ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

キルギス前大統領、ベラルーシへ亡命

2010-04-28 | ベラルーシ生活
 野党が臨時政府を樹立したキルギス。前大統領は4月19日、ベラルーシに亡命しました。
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キルギス前大統領「大量殺害」で訴追…暫定政府(読売新聞) - goo ニュース

2010年4月27日(火)22:50
 【モスクワ=貞広貴志】中央アジア・キルギスの暫定政府は27日、ベラルーシに逃れたバキエフ前大統領を「大量殺害」などの容疑で訴追したと発表、さらに、民衆デモ弾圧を指揮した元内相の刑事訴訟に着手した。

 前政権幹部を厳しく処分し求心力を獲得する狙いだ。ただ、前大統領派は幹線道路を封鎖し、徹底抗戦の構えで、暫定政府内には対応の違いも表面化している。

 キルギスからの報道によると、暫定政府のベクナザロフ副代表は27日、首都ビシケクで記者会見し、「数日内」にベラルーシ政府に前大統領の引き渡しを求める方針を表明した。政権崩壊につながった今月7日の民衆デモでは85人が死亡。暫定政府は鎮圧を命じた前大統領の責任を追及する。

 ビシケクの地方裁判所も同日、民衆デモ鎮圧に当たったモルドムセ・コンガンチエフ元内相に対し、職権乱用容疑で逮捕状を出した。

 ただ、前大統領については、ベラルーシのルカシェンコ大統領が引き渡しに応じる可能性は低く、訴追発表は暫定政府の強硬姿勢を打ち出す政治的意味合いが強い。暫定政府内には対応を巡り足並みの乱れも目立ち、治安畑出身のベクナザロフ副代表は従来から強硬策を主張。逆に、緊張の高まりを懸念するロザ・オツンバエワ代表は「対話で妥協点を見出したい」と述べている。

 米国にマナス基地を使用する期限の延長を認めるかについても、暫定政府内の方針は一本化できていない。

 一方、前大統領の支持者は、首都と南部の拠点オシを結ぶ幹線道路の封鎖を敢行した。封鎖は26日に始まり、夜に解散させられたが、27日朝から再び500人が集結し、キルギスの「動脈」をふさいでいるという。前大統領訴追への反発が広がれば、抗議はさらに広がりそうだ。

 不安定なキルギス情勢は周辺国に波紋を広げる。

 民衆デモ直後に国境を閉鎖したカザフスタンとウズベキスタンに続き、27日には中国も30日から5月4日まで「暫定的に国境を閉鎖する」と明らかにした。独立国家共同体(CIS)研究所のアンドレイ・グロジン研究員は「強権への不満が充満する状況は各国に共通しており、近隣国は『キルギス現象』の波及を懸念している」と指摘する。

 キルギスは、隣国との物資や労働力の往来が制限され、経済的困窮が深まり、情勢の不安定化に拍車がかかる悪循環に陥った。暫定政府の後見役ロシアも「キルギスは無政府状態に近い」(メドベージェフ大統領)との見方を示す。

 暫定政府は26日、1週間の遅れの末、新憲法案を公表した。大統領権限の大幅縮小で国民の支持を取り付け、10月に予定する議会と大統領の同日選挙で本格政権の樹立を目指すシナリオだが、治安回復と政治的安定が大前提となる。

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 何でも、バキエフ前大統領は旧ソ連のいろいろな国に亡命先として打診したものの、唯一受け入れを表明したベラルーシへ亡命したそうです。(一時逃れたカザフスタンも拒否した、と言うことか・・・。)
 ベラルーシは基本的にロシア寄りの政策を一貫してとっており、(ウクライナやキルギスみたいにカラー革命も起こっていない。)今回キルギスで暫定政府をすぐに認めたロシアとの関係がこれからどうなるか、微妙なところです。
 もちろん前大統領の亡命先として受け入れたベラルーシと、キルギスの暫定政権との関係が悪化するのは当然です。
 なので、バキエフ前大統領をどういう思惑があってベラルーシが引き受けたのかは、はっきり分かりません。

