ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第90回」

2009-05-23 |   ビタペクト配布活動
 5月21日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第90回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を6個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1596個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1290部となりました。
  
 今回で通算100回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1596人分のビタペクト2、そして1290家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回も2家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。そのうちの1家族にだけビタペクト2を配布しましたが、それぞれのご家族にお話を伺いました。


(家族A)
 
 ピンスク(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た家族。この家族に6個のビタペクト2を渡しました。子どもは全部で8人いますが、そのうち6人だけが保養に来ており、子ども全員に1つずつビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時14歳)0ベクレル
女子(17歳)22ベクレル
男子(12歳)27ベクレル
女子(9歳) 21ベクレル
男子(8歳) 32ベクレル 
女子(6歳) 26ベクレル
女子(5歳) 22ベクレル

 子どもたちの健康状態ですが、17歳の女の子は背骨が歪んでおり、最近視力が低下してきたそうです。
 9歳の女の子は生まれつき腎臓が一つしかありません。また肩のあたりの骨と関節が歪んでいて腕を上げることができません。
 手術しなければいけませんが、まだ小さいので健康な神経を傷つけたら危険なので、時期はしばらく後にしたほうがいいと医者から言われたそうです。
 
 病気のため家でお父さんと留守番をしている2人の子ども(2歳と6歳)ですが、6歳の男の子(6歳の女児とは双子。)は生まれつき脊髄が変形していて、今でも自力で歩くことができません。1年前に手術しましたが、まだ歩行ができず、家の中を這っているそうです。
 お母さんはこの男の子のことを話すときはとても悲しそうでした。

 つまり子どもが8人いる多子家庭で身体障害児がいるわけですが、地元ピンスクでは、だからと言って何か福祉助成金などがもらえるわけではないそうです。
 地方格差がベラルーシに存在しており、その差がかなり大きい、ということです。残念です。
 お母さんは「ピンスクは放射能汚染が続いている。1年に1回でいいから子どもにビタペクト2を飲ませたい。」と話していました。


(家族B)

 ボブルイスク(チェルノブイリ原発から約200キロ)から来た家族。この家族には年齢制限などの理由のため、ビタペクト2を渡しませんでした。
 しかし体内放射能値は測定しましたので、その結果をお知らせします。

母親(事故発生時11歳)20ベクレル
長女(13歳)19ベクレル
長男(5歳)20ベクレル
次男(3歳)38ベクレル

 私はビタペクト2は3歳以上が対象なので、この子どもたちにも飲ませたい、と思ったのですが、SOS子ども村のリリヤ先生は、健康状態がよくなくとても痩せていて3歳の子どもの体格なので、飲ませないほうが無難だと話しました。

 この子どもたちのお母さんは、多子家庭に支給される住宅を受け取る手続きのため、1人帰郷しており、話をうかがうことができませんでした。
 リリヤ先生の話では、長女は生まれつき耳が聞こえず、話も上手にできないので、コミュニケーションがうまく取れない、ということでした。この女の子が話している言葉(私の耳には「うー」とか「あー」にしか聞こえない・・・。)が分かるのはお母さんだけなのだそうです。
 もう1人のお母さんと話をしているとき、急にこの女の子が泣き出したのですが、理由が分からなくて困りました。
 しばらくして「私の家族だけビタペクト2がもらえなかったので」泣いた、ということが分かりました。

 お母さんが不在なので、子どもたちの健康状態もきくことができませんでした。
 ただ男の子2人は、顔色も悪く、痩せていて落ち着きもなかったです。

 このお母さんですが、長女は1回目の結婚のとき生まれた子どもで、2人の男の子は2回目の結婚のときの子どもなのだそうです。そして2番目の夫とも離婚。今は3人目の夫となる人と恋愛の真っ最中で、SOS子ども村へせっかく保養に来たのに、毎日4時間も携帯でその人と話をしており、子どものことはほったらかし・・・なのだそうです。
 
 リリヤ先生は
「かわいそうだけど、この子どもたちにビタペクト2をあげたとしても、母親がこんな状態では、ちゃんと毎日飲ませないだろう。」
とため息をついていました。
 親によって運がいいとか、悪いとかの境目を見てしまった気持ちがしました。
 もしお母さんがこの場にいて、もっとしっかりした人だったら
「体が小さくてももう3歳以上なんだから、ビタペクト2をください!」
と言っていたと思います・・・。

 今回もいつものように子ども達に折り紙や日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪、年少の子どもたちにはぬりえ(ドラゴンボールとポケモン)などをあげました。
(「あれもほしい、これもほしい!」という子どもが今回多くて、喧嘩が起きないか心配でした。)
 子供向けのお話が載っている雑誌(これはベラルーシの出版)もプレゼントしました。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙やぬりえなど子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、SOS子ども村への交通費を捻出してくださった日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。(ついに100回目の配布です。)
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ベラルーシの幼稚園 最終回 「卒園証書」

2009-05-22 | ベラルーシ生活
 ベラルーシでは卒園の時期を、親が希望すれば1年遅らせることができます。Y子のグループでは2人の子どもが9月からまた年長組に入ることになりました。
 どうしてこんな判断を親がするのかは私には分かりません。
 しかしその2人の子どものことをY子は、
「お勉強ができていなかった。」「他の子どもをいつも叩いたり、女の子のスカートをめくったりしていた。」「突然大声を上げたりしていた。」「他の子どもの物やおもちゃを壊していた。」
と話しており、みんなから迷惑がられていたそうです。
 どこにでもいますよね、こういう子ども。 

 先生からもいつも叱られていて、罰として「教室の隅っこに立たされたり」「トイレに閉じ込められる」ということをされていたそうです。
 立たされるのはともかく、トイレに閉じ込める、というのは日本人の感覚からすると、
「ベラルーシの幼稚園の先生は厳しい・・・。」
ということにならないでしょうか?

 この2人の保護者は自分の子どもの性格を把握しており、これでは
「学校での集団生活は難しい。」
と判断して、もう1年幼稚園で様子を見よう・・・ということにしたようです。

 他にも病気がちで、学校で勉強できる体力がなさそう、あるいは体格が小さいので学校の体育の授業が大変だろう、もう少し大きくなってから入学させよう・・・という親が、学校の入学を1年延ばすようです。

 このように親の希望により小学校入学は1年延ばせますが、それ以上伸ばすことは許されていません。
 ちなみにベラルーシの幼稚園は義務教育ではありません。(学校は9年間が義務教育になっています。)
 幼稚園に全く通わない、という子どももいますが、非常に珍しいケースです。
 幼稚園に通っていない場合は「通っていません。」という証明書を診療所から発行してもらい、親はそれを職場に提出します。
 証明書、と言っても親が「通ってません。」という言葉をそのまま信じて医者が記入するだけなんですが・・・。
 1年に1回住宅管理局の職員が担当地域の家庭訪問をして
「お宅のお子さんは幼稚園に通っていますか? 通っている場合どこの幼稚園ですか?」
と質問し、書類を作っています。
 おそらくこれは親の虐待(育児放棄)がないかどうか調べるためだと思います。
 
