ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

「チロ基金活動報告更新のお知らせ」について

2009-01-27 | チロ基金
「チロ基金活動報告更新のお知らせ」についてお知らせです。

 チロ基金では基金の活動にご協力してくださっている方々に活動報告をこのブログ上で更新するごとに「チロ基金活動報告更新のお知らせ」というメールでご案内をしております。

 今まで「チロ基金活動報告更新のお知らせ」が届いていたのに、急に届かなくなったという方、お手数をおかけしますが、メールアドレス nbjc@mail.goo.ne.jp までお知らせください。

 

「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第5回

2009-01-25 | チロ基金
 表皮水泡症という難病の患者、マリーナさんとウラジーミル君の兄弟への支援活動がついに5回目となりました。そしてこれが最後の支援になりそうです。そうなってほしいです。

(今までのこの兄弟への支援活動について詳しくはこちらをご覧ください。)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第1回」

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/index.html


「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第1回と第2回

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/mv/index.html


ソシノ村へのビタペクト2配布活動報告についてはこちらをご覧ください。
第1回 2003年10月

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/s-no1.html


第2回 2004年

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2004/so_no2.html


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第42回」
「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第3回

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/002.html



「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第4回 (HP「ベラルーシの部屋 レポート」2007年4月18日過去ログ)

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi



チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第85回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/6d0b01dffa1c86c798f4f248c9f113ed


 前回の支援活動で、特別に処方してもらった軟膏ですが、その後はなくなるとピンスクの薬局で調合してもらっています。
 それに効果があったのでしょう。マリーナさんとウラジーミル君の症状は激減したそうです。
 また年齢が上がったため(今年19歳と17歳になります。)症状が軽減したとも言えます。

 表皮水泡症は遺伝病で、この二人のお父さんもこの病気の患者でした。しかし、お父さんも大人になってからはほとんど発症しなくなったそうです。
 表皮水泡症は年齢とともに軽減するケースが多いそうなので、マリーナさんとウラジーミル君も大人になりつつありますから、このまま治ってしまう可能性が高いです。

 ただ、この二人から生まれる子どもには病気が遺伝する可能性が25%あります。
 この話をすると、「そんなのはいやだ。」と二人は言っていましたが、「90%の確立で遺伝する、って言われるよりずっとまし。」と話しました。
 
 今後どうなるのかは、はっきり分かりませんが、おそらく病状は出てこなくなる一方だと思います。
 また二人とももうすぐ社会人になることもあり、6年目を迎えた今回でこの二人への支援活動は一旦終了することに決まりました。
 今までご支援してくださった多くの日本人の方々にお礼申し上げます。長い間、本当にありがとうございました。

 HPやブログで直接子どもたちに会って治療支援活動をしてきたことについては、詳しくご報告してきましたが、このほかにも支援おしてきました。
2005年度(ユースキンA軟膏3個、マメ用絆創膏26枚、ビタミンE錠剤)
2006年度(ユースキンA軟膏2個、マメ用絆創膏47枚)
2007年度(マメ用絆創膏42枚)

 そして今回、SOS子ども村で再会することができましたので、肉刺専用絆創膏32枚を最後の支援として、ウラジーミル君に渡しました。

 ウラジーミル君は半年後学校を卒業します。その後は自動車の修理工になりたい、と希望しており、その方面への専門学校を受験するそうです。
 マリーナさんは昨年、高校卒業後、
「表皮水泡症で長く立つのが苦痛だから、座ってできる仕事がしたい。」
ということで、親戚が勧める鉄道の駅での切符販売員になろうと考えたのですが、就職に有利だからと、商店のレジ係になることにしました。(ベラルーシではレジは座り仕事です。) 
 そのために1年間専門学校に通わないといけないため、ソシノ村を出て、バラノビッチ市の学校に入学しました。
 もうすぐ実習が始まって、6月には卒業、就職して社会人になります。
 ・・・と思っていたのですが、突然本人が
「もう足に水泡もできなくなったし、学校の体育の先生になりたい。」
と言い出しました。
 今通っている学校のクラブ活動で、陸上部に入部して、学校で短距離走1位、学校同士の試合で代表に選ばれ走って、やはり1位。今度はブレスト市の大会に出て、1位。賞金までもらったそうです。
 ・・・一体どうなってるの?(@0@)
 生まれつき表皮水泡症の患者だったとは今ではとても思えません・・・。しかも症状は足に出ていたのに・・・。
 
 現在マリーナさんは
「受験しなおして師範学校に入学して、学校の先生になりたい。」
と希望しています。もしかすると1年後の今頃はスーパーのレジに座っているのではなく、学生に戻っているかもしれません。

