ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ミンスクの空港で日本人が武器所有のため拘束

2016-09-30 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2016年9月23日付 産経ニュース

日本人が武器所持容疑で拘束 ベラルーシの空港、かばんからカラシニコフや光学照準器

 ベラルーシの首都ミンスクの空港で日本人男性が武器を所持していたとして当局に拘束された。インタファクス通信が23日、報じた。

 ミンスクは男性がウクライナからアラブ首長国連邦に向かう乗り継ぎ地で、かばんの中から自動小銃カラシニコフや拳銃に使う弾倉、実弾、光学照準器などが見つかったという。

 男性が税関職員に武器の入手や移動に関する文書を示すことができず、説明も拒んだため、当局は武器を差し押さえて男性を拘束し、事情を聴いているという。(共同)


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 何を考えているんでしょうね。こんな方法で移動できると思っていたのでしょうか。ベラルーシの空港職員はパワーを持っていますよ
 アラブ首長国連邦に向かおうとしていたそうで、イスラム国がらみか? という見解もありますが、ミンスクからの直行便があるのは、アブダビ。アブダビは乗り継ぎ、つまり中継地点の空港としてよく利用されていますから、この人物はまたどこかへ移動しようとしていたのかもしれません。

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 その後1週間経ちましたが、この日本人がどうなったのか、ベラルーシ国内での報道はありません。
 ベラルーシ国内で身柄拘束されたままだと思います。

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 2018年1月の追記です。
 この日本人の判決が出ました。 4年半の自由剥奪の刑だそうです。
 裁判では、武器を所持していた理由について、このように説明していました。
  
 ウクライナへ友人の招きで旅行に行った。キエフ市内のアンティークショップで武器を販売しているのを見かけた。
 自分は武器のコレクターなので興味を持った。
 店員が「これは本物ではない。実際には使用できない。」と説明したので、それを信じて自分のコレクションに加えようと考え、一式購入。
 ウクライナを出国するときも、本物ではないから問題ないと思っていた。税関は特に咎めなかった。そのまま機内へ。ミンスク空港でも問題ないと思っていたら、「これは本物だ。使用可能の銃だ。」と言われ、身柄を拘束された。

 ちなみに刑務所ではなくコロニー(矯正施設)に入所するそうですが、刑務所と実質違いがありません。
 それから、身柄拘束されてから判決が出るまでの期間もこの4年半の中に入ります。なので、2020年4月には出所できるのではないでしょうか。
 また軽犯罪なので、恩赦が出れば、もっと早く出られる可能性があります。

 銃については詳しいS夫に言わせると、武器コレクターが本物の銃とモデルガン、実弾と練習用の弾との区別がつかなかった、と言うのは疑問が残る、ということでした。
 
 一か八かで持ち出してみた、というのが真相である気がします。
 もし見つかっても、没収されるだけで、身柄拘束されてもすぐ解放されるだろうと甘く考えていたら、意外とベラルーシの法律が厳しかった、ということではないでしょうか。

 ウクライナの空港もいい加減ですね。
 武器を手荷物に入れて持っている乗客を飛行機に乗せないように阻止するのが常識だと思いますが。
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第199回」

2016-09-26 |   ビタペクト配布活動
 9月26日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第199目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を9個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2462個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2146部となりました。
 今回で通算215回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2462人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2146家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。


(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



  今回はミンスク市(チェルノブイリ原発から約350キロ)から2家族が保養に来ていました。

(家族A)

 お母さんが実子5人を引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2014年2月にもSOS子ども村へ保養に来ていたことがあります。
 そのときの様子はこちらです。
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第173回」(家族B)

 前回と今回の測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時11歳) 9ベクレル → 13ベクレル
長女(13歳) 34ベクレル ○ → 26ベクレル ○
次男(10歳) 32ベクレル ○ → 17ベクレル
三男 (7歳) 28ベクレル ○ → 30ベクレル ○
次女 (5歳) 26ベクレル ○ → 28ベクレル ○
四男 (2歳)(今回初測定)15ベクレル

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 みんな比較的健康で、2歳の四男が一番小さいけど一番元気だとお母さんは話していました。
 前回数値が高いほうだった次男の結果が今回よくて、お母さんは喜んでいました。しかも次男はびビタペクト3の味が大好きで、「今回はビタペクト3もらえないの? 残念・・・。」と言っていました。
 一方長女は前回ビタペクト3を飲んでおいしくなかったと話していました。それで途中で飲むのをやめてしまい、残りを次男がかじっていたそうです。
 長女は「私はまだ子どもだった。」そうで、今回はがんばって最後まで飲んでみると話していました。


