ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

トラクターがオシャレして踊るショー

2017-05-29 | ベラルーシ生活
トラクターがオシャレして踊るショー 動画ニュースです。
 ベラルーシは平和だな・・・

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (3)

2017-05-28 | チロ基金
 今回はチロ基金支援者の方々から、賞品も提供していただきまして、助かりました。
 賞品は日本のお菓子(ベラルーシでは入手不可能)、参加賞は5円玉お守り、フリクションペン、雑誌「にっぽにあ」ロシア語版などです。それと中古だったのですが、日本のアニメDVDも配りました。
 貴重な賞品、参加賞を提供してくださった日本人支援者の皆様、どうもありがとうございました。感謝申し上げます。
 特にベラルーシ人参加者は喜んでいたと思います。(^^)

 また対局時計はベラルーシ将棋協会から8台もお借りしました。
 感謝しております。
 ベラルーシ将棋協会の公式サイトはこちら

 今回はあまり時間がなく、最後がバタバタと終わってしまったのですが、次回はもう少し余裕を持って対局の運営をしないといけないなあ、と私自身は思いました。
 しかし、参加者の皆さんは、喜んでいたと思います。また、人種を超えた交流もできる場になりました。
 将棋が国境を越えた友情を育んでくれています。その点がすばらしいですね。
 これからもベラルーシでの将棋人口がどんどん増えたら、さらに二国間の交流が深まると思います。

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (2)

2017-05-28 | チロ基金
 チロ基金創立20周年記念将棋大会の結果はこのとおりです。

1位 ヤロスラフさん 初段
2位 アントンさん 二段
3位 前田さん 初級
4位 アレクセイさん 二級
5位 エレーナさん 四級
6位 ゲオルギイさん 二級
6位 パーベルさん 十二級
8位 マルガリータさん 九級
9位 エヴゲーニイさん 三級
10位 武野さん
11位 出居さん
12位 ユリヤさん
13位 イローナさん
14位 月成さん
15位 アウグスタさん 十六級
15位 亜龍さん

 参加者数が多かったわりに対局回数はそんなに多くなかったので、同点が多いです。
 私としては、やはり日本人の前田さんが上位に入ったので、同じ日本人としてうれしかったですよ。それから日本とちがって男女別で対局しないのに、5位に入ったエレーナさんは大健闘だったと思います。
 でも参加者の皆さんそれぞれがんばっていたと思います。

チロ基金創立20周年記念将棋大会 (1)

2017-05-28 | チロ基金
2017年5月28日ミンスク市立第5児童図書館でチロ基金創立20周年記念将棋大会が行われました。
 今回は16人が参加。しかもこのうち4名は日本からの参加、さらには1名が中国から飛び入り参加しました。
 実際にはドタキャンした人もいて、参加人数が偶数になるようにするのに苦労しました。将棋を習い始めて一ヶ月も経っていない人もいましたが、「大きな森のどうぶつしょうぎ」一組を使って、初心者でも参加できるようにしました。
 チロ基金の財力(^^;)で、どうぶつしょうぎのセットを買っておいてよかったですよ。
 (どうぶつしょうぎとは、こちら。)

 人数調整にとまどり、時間通りに始まらなかったのですが、何とか6回の対局ができました。初心者もいれば、有段者もいるという状況でしたので、今回も前回の新年将棋大会に引き続き、駒落ちで対決です。

(今回の将棋大会についてロシア語でのご報告はこちら。)

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第210回」

2017-05-22 |   ビタペクト配布活動
 5月22日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第210目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を10個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2547個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算226回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2547人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)


http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が13人の子どもを引率して、保養滞在していました。家庭タイプ孤児院の一家です。
  この家族はこの一家は2006年と2008年と2015年にも保養に来たことがありますが、2006年に保養に来た子どもは今回は1人もいません。
 2015年の保養のときのようすはこちらをご覧ください。 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第175回」 (家族B)

それぞれの測定結果はこのとおりです。丸印の子どもにビタペクト3を渡しました。

母親(事故発生時16歳)12ベクレル(2006年測定)→13ベクレル(2008年測定)→ 8ベクレル(2015年測定) → 12ベクレル
娘 (28歳) 21ベクレル
孫  (4歳) 21ベクレル ○
女子(16歳) 28ベクレル ○ → 24ベクレル ○
男子(15歳) 36ベクレル ○
男子(15歳) 31ベクレル ○ → 31ベクレル ○
男子(13歳) 39ベクレル ○ → 5ベクレル
女子(13歳)  0ベクレル(2008年測定)→ 33ベクレル ○ → 31ベクレル ○
女子 (7歳) 31ベクレル ○ → 27ベクレル ○
女子 (6歳) 30ベクレル ○ → 29ベクレル ○
女子 (6歳) 22ベクレル ○
女子 (4歳) 22ベクレル ○
男子 (4歳)  7ベクレル
男子(11歳)  8ベクレル
女子(11歳) 33ベクレル ○

