ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第139回」

2012-09-07 |   ビタペクト配布活動
 9月7日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第139回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は1953個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1780部となりました。
 今回で通算150回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、1953人の子どもにビタペクトを、1780家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a



 今回は1家族、10人の子どもたちががボブルイスク(チェルノブイリ原発から約200キロ)から保養に来ていました。
 この家族は家庭タイプ孤児院の家族です。里親がたくさんの里子を育てています。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時26歳)15ベクレル
女子(18歳)15ベクレル
女子(15歳)25ベクレル ○
男子(14歳)24ベクレル ○
女子(13歳)31ベクレル ○
女子(12歳)37ベクレル ○
男子(10歳)22ベクレル ○
女子(10歳)19ベクレル △
男子 (8歳)33ベクレル ○
女子 (6歳)25ベクレル ○
男子 (5歳)19ベクレル △

 △印の子どもが2人いますが、これは20ベクレル以下だったものの、19ベクレルだったので、2人で1個のビタペクト3を飲むことにしたものです。
 子どもたちのうち、14歳の男の子と5歳の男の子は実の兄弟、10歳の男の子と女の子は双子、8歳の男の子と6歳の女の子は実の兄妹です。

 子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。

 15歳の女の子は片方の耳がよく中耳炎を起こしていましたが、現在はよくなっています。

 13歳の女の子は甲状腺の大きさが小さすぎるそうです。生まれつき小さいのか、それとも成長にともない大きくなるはずの甲状腺が大きくならないのかよく分かりません。このまま極端に小さいままだと、将来不妊症になる可能性があると、医者に言われたそうです。イタリアへ保養に行ったとき、診察を受けましたが、もう少しようすを見て、大きくなるかどうか待ってみて、それでもだめな場合はホルモン剤の投与をするように言われたそうです。
 
 10歳の双子は2人とも貧血気味です。女の子の方は中耳炎もよく起こし、聴覚が低下しつつあります。また斜視です。

 8歳の男の子も斜視です。アデノイド切除の手術を受けました。引き取られていたときはとても痩せていたそうです。育てのお母さんがそばにいないと情緒不安定になっていたそうです。食事中に失禁してしまうことがあるそうですが、本人は自覚がありません。でもお母さんがいるところでは、失禁などはしないそうです。
 以前はいわゆる窃盗癖があったそうです。窃盗というより、目にしたものを何でも手に取ってしまい、そのまま持って帰ろうとしてしまう感じでしょうか。
 
 6歳の女の子も斜視です。慢性気管支炎、鼻血がよく出ます。3歳のときにこの家に引き取られましたが、生家のほうでは育児放棄されていたらしく、体重が8キロしかなかったそうです。
 言葉はもちろん、歩くこともできませんでした。寝ているときはいびきのような呼吸をしていたそうです。
 それまで食べていた食事とちがっていたのか、育てのお母さんが作った手料理は、全て吐いていました。(今はそのようなことはありません。)
 今は育ての親の元、平穏に暮らしていますが、あるときお母さんが料理中に
「(危ないので)ちょっと離れていて。」
とこの子に言ったとき、引き取られた家から追い出されてしまうのかと勘違いし、驚きのあまり気絶して倒れ、呼吸まで止まってしまったので、あわてて救急車を呼んだそうです。
 生みの親の元ではどんな生活を送っていたのでしょうか・・・。
  
 5歳の男の子はとても成長が遅かったそうですが、現在はよくなっているそうです。

 斜視の子どもが多いのですが、このような斜視や弱視の子どもが通う専門の幼稚園があり、この家族の子どもで斜視の子どもはその幼稚園に通園中、あるいは通園していたそうです。

