ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ぶどう酒作り その4

2007-11-29 | ベラルーシ生活
 瓶にぶどうを入れた後、蓋をします。蓋の仕方にはいろいろあるのですが、よく行われる方法は、これ。手袋で蓋をする、です。
 医療用のゴム手袋を瓶の口にはめて、空気がもれないように止めておきます。
 風船だと、ゴムが厚いので、うまくふくらまないので、もっと薄くて丈夫な医療用手袋がぶどう酒作りに最適なのだそうです。
 そのためベラルーシでは医療用手袋が、バス停のキオスクで売られていていたります。

 瓶に入れるとすぐに発酵が始まり、どんどん手袋が大きくなっていきます。画像では漏れたりした場合のことを考えて、バケツ状容器にその瓶を入れてあります。
 さらにときどき中身を棒でかきまぜること、2ヶ月でぶどう酒が完成します。
  
 手袋はどんどん大きくなりますが、その後少しずつしぼんでいきます。しぼんだら発酵が完了したことになるので、ぶどう酒の完成、ということになります。
 発酵が進まない場合は、干しぶどうを入れます。ぶどうの皮についている発酵成分をこうして追加すると発酵することがあります。
 手袋がどうしても膨らまなかった場合は、失敗、ということになります。

 

ぶどう酒作り その3

2007-11-26 | ベラルーシ生活
ぶどうの実がつぶれたら、砂糖を入れてよく混ぜます。当然甘口にしたい場合はたくさんの砂糖を入れます。しかしぶどうが発酵するとき、酸味が出るので、砂糖をかなりたくさん入れないと、甘口にはなりません。
 砂糖を混ぜたら、ガラスの瓶に入れます。画像に写っているのは15リットルの容量の瓶です。こういう大きい瓶が売られています。
 ぶどうは発酵するとき体積が増えるので、あふれないように瓶にいっぱい入れないようにします。
 

ぶどう酒作り その2

2007-11-23 | ベラルーシ生活
次にぶどうの実をつぶす作業です。我が家では古典的な方法でつぶすことにしました。
 つまり足でつぶす方法です。この役は娘にさせることにしました。
 まずお風呂できれいに娘の足を洗った後、その足で歩かないように、私がお姫様抱っこをして、台所へ連れて行きました。そしてそのままぶどうの中へどぼん。(笑)
 さあ、がんばって踏み潰してね!
 娘は「ちょっと冷たい。」「こそばい。」とか言っていましたが、せっせとぶどうを潰してくれました。
 しかし、踏んでも踏んでもなかなか全部は潰れないぶどう・・・。
 S夫が言うには、昔の修道院でのぶどう酒作りは1日樽の中に入って踏み続けていたそうです。
 我が家のぶどう酒作りはそんなにたくさんの量を作ろうと思っているのではないのですが、でもかなり時間がかかることが分かりました。
 なので、娘を抱っこして外に出し、後はハンドミキサーでぶどうを潰しました。(それでもだいぶ時間がかかりました。)
 

ぶどう酒作り その1

2007-11-21 | ベラルーシ生活
 ベラルーシは気候が寒冷であるため、大きな粒のぶどうが取れず、販売されているワインは全て輸入品です。
(「ベラルーシ製ワイン」というのは、モルドヴァなどから樽詰めの「モルドヴァ産」ワインを輸入し、ベラルーシ国内で瓶に詰め直して、販売しているワインのこと。)

 しかしぶどうが全く育たないわけではなく、粒は小さいけれど山ぶどうのようなぶどうが生えます。
 それを集めてベラルーシ人は自家製ぶどう酒を作っています。
 今年はS夫の両親のダーチャ(夏の間住む家)でぶどうがたくさん実ったので、それをもらって、初めてぶどう酒作りに挑戦してみました。

 まずぶどうの実だけを選別し、茎や葉の部分は捨てます。
 ここで重要なのは実を洗わないこと。
 ぶどうの皮の表面にある醗酵物質を洗い流すと、ぶどう酒になりません。
 そのため、ぶどうの実を取るときから余計なゴミ(土など)がつかないように注意します。
 茎や葉を取り除くときも、ゴミがついていたら取り除きます。
 もっとも、もし取除くことを忘れても、ぶどう酒を作る過程で、底に沈殿するので、口に入ることはまずないです。
 とにかく、実を洗ってはいけない、ということでした。

