチェルノブイリ原発へ要ったのは50才のとき。2年前63歳で腸のガンのため亡くなった。
 事故が起きてしばらくしてから汚染地域の住民がブレストに移住してきた。同じクラスの同級生だった女の子は脱毛が進み、中学3年生のときにはかつらをかぶって登校していた。移住者の子どもたちは他にも症状があったかもしれないが、心が痛む話題だったので学校内でそのことについて話すことはなかった。


(42)(A)女性 (B)15歳 (C)プレシチェ二ツィ (D)なし (E)なし 
(F)村に7家族が汚染地域から移住してきた。村民は同情しており、差別はなかった。当時35歳だった父は事故後1か月してチェルノブイリへ行った。事故処理作業員を現場から宿舎へ車両で送迎する仕事をするよう国からの命令だった。被爆を防ぐために服をこまめに交換し洗濯をするように言われていたが、それ以外の対策方法は特になかった。父はその後も病気知らずで元気だったが、56歳になってから突然腎臓病と肝臓病を同時に患い、現在に至るまで8年間闘病生活を送っている。


(43)(A)女性 (B)21歳 (C)ミンスク、プホビチ地区 (D)なし (E)なし (F)事故が起きたとき長男を妊娠中で、非常に心配した。12月に長男は生まれたが、生まれつき心臓に雑音があり、幼少期はそれが消えることはなかった。その後雑音は消えて現在は健康に暮らしている。

(44)(A)女性 (B)15歳 (C)ウクライナのイワン・フランコフ、ミンスク (D)なし (E)なし (F)事故後2年目にミンスクへ移転。16歳の長男は腎臓肥大。三男はアデノイド。四男は遠視。職業は小児科医。実感として、チェルノブイリ原発事故後、子どものガン、アレルギーが増えた。特に大人には見られるけれど子どもにはなかった病気(初潮も始まっていないような年齢の女子の子宮がん、中学生男子が心臓発作、心筋梗塞を起こすなど)が起こるようになり、中高年男性の突然死も増えた。

(45)(A)女性 (B)0歳 (C)グロドノ (D)なし (E)頻脈 
(F)事故が起きたとき母は私を妊娠中だった。兄は3歳だった。母の実家はゴメリ州ブダ・コシェリョフで、祖母が1人で暮らしていた。母は祖母が48歳のときに生まれた子で、事故が起きたときは祖母は70代の高齢だった。事故が起きたと分かったのは3日後。父は事故処理作業員として呼び出された。母は祖母を心配してグロドノに引き取ることにして父が運転する車で迎えに行った。放射能に関する知識もなかったので、3歳の兄も連れて行った。
 祖母をグロドノへ避難させた後、父は事故処理作業のためチェルノブイリへ向かったが、その後書類手続きの不備で事故処理作業員であると言う証明がもらえなかったので、補償も受けられなかった。父は現在63歳で高血圧で悩んでいる。
 避難した祖母はその後胃がんになりおよそ1年後グロドノで亡くなった。
 3歳だった兄は5年後、病気になった。今年33歳になるが、心臓病、高血圧、不整脈といった病気を抱えている。免疫力が低くよく風邪を引いている。私自身は頻脈。3人の子どものうち1人は生まれつき心臓の壁に穴が二つ開いており頻脈。


(46)(A)女性 (B)8歳 (C)バラノビッチ (D)なし (E)特になし 
(F)事故当時は報道もなくしばらく普通に暮らしていたが事故のことが明るみに出て数日学校が休校になった。父は事故処理作業員として原発へ向かった。9年後17歳で結婚・妊娠した。検査をしたら胎児に脊髄がないこと、脳に腫瘍があると認められ死産になるからと中絶した。4年後妊娠し、元気な子どもが生まれた。さらに3年後再び妊娠。そのときも第1子同様、胎児に脊髄の一部がなく脳腫瘍があると言われて中絶。1年後4回目の妊娠。このときは健康な子どもが生まれた。2人の胎児に異常が出た原因は分からない。自分自身気になり遺伝子の検査を受けたことがあるが異常は見つからなかった。
 今年65歳になる父は10年前に喉に腫瘍ができたが良性で現在も健康。


