ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

第15回ベラルーシ日本語弁論大会に参加しました

2018-03-23 | 日本文化情報センター
 3月23日にミンスク市内(ベラルーシ大学)で第15回ベラルーシ日本語弁論大会(ベラルーシ日本語教師会、在ベラルーシ日本大使館主催)が行われ、今年は日本文化情報センター日本語教室の生徒のうち5名が出場しました。
(画像では6名写っていますが、後で説明します。)

 昨年は日本文化情報センターからは初参加で、しかもたったの1名だけだったのですが、今回は5名に増えて関係者一同驚きました。

 ちなみに出場資格はベラルーシで日本語を学んでいること(独学も含む)。日本語を母語としないこと。日本滞在期間が通算90日以内であることです。

 弁論大会は2つの部に分かれています。
第1部 スピーチのテーマは発表者の自由です
第2部 スピーチのテーマ 「私の好きな言葉」
* 第2部は,日本語の学習歴が2年未満の初学者の方の参加を想定しています。
スピーチは発表者が作成した未発表オリジナルであること。
第1部は、2018年10月にモスクワで開催されるモスクワ国際学生弁論大会のベラルーシ国内予選を兼ねます(本大会の優勝者(第1部1位)は、モスクワ大会にベラルーシ代表として出場します)。
* モスクワ国際学生弁論大会の出場資格は,(1)CIS諸国の大学(または主催者が認めたそれに相当する機関)で日本語を勉強していること (2)これまでにモスクワ国際学生弁論大会で6位までに入賞していないこと です。

<つまり、日本文化情報センターで日本語を勉強している場合、このベラルーシ国内での弁論大会には出場できますが、第1部優勝者になっても、モスクワ国際弁論大会のベラルーシ代表には選ばれない、ということです。
 それから、スポンサーがついたら、第1部優勝者は短期の日本語留学ができる、と実施要綱には書いてあったのですが、弁論大会開催中はこの話は全く出なかったので、現時点ではスポンサーが見つかっていないようです。ただし、この留学の条件は18歳以上です。優勝しても18歳以下だと、結局留学できません。>

 今回は第1部出場者が計10名、第2部出場者が計4名でした。
 日本文化情報センター日本語教室からは5名が参加しました。その氏名とテーマ(作文のタイトル)は以下のとおりです。
(第1部)
マルガリータ・カゼルスカヤ「人の生活においてトイレが持つ意味」
ワレリー・ビクチェンタエフ「子供のときから日本語を勉強するのが一番いいです」
辰巳結重「暗記とメロディー、そしてリズム」
アブグースタ・シゾーノワ「魂の痛み」
(第2部)
イリーナ・グリゴリエヴァ「私の好きな言葉」

 このうちワレリー・ビクチェンタエフさんが、審査員特別賞をいただきました。
 本人もびっくりして、「これは何の賞ですか。」と確認していました。
 今後の活躍を期待して審査員の方々からいただいた特別賞なので、ワレリーさんには引き続き日本語の勉強をがんばってほしいものです。
 
 ちなみに審査では,内容のわかりやすさ,具体性,説得力,発音,表現力,質疑における回答の的確さや日本語運用能力を評価点として,評価点の合計得点および審査員の合議により,順位を決定します。
 ・・・だそうですが、この審査員の話し合いというのが長いんです・・・。
 点数評価だけでは決められない部分が多いのでしょうね。
ちなみに結果発表のときに、各参加者の獲得点数の発表はありません。
 おかしくないですか?
 
 この弁論大会はベラルーシ日本語教師会と在ベラルーシ日本大使館が主催です。
 私はこの日本語教師会に入会するよう声をかけられたことがあるのですが、会員ではありません。

 それから、画像に写っているもう一人の人は3位に入賞したヴィクトリヤ・カポルツェワさん(テーマ「自信」)です。
 この人は日本文化情報センター日本語教室の生徒ですが、今回の弁論大会では民間語学教室の生徒代表として出場しました。
 どうしてこんなことになったかというと、ヴィクトリヤさんは弊センター日本語教室に通いながら、平行して民間語学教室にも通っています。
 弁論大会に出場するための指導も始めていたのですが、それを知った民間語学教室のほうから、日本文化情報センターの生徒としてではなく、語学教室の代表として弁論大会に出場するよう強制されたそうです。仕方がないので、ヴィクトリヤさんは民間語学教室の先生から指導を受けることになりました。

