ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

茶の湯の紹介 第11回 その9

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 こちらの展示で紹介されている雑誌などは全て日本文化情報センターからの寄贈です。
 (そう、初音ミクもモロジェチノで紹介されていますよ。)

 モロジェチノ市立中央図書館から日本文化が市民に向けて発信されていったら、本当にうれしいです。
 
 おかげさまで今年の茶の湯の紹介も無事実施できました。
 これも多くの方々のおかげです。
 寄贈品や書籍をくださった日本の皆様に深謝しております。
 また来年につなげていきたいと思いました。本当にありがとうございました。 

茶の湯の紹介 第11回 その8

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 こちらの画像はモロジェチノ市立中央図書館内にある外国文献のコーナーです。
 茶の湯の紹介に併せて日本に関する文献資料を特別に展示してくれました。
 展示されている本や雑誌のうちのほとんどは日本文化情報センターからの寄贈ですが、一部この図書館所蔵の文献もあります。
 飾ってあるこけしと立体折り紙のふくろうは弊センターからの寄贈品です。

茶の湯の紹介 第11回 その7

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 多くの方々のおかげで今年の茶の湯の紹介も盛会のうちに終了しました。
 地元のマスコミでも取り上げられました。
 興味のある方はご覧ください。
 ロシア語のニュースサイトはこちら
 ベラルーシ語のニュースサイトはこちら
 モロジェチノの新聞のサイトはこちらです。

茶の湯の紹介 第11回 その6

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 会場からはたくさんの質問が飛び交いました。
「着ている着物は浴衣ですか?」(いいえ、ちがいます。)
「お茶を飲みながら会話をしてもいいのですか?」(いいですが、私たちの場合は解説をしないといけないので、会話することができないのです。)
「日本の子ども達も茶道を受け継いでいますか?」(学校の部活動で茶道を習っている子どももいるし、茶会によばれる機会があって自然とお抹茶を飲む子どももいますね。日本人全員が完璧にできるわけではないけれど。)
 などなど・・・。

 ご来場した方々の関心の高さにこちらも驚きました。

茶の湯の紹介 第11回 その5

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 そしてお試し会の始まりです。希望者の方にお茶を点てます。
 皆さん慣れない正座とお箸に四苦八苦していましたが、何とかお茶を飲んでいました。
 初めて飲むお抹茶の味も「おいしい。」と好評でした。和菓子は「すごく甘い。」と言っていましたが、ベラルーシのお菓子のほうが甘いと思うんだけど・・・。
 「何から作られているのですか?」といった質問が飛び出ていました。

茶の湯の紹介 第11回 その4

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 踊りの後は私が簡単に茶の湯の歴史を紹介します。
 そしていよいよデモンストレーションの始まりです。ロシア語の解説付きです。これがないとベラルーシの皆さんはまるで意味が分からないと思いますので・・・。
 
 

茶の湯の紹介 第11回 その3

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 そして大したものではないのですが茶の湯の前座(^^;)としてY子が日本の踊りを今年も披露しました。
 会場には70人のお客さん、新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミがやってきていました。
 写真を撮ったり、動画撮影したりと、茶の湯本番より、こっちのほうが盛り上がっていたかも。(^^;)   

茶の湯の紹介 第11回 その2

2013-08-29 | 日本文化情報センター
 司会者の方に紹介していただき、その後私から挨拶。そしてモロジェチノ市立中央図書館に寄贈する物を副館長さんに手渡しました。
 何と言っても図書館なので日本に関する文献を一番に寄贈しました。このことについては後ほどご報告します。
 そのほかアンティークこけし、立体おりがみのふくろうを寄贈しました。とても図書館関係者の皆さん喜んでいました。
 こけしを寄贈してくださった方、作るのがとても大変な立体折り紙を作ってくださった方々に厚くお礼申し上げます。
 
 

茶の湯の紹介 第11回 その1

2013-08-29 | 日本文化情報センター
毎年日本文化情報センターが実施している茶の湯の紹介。11回目になる今年はモロジェチノ市立中央図書館が会場でした。
 2年前から外国文学コーナー担当のタチヤーナさんから依頼されていたのですが、ついに実現する日が来ました。
 この図書館では2012年2月に出張講演を行っています。
 そのときからモロジェチノ市民は大変日本文化への関心が高いことが分かっていましたが。このような場所で茶の湯の紹介ができて本当にうれしいです。
画像の中で左端に写っているのがお世話になったタチヤーナさん、民族衣装の人は司会者です。
 あとの3人は私(主客の役担当)私の母(主人の役担当)私の娘(次客の役担当)です。
 私の父は今回ひざが不調で正座ができず(^^;)カメラマン役でした。
 
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 過去に茶の湯を開催した会場とご報告はこちらです。

2002年 日本文化情報センター創立3周年記念

2003年 グロドノ市立中央児童図書館

2004年 日本文化情報センター創立5周年記念

2005年 ポーロツク市立第7児童図書館

2006年 スベトロゴルスク市立中央児童図書館

2008年 SOS子ども村

2009年 日本文化情報センター創立10周年記念

2010年 オシポビッチ青少年創作センター.

2011年 アガレビッチ村立学校.

2012年 カリンコビッチ市立第3学校




 

第5回 体調と対策メモ

2013-08-22 |   体調と対策メモ
 今までに「体調と対策メモ」を継続的に送ってくれている方がいます。
 今回は第5回目となる体調と対策メモを送っていただきました。
 理由の分からない不快症状に悩んでいる方はぜひお読みください。

 いままでの記事の内容についても参考にしてください。
 2012年3月2日に「第1回 体調と対策メモです」という記事をご紹介しました。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/7c3b6b189f0299a89958d4ab94d88e5a


 2012年5月11日「第2回 体調と対策メモ」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/ad35361e4bb057209f45ea6e495feee7


 2012年10月11日「第3回 体調と対策メモ」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/90b9c65bc7e19a8f61a58f3ae64cbab8
 

 2013年3月14日 「第4回 体調と対策メモ」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/45cab2afa5f92736e03f2c81cfae7869
 