 さらに日本では考えられないのは、小学校1年生は、学校ではなく幼稚園に通う、というシステムがベラルーシにはあることです。
 これは何かと言うと、まず各幼稚園ごとに担当している学校が決められています。
 Y子が通った幼稚園は一番近いところにある学校が担当していました。
 その学校に9月から入学することに決めると、入学式は学校でしますが、授業は幼稚園内で行われます。
 そして2年生から学校の校舎のほうに通学します。

 どうしてこんなことにしているかというと、1年生はまだ年齢が小さいため、ベラルーシでは「昼寝」「保護者の送迎」「1日3回の給食」が必要とされています。
 このうち昼寝用の寝室が学校にないため、幼稚園の施設を小学校1年生の教室と寝室として使用する、ということなのです。

 しかも、学区が一応定められているものの、現在は親が希望すれば、他の学区の学校に通うこともできます。
 それで、
「この幼稚園に通っていたわけではないけれど、9月からはこの幼稚園担当の学校に入学することになったので、1年生のうちはこの幼稚園に通う。」
という子どもも出てきます。

 逆に
「ずっとこの幼稚園に通ってきたけれど、この幼稚園が担当しているのではない学校に入学することになった。」
というケースもあります。
 そうすると入学希望する学校の担当幼稚園に1年生のうちだけ通うことになります。
 
 このように急に環境が変ることを避けるため、子どもがまだ小さいときに親がどこの学校に入学させるか決めておいて、自宅から少々遠くてもその学校の担当の幼稚園に通わせる、ということもあります。
 また最初は近所の幼稚園に通っていたけど、年長組に上がる前に希望する学校の担当幼稚園に移っていく園児もたくさんいます。
 そのためベラルーシの幼稚園では、グループの顔ぶれや人数がよく変ります。

 Y子のグループでは半分ぐらいがそのまま幼稚園に残り、(つまりその幼稚園担当の学校に入学した。)残りは、学区外の学校に進学することになって、幼稚園を変ったりしました。
 (Y子の場合は、家から遠い学校に入学したため、幼稚園が変るはずだったのですが、少々特殊なケースに当てはまり、もう幼稚園には通わず、そのまま学校の校舎に通うことになりました。 詳しくは「ベラルーシの学校」でご紹介します。)

 幼稚園内での小学1年生の授業は、学校が定めた時間割にそっています。そのため学校の先生も学校から幼稚園に通勤してきます。
 日本人の感覚からすると、変ってますよね。
 簡単に言えば、小学校1年生だけは、学校校舎内ではなく、幼稚園施設を「入れ物」として使う、ということです。
  
 さて、年長組を修了すると卒園となり、そのまま残る子や、別の学区に通う子どもやらで、ほとんどお友達みんなばらばらになってしまいます。
 それで卒園式をしますが、そのまま残る子どもは、
「小学生になった。」
という実感があまりわかないでしょうね。

 卒園証書の表紙には「さようなら、幼稚園!」とあります。(しかし1年生になっても幼稚園に通い続けるので、変な感じ・・・。)
 中を開くと、それぞれの子どもの大きい写真が入っています。しかも斜め45度・・・ではなく20度ぐらい外した角度で撮影しています。(^^;)
 次のページには3人の先生とグループ全員の顔写真と名前。幼稚園での様子の写真が入っています。そのバックは「戦勝記念日の勝利広場」と「独立広場」の写真・・・。
 最後に卒業証書がアルバムに貼り付けられています。

 そして、すごいと思ったのは表紙の裏。わが子の大きい写真の隣のページです。何やらロシア語でたくさん書いてあるので、読んでみると・・・
「私はあなたの子ども」とあり、続いて
「どんな私でも愛してください。幸せなときも悲しいときも、楽しいときも真剣なときも、小さいときも大きくなってからも。」
「大きくなったらあなたのようになると思わないで。私があなたにではなく、私自身になれるように手助けして。」
「あなたの機嫌の悪さで私の邪魔をしないで。」
「私が自分でできることには手を貸さないで。」
「守れない約束はしないで。」
「他人が見ているところで、私を評価しないで。」
「私には理解と支えがいることを忘れないで。」
「私の悩みから目をそらさないで。後から様子を見ることはしないで。」
「私が生まれたことが、あなたの人生のとても大事な出来事であることを覚えていて!」
 ・・・と親の心得10か条のようなものが、子どもの口から出た言葉として書いてあります。ひいー。(@0@;)
 最後に
「こんな小さい子どもといっしょに、こんな大きな喜びがやってくる。子どもが成長する家よりも、この世に幸福なものはなし。」
と締められています。

 こんなすごい文章が卒園アルバムに載っているとは思ってもいませんでした。
 もっと無邪気なことが書いてあるのかと思っていたのに、心得10か条はほとんど全てロシア語の「HE」つまり「・・・しないで。」という言葉で始まっています。
 日本の幼稚園の卒園アルバムだと「いつまでも元気でね!」とかそういう明るい希望のようなものが書いてあると思うんですが、「・・・しないで! ・・・しないで!」と連呼されて、ベラルーシの卒園アルバムのほうは、読んでいて親としては落ち込みそうになりました・・・。(^^;)
(せめて「子どもとの約束は守りましょう。」という表現にしてほしいです。)
 
 うーん、何だか変な気分になってしまいましたが、これでベラルーシの幼稚園のご紹介を終わります。
 そのうちベラルーシの学校についてもご紹介します。気長にお待ちください。 
 
 

ベラルーシの幼稚園 その12 「お遊戯会」

2009-05-22 | ベラルーシ生活
 幼稚園で行われるお遊戯会についてです。
 まず9月1日に入園式や始業式が行われます。入園式はY子は参加していないのでよく分かりません。始業式は年齢ごとに、歌を歌ったりします。どちらかと言うと先生が寸劇(テーマは「幼稚園でお勉強をして頭のよい子になりましょう。」など)をしたり、楽器を演奏したりします。
 園児のほうは担任の先生にお花をプレゼントします。しかしあげたい人だけあげたらいい、というもので、全員必ずプレゼントするものではありません。
「ではただいまより花束贈呈!」
といった堅苦しいこもしません。

 秋には各グループごとに秋のお遊戯会。ふだん習っている歌やダンスを発表します。
 いつもの学習成果を保護者に発表する、という感じです。
 ベラルーシの幼稚園で感心するのは、毎回詩の暗唱をそれぞれの子どもが発表することです。
 
 年末にはお正月会。(しかしモミの木をホールの真ん中に立てたりするので、日本人からすると雰囲気はクリスマスです。「ベラルーシの幼稚園 その1」の画像を参照。)
 女の子はドレスを着ます。親は自分の子どもをクリスマスツリーと勘違いしているかのように、飾り立てます。
 男の子は仮装をします。仮装する衣装は昔は親の手作りがほとんどだったのですが、最近はおもちゃ屋でいろいろなデザインのものが売られています。
 例えば、Y子のグループには森の小人、海賊、スパイダーマンがいました。