 私の本音を言えば、今回は弊センターからの出場者が多いので、一人でも他の先生が指導担当してくれると助かる、という気持ちと、入賞したても日本文化情報センターの功績にはならないので、むなしい、という気持ちがありました。
   
 会場にはその民間語学教室の先生も当然聞きに来ていましたが、私の顔を見ても今回の件で挨拶もなく、完全無視されました。
 ベラルーシ人であっても、日本語教師の仕事をしている人なので、日本語が上手でしょうし、そもそも私はロシア語ができるのになあ、とも思いました。授業料を取って運営している民間語学教室からすると、無料で日本語を教えている日本文化情報センターは、商売の敵なので、嫌がられているのかな、とも思いました。
 ベラルーシには有料の日本語教室は複数ありますが、その運営者が10年以上授業料無料で(チロ基金の支援を受けて。)日本語を教えている日本文化情報センターの存在をよく思わないのは、仕方がないことなのかもしれません。
 
 1年前から教材費を一人年間300-600円ほど生徒さんから集めていますが、私自身は教授料は一切もらっておりませんし、チロ基金からも受け取っていません。
 チロ基金からは日本語教科書などの支援を受けてここまで授業を続けていますが、当然苦労も多いです。
 かといって、市立図書館内の語学教室で授業を取るのは難しいことですし、私自身もボランティアで日本語を教えることがいやなわけではありません。 

 ただ正直言って、ベラルーシにおける日本語教育界には一筋縄ではいかない部分もあり、それも私がベラルーシ日本語教師会に入会しない理由の一つです。
 
 一方でベラルーシでの日本語教育が全て有料になると、日本語はお金持ちだけが勉強できる外国語になってするとしまいます。
 高い授業料を払えないベラルーシ人はいくらやる気や才能があっても日本語は勉強できない、ということになります。
 そんな中、無料で日本語後を教える場所が一つぐらいあってもよいのでは、と思います。
 そもそも経済格差が教育格差につながってはいけないと思うんでうすよね。
 お金はないけど、日本語が勉強したかったので、無料の日本語教室に通えた、というベラルーシ人が多く出てくるほうが、ベラルーシ人全体の日本語学習者数が増え、当然その中から日本とベラルーシの友好関係に役立つ人材が多く現れる可能性が出てくることになります。
 ですから、日本語教育を有料に限定してしまうより、無料で学べることころも同時にあって、門戸を広くするほうが、両国の将来に役立つ、ということです。

 そのように考えているので、(気を使うことも多々あるのですが)日本文化情報センター日本語教室は無料のまま続けていこうと思っています。

 日本語教室を支援してくださっているチロ基金支援者の皆様、この場を借りてお礼申し上げます。

 日本語教室の生徒のみなさんも、このままやる気を持続して、日本語を勉強していってほしいです。
 
 ちなみに弁論大会主催者側からは、日本文化情報センターから5名が参加したことに対して大変感謝されました。
 ベラルーシの大学で日本語教育を行っているのは、ベラルーシ大学とミンスク言語大学の2箇所なのですが、今回はベラルーシ大学の学生で出場したのは4人。ミンスク言語大学からは2人だけで日本文化情報センターからの5名参加が最多だったのです。
(実はもう一人参加の申し込みをしていたのですが、社会人で海外出張が入り、大会当日国外に行ってしまった生徒がいます。)

 主催者側からは
「また来年も日本文化情報センターからたくさん参加してください!」
と頼まれたのですが、そもそもこのベラルーシ日本語弁論大会はモスクワ国際学生弁論大会のベラルーシ国内予選としてスタートし、そのモスクワ国際学生弁論大会は「大学で日本語を勉強している大学生」しか出られないのですから、弊センター日本語教室の生徒は優勝しても、出場できないんですよ。
 それより、ベラルーシ日本語教師会としては、日本語を専攻している現役大学生の出場者をもっと増やすよう自分で努力してください・・・(と言いたかった。)
 確かに出場者数が合計一桁・・・だったりすると、コンテストとして体裁を保てないというのも分かるのですが。