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 こんにちは。
 体調と対策メモを送っている者です。
 去年二月以降の体調記録を、遅ればせながらお送りいたします。

 二月に、一度体調を悪化させました。
そ のとき、とある線量の高い場所に出かけたのですが、いろいろと気をつけてはいたのですが、そこで入ったコーヒーショップでのコーヒー、あとで知ったら地元の湧水を使っていたのです。
 わたしは、体質が敏感なので、あまり外で飲んだり食べたりしないようにしているのですが、そのときは、少し口にしてしまいました。
 飲んで、すぐ、喉がひりひりし、翌日から体中が神経痛のように痛くなりました。もちろん、個人差もありますし、「絶対に被爆だ」との言うわけではありませんが、自然の湧水は、局所的には汚染の濃い部分もあると思いますし、注意したほうがいいと思います。

 その後、炭パウダーなどさまざま試したりしてみましたが、そのなかでこれはいいんじゃないかなというものを以下にお知らせしていきます。

 わたしの症状で、しつこく残るのは胸部中央と背骨などを主とした神経の痛みです。精神的な鬱様症状は、デトックスによってかなり収まりました。身体の痛みは、夜中や、早朝に酷くなることが多いのです。
 そういうときは、なるべく身体をあたため、ココアなどの鉄分の多い、デトックス作用のある者を飲む事にしています。ココアでないときはスギナ茶を飲んでいます。

 のどが腫れて嚥下困難があるときは、鉄不足であることが多く、鉄サプリか、ノンシュガーの豆乳ココアが効果があります。(ココアは鉄分が多く、ペクチンがたくさん含まれています)豆乳は、安全なものを選んでください。自作もいいと思います。
 友人でも、喉が腫れて飲み込むのが痛いとき、鉄サプリを飲んだら劇的に治ったと言う人が多いです。鉄分は、ぜひ、多めに摂取してください。
 鉄分は、ウランやプルトニウムが体内に入ってくるのを防ぐ効果もあるので、大切だと思います。


18 ビタミンDの摂取

 自分の体調対策において、あまりにも重要だったので、何度も報告しています。高濃度ビタミンDサプリメントについてです。
 これは腰痛などの神経の痛みにとても効果があります。
 わたしの神経の痛みが、どことなくイタイイタイ病に似ているのでは?と感じた家族が、「イタイイタイ病の治療に高濃度ビタミンDが使われ、効果があった」という記録を見つけ、すすめてくれました。
 カドミウムは重金属です。放射性物質も重金属ですし、同様の対策が効果があるだろうという推測です。

 これはほんとうに効果があったので、神経の痛みや、腰痛になやまされてる人がいましたら、おすすめいたします。
 高濃度ビタミンDは、海外のサプリメントショップなら購入できます。海外では、日本よりずっと高濃度のものを飲んでも大丈夫とされているようです。ご心配なら、すこしずつ増やしてみてください。
 わたしは、(自己責任ですが)一日20000IUくらいまでは飲んでいますが、だいじょうぶでした。5000IUのカプセルを一錠飲んだだけで、その日のうちに劇的に背骨の痛みが軽減しました。また、イタイイタイ病では、体内のカルシウムが普通の人より不足しがちになるということもききましたので、カルシウムも多めに錠剤でのんでいます。
 カルシウムの服用は、ストロンチウムが体内に入ることを防止しますし、とても大切だと思います。
 食品からですと、高野豆腐や、切干大根、ドライフルーツなどにカルシウムは多いです。また、甘いもの、白砂糖が多く含まれている食品を食べるとカルシウムの体内からの流出が増えるので気を付けてください。


 ビタミンDが効果があったことや、水道水に対する過敏な反応などを主治医の先生と話し合い、わたしの症状は、なんらかの「金属アレルギー」的な症状ではないか、と推測しました。アレルギーならば、ふつうの人は不調にならないような微量でも過敏な反応が出てしまうことがあるからです。(放射性物質は重金属です)
 花粉症など、例年になく大量に花粉が飛んだ年からいきなり発症してしまう人がいます。わたしは、震災当時、放射性物質が大量に効果した時をきっかけにして、なんらかの成分(核種?)をアレルゲンとして反応してしまう体質になったのではないかと言う、推測です。

 ここで、わたしの体調対策の方向性が決まりました。
 「被爆」という、正体不明なものにやみくもに立ち向かうのではなく、「重金属デトックス」「金属アレルギー対策」に的を絞るということです。
 目標をさだめることは、わたしにとって、精神的にかなり楽になりました。


 ここで、髪と爪についてすこし書こうと思います。震災以降、髪ががさがさになって抜けやすくなったり爪が割れやすくなったりする人はいませんか。
 当時、友人は、爪にひび割れがたくさんできてとても困っていました。
 それで、デトックス効果が高く、ケイ素を含んでいると言うスギナのお茶を試してみたのです。


19 スギナ茶を飲む

 スギナ茶は、アレルギーに効くといわれているお茶です。一般的にアレルギーや花粉症にいいと言われているものは、免疫力を高める効果があります。また、スギナはケイ素を多く含み、爪や髪、骨を強くします。
 ケイ素を摂取すると、カルシウムが効率よく骨になるのを補助します。
ス ギナ茶は身体がだるいとき、元気になるのでおすすめです。友人は、スギナ茶でぼろぼろだった爪が、一カ月でとても丈夫になりましたし、骨密度も高くなり、お医者さんに誉められるくらいになりました。
 連続して飲み続けると身体によくないという説もありますが、わたしも友人も家族も、ここ二年飲み続けていますが、副作用などはありません。
 スギナは海外サイトなどでは、サプリメントもあります。リーズナブルなのでおすすめです。


 春先から、さまざまなデトックスを試す中で、玄米食にすると体調が良くなる事に気が付きました。ただ、汚染物質は玄米のぬかの部分にたまるので、安全な玄米を取り寄せる必要はあります。安全なぬかを、農家の方にわけてもらって、食べるのも、デトックス効果が高いと思います。