CD「月と日」収録曲がトーダル&WZ-オルキエストラのコンサートで演奏されました

2007-11-19 | ベラルーシ文化
 2007年10月19日、ミンスクでトーダル&WZ-オルキエストラのコンサートでCD「月と日」収録曲「さくら」が上演されました。
 
(CD「月と日」について詳しくはこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html
 

 今回のコンサートではトーダル&WZ-オルキエストラの、リクエストにお答えするベストソング集ということで、観客の皆さんがリクエスト(希望する曲のタイトルを紙に書いてリレー式に舞台上のトーダル君に渡す。)した曲を演奏しました。
 と言っても誰もリクエストしてくれなかったら困る(^^;)ので、一応発表曲の古い順から人気のある曲を順番に演奏していました。そしてその合間にリクエストを受けてはその曲を演奏するという方法でした。
 ベラルーシ人の好みを知るために注意しつつ聞いていると、
「『われは海の子』お願いします。」
というリクエストがあって、「おおっ。」と思いました。この曲はベラルーシ人の間で人気があるのかも・・・。
 そのリクエストの紙を読んだトーダル君は
「この曲は少し後でします。」
と言って、2005年以前に発表した曲を何曲か歌っていました。
 そして「月と日」の直前に発表したアルバム「MW」の収録曲を歌い始め(血圧上がった・・・。)
「よーし、もうすぐ日本の歌だ・・・。」
とほくそ笑んでいると、そこへ「『さくら』をお願いします。」というリクエストが入ったのです。
「では『さくら』をします。」
と、この曲はクセニヤ・ミンチャンカさんがボーカルなので、トーダル君は舞台袖に引っ込みました。
 そしてクセニヤさんの美声が会場に流れ・・・歌い終わったとたん、文字通り嵐のような拍手がどっと沸き起こりました! 
「ブラボー!」「ブラボー!!」「ブラボー!!!」
の声。私も拍手をしながら
「そうかあ・・こんなにベラルーシの人は『さくら』が好きなのか・・・。」
と感激しました。
 しかし、なかなか鳴り止まない拍手の中、トーダル君がステージ上に出てきて
「では10分間休憩です。」
と言ったので、
「あ、あれ?『われは海の子』はどうなっちゃったの?!」
と思いました。

 休憩後は2006年以降発表した曲を演奏し、結局「われは海の子」はリクエストがあったにもかかわらず、歌われなかったのです。な、なぜ・・・
 そして、演奏が進むにつれ、クセニヤさんがまた別の曲をメインボーカルで歌うと、どっと雷のような拍手が起こるので
「ひょっとして・・・トーダル君よりクセニヤさんのほうが人気があるのでは・・・。」
と思えてきました・・・。
 そして、「さくら」もリクエストされたのは日本の歌だからではなく、クセニヤさんが歌っているからでは・・・と思えてきました。(^^;)
(うう・・・い、いや、それでも日本の歌だから、人気があるのだと思いたい・・・。)

 ステージが終わった後、トーダル君に会いに行ったら
「本当はもっと日本の歌を歌う予定だったんだけど(←本当か?)、1曲しかできなくてごめんねー。」 
と言われました・・・。
 クセニヤさんからは「いつでも喜んで『さくら』を歌うわ。」と言われました。(←かわいい。)

 それからトーダル君は
「プレゼントを勝手にグリョーブスさんにあげちゃってごめんねー。」
とも言いました。(直接私に会ったときに謝ろうと思ったらしい。何のことか分からない方は、投稿記事「『月と日』追加情報:グリョーブスさんのブログ」をご参照ください。)
 しかし、君の今回の一連の行為に関しては自分のブログにすでに書いたよ、と返事をしたら、トーダル君は固まっていました。

 ちなみに今回のトーダル君は映画「タイタニック」に出てくる無線技師(SOS信号をモールス符号で送っていた人)とそっくりの服装と髪型でした。最初ステージに登場したとき、
「え、なんで、こんなかっこう?」
という空気が会場を満たしていました・・・。

 画像で見たいという方は、こちらのトーダル君のブログ内フォトギャラリーをどうぞ。

http://todar-vojt.livejournal.com/1337.html#cutid1
 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第68回」

