ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

恐怖! 巨大草ボルシチェビークの魔液! (その3)

2010-07-18 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 現在、ミンスク市内でこんなにたくさんのボルシチェビークが生えている。
 この草、もちろん繁殖力が非常に強く、どんどんヨーロッパを南下中なのである。この画像を撮影した場所では機械で一部刈り取った跡があった。しかし、刈り取っても根の部分が残っているし、この植物をエサとして食べてくれる昆虫や動物がベラルーシには棲んでいないので、数が増える一方である。
 ベラルーシ国内で絶滅させる方法は、今のところなく、新聞で「汁に注意しましょう。」と呼びかけて終わり、である。
 せめて森の奥の奥、人里離れた場所にだけ咲くのならいいのだが、ミンスク市内の真ん中、バス停から見える範囲に生えているし、近くに人家もあるから危険極まりない・・・。

 と言うわけで、日本人の皆さん、ベラルーシ(そしてそれよりも北に当たる地域)で、このボルシチェビークを見つけたら、お気をつけください。間違っても折り取らないように!
 ちなみに開花後しばらくすると、白い花の部分は薄茶色っぽく変色します。

 

 

恐怖! 巨大草ボルシチェビークの魔液! (その2)

2010-07-18 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 これは草の上の部分にある花を大きく撮影したものである。
 この植物について調べると、ロシア語で、ボルシチェビーク、英語で hogweeds ということが分かった。ではhogweedsって何かというと「キクに似た頭状花をもつ雑草の総称」ということだった。
 そしてその毒について、驚愕の事実が・・・

 もともとこのボルシチェビークにはいくつか種類がある。その中でも今回撮影したものが、最も巨大で、毒性が強い。(ボルシチェビーク・サスノフスキーとロシア語で呼ばれる。)
 しかし私は撮影のとき、ちょっと茎に触ったりしたのだが、別に何もなかった。
 問題は内部に含まれる汁である。茎を折ったりして、汁が人間の皮膚につき、さらに日光に当たると、大変なことになる。
 この汁は日光大量に吸収し、化学反応を起こすため、その部分が火傷になってしまうのだ! ひどい場合は3度の火傷にまでなることがある。
 症状は汁がついた次の日になってから現れることもある。・・・と言うことは汁がついたら、日の光が届かない暗闇の中でしばらく暮らさないといけないのか?

 ・・・という情報はこの撮影の後、3日後ぐらいに新聞で読んだのです。今、まさにボルシチェビークが満開なので注意を呼びかける記事だった。(もう少し早く教えてください・・・。)

 もともとこのボルシチェビーク・サスノフスキーはベラルーシには生えていなかった。
 アメリカ大陸から、人間の移動とともにヨーロッパに渡ってきた外来種。最初のころは北欧に生えていたのが、だんだん南下してきて、とうとうベラルーシにまでやってきたらしい。
 10年ぐらい前にS夫がフィンランドで行われた射撃の試合に同行したときのこと。予算が少ないため、バスで陸路移動していたら、フィンランドの国境に近いロシアにさしかかったときに、やはりバスの窓の向こうにこの巨大草が群生しているのを発見。
 S夫が「何だ、あれは?」と驚くと、
「あれは、毒の草で火傷するから絶対触ってはいけない。」
と知っていたベラルーシ人が教えてくれたそうだ。 
 それから約10年・・・。「とうとうベラルーシにまで、はびこってきたか・・・。」
とつぶやくS夫。
 ちなみにベラルーシより南のウクライナではまだ確認されていない。バルト三国では確認されている。

  
  

 
 

恐怖! 巨大草ボルシチェビークの魔液! (その1)

2010-07-18 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 何だかアニメ・ゲゲゲの鬼太郎のタイトルみたいですが・・・。(^^;)