 11歳の男の子と女の子は二卵性双生児で、他の家庭タイプ孤児院の一家と暮らしています。
 28歳の娘はお母さんの実子。4歳の孫はこの娘さんの実子です。

 このお母さんは現在10人の里子を育てています。
 このような家庭が現在ゴメリ市内に5家族あるそうです。お母さんはお母さんとしての仕事をしており、毎月、給料(実際には手当)をもらっていますが、平均月収より少ないので、大変だと話していました。
 子ども達は5歳から17歳までの孤児(実際には生みの親がいて、育児放棄された子どもがほとんど。)それぞれ毎月100ドルの孤児手当を支給されていますが、生活は大変、と話していました。
 というのも、孤児であっても健康で低年齢の場合、養子にもらわれていきやすいのですが、障碍があったり、持病があったりすると、引き取り手がおらず、そういった子どもたちが、家庭タイプ孤児院に里子として出されるそうです。両親がアル中になって家庭内暴力が始まり、13歳でこの家に来た、と言う子どももいます。

 最近は海外への保養滞在も数が減ってきて、小さい子どもは優先されますが、大きくなると選ばれなくなる、とお母さんは話していました。
 13歳の女の子と7歳の女の子はイタリアへ保養に行ったことがあり、ホームステイ先の家族から養子縁組の申し出があったのですが、ベラルーシの法律が厳しく、外国人の養親との縁組はできないそうです。
 私からすれば、思い切ってイタリア人の家族に育ててもらうほうが、ベラルーシ国内の孤児の数がその分減るのですから、国の負担が減る・・・と思うのですが。
 そうすると、この家族の里子が2人減るので、その分他の2人の孤児をこの家族に里子として出せるから国にとっては得だと思いますが・・・。

 お母さんに子どもたちの健康状態についてお話をうかがいました。
 13歳の女の子は小児麻痺。6歳の女の子は神経系統の病気ということでしたが、生みの母がいわゆる精神病。遺伝だ、とお母さんは話していましたが、事実関係は不明。
 4歳の男の子は多動。危険な行動を取ることもあるので、お母さんは見てるだけで大変、と言っていました。
 逆にこういう子どもは家庭の中で子どもがたくさんいない、家庭の中で暮らすほうがこの子にとっては安全だと思うのですが、引き取り手がなかったそうです。

 このように問題がある子どもは、養子縁組の話が出ず、里子として、心優しい家庭タイプ孤児院の一家に国が押し付けている状態です。
 お母さんとしての給料を国は出しているとはいえ、結局一般人の中で善意のある人に養育を負担させて、国は甘えているように思えました。
 
 ベラルーシでは孤児は1年に2回保養滞在できるという決まりがあるそうです。
 しかし、そのうち1回は無料で、もう1回は自己負担なので、孤児手当をもらっていても、保養滞在費を捻出するのは大変だと言っていました。
 それで結局イタリアの支援団体やSOS子ども村など無料で行ける保養プログラムに選ばれるよういつも願っているそうです。

 お母さんは国境を越えて、1年に3回、ウクライナへ安い子供服を買いに買出しへ行っているそうです。
 家はゴメリ市から支給されましたが、ローンが残っているし(でも一般人より家庭タイプ孤児院の家庭に優先して家は支給されるし、ローンの負担も楽。)やりくりが大変なので、近所の貸し畑をもらって、そこでにわとりを飼っているそうです。これで卵は買わなくてすむ、とお母さんは話していました。
 都会人ですが、やっぱりたくましいですね。
 牛乳は田舎で乳牛を飼っている知人から安く分けてもらっていますが、その牛乳はだいじょうぶですか、と尋ねたら、放射能の検査済み、(その乳牛を飼っている酪農家の自発的な検査)結果は大丈夫だったので、買っているということでした。
 
 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製のベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのり、昆布茶としいたけ茶をプレゼントしました。
 やっぱりベラルーシにない物は珍しがられるというか、受けますね。(^^)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。 
 

