ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

分館の閉館についてのお知らせ

2014-10-31 | 日本文化情報センター
 ミンスク市内には19の市立児童図書館があり、さらに分館を持っている図書館もあります。
 日本文化情報センターがある第5児童図書館にも分館があるのですが、ミンスク市の財政状況のために(分かりやすく言えば維持のための予算が下りず)分館が今年の12月31日をもって閉館することになりました。
 分館内にはチロ基金が創立10周年を迎えたのを記念して2007年に日本文化コーナーを設置していたのですが、分館が閉館することになり、このコーナーもなくなることになりました。
 今年10月末をもって分館のコーナー所蔵の文献は全て、日本文化情報センターに移動しました。今後は第5児童図書館本館にある日本文化情報センター内で閲覧・貸し出しできるようになります。


 残念ですが、7年半にわたり、小さいながらも日本文化を紹介できる場所を提供できたこと、特に分館の近所に住んでいる人たちにとって大きな意義があったと思っています。
 

 所蔵文献を提供してくださった皆様、ありがとうございました。所蔵文献は引き続き弊センター内で活用してまいります。



日本文化情報センター「出張公演 茶道をテーマにしたレクチャー」 

2014-10-29 | 日本文化情報センター
 10月29日ベラルーシ国立美術館にて茶道をテーマにしたレクチャーを行いました。
現在国立図書館ではロシアのエルミタージュ美術館が所蔵している浮世絵コレクションが展示されています。
 たぶんエルミタージュには膨大なコレクションがあって、ベラルーシにはその一部しか来ていないんだろうと思っていましたが、実際にはかなりの数と種類の浮世絵が展示されていて、見に行ってよかったと思いました。
 本物の北斎や広重の浮世絵を見ることができて、本当によかったです。
 この展示を記念して、ベラルーシ国立美術館では日本文化についていろいろなテーマのレクチャーを企画しました。第1回は浮世絵について、そして第2回は茶道についてでした。
そのレクチャーする役を頼まれて今回出席しました。美術館内に今年できたアートカフェが会場で30席用意されていましたが、立ち見の人が出るほど、茶道についての関心は高かったです。
 茶道の実演ができたらよかったのですが、9月の日本文化情報センター15周年記念式典での茶の湯のデモンストレーションで、日本から持ってきたお抹茶もなくなってしまったうえに、お抹茶はベラルーシでは売られていないので、今回はあくまで画像と映像を使って、茶道の紹介をしました。
 しかもあまり細かいところまで話していると全く時間がないほど茶道は奥が深いので、もっとテーマを絞って、「ベラルーシ人のあなたがもし、日本人にお茶席に招待されたら」という設定のもと話をしました。
 懐紙や黒文字は客が自分の分を用意しないといけないといったことに、ベラルーシ人は驚いていました。
 会場では(残念ですがお抹茶ではなく)煎茶も振舞われました。
 レクチャーの後は質問が飛び交いました。けっこう細かいところまで質問する人もいて関心の高さが伺えました。(茶碗の正しい持ち方や回し方、小袱紗は必ず使わないといけないのかどうかなどなど。)
 少しでも茶道について理解してもらえたらと思います。

ベラルーシの新聞紙上でゴシケーヴィチが撮影した湿板について掲載

2014-10-23 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 大変お待たせいたしました。ようやくベラルーシの新聞「ゴラス・ラジムィ」にゴシケーヴィチが撮影したガラス湿板が同志社大学で保管されていたことが記事になりました。
 このガラス湿板には同志社大学の創立者である新島襄が写っています。

 この新聞は現在ネット上で閲覧できます。詳しくはこちらをご覧ください。

 ベラルーシの新聞紙上で大きく取り上げられたこと、大変うれしく思っています。
 150年前にベラルーシ人が日本で撮影した湿板が大切に保存されていることを新聞を通じてベラルーシ人にも知ってほしいです。
 記事の内容ですが、このブログで書いてきたことと内容はほぼ同じです。湿板に行きつくまでのいきさつ、さらにベラルーシではあまり知られていない新島襄についてもきちんと説明してあります。