 ミンスク市内をバスで移動したときのこと。何気なく窓の外の風景を眺めていたら、遠くに何かずいぶんと大きな植物の姿が・・・。
 気になった私はその日の用事をすませた後、帰り道にわざわざその植物が生えていた所から一番近い停留所で途中下車して、その植物を観察した。
 そこで撮影したのがこの画像である。
 うう・・・大きい・・・。何だ? この草? 花? 高さは3メートルぐらい。横に写っているうちの子、身長約130センチと比べてください。
 
 しかもたくさん生えている。これは珍しい、と思って私は、いろいろな角度から撮影した。
 帰宅後、この画像をS夫に見せたら
「うわー、この草、毒草やで。知らんのか、お前。あほやなあ。子どもは大丈夫か? どっか赤くなっとらんか?」
と関西弁に翻訳すると、こんな感じで(↑)言われた。
 一体、この植物は何なのか?
 







つれづれ写真「夏ですねえ!ベラルーシも暑いです」

2010-07-14 | つれづれ写真
 夏です。日本は梅雨のど真ん中ですが、ベラルーシにはやっと明るくて、楽しい夏がやってきました。ああ、これで冬の寒さに凍った体も溶けていくわい・・・と身も心も開放的になるベラルーシの夏。やったー!
 しかし・・・地球温暖化の影響がここにも来ているのか、ちょっと暑すぎる・・・。
 気温は毎日32度。3日後には34度になるという週間天気予報を見てびっくり。
 おまけに大陸性気候のはずなのに、湿度が高い・・・。日本みたい。しかも午後になると夕立が降り、雨といっしょに雷が落ちまくり、一度に気温が10度ぐらい下がる。しかしまた30度に戻る。
 ベラルーシ人は「地球温暖化がこれ以上進むと、ベラルーシに熱帯雨林の森ができる。」「バナナ栽培が始まる。これで輸入しなくてよくなる。」と言っています。
 
 画像はミンスク市内にて。のどかな花畑に見えますが、実はすぐそばに市バスの停留所がある。バスを待つ間に撮影。
 都会の中とはいえ、こういう「すかすか」な(^^;)場所が多いので、やっぱり日本の都市部に比べると、ずっと不快指数が低いです。
 
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第105回」

2010-07-12 |   ビタペクト配布活動
 7月12日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第105回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を13個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1712個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1440部となりました。
  
 今回で通算115回目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1712人分のビタペクト2、そして1440家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by


 今回も2家族がSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのご家族にお話を伺いました。

(家族A)
 
 ピンスク(チェルノブイリ原発から約280キロ)から来た家族。この家族に8個のビタペクト2を渡しました。子どもは全部で8人いますが、そのうち6人だけが保養に来ており、また2人の子どもを引率していました。合計8人子ども全員に1つずつビタペクト2を渡しました。
 この家族は2009年5月にもSOS子ども村に保養滞在しています。そのときの様子について詳しくは過去ログ「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第90回」(家族A)をご覧ください。
 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5605baafc47f087d39d977d760920c4d


 2009年と今回(2010年)の体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時14歳)0ベクレル
男子(13歳)27ベクレル ○ → 26ベクレル ○
女子(10歳)21ベクレル ○ → 36ベクレル ○
男子(9歳) 32ベクレル ○ → 29ベクレル ○
女子(7歳) 26ベクレル ○ → 33ベクレル ○ 
女子(6歳) 22ベクレル ○ → 32ベクレル ○
女子(3歳) 30ベクレル ○ (前回は留守番をしていた末っ子。)
女子(11歳)19ベクレル ○ (お母さんの友人の娘。)
女子(9歳) 19ベクレル ○ (孤児。多子家庭の子どもだったため、今回連れてきてもらった。)

 前回の結果と比べると、ビタペクトを飲んだにもかかわらず、今回の結果がよくありません。
 これは一体どうしてなのか・・・。お母さんの話によると、SOS子ども村へ出発する直前、今が旬のビルベリーを市場でバケツ3杯、買ってきて家族みんなで食べたそうです。もちろんベラルーシ人ですから、一粒、二粒、といった食べ方はしません。バケツ3杯分がなくなるまで、家族10人でお腹がいっぱいになるまで食べたそうです。
 市場で売られているベリー類、キノコ類は店で売られている物と違って、一般人が森で集めてきたものです。だからバケツ売りされているのですが、当然放射能値の検査などされていません。
「今から考えるとたぶんビルベリーのせいで放射能値が上がってしまったと思う。」
とお母さんはちょっとしょんぼりしていました。