自殺率世界一ではなくなったベラルーシ

2017-05-21 | ベラルーシ文化
 先週末、このブログの人気記事1番が2010年の「自殺率世界一の国はベラルーシ!」だったので、どうしてだろうと思ったら、また最新の調査結果が発表されたからみたいです。

 これによると、ベラルーシは世界一の汚名を返上。

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 <自殺死亡率>日本はワースト6位 先進国の最悪レベル

◇厚労省が分析結果をまとめる

 厚生労働省は世界各国の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)を比較し、日本はワースト6位だとする分析結果をまとめた。先進国の最悪レベルで、特に女性は同3位と高い。今月下旬に閣議決定される「自殺対策白書」で公表される。

 自殺死亡率は統計の信頼性や更新頻度が国によって異なるため単純な比較が難しく、世界保健機関(WHO)が2014年に初めてまとめた「世界自殺リポート」でも順位付けはしていない。厚労省はWHOのデータベースを使い、13年以降の人口と自殺者数が把握できている中から上位国を抽出した。(以下略)

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 ベラルーシは9位になりました。よかったです。この調子でもっと自殺率を減らしてほしい。

 人口10万人あたりでの自殺者数なのですが、2013年以降のデータだそうです。

1位 リトアニア 30.8人
2位 韓国 28.5人
3位 スリナム 24.2人
4位 スロベニア 20.5人
5位 ハンガリー 19.5人
6位 日本 19.5人
7位 ラトビア 19.2人
8位 ウクライナ 18.6人
9位 ベラルーシ 18.4人
10位 エストニア 18.3人

 2010年の調査ではベラルーシは35.1人で、1位だったのが、18.4人に減少! 9位です。

 それにしてもバルト三国が全部10位以内に入っているのがショック。三国とも旧ソ連で、今はEU加盟国なんですが。
 リトアニアは前回2位で、自殺率増えてしまってますね。

 やはりそれぞれの国の中にさまざまな社会問題があるのだろうな、と思います。
 日本が6位というのは、日本人なら理解できるのではないでしょうか。 

フランツィスク・スカルィナについて

2017-05-08 | ベラルーシ文化
 以前の投稿「スカルィナの詩も日本語になりました」でも少し書いたのですが、ベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、日本語で検索してもほとんどヒットしないので、このブログでご紹介することにしました。<私のつっこみ入り。(笑)>

 ベラルーシ人の偉人の中ではダントツ1位なのですが、びっくりするほどスカルィナに関する日本語の情報がないです。

 ちなみに、苗字の表記ですが、いろいろあります。ロシア語表記だとスコリナ。
 ここではベラルーシ語表記のスカルィナに統一しておきます。

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 フランツィスク・スカルィナがベラルーシの偉人になったのは、ベラルーシ語の聖書を翻訳、出版したからです。それが今からちょうど500年前。1517年のことです。
 ちなみにロシア語の聖書が出版されたのは、それから約50年後。

<だから、当時はロシアよりベラルーシのほうが「進んでいた」と、以前日本人に話したことがあります。そしたら、「へえええええーーーーー。」と驚かれたので、こっちもびっくりした。そんなに意外なの? 
 その日本人はフランス在住の人でしたが、ヨーロッパの地理とキリスト教の普及の歴史を考えれば、ベラルーシ語の聖書がロシア語の聖書より早い時期に完成した、というのは、当たり前だと私は思うのですが。
 どうも日本人の頭の中では、ロシアが文明国で、ベラルーシはロシアから文明とか文化をもらってばかり、という方向の矢印がイメージされているみたいですね。でも昔はロシアがヨーロッパの辺境国で「遅れていました」・・・が、これはロシア人があほだった、というわけではなく、地理的条件によるものです。今とちがって地表をじわじわ伝って文明とか技術とかが伝来してくるのだから、当然。>

 さて、スカルィナはどのような生涯を送っていたのでしょうか。

 生没年ははっきりしていませんが、生年は1490年ごろ、と考えられています。
 生まれた場所は現在のベラルーシの街、ポーロツク。ポーロツクは、当時はリトアニア大公国の街でしたが、分かりやすく言えば、もっと昔のベラルーシの首都。当時はとても栄えていた都市でした。理由は河のほとりにある町で帆船を使った貿易が盛んだったからです。つまり交通と商業の要所。
 日本で言うと大阪みたいなところです。ポーロツクには海はないですが、バルト海や黒海につながる貿易を行っていました。