 18歳の女の子はよく風邪をひくそうです。母親はアルコール中毒患者だったそうで、育児放棄状態でした。5歳前後、いわゆる物乞いをして食べ物を見知らぬ人からもらっては食べていたそうです。
 小学校に入学するのも1年遅れてしまいました。その頃、保護されて今の養親の下へ引き取られました。幼少時に極端な栄養不足にあったと思われます。また母親が妊娠中に大量のアルコール摂取をしていたものと考えられますが、そのせいか、知能に問題があります。
 普通に会話もできるし、一見普通の高校生ですが、自分の名前を正しく書くことができません。また数字が1から12までしか分からないそうです。
 両手の指を使って一桁の足し算ならできるのですが、それ以上の計算はできないし、桁というのものが理解できないようです。
 読書は好きでたくさんの本を読んでいますが、内容を覚えることがほとんどできません。
 書く文字は鏡に写したような文字になったり、右から左へ横方向に書いてしまうこともあるそうです。
 お父さんもお母さんも学校の先生も専門家も「お手上げ」状態だそうです。
 引き取られた直後は情緒不安定だったので、お母さんが絵をかくことを教えました。その結果おとなしく何時間も絵を描くことが多くなり、とても上達しました。作品を見せてもらったのですが、自分で描いた絵を切り取って切り絵にしていました。
 驚くほど上手な絵でした。算数の才能はないけれど代わりに絵の才能はあるのです。
 お母さんは何とかして美術の専門学校に入学させたいと考えていますが、自分の名前も満足に書けないので、心配しています。
 とにかく絵の才能を生かせる職業に就いて自立していけるようになればいいのですが・・・
 本人は「最近は建築に興味がある。」と話していて、金閣寺の写真を見せたら、大喜びでした。
 おそらくこれは学習障害(LD)だと思うのですが、(間違っていたらすみません。)本人は
「自分は名前が書けない。数字が分からない。」
という自覚がちゃんとあります。そのため、「私は頭が悪いから・・・」とか「できない子だから・・・」と悩んでいる様子を見せることもあるそうです。
 そのためか、「高校を卒業したら親に捨てられるだろう。」と考え、涙を流すこともあるそうです。育てのお母さんは「そんなことをするわけがないでしょ。」と話しているそうです。
 得意の絵の道に進んでいけたら、コンプレックスも消え、捨てられる、と泣くこともなくなると思うのですが・・・。

 それにしても育ての両親は献身的に子どもたちを育てていますね。頭が下がります。
 お父さんは保養に来ていなかったのでお会いできませんでしたが、このような家庭タイプの孤児院を始める前は自分の子どもを育てる普通のお父さんで、仕事もエンジニアなのだそうです。
 しかし里子を育て始めてから、
「子どもの心のことを勉強しないといけない。」
と痛感し、大学の夜学を受験して、心理学部に入学しました。仕事を続けながら、勉強し卒業したそうです。
 立派なお父さんですね。機会があればいつかお会いしてお話を伺いたいと思いました。

 この一家ではすでに20人以上の里子が育てられました。大人になって自立して結婚し自分の家庭を持った人もいます。

 今回も子どもたちに日本からのプレゼントを渡しました。きれいな絵葉書、折鶴、折り紙用の紙、お母さんにはアクリルたわしなどです。古い着物をほどいて巾着袋にして寄贈してくださった方がいたので、それも渡すと大変喜んでいました。
 そして今回から新しいプレゼントを渡すことになりました。
 名づけて「千羽鶴プロジェクト」。詳細はこの後の記事でご説明しますが、折鶴の作り方を説明した紙を1000枚用意しました。これからベラルーシの子ども達1000人に1枚ずつ渡して、折鶴を広める企画です。

 子どもたちからも絵のプレゼントをもらいました。切り絵と立体画、そして不思議なアイロン画・・・。
 この家族が滞在中にSOS子ども村へ行く予定があるので、そのときアイロン画の作り方を教えてもらいます。
 ブログでご報告しますね。

 日本を紹介するお話もしました。みんな熱心に耳を傾けていました。でも漢字の話をするととても驚いていて
「どうやったらこんな難しい字をたくさん覚えられるの?」
と言っていました。
 みんなお行儀がよくて、お母さんのしつけの仕方が上手なんだなと思いました。
 画像は記念撮影したようすです。すばらしい養母の元、子ども達みんな心身ともに健康に育っていくだろうな、と思いました。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙やアクリルたわしなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。