19 玄米を食べる

 玄米は、デトックス効果が高い食べ物なので、安全な玄米を選ぶなら、おすすめです。ただし玄米加工品は避けています。産地偽装などが心配な場合も避けたほうがいいとおもいます。安心できるルートから直接購入できるなら、玄米はおすすめです。
 同時に、ぬかもいいとおもいます。わたしは、震災前から、ぬかを健康食として食べていました。ぬかを煎って冷凍しておくと、かなり持ちます。
 信用できる農家から直接購入するといいのではと思います。
煎りぬかはとても香ばしく、ホットケーキやカップケーキ、クッキーなどにいれてもおいしいです。豆乳を自作しますと、おからができますので、おからとぬかを入れたパウンドケーキやクッキーはとてもデトックス効果が高く、ダイエットにもなって一石二鳥です。
 これに、カリウム、カルシウム価の高いドライフルーツやナッツをいれれば、鬼に金棒だと思います。

 さて、この玄米には、「フィチン酸」という成分があります。
 これについて、自分なりに調べてみましたので報告いたします。


20 IP6サプリメントを摂取してみる

 これは、イノシトール6リン酸というもので、サプリメントとして海外サイトから購入できます。デトックスサプリです。
別名、フィチン酸といって、これが米ぬかの成分です。
 玄米にはデトックス作用がありますが、玄米のフィチン酸のキレート作用で毒素を排出しているのです。
フィチン酸は、ペクチン同様「身体に必要な栄養素も排出してしまうので危険」という噂がかねてよりあり、これが本当かどうかも確かめたかったので、自分の身体で試してみました。
 また、同時に、複数の食品添加物の会社に問い合わせ、フィチン酸の資料を取り寄せ、フィチン酸の作用についても問い合わせました。同時に関連書籍も読みました。
(フィチン酸は、食品添加物として、コンビニのチーズケーキの酸化防止などのために使われているようです)
いただいた御答えや自分の体調から総合しますと、結論として、フィチン酸の抗酸化力は強く、またデトックス作用も強力で一定の効果があるようです。
 また、三か月以上継続して連続服用した結果、ペクチン同様、マルチビタミンなどを同時に飲んでいれば、血液、尿検査などは問題無く栄養失調になる危険はありませんでした。
 IP6を飲み始めてから、身体が軽く感じられかなりらくになりましたので、飲み続けています。ほんとうは玄米を食べるのがいいのでしょうけれども、玄米の産地や品質に不安のあるときや、玄米を消化できないひとにはサプリは良い方法と思います。(金額的にはそんなに高額ではありません)
 家族の一人は、IP6を飲み始めてすぐ、咳が出始め、一ヶ月くらい痰が止まりませんでした。ただ、痰が出なくなったときはかなり体調がよくなったようです。痰がでなくなったら咳もおさまりました。(原因はわかりません)

 また、イノシトールという甘味料にもなっている米の成分があるのですが、これがIP6とあわせて飲むとさらに身体によく、かつ、このふたつがレシチンを合成するというので、IP6とイノシトールを合わせて飲むことにし、レシチンを飲むのをやめることにしました。

 おそらく、自然派のかたにとっては、玄米を食べていれば必要ないものだとは思います。
 が、ペクチンが身体にあわない人、安全な玄米が手に入らない人、玄米が消化できない人(腸の消化能力によって、まれに玄米が消化できない人がいます)などにはお勧めなデトックスサプリだと思いました。

 参考までに。ネットではこのような記述もあるようです。(この方はわたしの主治医ではありません。ここに掲載されているサプリでなくても、安いものはネットで探して入手可能です。わたしはそうしました)
http://www.1ginzaclinic.com/inocel/inocel.html


 この後、夏、秋と、去年は二度ほど西日本に保養に行きました。
 保養は、気分転換にもなり、とてもよいと思います。日本海側でしたら魚も食べられますし、ふだん気を付けている方々はリラックスできると思います。精神的な部分もとても大きいですから、ときどきの旅行は、大切だと思います。

 線量の高い地域のかたは、何にも考えずに、芝生に寝そべったり、オープンカフェでお茶をしたりするだけで、かなりほっとするのではないでしょうか。
 わたしは、水道水がダメなので、カフェでお茶をするだけでも、ぜいたくな気分になれます。ささいなことでありがたみを感じるのは、もしかしたらいいことかもしれないですね。


21 免疫ミルク

 これは、知人から教わりました。
 伝聞の伝聞なので、確かな話では無く恐縮なのですが、広島の方から、被爆をした方で、頭がぼーっとしてふらふらする、という症状が出た時、「免疫ミルク」というものを飲んで治ったらしい、という話を聞いたのです。
 それで、自分なりに調べましたところ、たしかにそういう商品があり、免疫力を高めるらしいのです。
 これは、商品によって価格に差があり、高額なものから、安価なものまでありますので、リーズナブルなものを捜すといいかもしれません。
 わたしは、体調不良との闘いは長期戦というポリシーなので、高額な健康食品やサプリメントを一種類に絞る方法では無く、比較的リーズナブルなものを多種類組み合わせる方法をとっています。(この方法だと、たまに一種類か二種類切らしても大丈夫なんです)なので、自分が決めた上限価格を超えたものは買わない事にしています。(家族や周囲の人に理解してもらうコツでもあります)
 特定の高額健康食品に頼ってしまいますと、家族の誰かがそれと相性がよくなかったり効果が薄い時に無駄になってしまいますし、依存しているように思われると反対されがちです。安価なものを組み合わせる方法はリスク分散にもなります。

 わたしは、比較的安価なタイプの「免疫ミルク」を買い置きしておいて体調が悪い時にときどき飲むようにしています。たしかに効果があり、風邪をひいたときなど、薬を飲まなくても、これを飲んだら治ることがよくあります。これは、基本的な抵抗力を上げてくれるものです。



 秋になり、Tさんが来日されました。
 お忙しい中、「いつも寄稿して頂いてるので」と、わざわざ合間をぬってご連絡をいただきました。
 非常にタイトなスケジュールだったのですが、お会いして、いろいろと励ましや、アドバイスをいただきました。
 ほんとうに、涙が出るほどうれしかったです。この場を借りてお礼申し上げます。