 幼稚園にはピアノやバヤン(アコーディオンに似た楽器)を弾く先生がいます。楽器の演奏をしない先生は、ヤガー婆さん(魔法使い)やマローズじいさん(サンタクロースに似ています。)などの衣装を着て、劇をします。
 幼稚園の先生は100%と言ってもいいほど女性なので、男の役もします。宝塚みたい。(^^;)
 子どもたちはゲームをしたり歌を歌ったりしますが、年長組になると楽器の演奏もします。
 ダンスなどは、よくある子どもの歌に合わせて踊りますが、中にはディスコ音楽、ムーディーでスローなラブソングに合わせて、男女ペアで踊ったりします。
(あまり日本の幼稚園ではしないですよね・・・。)
 もっともY子は相手の男の子がダンスを間違えるたびに怒って、手を引っ張ったりしており、ムーディーな雰囲気とは程遠いものがありました。(^^;)

 幼稚園の先生が女性ばかりなので、見に来ていた保護者の父親が飛び入り参加させられて雪娘(マローズじいさんの孫)といっしょに踊らされたりします。
 最後には子どもたちにプレゼントのお菓子や果物が配られ大喜び。
 しかしこのプレゼントの経費は幼稚園が親からあらかじめ「徴収」しておいたお金で準備したものなのです。
 
 年が明けるとクリスマス会(ベラルーシではクリスマスは1月7日)があります。
 こちらはお正月会より民族色が強く、ベラルーシ民謡を歌ったり、伝統的な遊びをしていました。
 また簡単な民族舞踊などをする子どもたち(クラブ活動でダンスを習っている子ども)は、民族衣装を着て踊りを披露します。(画像参照。)
 このような民族衣装は幼稚園にそろえられています。
 Y子の幼稚園には衣裳部屋があって、そこに民族衣装(先生用のも)が保管されていました。
 この画像では女の先生が、男性の民族衣装を着て寸劇をしていました。(やっぱり宝塚みたい。)(^^;)

 画像中央で歌っているのはY子ですが、ベラルーシ人じゃないので、民族衣装はあまり似合わないかな?

 そして5月末に終業式や卒園式があります。そこで卒園証書が授与されます。それが終わっても6月と8月は希望者は幼稚園に通うので、
「さようなら、幼稚園・・・。(涙)」
という感じになりません。

(続きは「ベラルーシの幼稚園 最終回」をご覧ください。)


ベラルーシの幼稚園 その11 「衛生面について」

2009-05-20 | ベラルーシ生活
 今回はベラルーシの幼稚園の衛生面について。
 ベラルーシの幼稚園には1グループを3人の先生が担当している、とご紹介しました。
 そのうちの1人は衛生担当の先生です。この先生は白衣を着ています。
 給食を教室に1日3回運び、配膳をするのもこの先生です。食器はトイレとは別になっている部屋で洗い、保管しています。このような食器質が各教室に一つずつついています。
 食事は各教室でとっています。

 教室や寝室の掃除をするのもこの先生です。
 さらに子どもたちが外で遊んで帰ってくるたびに、床そうじをしています。1日に3回はモップをかけています。
 冬場ベラルーシは雪が積もるため、遊び場の雪や土が靴について、更衣室の床がすごく汚れてしまうからです。
 
 この先生のおかげで教室の衛生が保たれているわけです。
 画像はトイレの洗面所にあるタオル。こちらも子ども1人に1枚のタオルと決まっています。他の子どもと共有することはありません。
 
 ここでも一つ、ベラルーシの幼稚園が抱える問題があります。
 それはやはり予算が少ないこと。
 例えばY子の幼稚園は30年ぐらい前に建てられたのですが、教室や寝室のカーテンや壁紙などは新しいものに替えられています。
 しかし、予算がなくてトイレの内装は30年前と同じです。便座も外れてしまっているし、3つある個室のうち一つは故障していて掃除用具入れになっています。

 しかし、とうとう予算が下りてトイレの全面的修繕と改装が行われることになりました。
 でも喜んでいるのも束の間、Y子のグループは他の部屋に移されてしまいました。
 そこは衣裳部屋。つまりお遊戯会のときに子どもたちが着る衣装がしまってある部屋に机を運び、臨時の教室として使っていました。
 そしてやっとトイレがきれいになった頃、Y子は卒園したのです・・・。
(卒園の時期については子どもによって少しずつ違うのですが、詳しくは後ほどご紹介します。)

 また冬の隙間風対策は先生だけだと大変なので、保護者が参加します。
 これは何かと言うと、教室の窓と桟の隙間に綿や古新聞を詰めて、さらに紙テープでふさぐことです。
 ベラルーシの窓は二重窓になっているので、全部の窓枠に綿をつめるのはなかなか大変です。
 そこで保護者のうち希望者が手伝います。

 ベラルーシは冬は寒い上に、チェルノブイリ原発事故の影響らしく子どもの免疫力が以前と比べて低下しており、風邪やインフルエンザが必ず流行ります。
 そのほか風疹など他の子どもに感染する病気が流行ると、グループごとに学級閉鎖になります。
「風邪予防のために昼食のスープににんにくを入れます。各家庭からにんにく2、3個を持って来てください。」
というお知らせの紙が貼られ、にんにくを「徴収」したこともありました。
 次の日から毎日スープににんにくがたくさん浮いている状態のものが出たそうですが、努力の甲斐なく、インフルエンザにかかる子どもが大勢出ました。

 ちなみにベラルーシでは子どもが発熱を起こす病気になると、住所によって決められている診療所の医師に診察してもらいます。
 電話予約をすると医師が自宅まで往診に来てくれます。入院の必要がなければ処方箋を出してもらい、3日後に診察に行きます。そこで病気が治っていたら、健康証明書を発行してもらいます。
 その証明書がないと再び登園することができません。もし3日後に治っていないと、また3日後に診療所に行きます。つまり3日ごとに健康状態を調べます。
 仮に発病後4日目に治っていたとしても、6日間休まないといけません。

 また両親が子どもの病気のために仕事を休まないといけない場合は、最初に診察したときに、そのことを医師に伝えます。
 すると子どもの病気のための病欠証明書を作成してくれます。
 最初に診察を受けた日付と子どもの健康証明書を発行した日付が記入されます。 この病欠証明書を職場に提出します。そしてその日数分の日給が減らされた額が月給に反映されます。しかし、子どもの病欠を理由に、完全に日給が差し引かれることはありません。 

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その12」をご覧ください。) 

ベラルーシの幼稚園 その10 「ベラルーシの幼稚園への不満」

2009-05-20 | ベラルーシ生活
 私自身はベラルーシの幼稚園にとても満足しています。
 消耗品にお金が別にかかる、と言ってもそんなに大きな金額でもないです。
 しかし、唯一ベラルーシの幼稚園に不満なことがあります!
 それは歯磨きをしないことです! 1日に3回食事をしていますが、食後に1回も歯磨きをしていないのです。
 もちろん歯磨きのために必要な歯ブラシや歯磨き粉などを、持って来るように言われたことは一度もありません。
 ベラルーシには虫歯の人が多いのですが、幼稚園のときから歯磨きの習慣を身につけさせてないからでは・・・と思ってしまいます。
 うちの子も卒園時に歯が1本虫歯になってしまいました。

 各グループごとに洗面所、トイレがあるという環境なのに、歯磨きをしないのはおかしいですよね。
 そのわりに、洗面所に櫛やヘアブラシが置いてあるんです。(画像参照。)
 各ポケットに番号がふってあって、その上に「1番は○○ちゃんの櫛。2番は△△君の櫛・・・」という表が貼ってあります。
 他の子どもの櫛は使ってはいけない、ということです。

 虫歯予防より、髪型優先のベラルーシの幼稚園。変だと思うのは私だけでしょうか?