(47)(A)女性 (B)21歳 (C)ブレス都市近郊の村。(D)なし (E)甲状腺がん (F)第1子を妊娠中事故が起きた。5ヵ月後出産。娘は健康でその子どもも健康。
 ブレストはポーランド国境に近い町で、さまざまな物資がブレストの駅を通る。チェルノブイリで事故が起きる前その駅の引込み線で高い線量の放射能が外国人によって偶然検出されたが、公式な原因の発表はなかった。地元住民は「ソ連からポーランド(あるいはその先にある国)にウラン鉱石が運ばれたからだ。」とうわさしたが真偽のほどは分からない。その後その引込み線は廃止され、現在は別の場所に引込み線が作られている。知らなかっただけで原発事故が起きるずっと前からいろんな場所が放射能汚染されていたのではないか。


(47)(A)女性 (B)4歳 (C)ボリシエ・ビコロビチ村(ウクライナ国境近く。チェルノブイリ原発から約220キロ) ブレスト (D)なし (E)頭痛 
(F)事故が起きてから3年後小学校に入学した。外国の支援で給食にたくさんのバナナやオレンジが出て、毎日たくさん食べていた。学校内で何回かWBCの測定を受けたことがある。ドイツやオランダ、ロシアなどに保養に子どもは集団で毎年行っている。村には80人ぐらい子どもが住んでいるが、健康な子供はほとんどいない。
 事故後40代50代の女性のガンが増えた。母も子宮がんになり手術を受けた。細胞検査の結果は「未知の種類のがん細胞。」
 父は4人の兄弟姉妹がいるが、全員ガンになった。みんな同じ村に住んでいる。
 35歳になる姉は慢性頭痛。いとこは甲状腺肥大。中年のがん、糖尿病、甲状腺の病気がとても多い。
 村でとれた牛乳は放射能の検査を受けている。基準値以下だと販売に回される。基準値以上だと正規の販売ルートでは売れないので、村のご近所さんに安く売っておりみんな基準値以上だと理解した上でそれを飲んでいる。

(48)(A)女性 (B)4歳 (C)ブレスト州ドロギチン地区、ボブルイスク(D)なし (E)なし (F)事故当時30歳だった母は同じ地区にに住み続けていた。2年前58歳にガンで亡くなった。事故前この地区でガンでなくなる人はほとんどいなかった。母がなくなった同じ年、1年間で、母の同級生4人がガンでなくなった。

(49)(A)女性 (B)18歳 (C)モギリョフ (D)なし(E)甲状腺種。関節痛。(F)当時おじが長距離トラックの運転手をしていた。事故が起こった次の日、ちょうどウクライナからベラルーシへおじが戻ってきた。すると、「原発で何かあったらしい。外出しないほうがいい。」と言われて、5月1日のメーデーの行進には行かなかった。おじさんに感謝している。政府は原発事故をすぐにニュースにして、避難は無理でも、国民全員に外出しないように言うべきだった。

(50)(A)女性 (B)9歳 (C)ゴメリ市 (D)特になし。3年後に甲状腺肥大。 (E)婦人科系の病気 (F)事故が起きたとき、外出していた。突然竜巻が起こった。黄色に濁った水溜りを見た。夏休みの間、ロシアへ3ヵ月間保養に行った。新学期が始まり、しばらくすると、学校の給食に海草が毎日のように出るようになった。
 親戚の一人が当時ブラーギン地区で道路工事作業をしていた。現在甲状腺がんと戦っている。別の親戚は当時チェルノブイリ原発の空調設備の管理をしていた。事故前日定時に帰宅し、翌朝、出勤しないように言われ、その後ロシアにある原発に配属された。その後被災者認定を受けている。健康状態はよいらしい。