 ちなみに、弊センター日本語教室生徒の平均年齢は29歳です。今回出場した5名の内訳も、高校生2名、大学生1名(専攻は日本語ではなく技術系)、社会人2名です。
 お金持ちではないベラルーシ人にも日本語学習の門戸を広げ・・・とかさっき書きましたが、実は社会人多いですね、うちの教室。(^^;)
 若いとき日本語が勉強したかったけどできなかった、という生徒さんもけっこういます。(^^)
 

本の紹介「新美南吉と花木たち」

2018-03-20 |   新美南吉
 新美南吉研究に関する本のご紹介です。

新美南吉と花木たち風媒社刊行
著者: 編著者: 安城南吉倶楽部

 新美南吉がロシアをテーマにした詩を書いていたことがきっかけで、ほんの少しだけですが、この本の執筆者のお一人のお手伝いができました。

 新美南吉はロシア文学が好きで、よく読んでいたことが日記に書かれているのですが、ロシアをモチーフにした詩も書いてるのです。
 それは「苔人形」という詩なのですが、青空文庫で読めますので、興味のある方はこちらをどうぞ

 そしてこの作品の中に出てくる「白樺」について、「新美南吉と花木たち」の中で詳しく取り上げられています。
 この「白樺」の項の担当執筆者の方から、この苔人形とは何なのでしょうか? というご質問を受けたのです。

 現代ベラルーシで作られている現代版苔人形(伝統的な苔人形が進化したもので、さらにベラルーシ風アレンジが加わっているもの)についてはこちらをご覧ください。
(名称も苔人形ではなくなっています。)

 私が知っていることは執筆者様にお答えしましたが、そのうちの一部が本書「白樺」の項で紹介されたので、ご案内いたします。
 (私のことを「南吉研究家・在ベラルーシ」と紹介されていて、びっくりです。本書の編著者である安城南吉倶楽部のメンバーの方々と比べると、私など足元にも及びません。)

 しかし、ベラルーシからの情報提供が新美南吉作品の理解を深める一助になってうれしいです。

 本書は新美南吉の作品(手紙なども含む)に登場する植物を網羅していて、「花が好きだった。」植物の名前に詳しかった」という新美南吉が作品の中で、どれほど効果的に植物を登場させて描写したかが大変よく分かる研究書です。

 巻末の「新美南吉の作品に登場する植物一覧」は実に詳細です。例えば、バラ一つとっても「薔薇」「ばら」「バラ」と表記の仕方によって、細かく分類されています。

 それにしても本書を読むと、まだまだ読んだことのない新美南吉作品がたくさんあるんだなあと感じました。
 今までに読んだことのある作品も植物に着目して改めて読み返したいとも思いました。
 
 
 

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第222回」

2018-03-19 |   ビタペクト配布活動
 3月19日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第222回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はセルロースを6個と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを1部渡しました。  
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2614個、セルロースの合計は107個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2180部となりました。
 今回で通算238回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2614人の子どもにビタペクトを、約99人の子どもにセルロースを、2180家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。
(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

 今回もビタペクトではなくセルロースを渡しました。ビタペクトの在庫がなくなり、現在搬入待ちです。
 
 今回は2家族がSOS子ども村へ保養に来ていました。

(家族A)

 お母さんがゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)の近くのテレシコビッチ村から、7人の子どもを引率していました
 この家族は2013年11月と2017年1月にも保養滞在していました。そのときの様子はこちらの過去ログをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第156回」(家族A) 
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第205回」(家族A)  

 この家族には3個のセルロースを渡しました。
 それぞれの前回と今回の内部被爆測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3あるいはセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時25歳)11ベクレル → 13ベクレル → 13ベクレル
女子(16歳)20ベクレル ○
男子(16歳)30ベクレル ○ → 21ベクレル ○ 17ベクレル
男子(10歳)29ベクレル ○
男子 (9歳)19ベクレル
女子 (7歳)6ベクレル
男子 (5歳)26ベクレル ○
女子 (5歳)17ベクレル

