ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

詩「広島」が論文集に掲載されました

2022-04-04 | ベラルーシ文化
 2020年9月10日に国立ベラルーシ文化芸術大学で第2回ベラルーシ文化国際学術会議が開催される予定だったのが、コロナ禍のせいで延期・・・というより中止となり、論文集上だけの発表となっていました。
 私はベラルーシ文化芸術大学の助教授、ユリヤ・ヤロツカヤ先生と共同論文を執筆しており、その中でベラルーシの詩人シャルヘイ・ジャルハイの詩「広島」をベラルーシ語から日本語に翻訳し、会議では朗読によって発表したかったのですが、その形での発表はできませんでした。
 しかし、論文集の出版が大学側の予算不足により、なかなか実現しないままでいたのです。

 ところが、ようやく1年半後になりましたが、論文集が出版されました。770ページにも及ぶ立派なもので、発行者はベラルーシ科学アカデミーも名を連ねているので、歴史に残る仕事となりました。

 ジャルハイの「広島」だけではなく、マクシム・バフダノヴィチの短歌と詩、5作品とヤンカ・クパーラの詩「Спадчына(祖国)」の拙訳も掲載されて、うれしいです。
 今まで朗読したり、別ブログの電子の世界では発表していましたが、やはり学術機関発行の論文集に掲載されたことは後世の研究資料になるためにも非常に大事なことです。

 (論文集についての詳細は、こちらの別ブログを御覧ください。)
 
 論文集発表までに時間はかかったものの、今隣国で戦争が続いており、また核兵器の脅威にさらされているこの時期に、この論文集が発行されたのも、運命を感じています。

 ジャルハイが詩の中で書いていたように、いつか世界中に花が咲き、再生し、復活する日が来ると信じたいです。

岩の博物館公園

2020-10-06 | ベラルーシ文化

 ミンスク市内に岩の博物館があります。ぱっと見て公園にしか見えませんが、たくさん大きい岩が配置されています。

 ウイキペディアでも記事がありますが、このベラルーシ語のページが一番画像が多かったのでリンク先を貼っておきます。こちらです。

 この公園のおもしろいところは真上から見ると公園の形が地図上のベラルーシの形になっている点です。

 この記事につけた画像は公園の地図なのですが、どうでしょうか? (画像をクリックすると拡大します。)地図上のベラルーシの形に見えますか?

 公園内の遊歩道は、ベラルーシ国内を流れる川を表しており、まとまって配置されている岩はベラルーシの主要都市の位置を表しています。

 石の列は国境です。

 公園の真ん中の小高くなっている場所に置いてある岩は、首都ミンスクを表しています。

 予備知識のない日本人観光客がここへ来ると、

「これはベラルーシのストーンヘンジですか?!」

とびっくりすることもあるのですが、もちろん古代遺跡ではなく、わざと上から見るとベラルーシの形になるように石を並べた公園です。

 「明日をとどける」プロジェクトでのビデオ撮影の多くはこの公園内で撮影しましたが、生徒の中には自分の出身地を表す岩の前で朗読を撮影している人もいます。

 岩の博物館公園は日本文化情報センターが入っているミンスク市立第5児童図書館の真向かいにあります。

 裏手の団地内には小さい児童公園があって、そこに最近急に有名になった「戦う竜の像」もありますので、いつか日本から弊館のある町内に観光に訪れる際には、ぜひお越しください。


テニス全米オープン、アザレンカ選手と大阪選手が決勝へ

2020-09-12 | ベラルーシ文化

 テニスの全米オープンの決勝戦、ヴィクトリヤ・アザレンカ(ベラルーシ)選手と大阪なおみ選手が対決することになりましたね。

 今、ベラルーシは珍しく世界でニュースになっているので、アザレンカ選手応援の声がベラルーシでは大きいです。

 アザレンカ選手はベラルーシのテニス選手ですが、前からベラルーシ国内では練習していません。よりよい環境を求めて海外に練習拠点を置いています。今はアメリカ。

 大阪なおみ選手も、二重国籍だったのか日本国籍を選択して、東京五輪にも日本の代表として出場予定で、でも住んでいるところや練習拠点はアメリカですよね。

 私としてはどちらが優勝してもうれしいですね。

 

 


