ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その7

2010-09-28 | チロ基金
 1回目の手術後、退院の日、病院内でお父さんと撮影した画像です。
(マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 お父さんもマリーシャさんもとてもうれしそうです。
 次に会うのは12月の手術のときですね。それまで家でゆっくり休息してほしいと思いました。
 チロ基金が今回負担した手術は、顔の部分の美容整形手術代です。
 今は予算的にそれ以上は支援できなかったのですが、将来マリーシャさんが希望し、またチロ基金も可能であれば、顔以外でも目に付きやすい首や手の部分の整形手術の支援を行いたいと考えています。
 もしご協力を申し出てくださる方がおられましたら、ご連絡ください。

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その6

2010-09-28 | チロ基金
 9月17日、退院の日がやってきました。これはそのとき撮影したマリーシャさんの様子です。ちょっとピンぼけしてしまって申し訳ありません。興奮して手が震えた。(^^;)
 (マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 入院前はなかった頭の右側の部分に毛が生えています!
 すごい! とても自然な感じです。後は髪の毛が伸びてくるのを待つだけです。そして髪の毛に関してはこれで完了。もう手術も治療もしなくていいのです。

 そして顔の美容整形手術のほうも第1段階が成功しました。顔の前面の色の薄くなっている部分に、いわゆるピーリング方法で手術がされました。
 つまり顔の火傷の痕が、でこぼこの状態なのを、表面をけずって、出ている部分を少なくし、皮膚の表面が平らになるようにする方法です。
 ただ、一度にたくさん削ることはできないので、2回から4回に分けて、少しずつ削ります。次回の美容整形手術は12月の予定です。
 それに皮膚が自然に下から再生しようとする力があるので
「削った後は数ヶ月、肌を休ませるほうがよい。」
とコシェリコフ先生が話していました。
 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その5

2010-09-28 | チロ基金
1回目の手術から2ヶ月。8月末の様子です。この画像はコシェリコフ先生が撮影しました。
(マリーシャさんご本人とコシェリコフ先生の承諾を得て、この画像を公開しています。)
バルーンがふくらみ、毛根があるところの皮膚がこのように伸びています。 
 これぐらい伸びる、つまり皮膚の面積が広がれば、毛根のない部分の皮膚を取ってしまっても上からかぶせることができます。
 こうして9月1日、再び手術が行われました。植毛手術は成功。麻酔がまだ効いているマリーシャさんの顔の部分にも美容整形手術が行われました。
(チロ基金は顔の部分の美容整形手術に対してのみ支援を行いました。)

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その4

2010-09-28 | チロ基金
 バルーンを皮膚の下に埋め込む手術をして2日後、6月末に撮影した画像です。
 マリーシャさんご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)
 顔の横にプラスチック製の容器がぶら下がっていますが、これはこの画像を撮影した次の日には取り外されました。バルーンに空気をいれるための穴が開いていて、そこからチューブが垂れ下がっているのですが、術後すぐは血が微量ですが出てしまうので、このような容器に溜まるようにするのだそうです。
 何だか痛々しいけど、大丈夫? しかしマリーシャさんは
「ちょっと、変な感覚がするけど、全然痛くない。」
と話していました。

 この後、2ヶ月かけてこのチューブを通して、少しずつバルーンに空気を入れていきました。
 それも痛くないのか? と見ているこっちのほうが心配になるのですが、マリーシャさんは
「空気を入れるのは痛くなかった。でも最後のほうになってきて、皮膚がかなり伸びたときは、ちょっと痛かった。」
と退院時に言っていました。
 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その3

2010-09-28 | チロ基金
 この画像はコシェリコフ先生が撮影しました。手術中の様子です。
(マリーシャさんご本人とコシェリコフ先生の承諾を得て、この画像を公開しています。)

 これは植毛手術の様子を撮影したものです。(チロ基金はこの手術に対しての支援はしていません。)
 植毛手術と言えば、普通は自分の毛の場合、毛があるところから毛のないところへ毛根を移植します。
 しかし、この熱傷治療センターでは、もっとすごい手術をしていました。
 それは「バルーン方法」というものです。この方法はどんなものかと言うと・・・