2007-11-16 |   ビタペクト配布活動
 11月16日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第68回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を14個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1422個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1060部となりました。
  
 今回で通算78回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1422人分のビタペクト2、そして1060家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回も保養のため滞在した家族にお話をうかがいました。

(家族A)
 ゴメリ州ジトコビッチ市(チェルノブイリ原発から約190キロ)から来た家族。お母さんが6人の子どもと1人の甥っ子をつれて来ていました。この家族には全員に1個ずつ、8個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりでした。

母親    15ベクレル 
16歳長男 31ベクレル 
15歳長女 39ベクレル 
13歳次男 31ベクレル
12歳三男 24ベクレル 
 9歳次女 39ベクレル 
 6歳四男 15ベクレル 
14歳甥  36ベクレル

 子どもたちは持病などは持っていません。
 ただ13歳の次男はあばら骨の1本が生まれつき、枝分かれしていて、さらにそれがくっついたような形をしているそうです。
 痛みなどは感じたことはなく、医者からも特に治療などは必要ないと言われたそうです。ただ成長するにしたがって、胸の大きさが左右非対称になる可能性が高いのですが、小さいほうの胸の腕で筋力トレーニングすれば、そのほうの筋肉が発達するので、胸が大きくなり、大きさの違いは目立たなくなるそうです。

 かわいそうだったのが、15歳の長女です。
 6歳のときに大やけどを負い、体中に痕が残っています。
 どうしてそんなやけどをしたのかと言うと、数人の子どもが止めてあったオートバイからガソリンを盗んで、道端でいろいろな物にしみこませて火をつけて遊んでいたところ、偶然この女の子が通りかかったそうです。
 その子どもたちは女の子に燃やしていたものを投げつけたため、女の子は服に火が燃え移って、危うく死にかかったそうです。病院で手当を受けて、一命は取り留めたものの、痕が残ってしまいました。
 ミンスクにある専門医にかかっていますが、今たとえば皮膚移植をしても、成長してから引きつれなどの問題が出てくる可能性があり、本格的な治療は成人してから、と言われたそうです。チェルノブイリ原発事故の救援活動の一つで、ドイツへ治療に行ったこともあるそうですが、帰ってからベラルーシの医者に治療しなおされた、ドイツのほうが医療は進んでいると思ってたのに、とお母さんは涙を浮かべて話しました。
 女の子も火傷をしたときのことを思い出したのか、泣き出してしまい、私も泣きそうになりました。

 大きくなったら、ミンスクの病院で手術することを希望していますが、命にかかわる病気の手術ではなく、あくまで美容のための手術なので、有料になってしまい、お母さんは他にも子どもが6人もいるし、そんなお金がない、と言っていました。
 私が訪ねたのは、火をつけた子どもたちのことです。その子どもたちはどうなったのかときくと、まだ子ども(未成年)だから責任能力がないということ補導されたりしていないそうです。でも、これは犯罪ですよね。
 私だったら警察に言って、捕まえてもらい、裁判にかけて治療費をその保護者に出させるようにしてもらうけど・・・。と思ったのですが、結局罰せられることなく、放置されてしまっています。
 SOS子ども村のリリヤ先生はベラルーシ保健省に訴えて、手術費用の助成金を受けるよう申請すべきだ、とアドバイスしていました。せめて顔や手など、目立つ部分だけでも、と話していました。
(あーあ、私が億万長者だったら、手術代ぐらい、ぽんと出してあげるのに・・・。)
 ちなみに日本では保険はきかず、本人負担。(もちろん助成金なんてどこからも出ない。)そして1平方センチあたり約4万円の手術費だそうです。

 本人の不注意で火傷したわけでもなく、犯罪の被害者なのに、犯人が子ども(未成年)というだけで、治療費は被害者本人(親)が全額負担なんてひどすぎると思いました。
 どちらにせよ、手術は成人してからなので、まだ先だし、ベラルーシでもその間、医療水準が上がって、痕がほとんど消える手術方法が開発される可能性は大いにあります。
 この女の子は学校の成績も大変よく、
「将来医者になったら。」
と言われているそうです。野口英世のような医者になるかもしれません。