(家族B)

 お母さんが6人の実子を引率していました。この家族には6個のビタペクト3を渡しました。
 測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時12歳) 18ベクレル 
長男(12歳)27ベクレル ○ 
次男 (9歳)21ベクレル ○ 
三男 (8歳)28ベクレル ○ 
次女 (8歳)22ベクレル ○ 
四男 (3歳)23ベクレル ○
三女 (2歳)30ベクレル ○

 子ども達はみんな健康と言うことでしたが、結果がよくないことをお母さんは心配していました。
 この一家はミンスク生まれのミンスク育ちですが、最近ミンスク郊外の一軒屋に引っ越したそうです。
 その隣の家ではヤギを飼っており、そのヤギ乳を安くで分けてもらっているそうです。それを毎日子ども達は飲んでおり、(お母さんはヤギ乳の味が好きではないので飲んでいません。)それが内部被爆の原因ではないかと話していました。
 そのヤギ乳を測定したことは一度もないそうです。
 確かにミンスク郊外なんて、汚染地域に指定されたこともないし、気にすることも全くなかったでしょう。
 今回子どもの内部被爆を調べて驚いていましたが、近いうちに市場へ行ってヤギ乳の測定をするとお母さんは話していました。
 一度調べたほうが絶対にいいですよね。

 画像は記念撮影したようすです。ただ小さい子ども達はお昼寝中で写っていません。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いたカード、お母さんにはちりめん小物入れをプレゼントしました。

前にも保養滞在していた子どもたちは「折鶴作れたよ。」と報告していました。今回初めて滞在するもう一つの家族の子どもたちも上手に教えてくれることでしょう。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、小物入れなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


新美南吉ロシア語版童話集がモロジェチノの図書館へ

2016-09-23 |   新美南吉
 新美南吉ロシア語訳童話集「ごんぎつね」がモロジェチノ市にある図書館に寄贈されました。
 9月23日モロジェチノ市中央図書館の招待により、モロジェチノ市のベラソーク図書館で、新美南吉童話の紹介と朗読会が行われました。
 会場には地元の高校生と療養所学校に在籍する中学生と高校生が70人出席しました。以前、南吉童話を読んでいた図書館員さんが、
「この童話は小さい子供向けではないと思います。なので高校生を中心にします。」
と判断していたからです。

 「でんでんむしのかなしみ」と「去年の木」を紹介したのですが、こんなの子どもっぽすぎると思われないかしらと心配していました。でも意外にも一生懸命聞いてくれました。
 その前に新美南吉さんの大変な人生(生母と幼くして死別。結核にかかってしまう。)などを話していたからだと思います。
 ハイティーンの方々が多かったので、南吉さんの初恋の話もしました。(これもハッピーエンドではないのですが。)
 
 さらに図書館員さんが南吉クイズを出して、正解が一番多かった人には商品として「ごんぎつね」を1冊進呈することにしていたのです。
 例えば「新美南吉が生まれた場所は?」という問題を出します、と図書館員さんは話していたのですが、「日本語の固有名詞? ベラルーシ人にとっては覚えにくくて、難しすぎやしませんか。」
などと私は言っていたのです。
 でもまあ、クイズで勝敗を決めないといけないのだから、少々難しい問題が混じっていてもいいか、などとも考えていました。
 いざ蓋を開けてみると、すごいすごい。
「新美南吉が生まれた町は?」(厳密に言うと現在の行政区分で)
「ハンダ!」
「正解! 半田市の近くにある大きな日本の都市名は?」
「ナゴヤ!」
「正解! 新美南吉のお父さんが作っていたものは?」
「タタミ!」
「正解! 代表作『ごんぎつね』を書いたとき、新美南吉は何歳だった?」
「17歳!」
「正解! 短い生涯の中で新美南吉が書いた童話の数は全部で何作?」
「123作!」
「正解!」
 ・・・記憶力の天才ばかりが会場に集まっているのかと思いました。もちろんメモなどつけていた人はいませんでしたよ。