 この家族の長女は17歳以上になったため、今回は同行していません。また7歳の女の子と双子の男の子がいますが、今回も障害のため、留守番でした。
 この男の子は去年は歩くことができない、という話でしたが、現在は車椅子に乗って生活しているそうです。
 10歳の女の子は生まれつき腎臓が一つしかありません。また肩のあたりの骨と関節が歪んでいて腕を上げることができません。去年の秋にミンスクの専門病院で検査入院しました。その結果、もし歪みの程度が進んで、麻痺状態が起こるほどになったら、手術して、肥大した骨の部分を削るように、と言われて退院したそうです。
 今のところは麻痺は起こっていないので、放置しているのですが、お母さんは心配していました。麻痺が起こるほど進行してほしくないです。


(家族B)
 
 ミンスク州ラゴイスク市(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家族。お母さんが5人の子どもと友人の娘1人を引率してきていました。この家族には5個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時10歳)12ベクレル
女子(17歳)19ベクレル ○
男子(14歳)22ベクレル ○
女子(13歳)27ベクレル ○
女子 (4歳)24ベクレル ○
女子(7ヶ月) 0ベクレル
女子(17歳)25ベクレル ○

 ラゴイスク市はミンスクのすぐ近所で、もちろん放射能汚染地域ではありません。しかしあまりよくない結果でした。
 このうち14歳の男の子は画像に写っていません。脳性まひで、車椅子に乗っており、同じ障害を持つ子どもが通う特別な幼稚園に通っています。放射能値を測定したときは保養滞在していたのですが、急に知らないところに来て驚いたのか、落ち着きがなく、ほとんど常時しゃべっている状態となり、他の子どもの迷惑になってしまったため、先に家に帰されたそうです。(ちょっとかわいそう。)
 他の子どもたちは健康で、特に問題はないそうです。引率してきた友人の娘は慢性胃炎だそうです。
 しかしSOS子ども村のリリヤ先生は
「それは成長期だから。もう少ししたら治ります。みんなそうよ。」
と言うので、私はびっくりしました。ベラルーシ人の中高生はみんな胃炎持ちなの???
 するとリリヤ先生は「ベラルーシ人のように肉食民族はみなそうです。」と答えました。
 日本人は肉をあまり食べないから、胃炎を起こさない、と主張。
 本当かどうか私には分かりませんが、このようにベラルーシ人は考えているそうです。
 
 今回も子どもたちに折り紙やぬりえのプレゼントをしました。そして今回も日本の昆布のプレゼント!
 前回のご報告でもご紹介しましたが、これは北海道、昆布の名産地、羅臼にお住まいのSさんからのプレゼントなのです。昆布を作られているSさんからの心のこもった贈り物です。Sさんからのお手紙によると、旨みのある昆布をつくるために手間隙、そして長い時間がかかるそうです。
 プレゼントしたのは乾燥昆布とそのまま食べられるおやつ昆布。SOS子ども村の職員さんたちも味見したい、と言ったので、おやつ昆布をみんなで食べました。反応はさまざま・・・。ちぎって食べる子どもやクッキーといっしょに食べる子どももいました。
 (おやつにするより、おかずの中に入れるほうがいいかもしれませんね。)

 やはりまだまだ海産物を食べることに慣れていないベラルーシ人。しかし10年前に比べると啓蒙されてきたと思います。(テレビのCMでも「ヨードを摂りましょう。」と宣伝している国ですから。)SOS子ども村からベラルーシ各地に昆布のよさを広めていきたいと思っています。
 
 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、昆布をわざわざ北海道から送ってくださったSさん、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。