詩「広島」を日本語に翻訳しました

2020-09-10 | ベラルーシ文化

 今日、9月10日にベラルーシ文化芸術大学で第2回ベラルーシ文化国際学術会議が開催される予定でした。

 ベラルーシ文化芸術大学の助教授、ユリヤ・ヤロツカヤ先生と共同論文を執筆し、この会議上で発表することになり、登壇を依頼されていたのですが、開催は中止になりました。

 理由はコロナウイルス感染拡大防止のためです。ただ論文は今月中にまとめられ出版される予定です。論文集の出版を会議開催に代えるという連絡が大学側から来ました。

 私はベラルーシの詩人シャルヘイ・ジャルハイの詩「広島」をベラルーシ語から日本語に今回翻訳していました。それを論文の中で取り上げ、二カ国語で会議の席上朗読する予定だったのです。

 今日、発表できなかったのは残念ですが、論文集の中に翻訳が掲載されるのはありがたいことです。ただ発表する予定が延びてしまいました。そこで、このブログ上で「広島」は発表したいと思います。

・・・・・・・

広島

 

石の廃墟の上で

永遠に

君の姿は戻らない

死と苦しみの

広島。

灰は

混乱を生き埋めにし、

そして、安寧は見つからず

私たちの心の底で澱となる。

広島。

私たちは愛し、忘れない

私たちは探し続け、望みを捨てない

私たちは信じ、支えよう。

私たちは支えよう

広島を。

一分、

黙祷の一分で哀悼を捧げよう

起こったことを思い出しながら・・・

ほんのわずかな時間であっても、

広島に。

兵器による永遠の静寂、

世界の黙祷

記憶を讃えよう

君の犠牲を

広島の。

いつか時が来る。

春、花が世界中に咲く時が

そして、再生し復活する。

君の静かな栄光が

広島の。

 

・・・・・・・

 シャルヘイ・ジャルハイ(Сяргей Дзяргай. 1907-1980)によるベラルーシ語原詩はこちらです。

 

Хірасіма

На каменні руін тваіх

Адвіты 

На вечныя векі

Смерць і пакуты,

Хірасіма.

Попел жывы 

Поўніць бязмежжа

І, не знаходзячы спакою,

Асядае ў нашіх сэрцах,

Хірасіма.

Мы любім і помнім,

Мы шукаем і спадзяемся,

Мы верым і змагаемся.

Змагаемся,

Хірасіма.

Адна хвіліна,

Хвіліна жалобнага маўчання 

У памяць таго, што было, – 

Гэта вельмі мала,

Хірасіма.

Вечным маўчаннем гармат,

Цішынёй вечнага міру

Ушануем памяць

Ахвар тваіх,

Хірасіма.

Прыйдзе час:

Ўся зямля будзе ў веснім цвеце

І адродзіцца, уваскрэсене

Ціхая слава твая,

Хірасіма.

 

 引用先 Дзяргай С. Чатыры стыхіі, Мастацкая літаратура, Мінск, 1988, ст. 39-40 

この作品は1957年に書かれました。(どうしてこの年に「広島」という詩をベラルーシで書いたのか不明ですが、この年はアメリカでプラムボブ作戦という核実験が繰り返し行われていた年なので、報道を見て広島の原爆のことを想起したのかもしれないですね。)

 1行目の「石の廃墟」というのは原爆ドームのことだと思います。

 私の同僚の図書館司書の話によれば、作者のシャルヘイ・ジャルハイ(1907−1980)はベラルーシで特別有名でも人気のある詩人というわけではないそうです。ミンスク生まれミンスク育ちで文芸雑誌の編集長をしながら、ロシア語やポーランド語の詩をベラルーシ語に訳したという功績のある人です。

 おそらく来日したこともなく、広島に何かゆかりのある人だとも思えません。

 そうであるにも関わらず「広島」という題名の詩を書いたのはなぜなのでしょう。

 それはやはり、反戦、反核、そして平和を願う強い気持ちから、この作品を書いたのではないでしょうか。

 ベラルーシの詩人がずっと以前に、「広島」という詩をベラルーシ語で書いてくれていたこと、日本人の私は全く知りませんでした。

 しかし、この詩がアジア諸国を紹介する本に再録されたのを偶然、職場(図書館)で見つけて、日本語に翻訳しようと思いました。

 翻訳したので今日、ベラルーシ文化国際学術会議上で発表したかったのですが、残念ですね。

 出版を待ちたいと思います。このブログ上で一足早く発表することにしましたが、読んでくださった日本の皆様、ありがとうございます。

 ベラルーシの詩人が広島の原爆について思いを馳せ、被爆者に心を寄せて書いた詩だと思います。

 ベラルーシから日本へのその思いを日本人の私は大切に受け止めたいと思っています。

 


女性はベラルーシの大統領になれません?