 そこの裕福な商人ルカ・スカルィナの息子としてフランツィスクは生まれました。
 父親はかなりやり手の商売人だったらしく、ずる賢いこともやっていたようです。
 でも、父親がお金持ちだったことは、息子のフランツィスクにとっては大きなプラスでした。
 その当時のベラルーシはなんだかんだ言っても、金持ちの子どもに生まれないと教育が受けられなかったのです。平民は字も読めず、キリスト教はすでに入って来ていましたが、聖書を読めるベラルーシ人はほとんどいませんでした。

 ちなみにリトアニア大公国時代 <・・・とあえて言っておきます。これを「ベラルーシがリトアニア大公国に支配されていた時代」と日本語で紹介されているのをたびたび目にするのですが、そもそも支配される『ベラルーシ』という国が当時はありませんでしたので、支配できなかったはず。>、リトアニア人はリトアニア語で会話をし、ベラルーシ人はベラルーシ語で会話をしていました。要するに話し言葉ですね。
 しかし、リトアニア語の公用語、厳密に言うと公式文書の記録に使われる「書き言葉」は、ベラルーシ語でした。
 だからリトアニア人の貴族はベラルーシ語で文章を書いたり、読んだりできていたはず。

 それ以外にも中世ヨーロッパの国の貴族の一般教養であるラテン語を身分の高い方々は勉強していました。
 しかし身分の低いベラルーシ人はベラルーシ語の話し言葉で会話するだけで、書き言葉のほうは分かってなかったのです。
 そんな中、お金持ちの商人の息子に生まれたフランツィスクはポーロツクでラテン語を勉強できる恵まれた環境にありました。もちろんベラルーシ語の書き言葉もばっちり。

 頭がよくて向上心があり、実家がお金持ちのフランツィスクは、ポーランドの古都、クラクフの大学に入学。入学したのは、1504年。卒業したのは2年後の1506年。
<え、生まれたのは1490年とすると、14歳で大学入学、16歳で卒業?! 早すぎない? それとも天才なの? ・・・というわけで、スカルィナの生年は1480年代だと主張する歴史家もいます。>

 そこで、当時のヨーロッパの主要七科目を習得。卒業証書をもらいます。
 さらに5年間この大学の医学部で勉強。医師免許も取得。
 平行してイタリアのパドヴァ大学で試験を受けていました。これは何かと言うと、イタリアへ留学するのは大変なので、勉強はポーランドの大学でしておくけど、イタリアの大学の卒業試験を受けさせてほしい、卒論も書いておくし。で、イタリアの大学の卒業試験をパスしたら、イタリアの大学の卒業証書もください・・・ということだったそうです。

 そのころ、フランツィスクの父親は死去しており、リトアニア大公国の地方都市出身の息子が、イタリアのパドヴァまでてくてく試験を受けに行くのは、資金面で大変だったようです。
 しかも、イタリア人からすると、
「何か聞いたこともないような町の出身で、しかも貴族ではなく商人の息子で、貧乏そうなのが来た。」
と思われていたようです。
 一方、
「こんな遠くからわざわざ試験を受けにやって来るなんて、うちの大学もたいしたもんだ、有名大学っていう証拠だね。」
とも思われていたらしく、試験を受験する許可をスカルィナはもらっています。

 そして1512年、パドヴァ大学医学部の卒業試験に合格。通学はしていませんでしたが、イタリアの大学の卒業証書も取得。
 優秀な医者になることに決めたスカルィナに大学はベレー帽(当時はこれが医者の印だった。)そして、すごく大きい指輪(これも医者の印)を卒業証書とともに贈っています。
<だから、スカルィナの肖像画とか銅像を見ると必ずベレー帽かぶっているのね。>

 ちょうど卒業証書をもらったころ、リトアニア大公国の公子2人が法律を勉強するためにイタリアの大学へ留学に来ました。スカルィナは公子、つまり王子様兄弟とお近づきになることに成功。このつてで後に1520年代はリトアニア大公国のセレブ、つまり貴族のための薬剤師、そして秘書官も務めるという出世をスカルィナはします。