(51)(A)女性 (B)11歳 (C)モギリョフ州ムィシコヴィチ (D)なし (E)血圧が安定しない。 
(F)事故が起きたことはすぐに知らされなかった。しばらくすると汚染地域に指定され、牛乳を飲むことが禁止された。その後「きれいな」牛乳が商店で売られるようになり、食肉が商店から消え、代わりに缶詰を食べることを奨励された。
 夏休みになって、母が私をロシアのエカテリンブルグに住んでいる祖母の下へ疎開させた。エカテリンブルグに到着すると、「チェルノブイリ地域から来た子ども」と言うことで、被曝していないか検査を受けた。その結果、私がはいていたサンダルは、非常に高い数値を示したので、その場で廃棄処分が決められた。祖母は急いで新しいサンダルを買ってくれた。それがおしゃれだったので気が晴れた。夏休みが終わって、家に帰ることになっても、母は、「ベラルーシに戻ってこない方がいいのでは。」とまで、言って少しでも長くエカテリンブルグにいてほしいとを話していたが、結局新学期に合わせて帰った。
 その後すぐではないが、母はがんで死去。今22歳の長男は体のあちこちに病気があり、ホルモンの状態など検査したが、異常はないと医者に言われて、特に治療を受けていない。

(52)(A)女性 (B)25歳 (C)モギリョフ州ヴェプリン村。キロフスク市 (D)なし (E)腫瘍ができ、腎臓を一つ摘出。 
(F)生まれ故郷の村は1999年に汚染地域に指定され、当時住んでいた村人、約1000人は強制移住させられた。移住先はチェリコフ市。しかしその町も汚染されていて、「希望したければ自由に出て行ける地域」とされていた。今はチェリコフ市は「きれいな」町ということになっている。自分はチェリコフ市に住んでいたが、現在はキロフスク市に一軒屋を建てたので引越しした。


(53)(A)女性 (B)7歳 (C)ミンスク (D)なし (E)なし 
(F)私の母はゴメリ州出身。母の姉(私の伯母)はホイニキ地区に住んでいた。そこは事故後汚染地域に認定されたので、事故が起きてからほとんどすぐに伯母は自分の娘(私のいとこ)を連れて、ミンスクの母の家に避難した。(ホイニキの妹がミンスクの姉の家に身を寄せた形。)
 伯母一家は夏の間、ミンスクで暮らしていたが、仕事や学校のことなどで結局ホイニキの家に戻った。その1、2年後移住することになり、ブレスト州のコブリンに住居をもらい、伯母一家は引っ越した。しかしその後伯母は40代でがんになって亡くなった。私のいとこは結婚して、息子が生まれたが生まれつき腎臓病。16歳になったが、病気は治っておらず完治は難しそう。
 伯母のように私の母方の親戚のうち事故のときすでに生まれていた人は、このいとこ以外、全員若死にし、今は一人も残っていない。
 現在ホイニキは除染も完了し、放射能がない地域に認定されて、かつての住民に戻ってくるよう誘致している。農地も再び利用されている。私自身はこのことを懐疑的に思う。政府が安全宣言しても、住みたくないし、そこで作られている農作物などは食べたくない。しかし、ホイニキのようなかつての汚染地域で作られたもので、ミンスクで売られているものを購入して知らない間に食べていると思う。