2020-06-03 | ベラルーシ文化
 今年8月に行われる予定のベラルーシ大統領選に向けて、候補者の署名活動が盛んに行われています。
 こんな時期に、現ベラルーシの大統領が、女性はベラルーシの大統領に立候補してもなれない(当選しません)という意味に取れる発言をして物議を醸し出しています。

 5月29日の報道によると、ミンスクトラクター工場での視察の際にその労働者たちとの対話の中で、ルカシェンコ大統領が、
「ベラルーシ共和国憲法は女性のためにない。そしてベラルーシの社会は女性が大統領になるための投票ができるほど成熟した社会ではない。なぜなら我が国の憲法の下では大統領は強い権限を持っているからだ。」
と発言しました。
 公の場での発言です。

 さらに、隣国リトアニアでは女性大統領ダリア・グリバウスカイテがいたことを受けて、
「ベラルーシはリトアニアではない。ダリア・グリバウスカイテは大統領の座にやってきて、腰掛けて、ほほえんで、去った。リトアニアは議会制の共和国なので、何の責任も負ってなかった。(だから女性でも大統領ができた。)ベラルーシはそうではない。ベラルーシ共和国の大統領は男性がなる。そう私は強く信じている。」
とも発言。

 女性大統領が誕生するには社会の成熟が必要。だけど、ベラルーシ社会は成熟していないんだそうです。(自分が治めている国の社会が成熟するよう努力していただきたいのですが。大統領が自国の社会を成熟するための努力をしていない、あるいはしてみたけど失敗してます、と認めているようなものですかね。)

 じゃあ女性大統領がいたリトアニアは成熟した社会だったとほめているのかと思ったら、政治のシステムのせいで、大統領が女性だろうが結局何もしていない、とリトアニアを下げる発言。
(リトアニアの人はこれを聞いてどう思うんでしょうか? 「あー私、今リトアニアに住んでて良かった。ベラルーシじゃなくて良かった。」といったところでしょうか。)

 「いやあ、ルカシェンコは自分の意見を言ってみただけだよ。意見を言う権利は誰にでもあるでしょ。」
と擁護する人(主に男性)もいますが、ベラルーシ女性の多くは反発。
 大統領選に立候補を目指している人の中には女性もいるのに・・・。

 大統領選の前にこんな差別発言をしたら、投票権のある人で女性は、ルカシェンコ大統領に投票しなくなるでしょう。
 有権者の半分は女性なんだから、たくさんの敵を作らないほうがいいのに・・・と私は思いました。
 それに加えて、次の大統領は男性になると、立候補者の一人である立場の人が、女性立候補者を牽制するようなことを今、言ってはそれこそ違反行為になりません?
 あるいは、自分の当選に対する不安に対する裏返しの発言なのでしょうか? (つまり差別発言ではない。)

 現在ベラルーシの女性で、特にビジネスレディーと言われる女性自営業者などが中心に、大統領選挙中央委員会宛に、大統領選に性差別のない平等性を求める請願書を提出しており、また選挙準備期間中にこのような発言を候補者がするのは、選挙法違反に当たるのではないかという申し立てを行い、その数が数十人にまで増えているそうです。

 
 

戦勝記念パレードの動画

2020-05-09 | ベラルーシ文化
 ミンスクで行われた戦勝記念パレードの様子がユーチューブで見られます。ベラルーシ国内で放映されたものと同じです。
 興味のある方はリンク先をどうぞ。

 こういう軍事パレードを見るのが嫌いな日本人も多いと思います。
 戦車とか武器とか興味ない、恐怖感覚える、という人もいるでしょう。軍事パレードを見るだけで、戦争賛美している人間だと思われたくないという意見もあると思います。