 まず、毛が生えていない部分に近い部位で、毛の生えている部分を切開します。毛が生えていない部分の面積によって切開部分の数が変わります。マリーシャさんは2箇所です。
 切開したら、皮膚の下にバルーン、つまり風船を入れます。画像に写っているビニール状のものがバルーンです。
 バルーンを入れたら切開した部分を縫合しますが、手術後もバルーンに空気を入れられるように小さい穴を開けておきます。
 手術後、2ヶ月かけて少しずつ外部からバルーンに空気を入れ、膨らまします。バルーンが大きくなるにしたがって、それを覆っている皮膚が伸びていきます。伸びた皮膚の部分には毛(毛根)があります。
 充分に皮膚が伸びたら、2回目の手術をして、毛根のない部分の皮膚を切除。バルーンは外して、伸びた皮膚を代わりにかぶせます。すると頭全体を毛根がある皮膚が覆うことになります。つまり、頭全体に髪の毛が生える・・・ということです。

 すばらしい! しかし大変そう・・・。時間もかかるし・・・。でもこれが一番根本的な治療になるそうです。
 2ヶ月の入院生活を送らないといけないため、9月に2回目の手術をすることになりました。
 その手術直後のまだ麻酔が効いている間にマリーシャさんの顔の部分の美容整形手術を行うことになりました。
 しかし1回だけでは美容整形手術は終わらず、最低でも2回、場合によっては4回手術しないといけないそうです。
 話し合いの結果、2回目の美容整形手術は12月に行うことになりました。
 
 
 

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その2

2010-09-28 | チロ基金
 マリーシャさんはミンスク市内にある救急病院に入院しました。どうして救急病院? と思われるかもしれませんが、その中、5階と6階に「熱傷治療センター」が入っているのです。
 その熱傷治療センターで働くコシェリコフ先生がマリーシャさんの担当医です。コシェリコフ先生はベラルーシの熱傷治療の権威です。
 この画像はコシェリコフ先生が撮影した物です。入院直後、手術前々日のマリーシャさんです。
(ご本人とコシェリコフ先生の承諾を得て、この画像を公開しています。)

 このように頭の右半分が火傷のため、毛根を失ってしまい、毛がない状態です。右耳も上部がなくなっています。
 今回の手術では、頭に自分の毛根を植え付けることと、そして顔の部分の美容整形手術です。
 後者の顔の部分の美容整形手術のみをチロ基金が支援しました。
 でもせっかくなので、植毛手術についてもご紹介したいと思います。

 マリーシャさんは頭の左側の髪の毛を伸ばして、右のほうにやったり、帽子をかぶったり、かつらをつけることも考えたそうですが、ご両親の最優先の希望で、植毛手術をうけることになりました。  

チロ基金の活動 「マリーシャさん支援プロジェクト(熱傷痕への美容整形手術支援)」その1

2010-09-28 | チロ基金
 2010年9月、新しいチロ基金の活動として、「マリーシャさん支援プロジェクト」を始めました。
 これは分かりやすい簡単な名称で、具体的にはゴメリ州に住む18歳のマリーシャさんの顔の部分にある熱傷痕(やけどの痕)を薄くする美容整形手術の費用をチロ基金が本人に代わって負担する、という支援活動です。

 まずはチロ基金とマリーシャさんの出会いをご説明します。
 当時15歳だったマリーシャさんと初めてお会いしたのはSOS子ども村でした。詳しくはこちらの過去ログをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第68回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/8e0659625ebc56a74669fe75a7e88c9d


この過去ログ記事内でもご報告していますが、マリーシャさんが火傷を負った経緯をここでもご紹介します。
 マリーシャさんは5歳のときにガソリンによる大火傷を負いました。近所に住んでいる子どもたちが止めてあったオートバイからガソリンを盗み、いろいろな物にしみこませて火をつけ、遊んでいたところ、偶然マリーシャさんが通りかかりました。
 子どもたちはマリーシャさんに燃やしていたものを投げつけて、逃げました。マリーシャさんは服に火が燃え移り、病院に運ばれ、一命は取り留めたものの、痕が体の右半分に残ってしまいました。
 最初はゴメリ市の病院に通っていましたが、後にミンスクの専門医の元へ通うようになりました。
 15歳のときには、皮膚移植をしても、成長してから引きつれなどの問題が出てくる可能性があり、本格的な治療は成人してから、と言われました。
 ゴメリ州に住むマリーシャさんはチェルノブイリ原発事故の被災者救援活動の一つとして、ドイツへ頭部の手術治療に行きました。ところが、かえって傷跡の状態が悪化。帰国してからベラルーシの担当医に治療し治されました。
 そしてもう少し成長してから、(つまり大人になって頭蓋骨の大きさが成長しきってしまうこと。)美容整形手術を受けるよう担当医に勧められました。それが18歳です。
 
