ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

新美南吉ベラルーシ語訳童話集「手袋を買いに」が出版されました

2018-08-25 |   新美南吉
 ご報告が大変遅くなってしまいました。
 この度ようやく新美南吉ベラルーシ語童話集「手袋を買いに」が完成しました。

 今年は新美南吉生誕から数えて105年目。
 生誕100年を記念して始まった翻訳と出版の作業でした。
 前回のロシア語訳版童話集「ごん狐」より、上手にできたと思います。(自画自賛)
 二回目の出版で少し作業に慣れてきましたね。
 
 出版に当たり、多くの日本人、そしてベラルーシ人の方々からのご支援をいただきました。
またベラルーシ語訳童話集出版にかかった費用のうち、一部にロシア語訳童話集の日本国内向け販売分の売り上げを使いました。

 感謝の気持ちでいっぱいです。
 また支援者の皆様とのお約束が果たせてほっとしております。

 出版部数は300部で、これから少しずつベラルーシ各地の図書館に寄贈していく予定です。
 寄贈先図書館についてはまた後ほどご報告いたします。

 収録作品についてですが、ロシア語訳童話集と全く同じではありません。

 童話としては16作品が収録されています。(収録順)
「手袋を買いに」
「ごん狐」
「去年の木」
「たけのこ」
「でんでんむしのかなしみ」
「かんざし」
「赤いろうそく」
「一年生たちとひよめ」
「小さい太郎の悲しみ」
「二ひきの蛙」
「かげ」
「飴だま」
「おじいさんのランプ」
「狐」
「牛をつないだ椿の木」
「疣」

 新美南吉が発表した論文として「童話における物語性の喪失」

 それから俳句一句と日記の抜粋も収録されています。
 俳句は新美南吉が小学校の卒業式のときに詠んだ一句。
「たんぽぽの いく日 ふまれてけふの花」

 日記は1942年7月10日に書かれたものからの抜粋です。
「よのつねの喜びかなしみのかなたに、ひとしれぬ美しいもののあるを知っているかなしみ。そのかなしみを生涯うたいつづけた。」
 
 収録作品に「かげ」と「疣」の2作品を新たに追加できたこと、そして、新美南吉の童話に対する考え方がよく表れている貴重な論文をベラルーシ語に翻訳できてよかったです。 
 「かげ」を追加することにしたのは、新美南吉記念館が行った「好きな新美南吉作品アンケート」で日本人の子どもの間で人気がある作品で、前回ロシア語に翻訳しなかった作品だったからです。
 「疣」を追加したのは、出版費用の多くを支援してくださったA様のお気に入りの作品だとうかがったので、ベラルーシ語に訳すことにしました。
 
 新美南吉の論文「童話にあける物語性の喪失」の内容は子どもには難しいと思いますが、本書を蔵書にするベラルーシの図書館で働く司書にとっては、非常に貴重なものだと判断したので翻訳することにしました。

 日本語からベラルーシ語に翻訳したのは、私の娘のY子です。ベラルーシ語がすらすらできるのっていいですね。私は日本語からベラルーシ語への翻訳はできません。

 また新美南吉の文学世界がベラルーシで広く紹介できる機会ができました。
 関係者の皆様には厚くお礼申し上げます。

(画像は表紙と裏表紙です。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第229回」

2018-08-13 |   ビタペクト配布活動
 8月13日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第229回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト6個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを1部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2626個、セルロースの合計は150個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2193部となりました。
 今回で通算245回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2626人の子どもにビタペクトを、約143人の子どもにセルロースを、2193家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回は2家族がミンスク(チェルノブイリ原発から約350キロ)から保養に来ていました。

(家族A)

お母さんが9人の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2012年4月にもSOS子ども村に保養滞在していたことがあります。
 そのときの様子はこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト2(セルロース)&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第132回」(家族B)

 2012年と今回のそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時17歳)11ベクレル → 11ベクレル 
次女(18歳)20ベクレル ○ → 27ベクレル ○
三女(16歳)30ベクレル ○ → 11ベクレル
長男(14歳)34ベクレル ○ → 33ベクレル ○
次男(12歳)28ベクレル ○ → 12ベクレル
三男(11歳)32ベクレル ○ → 11ベクレル
四男 (9歳)35ベクレル → 13ベクレル
五男 (7歳)(今回初測定)→ 17ベクレル
四女 (4歳)17ベクレル
六男 (2歳)16ベクレル