 現在体調を崩している方は、多かれ少なかれ、人間関係においても、悩み苦しみを抱えていると思います。
 わたしはさいわいにして、家族の理解がありますが、人によっては、体調不良そのものを認めてもらえないこともあるでしょう。
 また、理解者はいても、知人からノイローゼ扱いされたり、付き合いや仕事関係で外食しなければならないときなど、悩みは尽きないと思います。

 でもそれは、考えてみれば当たり前なのです。
 日本では、誰も経験したことがないことが起きたのです。
 ですから、今までにない形での体調不良を起こしたり、または家族にそういう症状が出てしまっても、落ち着いて対処したり適切なアドバイスができる人は、ほんとうにまれだし、できないほうが普通なのです。
 あわてず騒がす、生活上のアドバイスができるのは、経験した人だけ……
 それを周囲に求めるのは、求め過ぎな部分もあります。
 でも、頭でそれを理解していても、つらいときや不安なときはあります。

 そんなとき、体調の悩みを理解してくれる人から、親身な気遣いをいただけるとどんなにありがたいか。
 Tさんとお会いして、たくさんお話して、「よし、元気になるぞ」と体調不良に取り組む意欲が出ました。


22 ビタペクトを飲んでみる。

 Tさんとお会いしたあと、自分でもビタペクトを飲んでみようと思いました。
 いままでペクチンサプリは飲んでいましたが、ビタペクトそのものを飲んだことがなかったのです。
 この時期には、海外サイトでビタペクトを取り寄せる事も可能になっていましたし、日本製ビタペクトも発売されていたので、震災当時とちがい、入手が可能になっていました。

 ビタペクトは、学生ボタンくらいの大きさのペクチンとビタミンを固めたタブレットです。水で流しこむのではなく、噛んで飲み込みます。ほんのり、りんごの味がして、おいしいです。
 子供もきっと嫌がらないと思います。
 成分をみますと、カリウムの含有量が多く、これが、カリウムと似ているセシウムを体内から効率よく排出してくれるのだと思いました。自分で購入したダイエット用のペクチン剤より、たしかにビタペクトのほうが効果を感じられました。
このようなサプリメントが、日本でも安く手に入ればいいのにと思います。「ペクチンを飲むくらいならリンゴを生でかじったほうがまし」という意見をインターネットで読んだことがありますが、実際に使用してみると、やはり、経験を積んで改良を重ねたものは違うと思いました。
 成分の配分などもたぶん、計算されているのだと思います。
 これでもっと、(日本国内で)安かったら……と思いました。
 宣伝と思われるのが嫌なのでこれ以上は書きませんが、はっきりしていることは、リンゴを生でかじるよりは効果があります。

 ただ、わたしが自分で決めた「体調対策ルール」からすると、ビタペクトは少し高額なのです。毎日、継続して飲む事を考えると、どうしても選択から外れてしまいます。(買い置きしておいて、体調の悪い時にときどき飲むタイプのサプリに分類される金額)

 ベラルーシでは日常的にダイエット目的などで安価に購入できる金額だという話なので、値段設定が高すぎると感じます。
 同じものをもっと安価で作ってくれる会社が出てきてくれたらなと思いました。(成分的には可能だと思うのです)


 さて、だるさや熱っぽさ、鬱症状なども改善すると、最後までしつこく残るのは「神経の痛み」です。
 胸腺のあたりの痛みと手のしびれ、腰痛がつらいです。
 また、ときどき膝が痛み、ぶつけたわけでもなく、あざが出来るのが怖かったです。

 これについては、サプリメントだけでなく、お灸など、ほんとうにさまざまなことを試しました。

 以前、投稿させて頂いた、「焼き塩湿布」は、サプリメント以外で大きく効果があった方法なので再度ここに記します。


21 焼き塩温湿布について

 これは、漢方では伝統的な治療法らしいです。
 天然の塩をフライパンやオーブンなどで焼きます。熱い塩をキッチンペーパーやガーゼで包み、ゴムで口を縛って、胸部やリンパ節、膝など、腫れていて痛いところに湿布のように押しつけてみてください。
小さいお子さんがいるなど、火を使うタイプのお灸が出来ない環境の場合は、焼き塩湿布の方がいいと思います。塩は、冷めたら再度焼いて使えば何度でも使えます。
 これは、痛みにとても効果がありました。
 使い終わった焼き塩は、重曹と共にお風呂に入れると、デトックスバスになります。
 この方法のいいところは安価で、だれにでも簡単にでき、かつ効果が高いことと、お灸など火を使う行為が許されない場所でも可能だと言う事です。

 神経や関節の痛みは、被爆うんぬん関係なく、つらいものです。わたしの健康対策は、原因が何であれ、痛みで苦しんでいる人に少しでも役に立てばいいと思います。

 次に書くのは、痛みに悩む方には、かなり効果のあるものです。


22 MSM(メチルスルフォニルメタン)の使用

 これは、最近知った、画期的なサプリです。
 メチルスルフォニルメタンは、有機イオウで、にんにくなどに含まれる抗酸化物質です。日本でもグルコサミンなどと一緒に錠剤として販売されていたり、軟膏になってたりしている、関節の痛みに効く成分です。
 このMSMが、胸部の神経の痛みに劇的に効きました。
 まだじんわりと痛いのですが、一時期の激痛もないし、手がしびれる症状も減りました。わたしは、一日1000ミリグラムから始めてだんだん増やしていき、現在一日3000ミリグラム飲んでいますが、胸部に痛みがある方は、試しに自己責任で加減を見ながら飲んでみてください。
 飲むのが怖い場合は、安くていいのでハンドクリームなどを買ってきてそこに粉末を混ぜて身体に刷り込むといいと思います。関節の痛みなどは劇的に楽になりますし、脊椎の痛みにも効くと思います。内服では身体に合わなかった友人は、外用で使用してかなり効果があったと言っていました。
 これは海外のサプリメントサイトだけでなく、さまざまなところで入手可能です。
MSMは、ビタミンCと一緒に摂取すると体内でコラーゲンを形成するということで、海外では美容のためにこのふたつを同時に摂取する方が多いようです。