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その11」をご覧ください。)
 

ベラルーシの幼稚園 その9 「ベラルーシの幼稚園が抱える問題」

2009-05-19 | ベラルーシ生活
 ベラルーシの公立幼稚園についてご紹介していますが、ここまで読むといいことだらけですね。
 日本より長時間子どもを預かってもらえる。
 給食費は国から補助が出ていて、1日3食であるにもかかわらず安い。
 都会の場合、家の近所に幼稚園がたくさんあって選べる。
 待機児童の問題もない。(ロシア語グループに入れるのは少々難しいですが。) 勉強内容のレベルが高い。
 有料だがクラブ活動もできる。
 リネンの洗濯なども幼稚園側がしてくれる。

 ・・・などなど。
 しかしベラルーシの幼稚園にも問題がいろいろあります。
 例えば給食費などは安いのですが、それ以外の消耗品は親の負担となることです。
 トイレットペーパーは年度初めに1人2個を持参。なくなったら再び持参するよう先生から「お達し」が届きます。
 食事のときに使う紙ナプキンも親が現物支給。(画像参照。)

 さらには「生水を飲ませるとお腹を壊すかもしれない。かといって常にお茶やジュースを用意するのは難しい。そこでミネラルウオーターを常備」しています。
 そのミネラルウオーター代も親が負担。値段を子どもの頭数で割って、徴収します。子どもの数が少ないベラルーシグループは負担が大きくなります。
 ちなみに多子家庭などの場合は、これも50%の負担となります。

 さらに授業に絶対必要ではない、おもちゃの類も予算が削られてしまい、家庭からの提供に頼ったりしています。(積み木やブロック、人形など。)
 教室の画像にたくさんの大型おもちゃが置いてありましたが、それも家庭からの「徴収」により集めたお金で購入した物です。
 そのあたりの判断はグループの先生の判断によります。そのためグループによって置いてあるおもちゃが違ってきています。

 このように月謝以外で直接徴収されたお金は、1年に3、4回ある保護者会で何にいくら使ったかという明細が先生から保護者に報告されます。

 また記念写真撮影代、記念DVD代なども別に支払います。
 支払わなかった子どもはDVD用の撮影に参加できず、しかも映らないように他の部屋に行かされたりするので、ちょっとかわいそうです。
 
 ときどき幼稚園に人形劇などを見せにくることがあります。1人100円程度、と安いですが、これも親が支払います。 
 このように実際には月1000円では幼稚園に通うことができません。 
 
 またベラルーシの幼稚園で困ることは、夏休みがまるまる1ヶ月あることです。幼稚園ごとにちがっており、Y子の幼稚園では毎年7月と決まっていました。
 もっともベラルーシでは1ヶ月の休暇が取れるので、幼稚園の夏休みに合わせて親が自分の休暇も取るのが普通です。
 どうしても休暇の都合が合わず、仕事に行けなくなって困る、という場合は、近所にある8月が休みという幼稚園に、1ヶ月だけ通園することになります。
 急に1ヶ月だけよその幼稚園に通うことになるので、子どもが慣れないのではないかと心配し、実際にはこの方法を選ぶ親は少ないです。 

(続きはベラルーシの幼稚園 その10をご覧ください。)
 

ベラルーシの幼稚園 その8 「寝室」

2009-05-19 | ベラルーシ生活
 教室に併設した形で寝室があります。他のグループの子どもと同じ寝室ではなく、グループごとに寝室がつくられています。ただ、寝室の奥にあるドアを開けると、隣のグループの寝室に行けるようになっています。

 寝るベッドも子どもごとに決まっています。
 シーツや枕カバーなどは、幼稚園内にあるリネン室で洗濯、アイロンがけがされており、定期的に交換されていました。
 家庭からはおねしょ対策のため、シーツの下にひくビニールシートを1人1枚持ってくるように言われただけでした。

 寝室には机が置いてあり、女の子の髪の毛を結ぶゴムなどを外して、上に置いておきます。お昼寝の後は先生が女の子の髪の毛を結び直してくれます。
 先生はすごく髪の毛を結ぶのが早いです。さすがですね。

 基本的にはパジャマに着替えるのではなく、下着姿で寝ます。
 そのほうが簡単ですからね。
 しかしY子のグループでは冬にある親が「冷えるのではないか。」と子どもにパジャマを持たせたのをきっかけに他の子どもが
「こっちのほうがかわいい。私もパジャマが着たい。」
と言い出し、突然のパジャマブームとなりました。
 
 (続きは「ベラルーシの幼稚園 その9」をご覧ください。)
 

ベラルーシの幼稚園 その7 「園児数とベラルーシ語との関連性」

2009-05-18 | ベラルーシ生活
 教室にはこのようなミニポスターも貼られています。Y子のグループはベラルーシ語のグループだったので、ベラルーシ文学者の肖像画が飾ってありました。
 クリスマスの飾りでよく見えませんが(^^;)作家のヤンカ・クパーラとヤコプ・コーラスの2人です。
 日本人でたとえると、幼稚園の壁に夏目漱石と森鴎外の肖像画が貼ってある感じでしょうか・・・。
 他にもベラルーシの地図や、ミンスクの市の紋章などが掲示されています。
 
 幼少の頃からベラルーシ語に親しみを持ち、愛国心を持ちましょう、ということなのでしょう。
 こういうことを紹介すると
「ベラルーシは独裁国家。園児を洗脳しようとしている。」
みたいな反応をされる方もいるかとは思います。
 でも、これが現状ですし、先生方はことさらそのような教育はしていません。(相手がまだ小さいし・・・。)
 一般常識として「みなさんが住んでいる国はベラルーシ。国には旗や歌がありますよ。」といった話をしているだけです。
 5月9日の戦勝記念日には、近所にある無名戦士の栄誉を称える記念碑にみんなで花束を捧げに行ったりしていました。
 このような平和教育も行っています。(戦死者が多かったベラルーシでは避けて通れないテーマです。)