(家族B)
 ゴメリ州ドブルシ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)からお母さんが2人の子どもと親戚の子どもたち4人を連れてきていました。そしてお母さんは妊娠中。
 この家族には6人全員にビタペクト2を1個ずつ渡しました。
  それぞれの体内放射能値はこのとおりでした。

   母親 13ベクレル 
15歳長男 20ベクレル 
 4歳次女 22ベクレル 
13歳姪  18ベクレル
11歳姪  18ベクレル 
 8歳甥  27ベクレル 

 お母さんは放射能値は低かったのですが、妊娠中で、胸焼けがひどく、医者から干しりんごを食べるように言われたそうです。
 それで常にポケットにもベッドのそばにも干しりんごを用意して、ずっとかじっていたら、胸焼けが収まるそうです。
 ビタペクト2自体はりんごの粉末なので、これを飲んでも、胸焼けが治る可能性があるということで、今回お母さんにもビタペクト2を渡しました。
  子どもたちは持病などはなく、元気だということでした。
  びっくりするほど上手なビーズで作った雪だるまのキーホルダーをくれました。
  ベラルーシは器用な子が多いですね。いつも感心します。

 今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼ、絵葉書、紙飛行機などをプレゼントしました。
 器用な子どもたちなので、折り紙なんて簡単に作ってしまうでしょうね。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙、竹とんぼなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。



チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第67回」

2007-11-12 |   ビタペクト配布活動
 10月26日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第67回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト2を6個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1408個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1050部となりました。
  
 今回で通算77回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1408人分のビタペクト2、そして1050家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回も保養のため滞在した家族にお話をうかがいました。

(家族A)
 ブレスト州ピンスク地区(チェルノブイリ原発から約280キロ)にあるブリカ・ゴロジシェンスカヤから来た家族。お母さんが2人の子どもと3人の養子、1人の友人の子どもをつれて来ていました。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりでした。

母親    10ベクレル 
11歳長男  9ベクレル 
10歳長女 11ベクレル 
16歳養女 10ベクレル
 7歳養子 29ベクレル ○
 5歳養子 10ベクレル 
6歳友人の子ども  37ベクレル ○

○印の人にビタペクト2を1個ずつ配布しました。
 3人の養子は孤児院から引き取って育てているそうです。大変ではありませんか?と尋ねましたが、お母さんは子どもが好きだから、苦労などはしていない、ということでした。
 ただ、本当の親の愛情を受けてきていなかったせいか、小さい養子の子どもたちは情緒が不安定、ということでした。でもちょっと見ただけでは、あんまり落ち着きがないなあ、という程度でした。
 今回引率してきた友人の子どもは、近所に住んでいるそうですが、いわゆる貧困家庭で、栄養不足らしく、大変病弱、ということでした。
 体内放射能値も高いほうで、今回いっしょに保養に行けて本当によかったと思いました。
 子どもたちは特に持病などはない、というお話しでした。

(家族B)
 ブレスト市(チェルノブイリ原発から約440キロ)からお母さんが5人の子どもを連れてきていました。そしてお母さんは6人目を妊娠中。
この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値はこのとおりでした。

   母親  8ベクレル ○
14歳長女 22ベクレル ○
12歳次女 12ベクレル 
 9歳三女 43ベクレル ○
 6歳長男 31ベクレル ○
 2歳次男  0ベクレル

 お母さんは放射能値は低かったのですが、胆石を持っており、また妊娠中であることを考え、ビタペクトを渡しました。
 今年39歳のお母さんは以前ゴメリ州のブダ・コシェリョフの近くに住んでいました。チェルノブイリ原発事故が起きた当時は、18歳だったのですが、事故が発生してすぐに歯と髪の毛が抜け始めました。(髪の毛はその後また生えてきたのですが、歯はたくさん抜けたまま・・・。)
 そして89年にブレスト市に自主的に移住したそうです。その後胆石と肝臓病になり薬を飲み続けています。

 子どもたちはブレストの生まれですが、父親の両親がブレスト州の南、ウクライナ国境に近い村に住んでおり、遊びに行くことがあるそうです。しかしその村は放射能汚染地域に政府は指定していませんが、実際には放射能が高いのではないかと疑われている地域にあります。
 それが原因か分かりませんが、子どもたちにもいろいろな病気が出ているそうです。
 次女は12歳ですが、体重が79キロもあります。背も高くて、私は最初見たとき、高校生かと思っていたのですが、小学生でした。
 この子も肝臓病を持っており、お母さんはこんなに体が大きすぎるのはおかしいし、それが原因で内臓に負担がかかり、もっと病気になるのではないかと心配していました。この子も薬を飲み続けています。