 とうとう最後に3人が残りました。さすがにこれは難しいだろうと思いながら私が出題。
「新美南吉さんの旧姓は?」
「・・・。」
「旧姓の頭文字は?」
「Wです。」
 新美南吉の旧姓は「渡辺」なので、正解です!
 これを答えた高校生のユーリャさんが優勝。「ごんぎつね」を進呈しました。

 ちなみにユーリャさんは療養所学校に在籍していますが、この療養所学校とは何かと言うと、特定の持病がある子どもを集めた学校で寮もあり、そこで治療を受けながら生活そして通学もするという特別な学校です。
 今回生徒さんが来てくださった学校は背骨の矯正をする学校だそうです。
 (他にも結核にかかっていた生徒が通う学校や、視覚や聴覚など障害を抱えている子どもが通う学校もあります。)

 しかもユーリャさんはモロジェチノの出身ではなく、クループキの出身だそうで、かなり学校と実家が離れています。
 つまりミンスク州に住んでいる子どもで背骨に問題がある子どもは、モロジェチノにある療養所学校、一箇所に集められている、ということです。
 治療が終わってよくなれば、家に帰り、地元の学校に通い始めます。治療のために親元を離れて寮生活なんて、大変だろうなと思いました。

 画像は記念撮影したものです。療養所学校のみなさんと撮影しました。本を持っているのは学校の図書室の司書の方です。

 南吉さんも闘病しながら文筆活動を続けていたので、その作品をこの学校の生徒さんたちはよく理解して読んでくれるのではないかと思いましたので、この学校の図書室にも「ごんぎつね」を寄贈しました。

 このほかモロジェチノ中央図書館のご協力により、中央図書館はもちろんモロジェチノ周辺の図書館にも「ごんぎつね」を寄贈することができました。

 南吉童話がまたベラルーシで広がっていきました。
 これからも各地の図書館を通じて、この活動を続けます。 

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 追記です。
 現地の新聞の取材記事がネット上で読めます。
 (ただし全てベラルーシ語です。)リンク先はこちらです。
 

パナソニックのテレビがベラルーシで製造されることに

2016-09-10 | ベラルーシ生活
 せっかくなので明るいニュースもどうぞ。

 日本のメーカー、パナソニックがベラルーシでテレビの製造と販売を開始するそうです。
 来月にはベラルーシ国内でベラルーシで組み立てられたパナソニックのテレビが販売される予定。
 もうすぐ! 思わずテレビを買い換えようかと思ってしまいました。(現在我が家で使っているテレビもパナソニック)(^^;)

 さらにベラルーシを拠点にして、周辺国への売り込みも計画中だそうです。
 やっと日本企業もベラルーシの利点に気がついたか・・・とも思いましたが、不利な点もいろいろあるので、クリアーしないといけない問題もありますね。
 でも将来的にもっと日本企業がベラルーシに進出してほしいなあと思います。

ベラルーシパラリンピック委員会の関係者がパラリンピック開会式でロシア国旗掲げる

2016-09-09 | ベラルーシ生活
 NHKニュースWEBより。

 パラリンピック開会式でロシア国旗掲げパス剥奪

9月9日 4時02分

7日に行われたリオデジャネイロパラリンピックの開会式で、ベラルーシパラリンピック委員会の関係者が、組織的なドーピングで大会に参加できないロシアの国旗を掲げて入場行進し、IPC=国際パラリンピック委員会は、政治的な活動を行ったとして、この関係者のパスを剥奪しました。

これはIPCが8日発表しました。
それによりますと、この関係者は7日行われたパラリンピックの開会式で、組織的なドーピング問題で大会に参加できないロシアの国旗を掲げて、入場行進したということです。
IPCは「政治的な活動を行った」として、パスを取り上げました。
IPCによりますと、この関係者は、ベラルーシパラリンピック委員会の会長のゲストとしてパスを発行され、開会式の入場行進に参加したということです。
IPCのクレイグ・スペンス広報部長は「今回、ロシア国旗を掲げた人物は、選手やコーチではなかったので、資格を剥奪して終わりとする。IPCは政治的活動を許さないし、再発した場合には何らかの措置を取る」と話しています。

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 9月8日にリオでいよいよパラリンピックが始まりました。
 選手たちの活躍に期待・・・と思っていたら飛び込んできたこのニュース。

 パラリンピック開会式に参加したことのあるS夫は「どんな旗をもっていたとしても選手の自由だ。」とか言っていましたが、実際にはベラルーシパラリンピック委員会の会長の「ゲスト」さんだそうですね。
 何者? と思いましたし、ひょっとしてこのためにわざわざゲストになった人なのか? と思いました。