 2010年7月に18歳になるマリーシャさん。直前の6月に高校を卒業しました。しかしご両親は手術を早く受けることに決め、進学の道を1年延ばし(つまりマリーシャさんは現在浪人中。)ミンスクの病院に入院することになりました。
 6月下旬に入院。しかし手術は頭部のみで、髪の毛の再生手術のためだけでした。
 頭髪再生手術は、入院した日が18歳になる直前だったため、ぎりぎり「未成年」扱いとなり、無料で受けられることになりました。(ベラルーシは18歳が成人年齢。)

 話し合いの結果、チロ基金は顔の部分の美容整形手術への費用を援助する、ということになりました。それにかかる費用は日本円に直して約2万円。
 (良かった、億万長者でなくても、チロ基金から出せる金額だわ、とほっとしましたよ。)(^^;)
 日本の常識だったら、やけどを負わせた加害者が治療費を出すのが当たり前だと思います。実際にベラルーシでも加害者に請求が行くケースがほとんどです。
 しかしマリーシャさんの場合、やけどを負わせたのが子どもだったので、「おとがめなし。」として処分されています。
 でも、被害にあった側からすれば、やけど跡は広範囲で、目に付くうえ、心にも大きな傷が残ってしまっています。そのときに味わった恐怖感も一生忘れられないと思うし、全くもってかわいそうです。
 マリーシャさんは犯罪被害者で、大火傷をしたのも、本人は何も悪いことしてないのに・・・とSOS子ども村で出会った数多くの子どもの中でも、印象に残った人でした。

 今回チロ基金からマリーシャさんに支援活動ができ、よかったと思っています。
 そしてこの手術費用は群馬県のお住まいのWさんからの寄付金、そして、年に2回開催されている日本ユーラシア協会大阪府連主催の「ユーラシアバザール」での売上金から出させていただきました。
 Wさん、日本ユーラシア協会大阪府連の皆様、本当にありがとうございます!
 おかげさまで、マリーシャさんに手術をすることができました。
(日本ユーラシア協会大阪府連主催「ユーラシアバザール」について詳しくはこちらです。)
 
http://www011.upp.so-net.ne.jp/jes


 これから順を追って、この支援活動についてご報告いたします。

 画像はマリーシャさんの18歳の誕生日にご両親といっしょに撮影した物です。場所はミンスクの病院敷地内。
 これは手術前の画像です。(ご本人の承諾を得て、この画像を公開しています。)


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第108回」

2010-09-24 |   ビタペクト配布活動
 9月9日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第108回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を3個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1727個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1470部となりました。
  
 今回で通算118回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1727人分のビタペクト2、そして1470家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by




 今回はミンスク州から2家族が保養滞在していました。それぞれのご家族にお話を伺いました。

(家族A)

 ミンスクから5キロのところにあるラトムカ(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家族。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。体内放射能値の結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を1個ずつ渡しました。

母(事故発生時13歳)15ベクレル
長女(16歳)12ベクレル
次男(14歳)27ベクレル ○
三男 (3歳)26ベクレル ○

 このほか18歳の長男がいますが、SOS子ども村による年齢制限のため、保養滞在していません。また生後2ヶ月の次女がいますが、まだ首も座っていないし、測定不可能ということで、放射能値を調べていません。

 次男は低血圧のため、しょっちゅう頭痛を起こしているそうです。薬を飲み続けて現在は頭痛は軽減していますが、薬を飲むのをやめたら、また頭が痛くなるのでは、と手放せない状態です。
 他の子どもたちは比較的健康だそうです。
 子どもが5人いるので、多子家庭のための子ども手当てをもらっていますが、子どもが小学校入学まではたくさんもらえるのに、年齢が上がるにつれて手当ての額が少なくなっていくそうです。
 手当ての額は地方自治体によって、異なります。意外とミンスクやミンスク州では少ないようですね。
 お母さんは内装工で、主に壁を塗る左官の仕事をしていますが、今は育児休暇中。最初の夫からは上の子ども3人分の養育費をもらっていますが、下の2人の子どもの父親とは正式に結婚していない、という複雑な事情があり、今は家を借りて暮らしているそうです。
 お母さんの話を聞いていて、自由な女性、という印象も持ちましたが、私の目からするとものすごく生活が大変なようすにも見えました。
 ベラルーシもこれから、どんどんこういう新しいタイプの女性(正式に結婚はしないが、子どもはほしいという)が増えてくると思いました。
 そのとき行政はどのような対応を・・・とも思いましたし、また子どもたち自身はどうなのかな? と少々心配にも思いました。