 6歳の長男はまったく落ち着きがなく、騒いだり暴れたりほとんどじっとしていませんでした。私の顔を見て
「あっ、日本人だ! ロシア語しゃべってる!」
と叫んでいましたが、こういう反応する子はたくさんいるんじゃないか、と思いました。でもその後の様子を見ていたら、じっと座っていることが全くできず、笑ったり騒いだりしていました。
 興奮しやすく、6歳になってもおねしょをしていると、お母さんは心配していました。(でも6歳でおねしょをするのは、よくあることではないかと思います。)

 2歳の次男は0ベクレルでしたが、ヘルペスがのどの奥にあり、発症するたび高熱を出すそうです。口元にあったヘルペスがのどの奥にうつったそうですが、そんなことってあるんですね。(すごく痛そう・・・。)
 14歳の長女はどもりが治らない、とお母さんは心配していました。

 元気な3女だけが43ベクレルと一番高い放射能値でした。
 お母さんは妊娠中だし、本当に大変だと思いました。

 今回も子ども達に折り紙や、折り紙の作り方のコピー、自分で作る竹とんぼ、絵葉書をプレゼントしました。絵葉書に子どもたちの名前を日本語で書いたらとても喜んでいました。
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙用の紙、竹とんぼなど子どもたちへのプレゼントを寄付してくださった方々、またバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

スベトラゴルスクの教会

2007-11-11 | ベラルーシ生活
 スベトラゴルスク中央児童図書館のすぐ近くにあるカトリックの教会。
 川のほとりにあり、とても絵になる光景です。
 (少々曇っていたのが残念。)

スベトラゴルスクのおもちゃ博物館 その2

2007-11-10 | チロ基金
 博物館はこのようにいろいろな国のおもちゃでいっぱいでした。
 ベラルーシの亜麻人形。ロシアのマトリョーシカ。ウクライナのコサック人形。イギリスのテディベアや、エジプトのラクダの人形などなど・・・。現在のところ15カ国からのおもちゃが展示されています。
 世界のおもちゃを集めているということで、日本のおもちゃについてはチロ基金が協力を申し出ました。
 こけしや日本人形のほか、竹とんぼ、知恵の輪、かるた、将棋、逆さ独楽、折り紙のくすだまなどを寄贈しました。
 博物館のみなさんは大喜びしていました。今度スベトラゴルスクへ行くときには、日本のおもちゃも展示の仲間入りをしているはずです。

 この博物館では。身近なおもちゃを通してスベトラゴルスクの子どもたちが外国の文化に触れて、広い視野を持つ大人になってほしいと願っているそうです。
 日本に興味を持つ子どもが増えるといいですね。いえ、きっとスベトラゴルスクでは日本が好きな人がこれからどんどん増えると思います。
 これも全ては図書館が努力しているからです。敬意を表したいです。
 そして竹とんぼや将棋、独楽などをチロ基金に寄贈してくださった日本人の皆様に、深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。これらのおもちゃは末永くスベトラゴルスクの人たちに楽しんでもらえることと思います。

・・・・・・
 追加情報

 2009年6月にスベトラゴルスクの図書館が立ち上げたサイト内で、すでに仲間入りした日本のおもちゃについて見ることができます。このページの一番最後に日本のおもちゃが紹介されています。(記事はロシア語です。)

http://www.svetlib.gomel.by/musei_igrushki_mira.htm


スベトラゴルスクのおもちゃ博物館 その1

2007-11-10 | チロ基金
 普通ではないベラルーシの街、スベトラゴルスク。この街には4つの児童図書館と4つの一般図書館があります。
 そのうち第3児童図書館内に「世界のおもちゃ博物館」が1年前に開設されたので、見学に行ってきました。
 図書館内の一室が博物館になっています。
 画像はそのドアです。さあ、中に入ってみましょう。