 新島襄が写っているガラス湿板ですが、現在同志社大学社史センター内で、新島襄が父親に宛てた手紙とともに保管されています。ガラス湿板そのものをデジタル撮影した画像を今回の記事に掲載する予定で、社史センターから許可をいただいていたのですが、結局掲載されませんでした。
 この湿板のデジタル画像を私は拝見したのですが、表面がかなり暗くて、確かに人物が写っているのが分かる程度なのです。
 これを新聞紙上で印刷しても、「何が写っているのか分からない。」と購読者から言われそう・・・と編集部のほうで判断されたらしく、掲載許可を出してもらったにも関わらず、掲載されませんでした。
 私個人の感想としてはこの点が少し残念でもあり、また一方で仕方ないという気持ちの両方です。
 1988年に同志社大学社史センターが発行した論文集「同志社談叢第8号」に掲載された桑島洋一さんの寄稿「新島襄の函館脱出時の写真について」のコピーのほうが結局掲載写真として選ばれましたが、考え方によってはこっちのほうが新聞読者にとって分かりやすいかもしれません。

 それからこの記事に人物が撮影されたガラス湿板の画像が掲載されていますが、これは林儀助という人で、これもゴシケーヴィチが撮影したとされている湿板です。

 1865年6月の撮影会でゴシケーヴィチが撮影した写真のうち現存しているのは3枚ですが、全てかなり暗く写っており、(要するにゴシケーヴィチは撮影に失敗しています。)林儀助さんの湿板も暗かったのですが、ご本人がその後、湿板を複製しており、そのときに露出を明るくするよう調整したのです。
 それが今回新聞に載った写真ですが、3枚あるうち一番きれいな写真なので、掲載採用されたようです。

 ご報告が大変遅くなってしまいましたが、この記事が出るために、同志社大学でコピーをしてくださったり、ベラルーシまで届けてくれたり、日本国内で調べてくださった方々に感謝しています。
 多くの方のご協力とご理解がなかったら、この記事は発表できませんでした。
 撮影したゴシケーヴィチ、撮影を勧めたニコライ主教、被写体となった新島襄の3人を結び付けたガラス湿板が現在を生きる私たちも結び付けてくれたことに感慨を覚えます。  


チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第168回」

2014-10-20 |   ビタペクト配布活動
 10月20日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第168回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を12個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2267個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2050部となりました。
 今回で通算183回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2267人の子どもにビタペクトを、2050家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は2家族がSOS子ども村で保養滞在していました。

(家族A)

 ミンスクから25キロのところにあるトレスコフシナ村(チェルノブイリ原発から約350キロ)から来た家族。お母さんが8人の子どもを引率していました。
 このうち血の繋がった子どもは3歳の孫娘だけで、後は養子です。
 孫娘はトレスコフシナ村ではなくミンスク市内で暮らしています。
 この家族には8個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体内被曝量はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1つずつ渡しました。

母親(事故発生当時31歳) 15ベクレル
女子(14歳) 30ベクレル ○
男子(13歳) 35ベクレル ○
男子(12歳) 34ベクレル ○
男子(11歳) 36ベクレル ○
男子(10歳) 25ベクレル ○
女子 (5歳) 37ベクレル ○
女子 (5歳) 25ベクレル ○
孫  (3歳) 39ベクレル ○

 14歳の女の子と12歳の男の子は実の姉弟です。
 5歳の女の子2人は双子です。

 お母さんに子どもたちの健康状態について尋ねました。
 14歳の女の子は背骨が湾曲しています。この女の子はスペインに保養に行ったことがあり、WBCによる測定も受けたことはありますが、ビタペクトは飲んだことはないそうです。
 
 特に12歳の男の子は問題があってお母さんは心配していました。
 生みの親の元で育っていたころの環境が原因だと思いますが、6歳までしゃべることができず、鼻の手術を受けたこともあります。
 神経の異常なのか、寝返りの回数が多く、熟睡できているように見えないとお母さんは話していました。
 12歳になったのに、最近指しゃぶりをするようになったので、心理的なものが原因なのかとお母さんは思っています。