 旧ソ連の国も独立の道を歩き始めてずいぶん時間が経過し、以前のような連帯感も国民の間では希薄になっていっているようです。
(正直言って、このニュースを最初にきいたとき「ふーん。へー。キルギス、これからどうなるんだろう。」ぐらいにしか思っていませんでした。対岸の火事って言うか・・・。ここにきて、急にベラルーシが絡んできたので、おどろきました。)
 それぞれの道を歩み始めてもなお、複雑なお国事情、歴史の道を歩いている、としか言いようがありません。  

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第102回」

2010-04-27 |   ビタペクト配布活動
 4月26日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第102回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を6個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1684個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1410部となりました。
  
 今回で通算112回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1684人分のビタペクト2、そして1410家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


今回は3家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのお母さんにお話を伺いました。


(家族A)

 ゴメリ州ボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から来た家族。この家族には3個のビタペクトを渡しました。
 9人の子どもがいますが、年長の子どもは16歳以上で保養の対象にはならないため、お母さんが年少の5人の子どもを連れてきていました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時19歳)14ベクレル 
12歳(女子)42ベクレル ○
11歳(女子)26ベクレル ○
 9歳(男子)31ベクレル ○ 
 7歳(女子) 0ベクレル 
 3歳(男子)19ベクレル 

 お母さんの話によると、子どもたちは持病などもなく、健康だ、ということでした。ただ小食なので心配している、ということでした。
 ボブルイスク市からは7歳以上の子どもを対象に、ヨーロッパなどの救援団体が保養滞在に招待しているそうです。
 12歳の女の子はアイルランドとアメリカ、11歳の女の子はアメリカに夏休みに行ったことがあるそうです。
 去年の夏にも行ったそうですが、そのわりに2人とも体内放射能値が高かったのが気になりました。


(家族B)

 ボブルイスク市から来た家族。この家族にも3個のビタペクトを渡しました。お母さんが5人の子どもを連れてきていました。
それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時7歳)8ベクレル 
12歳(長女)42ベクレル ○
11歳(次女)40ベクレル ○
 7歳(三女) 0ベクレル  
 6歳(長男)42ベクレル ○
 3歳(四女)19ベクレル 

 子どもたちは長男をのぞき、健康だということでした。長男は6歳ですが、3歳児なみの体格です。体重は13キロしかありません。3歳の妹の体重は14キロです。
 生まれつき成長ホルモンの分泌が極端に少ない病気だそうです。
 こうなった理由は分かりません。ベラルーシには現在こういう子どもたちを専門に診る病院があり、全国からそこを受診するようにいわれているそうです。
 この子どもの場合、ホルモン剤を経口、あるいは点滴で受けており、本格的な治療は1年前から始めたそうですが、だいぶ身長体重ともに増えてきて、治療の成果が見えてきたとお母さんは喜んでいました。
 ただこれからも数年にわたり、ホルモン剤を飲まなくてはならず、それがロシア製であるため、在庫がなくなったらロシアから取り寄せることになり、なかなか大変なようでした。
 お母さんは1年ほど前に離婚しています。(離婚の理由は夫のアル中。)
 自分の母親が同居しており、孫の世話を手伝っています。ボブルイスク市の多子家庭協会から助成金をもらっており、また長女はイタリアに、次女と三女はアイルランドに保養滞在したことがあるそうです。


(家族C)

 ミンスク州マリナ・ゴルカ市(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た母子。この家族にはビタペクト2は渡していません。また、画像には写っていません。
 体内放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時13歳) 12ベクレル
長男(1歳2ヶ月)24ベクレル