スベトラゴルスク児童図書館前の女の子像

2007-11-09 | チロ基金
 せっかくなので、これもご紹介します。この像はスベトラゴルスク中央児童図書館前にある「太陽の女の子」です。
 スベトラゴルスクの市の紋章は太陽です。その太陽を手にした女の子の像なのですが、日本が「日出ずる国」と言われているので、別名「日本人の女の子」と呼ばれているそうです。
 後ろに写っている建物がスベトラゴルスク中央児童図書館です。そこに開設された日本文化コーナー。不思議な縁を感じます。

スベトラゴルスク児童図書館に日本文化コーナー開設 その8

2007-11-03 | チロ基金
 オープニングセレモニーでは芸術学校の生徒さんたちがギターで「べサメムーチョ」などを演奏してくれました。(しかもみんなすごく上手なんですよ。かっこいい。)
 
 スベトラゴルスクのみなさんがこのように盛り上げてくださったので、こちらも・・・ということで、うちの子に浴衣を着せて、踊ってもらいました。(踊ったりするのが好きな子どもでよかったです。こういうときに役立ちますね。私は何もしないですむし。(^^;)あ、でもちゃんと壇上で挨拶し、出席者のみなさんに厚くお礼を申しました。)
 他にも図書館からはヤクプ・コーラスの本などの記念品をいただきました。ベラルーシのことを勉強している私には大変役立つもので、とてもうれしかったです。

 前から思っていたのですが、スベトラゴルスクは、本当にすごい街です。住んでいる人たちがすごい! と改めて思いました。

スベトラゴルスク児童図書館に日本文化コーナー開設 その7

2007-11-03 | チロ基金
 さらにスベトラゴルスクの子どもたちが劇『十二支のはじまり』を上演してくださいました。
 この劇は私が脚本を書いたのですが、詳しくはHP「ベラルーシの部屋レポート」の中の「チロ基金創立10周年記念式典(6)「日本の日」その3「児童劇『十二支のはじまり』」をご覧ください。

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi


 この劇を見たスベトラゴルスク児童図書館の館長さんの希望で脚本をプレゼントしたところ、ちゃんと練習して、オープニングセレモニーで上演してくれました。
  しかもスベトラゴルスクのみなさんの独自の演出が加わり、とてもおもしろい劇になっていました。
 どれがどの動物か分かります? メーキャップがすごいですねえ。(真ん中に座っているのは神様です。)


スベトラゴルスク児童図書館に日本文化コーナー開設 その6

2007-11-03 | チロ基金
 画像の真ん中に写っているのがスベトラゴルスク中央児童図書館の館長さんです。日本文化コーナー開設ために奔走してくださいました。
 もちろん私が館内に日本文化コーナーを作るよう頼んだわけではなく、館長さん自らが発案して、展示ケースの予算を市役所に申請して、やっと開設されたのです。
 こういう方のおかげで、日本文化コーナーができたわけですが、結局は地元の人のためにしているわけですよね。
 館長さんには本当に感謝しています。
  
 両脇に写っているのはオープニングセレモニーの司会者の中学生です。
 日本のことを詳しく話してくれました。(私より上手でした。)(笑)
 他にも「マサコの物語」をしてくれた女の子がいました。
 これは私の半生(^^;)をロシア語のおとぎ話風に書いた物語を朗読してくれたのです。
「昔、日本にマサコという女の子が生まれました。」
で始まり、
「こうしてベラルーシにやってきたマサコは・・・ミンスクに日本文化情報センターをつくり・・・そしてかわいい女の子が生まれました。・・・。」
 というぐあいに続くという話でした。自分のことがお話になっていたので、うれしかったです。日本語でもこんなお話を聞いたことないので(^^;)感激しましたねえ。(出版しましょうか、この話。)(^^;) 

スベトラゴルスク児童図書館に日本文化コーナー開設 その5

2007-11-03 | チロ基金
 これは以前日本に住んでいたことのある方で、今はスベトラゴルスクに住んでいるベラルーシ人の個人のコレクションである浴衣です。
 1週間後には返さないといけないのですが、オープニングセレモニーに花を添えてくださいました。
 この方の娘さんは自分の浴衣を着て、出席してくれました。とてもかわいかったです。でもよく見ると衿の合わせ方が左右逆になっていました。(汗)
 そしてあわててこのマネキンの浴衣を見るとこれも衿が逆・・・。
 どうして逆にしたらいけないのか、説明したら、びっくりして後で「必ず直しておきます。」と館長さん。