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話を伺いました。
 前回は長男、次男、三男、四男に言語障害があって専門の治療を受けているということでしたが、6年経った今では、その話はでませんでした。
 次女と長男は背骨が曲がっており、特に長男は30分間しか座ることができないそうです。
 学校の授業は「寝ながら受けてください。」と医者に言われたそうです。
 でも現実的ではないので、有料のマッサージを受け続けたところ、改善してきたそうです。
 
 前回と比べると内部被曝量は減りましたが、お母さんはどうして今でも被曝しているのか、など質問されました。
 この一家のお母さんはスルーツク(チェルノブイリ原発から約250キロ)の出身で、今でもお母さんの両親が暮らしています。実家の庭にさくらんぼの木があり、その実で作ったジャムをもらってはよく食べているから、それが原因では、と話していました。しかし、チェルノブイリ原発が起きて、2、3年後そのさくらんぼを計測したことがあるそうです。その結果、放射能は検出されず、また近所で採れた果物や野菜もきれいだったそうで、そこの住民は安心した、とお母さんは話していました。
 スルーツクのさくらんぼは被曝には関係なさそうです。ということはミンスクで流通している食品が原因ということになりますね。
 ミンスクで暮らしている私は人事ではないのですが。 

 
(家族B)

 お母さんが7人の子どもを連れていました。この家族には4個のビタペクト3を渡しました。それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果は以下のとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親 16ベクレル
長男(10歳) 12ベクレル 
長女 (9歳) 15ベクレル 
次男 (8歳) 24ベクレル ○
次女 (6歳) 21ベクレル ○
三男 (4歳) 13ベクレル
四男 (2歳) 23ベクレル ○
五男 (2歳) 27ベクレル ○ 

 お母さんはチェルノブイリ原発事故が起きたとき、まだ生まれておらず、自分のお母さんのお腹の中にいたそうです。(妊娠初期だったそうです。)
 事故が起きてから約半年後生まれましたが、特に問題はありませんでした。
 子どもたちも特に持病はないそうです。8歳の次男は生まれつき心臓の壁に穴が開いているそうですが、大きさは小さく、経過観察中だそうです。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、日本語で子どもの名前を書いたカード、せんすなどをプレゼントしました。年齢が小さい子ども達は、日本とか折り紙、と言っても「?」という感じでしたが、大きい年齢の子どもは、日本語に関心を示していました。折り紙も早速作っていました。何事にも積極的ですね。
 画像は記念撮影した様子です。
 (家族A)の長女も写っています。19歳になるので、今回の保養には子どもとして選ばれなかったのですが、食費は自己負担で滞在しており、弟と妹のお世話、食事作りの手伝いとして同行していました。(この人の分は予算が出ず、被曝量の測定はしていません。このように保養滞在に対してSOS子ども村は柔軟な対応をしていますね。)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

日本人のベラルーシビザ取得についての新法令

2018-08-08 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 
2018年7月24日より,一定の条件を満たす日本国民に対するベラルーシ共和国における短期滞在無査証制度が変更されました。

平成30年7月28日掲載

本制度の要点は以下の通りです。
●日本国民が査証を取得することなくベラルーシに滞在可能な期間は,入・出国日を含め,最大30日間。
※なお,ワーキング・デーで5日間以上滞在し,かつホテル・ホステル・サナトリウム等の施設に宿泊しない場合,滞在地域の内務省機関で滞在登録を行う必要がありますので,ご注意下さい。
●ミンスク国立空港より入・出国する場合にのみ適用。
※陸路での入・出国の場合はベラルーシの査証が必要となりますのでご注意下さい。
(過去陸路にて無査証で入国・通過しようとした邦人が拘束された,罰金を科された,との事例があります。)
●ロシアからの入国,ロシアへの出国を予定している場合は,ミンスク空港を利用する場合であってもベラルーシ査証の取得が必要。
●本制度が適用されるのは,日本国の有効な一般旅券所持者に限られます。
●本制度を利用するためには,上記以外にも一定の条件を満たしている必要があります(滞在費用,海外旅行保険加入等)。詳細な情報については,駐日ベラルーシ共和国日本大使館等関係機関にお問い合わせ下さい。

【参考】本制度に関するベラルーシ外務省HP
http://mfa.gov.by/en/visa/visafreetravel/e0ced19bb1f9bf2c.html


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 私からのアドバイスですが、
・外国人登録が必要な場合は忘れずに。
・保険には加入しましょう。日本の保険会社の旅行保険ではなく、ベラルーシの保険会社「BELGOSSTRAKH」でないといけません。
「え? 日本で旅行保険入ったけど?」
というのは通用しません。
・ロシアからの入国は空路でも陸路でもお勧めしません。

 このブログ内の旅行者、留学生向けの記事も参考になさってください。リンク先はこちら