 開会式にやっぱり他の国の国旗を持って入場するのはよくないですよ。
 (ただでさえ、ベラルーシはロシアの一部だと勘違いしている人がたくさんいるんだから、困るなあ
。)

 IPCの決断は当然だと思います。
 一方ロシアではネット上などで「ベラルーシ、ありがとう!」と感謝する声が多いです。

 確かにオリンピックのほうはドーピング問題で参加できた選手とできなかった選手がいましたが、パラリンピックでは全員出場できず、私としては、ドーピングなどせずまじめに練習していた選手も少しはいたはずでは・・・などと思います。
 そういう選手のためには今回の事件は慰めに多少はなったかもしれません。

 でも、やっぱり旗だけ行進してもしょうがないですよ。
 選手自身が参加できないんだったら。

 結局はロシアの選手のためではなく、IPCへの抗議のつもりの旗ですね。それをロシアじゃなくてベラルーシがしているのが変に感じます。だからこんなことはするべきではありませんでした。
 (選手がやってなくてまだよかったです。)
 
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 追記です。(日本時間では9月10日)

 上記の人物(ベラルーシパラリンピック委員会の会長の友達)の氏名が公表され、現在ブラジルからベラルーシへ移動中だそうです。
 このほかにもさらに1名、ベラルーシパラリンピックチームの役員の1名がパスを剥奪されました。しかしこちらの氏名は公表されていません。もうすぐ帰国するでしょう。
 
 こちらでは「ロシアの国旗を掲げたのは、ベラルーシ選手団の総意だった。」「いやちがう。」「車椅子の選手も複数名ロシア国旗を持っていたが、開会式前に没収されていた。」「ロシア人は喜んでいる。」などなどの話が飛んでいます。

 ロシア国旗を掲げて入場したのは、元ソ連のスポーツ選手でベラルーシのスポーツ省で働いた後、国立オリンピック陸上センターのトップをしているそうです。
 つまりベラルーシのオリンピック出場レベルの陸上選手が練習している施設の長ですね。
 ロシアのパラリンピックの選手が、全員ドーピング疑惑で出場できないことに心を痛めており、抗議の気持ちを表現したとのこと。誰に対する抗議と言えば、IOCなわけですから、開会式そのものを開催している機関に対し、開会式に参加しつつ抗議したのだから、スポーツの場を政治利用している云々というより、やはり礼儀を失していますよ。
 別な方法もあったでしょうに。
 一方で出場停止はロシアの問題。ロシアとベラルーシは別の国家です。この人はベラルーシのスポーツ関係者なのだから、今回の行動はやはり間違っていると思います。 
 
 

ベラルーシ在住ダゲスタン人彫刻家

2016-09-08 | ベラルーシ生活
 先日、日本文化情報センターが入っているミンスク市立第5児童図書館でベラルーシの児童文学家を迎えたイベントがありました。
 そこにゲストとしてベラルーシ在住ダゲスタン人彫刻家であるヒズリ・アサドゥラエフさんが来館しました。
 日本文化情報センターも訪問してくれたのですが、突然私に話し始めました。

 5年前東日本大震災が起きたことをニュースで知り、非常に心が痛んだため、何かできることはないかと考えて自宅に飾っていた自作の彫刻作品をオークションにかけたそうです。
 売れた値段はすぐに日本の被災者のために全額寄付。
 しかし寄付したことは今まで誰にも言わなかったそうです。
 そして今日、ひょっこり日本文化情報センターというところを訪問し、日本人(私)に出会って、急にこの話をしたくなったそうです。

 アサドゥラエフさん、ありがとうございます。

 ダゲスタン共和国出身の人がこんなことを日本人被災者のためにしてくれていたんですね・・・。

 この事実を知っている日本人はほとんどいない(本人も今まで黙っていたそうなので)と思いますので、このブログ上でご紹介することにしました。

 ヒズリ・アサドゥラエフさんはダゲスタンの出身ですが、1981年からベラルーシ在住で、彫刻の作品はアメリカやオーストラリアにもあるそうです。
 チェルノブイリ原発事故で消火活動に当たった消防士の像も制作しており、これはモスクワにあるそうです。
 ・・・といった情報はウィキペディアで読んだのですが、ロシア語版しかないので、ベラルーシの今年4月のこちらのテレビニュースを映像をどうぞ。