 このお母さんは身体障害者です。18歳のとき路面電車に乗っていたら、誰かに押され、ドアから落ち、左足の膝を強打しました。靭帯などが切れてしまったのですが、手術をしたら、ばい菌が入って化膿し、傷口が腐ってきたため、膝の上から切断しました。
 10回の手術をし、退院したのは6年後、24歳になっていました。
 ベラルーシでは身体障害者は障害の程度に合わせて、3段階に分けられます。この人のような場合だと、ふつうは2級になるのですが、退院するときに
「2級だと、就職もできない。程度が軽い3級にしなさい。」
と言われ、そのとおりにしました。その後、勉学に戻り、就職もしました。しかし、3級と2級では受けられる助成や割引制度に大きな差があることが後になって分かりました。
 たとえば義足の修理は2級だと無料。3級だと自己負担になってしまいます。
 後から2級に戻りたい、と言っても簡単に戻れません。それは国が少しでも障害者支援の予算を少なくしたいからです。
 2級だと就職が難しくなる、というのもうそです。
 逆に職場で身体障害者の従業員が多い企業は、税金を軽くしてもらえる、という法律があるため、わざわざ就職させる企業もあります。

 さて、このお母さんはその後結婚しますが、離婚。母親と二人暮らしをしていたところ、インターネットでロシア人男性と知り合いました。メールで文通したり電話をしたりしているうちに愛がめばえ、その男性のところへ行きました。
 2人はロシアで同棲生活を始めましたが、男性のお母さんが障害者女性との結婚に大反対し、正式な結婚ができないまま暮らしていました。
 そのうち男の子が生まれたのですが、とうとう男性のほうから別れを切り出され、お母さんは子どもを連れてベラルーシへ戻ってきました。

 片足がないのに1歳の子どもを育てるのは横で見ているだけで、私は疲れました。しかも子どもの父親は、たまに誕生日プレゼントを息子に送ってくるていどで、養育費もほとんど渡していないそうです。もちろんベラルーシへ会いに来たりもしていません。

 同居している自分の母親は病気で、どうやってこの3人が生活しているのか、私には想像できませんでした。今回はこのような条件から多子家庭ではないものの、保養対象になってSOS子ども村へ来た、ということでした。
 それで、せっかくミンスクに来たため、7年間使っていて壊れていた義足を修理しようとしたところ、日本円にして5万円の修理代がかかると言われました。
 ミンスクには義足を作っている工房がある病院内になるのですが、その品質は非常に低く、S夫もそこで最初の義足を作ったのですが、半年後にはゴミ箱に捨てたそうです。(その後は自分で作った義足をしている。)
 現在は義足製作へのますます予算が削られ、今までドイツから部品を輸入していたのですが、それもなくなりました。修理ではなく、新品の義足を注文する場合は、助成金が一部出ますが、日本円にして60万円もします。
 私はベラルーシ人には高すぎると思ったのですが、S夫は「こんなもんだよ。」と話していました。

 お母さんは家の中では松葉杖を使っていましたが、義足が壊れていると大変不便なのと、ミンスクでしか修理ができないのとで、お金をかき集め、借金もして修理をしました。
 S夫はまた義足が壊れたら、修理してあげる、と言っていましたが、関節部分も含まれる義足の修理は難しく、部品(特に膝関節部分のバネ)がないと、修理はできない、と話していました。

 私はとにかく3級から2級に戻るほうがいい、そうたら義足の修理だけでも無料になるから、とお母さんに言いましたが、戻るためには検査入院しなければならず、その間、子どもの面倒を見る人がいないから、今はできない・・・という返事でした。
 チロ基金としても支援してあげたかったのですが、薬を買ってきてあげる、というような簡単なものではなく、まだ1歳の男の子を眺めて、ああ、大変だなあ、と思うばかりでした。
 この男の子もかわいそうです。お父さんはいないし(法律的にもいない。)お母さんは足がないし、そのまた両親が裕福とは思えません。
 今は1歳でよく分からないだろうけど、もう少ししたら、どういうふうに自分の親のことを思うのだろう、とつい考えてしまいました。
 そういや、障害者を親に持った子どもって、そのことをどう思っているだろう、と帰り道に急に考え始め、私の場合は夫が障害者だけど、自分の親は障害者じゃないし、そういう子どもの気持ちはよく分からないのです。
 それで、Y子にパパが障害者であることをどう思うか、きいたところ
「普通。」
と返事が返ってきました。そうか、そうなのか。と言うことはあの男の子も、お母さんが障害者であることも「普通」にしか思わないのか、と思いました。
 Y子は「体(に障害があるかどうかということ)は大事じゃない。それより、人が大事よ。(障害があるより)変な習慣があるのがダメ。」
と話していました。ここで言う習慣とは、酒におぼれるだとか、万引きばかりしてしまう、とかの悪い習慣のことです。
 私より子どものY子のほうがよく分かっているようですね。他の障害者を親に持った子どもも同じなのかもしれません。