23 ビタミンBコンプレックスの服用

 同じような症状で苦しんでいる友人が「Bコンプレックスを飲むと調子がいい」というので飲み始めました。ビタミンB1誘導体はつねに飲んでいるので追加で、ということですが、疲れがひどいときは、たしかにとても効きます。ビタミンCより効果を感じる時があり、身体がなにかと闘うとき、ビタミンBは大事なんだな、と感じました。
ビタミンは、どんなものでも、飲むだけで体調が持ち上がることがあるので、体調を崩している方は多めに摂取されることをおすすめします。
 脊椎など骨の痛みには高濃度のビタミンDが効きます。
 乳酸カルシウムとあわせて飲んでみてください。かなり楽になります。


24 腎臓・肝臓をケアする

 デトックスにとても重要なのは、腎臓と肝臓です。
 汚染されたものを飲食してしまうと、それを排出するために腎臓と肝臓に負担がかかります。
 身体がむくんでいるときは、腎臓が弱っている疑いがあります。腎臓をケアするのは、小豆です。甘くするのではなく、おかずとして食べたり、煎って小豆コーヒーにしたりして飲むと腎臓ケアに効果があります。むくみがとれ、肌がきれいになります。つまり美容にもいいということです。

 震災以降、目がしょぼしょぼしていたので、視神経が疲れているだけでなく、肝臓が弱っているかもと思い、肝臓ケアをはじめました。(目と肝臓は密接な関係があります)
 肝臓にきくのはウコンです。効果的に摂取するのはカレーです。カレーには、抗酸化作用の高いニンニクや玉ねぎ、生姜、そしてキレート作用の高い豆類などをたくさん入れて作れるので、とてもおすすめです。わたしの友人は、ときどきこっそり粉末ペクチンを入れているようです。
 また、「ミルクシスル」と言うハーブがあり、これも肝臓をケアします。ハーブティやサプリメントで摂取するとよいとおもいます。わたしはサプリメントで摂取しています。
 デトックス系臓器の健康は、本当に大切なので、無理をしやすい人は気を付けてください。



 体温の低下で抵抗力が落ちがちな冬を越え、PM2.5で、体調を崩しがちな春を乗り切り、なんとか現在に至ります。
とにかく、気をつけないといけないのは、デトックス、免疫力、抵抗力アップです。(バナナは免疫力をアップするし、カリウムが豊富でおすすめですよ!)
 やむをえず体調を崩し、お医者で抗生物質などを処方された場合は、腸内細菌を再度増やす為に、味噌や納豆など発酵食品をたくさん食べたり、ビール酵母をたくさん飲んだりしています。また、ビオフェルミンRという抗生物質耐性のある乳酸菌は、医師なら処方できますから、抗生物質を処方された場合は、希望するのもいいかもしれません。



 今回は以上です。
 いつも申し上げていますが、わたしは自分の体調不良の原因を内部被爆だ、と声高に言い立てるつもりはありません。また、ご報告したサプリなどが「絶対に効く」とは申し上げません。
「だるかったときに身体が軽くなった」「胸部の神経の痛みが楽になった」「関節の痛みが楽になった」などの自分なりのご報告です。
 同じような症状の方に合致するかもしれませんし、もちろん、効果の無い方もいるかもしれません。
 どこかの誰かの参考になれば、くらいの気持ちで書きました。

「安いものを選んでいるといっても随分あれこれ飲んでるんだな。ちょっと気にし過ぎでは」と感じられた方もいらっしゃると思います。
 しかし、病気になると医療費がかかりますし、寝込んでいる間仕事を休むことになりますと、お仕事をしている方は収入が減りますし、経済的にも大変です。体調管理は、まずは予防、そして、早め早めの対処が大切だと思います。

 自然環境が大きく変わってしまい、以前とまったく同じ生活態度のままでよいとは、言いきれないと思います。過剰に怖がるのもよくないけれども、何も影響はないと言ったら嘘になる……そんなところではないでしょうか。

 ジャンクフードやインスタント食品、暴飲暴食を避け、ビタミンミネラルを切らさないようにし、日々デトックスすることは何も悪いことではないし、大病を避けるためにはとても大切です。
 いろいろと面倒なことは増えましたが、体調を管理する事とは本来面倒なことなのだ、身体とはきめ細やかなケアが必要なものなのだと、認識を変えて生活することにしています。

 わたしの体調については、長期戦で、持病をひとつ持ったくらいの気持ちで取り組んでいます。ふつうの人よりも免疫の力が弱くなっているようで、外食などで同じものを食べても他の人が大丈夫でもわたしはあとで体調を崩すことがよくあります。ですから、食べ物は注意深く選んでいます。
 同じような体質の方は、食材選びや食事選びに苦労されていると思います。そして、きっと「選ぶ」ことすら気が引けて、辛く感じる事もあるのでは……

 でも被爆云々は関係なく、ちょっと特殊な持病なんだと思って、気兼ねなく食材を選ばれてよいと思います。「神経質すぎる」と言う方もいるかと思いますが、周囲に義理立てして無理して皆と同じものを食べて体調を崩してもしょうがないですよね。
 理解してくれる人は少ないかもしれませんが、わたしは応援しています。
 新種のアレルギーになったんだと思って、身体に合ったものを食べて、一緒に元気になりましょう。


チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第151回」

2013-08-19 |   ビタペクト配布活動
 8月19日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第151回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2051個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1880部となりました。
 今回で通算165回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2051人の子どもにビタペクトを、1880家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は3家族がボブルイスク市(チェルノブイリ原発から約200キロ)から、SOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族にお話を伺いました。

(家族A)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。
 この家族には3個のビタペクト3を渡しました。それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時13歳)14ベクレル  
長女(15歳)31ベクレル ○ 
次女(14歳)41ベクレル ○
次男(10歳)30ベクレル ○

 健康状態についてお母さんにお話をうかがいました。
 長女は貧血気味だそうで、ときどき気分が悪くなったりしますが、医者からはこの年齢の女子に多いことだから、心配しないよう医者に言われたそうです。
 次女はときどき胃炎を起こしています。
 次男は健康、とのことでした。

