9月9日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第108回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
今回はビタペクト2を3個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
これで今までに配布したビタペクト2は合計1727個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1470部となりました。
今回で通算118回目のビタペクト2の配布となりました。
のべ人数になりますが、現時点で1727人分のビタペクト2、そして1470家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html
(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html
(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)
http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html
(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)
http://www.belrad.nsys.by
今回はミンスク州から2家族が保養滞在していました。それぞれのご家族にお話を伺いました。
(家族A)
ミンスクから5キロのところにあるラトムカ(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家族。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。体内放射能値の結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を1個ずつ渡しました。
母(事故発生時13歳)15ベクレル
長女(16歳)12ベクレル
次男(14歳)27ベクレル ○
三男 (3歳)26ベクレル ○
このほか18歳の長男がいますが、SOS子ども村による年齢制限のため、保養滞在していません。また生後2ヶ月の次女がいますが、まだ首も座っていないし、測定不可能ということで、放射能値を調べていません。
次男は低血圧のため、しょっちゅう頭痛を起こしているそうです。薬を飲み続けて現在は頭痛は軽減していますが、薬を飲むのをやめたら、また頭が痛くなるのでは、と手放せない状態です。
他の子どもたちは比較的健康だそうです。
子どもが5人いるので、多子家庭のための子ども手当てをもらっていますが、子どもが小学校入学まではたくさんもらえるのに、年齢が上がるにつれて手当ての額が少なくなっていくそうです。
手当ての額は地方自治体によって、異なります。意外とミンスクやミンスク州では少ないようですね。
お母さんは内装工で、主に壁を塗る左官の仕事をしていますが、今は育児休暇中。最初の夫からは上の子ども3人分の養育費をもらっていますが、下の2人の子どもの父親とは正式に結婚していない、という複雑な事情があり、今は家を借りて暮らしているそうです。
お母さんの話を聞いていて、自由な女性、という印象も持ちましたが、私の目からするとものすごく生活が大変なようすにも見えました。
ベラルーシもこれから、どんどんこういう新しいタイプの女性(正式に結婚はしないが、子どもはほしいという)が増えてくると思いました。
そのとき行政はどのような対応を・・・とも思いましたし、また子どもたち自身はどうなのかな? と少々心配にも思いました。
(家族B)
ミンスクから17キロのところにあるガトボ(チェルノブイリ原発から約310キロ)から来た家族。この家族には1個のビタペクト2を渡しました。体内放射能値の結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。
母(事故発生時19歳)13ベクレル
次女(10歳)25ベクレル ○
三女 (6歳) 0ベクレル
四女 (1歳)47ベクレル
この家族には22歳の長女がいますが、同じく年齢制限のため保養滞在に来ていません。
1歳の四女は放射能値が高かったのですが、ビタペクト2を飲めるのは3歳以上なので、渡していません。
10歳の次女は生まれつき心臓が弱いそうです。生まれたときに難産だったそうで、お母さんはこの次女のことを一番心配していました。
逆に三女はとても元気で、利発な子どもだそうで、放射能も0ベクレルだったため、お母さんは大変安心していました。
この家族のお父さんは身体障害者です。海水浴に行って頭から飛び込んだら、海の底にぶつかって首の骨がずれてしまいました。そのとき長女は1歳だったそうです。
(飛び込むのは実はとても危ない、ということを日本のテレビで見たことがあります。毎年大勢の人が障害者になっているそうです。皆さん、気をつけましょう。)
その後お父さんは車椅子生活を送り、医者からは
「二度と自力で歩くことはできない。」
と宣告されました。
ところが本人があきらめずに、リハビリを懸命に続けた結果、立てるようになり、今では何とか自分で歩けるようになりました。
お父さんが障害者になったころは、お母さんも大変な苦労をしたと思います。
しかし10年前に「やっぱり子どもがもっとほしい。」と思うようになり、今は4人の女の子が生まれています。お母さんは子宝に恵まれて本当によかったと笑顔で話していました。
画像は記念撮影したときの様子ですが(家族B)の次女が地元の学校に通っていたため、写っていません。また1歳の四女も寝てしまって、写っていません。
今回もいつものように子ども達に折り紙や日本の絵葉書、ぬりえ、そして日本のおやつ昆布(北海道、昆布の名産地、羅臼にお住まいのSさんからのプレゼント)を渡しました。
昆布についてはやはりお母さんたちから、どのように食べたらいいのか、などの質問が出ました。とても熱心に
「こういう料理に使ってもよいのか?」
といった質問が出ました。
最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、昆布をわざわざ北海道から送ってくださったSさん、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。