 さて、園児数とベラルーシ語との関連性についてです。
 ベラルーシではベラルーシ語とロシア語が公用語です。そのため幼稚園内でもベラルーシ語グループとロシア語グループがあります。
 ベラルーシ語グループでは、ベラルーシ語を勉強し、ロシア語は勉強しません。そして先生も子どもたちに話しかけるときは、ベラルーシ語です。
 でも保護者にはロシア語で話す場合があります。(私にはいつもロシア語で話しかけていました。)(^^;)
 ダンスなどのクラブ活動は他のグループの子どもといっしょになりますので、ロシア語で教えていました。

 おかげで最初は先生の言っていることがよく分かっていなかったY子も、すぐにベラルーシ語ができるようになりました。

 さて、そのY子のベラルーシ語グループですが、入園したときは園児が23人で、そのうち男の子は6人だけでした。つまり女の子は17人です。
 それが、卒園時には19人に減っていました。男の子が7人、女の子が12人です。
 幼稚園は小学校入学前の準備コースという考え方があるため、親が選んだ幼稚園に行かせます。
 そんな親の中にはベラルーシ語を敬遠する動きがあります。

 どうしてかと言うと、ベラルーシ語ができても、将来の進学、そして就職に不利になることがあるからです。
 例えば、子どもが将来医者になりたいと思ったとき、ベラルーシの医大ではロシア語で授業を行っています。なぜならベラルーシよりロシアのほうが医学の水準が高いため、新しい技術などはロシアから学ぶことが多いからです。そのためロシアでの学会、論文など、ロシア語がよく理解できないといけません。

 またベラルーシの軍隊内でもロシア語を使っています。それはロシア軍とベラルーシ軍が密接な協力関係にあるからです。
 そのためロシア語ができないと職業軍人になるのは不利、ということになってしまいます。
 その結果、子どもに医者や軍人といったロシア語が必要とされる職業に就いてほしいと希望する親は、幼稚園のときからロシア語グループに子どもを入れようとします。
 またベラルーシ語グループに入っていても、ロシア語グループに空きが出た場合、そちらに移る子どももたくさんいます。
 その結果ロシア語グループはいつも定員いっぱいですが、ベラルーシ語グループは空きが常にある、あるいは今たくさんいても、卒園時には人数が減っている・・・ということになっています。

 そして、将来の進学や就職についてはやはり男の子を持っている親のほうが心配する場合が多く(日本も同じですね。)男の子の親の間に、特にベラルーシ語グループを敬遠する傾向が見られます。
 そのため、ベラルーシ語グループは女の子のほうが2倍ぐらい多くなっています。
 お遊戯会などでペアになってダンスをするときも、女の子同士でペアになっていました。
 また人気のある(顔がよくて、性格も優しい)男の子には、女の子の人気が台集中します。(^^;)
 それでもって、その男の子が他の幼稚園のロシア語グループに移ったりしていなくなると、悲劇です。(^^;)

 私としては子どもの数が少ないほうが、きめ細かく先生が見てくれるから、いいと思います。
 ちなみに1グループごとに3人の先生がついています。
 1人が主任、1人が補佐、1人が衛星担当です。
 主任の先生と補佐の先生が連携して授業をしたり、事務連絡に行ったりしていました。
 衛星担当の先生は、給食の配膳、食器洗い、掃除などをしていました。

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その8」をご覧ください。) 


ユーロビジョン・ソング・コンテスト2009はノルウェー(ベラルーシ人)が優勝!!!

2009-05-17 | ベラルーシ文化
今年ロシアで開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテスト。
 先ほどノルウェー代表のアレクサンドル・ルィバークが優勝しました!
 アレクサンドル・ルィバークはベラルーシ人なのです!!! バンザーイ!!!(感涙)
 詳しくはみつばちマーサのベラルーシ音楽ブログをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/mitsubachimasa

ベラルーシの幼稚園 その6 「1日の時間割」

2009-05-16 | ベラルーシ生活
 ベラルーシの幼稚園での1日の生活はどうなっているのでしょうか?
 年齢によって微妙に違いがありますが、大体このような時間割になっていました。
 
7:30-8:30 登園、体操
8:30-8:55 朝食
8:55-9:10 お片づけ、授業の準備
9:10-10:30 授業
10:30-10:45 着替え、トイレ
10:45-12:20 休み時間、戸外での遊び
12:20-12:30 着替え、手を洗う
12:30-13:00 昼食
13:00-15:10 昼寝
15:10-15:30 着替え、空気の入れ替え
15:30-16:38 クラブ活動
16:38-17:00 おやつ
17:00-18:00 お迎え、帰宅 


 このうち、「クラブ活動」についてです。 
 幼稚園ですから学校のクラブ活動とは同じではありません。
 しかも有料となっています。
 Y子の幼稚園では、「ダンス」「論理(知恵遊び)」「ベラルーシ語 読み方」「お絵かき」の4種類がありました。お絵かきは無料でしたが、他のクラブ活動は、月に800円ぐらいでした。(こちらの支払いは別の用紙を使ってやはり銀行振り込みでした。)
 クラブ活動の内容は幼稚園によって違いがあり、英語や演劇を教えている幼稚園もあります。
 
 Y子はダンスとお絵かきを習っていました。
 ダンスって言っても幼稚園だから、簡単なことをしているのだろう、と思っていたら大間違い。バレエのポジション(第1ポジション、と言うあれです。)などを習っていました。
 論理(知恵遊び)とは何かと言うと、先生が言ったとおりに
「右に2ます、それから下に5ます。」
と方眼紙に線を引くと図形ができたり、動物の形になったりする・・・といった遊びをすることが多いようです。(Y子が通っていなかったので、よく分からないです。)
 そのほか簡単な計算をしていました。
「ベラルーシ語」は絵本を読んで、簡単なお話が読めるようにしていました。

(続きはベラルーシの幼稚園 その7をご覧ください。画像は教室のようす。おもちゃがいっぱい。)

ベラルーシの幼稚園 その5 「お勉強」

2009-05-15 | ベラルーシ生活
 このまま幼稚園でのお勉強についてご紹介します。
 幼稚園ですが、学校のように黒板が取り付けられ、子どもが座る席も劇場のように全部前を向いています。
 ちなみにベラルーシでは茶色の黒板が多いです。

 時間割はこのようになっています。
 年中組の場合。

月 世界(自然や交通ルールなど) 図工(粘土遊びあるいは切り絵細工) 体育(戸外)
火 音楽(歌) お絵かき 体育(戸外)
水 算数(数字)あるいは立体工作(積み木遊びのこと) 体育(体操場)
木 国語(文字) 体育(体操場)
金 国語(物語) 音楽(歌)

 こうして見ると、体育がほとんど毎日ですね。戸外の体育というのは、幼稚園の敷地内で10メートル走をしたり、鬼ごっこのようなゲームをします。
 体操場の体育ではボールを使ったり、平均台やマット、ろく木などを使った授業になります。
 「世界」の授業では、動物や植物の名前、季節の順番、交通ルール、特に横断歩道の渡り方などを勉強します。
 そのために幼稚園の敷地内に横断歩道の絵が描いてあります。
 Y子の幼稚園にはありませんでしたが、電気式の小さい信号機を取り付けている幼稚園もあります。