 画像は記念撮影した様子です。手作りのケーキを文字どおり山盛り作って、待ってくれていました。とってもおいしかったです!
 今回もいつものように子ども達に折り紙、文房具などをプレゼントしました。子どもたちの名前を日本語で書いたら、とても喜んでいました。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ベラルーシ上空にも火山灰が・・・

2010-04-19 | ベラルーシ生活
 アイスランドで起こった火山の噴火。その火山灰が土曜と日曜日にかけて、ついにベラルーシにも飛んできました。
空の混乱、欧州全域に=米同時テロ上回る規模(時事通信) - goo ニュース

 NHKの番組「朝イチ!」を見ていたら、ヨーロッパの地図が出てきて、空港が「全面閉鎖」の国と「一部閉鎖」の国が色分けされて表示されていました。
 ベラルーシはどっちも色にも塗られていない状態でした。しかし、ミンスクでも欠航する便が出てきています。

 「全面閉鎖」と「一部閉鎖」の意味がよく分からなかったのですが、これは便数のことではなく、空港の数のことですよね?
 よく考えたら「全面閉鎖」か「一部閉鎖」か、と言われても、ベラルーシには国際空港は一つしかないので、「一部閉鎖」というのはないんだな、と思いました。
 ミンスクの国際空港は閉鎖されていはいませんが、一部欠航している便はあるので、注意が必要です。

 ベラルーシの場合、行き先がすでに空港を閉鎖しているようなところ、つまりイギリスやドイツなどに行く方面の便はすでに全て欠航となっています。
 今のところ火山灰の影響のない南のほう、トルコやイスラエルへ行く便は通常通りですが、ウクライナのキエフへの便は欠航しています。
 ミンスクからモスクワへ行く便は通常通りですが、低空飛行をしているそうです。

 ミンスクの空港ではさっそく「ヨーロッパのどこへでも車でお送りいたします」商売が現れています。実際にこの新商売を利用した人がいるのかどうかは分かりません。
 国際列車は通常の2.5倍の混みぐあいとなっているそうです。

 ベラルーシでの市民生活への影響はありません。火山灰はかなり高い上空に漂っているため、健康被害の恐れもないそうです。
 それにしてもすごいですね。アイスランドになる火山が一つ噴火するだけで、こんなにこんらん、しかもこれから先の予測が不可能(現代の科学力を持ってしても。)
 宇宙から眺めると火山の爆発なんて、地球のおできが一つつぶれたレベルなんですが、地表にうごめくように暮らしている人間たちは、それだけで右往左往です。
 とにかく旅行シーズン間近。早く混乱が収まってほしいですね。

チロ基金の活動「第6回 医療器具寄贈」その4

2010-04-10 | チロ基金
 本当に医療器具の寄贈が今年もできてよかったです。
 この病院では近々、チロ基金が寄贈した内視鏡手術器具を使った手術を紹介するビデオ作品を製作する予定です。このように広く手術の様子が公開されること、ベラルーシの他の医療機関の関係者にも刺激になるのではないでしょうか。
 このビデオ作品はチロ基金にもいくつか譲っていただけることになっていますので、手術器具購入のため寄付をしてくださった方や、関心のある方にぜひ見ていただきたいと思っています。
 詳細はまた改めてこのブログにてご報告いたします。
 ご協力くださった方に深く感謝いたします。
 
