ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その6

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 リタさんとイローナさん、本当にありがとうございました!
 強くて優しくて、こういう女性を子ども達も見習ってほしいと思いました。

 次回は夏休みの開催を予定しています。これからもミンスク剣道クラブの皆さん、日本文化情報センターと仲良くしてください。(^^)
 
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その5

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 竹刀の握り方も丁寧に教えてくれました。
 子ども達は一生の思い出になったと思いますよ。
 このほか剣道の歴史を紹介するビデオを見たり、剣道や武道に関する本も展示しました。

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その4

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 とても楽しそうですね。
 幸い子どもの数があまり多くなかったのと、時間もたっぷりあったのとで、子どもたち全員がさまざまな攻撃(面、胴、籠手)を順番に試してみたり、防具などもつけてみたり、剣道を堪能しました。
 

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その3

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 そして子ども達お楽しみの体験会。
 竹刀だけではなく、練習用のゴム製竹刀も持ってきてくれました。これから絶対痛くないし、こんな便利なものがあるのですね。

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その2

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 模範演技を披露するリタさんとイローナさん。
 かっこいい!!! 
 子ども達もびっくりして見ていますね。

日本文化情報センターの活動 剣道体験会 第6回 その1

2014-03-28 | 日本文化情報センター
 ベラルーシの学校では3月最終週は春休みでしたが、今回もミンスク剣道クラブの多大なご協力のおかげで第6回目となる剣道体験会を実施しました。
 今回はリタさんと初めて参加するイローナさんの二人が剣道のデモンストレーションを繰り広げてくれました。
  
「ミンスク剣道クラブ」のサイトはこちらです。(ただしロシア語のみです。)

 天気が悪くて大雨になったらどうしよう、と心配していましたが、いいお天気になってよかったです!

 2012年3月に第1回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

 2012年6月に第2回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

 2012年11月に第3回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

 2013年3月に第4回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

 2013年6月に第5回剣道体験会を実施しました。詳しくはこちらをご覧ください。

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第161回」

2014-03-24 |   ビタペクト配布活動
 3月24日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第161回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。

 今回はビタペクト3を5個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2149個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1980部となりました。
 今回で通算175回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2149人の子どもにビタペクトを、1980家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80



 今回は3家族がストルブツィ(チェルノブイリ原発から約325キロ)保養滞在していました。それぞれの家族にお話をうかがいました。

(家族A)

 この家族は2013年3月にもSOS子ども村に保養滞在したことがあります。そのときの様子はこちらをご覧ください。
 チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第145回」 (家族A)

 お母さんが3人の子どもを引率していました。この家族には2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。2013年と2014年の測定結果を表しています。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時18歳)11ベクレル → 13ベクレル
女子(13歳)22ベクレル ○ → 23ベクレル ○
女子(12歳)21ベクレル ○ → 18ベクレル
女子( 6歳)26ベクレル ○ → 27ベクレル ○

 このお母さんには5人の実子がいますが、そのうち年少の3人を保養に連れてきていました。子ども達の健康状態についてききましたが、子ども達はよく風邪をひく、ということでした。
 しかしこの冬インフルエンザの予防接種は受けなかったそうです。予防接種を受けると直後にかえって子ども達の体調が悪くなってしまうのだそうです。

 お母さんは足に静脈瘤ができて、手術をして切除したのですが、そのときの麻酔の影響か、背中や腰が痛くなってしまい、今も痛みが取れず困っているという話でした。
 お母さんはストルブツィ市の生まれですが、事故が起きたときは大学に入学しており、ミンスクに住んでいました。
 ストルブツィ市はミンスク州にあり、放射能汚染地域に指定されたことは一度もありません。

 測定結果ですが、1年前とほとんど変化がありませんでした。
 やはりビタペクト3を飲んでも、汚染された食べ物を食べているとし言いようがありません。やはり近所で売られている食品に放射能が基準値以下としても入っているんだろうと思われます。


(家族B)

 お母さんが4人の子どもを引率していました。この家族にも2個のビタペクト3を渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時6歳)22ベクレル
長女(13歳)17ベクレル
長男 (9歳)26ベクレル ○
次男 (7歳)22ベクレル ○
次女 (3歳)16ベクレル