 私はベラルーシに住んでいるので、ベラルーシに関心があるわけです。なのでほとんど毎年戦勝記念パレードをテレビで見ています。別に戦争賛美しているわけではなく、ベラルーシ人の戦争や歴史に対する考え方などが知りたいからです。国家と個人の関係や意識とか、考えられるよい機会だと思っています。

 動画のリンク先を貼りましたが、全て見てくださいと言っているわけではありません。
 ただ、私のおすすめ(万人受けしそうな)シーンはこの動画の開始から52分のところで始まり、59分あたりで終わるシーンですね。
 これを見て「どうしてTさんは勧めるの?」と批判する日本人もいるでしょうね。
 しかし、毎年この人たちを見るたびに、記憶力抜群な賢い人たちの集団に見えます。
 これに選ばれるのは名誉なことだそうですが、うなずけます。
 ちなみに54分40秒に出てくる模様は、ベラルーシの民族衣装の刺繍文様の一つで、意味は「青春」です。
 この7分ほどのシーンの間にもほとんどマスクをしていない観客の様子も見られます。
 見に来た人も、この頭のいい人たちも、高リスクだと思うので、とにかくコロナウイルスに感染しないで、みんな・・・と切に祈っています。
 
 

「芭蕉の詩」作曲者アンナ・コロトキナさん死去

2019-07-31 | ベラルーシ文化
 チロ基金とともに「芭蕉の詩」を作曲し、CDを製作したベラルーシ現代音楽作曲家の一人、アンナ・コロトキナさんが7月30日亡くなりました。57歳でした。
 作曲家として、またピアニストとして類まれな才能を持ったベラルーシを代表する文化人の一人でした。まだまだ作曲をしたかったことでしょう。
 また「芭蕉の詩」の他にも「茶の葉」という日本の音楽や短歌をモチーフにした作品も発表しており、日本文化への理解も深く、その早い死が残念でなりません。
 学校で教鞭も取っていたコロトキナさんからは日本人の私も多くのものを学びました。芸術に対する姿勢、自分の才能を信じて活動されている姿はいつも前向きで力強かったです。
 ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。

・・・・・
 追記 コロトキナさんが作曲した「芭蕉の詩」のビデオ映像は現在YouTubeで視聴できます。(リンク先


友情の花輪:日本 8

2019-05-03 | ベラルーシ文化
 こちらは日本文化情報センターが提供したイベントではなく、ミンスクにある聖二コライ・ヤポンスキー教会の日曜学校先生と生徒のみなさんが披露した影絵劇です。
 しかも「二コライ・ヤポンスキーの人生」という劇です。
 手作りの影絵がすばらしいですね。しかも二コライ・ヤポンスキーのことがよく分かるストーリーです。
 せっかくなので、ここでご紹介させていただきました。
 他にも尺八の演奏などもあり、盛りだくさんのイベントでした。
 (私個人としては主催者側だったので、全てのプログラムを見られなかったのが残念・・・)

 ベラルーシ人に日本文化に触れてもらえる機会が得られ、本当によかったです。
 発案者のヤロツカヤ先生とバグダノヴィチ記念館の学芸員さんたちに感謝しています。

ゴメリの盆栽展 5

2019-04-27 | ベラルーシ文化
 作品のコーディネートにまず驚きましたが、盆栽そのものもすばらしかったです。
 ベラルーシでは寒くてうまく育たないのでは? というタイプの木でも、生き生きと、そして繊細に育っていました。
 ビハレフさんが盆栽に心血を注いでいることが感じられました。
 とにかく感服いたしました。(もっとも私は盆栽に関しては素人なので、見る目があるとは思えないのですが、それでも感動しました。)
 ビハレフさんは日本へ行って本格的に盆栽を学びたいという希望を持っているそうです。
 近い将来、ビハレフさんが来日するかもしれません。ビハレフさんの夢が叶うといいなと思います。

ゴメリの盆栽展 4

2019-04-27 | ベラルーシ文化
 これは狐が美人に化けて、お坊さんをだまそうとする昔話をモチーフにしています。
 盆栽ではありませんが、
「これだったら、私もできるかも・・・。」と思いながら撮影しました。

ゴメリの盆栽展 3

2019-04-27 | ベラルーシ文化
 盆栽、鹿のフィギュア、ミニチュア石庭、そして昔話。
 盆栽の木を風景に見立てて、小さいフィギュアを置いたりするのは知っていましたが、やはりビハレフさんの個展だけあって、独自の世界観ができあがっているように感じました。