 このうちお母さんの里子は16歳の女の子と男の子だけです。
 年少の5人は兄弟で、普段は自分の母親と暮らしています。
 このお母さんは実子のほか、里子を育てて、その数合計30人になるのですが、当然その中には自立して、自分の家庭を持っている人もいます。
 その中で一人、お母さんが18歳になるまで育てた里子が、その後結婚し5人の子どもが生まれました。
 しかし、アルコール中毒になってしまい、失業してさらに妻子を捨てて、行方不明になってしまったそうです。
 かつて一生懸命育てた里子(生みの両親はともにアルコール中毒で若死にしています。)が、まじめな社会人、そして家庭人になってほしいと育ての親は思うものですが、こんなことになり、がっかりしたとこのお母さんは話していました。
 今回この保養の話があったとき、里子ではなくこのかつての里子の子ども5人を引率することにしたそうです。
 数多くの里子の中には大卒者が5人もいるのよ、とお母さんは話していましたが、何年も育ててきた里子が堕落してしまうのを見るのは本当に悲しい、とか「これだからアル中の子どもはアル中になるってずっと言われるのよ。」と嘆いていました。
 「もう年だし、自分自身も持病があるので、この16歳の里子が自立したら、もう里子をとるのはやめる。SOS子ども村に保養に来るのもこれで最後でしょう。」
とも話していました。
 この5人兄弟は父親がアル中になって、しかも子どもを捨てて出て行ってしまったことがストレスになってしまったせいか、年長の10歳の子どももおねしょが治らないそうです。
 今回に保養に来て、お母さんに会いたいとかホームシックになっている子もいるそうですが、「お父さんの話は全くしない。全く恋しがっていない。」そうです。
 このお母さんはもう里親をするのは引退して、平和なセカンドライフを送ってほしいです。30人の子どもたちがこのお母さんの健康と幸せのために何かしてあげてほしいと思いました。そして、この5人兄弟は次回は実の母親とSOS子ども村に保養に来てほしいなと思いました。
  
 
(家族B)

 お母さんがゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から、7人の子どもを引率していました。この家族には3個のセルロースを渡しました。
 それぞれの前回と今回の内部被爆測定結果はこのとおりです。○印の子どもにセルロースを1個ずつ渡しました。

母親(30歳)12ベクレル
長男 (8歳)20ベクレル ○
長女 (8歳)26ベクレル ○
次女 (3歳)31ベクレル
男子(10歳) 4ベクレル
男子 (5歳) 7ベクレル
女子(11歳) 7ベクレル
女子 (5歳)25ベクレル ○

 11歳の女の子と5歳の女の子は姉妹で、モズィリ市(チェルノブイリ原発から約90キロ)で暮らしています。この姉妹はお母さんの洗礼子(宗教上の子ども)で、5歳の男の子はお母さんの友だちの子ども、10歳の男の子はこの保養に誘ってくれたゴメリの多子家庭協会会長の孫だそうです。

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。 
 長女は生まれつき心臓の壁に穴が開いていましたが、現在は自然とふさがったそうです。
 11歳の洗礼子は。アデノイドの除去手術を受けたことがります。
 5歳の洗礼子は鼻呼吸ができない(常に口呼吸)そうです。これも手術するしか治すほうほうがないのでしょうか。

 10歳の男の子は(おそらく祖母のコネで)毎年ベルギーへ保養に行っており、そこで
「サプリを飲んでいる。」
と本人が話していました。
「何のサプリ?」
と私がきいたら、
「たぶんペクチン」
と答え、さらには
 「だからぼくは4ベクレルなんだよ。」
と笑っていました。
 こういう話を聞くと、「この子だけ何だか得してる。」というふうに思われがちですが、私からすれば、ベラルーシの子ども一人でも、被曝量が少ない状態で育っているのを喜ばないといけない、と思います。
 また、やっぱりですねえ、世の中不公平なんですよ。運がいい子ども、悪い子どもが存在する、ということです。
 家族Aの五人兄弟は運悪く無責任な父親のところに生まれて被曝量も高い。(たったの)6ベクレルの子どもも一人いますが。)
 家族Bの男の子は祖母が協会長だから、外国へ毎年保養に行けて、ペクチンサプリも飲んでいて、被曝量がほとんどない。
 両者の運の良し悪しの差は大きいです。(将来また運命が変わっていくかもしれませんけどね。)
 
 画像は記念撮影したものです。子どもたちには折り紙や折り鶴、文房具セット、子どもたちの名前を書いた色紙などをプレゼントしました。
 みんな漢字にびっくりしていましたが、興味津々の子どももいて、これをきっかけに将来日本語を勉強してくれたらなあ、と思いました。

 最後になりましたが、セルロース購入のため、寄付してくださった方、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 べラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 