(54)(A)女性 (B)20歳 (C)ピンスク、ブレスト (D)なし (E)なし 
(F)原発で事故があり、外に出るのは危険だといううわさを聞いたが、放射能が何なのかよく分かっておらず、同じ年の友人と2人、屋根の上に上がって日光浴をした。4月とは思えないほど暑い日で、長く日光浴はできず、2人とも屋根から下りた。数年後自分は就職を機にブレストへ引っ越したが、友人はそのままピンスクに住み続けた。事故から8年後、友人は28歳で白血病になり入院。治療を受け続け、現在は完治した。
 自分の息子は事故が起きてから13年後の生まれ。10歳のとき、脳卒中を起こして倒れ病院へ運ばれた。脳卒中は子どもに発症する病気だとは思ってもいなかったので、ショックだった。その後心臓の肥大も見つかり、体の右側に麻痺が残ったが、リハビリの結果、再び通学できるまで回復した。それでも当時は字が早く書けなかったり、記憶障害があって、同級生の顔や名前が思い出せず、学校生活を送る上で精神的ストレスを抱えていた。つらい時期もあったが、時間の流れとともに心身ともに改善して安心した。しかし今19歳になった息子の健康状態が突然不安定になるのではないかと、母親として常に健康に気遣っている。


(55)(A)女性 (B)生後2ヶ月 (C)ブレスト州ルィシチツィ村 (D)なし (E)甲状腺がんのため、甲状腺を全摘出。
(F)事故当時、事故のことも放射能のことも知らず、乳母車に乗せられて、戸外でお散歩をしていたと後から母に聞かされた。28歳のとき甲状腺がんのため、甲状腺を全て摘出。ホルモン剤とカリウムサプリを飲み続けている。障碍者認定を受けている。ベラルーシの法律では甲状腺がんで全摘出手術を受けると障害者認定を受けるが、チェルノブイリ原発事故や放射能被曝との因果関係は証明されていないし、それが認定の理由でもない。

バザー参加のお知らせ 「夏のユーラシアバザール」

2018-06-17 | チロ基金
 日本ユーラシア協会大阪府連が恒例のバザールを開催します。
 このバザールにはヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」が参加し、民芸品などベラルーシ製品を中心とした雑貨を販売します。売上金は全額チロ基金の活動資金に還元されますので、ご興味のある方、お気軽にお越しください。

『2018年 夏のユーラシアバザール』(日本ユーラシア協会大阪府連主催)
日時:7月12日(木)~14日(土)     
   午前10時から午後7時まで。
            
会場:日本ユーラシア協会大阪府連内 ユーラシア文化センター
   大阪市中央区谷町7丁目3番4
   新谷町第3ビル3階313号室

   地下鉄谷町線「谷町6丁目駅」下車。
   4番出口を上がり南(右方向)へ徒歩5分西側(右側)
  
電話:06-6763-0877

 日本ユーラシア協会大阪府連のサイトはこちらです。
 詳細はこのサイト内の「ロシア物産とバザール」のコンテンツをご覧下さい。
 またこのサイトで会場の周辺地図を見ることができます。
 
 今までにこのバザールに参加して得た売上金は、ベラルーシの子どもたち(チェルノブイリ被災児、障害児、孤児、貧困家庭の子弟など)の支援、またベラルーシにおける日本文化の紹介、交流活動・・・などに使われました。
(詳細はHP「ベラルーシの部屋」内「チロ基金の活動報告」もご覧ください。)

 特にCD「月と日」についてはその1枚の売上金がペクチンサプリメント「ビタペクト3」あるいは食物繊維サプリメント「セルロース」の購入につながり、チェルノブイリ原発事故の被災地の子どもに配られます。
 食物繊維であるペクチンやセルロース飲むと体内にたまった放射能物質が排出される効果があります。

 2002年から行っているチロ基金の「ビタペクト配布活動」について詳しくはこちら(HP「ベラルーシの部屋」内)とこちら(このブログ内)をご覧ください。

 チロ基金はすでに200回以上に渡り、2000個以上のビタペクトあるいはセルロースをベラルーシに住むチェルノブイリの子どもたちに無償で配り続けています。
 この活動の趣旨にご賛同してくださる皆様、ご協力をお願いいたします。

(ベラルーシ語に翻訳された日本の歌CD「月と日」について詳しくはこちらです。自分で言うのも何ですが、おもしろいので聞いてみてください!)