 この家族は比較的高い数値だったのですが、お母さんが言うには、お父さんが狩猟を趣味にしており、この冬非汚染地域の森で、野生のイノシシやシカをとってきて、それを家族みんなで食べているそうです。
 特にお肉が大好きなのが次女だったので、次女だけベクレル数が高かったのではないか、とお母さんは心配していました。
 次女が胃炎を起こしているのは、食べた肉に含まれている放射能のせいで胃が直接炎症を起こしている可能性もあります。

 採った野生動物の肉は地元の保健所で放射能を測定しているそうです。
 その結果、基準値以下だったので、食べてもいいと許可が下りたから食べていた、と話していました。
 基準値以下といっても、0ベクレル(不検出レベル)だったわけではなく、少しは汚染されていた肉だったそうです。
 お母さんには基準値以下であっても、野生動物の肉の場合、自宅でさらに塩水に漬けるなどして、さらに放射能を除去する方法を採ってから、食べるようにしたほうがいい、と話しました。
 お母さんもこれからはそうする、と言っており、ビタペクト3を飲んだ後、再測定したいと言っていましたが、住んでいるボブルイスクにWBCの測定をしてくれる病院などがあるのか、全く知らない、ということでした。調べてみて、地元にない場合は、ミンスクのベルラド研究所まで再測定に行きたいと話していました。


(家族B)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。
 この家族にはビタペクト3は渡していません。測定の結果がよかったからです。それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。

母親(事故発生時6歳)15ベクレル  
長男(12歳)13ベクレル  
次男 (3歳)10ベクレル 
三男 (0歳) 0ベクレル

 測定の結果がよかったので、お母さんは喜んでいましたが、三男は小さすぎて、うまくお座りもできず、正しく測定できたのかよく分かりません。
 長男と次男はよく耳や喉、鼻の病気にかかり、よく病院に行っているそうです。
 長男は足を骨折していて、どうしたんですか?と尋ねると、乗っていた遊具のねじが劣化して外れ、足に落下したため、骨折したそうです。運が悪いです・・・。
 一ヶ月入院して、退院後SOS子ども村へ保養に来たのですが、本当に気の毒でした。

 
(家族C)

 お母さんが4人の実子と知人の娘1人を引率していました。家族Cのお母さんと家族Bのお母さんは姉妹です。
 この家族には4個のビタペクト3を渡しました。それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時2歳)15ベクレル  
長男(10歳)11ベクレル  
次男 (7歳)23ベクレル ○
長女 (5歳)35ベクレル ○
次女 (5歳)34ベクレル ○
女子(10歳)44ベクレル ○

 長女と次女は双子です。
 長男は健康だそうです。次男はアデノイドを手術で取り、ほぼ同時に中耳炎の手術も受けたことがあるそうです。
 双子姉妹は1年ほど前から、転んだりなどのストレスを感じて泣き始めると、ヒステリックな泣き声になり、そのために呼吸がうまくできなくなって、酸欠を起こし気を失う、という症状が2人ほぼ同時に始まったそうです。
 医者は「成長すれば(精神的に大人になるにつれ)このような症状は治る。」と言っているそうですが、とにかく怪我したり、驚いたりして泣き始めると大変なことになるので、非常に気を使うとお母さんは話していました。
 医者は神経の興奮を鎮める鎮静剤を購入するように処方箋を書いたのですが、地元では手に入らないため、保養中にミンスクへ買いに行きたいとお母さんは話していました。
 しかし幼稚園の子どもに神経に作用する薬を飲ませて大丈夫かしら、と心配になりました。安くて手に入りやすい自然素材に近いハーブティーなどを使うのはだめなのか、と思いました。
 次女は顔に赤チンのようなものを塗っていたので、尋ねると、顔をかいていて、皮膚の傷にばい菌が入り、炎症を起こした、ということでした。もうすぐ治るとお母さんは話していました。

 知人の娘ですが、数値が高かったのは、この子の母親がウクライナ出身で、チェルノブイリに近いからだ、と引率したお母さんは話していました。しかしこの子が生まれたのはベラルーシで、しかも、事故から時間も経っているので、母親の被爆が子どもに妊娠中に移動した、ということは考えにくいと言いました。
 しかし、この子の母親は毎年夏、ウクライナの実家に子ども達を連れて帰省しており、村の中で作られた作物などを飲んだり食べたりしているそうです。
 ウクライナと言っても広いのでウクライナのどこなのか、女の子に尋ねると、北ウクライナということでした。チェルノブイリ原発もウクライナの北のほうにあるのですが、これだけでは汚染地域に母親の実家があるのかどうか分かりません。
 引率したお母さんはこの子の兄弟も被曝している可能性が高いので、測定を受けるほうがいいと話していました。 


 画像は記念撮影の様子です。お昼寝中のため写っていない子どももいます。また保養とは関係のない人も3人写っています。(^^;)
 子どもたちに折り鶴や折鶴の作り方を説明した紙(千羽鶴プロジェクト)、折り紙用の紙をプレゼントしました。
 このほか着物をほどいて作った巾着袋やカスタネット(日本風のものではないですが)も渡しました。
 それから日本の絵葉書の裏に子どもたちの名前を書いて渡しました。みんな大喜びでした。
 日本語で数字を10まで数えられる男の子もいましたが、「ネットで覚えた。」と言っており、時代の流れを感じましたよ。
 
 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書、手作りの巾着袋などのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 


ミンスク市立児童図書館ブログで新美南吉朗読会が紹介されました

2013-08-14 |   新美南吉
 ミンスク市立児童図書館ブログの中で、7月30日に行われた新美南吉生誕100年記念朗読会について紹介されています。
 ブログはロシア語で書かれていますが、画像をクリックすると大きくなります。(ただし最後の1枚は拡大しません。)
 またこのブログ内で「あめ玉」「去年の木」「でんでんむしのかなしみ」「ごんぎつね」のベラルーシ語訳も読めるようになりました。
 

新美南吉と私 (7)

