ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第157回」

2013-12-23 |   ビタペクト配布活動
12月23日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第157回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を12個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2116個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1940部となりました。
 今回で通算171回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2116人の子どもにビタペクトを、1940家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80




 今回は3家族がボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。

(家族A)
  
 お母さんが5人の子どもを引率していました。この家族には6個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は2005年11月、2012年11月にもSOS子ども村へ保養に来たことがあります。そのときのようすはこちらをご覧ください。
 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第39回」(家族B) 
 チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第141回」(家族A)

 それぞれのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2005年と2012年に測定した子どもはその結果も記載しています。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時11歳)11ベクレル → 10ベクレル → 12ベクレル ○
次女(14歳)0ベクレル → 30ベクレル ○ → 29ベクレル ○
三女(11歳)10ベクレル → 15ベクレル → 36ベクレル ○
次男 (9歳)0ベクレル → 24ベクレル ○ → 39ベクレル ○
四女 (7歳)33ベクレル ○ (2012年初測定) → 51ベクレル ○
三男 (4歳)33ベクレル(2012年初測定) → 25ベクレル ○

 健康状態についてお母さんにお話を伺いました。次女と四女は視力の低下が続いているそうです。
 三男ですが、最近になって、下あごの骨の成長が遅れていること、また停留睾丸であることが分かり、お母さんは心配していました。(両方とも手術で治るとは思うのですが・・・。)

 子ども達全員、結果の悪い数値で残念です。
 お母さんにも一つ渡していますが、体重が3桁だったので、ダイエット目的で渡しています。しかし四女が50ベクレル以上という数値だったので、お母さんの分のビタペクト3のうち半分はこの子にあげて、1人で1個半飲むように話しました。


(家族B)

 お母さんが4人の子どもを引率していました。この家族には5個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時9歳)9ベクレル ○
長女(15歳)23ベクレル ○
長男(11歳)29ベクレル ○
次女 (9歳)21ベクレル ○
次男 (6歳)30ベクレル ○

 次女はてんかん患者です。子ども達は風邪、インフルエンザなど感染症によくかかり、免疫力が弱いというお母さんの話でした。
 このお母さんも体重が3桁だったので、ダイエット目的でビタペクト3を渡していますが、この家族も全体的に数値が高くて、心配です。
 お母さんにチェルノブイリ原発事故が起きたときのことを覚えていますか? と尋ねると、よく覚えていないが、自宅近所の水溜りの水が発光色のような黄色になっていて、気味が悪かったという思い出を話してくれました。
 でもそれはそう見えただけで、放射能は関係ない、という人もベラルーシには大勢いて、因果関係は分かりません。


(家族C)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。この家族には1個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれのそれぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時0歳)24ベクレル 
長女 (9歳)25ベクレル ○
次女 (3歳)31ベクレル
長男 (2歳)56ベクレル 

 次女と長男にもビタペクト3をあげたかったのですが、年齢が3歳以下なのと、2人とも風邪をひいてしまい、投薬治療をしているため、渡せませんでした。
 お母さんの話によると子ども達はよく風邪をひき、また長男はアレルギー体質(牛乳アレルギー)だそうです。

 今回は数値が高くて、心配な結果でした。ボブルイスク市は汚染地域には指定されていません。200キロ原発から離れています。それでもこのような結果だったので、がっかりしました。できたらビタペクト3を飲んだ後、再測定ができればいいのですが・・・。

 画像は記念撮影したものです。ただ風邪をひいて寝ていた子どもは写っていません。
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。
 特に着物と漢字に興味があるようで、子ども達はとても喜んでいました。
 SOS子ども村で出会えたことをきっかけにして、日本に関心を持ってくれる子どもがベラルーシにもっと増えてほしいと思っています。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

 今回で、今年最後の配布活動になりました。多くの方々に支えられ、この活動をまた来年につなげていきたいです。
  

ベラルーシのTVドキュメンタリー作品に一瞬だけ出演しました

2013-12-20 | ベラルーシ文化
 日本ではあまり知られていませんが、フランスの画家フェルナン・レジェの妻はベラルーシ人なのです。

 名前はナジェージダ・ホダセビッチと言い、本人も画家でした。(名前はナディアとかナージャという表記もあります。)
 結婚後の苗字はホダセビッチ・レジェです。
 (ウィキペディアの「フェルナン・レジェ」のページには「弟子でロシア出身の画家であるナディア」とありますが、ベラルーシ出身の間違いですね。)

 そのナジェージダ・ホダセビッチの人生についてドキュメンタリー映画が製作されることになり、去年撮影をしていたのですが、ようやく完成し、先日試写会がミンスク市内にある映画博物館内で行われました。タイトルは「Портрет на фоне эпохи 時代を背景にした肖像画」です。監督はガリーナ・ナガエワ(女性です。)製作はベラルーシビデオセンターです。
 