 でも、その前に1517年、<ということは、27歳?> スカルィナはベラルーシ語の聖書を出版します。
 あれ、医者になるはずがどうしたの? と思われますよね。
 どうしてなのか、と言うと、スカルィナは当時のベラルーシ人としては珍しく、高い教育を受けることに恵まれ、いろんな外国にも行って、さまざまなことを見ていました。
 特にイタリアに行った後は、自分の故郷を比べて愕然としたと思います。そのころイタリアではルネサンスの時代。ベラルーシ(と今呼ばれている地域)はキリスト教が入ってきていたものの、特に農村部ではまだまじないや呪術などが幅をきかせ、同時に魔女狩りなども行われていた「遅れていた」国、聖書が読めないから、キリスト教の教義などもよく理解できていない者も多く、もちろん文学なんてものも発達しない。こう言ったら何だけど、スカルィナの目から見ると身分の低い平民のベラルーシ人は「暗愚」「文盲」「開かれていない」というイメージ。
「早く目を覚ませー。賢くなってくれー。世界は広いんだー。」
とベラルーシ人に言いたくなったにちがいありません。
 あと、自分がせっかく外国で最先端の医療を学んで来ても、故郷の病人を科学的に治そうとしている横から、
「いや、おまじないで治すから、医者なんかいらん。」
と治療させてもらえない。そしてまじないが効かず、病人が死亡・・・という光景に何回も出会ったにちがいありません。
「こういう原始的な考えが平民の間にしみついているんだったら、自分が医者をする余地がない。基本的に間違ってるから、そこから改善しないと話にならん。」
と思ったことでしょう。

 そして、そのためにはどうしたらいいのか考えた結果、聖書を翻訳してたくさん印刷することを思いついた、というわけです。
「これで暗愚な平民の目も開くんじゃないかな。文明開化だ!」

 と言っても、当時のベラルーシには印刷所はもちろん、印刷技術そのものがなかったので、チェコのプラハの活版印刷所で、初のベラルーシ語の書籍を印刷することにしました。これは最初に活字になったキリル文字の本でもあります。
 スカリナは聖書の中でも、旧約聖書の詩篇をチェコ語からベラルーシ語に自ら翻訳して出版しましたが、これで、リトアニア大公国のリトアニア人貴族たちも読めるようになる、と思ってベラルーシ語に訳したわけです。

<厳密に言うと、現代で使われているベラルーシ語とは微妙にちがう古いスラブ教会語に訳しています。そして、元になったチェコ語の聖書は、チェコではなく、イタリアのベニスで出版されていました。何か複雑ですけど、チェコ語もできたスカルィナさん、コスモポリタンだったのね。>

 聖書って長いですからね、その後もいくつかの部分に分けて、スカルィナは聖書をベラルーシ語に訳して次々と出版。3年間で23種類に分けた聖書を作りますが、活版印刷なので、手書き写本とちがってたくさん印刷できるものの、完成品は馬車でチェコからリトアニア大公国へ運ぶので、大変だったようです。
 
 しかも、そのころのベラルーシは、ポーランドの支配下だった地域もあり、勢力を広げたいポーランド、つまりカトリック教徒で、ポーランド語人口を増やしたいと思っている人々から、
「ベラルーシ人はベラルーシ語なんかよりポーランド語の本でも読んでポーランド語を勉強しろ。」
あるいは
「ベラルーシ人は暗愚なままでいいんだ。そのほうがポーランド人が支配しやすい。」
と言われており、当然の事ながら、ベラルーシ語の聖書をベラルーシ人が読むようになるのは嫌がられていました。
 こんな状況下、国境を越えて、馬車でえっちらおっちらポーランドを通過してベラルーシ語の聖書をベラルーシへ(厳密にはリトアニア大公国へ)運ぼうとすると、ポーランドの関所で咎められ、せっかく印刷した聖書を没収、はては焼き捨てられることもありました。

 さて、スカルィナは出版した聖書に、自分が考案した太陽と月が重なったマーク(ブランドのロゴのようなもの。)を印刷しており、これが今でもベラルーシにおける、啓蒙活動、文明開化のシンボルマークになっています。
 どうしてこんなマークなのかと言うと、スカルィナが生まれたときに日食があったので、スカルィナは日食と言う現象に興味があったらしい。で、その頃日食があった年を計算したら、1490年に日食があったはずなので、生年が1490年説の理由になっているとか、いないとか聞いたことがありますが、実際には、太陽と月が合わさったマークは「人間の肉体的、精神的癒し」という意味があったので、スカルィナは採用したようです。
<でも、それでも「なんで太陽と月が人間の肉体的、精神的癒しの意味になるのか。」とつっこみを入れたくなりますが。>