2013-08-06 |   新美南吉
 新美南吉の新美は本名ですが、名前はペンネームです。でもどうして南吉にしたのか、はっきりしていないです。
 新美南吉記念館のサイトではこうなっています。

 記念図録「生誕100年 新美南吉」では初恋の恋人の名前、威子、 みなこ → みなみ → 南 → なん →南吉にしたのでは? という仮説が載っています。
 
 ペンネームについては安城女学校時代に新美南吉自身は生徒に「な」というあ音が入ると、明るくなる、苗字の新美はい音ばかりで暗い、と話しています。でも本名は正八なので、あ音である「は」が入っているのです。
 だからこの説明はちょっと変だと思います。

 そこで私から新説を発表します。これはやはりみなこから考えたペンネームだと思うのですが、アナグラムという方法を使ったのではないでしょうか?
 こう思ったのは小説「坂道」を読んだときです。主人公は東京の専門学校に通う学生で、新美南吉自身が明らかにモデルです。
 主人公には妹がいて、その名前はスミ子です。新美南吉には弟がいて益吉と言います。
 この名前をローマ字にすると
MASUKICHI

この文字の順番を変えて分けます。
SUMIK ACHI
 SUMIKの後ろにOを付けるとスミ子になります。 ACHIは捨てます。これがつくと男性名らしくなるからです。

 スミ子という女性名は益吉から作った名前ではないか、と思いました。
 そこでみなこをローマ字にします。
MINAKO

 これを並べ替えます。

NAMKI O

 Oがつくと女性名になるので、捨てます。男性名にするためにCHIをつけます。
NAMKICHI

 このままだと「なむきち」ですが、「なんきち」に音の響きが近いですね。
 これに漢字をあてて、南吉。
 
 これがペンネームの由来!・・・ではないでしょうか? あくまで仮説だけれど、こういう言葉遊び(文字の並べ替え)を、東京外大出身で文学者の新美南吉がしていたとしてもおかしくないのではないか? と思っています。

 これが本当だとすると、やっぱり初恋のみなこさんのことが、相当好きだった、というか一体化したかったのかなあ、なんて思いをめぐらしてしまいます。


  

新美南吉と私 (6)

2013-08-06 |   新美南吉
 新美南吉と私、というタイトルをつけておきながら、南吉さんと私には何の共通点もない。
 時代はもちろん出身地もちがうし、出身校もちがう。南吉さんはロシア文学を読むのが好きだったらしいが、ベラルーシとは縁もゆかりもない。そもそも南吉さんが生きていたころにはベラルーシという名前の国は存在していなかった。
 ベラルーシでは新美南吉は全くと言っていいほど知られていない作家だ。(今のところ。)

 そんなに全く関係のない国で南吉さんの作品がロシア語に翻訳されているわけだが・・・あの世の南吉さんは喜んでくれているだろうか?
 中学生のころに書いた日記に、いつかアンデルセンを越える童話作家になって・・・と書いているらしい。
 (そのためにはもっと長生きしなければならなかった・・・と思う。)

 まるで共通点がない、と思ったけれど、一つだけあった。
 それは私の祖父も1913年生まれということだ。
 私の祖父は1913年6月10日生まれで、南吉さんは7月30日生まれだから、50日しか年が離れていないのである。
 
 私の祖父は奈良県生まれで、愛知県とは関係がない。いろいろ調べた限りでは南吉さんが生まれた岩滑より、私の祖父が生まれた室生村のほうが、当時よっぽどひなびた田舎である。

 南吉さんは優秀だったので、苦労しつつも中学校に入学したが、家から通学していた。(同じ小学校から中学に入学したのは南吉さんを含め3人だけだった。)
 私の祖父も中学に入学したが(同じ小学校から中学に入学できたのは、2人ぐらいしかいなかったらしい。)遠くて通うことはできず、下宿したそうだ。ところが在学中に実家の家計が苦しくなって、下宿代が出せなくなり、無理やり通学していたということである。
 南吉さんは東京の大学を出たが、私の祖父は中学卒業後京都で就職した。

 南吉さんが結核などにかからず、健康体で長生きしていたらよかったのに・・・と想像するが、よく考えたら、健康な南吉さんなら、私の祖父と同じように戦時中赤紙が来ていただろう。そしてやっぱり30歳ぐらいで戦死していたかもしれない。

 私の祖父は88歳で亡くなったが、南吉さんが長生きしていたら、どういうおじいさんになっていたのだろう、などと思う。
 
 こうして比較してみると、「久助君の話」のような南吉童話の中にある久助君ものを読むのもちがって読めてくる。
 うちのおじいさんも子どものときこんな遊びをしていたのだろうかとか、学校のようすはこんなだったのだろうか、と思いながら読むのはとても楽しい。

 ちなみに私の祖母は祖父より9歳年が下で、女学校を出ている。
 今はめったに会わないので、会話することもないが、私が日本にいた頃は、ときどき「私は女学校出ている。」と言って、とても自慢そうにしていた。
 昔は女学校に行けるのは、お金持ちの家の娘だけだったかららしい。
 と言っても田舎の村の出身なので、本人が「私はお金持ちの家の娘」と思っていたとしても、言うほど大した金持ちではない。

 しかしこうして考えてみると、南吉先生が安城の女学校で教師をしていたときのエピソードなど、とてもおもしろく読める。
 ちょうどその頃私の祖母も(もちろん安城ではないが)女学校に通っていたので、こんな授業があったのか、とかこんな学校行事があったのか、とか身近に感じられる。
 さらに私のもう1人の祖母の妹も女学校を出ている。

 祖母のほうは卒業後、就職せずすぐにお嫁に行った。南吉先生が自分の作品中でちょっと批判ぽく書いているが、女学校の卒業証書はいいところへお嫁に行くための嫁入り道具の一つ、とあるけど全くそのとおりだったわけだ。
 もう1人の祖母の妹のほうは医者を目指して、当時の医学部に入学したが、家庭の事情で中退しなくてはならなくなり、その後学校の教師をずっとしていた。
 こういう話を聞くと当時の「できる」女学校出の女性像そのものに思えてくる。

 南吉先生が教え子たちと白黒写真に収まっているのを見るのもとても楽しい。

 
  