 子ども達の健康状態についてお話をうかがいました。
 4人ともよく風邪をひき、胃炎をよく起こす、ということでした。
 次男は足の爪がおかしいと話していましたが、よく聞くと爪そのものではなく、爪の奥(足の指の深部)が常にかゆいのだそうです。本人はそれが気持ち悪いので、足の指を曲げたような格好で、歩きにくそうに歩いているときがあり、お母さんはリリヤ先生に相談していました。手の指のほうもときどき爪の奥がかゆいときがあると話しており、これは爪(皮膚)の病気ではなく、神経に異常があるからではないか、という話でした。病院の皮膚科ではなく、神経科を受診するほうがいいということでした。

 次女は足の長さがちがいます。赤ちゃんのときは気がつかなかったのですが、歩き始めた頃、よく転ぶので病院に行くと、足の長さがちがうことが分かりました。現在は特別な靴を作ってもらってそれを履いています。
 
 お母さん自身は甲状腺に線種ができており、最近それがどんどん大きくなってきたので、物を飲み込むときに違和感を感じているそうです。医者に尋ねると
「そのうち線種が小さくなって消えるかもしれないから。」
と言われ、半年おきに超音波検査を受ける以外は何の対策もしていないそうです。甲状腺種がいつの間にか消えるなんてありえないでしょう? と思いましたが、リリヤ先生も
「あまり大きくならないうちに手術して取ったほうがいい。」
とアドバイスしていました。
 このお母さんはチェルノブイリ原発事故当時6歳でしたが、その後間もなく父親が軍人で、当時東ドイツにあったソ連軍基地に移動になったので、家族全員で移り住んだそうです。
 5年間東ドイツで暮らしていましたが、その後またストルブツィに戻ってきました。つまり長期の海外保養に行っていたと言ってよいと思います。

 今回の測定の結果を見て、お母さんは2人の男の子だけ高い数字なのは、ベッドのせいではないかと考えました。
 最近モズィリの家具工場が作ったベッドを買ってきて、それに男の子2人が寝ているそうです。
 WBC測定の後、お母さんはお父さんに電話をして、「ベッドのせいかもしれない。」と話したところ、お父さんは「じゃあ、すぐに線量計で調べてみる。」と言い出しました。そしてすぐに知人から線量計を借りてきてベッドの周りをを測定したのだそうです。すごい行動力ですね。(たのもしいお父さんだ・・・)
 そして結果をすぐにSOS子ども村に滞在中のお母さんに電話で知らせてきたのですが、「放射能は検出されたが、非常に弱かった。」そうです。
 お母さんは私にも「こんなベッドに子どもを寝かせていいものでしょうか?」と相談してきたのですが、そもそもベラルーシには材木についても基準値が定められており、それを越える材木は販売したり、建築や木工品の材料にしてはいけない、という法律があるのです。
 モズィリの家具工場はけっこう大きい企業で、このような法律を守っていると思われる、と話しました。仮にそれに寝ているだけで被曝するようなベッドだった場合でも、今回のWBCの測定は内部被ばく、つまり体内に放射性核種がだいたいどれぐらいの数があるのかが分かるのであって、外部からの被爆はこのような方法では分からない、息子さん2人の値が高かったのはベッドは無関係でしょう・・・と話しました。
 もちろん次男の足の指の内部のかゆみの原因はベッドから出ている放射線のせいで、それで病気になっているのかもしれませんが、お父さんがベッドだけから出ている放射線を測定したとも言い切れません。
 ベッドの周りにもいろいろな物が置いてあるだろうし、そもそも部屋の空気中の放射能を測定している可能性が高いです。それに私から言わせれば男の子2人が特別高く被曝しているようには思えません。
 心配しすぎないほうがいいのでは、とお母さんに話しました。
 しかし、楽観的すぎて何にも気にしないお母さんよりも、これぐらい意識の高いお母さんのほうが子ども達は運がいいなと思いました。 


(家族C)

 5人の子どものお母さんが長男をのぞく4人の子どもを連れてきていました。この家族には1個のビタペクトを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクト3を1個ずつ渡しました。