 聖書にはたくさんの挿絵も入っており、かなり豪華な作り。やっぱりキリスト教を敬するため、そしてベラルーシ語の聖書だって立派なんですよ、と世の中に知らしめるためスカルィナさんは努力したようです。

 自分でも相当がんばったと思っていたのか、聖書の中に自分の肖像画まで印刷。
「私、フランツィスク・スカルィナ、ポーロツクの息子(出身)、専門は医者が古いスラブ語に旧約聖書の詩篇を訳しましたよ。」という有名な序文も挿入しています。
 そんなわけで、この聖書は「スカルィナの聖書」と呼ばれておいて、ベラルーシ人の間では別格扱い。オリジナルはベラルーシ国立図書館で厳重に保管されています。

 この聖書のおかげで、まずベラルーシ語で聖書を読む人が増えた、ベラルーシ地域におけるキリスト教の布教に役立っただけではなく、書き言葉としてのベラルーシ語の普及、発展にもつながりました。
 つまり、ベラルーシ人にとっては、スカルィナはお医者さん、ではなく、ベラルーシ語、というベラルーシ民族の文化のレベルを上げて、さらには宗教的にも文明的にもベラルーシ民族を啓蒙した偉大な人物、という位置づけです。

 ありがとう、スカルィナさん!
 一方で、当時書籍を出版するのは、ほとんど手作業でしたから、大変手間隙がかかり、本というものはコストがかかる物でした。
 自分のお金で聖書を印刷することができなかったスカルィナは、聖書出版のためにたくさんのスポンサーを見つけていました。
 その中にはリトアニア大公国の貴族も名を連ねていましたから、スカルィナがベラルーシ語の聖書を出版することにリトアニア大公国も意義を見出していたことになります。

 1920年には、チェコのプラハの印刷所で使われていた活版印刷機、その他もろもろの用具をリトアニア大公国の首都、ビリノ(今のビリニュス)に持ってきて、ついにリトアニア大公国初の印刷所を設立。
 このようにリトアニア大公国というと、リトアニア人の国、というイメージですが、実際には数多くのベラルーシ人が活躍、国家の繁栄に寄与していました。

 こうしてスカルィナは今度はリトアニア大公国で、聖書の翻訳と出版を続けつつ、薬剤師と秘書官の仕事をしていました。
 しかし1925年から次々とスポンサーが死去。
 スカルィナの出版作業はスピードが落ちていきます。

 ちなみに、スカルィナは、スポンサーの一人が死んだ後、その未亡人と結婚しています。
<そのとき35歳(?) 私の頭の中では、スポンサーつまりお金持ちが死亡 → その妻は多くの遺産を相続 → お金持ちの未亡人 → スカルィナ求婚 → 妻のおかげでスカルィナはお金持ちに → 逆玉の輿 → 「私、フランツィスク・スカルィナはうまくやりましたあ!」・・・という図が浮かんだのですが、うちの中学生の娘にこれを話すと
「中世の時代だよ・・・。夫が死ぬ前から、その奥さんとスカルィナは愛人関係だったんだって・・・。」
とどろどろなことを言っていました。敬虔なキリスト教信者で、黙々と聖書を訳してた人が不倫なんかするか?!>

 スカルィナの妻は、運悪く結婚して4年後に火事のため、幼い次男といっしょに死んでしまいます。
  
 そのころ、ドイツのプロイセン公アルブレヒトは、出版所をケーニヒスベルグ(今のカリーニングラード)に設立するため、スカルィナに協力を要請。スカルィナは単身、ドイツへ渡りました。

 ところが、スカルィナのお兄さん、イワンが借金を残したまま死亡。お金を貸していた人たちは、弟が代わりに借金を返せ、と迫ります。スカルィナは急いでビリニュス(リトアニア)に戻りますが、そのとき、どういうわけかプロイセン(ドイツ)でいっしょに働いていた印刷工と、(たぶん友だちになった)医者を連れて行きます。
 それを知ったプロイセン公アルブレヒトは激怒。「人泥棒!」というわけです。優秀な人材はいつの時代でも貴重。これが1530年前後の出来事。
<このあたり、ベラルーシの国語の教科書には載らないスカルィナの黒歴史。>