 CD「月と日」公式サイトの英語バージョンはこちらです。

 ヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」のサイトはこちらです。

 ベラルーシ音楽CDについての紹介はこちら。「みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ 」

 みなさまのご協力をお願いいたします。
 
(一部の方より、お問い合わせがあるのですが、当バザールでは「ビタペクト」やそのほかのサプリメントは取り扱っておりません。またヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」でも取り扱っておりません。 )
 
 バザーの会場では、もちろんベラルーシの民芸品だけではなく、ロシアや東欧の商品も扱っています。詳しくは日本ユーラシア協会大阪府連のサイトをじっくりとご覧ください。

ロシア・東欧文化の好きな方、ぜひ足を運んでください。これでユーラシア各国を旅した気分になれますね。(^^)

 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第226回」

2018-06-11 |  ビタペクト配布活動
 6月11日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第226回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを13個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2614個、セルロースの合計は144個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2188部となりました。
 今回で通算242回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2614人の子どもにビタペクトを、約137人の子どもにセルロースを、2186家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回もビタペクトではなくセルロースを渡しました。

 今回は2家族がゴメリ(チェルノブイリ原発から約 140キロ)から保養に来ていました。

(家族A)

 お母さんが4人の子どもを引率していました。この家族には3個半のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時0歳)11ベクレル
長女 (7歳) 40ベクレル ○
長男 (5歳) 18ベクレル △
次女 (3歳) 53ベクレル ○
次男 (1歳) 65ベクレル ○

 このうち三角印がついている5歳の男の子は、三角印がついている家族Bの15歳の男の子と一つのセルロースを半分に分けることにしました。

 お母さんに子どもたちの健康状態について話を伺いましたが、3歳の女の子が化学物質アレルギーらしい、というだけで、特に持病はないそうです。


(家族B)

 家族Bのお母さんは家族Aの実母です。
 こちらのお母さんは10人の子どもを引率していました。この家族には9個半のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。
 このうち三角印がついている15歳の男の子は、三角印がついている家族Aの5歳の男の子と一つのセルロースを半分に分けることにしました。

母親(事故発生時 33歳)20ベクレル
女子(17歳) 46ベクレル ○ 
男子(15歳) 18ベクレル △
女子(15歳) 25ベクレル ○ 
男子(13歳) 22ベクレル ○
女子(13歳) 34ベクレル ○
女子(12歳) 37ベクレル ○ 
女子(12歳) 44ベクレル ○
女子(11歳) 42ベクレル ○ 
男子(11歳) 59ベクレル ○
女子 (8歳) 51ベクレル ○ 

 こちらのお母さんにも引率している子どもたちの健康状態についてお話をうかがいましたが、特に病気の子どもはいないということでした。

 それにしても今回は子どもたちの結果が高く、驚きました。チェルノブイリ原発事故が起きてから32年経過しても、こんな数値が出続けています。
 
 子ども達は元気と言っていましたが、当人たちのうち10歳以上の子どもは、自ら熱心に、
「この数字はどういう意味ですか?」「放射能を減らすにはどうしたらいいですか?」「食物繊維をとるために果物の皮や種を食べる方がいいですか?」
など質問をしてきて、頭のいい子ばかりが今回保養にやってきたのかと、こちらにも驚きました。
 こういう「意識高い系」の子どもが増えてきてほしいですね。

 画像は記念撮影したものです。子どもたちには折り紙や折り鶴、千代紙人形、子どもたちの名前を書いた色紙などをプレゼントしました。

 今回のセルロースの購入費には、CD「月と日」の売り上げを使いました。
 最後になりましたが、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 べラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第225回」

2018-05-22 |  ビタペクト配布活動
 5月22日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第225回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを10個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2614個、セルロースの合計は131個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2186部となりました。
 今回で通算241回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2614人の子どもにビタペクトを、約123人の子どもにセルロースを、2186家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回もビタペクトではなくセルロースを渡しました。