 年長組の時間割はこうなっています。
月 世界(自然や交通ルールなど)お絵かき 体育(戸外)
火 国語(文法)音楽(歌と簡単な楽器演奏) 図工(粘土作品) 体育(体操場)
水 算数(計算)お絵かき 論理(知恵遊び) 体育(体操場)
木 世界(自然や交通ルールなど) 図工(切り絵細工かデザイン) 音楽(歌と簡単な楽器演奏) 体育(戸外)
金 国語(話す力)立体工作(積み木遊びのこと) 体育(体操場)

 論理(知恵遊び)というのは迷路を解いたり、クイズを解いたりします。
 楽器演奏は、打楽器(たいこやタンバリン、トライアングル、鈴など)や笛を使っていました。
 粘土細工の作品は氏名をつけて更衣室の棚の上に飾られ、保護者が見ることができるようにしていました。
 また世界の授業では、ベラルーシのことを勉強するようになります。ベラルーシの国旗や、ミンスクが首都であること、ミンスク市の紋章などです。
 教室の黒板の上にベラルーシの国旗と国歌の歌詞が印刷されたミニポスターが貼られています。もっとも国歌の歌の練習などはしません。

 幼稚園の年長組を修了する頃には、ベラルーシ語のアルファベットの活字体が読めるようになっています。
 算数はもっとレベルが高く、10までの数字の足し算と引き算ができるようになり、0の概念も学びます。
 また虫食い算もできるようになります。(例 6-□=1 □に入るのは何でしょう? といった問題です。)

 ベラルーシでは幼稚園に限らず全般的に理系科目に力を入れています。でも幼稚園からこのレベルなので、すごいと思いました。

 ちなみに幼稚園では学校のような教科書は使いません。
 それからこの授業は9月から翌5月まで行われます。
 6月と8月は勉強はせず、ほとんど1日中外で遊んでいます。(Y子の幼稚園は7月は休園していました。)
 もっとも夏になると親が1か月の休暇を取るため、さらにおじいちゃんやおばあちゃんが子守りもする場合、3ヶ月まるまる登園しない子どももいました。
 そんなわけで夏の間は勉強もないし、子どもの数も減ってしまい、他のグループと「統合」されてしまうこともありました。
 給食の予算を組まないといけないので、夏にあると先生から
「6月は登園しますか? 8月は?」
と確認されました。もちろん登園しない月の月謝は支払いません。

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その6」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その4 「準備する物」

2009-05-15 | ベラルーシ生活
 入園前に先生からそろえて持ってくる物を教えてもらいました。
 まず上履き。
 ベラルーシの幼稚園の場合、各教室ごとに更衣室があります。そこにロッカーがあるので、上着や靴を片付けます。そこまでは保護者も入れるのですが、そこから先の教室には上履きでないと入れません。
 上履きはサンダルやビーチぞうりなどさまざま。

 うっかりおもらしをしてしまった場合のことを考えて、替えの下着(パンツ、シャツ、タイツ、靴下)を用意しておきます。
 体操用のTシャツ、短パン、短い靴下、運動靴もいります。
 これも園児全員が同じ格好をするのではなく、シャツと靴下は白、短パンは黒か紺などの暗い色だったら、どんなものでもかまいません。
 適当に店で買います。ちなみにシャツは模様がない白、と言われていたのですが、かえって売ってなくて困りました。
 他の子どももみんな模様が入っていたTシャツを着ていたので、特に厳しいわけではありません。
 短パンではなくジャージのズボンをはいている子どももたくさんいました。

 4歳の年中組はこれだけです。
 しかし、5歳児(年長組)になると、幼稚園で勉強するので、必要なものが増えます。なぜなら、ベラルーシでは幼稚園は小学校入学のための予科(言い方が古いですが)と位置づけられており、年中組から数字やアルファベットの読み方を練習します。
 年長組になると、小学校入学準備コース、ということになり算数の授業もあるので大変です。
 年長組が準備するものはこんなにあります。

・数え棒
・数字扇子(0から20まで)
・丸や三角などいろいろな形がかける穴あき定規
・絵本2冊(ベラルーシ語で書かれているもの。国語の勉強で使う。)
・文字金庫
・お絵かき帳 2冊
・筆2本、1本はお絵かき用、1本は糊つけ用
・水彩絵の具
・ぬりえ 2冊
・色鉛筆
・ペン
・はさみ
・盤ゲームかそれに似たゲーム(放課後にみんなで遊ぶ。)
・20枚の紙が入れられるファイル(お絵かきの作品を入れる。卒園するときに作品ごと返してもらえる。)
・チョーク(先生が使う。)

 この数字扇子というのは何かというと、プラスチック製の扇子状に広げられる教材で、数字が裏と表に書いてあります。
 文字金庫というのは、ファイルになっていて、それを開くとビニール製のポケットがたくさんついており、その中に文字(1文字だったり子音と母音の2文字だったりする)が書かれた紙のカードを入れておくものです。
 しかし買った時点では、文字がぎっしり印刷された紙が入っているだけで、線に沿って親がきれいに切ってカードにしないといけない。しかもその文字数が多くて、切り離し作業はけっこう大変でした。
 こういった教材は文房具屋でたくさん売られています。

画像は更衣室のようすです。
 それぞれのロッカーに使う子どもの顔写真が貼り付けられている。写真の撮影は幼稚園側がしてくれるので、持参しなくてよい。ロッカーの下からは板が出てきて、腰掛けになる。使わないときはしまえる仕組み。

 ちなみに更衣室の棚の上には子どもたちのお絵かきの作品などが飾ってあります。
 また「保護者の心得」といったアドバイス集が置いてあって、閲覧できます。
 (言うことをきかない子どもへの接し方や、休日の正しい過ごし方、土日のメニュー例までありました。)
 さらには週に2回、火曜日午前と木曜日午後に、希望すれば心理カウンセラーに子どもの発達や、親の子育ての相談についてカウンセリング(無料)を受けられるので、希望者は事前に申し出ること、という案内も入っていました。

 更衣室にはお遊戯会などのお知らせが貼り出されます。各保護者にプリントして配布する、ということはなかったので、要チェックです。

(続きは「ベラルーシの幼稚園 その5」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その3 「幼稚園の給食」

2009-05-14 | ベラルーシ生活
 幼稚園の給食の話が出たところで、詳しくご紹介します。
 ベラルーシの公立幼稚園では、朝食、昼食、おやつの3回の給食が出ます。
 朝食は朝8時、昼食は12時半ごろ、おやつは午後4時半ごろに出ます。
 
 幼稚園に支払う月謝のうち、ほとんどがこの給食代、と保育代ということになるのですが、日本円に直して1000円ほどでした。
 この金額はベラルーシ人でも「安い」と言っています。これは国から補助がたくさん出ているからです。
 さらに多子家庭(18歳以下の子どもが3人、あるいはそれ以上いる家庭。)だったり両親がともに身体障害者だったりすると、50%の割引きとなります。
 ちなみに月謝は銀行振り込みでした。 

