ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

オシポビッチ出張講演

2009-10-21 | 日本文化情報センター
 10月20日モギリョフ州にある街、オシポビッチ市で出張講演をしてきました。
 会場はオシポビッチ青少年創作センターです。このセンターではいろいろなクラブ活動があり、2000人の子どもが伝統工芸品を作ったり、絵画や音楽、スポーツを学んでいます。
 オシポビッチ市の人口は3万7000人だそうです。そのうちの2000人の児童がこのセンターに通っている、ということはこの街に住む子どものほとんどに当たるわけですね。すごいですね。
 
 オシポビッチ市はミンスクから107キロ。電車で2時間のところにあります。今回私は初めて行きました。
 言ってみるとよくあるベラルーシの地方都市で、センターの演劇クラブの顧問であるイリーナさんによると、
「鉄道交通網の拠点であり、軍関係施設が多いけれど、大きな企業や工場があるわけでもなく、経済的には発展していない町で、若者の人口の流出が目立つ。ミンスクの企業に就職して毎日往復4時間かけて通勤している人もいる。」そうです。
 列車での移動はとても楽で、しかも片道の料金が日本円に直して160円ほど。(@0@)安い! 日本の地下鉄のほうが高いのに、ベラルーシでは100キロも移動できてしまうんですね。

 さて、オシポビッチ青少年創作センターは2000人の子どもが所属するたくさんのクラブがあるため、街のあちこちに分館があります。そのうちの一つは幼稚園を改装した建物で、そこが今回の講演会場でした。
 50席の椅子には地元の子どもたちやセンターでクラブの指導員をしている方々が詰め掛けました。
 そこにはパソコンやプロジェクターやスクリーンなどもちゃんとあり、日本文化情報センターがある我が児童図書館より、設備が整っていました。(^^;)
 講演が始まる前には会場に喜多郎のシンセサイザー音楽が流されました。
(ベラルーシの地方都市を侮ることなかれ・・・。)

 今回は初めての講演でしたので、日本のことを紹介できる文献、ポスター、展示品などを持って行き、会場の皆さんの前でそれを説明しながら、日本文化についてお話しました。講演後は展示品はこのセンターに寄贈しました。
 ちゃんと展示ケースを設置して飾り、センターに来る子どもたちが見られるようにするというお話でした。
 寄贈した展示品は、舞妓さんの日本人形、日本の風景や生け花のポスター、藍染の手ぬぐい、折り紙の雛人形、五月人形飾り皿、いろはカルタ、お箸などです。
 これらの寄贈品を寄贈してくださった日本人の皆様に厚くお礼お申し上げます。
 心のこもった寄贈品の数々が今回オシポビッチ市に旅立ちました。

 会場に来た方々からは活発な質問がありました。
「今でも女の子の足を小さくする習慣がありますか。」(これは中国の纏足ですね・・・。)という質問もありましたが、なぜか
「お正月はツリーを飾るの?」
「どんなプレゼントを子どもにあげるの?」
「お正月はどんな料理を食べるの?」
とお正月のことをたくさんきかれました。
 オシポビッチの人はお正月が好きなんですね。

 他にもプロジェクターを使ってスクリーンに浮世絵などの絵画を映して、日本の美術について紹介しました。
 参加された方からは「大変おもしろかった。またオシポビッチに来てほしい。」と強い要望が出されました。
 子どもたちも講演後、寄贈したお箸を手に持って
「持ち方はこれでいいの?」
と質問していました。

 このように日本について興味を持ってくれるベラルーシ人が多いことは大変嬉しいことですね。 
 オシポビッチ青少年創作センターからは子どもたちの手作りであり、またベラルーシの伝統工芸品であるわらの花を記念品としていただきました。(画像をご覧ください。)わらで作った鳥や天使までついているんです。
 
 地元在住の画家の方(とても芭蕉や北斎などに詳しい。)ともお知り合いになれ、大変楽しい時間を過ごすことができました。また機会があればぜひオシポビッチに行きたいと思いました。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第97回」

2009-10-17 |   ビタペクト配布活動
 10月16日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第97回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を7個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1653個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1360部となりました。
  
 今回で通算107回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1653人分のビタペクト2、そして1360家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回は3家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのお母さんにお話を伺いました。

(家族A)

 ノボポーロツク(チェルノブイリ原発から約470キロ)から来た家族。お母さんが3人の実子と1人の洗礼子を連れてきていました。洗礼子は先月、ノボポーロツクからミンスクに引っ越したそうです。
 この家族には4個のビタペクト2を渡しました。それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時13歳)18ベクレル
長男(11歳) 25ベクレル ○
長女 (7歳) 22ベクレル ○
次男 (3歳) 32ベクレル ○
洗礼子(11歳)31ベクレル ○