(家族B)

 ミンスクから17キロのところにあるガトボ(チェルノブイリ原発から約310キロ)から来た家族。この家族には1個のビタペクト2を渡しました。体内放射能値の結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母(事故発生時19歳)13ベクレル
次女(10歳)25ベクレル ○
三女 (6歳) 0ベクレル
四女 (1歳)47ベクレル

 この家族には22歳の長女がいますが、同じく年齢制限のため保養滞在に来ていません。
 1歳の四女は放射能値が高かったのですが、ビタペクト2を飲めるのは3歳以上なので、渡していません。
 
 10歳の次女は生まれつき心臓が弱いそうです。生まれたときに難産だったそうで、お母さんはこの次女のことを一番心配していました。
 逆に三女はとても元気で、利発な子どもだそうで、放射能も0ベクレルだったため、お母さんは大変安心していました。

この家族のお父さんは身体障害者です。海水浴に行って頭から飛び込んだら、海の底にぶつかって首の骨がずれてしまいました。そのとき長女は1歳だったそうです。
(飛び込むのは実はとても危ない、ということを日本のテレビで見たことがあります。毎年大勢の人が障害者になっているそうです。皆さん、気をつけましょう。)
 その後お父さんは車椅子生活を送り、医者からは
「二度と自力で歩くことはできない。」
と宣告されました。
 ところが本人があきらめずに、リハビリを懸命に続けた結果、立てるようになり、今では何とか自分で歩けるようになりました。
 お父さんが障害者になったころは、お母さんも大変な苦労をしたと思います。
 しかし10年前に「やっぱり子どもがもっとほしい。」と思うようになり、今は4人の女の子が生まれています。お母さんは子宝に恵まれて本当によかったと笑顔で話していました。

 画像は記念撮影したときの様子ですが(家族B)の次女が地元の学校に通っていたため、写っていません。また1歳の四女も寝てしまって、写っていません。

今回もいつものように子ども達に折り紙や日本の絵葉書、ぬりえ、そして日本のおやつ昆布(北海道、昆布の名産地、羅臼にお住まいのSさんからのプレゼント)を渡しました。
 昆布についてはやはりお母さんたちから、どのように食べたらいいのか、などの質問が出ました。とても熱心に
「こういう料理に使ってもよいのか?」
といった質問が出ました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、昆布をわざわざ北海道から送ってくださったSさん、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

茶の湯の紹介 第8回 その7

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 オシポビッチ青少年創作センターからも記念品をいただきました。すべてこのセンターで学んでいる子どもたち、指導している先生たちの作品です。画像に写っているのはセンター長さんです。本当にありがとうございました。
 今回茶の湯の紹介を実施するに当たり、イリーナさんをはじめいろいろな細かい配慮をオシポビッチ青少年創作センター側からもしていただきました。双方の力が合わさってこそ、日本文化の紹介も可能なのですね。
 大成功のうちに茶の湯の紹介ができてよかったです。また来年も実施したことのない場所で茶の湯の紹介をしたいと考えています。
 毎回ながら協力している家族にも感謝です。(私1人では着物もろくに着られないので・・・。)(^^;)
 オシポビッチへは電車で片道2時間ほどなのですが、車だと1時間半ほどで行けました。帰り道、車窓から見た夕焼けがとてもきれいでした。
 人口4万人足らずの小さい町とは言え、ホテルもとても素敵だったので、また遊びに行きたいねえなどと、家族で話しながらミンスクに帰りました。

茶の湯の紹介 第8回 その6

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 お茶を体験してもらった後、記念品の贈呈を行いました。日本文化情報センターからは千羽鶴と押し絵の色紙です。
 この千羽鶴は長年にわたりチロ基金を支援してくださっているHさんのお母様(90歳!)が半年かけて作ってくださったものです。オシポビッチの皆さんはその数(鶴の数と作った人の年齢)に大変驚いていました。
 Hさん、お母様、本当にありがとうございました。オシポビッチ青少年創作センターで長く飾ってくれると思います。
 押し絵の柄はうさぎの餅つきです。
「日本人は月にうさぎがいると思っていてそれが餅をついている。」
と説明しましたが、ベラルーシ人にどこまで理解してもらえたかどうか・・・。(^^;)
 でも来年はうさぎ年なので、ちょうどよかったです。
 