 他の子どもたちも全員風邪をよくひくなど体があまり丈夫ではないそうです。 
 
 この一家はきのこやベリーを集めて市場で売っていますが、市場では販売する前に検査を受けないといけないので、必ず市場内で調べています。毎回低い値なので販売していますが、安全だと言われたきのこを食べて子どもが被爆したとは考えにくいと、お母さんは言っていました。


(家族B)

 ミンスク郊外にある町マチュリシチ(チェルノブイリ原発から約310キロ)から来た家族。お母さんが養子やその子どもたちを引率してきていました。
お母さんには36歳になる養女がおり、養女は結婚して現在ミンスクに住んでいます。
4人子どもがいるのですが、今回いっしょに保養に来ていました。
 しかしそのうち5歳の女の子と3歳の男の子だけが測定を受けています。
 この家族には4個のビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生当時29歳) 20ベクレル
女子(11歳) 36ベクレル ○
女子 (9歳) 33ベクレル ○ 
女子 (5歳) 30ベクレル ○
男子 (3歳) 28ベクレル ○

 このうち11歳の女の子と9歳の女の子は実の姉妹です。
 11歳の女の子はいまだにおねしょをするのでお母さんが心配していました。
 医者からは心理的なものが要因ですと言われたものの、治療法が見つからないでいます。

 9歳の女の子はイタリアへ何回か保養に行ったことがあります。
 あるときホームステイ先の家で飼っていた猫に腕をかまれてしまいました。
 その後わきの下のリンパ腺が卵大に腫れあがりましたが、受け入れ側の家族も、団体も何もしてくれなかったので、その状態のまま帰国しました。
 外国での保養滞在の場合は現地人が治療行為ができない決まりがあることはあるのですが・・・
 お母さんは何のための保養かと怒って、ベラルーシの病院へ連れて行ったり、ハーブを煎じて飲ませたりしていたところ、やっと腫れがひいたそうです。 
 
 今回測定は受けませんでしたが、36歳の養女の子どもである7歳の孫は背骨が湾曲しており、同じ症状の子どもたちばかりが通っている特別なサナトリウム・学校に通っています。
 このような特殊学校がミンスクにあるので、よかったとお母さんは話していました。

 1歳の孫はいまだにお座りができないので、病院に通院してマッサージによる治療をもうすぐ受けるということでした。

 お母さんたちは非常に熱心で、こちらの説明はメモを取ったり、放射能被爆対策についてもたくさんの質問をしていました。
 今までビタペクトのことも知らなかったし、測定ができることも知らなかったと言っていました。
 何よりも放射能汚染地域ではない場所に住む子どもたちなのに高い値の数値が出ていてショックだったようです。
 
 家族Bのお母さんは、
「私はチェルノブイリの事故が起きてからきのこを食べなくなりました。家でもきのこ料理は作りません。どうして子どもたちは被爆したんでしょうか。」 
と不思議がっていました。
 きのこだけに注意していてもおそらくだめで、今は食品全般が汚染されていると覚悟しておくほうがいいと思います。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物の端切れから作った巾着袋などをプレゼントしました。  
 子どもたちはとくに日本語の絵葉書に大喜びしていました。でも難しいので、勉強はしたくない、とも言っていました。(^^;)
 お母さんの1人は巾着袋の縫い目を見て、「本当にきれいに縫っていますね。私は昔縫製の仕事していたので分かります。」と話していました。

 画像は記念撮影したものです。ただし1人のお母さんが髪の毛セットしてないから、ということで写っていません。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、巾着袋など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。


日本文化情報センターでの日本語教育について国際交流基金のサイトで紹介されました

2014-10-14 | 日本文化情報センター
国際交流基金のサイト内にある、国・地域別の日本語教育を紹介するベラルーシのページで日本文化情報センターが行っている日本語教育について紹介されました。
リンク先はこちらです。ベラルーシ(2014年度)


ゴシケーヴィチの胸像は函館市地域交流まちづくりセンターに設置されています

2014-10-11 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 北方歴史資料館で展示されていたゴシケーヴィチの胸像
 資料館の閉館にともない、胸像はどこへ行くのか心配していましたが、館長だった高田菜々様より、函館市地域交流まちづくりセンターにて展示されることを教えていただきました。
 函館市民の皆様、そして函館を訪れる方々にこれでゴシケーヴィチの胸像を見てもらえますね!
 