 さて、お兄さんの借金を代わりに返せと言われたスカルィナは、「それは私が払うものではない。」と拒否。お金を貸していた人たちは、リトアニア大公に直訴。スカルィナは牢に放り込まれます。<このあたりも教科書には載らない黒歴史。>
 結局兄のイワンの息子、ロマンがリトアニア大公に、
「父の借金は息子の私が返しますので、叔父さんを牢から出してください。」
と願い出たのが聞き入れられ、スカルィナは釈放されます。
<当時の法律では死んだ親の借金は家督を継いだ子どもが返すことになっていて、兄弟に返済義務はなかった。つまりスカルィナは悪くない。>

 1934年、スカルィナは自分が出版した書籍を持ってモスクワ大公国(正教の国)へ行きますが、この本はカトリックの教えが書かれているとされ、焼き捨てられてしまいます。
 ロシア人はロシア人でカトリック勢力が近づいてくるのを警戒していました。
 
 スカルィナはその翌年、最初の聖書を出版した思い出のプラハへ行きます。そこでチェコの国王に雇われ、宮廷付きの庭師となりました。そしてプラハ城の庭園で死ぬまでおよそ20年間働きました。

「歴史初のベラルーシ語の聖書を翻訳・出版した偉人が、庭師として異国で死ぬってどうよ?!」
と憤慨するベラルーシ人も私の周りにはいるけれど、実際には、単なる庭師ではなく、薬草を育てて、薬を作ったり実験したり、王様に薬を処方したりして、もともと医者だったスカルィナさんからすれば、理解あるチェコの国王のお膝元で研究三昧の楽しい生活を送っていたんじゃないかなあ、と私は思います。

 スカルィナの没年ははっきりしていませんが、1552年には死去していたことは間違いないようです。というのも、プラハで死んだ後、遺産を相続するようにと言われて、長男のシメオンが(おそらくリトアニアから)プラハにやってきて、相続税を支払った記録が残っているからです。それが1552年のこと。
 ちなみにシメオンは父の跡を継いで、医者になっています。

 推定年齢62歳で死去したスカルィナですが、埋葬されたのは故郷のベラルーシではなく、聖書を出版したチェコのプラハだったというのが、運命ですね。スカルィナの墓の場所は不明です。
 宮廷庭師の扱いで埋葬されていますし、息子はチェコに住んでいなかったはずなので、お墓の守りをする人がいないのですから、ベラルーシ人のスカルィナの墓はチェコの大地に戻ったのだと考えられます。

 生まれ故郷への思慕を歌った詩を書いていたスカルィナさんなので、かわいそうな感じもしますが、今ではベラルーシを代表する偉人。今年はスカルィナの聖書が印刷されてちょうど500年ということで、国をあげて祝っています。
 ベラルーシではベラルーシのために尽力した人に与える国家最高の勲章として、スカルィナ勲章というものが設定され、日本人の間で有名なところでは、医師で松本市長の菅谷昭さんが受賞しています。<日本語訳では「フランシスコ・スカリナー勲章」と表記されるみたいですが。> 
 ・・・というわけで、日本人のみなさんが「縁もゆかりも接点もないわ」と思っていたベラルーシの偉人、フランツィスク・スカルィナについて、今回日本語で知っていただければ・・・と思います。

 最後にスカルィナが残した言葉(ことわざ)を日本語に訳しておきます。
「人を落とそうとして落とし穴を掘るな。自分がそこへ落っこちる。」
<スカルィナの人生を振り返った後にこのことわざを読むと、含蓄あるように思えてきますね・・・。>

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第209回」

2017-05-06 |   ビタペクト配布活動
 5月6日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第209目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト3を11個渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2537個、セルロースの合計は85個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは2160部となりました。
 今回で通算225回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2537人の子どもにビタペクトを、約76人の子どもにセルロースを、2160家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html



(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/bb1fb7afb4cac464789e2684181e7d42


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80


 チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



 今回はゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)から1家族が14人の子どもを引率して、保養滞在していました。この家族には11個のビタペクト3を渡しました。
 この家族は1年前にもSOS子ども村で保養滞在していたときがあります。
 そのときの様子は以下をご覧ください。
 
チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第193回」(家族B)

 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。2016年に測定した結果についても表記してあります。

母親(事故発生時2歳)31ベクレル → 22ベクレル 
父親(事故発生時5歳)(今回初測定)13ベクレル
長男(12歳)42ベクレル ○ → 27ベクレル ○ 
長女(12歳)33ベクレル ○ → 30ベクレル ○
次男 (9歳)39ベクレル ○ → 33ベクレル ○
三男 (4歳)24ベクレル ○ → 21ベクレル ○
養女(10歳)39ベクレル ○ → 24ベクレル ○
養子 (8歳)20ベクレル ○ → 30ベクレル ○
養女 (9歳)41ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (9歳)32ベクレル ○ → 30ベクレル ○ 
養女 (8歳)(今回初測定)19ベクレル
養女 (7歳)(今回初測定)16ベクレル
姪  (8歳)(今回初測定)27ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)25ベクレル ○
女子(10歳)(今回初測定)30ベクレル ○
女子 (8歳)(今回初測定)18ベクレル