 さて、給食の内容についてです。
 朝食は簡単なもので、バターが塗ってあるパンにチーズをのせたオープンサンド、2切れに飲み物(紅茶、ココア、果物のコンポート、子ども向けコーヒー飲料!)が日替わりでつきます。
 オープンサンドではなく、クッキーにバターを塗ったものであるときもあります。(このクッキーがまた大きい。そしてバターの塗り方も厚さ5ミリぐらい。)

 昼食はスープ、サラダ、黒パン、おかず、マッシュポテト、日替わりの飲み物、とリッチです。
(ああ、今自分が幼稚園に通っていたときに食べていた昼ごはんを思い出してしまいました。週に3日は母の手作り弁当で、残りの3日は卵サンドイッチと三角牛乳でした。)

 スープはボルシチ、マメのスープ、キャベツのスープ、と日替わり。
 サラダはキュウリ、トマトなどの生野菜をカットして作る野菜サラダ。ただ冬場は生野菜は高くなるので、酢漬けキュウリやキャベツ、ゆでた根菜(ビーツなど)と缶詰のグリーンピースなどをあえたものになることが多かったです。
 黒パンは一人2切れずつ配られますが、おかわり自由。
 マッシュポテトは主食のようにほぼ毎日出ていましたが、ときどき米やキビ、そばのおかゆが出るときもありました。
 おかずは、ハンバーグ、白身魚のフライ、たまねぎやにんじんと蒸し煮したお肉など、柔らかいものが出ていました。
 これもおかわり自由。

 おやつはほとんど毎回、マンナヤ・カーシャでした。
 これは小麦粉のでんぷんから作ったおかゆで、牛乳で炊き、砂糖やジャムで甘く味付けし、バターを一かけ入れた、子どもが大好きなおかゆです。
 ときどきスィルニキも出ました。(スィルニキについて詳しくはこちら。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/cook/menu.html


 朝、幼稚園へ子どもを連れて行くと、1回の入り口のそばに、このような掲示板があり、「今日のメニュー」が貼り出されています。(画像参照。)
 これで今日、自分の子どもが何を幼稚園で食べるのかすぐわかるようになっています。

 ちなみに幼稚園の中に厨房があり、調理師さんが1日3回の食事を作っています。
 食事は毎回、1グループに3人いる先生のうち「衛生担当」の先生が厨房に取りに行きます。
 食器は人数分が教室のほうにそろえてあり、食事が終わると衛生担当の先生が洗っています。 

 さて、このように充実した食生活ですが、好き嫌いをする子どもや食の細い子どもはどこにでもいます。
 ベラルーシでは子どもにおやつを持たせる親がいます。「おやつ袋」にりんごや菓子パンを入れて持たせます。
 私は1回も持たせたことがありませんが・・・。何しろ1日に給食が3回も出るのでおやつなんかあげなくてもお腹がいっぱいの状態だからです。
 好き嫌いがあって給食を食べない子どもに限って、
「給食を食べないからお腹がすくとかわいそうだ。」
とおやつを持たせる親がいます。
 とうとう保護者会で先生から
「おやつの食べすぎで、給食を残す子どもがいますから、おやつを持たせないでください。」
というお達しがありました。
 せっかくベラルーシの給食は食事のバランスを考えたメニューにしてあるのに、その代わりにおやつを食べてたら、もったいないですよね。  

(続きは 「ベラルーシの幼稚園 その4」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その2 「入園」

2009-05-14 | ベラルーシ生活
 目指す幼稚園にY子を連れて行き、
「どうしたら入園できますか?」
といきなり尋ねたわけなのですが、すると最初は「え、もう4歳?」という反応が返ってきましたが、入園に必要な書類を教えてくれました。
 親の身分証明書(パスポート)、子どもの出生証明書、入園願い届け、アンケート用紙(緊急連絡先や、親の職業、兄弟の有無、健康についての留意点や習い事などを記入する。)、健康診断書です。
 この健康診断書をもらうのが大変で、診療所内のあらゆる科を巡って診察してもらわないといけないのです。(何と言っても行列待ちが長くて大変。1週間はかあかります。)

 ようやく書類をそろえて、幼稚園に持っていくと、
「4歳児のグループは2つある。1つはロシア語グループで、もう一つはベラルーシ語グループ。ロシア語グループには空席が一つ。しかしベラルーシ語グループの子どもが一人、ちょうど4月1日からロシア語グループに移ることを希望しているため、ベラルーシ語グループに空席ができる。だからベラルーシ語グループに入ることになるけど、いいですか?」
ときかれました。
 そう、ベラルーシはロシア語とベラルーシ語の2ヶ国語が公用語なのです。
「うちの子は家では私と日本語で、父親とはロシア語で会話しているので、ベラルーシ語ができないんですけど・・・大丈夫でしょうか?」
と相談すると
「小さい子どもだから、すぐにベラルーシ語もできるようになりますよ。」
とあっさり言われ、そのままベラルーシ語グループに入園することになったのです。

 ちなみに
「この幼稚園で外国人の子どもが入園するのは初めてです。」
と言われました。
 
 第1日目は慣れるため、ということで、2時間ほどで迎えに来てください、と言われました。
 さてベラルーシの幼稚園では園児が先生にお花を贈ることになっています。
 なので、前の日からお花を買っておきました。と言うのもベラルーシの幼稚園は朝7時から登園できるのです。
 ベラルーシの花屋も朝7時から夜の10時まで開いている店がたくさんありますが、間に合わなかったら大変なので、前日に買っておきました。

 あと制服や制帽、おそろいのカバンなどもベラルーシの幼稚園はありません。
 みんな好きな格好で来ています。カバンは持ってない子がほとんどです。
 Y子には最初のうちはハンカチだのいれたカバンを持たせましたが、だんだん手ぶらで行くようになってしまいました。

 それから日本の幼稚園につきもののかわいい組の名前もベラルーシにはありません。(「ひまわり組」とか「さくら組」とかいう名前です。)
 順番に「1組」「2組」・・・で少々味気ないです。

 初登園当日は幼稚園の1階で先生が待っていてくれました。
 2階の教室に入ると、他の子どもたちが
「新しい子が来た!」
と騒いでいました。
 幼稚園入園前から新体操教室には通っていたり、月に1回はSOS子ども村の子どもたちと遊んでいたので、幼稚園初日とは言え、Y子はあまり緊張する感じではなく、他の子どもに興味津々の様子・・・。
(親のほうが心配している。)

 2時間後、迎えに行くと
「え、もう家に帰るの? 早いよー。どうして私だけ?」
とY子に文句を言われました。
 先生は
「何も問題はなかったけれど、朝ご飯を全く食べなかった。お宅では米しかたべないんですか?」
ときかれました。
 どうも興奮しすぎて、食欲が出なかったらしいです。