7年目ですね

2018-03-11 | 放射能関連情報
 東日本大震災が発生して7年になります。
 福島第一原発で事故が起きたのは3月12日で、少し早いのですが、ベラルーシに住んでいる私が思っていることを書きます。

 去年の夏、日本ベラルーシ友好派遣団に参加した高校生のWBC測定の通訳をすることができました。

 詳しくは「日本ベラルーシ友好派遣団に参加した高校生のWBC測定結果について保護者の方へ」をご覧ください。

 この記事では書きませんでしたが、この高校生は甲状腺と心臓の検査も受けており、複数名に異常が見つかりました。多くは良性だと思いますが、もし、悪性に変化したりするとよくないので、日本に帰ってから、精密検査を受けるように、とベラルーシの医師から診断書をもらって帰国したのです。
 
 その後、どうなったのか関係者にきくことができました。
 保護者が子どもを連れて、日本の医者に連れて行くと、
「それはベラルーシの基準ですよ。ベラルーシは基準が厳しいからそんなおどかすようなこと言ってるんです。日本人には日本の基準でいいんですよ。心配しないで。」
と一笑に付され、検査も治療も誰も受けていないそうです。

 保護者も「そうなんだ、ああよかった。」と一安心。
 確かに誰でも「あなたのお子さん、悪性腫瘍できてますよ。」という台詞を聞くより「何の心配もないですよ。」という台詞を聞きたいと思っています。

 こういう状況を見ていて思ったことです。
 ベラルーシの医者は「ある意味においてチェルノブイリ原発事故を経験したわれわれは甲状腺の病気に関してはエキスパートになったという自負がある。わざわざ日本から高校生がベラルーシへ甲状腺の検査に来たんだから、ちゃんと見てあげよう。アドバイスしよう。しかし経過観察には時間がかかる。続きは日本の医師にたくしてもらおう。」と思っていて、

 間に入って通訳をしている私などは、
「日本の病院の方が検査機器のレベルも高いと思いますよ。日本人にとってヨウ素剤がどれぐらい必要なのかきちんと知っているのは日本人のお医者さん。日本語も通じるし、帰国したら、病院で再検査をうけましょう。」などとアドバイス。

 日本の医者は、「ベラルーシの基準で日本人の検査結果を見たって無意味。いたずらに怖がらせないで。」と思っている。

 日本人の親は親で、自分の子どもは健康なんだと思い込みたいので、そういう言葉をかけてくれる医者の言うことには耳を貸す。自分の心の安定のため。

 ・・・このような考えの間で結局たらいまわしにされている日本人の子どもたち。甲状腺に線種やのう胞がすでにあるのに・・・

 何のためにわざわざベラルーシへ来て、WBCや甲状腺の検査を(ベラルーシ側の厚意で無料で)受けることができたのか、よく分かりません。

 チェルノブイリ原発事故からの教訓とか前例とか、日本人にとっては教訓でも前例でもないんですよ。

 ・・・とネガティブなことを書きましたが、それでも・・・と思います。
 それでも、私は私ができることをするしかありませんね。

 先日NHKスペシャル「被曝の森2018」という番組を見ましたが、特に林業の方々が、100年かけて大木に育ててきた木が、放射能汚染されていることがわかり、材木として出荷するのももう無理・・・同じ場所で放射能がぐるぐる循環しているので、今植えた木も汚染しながら生長し、この方々の子孫につなげる林業はもうできない・・・と話していました。
 本当に気の毒ですが、リグニンを吸着剤として使って、土壌から木のほうへ放射能が移行しないようにする、といった方法はないの? とも思いました。

 この方法については、このブログ上でも投稿しているし、宇都宮大学での講演でもお話したのですが、日本では実験されていないのかなあ、と思いました。
 ベラルーシでは(もしかするとこれは今のウクライナ領内の話かもしれませんが)森林の除染をリグニンの空中散布の実験をして、成功しているんです。
 ただ、汚染された森の面積が広大すぎて、実用はされませんでした。
 日本だったら、林業をやっているところだけでも・・・と思うのですが。

 まあ、チェルノブイリ原発事故からの教訓とか前例とか、日本人にとっては教訓でも前例でもないんでしょうけど。
 昔と違ってインターネットもある時代なんだから、とベラルーシから情報発信しているつもりではありますが、ときどき、幅の広い川の岸から向こう岸に向かって、「おーい、おーい。」と叫んでいるだけのような気持ちになることもあります。