 長男は9歳から糖尿病にかかっています。ノボポーロツクにも糖尿病児童協会があるそうで、現在の会員は24人だそうです。モズィリとよく似た状況で、インスリン用注射針とインスリンは病院から無料でもらっていますが、血糖値の検査紙は自分たちで購入しているそうです。しかし経済的に余裕がない家庭が多いため、実際には1日5回血糖値を調べないといけないのに、検査紙を節約するため1回だけですませており
「これではちゃんとした血糖値が分からなくて困っている。」
とお母さんは話していました。
 ビタペクト2の成分表も食い入るように眺めて
「ティースプーン1杯の量だと、血糖値は・・・。」
と計算していました。
 ビタペクト2は糖尿病患者でも摂取できるように作られているので安心です。
 
 お母さんの話によるとベラルーシに現在1400人の糖尿病児童がおり、完全に治らないことから人生を悲観してしまう家庭や、子どもが発病してから経済的に困ってしまう家庭が多く、問題になっているということでした。
 ベラルーシ中の糖尿病児童を支援するのは無理としても、ノボポーロツクの子どもだけでも1回ぐらい支援ができないものか・・・と思いました。


(家族B)

 モギリョフ市(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た家族。この家族には1個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時7歳)24ベクレル
長女(2歳11ヶ月)21ベクレル ○
次女(7ヶ月)0ベクレル

 子どもたちは比較的健康、ということでした。ビタペクト2は3歳以下の子どもは飲まないように言われているのですが
「来月3歳になるから。」
とお母さんに頼まれ、またSOS子ども村のリリヤ先生が大丈夫でしょう、という判断をしたため、ビタペクト2を渡しました。
 もし下痢などを起こした場合は、残ったビタペクト2は、やはり放射能値が高めだったお母さんが飲むことになりました。


(家族C)

 ミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。
 この家族は2003年にも保養滞在したオリガさん一家です。
 初めてお会いしたときの様子はこちらでレポートしています。(HP「ベラルーシの部屋」「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第9回」)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/no9.html


 2003年11月に初めて測定したときの体内放射能値の結果は以下のとおりでした。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時11歳)12ベクレル
長男 24ベクレル ○
長女 21ベクレル ○
次男 40ベクレル ○
(三男はこのときお母さんのお腹の中にいました。)

 その後この家族はミンスク市に住んでいるということで、2004年4月に再測定をチロ基金からお願いしています。
 その結果は全員0ベクレルでした。そのときの詳細はこちらでレポートしています。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2004/origa.html


 そして今回の体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親 17ベクレル
長男(12歳) 0ベクレル 
長女(10歳)24ベクレル ○
次男 (7歳)25ベクレル ○
三男 (6歳)19ベクレル 

 やはり5年近く経過し、再び体内に放射能がたまってしまったようです。 子どもたちは全員病気がちだそうです。
 長女は昨年ドイツで心臓の手術を受けたそうです。そのおかげでだいぶ体調はよくなったそうです。次男はまだ7歳なのにすでに2回心臓の手術を受けました。お母さんは大変そうでした。

 しかし、以前にもレポートしましたが、この家族は子どもがたくさんいるのに、一部屋のアパート暮らしをしていたのです。
「あの、今でもひょっとしてあのアパートに住んでいるんですか?」
と尋ねると
「多子家庭に国から3部屋のアパートが支給されることになって、順番を待っていたのですが、やっと引越しできたんです!」
とお母さんが喜びのニュースを話してくれました。ああ、よかったと思ってよく話を聞いたら、アパートがもらえたのは、先月。(子どもがこんなに大きくなっているのにどうやって今まで一部屋で暮らしていたの?)
 さらには割安だそうですが40年ローンだそうです。
 でもお母さんはとても喜んでいて、
「台所が急に広くなったから大きいテーブルも買わないと。今まで小さいテーブルで順番に食事をしていたの。今度遊びに来て。」
と目を輝かせていました。本当によかったです。
 
 あのとても体の弱い妹さんは、その後大学生になり、交換留学生としてドイツへ行くほど優秀だったのですが、歯がほとんど抜けてしまったため、現在総入れ歯を入れたそうです。20代前半で総入れ歯、というのも大変ですが、食事がちゃんと摂れないとますます病気になってしまいますよね。

 しかしいろいろ大変なこともありますが、以前よりお母さんの表情が明るくなっていて見ている私もうれしくなりました。長く活動を続けていて一番うれしいのはこのようにいい方向にいった家族を見ることですね。
 