ゴメリの盆栽展 2

2019-04-27 | ベラルーシ文化
 展示されていた盆栽のほとんどには、昔話が添えられており、お話にちなんだものが盆栽といっしょに飾られていました。
 例えばこの盆栽の根元にある黒っぽいのはドラゴンのフィギュアです。それとそのすぐ横に小さくて分かりづらいですが、リスのフィギュアもあります。
 お話は「賢いリス」という昔話と言うか説話でした。
 このようにただ盆栽が置いてあるのではなく、昔話とコラボしているという凝った盆栽展でした。

ゴメリの盆栽展 1

2019-04-27 | ベラルーシ文化
 ベラルーシには専門的に盆栽をしている人が3人いるそうです。
 そのうちの一人、ドミートリイ・ビハレフさんの盆栽コレクションが通称ゴメリ宮殿博物館の中にある回廊でお披露目されることになりました。
 ビハレフさんは盆栽暦8年目だそうですが、自慢の盆栽の数々を1年に1回展示して、ゴメリ市民の目を楽しませているそうです。
 ビハレフさんには昨年12月、ブラチーノ児童図書館で初めてお会いしましたが、今回盆栽展に行くことができました。
 
 盆栽展のポスターです。ぱっと見て、「え、これが盆栽展のポスター?」と不思議に思いながら、中に入りました。

リアルマン・レース

2018-02-24 | ベラルーシ文化
「冬季オリンピック? 見飽きたね。」
という奇特な方、暇を持て余している方はご覧ください。

氷点下10度の寒さなんてへっちゃら? 半裸の男たちが駆け抜ける「リアルマン・レース」

・・・というものが2月23日ミンスク市内で行われました。


【2月24日 AFP】ベラルーシの首都ミンスクで23日、「祖国防衛軍の日」を記念して「リアルマン・レース(Real Man Race)」が開催され、約1000人の男性が参加した。氷点下10度の中、参加者らは上半身裸で1キロまたは3キロのコースを走る。レース終了後にはベラルーシ・アスリート協会(Belarusian Athletics Federation)から全参加者にメダルが授与される。

 ベラルーシを含む旧ソ連構成国は、ロシアと共に毎年2月23日の「祖国防衛軍の日」を祝っている。この名前は、1991年のソ連崩壊後、2002年にロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領によって付けられた。(c)AFPBB News

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 個人的にはこのメダルのデザインが気になりましたが・・・(笑)

 毎年2月23日になると、こういうベラルーシ男子がいかにすごいか、ということを示すとんでもないイベントが開催されますね。

 ちなみにS夫は職場で、職場の女性陣から靴下をもらっていました。男性はみんな靴下をもらっていたそうで、日本で言うとバレンタインデーの義理チョコみたいなものですかね。

 うちの子(高校生)はクラスの女子と話し合って、お菓子をクラスの男子に平等にあげていました。
 うちの子はクッキー担当だったので、前日せっせとクッキーを焼いていましたが、これも義理チョコみたいなものですかね。

 「祖国防衛軍の日」というとすごくまじめなものに聞こえますが、ベラルーシ版バレンタインデーかなあ、と思います。

 でも主役は男性全員ではなく、あくまで軍人、(現役、退役、女性を含む)

 ついでに、こんなものまで見つけたので、どうぞ。

 やっぱりフツーじゃないですね。よく見たら両手にスキー板はめてるし・・・。

 

車いす女性のミスコンテスト、初の世界大会 優勝はベラルーシの女子大生

2017-10-08 | ベラルーシ文化
車いす女性のミスコンテスト、初の世界大会 優勝はベラルーシの女子大生

【10月8日 AFP】ポーランドの首都ワルシャワ(Warsaw)で7日、車いす女性のミスコンテスト「ミス・ウィールチェア・ワールド(Miss Wheelchair World)」が初めて開催され、ベラルーシ出身の学生、アレクサンドラ・チチコワ(Aleksandra Chichikova)さん(23)が優勝した。