 9月29日から10月18日まで函館市地域交流まちづくりセンター内で、ゴシケーヴィチ生誕記念200年の記念パネル展も行われています。
 詳しくはこちらこちらです。

 これをきっかけに日本でも広くゴシケーヴィチの業績を知ってもらえたらと思います。
 
 この画像は高田様よりいただきました。どうもありがとうございます!

 生誕200年の節目の年にこのような形でゴシケーヴィチの胸像が移設されたのも、運命を感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 追加情報です。
 現在函館街づくりセンター内にあるゴシケーヴィチの胸像は10月18日以降、函館にある旧ロシア領事館の中に設置されるそうです。
 時期はまだはっきりしませんが、これでもう移転はしないようです。
 末永く函館で展示されてほしいですね。

 函館の旧ロシア領事館についてはこちらです。 

 (残念なことにゴシケーヴィチが建てたロシア領事館の建物は消失してしまったので、現在残っている建物は、ゴシケーヴィチが帰国してから再建されたものです。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第167回」

2014-10-01 |   ビタペクト配布活動
 10月1日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第167回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を6個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2255個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2040部となりました。
 今回で通算182回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2255人の子どもにビタペクトを、2040家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 2家族がボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)からSOS子ども村に来て保養滞在していました。

(家族A)
 
 この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 この家族は2009年にも保養滞在したことがあります。そのときの様子はこちらをごらんください。

 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第91回」 

 子どもは全部で5人いますが、1人は孫、1人は親戚の子どもでした。
 それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。5年前測定した子どもは前回の結果も表示しています。○印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時22歳)11ベクレル
女子(14歳) 29ベクレル ○ → 20ベクレル ○
男子(12歳) 28ベクレル ○ → 26ベクレル ○
男子 (5歳) 16ベクレル
男子 (6歳) 25ベクレル ○
孫  (7歳) 38ベクレル → 23ベクレル ○

 お母さんに健康状態について尋ねました。
 14歳の女の子は貧血ですが、鉄剤などは飲まず、お母さんが食事で治そうとしています。
 5歳の男の子はダウン症です。歩き始めるのが大変遅く、現在特別な靴を注文してはいているそうです。またアデノイドにもかかっています。
 他の子どもたちもよく風邪をひき、長引くことが多いそうです。
 14歳の女の子は9歳のときにイタリアへ保養に行ったことがあるそうですが、他の子どもは行ったことがありません。

 お母さん自身は自分の健康に大変気を使うようになったそうです。ダイエットして、肉類を食べるのを控えるようにし、森の中でウオーキングもしているそうです。
 こういうお母さんの元で暮らす子どもたちは得ですね。


(家族B)

 お母さんが4人の子どもと滞在していました。それぞれの体内放射能測定結果はこのとおりです。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時9歳)12ベクレル
長女(12歳) 26ベクレル ○
次女 (6歳) 12ベクレル 
長男 (3歳) 21ベクレル ○
三女 (1歳) 16ベクレル 

 子どもたちは比較的健康だそうです。ただ12歳の長女の甲状腺が急に肥大したそうです。それが分かってから、ヨウ素剤を飲むことを医者から言われ、飲み続けたところ、現在落ち着いてきたそうです。
 それから今でもおねしょをときどきするので心配とお母さんが話していました。
 腎臓などの検査もしたそうですが、異常はなく、医者からは「大人になったら治るでしょう。」と言われたそうです。
 ここで言う大人というのは二次成長期(思春期)のことです。 
 お母さんのお仕事は看護士なので、もうすぐ治るのではないかと思いました。

 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、お母さんたちには着物の端切れから作った巾着袋などをプレゼントしました。  
 日本文化の紹介もしましたが、小さい子どもはよく分からなかっただろうなあ、と思いました。しかし日本語に興味がある子どももいて、勉強してみたい!と話していました。
 こういう子どもがベラルーシに増えてほしいなあ、と思います。

 画像は記念撮影したものです。ただ小さい子どもでお昼寝中のため、写っていない子どももいます。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。