今回は2家族がミンスク(チェルノブイリ原発から約 350キロ)から保養に来ていました。


(家族A)

 お母さんが7人の子どもを引率していました。この家族には 6個のセルロースを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時7歳)25ベクレル
長男(14歳) 30ベクレル ○
長女(12歳) 38ベクレル ○
次女(10歳) 39ベクレル ○
三女 (8歳) 35ベクレル ○
四女 (5歳) 41ベクレル ○ 
五女 (1歳) 41ベクレル 
姪 (13歳) 25ベクレル ○

 子どもたちの健康状態について話を伺いましたが、特に持病などはないそうです。
 やはりチェルノブイリ原発から遠く離れたミンスクに住んでいて、ふだん放射能を意識せず暮らしていたところ、WBCで測定する機会に恵まれ、喜んだのもつかの間、こんな数値が出ると思っていなかったようで、びっくりしていました。
 お母さんは、
「我が家の子どもは牛乳をたくさん飲んでいるから? そう言えば毎年ナラチ湖のそばの森で採れたベリーをたくさん買って食べているけど、それのせい?」
と急にあれこれ思い出していましたが、食品そのものの測定をしないことにははっきりしたことは分かりません。
 ナラチ湖はベラルーシで一番大きい湖ですが、周囲は保養地でもあり放射能汚染地域ではありません。 念のため、今年ベリーの季節になったら、測定をすることを勧めました。
 ふだんミンスクで暮らしているので、市場に行けば、安くで測定してくれますから便利です。 


(家族B)

お母さんが6人の子どもを引率していました。この家族には4個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時7歳)18ベクレル
長女(16歳) 19ベクレル ○
次女(15歳) 17ベクレル 
長男(12歳) 13ベクレル
三女 (9歳) 24ベクレル ○
四女 (6歳) 30ベクレル ○
五女 (2歳) 37ベクレル ○ 

 お母さんにお話を伺いましたが、子ども達は健康とのことでした。
 この一家のお母さんの実家はミンスクから10キロほど郊外のところにある村で、そこで作られた野菜をもらっては、食べているそうです。
 この村は汚染地域ではありませんので、その野菜のせいで内部被爆したのかどうかと言うと、やはり測定しなければ何とも言えません。

 画像は記念撮影したものです。子どもたちには折り紙や折り鶴、5円玉のお守り、日本のシール、子どもたちの名前を書いた色紙などをプレゼントしました。

 すごく日本語に興味を示していて、「日本語を勉強したい。」「漢字が書けるようになりたい。」と言っていたので、びっくりしました。
 将来有望かもしれません。
 昔のベラルーシ人の子どもは「えーこれ難しい。漢字を覚えるなんて無理。」と言う子どもがほとんどでしたが、21世紀生まれのベラルーシ人は、逆に「日本語勉強したい。」と言うチャレンジャーがほとんどです。
 将来が楽しみですね。
 
 今回のセルロースの購入費には、CD「月と日」の売り上げを使いました。
 最後になりましたが、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 べラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 


絵本「おりづるの旅」ベラルーシへ

2018-05-16 | チロ基金
 チロ基金の活動「戦争と平和の絵本と子どもたちの絵」「ベラルーシの子どもたちが描いた広島の絵についてまとめと続報です」の記事でもご紹介していますが、絵本「おりづるの旅 さだこの祈りをのせて」(うみのしほ・作 狩野富貴子・絵 PHP研究所・出版)について、ロシア語版をベラルーシの各地にある図書館へ寄贈する活動を始めました。

 広島県在住の新荘様、原作者のうみの様、この絵本の各国語版を手がけているANT広島様のご協力により、小部数ですが、チロ基金がお手伝いして、ベラルーシの図書館に寄贈しています。