 

チロ基金の活動「第6回 医療器具寄贈」その3

2010-04-10 | チロ基金
 これがその最新式のメスです。これはもちろん普通の開腹するためのメスではなく、内視鏡手術中に患部を切除するためなどに使うタイプのメスです。
 ハサミと違い、このメスは刃の部分が筒状の部分から出ている構造であるため、手元のギザギザ部分で刃渡りを微調整することができます。つまり患部の大きさなどにより刃渡りを変えることが可能です。
 このような小さいメスがあると、生後1週間ぐらいの新生児の手術も今までより簡単にできるようになります。

チロ基金の活動「第6回 医療器具寄贈」その2

2010-04-09 | チロ基金
 今回もミンスク市内で開催された医療器具の見本市で、購入しました。不況のため、出店する企業が減るのではないかと心配されていましたが、そのようなことはなく、会場となったミンスク市にある屋内サッカースタジアムは、盛況な様子でした。
 逆にカール・シュトルツ社は新しいタイプの製品の開発も進めており、今回は最新式のメスを購入しました。
 購入した医療器具は全て小児外科センターで働く医師の希望を優先し、カール・シュトルツ社のロシア支社がミンスクの医療器具見本市に出品するときに、モスクワから持ってきてもらったり、実際に見本として出品したものを購入しています。
 カール・シュトルツ社ロシア支社は「チロ基金はお得意さんだから。」とかなり安い価格で5点を売ってくれました。

 お医者さんたちも大変喜んでいました。
 現在では小児外科センターで1年間に腹腔内視鏡手術は500件行われるほどに、増えてきているそうです。
 これは病気の子どもが増えた、というわけではなく、今まで器具やスタッフの不足から、普通の開腹手術をしていた子どもが、最近は設備も充実してきたため、体に負担の少ない腹腔内視鏡手術を受けられるようになってきた、ということです。

 寄贈式典の後でも
「今から早速生後8日の新生児の小腸部分の手術をこの器具を使って行います。」
と早速消毒処置室のほうへ回されていました。

チロ基金の活動「第6回 医療器具寄贈」その1

2010-04-09 | チロ基金
 2010年4月9日、第6回目となる医療器具寄贈活動を行いました。
 寄贈先は今まで同じく、ミンスク市立第1病院内小児外科センターです。

 寄贈した医療器具は腹腔内視鏡手術器具5点です。ドイツの医療機器製作会社カール・シュトルツ社製の鉗子3種、はさみ1種、メス1点をチロ基金への寄付金1000$で購入しました。
 この寄付金を寄付してくださったのは、Nobu-sanです。

 長期にわたり、先の見えない世界的不況が続く中、高額の寄付金をチロ基金に寄付してくださり、深く感謝しております。この活動が続いているのが奇跡のようです。本当にありがとうございました。

 今回は小児外科センター内の会議室で寄贈記念式典を行いました。
 お医者様方との記念撮影のようすは画像をご覧ください。ちょうどベラルーシ医科大学の学生さんたちも参加していたので、いっしょに記念撮影しました。
 将来この手術器具を使うことになる医師がこの中から育っていくと思います。とてもよい寄贈式典でした。

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第1回 医療器具寄贈についてはこちらです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/index.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/no2.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/medical/no3.html


ベラルーシ国内の報道記事はこちらです。(ロシア語)


http://www.sb.by/post/21374/



第2回と第3回 医療器具寄贈についてはこちらです。

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/index.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no2.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no3.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no10.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no11.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no12.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no13.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no13.html



http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/med_2004/no14.html


第4回 医療器具寄贈についてはこちらです。


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a41e56845b5a7ba409518ef917d2920a



http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f907e11b2b84fac83cce91a6336e8439



http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/888508e1b1f8c7f32f59daa6cd9987f7


第5回 医療器具寄贈についてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/f362a9d818c615f944f204980f3b6aaf



http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/3c7a964e55836902dfa2db5666f7847c