 今回もいつものように子ども達に折り紙、日本の絵葉書などをプレゼントしました。
 絵葉書の裏に日本語で名前を書いてあげたら、とても喜んでいました。
 お母さんたちからは「どうやってこんなに難しい文字を日本人は覚えているの?」「日本の学校はどんなふうに勉強を教えているの?」ときかれました。

 オリガさんの長男は
「前に会ったときに折鶴の作り方を教えてもらったけど、できなかった・・・。」
と言ったので、私が見本として一つ鶴を折ると、子どもたちから拍手が・・・
 折鶴を作っただけで拍手されるとは・・・日本人の皆様、ベラルーシへ行ったら、ベラルーシ人の目の前でぜひ鶴を作ってみてください。

 画像は記念撮影のようすです。何と言っても数年ぶりに再会した子どもたちが見違えるほど大きく成長しているのを見るほどうれしいことはありません。
 オリガさん一家の長男君を見たときはあまりの背の高さにびっくり仰天しました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。

 今回子どもたちに渡した7個のビタペクト2のうち、1個を購入するために、CD「月と日」の売上金1枚分を充てました。
 ベラルーシ語で歌う日本の歌が収録されたCD「月と日」を1枚購入すると、その売上金の一部がビタペクト2を1個の購入する費用としてチロ基金に還元されます。
 CD1枚の売り上げが、ビタペクト1個分、つまりべラルーシのチェルノブイリ原発事故の被災児1人に無料で渡すというこの活動につながっています。
 CD「月と日」について詳しくはこちらです。(HP「ベラルーシの部屋」内)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 京都にあるヨーロッパ輸入雑貨店「Vesna!」店頭やそのネットショッピングで購入できます。購入をご希望の方、詳しくはこちらをご覧ください。

http://vesna-ltd.com/shop/b_music.html

 どうか皆様のご協力をお願いいたします。

 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

名誉女性区民に選ばれました

2009-10-15 | チロ基金
 私はベラルーシの首都ミンスクの中でもペルボマイスキー区という区内で居住し、また働いています。
 そして区内に住んでいる人の中から名誉区民が選ばれているのですが、今年そのうちの1人として、私が選ばれました。

 10月14日はベラルーシでは母の日です。この日に名誉区民のうち女性をお祝いすることになりました。
 しかも日本文化情報センターがある第5児童図書館内に、フォトギャラリーが開設され、名誉女性区民のポートレート写真が飾られることになりました。
 そのオープニングセレモニーも母の日に行われました。
 この画像はフォトギャラリーでの記念撮影です。私がシャッターを押したので自分自身は写っていませんが、ほかにも名誉女性区民ではない人や子ども(^^;)も写っていますのでご注意ください。
 (ちなみに私のポートレート写真は向かい側の壁のほうに展示されています。)

 名誉女性区民は約30人いるのですが、選ばれている方々というのは、まず第2次世界大戦時に従軍看護婦だった方、科学アカデミー会員、有名企業勤続40年で高い技術を持った方などなど・・・です。
 正直言ってベラルーシ人でもない私がどうして選ばれたのかよく分かりません。

 最初この話があったときも、辞退したのですが受け入れられず、詳しい履歴書の提出を求められました。
 チロ基金で行ってきた子どもたちに対する支援活動が評価されたのだと思います。
 しかしそれは私一人の力でできたことではなく、チロ基金に寄付してくださったり、そのほか有形無形の支援をしてくださった日本人の方々がいたからこそ、活動ができたのです。
 
 今回は私の名前が名誉女性区民に選ばれましたが、本当は私一人ではなく、チロ基金の活動を支えてくださった日本人の方々が、ベラルーシで評価され、このような形で感謝されたのだと思っています。
 それをここに謹んでご報告いたします。

 名誉女性区民に選ばれた人は長年にわたっての専門職への従事、地域社会への貢献が評価された方たちばかりです。
 私は10年ほど続けただけで名誉女性区民の間に名を連ねることができたわけですが、これは他の方と比べると本当に少ない年月です。
 これからも長くチロ基金の活動を続けていきたいという気持ちを新たにしました。
 

日本文化情報センター創立10周年記念式典 (16) 「ベラルーシのマスコミによる紹介」

2009-10-08 | 日本文化情報センター
 日本文化情報センター創立10周年記念式典から一ヶ月。ベラルーシのマスコミによる報道が、少しずつネット上で閲覧できるようになりました。
 記事そのものは全てロシア語ですが、画像もついていますので、日本人の皆様もぜひご覧ください。

「ペルボマイスキー新聞」

http://www.vpr.by/ru/issues?art_id=1260


「夕刊ミンスク」

http://www.vminsk.by/news/21/58607/

(ただし、画像は去年SOS子ども村で実施した茶の湯の様子です。)

「ミンスク 第17ギムナジア 学校ニュース」

http://gymn17.minsk.edu.by/