 寄贈先の図書館の一覧は2018年5月現在このとおりです。
・ミンスク市立第5児童図書館日本文化情報センター
・SOS子ども村母子ソーシャルセンター図書室(ボロブリャヌィ市)
・スベトラゴルスク市立中央児童図書館
・ビテプスク市立中央図書館

 今後も寄贈先を増やして行きますが、そのときにはまたこの記事を更新いたします。

 画像はビテプスク市立中央図書館館長に手渡したときのようすです。

 文字通り、広島のおりづるがのベラルーシの旅ができるよう、この活動を続けます。

世界で一冊の手作り本コンテストで優勝した新美南吉童話集 3

2018-05-16 |  新美南吉
 この画像は「去年の木」の挿絵です。
 シシロさんは「広重の浮世絵を参考にした。」と話していましたが、やはりベラルーシ人の中にある日本の美しいイメージが表現されているように感じます。

 世界で1冊しかない手作り絵本なので、多くの読者に読んでもらえる本ではありませんが、一人のベラルーシ人の心が新美南吉の文学によって動かされ、こんな作品が生まれたこと、とてもうれしく思います。
 新美南吉童話をロシア語に翻訳して本当によかったです。

世界で一冊の手作り本コンテストで優勝した新美南吉童話集 2

2018-05-16 |  新美南吉
 せっかくなので世界で1冊しかない手作り本、新美南吉童話集「かんざし」の中身もご覧ください。
 このページには新美南吉の紹介がロシア語で書かれています。
 一文字一文字が手書きです。
 一回失敗すると最初から全て書き直ししなくてはいけません。
 シシロさんは、全く失敗しなかったそうですが・・・。私にはまねできないです。

世界で一冊の手作り本コンテストで優勝した新美南吉童話集 1

2018-05-16 |  新美南吉
 5月16日ベラルーシの地方都市ビテプスクへ出張に行ってきました。
 いくつか用事をこなさないといけなかったのですが、そのうちの一つが「世界で一冊の手作り本コンテストで優勝した新美南吉童話集が見たい。」でした。

 昨年ベラルーシは、ベラルーシ語の聖書が初めて印刷されてちょうど500年ということで、各地でさまざまなイベントが開催されていたのですが、その一つ「世界で一冊の手作りの本コンテスト」がビテプスクで開かれました。

 優勝したのはビテプスク市立図書館勤務のデザイナー、オリガ・シシロさんです。
 シシロさんが題材に選んだのが新美南吉の童話集だったのです。ビテプスクには16の市立図書館があるのですが、その中で使われるお知らせのポスター、コーナーのインテリアなどをコーディネートする担当者です。
 だから器用なんですね。
 チロ基金は2016年にビテプスクの図書館に新美南吉ロシア語訳童話集「ごん狐」を寄贈しましたが、シシロさんは司書から勧められてそれを読んだところ、大変感動したそうです。

 昨年手作りの本コンテストの募集が始まったとき、シシロさんは「でんでんむしのかなしみ」「去年の木」「カンザシ」の三話を選んで、自ら挿絵を描き、文章も全て手書きで、製本ももちろん全て一人で作って、応募したそうです。

 全部で10ページですが絵も文章も手書きの一点ものなので、大量生産された本とは全くちがって、美術作品に見えます。

 この作品は一点ものなので、ミンスクに住んでいる私はこれまで目にする機会がなかったのですが、今回ビテプスク市立中央図書館で保管されているのをようやく見ることができました。感激です。

 シシロさんにもお話をうかがいましたが、この3作品を選んだのは、 手書きの本のため、短い話の中から好きなものを選んだそうです。この中でも特に「でんでんむしのかなしみ」が好きな話だそうで、
「この話を読んだとき感動しました。今までの自分の人生を振り返るきっかけとなった作品です。」
とシシロさんは私に話してくれました。

 画像は自分の作品を手にしたシシロさんです。