医療機器製作会社カール・シュトルツ社の公式サイト(日本語版はありません。)
http://www.karlstorz.de/cps/rde/xchg/SID-6E394DE7-5A0E0057/karlstorz-en/hs.xsl/index.htm


イースターエッグ その4 

2010-04-07 | ベラルーシ生活
 あっという間にきれいなイースターエッグのできあがり。
 この商品、ウクライナ製です。さすがイースターエッグの国。すごい発明です。
 おかげでプロの画家が描いたようなイースターエッグが、あっという間にできるようになりました。
 しかし、子どもが描いた手書きのイースターエッグにも心がこもっていていいですね。
 (どっちみち、全部食べてなくなってしまうもの・・・。)

イースターエッグ その3

2010-04-07 | ベラルーシ生活
 するとこのような輪の形になるので、あらかじめゆでておいた卵にかぶせます。
 それからお湯が沸いている鍋の中に入れるとあら不思議。瞬く間に絵の上下部分が縮んで、卵にぴったりの形に変ります。

イースターエッグ その2

2010-04-07 | ベラルーシ生活
 袋を開けると、このようにイースターエッグ用の絵が6枚セットで入っています。絵と絵の間をハサミで切ります。

イースターエッグ その1

2010-04-07 | ベラルーシ生活
 今年は4月4日がイースター(復活祭)でした。イースターは毎年日付が変ります。さらにカトリック、スラブ正教、というように宗派によっても日付が変ります。(それぞれの暦を使っているため。)
 今年は珍しくカトリック、スラブ正教、ユダヤ教のイースターの3つが同じ日に重なりました。
 スラブ正教のイースターの日は必ず晴れ、ユダヤ教のイースターの日は必ず雨になる、と言われています。さらにユダヤ教のイースターの前、1週間ぐらいは天気が悪い日が続くととも言われているのですが、今年は本当に4月3日まで、毎日雨が降っていました。
 イースターはどうなるかと思ったのですが、晴れました。スラブ正教の勝ち、とベラルーシ人は言っていました。(でも風は冷たかったです。)

 さて、イースターにはイースターエッグがつきものです。
 普通は自分で卵をゆでて、絵を描くのですが、今ベラルーシにはこんな便利なものが売られています。
 このように袋にイースターエッグ用の絵がセットになって入っているのです。使い方は・・・

 
 

日本文化情報センター入り口 その4

2010-04-07 | 日本文化情報センター
 こちらが「新・日本文化情報センター」の姿を作品として描いたアンドレイ・サロム君です。どうもありがとう!
 ちなみにこの作品は、「肉筆画」です。PCでデザインしたものではありません。
 こんな大きな作品、描くの大変だったでしょうね。
 絵だけではなく発想力もオリジナルなところが、とてもよかったと思います。これからも日本語の勉強もがんばってくださいね!
 
 

日本文化情報センター入り口 その3

2010-04-03 | 日本文化情報センター
 この右側の2枚は左側の下の部分につながるはずなのですが、スペースがなく、独立させた形で展示しました。
 「新・日本文化情報センター」では衛星放送で、日本の情報も得られる、というわけですね。
 ちなみに(勘違いする人が出てくると思うので、念のため)この作品は、日本文化情報センターで働いている私が、ベラルーシ人の学生に
「センターの未来予想図を、私が言うとおりに描いてよ!」
と依頼したのではありません。

 あくまで、作者であるサロム君の、発案であり、彼の芸術作品です。
 前もってインタビューのようなものは受けましたが、
(「センターにあればいい、と思う設備は何ですか?」ときかれ「料理教室もできるレストラン。」とかいろいろ答えました。)
 それ以外は、全部ご本人のアイデアです。
 最初この話を聞いたときは、
「このセンターがデザイン学科の学年制作の対象になりうるのか?」
と思いましたが、実際に出来上がったのを見ると、ああ、なるほどねえ、と理解できました。