 とにかくマリーナさんとウラジーミル君もとてもしっかりしていました。ちゃんと目標を持っています。
 きっと水泡症の症状もますます軽くなっていくでしょう。難病に苦しんでいた子ども時代にはもうお別れですね。

 それにしてもみんな大きくなりましたねえ。二人の妹のオーリャちゃんもすごく身長が伸びていました。支援活動を始めたのが6年前だったのですから、当然なのかもしれませんが。
 
 長い時期に渡って続いた難病患者支援でした。マリーナさんとウラジーミル君にはこのまま発症しないまま、健康な生活を送ってほしいです。
 今までこの活動を支えてくださった皆様に厚くお礼申し上げます。長い間ご支援いただきありがとうございました。

 (画像は竹の知恵の輪に挑戦するウラジーミル君です。) 
 

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第85回」

2009-01-24 |   ビタペクト配布活動
 2009年最初の配布活動となりました。
 1月23日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村での第85回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を5個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1556個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1240部となりました。
  
 今回で通算95目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1556人分のビタペクト2、そして1240家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by




 今回はピンスク州ソシノ村(チェルノブイリ原発から約270キロ)から、チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第1回」や「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」で、今まで支援を続けてきた一家が保養のためSOS子ども村に滞在していました。

 表皮水泡症という難病と戦ってきたマリーナさんとウラジーミル君の現在の病状などは、改めてご報告します。ここでは体内放射能値測定結果についてご報告します。

 (この兄弟への支援活動について詳しくはこちらです。)

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第1回」

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/index.html


「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第1回と第2回

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/mv/index.html


ソシノ村へのビタペクト2配布活動報告についてはこちらをご覧ください。
第1回 2003年10月

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2003/s-no1.html


第2回 2004年

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2004/so_no2.html


チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第42回」
「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第3回

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/002.html



「チェルノブイリ被災児マリーナさんとウラジーミル君の治療支援活動」第4回 (HP「ベラルーシの部屋 レポート」2007年4月18日過去ログ)

http://belapakoi.s1.xrea.com/x/repo/hobby_book.cgi



 今回マリーナさんとウラジーミル君のお母さんは自分の子ども二人(ウラジーミル君とオーリャちゃん)とブレスト市に住む孫娘、ソシノ村の子どもたち5人を引率して保養滞在していました。
 検査結果はこのとおりです。(○印がついている子どもにビタペクト2を渡しました。)

母親(事故発生時25歳)24ベクレル
ウラジーミル君(17歳)25ベクレル ○
オーリャちゃん(12歳)25ベクレル ○
孫娘(7歳) 24ベクレル ○
男子(17歳)11ベクレル
女子(17歳)15ベクレル
女子(17歳)16ベクレル
女子(15歳)19ベクレル ○
女子(13歳)22ベクレル ○

 15歳と13歳の女の子は姉妹です。
 お母さんにお話を聞いたところ、ウラジーミル君が表皮水泡症である以外は、慢性病を抱えている子どもはいないそうです。
 ただ孫娘ちゃんは痩せていて顔色が悪かったです。
 SOS子ども村へ保養に行くことになり、大喜びで列車に乗ったら、子どものうち1人がインフルエンザを発病。次々にかかって、最後にお母さんの順番がきて、やっと治ったところへ私がやってきた・・・ということでした。
 でもお母さんと17歳の男の子はまだ目が熱っぽかったです。
 ベラルーシもインフルエンザが流行って、あちこちで学校閉鎖になっています。(うーん、怖い!)

 子どもたちは年長の子どもが多かったので、いろいろ話をしましたが、子供自身は元気でも、家族、特に親の世代に、死亡、病気や手術が多く、(心臓病や腎臓病、高血圧など)大変な様子でした。
 ソシノ村は放射能値が高い地域にあるので、それが影響している可能性があります。
 こんな村がベラルーシ中にどれだけたくさんあるのでしょうか。

 さて、この一家には協力してもらって、体内放放射能値の追跡調査を行っています。今までの測定結果はこのとおりです。

 2003年2月に1回目の測定。
 結果は、マリーナさん31ベクレル、ウラジーミル君20ベクレル、オーリャちゃん35ベクレル、母親20ベクレル。
 2003年3月に1回目のビタペクト2摂取。

 2003年7月に2回目の測定。
 結果はマリーナさん0ベクレル、ウラジーミル君8ベクレル、オーリャちゃん0ベクレル、母親0ベクレル。

 2003年10月に2回目のビタペクト2摂取。

 2004年10月に3回目のビタペクト2摂取。

 2006年2月に第3回目の測定。
 結果はマリーナさん27ベクレル、ウラジーミル君22ベクレル、オーリャちゃん10ベクレル、母親15ベクレル。
 2006年2月に4回目のビタペクト2摂取。