 どうしてこんなことをわざわざ言うのかというと、私がチョイ役で出演しているからです。
 役割は日本人。そのまんまです。私の子どもも日本人の子ども役で出ています。これもそのまんま。(^^)
 もちろんセリフなんてありませんよー。
 ロケをしたのは去年の秋のミンスク市内で、着物姿での撮影は少々寒かったです。

 それで、どうして日本人親子が出演しないといけないのかというと、ナジェージダ・ホダセビッチがパリで暮らしていたシーンを撮影していたのですが、当時も今もパリは国際都市で芸術関係の外国人留学生が多かったはずだという設定のもと、パリへバイオリン留学に日本から来た天才少女と付き添いの母の役をしました。
 うちの子は全然バイオリンなんて弾けないのに、ケースだけ友達に借りたりして、楽しかったですね。実際には一瞬しか写らないですけどね。(笑)

 それにしてもこの時代にベラルーシからフランスに渡った画家がいた、しかも女性というのが、すごい。レジェの妻がベラルーシ人というのは知っていたのですが、詳しくはちゃんと分かってなくて、この映画を見て、大変勉強になりましたよ。
 でもナジェージダ・ホダセビッチはすごく強い意思の持ち主だったと思います。当然ですが、ものすごく苦労しています。
 でも画家になるのを絶対あきらめない! 夢を捨てない! という思いで必死でパリで生きていたと思います。 
 そこのところにレジェもほれちゃったんだろうなあ。

 演じた女優さんは、ほんとかわいかったー。
 作品の宣伝映像と写真はこちらのサイトから見ることができます。(ロシア語のサイトです。)
 ナジェージダ・ホダセビッチの自画像も見ることができます。

  こんな人がベラルーシにいたんだということで、ぜひご覧ください。

ミンスク市内の学校で新美南吉童話朗読会を行いました

2013-12-19 |   新美南吉
12月19日にミンスク市内にある第19番ギムナジア学校で新美南吉朗読会を行いました。
 第19番ギムナジア学校の図書室司書であるリジヤさんが招待してくれました。
 リジヤさんが書いた新美南吉童話の感想についてはこちらです。

この学校では12月16日から日本文化週間を行っています。日替わりでテーマを変えて、日本の祝祭日の紹介など文化に関するもののほか、福島第一原発の話もあったそうです。そして今日は新美南吉の朗読会が行われました。
 校内には日本に関するパネル展示があったり、また図書室にも日本コーナーがありました。

 ちなみにギムナジア学校と普通の学校はどう違うのかと言うと、どちらも公立の学校なのですがギムナジアは入学するとき試験があるのです。
 私の子どもは普通の学校に通っているので、私はギムナジアについて特に詳しいわけではありませんが、ギムナジアのほうが平均学力が高く、大学進学率も高いそうです。

 リジヤさんの依頼により、朗読会を行いましたが、今回は「でんでんむしのかなしみ」「去年の木」「あめ玉」「手袋を買いに」を朗読しました。全てロシア語です。
 新美南吉さんの人生についても、特に小学校・中学校時代の話を中心に話しました。
 自分と同じぐらいの年齢のときに童話を書き始めていた、などというエピソードにみんな静かに耳を傾けていました。
 またアンケートを行いましたので、後日まとめて更新しますね。

 この学校の図書室には立体折り紙のふくろうや、雑誌を寄贈しました。図書室の日本コーナーにはさっそくふくろうが飾られました。
 リジヤさんはイベントのときに日本の音楽を流したりして、日本文化週間のために大変努力していました。こういう熱心な司書さんは貴重ですよ。また何かイベントを共同でしたいですね。

 画像は朗読会終了後、会場で記念撮影したものです。リジヤさんも写っています。
 (南吉さんとベラルーシの子どもたちがいっしょに写っていてうれしい画像です。)
 会場のステージにはとても大きいこいのぼりが飾られていました。ミンスクと姉妹都市である仙台市からの寄贈品だそうです。
 いろんなテーマから子供たちが日本を身近に感じることができるこのような企画は、私も自分の仕事に生かしていきたいと思いました。

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 後日頼んでおいたアンケートを取りに行きました。結果はこのとおりです。(複数回答可)

手袋を買いに 28人
あめ玉 18人
去年の木 17人
でんでんむしのかなしみ 6人 

 「手袋を買いに」が大人気ですね。きつねの親子の絵を描いた子どもがたくさんいました。
 感想は新美南吉記念館にお送りする予定です。


ベラルーシの児童雑誌「カチェーリ」に新美南吉童話の翻訳が掲載されていました

2013-12-18 |   新美南吉
 ベラルーシの児童雑誌「カチェーリ」2013年7月号に新美南吉童話の翻訳が掲載されていました・・・。
 このことを知人の知人が教えてくれたのは12月ですよ。
 この雑誌の編集部に5月ごろ掲載を依頼してたのですが、なしのつぶてだったので、すっかりあきらめていました。
 それが、ちゃんと新美南吉の生まれ月である7月号に「でんでんむしのかなしみ」と「去年の木」が載っていたのです。
 どうして編集部の人は連絡してくれなかったのでしょう???