 しかし、描いてくれた新センター、実際に建設するとなると、予算は一体いくらかかるのでしょう・・・。
(あまり現実的なことは考えないでおこう。夢を壊してはいけない・・・。)

日本文化情報センター入り口 その2

2010-04-03 | 日本文化情報センター
 せっかくなので拡大写真をご紹介します。
 ベラルーシの大学でデザインを専攻している人が考える日本文化情報センターは・・・
まず広大な面積を持ち、さまざまな設備を兼ね揃えています。
 展示室やイベントホール、ネットの利用、書庫はもちろんのこと、茶室やレストラン、石庭まであります。 
 さらに敷地内には日本地図の形をした池と島まであるのです。
 それだけでもすごいのに、来館者は「自分の内的世界を表している」と感じる石を見つけ、それを石の川(枯山水の庭のようなものと思っていただければ分かりやすいかと・・・。)に置きます。
 来館者が増えれば増えるほど、石の川は長くなっていくわけですね。
 そうか、みんなで作る、そして変化していく日本文化情報センターなのですね。
 発想がすばらしい。独創的ですね。

日本文化情報センター入り口 その1

2010-04-03 | 日本文化情報センター
 日本文化情報センターはミンスク市立第5児童図書館の2階にあります。
 そしてこの図書館、現在の建物に移転してから20年近い月日が経っているのです。
 そのため、図書館の内装工事をしないといけないのですが、ミンスク市が予算を少ししか出さないため、一度に全部の工事ができません。したがってすでに数年にわたり、ちまちまと内装工事をしています。
 ちまちま、と書くと少しずつ、内装工事をしているんだな、と皆さん思われるでしょう。
 そう、そのとおり、少しずつです。しかし、その「少し」にめちゃくちゃ時間がかかっています。
 例えば去年の11月から、いよいよ2階の閲覧室の内装工事が始まる、と騒ぎ始め、実際に始まったのは12月。1ヶ月で終わる予定が2月末に終了。
 どうしてこんなに時間がかかるかと言うと、請け負っている業者がだるい。3日に1日のペースでしか出勤してこない。
 図書館側の意向が業者にちゃんと伝わっていない。(ドアを注文したら、持ってきたが取り付け作業をする業者が1週間経っても来ない。やっと来たのでいよいよ取り付けよう、と思ったら、注文したドアの幅とは違うサイズのドアだった。注文した図書館側も、受け取り後1週間も廊下に放置しておいて、どうしてすぐにサイズがちがうことに気がつかないのだ?)
 
 工事が終了。バンザーイ! と言う時になって
「せっかくだから机も新しいのを入れたい。」
などと図書館側が、思いつき(遅すぎる。)市役所にかけ合ったけれど、当然予算は下りませんでした。
 でもこの「かけあって」いた期間が1ヶ月。その間、工事は終了していたのに、閲覧室は3月末やっと新装オープンしました。はあー。

 閲覧室に隣接している我がセンターも、このどうしようもない段取りの悪さと、超のろいペースに大迷惑をかけられ、臨時閉館させられたり、本当に大変でした。
 次は2階の貸し出しコーナーの内装工事が予定されていますが、今から考えただけで、気分重いです。

 話を明るいほうへ戻します。
 ベラルーシ大学でデザインを学んでいる学生で、アンドレイ・サロム君という人がいます。日本語も勉強しているのですが、4年生の学年製作の作品として「新・日本文化情報センター」をデザインしました。
 学内では高い評価をもらい、作品を大学側に残すように言われたそうですが、センターに寄贈してくれました。
 どうもありがとう! そしてさっそく展示しようと思ったのですが、想像以上に作品が大きく、(縦3メートル。)どこに展示すればいいのか、なかなか決めることができませんでした。
 しかし、内装工事終了後、センターの入り口の周囲に展示することができました。

 実際には右側の2枚のパネルが左側の下の部分に繋がっているんですが、分かりますかね?
 やむなく予定とは違う形での展示となりましたが、何とか新しいセンターの入り口の顔となり、うれしいです!