 今回初測定の養女二人は最近この一家に引き取られたそうです。
 姪はゴメリ市内で自分の両親と普段生活しています。
 女子3人はお母さんの友人の子どもです。

 子どもたちの健康状態ですが、長女は腎臓病のため、腎臓を一つ摘出しています。
 長男は大きさは小さいですが、甲状腺に腺腫が見つかったそうです。
 お母さんも甲状腺が肥大しています。お父さんは心臓病だそうです。これは被爆のせいではなく遺伝かも、とお母さんは話していました。お父さんのお父さんは40代で心臓病で亡くなっているそうです。
 姪は生まれつき心臓に穴が開いています。8歳の女子は父親がウクライナ人でウクライナ生まれ、ウクライナ育ちですが、最近ベラルーシへ引っ越してきたそうです。
 他の子ども達は比較的健康だそうです。

 前回と今回の測定結果を見ると、全体的に数値は下がりましたが、ビタペクト3を飲まないといけないレベル(体重1キロあたり20ベクレル以上)です。
 この一家は食品は市内の店舗で普通に売られているものを食べることがほとんど、と話していました。

 画像は記念撮影したものです。
 今回子どもたちに折り紙、折り鶴、日本製の鉛筆やベラルーシ人から見るとすごくハイテクなのりをプレゼントしました。そして昆布茶。
 昆布茶はベラルーシにありませんでしたので、お父さんとお母さんは興味津々でした。
 子ども達はビタペクト3をおいしいと言って、食べていたそうです。今回もビタペクト3を渡したら、みんな大喜びで、早く食べたい、と言っていました。(←一度にたくさん食べないようにご両親は注意してください。)
 三男坊君は、
「ぼくはヨウ素が足りないから、飲む。」
と私に言っていましたが、4歳なのに頭よすぎません?(実はビタペクト3にはヨウ素は含まれていないです。昆布茶を飲みましょう。)

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や文房具、昆布茶など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。
 
 
 

チロ基金創立20周年

2017-05-05 | チロ基金
 2017年5月チロ基金は創立20周年を迎えました。
 
 創立当初より、無理はせず、細く長く続けようと思っていたチロ基金の活動が20年も続きましたこと、ひとえに多くの支援者の方々のおかげです。 
 チロ基金の活動に常日頃からご賛同下さっている多くの方々に、改めて深くお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。
 今後もまた一年一年、少しずつですが積み重ねていこうと気持ちを新たにしております。

 今月末にはチロ基金20周年記念将棋大会を開催する予定です。
 また改めてご報告いたします。

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 2017年5月28日追記です。
 予定通りチロ基金創立20周年記念将棋大会が開催されました。
 詳しいご報告はこちらです。

ニュース 浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

2017-05-01 | 放射能関連情報
浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動

日本テレビ系(NNN) 4/30(日) 17:15配信
 福島第一原発の事故で人が立ち入れない福島県浪江町の山林で火災が発生し、自衛隊などが消火活動にあたっている。

 山林火災が発生したのは、浪江町の十万山。福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定される場所で、29日午後に町の防犯見守り隊から通報があった。

 防災ヘリなどが出動して消火活動にあたり、一時、鎮圧状態となったが、強風にあおられて再び燃え広がった。福島県によるとこの火災でけが人はいないが、既に山林の7万平方メートル以上が延焼したという。

 現場は原発事故後、長期間、人が立ち入っていない場所で、地上からは近づくことができず、県は自衛隊や隣県にも防災ヘリの出動を要請し消火活動を続けている

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 以前のこのブログでも、放射能汚染地域である山林地帯の山火事について書いたことがあります。
山火事に注意してください

 浪江町の火事の原因は落雷らしいですね。
 風向きにより、静岡のほうまで、放射能が飛ばされている、という情報もあるみたいなのですが、空間線量のデータがないので、私には分かりません。

 GWで外出している人も多いと思うのですが、大丈夫なんでしょうか?
 また消火作業に従事している自衛隊員が被爆していないか心配です。