 こうして第1日が過ぎ、持ってこないといけないものを先生から教えてもらいました。
 第2日目はもう少し滞在時間を延ばし、昼ごはんが終わった後、迎えに来るように言われました。
 そのとおりに幼稚園に行くと、
「今日はちゃんとご飯を食べた。」
と先生が証言。
「じゃ、帰ろう。」
と言うと「帰りたくない。」
と駄々をこねるので、じゃあ、昼寝の後にまた迎えに来ます、ということになりで、再度迎えに行くと
「まだ帰りたくない。」
と言う。よっぽど幼稚園がお気に召したようで・・・。
 しかし、おやつの時間になっておかゆが配られ始めるのを見てY子は
「えー、また食べるの? Yちゃん、お腹いっぱいよ・・・。」
とつぶやいていました。

 そう、ベラルーシの幼稚園では1日3回食事が出るのです。
 
(続きは「ベラルーシの幼稚園 その3」をご覧ください。)

ベラルーシの幼稚園 その1 「入園準備」

2009-05-13 | ベラルーシ生活
 はっと気がついたら、うちのY子ももうすぐ小学校1年生修了。
 ぼうっとしているといつまで経っても更新できそうにないので、今頃(遅)になってあわてて、幼稚園時代の画像の整理をしています。
 と言うわけで、今まで多くの人に予告しておきながら、すっかり遅くなってしまいましたが、ベラルーシの幼稚園についてご紹介いたします。

 ベラルーシの首都、ミンスクには約500の幼稚園、保育園があります。 
 最近は幼稚園の中に保育園が併設されている例がほとんどです。
 身体障害児童や健康に問題がある(持病を持っているため、特別な注意が必要である、など)子どもが通う特別な幼稚園もあります。
 知的障害児童の場合、義務教育期間を学校ではなく、特別な幼稚園で過ごすケースもあります。
 夜勤で働く親のために10時間保育、12時間保育、24時間保育を行っている幼稚園もあります。

 幼稚園も保育園もほとんどが国公立です。私立の幼稚園もありますが、数は非常に少なく、少人数制教育を謳っているので、私立幼稚園児数そのものが少ないです。
 保護者の一人から聞いた話では、1グループ5人、英語や算数の授業があり、さらには「お行儀」という科目まであるそうです。そして専属心理カウンセラーが園児一人ひとりの精神状態をチェック・・・。
 もちろん幼稚園に支払う金額はとても多いです。
 このような私立の幼稚園は90年代から現れ始めました。

 ソ連時代は幼稚園の増設が子ども数の増加に追いつかず、入園待ちが当たり前で「順番が来た頃にはもう小学生になっていた。」
というのも当たり前だったそうです。
 ちなみに50年代後半から60年代前半に幼児だったS夫とその兄弟は、誰も幼稚園に通っていません。
 幼稚園に通っていない子どもがたくさんいたそうです。

 しかし、80年代から少子化が進み、現在は順番待ちはなくなり、希望すれば誰でも幼稚園に入ることができるようになりました。
 さらには幼稚園が閉鎖されて、児童館や夜間学校など、別の教育施設として利用されたりしているケースも増えていました。
 ところが5年ほどはベラルーシの出生率は微増しています。また首都への人口流入も止まらないため、若い夫婦の多いベッドタウンなどでは、希望の幼稚園に入園できないケースも出てきています。
 もっとも、そのようなベッドタウンでは計画的に街づくりが行われているので、幼稚園も最初から計画的に建てられます。
 
 さて、そういう我が家もそのようなベッドタウンの一角に住んでいるのですが・・・
 幼稚園探しを始めるまでもなく、自宅の前を横切る道路を渡ったところに3つ、道路を渡らず、歩いて5分ぐらいのところにも一つ幼稚園があります。
 ただし一つは国立の障害児が通う専門の幼稚園であるため、Y子は入園できません。
 とは言うものの、徒歩5分内に3つも幼稚園があって、どれにしようか迷うぐらいです。
 ちなみに我が町内には15の幼稚園があります。(公立の学校は11校あります。)

 当時その家の前の道路には横断歩道があったものの、信号がまだ取り付けられておらず、子どもの手を引いて道を渡るのが少々怖かったので、道路を横断しなくても行ける、3つの中では一番遠い(と言っても徒歩5分。)幼稚園に決めました。
 ちなみにこの幼稚園は約30年前に建てられた幼稚園で、ミンスクでは約300番目の公立幼稚園です。
 各年齢ごとに2グループごとがあり、1グループの定員は25人。各グループに3人の保育士さん、幼稚園の先生がついています。
 また医師から慢性病を持っているわけではないが、体が弱い体質、と診断された子どもだけが集められた年齢の関係ないグループが一つあります。(このグループには7人しかおらず、教室の場所は1階の入り口と保健室のすぐ横にありました。)
 ちなみに保健室には2人の医師が1日交代で勤務しており、1年に1回身体検査をしていました。

 法律上はベラルーシの保育園は子どもが生後2ヶ月から通えることになっていますが、実際にはそんなことを実行する親はいません。
 また保育園や幼稚園によって「自分で靴が履けること」などを独自の入園の条件にしているところもあります。
 そのため何歳から入園する、とはきっちり決まっておらず、また何月から通うのかも親の自由です。
 でも大体は遅くとも3歳までに幼稚園に入園させます。
 ベラルーシは出産後3年の育児休暇を取ることができるので、子どもが3歳になったら職場復帰するため、幼稚園に入ることになります。
 しかし、ベラルーシの経済事情が慢性的によくならないため、3年の育児休暇を取らず、出産後1年や2年で職場復帰し、子どもを保育園に預ける母親が多いです。

 そういう私はしっかり3年分の育児休暇を取ってから職場復帰し、子どもが4歳になっても幼稚園に入園させませんでした。
 どうしてかと言うと、日本語を教えたかったからです。日本語もロシア語もうまくできなうちに幼稚園へ通わせると、ロシア語は上達するけれど、日本語は上達しなくなるからです。
 そのためわざと幼稚園に通わせず、家で私とは日本語の会話をしていました。
 4歳も過ぎると、語彙も増え、日本語の発音もしっかりし、自分の言いたいこと(「お腹がすいた。」「何々がしたい。」など)も日本語で話せるようになったので、日本語の基礎はできたと思いました。
 それから幼稚園に入園させることにしました。

(その間、私は仕事をどうしていたかと言うと、夫と時間をやり繰りしていました。幸い図書館勤務なので、日曜日が一番忙しいため、一日中働き、平日は勤務時間が減るように調節したのです。日曜日はその日が休みの夫が子守りをしていました。
 平日の昼間は私が子守り。昼寝をしたら出勤。そして昼寝から目が覚める前に夫が帰宅するようにしていたのです。どうしても2人とも無理な場合は月に1回ぐらいでしたが、夫の親戚に預けていました。)
 
 こうして他の子どもより入学が遅かったうえ、しかも暖かくなってからのほうがいいだろうと考え、4月1日の入園を希望して、幼稚園の門を叩いたのは、2006年3月10日・・・。

 
(続きは「ベラルーシの幼稚園 その2」をご覧ください。)