 車いす女性による世界規模のミスコンは今回が初めて。決勝には18か国から24人が参加し、工夫をこらした振り付けとともに民族衣装やイブニングドレス姿を披露。最終的に大学で心理学を学んでいるチチコワさんが第1回ミス・ウィールチェア・ワールドに選ばれた。2位は南アフリカのレボハン・モンヤチ(Lebohang Monyatsi)さん、3位は地元ポーランドのアドリアンナ・ザワジンスカ(Adrianna Zawadzinska)さんだった。栄冠に輝いたチチコワさんは、自分の中にある不安や恐れと闘うことが大切だと語った。

 コンテストの目的について、大会の共同創設者で審査委員長も務めるカタルジュナ・ボイタシェク・ギナルスカ(Katarzyna Wojtaszek-Ginalska)氏は「車いす女性のイメージを変え、彼女たちがその側面だけで判断されないようにすることだ」と述べ、世界の多くの地域では車いすはまだぜいたく品であることもこのコンテストを通じて知ってほしいと付け加えた。ボイタシェク・ギナルスカ氏自身も車いす女性だ。

「ミス・ウィールチェア・ワールド」は、ポーランドを拠点とするNGO「オンリーワン・ファウンデーション(Only One Foundation)」の主催で行われた。

 参加女性はそれぞれの国でのコンテストで優勝した女性だが、国内大会が行われていない国ではオンリーワン・ファウンデーションが指定したNGOが選考した。参加者らはワルシャワで8日間にわたりリハーサル、写真撮影、会議出席、訪問などぎっしり詰まったスケジュールをこなした。

 初開催となった今回の大会ではアンゴラ、ベラルーシ、ブラジル、カナダ、チリ、フィンランド、フランス、グアテマラ、インド、イタリア、メキシコ、モルドバ、オランダ、ポーランド、ロシア、南アフリカ、ウクライナ、米国の女性たちが決勝に進んだ。(c)AFPBB News

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よいニュースですね。アレクサンドラさんの笑顔が素敵です。
 参加者を「車椅子女性」と限定しているのが、かえって差別だ、とか差別を助長しているとかいう意見もありますが、納得したうえで、みなさん出場を決めていると思いますよ。

 ベラルーシ国内でのニュースはこちら。(ロシア語です。)

 これによると、アレクサンドラさんは子どものころは元気で、社交ダンスを習っていたほどだった。
 しかし17歳のときに、自宅の3階で内装工事を行っていたときに、床材から突き出ていた部品にうっかりつまずいてしまい、バランスを崩して、開いていた窓から外に落下・・・。
 背中から落ちたため、脊髄を損傷してしまい、医者からは一生歩くことはできませんと告げられる。4ヶ月間入院していたが、退院後車椅子生活へ。
 
 来年大学を卒業予定で、専攻は心理学。劇場で舞台に出演したこともあり、大型スーパーマーケットのインフォメーションでも働いているそうです。

 ベラルーシは障碍者に対する福祉政策はちゃんとあるほうです。しかし、「ヨーロッパのもっと進んでいる国」と比べると、設備面などがまだまだ足りていません。例えば道路の段差などは改善があまりされていないので、車椅子での移動は大変だと思います。北国で冬場の足元も悪いです。

 もっと便利で快適に使える性能のいい車椅子の開発・・・なども国内ではほとんど行われておらず、いい車椅子を買おうと思ったら、外国からの輸入品・・・となるのですが、そうすると一般ベラルーシ人にとっては高価なので買えません。
 それと日本にありがちな「障碍のある子どもはいらない。(死んでもいい。)」「障害児の行く末を悲観して親子心中」といった考えはベラルーシにはないのですが、(今日読んだ記事。「手足の指6本の奇形で生まれた赤ちゃん、「人工呼吸器からはずして」と父親が…」)前述のように車椅子に優しくない道路が多いなどの理由もあり、また身体障碍者自身の精神的なもの(いわゆるがっかり感が大きい人が多い)も相まって、ベラルーシ人障碍者の外出頻度は低いです。

 ベラルーシより「ヨーロッパの進んでいる国」に行ったとき、いろんな障碍者の人たちが、人目なんか全く気にしないという感じで、大勢町の中に出ている姿を見て、ああ活発で生き生きしているなあと思ったことがあります。
 そんなベラルーシで、アレクサンドラさんがミス車椅子ワールドで優勝したことはすばらしいことで、ベラルーシ社会に一石を投じるきっかけになってほしいなあと思いました。