 

新美南吉と私 (5)

2013-08-06 |   新美南吉
 新美南吉といえば「ごんぎつね」しか知らない、子どものとき泣いたよね、という人が聞いたらびっくりするようなエピソードが新美南吉にはたくさんある。暇な人はネットや書籍で調べてみてください。
 新美南吉イコール早死にした童話作家イコール清純なイメージを持っていたら、それが崩れます。
 私の中で驚いたエピソードは・・・

 読書好きの南吉さんはたくさんの蔵書を抱えていた。自宅の部屋の壁は床から天井まで本でぎっしり詰まっていて、それでも本が増えてしまい、寝るところがなくなったので、仕方なく本棚の一番下の段に寝ていた。
 遊びに来たり見舞いに来た人が「危ない。」と指摘すると「本に埋もれて死ねるなら本望です。」と答えていた。

(・・・地震が来なくてよかったね。死因が結核じゃなくて、窒息死になっていたところです・・・。それにしても本棚の中で寝るのってどんな感じ?)

 
 22歳のとき身長が166センチだったが、体重は48キロしかなかった。 

(やせすぎ。)

 本人もやせているのがコンプレックスで、服の下にさらしの布を巻いて、胴回りを太く見せようとごまかしていた。

(何もそこまでしなくても。確かに南吉さんの写真の中には微妙に太って見える写真があるけど、これがさらしを巻いている姿なのか。)

 やせているわりに甘党で、お菓子が大好きだった。女学校の先生をしているとき、宿直を担当していると、急に甘いものが食べたくなって我慢できず、冬の夜スリッパ履きのまま町の店へ買いに走った。

(こんなにお菓子を食べていても、体重は増えなかったのか・・・。雪の中「手袋を買いに」ではなく「お菓子を買いに」ですね。)

 体調が悪化し、一度遺言状をなぜか弟宛に書いたが、死んだら自分が借りっぱなしにしている借金(つけ)を代わりに払っておいてほしい、ということが遺言状の最初に書いてあった。
 つけがあったお店のほとんどは、本屋かお菓子屋で、具体的に「羊羹2本分」などと書いてあった。

(だから親宛てには遺言状が書けなかったのか・・・。)

 結核のせいで再就職先がなかなか見つからない南吉(24歳)に、両親はつらく当たる。本来なら療養しないといけないのに家にいるのがいやで、いきつけの喫茶店へ逃げていた。当時18歳ですでに社会人だった弟と喫茶店で待ち合わせすると、コーヒー代は兄が出していたが、帰りに立ち寄った本屋では雑誌代を弟に出させていた。

(病弱で就活がうまくいかず、ニート状態であることを親から責められ、自室に引きこもり・・・はせずに喫茶店に逃避。お金がないので、雑誌を10代の弟にねだる20代の兄・・・。)

 大学生時代、シェークスピアの劇「リア王」を英語で演じることになり、南吉さんはリア王の次女の役(お姫様)を担当し、当然女装した。
 上演後、わざとメイクを落とさず友だちの家に行って、友だちを驚かしては喜んでいた。

(人を驚かすのが好きだったんですね。)

 女学校の先生をしていたとき、書いた小説を編集者に送ったところ、絶賛されその後雑誌に掲載されるのだが、その絶賛する葉書が届いたとき、嬉しさのあまり学校の校庭にあった池に飛び込んだ。

(これは人を驚かすためにしたのではないです。)

 女学校の先生をしていたとき、担任をしていた生徒が転校することになると、「お餞別」と称し、リルケの詩集をあげていた。花のついた木の枝を添えられて詩集をもらった人もいた。

(いやあ、うらやましい。私も新美先生からリルケの詩集を手渡されたいよー。いいなあーいいなあーと悶絶したが、よく考えたら、今時こんなことする学校の先生、しかも女子高あるいは女子中の先生はいないよねえ。いたら、逆に問題行為扱いされてしまうかも。)

 女学校の先生をしていたとき、学校がある町の大きな家の一室で下宿をしていた。南吉さんは家事が苦手な人だったらしく、食事は外食(駅前の食堂で朝晩食事、昼食はその食堂が学校に届ける弁当。)洗濯は週末まとめて実家へ持って帰り、母親にさせていた。布団は万年床だった。その布団の上に寝ながら童話を書いていた。

(自分で洗濯をしなかったのは大家さんに気を使っていたのかもしれない。お風呂も大家さんの家のお風呂は使っていなかったらしい。
 それしても南吉さんは母親(継母)と確執があり、継子いじめしてたんじゃないの? という印象を持たれがちなお母さんではあるが、ちゃんと洗濯してくれているから、いいお母さんではないか。
 それにしても、布団ぐらい自分でたたんだり、たまに干したりすることはしなかったのだろうか。こんなんだから病気がよくならないんだよ。若死にの原因は布団なのではないか・・・と思った。)

 女学校の先生をしていたとき、学校がある町の大きな家の一室で下宿をしていた。本人の日記によると、やはり大家さんに気を使ってか、夜トイレに行きたくなったとき、トイレには行かず、自分の部屋の障子を細く開けて、庭に向かって音を立てないように立ちションしていた。

(・・・。人の家の庭におしっこしている学校の先生・・・。これを読んで、日記をつけるときは気をつけないといけない、死後急に有名人になったら、全て白日の下にさらされるのだから・・・と思った。)

 ・・・・・・他にもあるけど、もう書きません。
(いや、もっと知りたい、という方は新美南吉の日記が発見されたは分は全て刊行されていますので、そちらを参考になさってください。)
 南吉童話の美しいイメージが壊れた、と言う人へ。すみません。

 しかしまあ、何と言うか、南吉さんのことを知れば知るほど、びっくりしますね。天才肌の人だったんですね。やっぱり。

 宮沢賢治もまじめ人間のイメージがあるけど、冬の夜着物一枚で大声で法華経を唱えながら町中歩き回ったり、見方によっては「奇行」が多いですよ。
 今だから偉人は凡人とは違う、ということになっているけど、当時の近所に住んでいた人は、不気味だったと思う。