 今年60歳になったのを記念しての彫刻展だそうです。ご本人もインタビューに答えています。関心のある方はぜひご覧ください。(ただしこれも全てロシア語です。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第198回」

2016-09-05 |   ビタペクト配布活動
 9月5日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第198回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を8個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを2部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2453個、セルロースの合計は82個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2144部となりました。
 今回で通算214回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2453人の子どもにビタペクトを、約73人の子どもにセルロースを、2144家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。


(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



  今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から2家族が保養に来ていました。

(家族A)

 お母さんが実子4人と姪2人を引率していました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。それぞれの内部被爆の結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。 

母親(チェルノブイリ事故発生時3歳)13ベクレル
女子(15歳)25ベクレル ○
女子 (5歳)19ベクレル ○
男子 (3歳) 7ベクレル
姪  (8歳) 6ベクレル
姪  (5歳)26ベクレル ○

 この一家には1歳の女の子がいますが、WBCにじっと座れなかったので測定を受けていません。
 子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。みんな比較的健康ですが、冬場には気管支炎になったり、かんきつ類のアレルギーがあったりします。

 お母さんは足に瘤ができたのですが、数年前に除去手術をして、成功したそうです。今は低血圧が悩みだそうです。

 ゴメリ郊外の一軒屋で暮らしており、広い畑でいろいろな野菜を作っていますが、放射能を測定したことはありません。しかしこの保養に来て被爆のことが気になったので、一度野菜を測定をしたいと話していました。

 このお母さんのお父さんはチェルノブイリ原発から20キロにある村の出身で、事故が起きたときはゴメリに引っ越していたのですが、事故後ふるさとの村が強制移住対象地域になり、無人になってしまいました。
 お父さん(こどもたちのおじいちゃん)は1年に1度許可をもらって親戚と先祖の墓参りに行くそうです。
 しかしお母さんも子どもたちも放射能が危険なので一度もお墓参りに行ったことがなく、また行きたくないということでした。


 (家族B)

 お母さんが実子1人、養女1人、姪2人、親戚3人と友人の子ども1人を引率していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。それぞれの内部被爆の結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。 

母親(チェルノブイリ事故発生時9歳)12ベクレル
女子 (7歳)25ベクレル ○
養女 (7歳)19ベクレル ○
姪 (11歳)20ベクレル ○
姪  (7歳)26ベクレル ○
男子(12歳) 4ベクレル
女子 (6歳) 8ベクレル
女子 (5歳) 7ベクレル
男子(13歳)23ベクレル ○

 11歳と7歳の姪は姉妹です。
 12歳の男の子と6歳と5歳の女の子は兄妹です。
 13歳の男の子は友人の子どもです。

 7才の女の子は甲状腺腫が見られ、3年間検査を受け続けましたが、大きさは大きくもならず小さくもならず、変化はないそうです。もし今後大きくなったら、手術を受けなくてはいけないのかとお母さんは心配していました。
 
 養女は生まれつき口蓋裂でしたが、手術をして成功し身体障害者認定も取り消されました。一方で毎年イタリアへ優先的に保養に招かれており、慢性気管支炎も治ったそうです。
 イタリアでの保養では以前はWBCでの測定がありましたが、ここ数年は測定していないそうです。
 口蓋烈後の手術後、イタリアでは補強用の器具を無償で口の中に入れてくれたそうです。

 12歳の親戚の男の子は喘息を持っています。
 6歳の親戚の女の子は腎臓病で、アレルギー体質です。

 13歳の男の子はいろんな病気にしょっちゅうかかるそうです。本人は「自分は病弱だから兵役免除されるからいい。」と話しているそうです。

 お母さん自身は20年間足の関節が痛く、病院に行っても原因が分からないので、放置(がまん)している状態。さらには数年前ガンにかかって手術をしましたが、今のところ再発はしていないそうです。他にも
今は貧血気味ですが、レバーや牛肉を食べるなど食べ物から鉄分を採るよう工夫しているということでした。 
  
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物で作った巾着袋をプレゼントしました。  
 画像は記念撮影した様子です。1人の女の子が恥ずかしがって隠れてしまいましたが、みんなとても仲良く暮らしている様子がうかがえ、お母さんたちも「またこのメンバーで保養に行きたいわ。」と和気藹々でした。

最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。