 しかし載っていてよかった!
 ちゃんと挿絵もついているし・・・うれしいです!
 (「去年の木」の小鳥がからすみたいで、あまり小鳥っぽく見えないけど。)

 ちゃんと絵を描こうと思えばベラルーシ人も描けるんですよ。
 でもやっぱり、挿絵が描きやすい作品が選ばれてしまいますね。

 ちなみに「カチェーリ」とはぶらんこのことです。この雑誌は小学校高学年、中学生向けの雑誌です。やや年長の子ども達にも読んでもらえて本当によかったです。
 発行部数は5353部で、発行しているのはミンスク市役所教育委員会(!)
 ミンスク市立の学校図書室、児童図書館で閲覧されているほか、一般向けに発売もされている雑誌です。
 
 

 

オシミャヌィへ出張講演会&新美南吉童話朗読会

2013-12-12 |   新美南吉
 ベラルーシ西部、リトアニアとの国境近くにある古い街オシミャヌィにある市立図書館に出張公演に行ってきました。
 オシミャヌィの市会議員をしていらっしゃる方と6月のシンポジウムでお会いしたのですが、そのときに新美南吉の「去年の木」を朗読したのを聴いていただいたのです。その後オシミャヌィの図書館でも新美南吉の童話の紹介をしてほしいと頼まれ、朗読会をすることになりました。
 オシミャヌィはミンスクから車で片道1時間半ほどのところにあります。初めて行くベラルーシの街ですが、古い歴史があって、道々話を聞いたところ、オシミャヌィのすぐそばで貴族として生まれたソフィヤ・ガリシャンスカヤがポーランド国王ヤガイロと結婚して、ポーランド王室の継承者を生み、さらにその子孫がヨーロッパ各地の王族と結婚したので、今のヨーロッパの王室にソフィヤ・ガリシャンスカヤの血(つまりベラルーシ人の血)が流れているのだそうです。
 このようにオシミャヌイには歴史があり、さらに第二次世界大戦中、破壊を免れたので、古い建造物も他のベラルーシの街と比べると残っているそうで、とても趣きのある街に感じられました。

 今回の朗読会は市立中央図書館で行われましたが、この図書館の中に司書や学校の先生の有志が集まるサロンがあり、毎週木曜日集まっては、いろいろなテーマの話をしたり、ゲストを招いて、話を聞いたりしているそうです。それに私が呼ばれていきました。日本人は初めて来た、ということで、新美南吉だけではなく、日本の話もしました。学校の先生が多かったので、日本の教育制度について質問が多く出されました。約40名の方が集まっていたのですが、今回は子どもはいませんでした。
 新美南吉童話の朗読ですが今回は「でんでんむしのかなしみ」「あめ玉」「去年の木」「手袋を買いに」を朗読しました。
 図書館関係の人も多かったので、皇后陛下の国際児童図書評議会第26回世界大会の講演もロシア語で紹介しました。

 実際の朗読会では話が一つが終わるたびに会場が静まり返る・・・(汗) 反応がないので、かなりあせりました。しかしこれは新美南吉の童話がつまらなかった、とかそういうわけではなく、驚いてしまったからなのでした。
 日本の子供向けの話だと思っていたら、意外と深い内容でびっくりしてしまったようなのです。その後アンケートで、感想を募りましたが、気に入った作品は「でんでんむしのかなしみ」と「手袋を買いに」にほぼ二分されました。結果はこのとおりです。(複数回答可)

「手袋を買いに」14人
「でんでんむしのかなしみ」12人
「あめ玉」4人
「去年の木」4人

 
 今回聞きに来て下さった皆さんは全員女性でした。年齢は20代から60代までさまざま。
でも女性ということで、お母さん狐が登場する「手袋を買いに」に感情移入しやすかったようです。
 もっと詳しい感想をいただきましたので、翻訳して後日ご紹介いたします。
 オシミャヌィ市立中央図書館には、日本のことを紹介するロシア語の雑誌や立体折り紙で作ったふくろうを寄贈しました。(このふくろうを見せると、みんなびっくりするのですが、毎回プレゼントとして重宝しています。)

 他にも近辺にある図書館や博物館を見学してもらい、たった1日でしたが、とても充実した日になりました。
オシミャヌィにはまた気候のいいときに改めて旅行で行きたいなあと思いました。近くに古城もあるそうです。

 画像の中で手に持っている雑誌は「ライブラリー・ワールド」です。