 

茶の湯の紹介 第8回 その5

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 お茶を飲むのはいいけれど、やっぱりお箸が使いにくそうでした。お干菓子は手でつまんでもいいですよ、と言ったのですが、果敢にお箸でつかもうとする子どもが多かったです。
 子どもたちが挑戦している間、たくさんの質問をいただきました。
「1人何個までお菓子が食べられますか?」「普通1個から3個まで・・・。」どうしてそんなに少ししか食べられないの? と驚くオシポビッチの人々・・・。
「お客さんの側から絶対にしてはいけないことって何でしょうか?」「・・・お菓子を独り占めにすること・・・?」やっぱりお菓子は少ししか食べないんだと驚くオシポビッチの人々・・・。
 茶の湯の紹介が終わった後、イリーナさんは
「お客さん3人がたった一つの茶碗でお茶を飲んでいたことに一番驚いた。」
と感想を話していました。(やっぱり・・・。)

 日本の茶の湯の紹介後、オシポビッチ青少年創作センターで薬草を研究するクラブの顧問の先生から、ハーブティーがふるまわれました。とても香りがよくて、おいしかったです。本当にありがとうございました。
 日本人側もとてもよい思い出となりました。

 

茶の湯の紹介 第8回 その4

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 せっかくですので、画像でオシポビッチの子どもたちが茶道に挑戦して入る姿をご紹介します。(緊張気味・・・。)

茶の湯の紹介 第8回 その3

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 茶の湯の紹介の後、オシポビッチの皆さんにお茶とお菓子を食べていただきました。
 慣れない正座に、つかめない箸・・・。本当にベラルーシと日本ではお茶の飲み方も全然違いますね・・・。
 でも、めったにできない経験ができてよかったのでは?

茶の湯の紹介 第8回 その2

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 まず最初に茶道の歴史を簡単にロシア語で紹介しました。その後、家族そろって茶の湯のデモンストレーションをしました。
 Tの母が主人の役、私が主客をしてロシア語の説明を加えながら行います。(でないと、たぶんベラルーシ人は見てるだけではちんぷんかんぷんだと思うので・・・。)
 それからY子が次客、そしてTの父が末客の役しています。
 菊の節句に合わせて、菊の花を使った生け花も生けました。
 本物の茶室でするわけではないので、茶の湯をベラルーシで紹介するのは大変です。しかし、今回の会場はもともと幼稚園を改装して作った青少年創作センターであったため、大変便利でした。
 会場がステージになっていて、見やすかったと思います。また楽屋(幼稚園のときは洗面所)があって、そこを水屋代わりにできて、茶の湯の紹介にはぴったりの場所でした。
  

茶の湯の紹介 第8回 その1

2010-09-18 | 日本文化情報センター
 毎年秋に日本文化情報センター創立記念に合わせて行っている茶の湯の紹介。今年で8回目の開催となりました。
 今回はモギリョフ州オシポビッチにある青少年創作センターで紹介しました。
 このセンターには1年前に出張講演に行ったことがあります。そのときの様子はこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/252366985d48530076ff222a9c9b8b1f


 このときにオシポビッチに青少年創作センターで人形劇を指導しているイリーナさんから希望があり、今年の茶の湯の紹介がオシポビッチで行われることになりました。
 イリーナさんは人形劇団「ナーシ」で人形劇「ぺトルーシカ」を上演しています。この劇団について詳しくはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/ef8e277a62f4b6ac77d54a03c69f2014


 9月7日天気に恵まれ、茶の湯の紹介が始まりました。会場のホールには多くの方が来てくださいました。

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過去に茶の湯を開催した会場とご報告はこちらです。

2002年 日本文化情報センター創立3周年記念

2003年 グロドノ市立中央児童図書館

2004年 日本文化情報センター創立5周年記念

2005年 ポーロツク市立第7児童図書館

2006年 スベトロゴルスク市立中央児童図書館

2008年 SOS子ども村

2009年 日本文化情報センター創立10周年記念