 2007年4月に第4回目の測定。
 結果はマリーナさん0ベクレル、ウラジーミル君0ベクレル、オーリャちゃん0ベクレル、母親15ベクレル。

 そして今回2009年1月に第5回目の測定。
 結果はウラジーミル君25ベクレル、オーリャちゃん25ベクレル、母親24ベクレル。(マリーナさんは測定せず。)
 そして2009年1月現在、5回目のビタペクト2摂取中・・・。

 今回は残念な結果となりました。やはりビタペクト2を飲んでから1年ぐらいは大丈夫なのですが、2年以上間が空くと元通りの結果になってしまいます。
 ソシノ村の食べ物が放射能汚染されていて、それを食べ続けているかぎりは同じことの繰り返しになっています。ウラジーミル君は牛乳が大好きで、毎日たくさん飲んでいるそうなのですが、ピンスク地区の牛乳は1リットルあたり100ベクレルの放射能を含んでいる、というデータがベルラド研究所にあります。
 比較的汚染されていない地域へ引越しすればいいのかもしれませんが、そんなことは簡単にできません。
 ビタペクト2が国家レベルのプロジェクトとなり、国民全員が無理でも、未成年者への1年に1回の摂取を義務付けるぐらいになれば、ベラルーシ人の健康レベルも飛躍的によくなるのでしょうが・・・

 今回も子ども達に折り紙や日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪、絵葉書をプレゼントしました。
 日本からのプレゼントにみんな大喜びでした。意外に知恵の輪が一番人気がありますね。今回は特に年齢の大きい子どもが多かったので、知的なおもちゃに目が入ってしまうのかもしれません。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

「欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶」のニュース 2

2009-01-12 | ベラルーシ生活
零下10度のガス停止 凍える東欧、まき求め長い列(朝日新聞) - goo ニュース

 早く解決しないですかねえ・・・この問題。
 昔(いや、今でもそうですが。)ロシアからのエネルギー輸入に頼っているベラルーシは、ロシアからエネルギーが供給されなくなると、特に冬場は死活問題となるため、薪を用意しておくほうがいいよ、とベラルーシ人に言われたことがあります。
 冗談でしょ! と言ったら、冗談じゃない、とちょっと笑った顔で言われたんですが・・・
 実際に暖房のため薪を求める、という事態が起こってしまいました。ただし、ベラルーシではなく、他の東欧諸国ですが。

 前の投稿にも書きましたが、ベラルーシは暖房がきいていて、室内はとても暖かいです。
 ロシアからベラルーシにパイプラインが伸びているからですが、これはそのままヨーロッパの国につながっています。(ポーランドやドイツなど。)

 ウクライナを通るパイプラインでこんな問題が起こるのなら、ベラルーシを十手いるパイプラインのほうで、何とか「下流」の国々を助けられないのか・・・
と思いますが、ベラルーシのパイプラインはウクライナのパイプラインより、細くてとても必要な供給量をまかなえないのだそうです。うーん。


・・・・・・・

 この騒動、1月20日になってようやく決着が着き、ガスの供給も再開されました。しかし騒動の火種が完全に消えたわけではありません。
 同じようなことが繰り返される可能性が大いにあります。
 それから3年後にウクライナやベラルーシを仲介しなくても天然ガスをロシアからヨーロッパへ供給できる新しいパイプラインが完成するそうですね。詳しくは以下のサイトをどうぞ。これが完成したら、ウクライナだけではなくベラルーシの対ロシア外交が大きく変化するかもしれません。

欧州も震えた「ガス大騒動」の顛末
ロシア vs ウクライナの熾烈な綱引き  

http://diamond.jp/series/closeup/09_01_31_001/


欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶

2009-01-08 | ベラルーシ生活
 新年早々飛び込んできたニュース。

欧州向けガス供給停止 ウクライナ経由、15カ国で途絶(共同通信) - gooニュース


 いやはや。ウクライナはどうしてこんなことをしているんでしょうね?
 いや、ウクライナ側は「ガスを止めたのはロシアのほうだ。」と主張しています。
 隣国ベラルーシでは、このようなガスが止まるといった事態は起こっていません。ロシアから直接天然ガスを輸入していますからね。
 それよりウクライナの「下流」に当たる国々が大変ですよ。この寒い時期に・・・。
 ベラルーシはお正月が明けてから、急に寒くなり、マイナス15度ぐらいの気温になっています。
 寒いです。
 家から一歩外に出るとダイヤモンドダストが見られます。
 我が家の車は凍りました。動いていません。S夫君、かわいそうに。(でも障害者だからバス代無料です。)
 昨日のクリスマスも終わって、今日から新学期です。祝日気分も終わって通常の生活が始まりました。
 ベラルーシは室内はどこも暖房、お湯が供給されており、暖かいですので、日本に住む皆様、ご心配なさらぬよう・・・