母親(事故発生時11歳)20ベクレル
長女 (9歳)11ベクレル
次女 (8歳)18ベクレル 
次男 (4歳)29ベクレル ○
三男 (2歳)10ベクレル

 子ども達の健康状態ですが、長女は食後、胆嚢の痛みを訴えるので、さまざまな食事制限があるそうです。
 次女は1年以上前から手の指に茶色の縦の筋が入っています。ほくろの一種という可能性が高そうなのですが、ビタミン不足かもしれない、というリリヤ先生の話でした。ビタミン剤を飲んで改善しなかったら、一度専門医に見てもらうほうがいいかもしれない、とも言っていました。

 今回は保養に来ていなかった長男(10歳)ですが、小学校に入学したときの視力検査で、片目が遠視、片目が近視であることが分かりました。こういうことってあるんですね。
 それに合わせた眼鏡をかけているそうですが、将来弱視になってしまう可能性もあるとか。
 
 画像は記念撮影したものです。(1人保養とは関係のない子が写っていますが・・・ 今春休み中なので、うちの子に着物モデルをしてもらいました。)
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。
 保養滞在2回目の子どもたちに「前に会ったときに折り鶴の作り方教えたけど、どう? 鶴ちゃんとできた?」ときいたら
「途中までしかできなかった。」
という返事が・・・(がーん。)ベラルーシの子どもに鶴の折り紙はハードルが高いのか・・・
 でもあきらめずに今回再挑戦してください、と言いました。
 今回は折紙より日本語に興味がある子どもが多くて、たくさん質問されました。メモまで取って、本当に熱心でした。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。

ゴシケーヴィチ生誕200年

2014-03-16 |   イオシフ・ゴシケーヴィチ
 2014年3月16日はゴシケーヴィチ生誕200年に当たります。(2015年生まれ説や4月4日が誕生日という説もありますが・・・。)
 ベラルーシを初め、ロシアや函館などゆかりの地で、さまざまな記念行事が予定されています。

 ゴシケーヴィチについて詳しくはこのブログ内の記事をご覧ください。
 カテゴリ「ゴシケーヴィチ

 このようなわけで今年はゴシケーヴィチ関連の行事が1年かけて行われます。
 すでに3月16日にはミンスク市立第1図書館内で、研究者が集まり第1回発表会を行いました。私も出席し、帝政ロシア領事館が創った通称「ロシア病院」について調べたことを発表しました。
 これはロシア領事館が函館に入港してきていたロシア海軍の軍人のために開いた病院なのですが、日本人の患者にも解放されており、人種に関係なく、診察料、入院費、薬代、全て無料だったのです。
 医者はロシア人だったため、患者との問診の際にはゴシケーヴィチ領事自らが通訳をしていました。
 予算がロシア帝国から出ていたとは言え、幕末に日本人がただでロシアの医療を受けていたなんて、信じられないですよね。

 さらにおもしろいのはこの病院に新島襄が通院していたことがあり、また新島襄の写真をゴシケーヴィチが撮影していたかもしれない、という説がある、ということです。
 新島襄はアメリカに密航して、その後プロテスタントになりますが、正教の影響が強いベラルーシでは新島襄のことはほとんど知られていません。でもベラルーシ人のゴシケーヴィチと同志社大学創立者が函館で結びつきがあったかもしれない、と想像するだけで楽しいですよね。

 さて、3月21日には在ベラルーシ日本大使館とベラルーシ大学国際関係学部共催の学術会議が行われました。ベラルーシ、日本、ロシアから参加者が集まりました。私も出席し主にゴシケーヴィチの領事時代、函館で行ったさまざまな活動について話したかったのですが、あまりに範囲が広いので、ロシア病院と当時領事館で働いていたイワン・マホフが作成したロシア語の子供向け教科書「ろしあのいろは」について調べたことを中心に発表しました。

 「ろしあのいろは」は1861年に函館で発行されたのですが、その後何度か復刻版が出ており、そのうちの1972年度復刻版が1部、日本文化情報センターの所蔵文献として保管されているのです。
 「ろしあのいろは」1861年オリジナル版は日本国内、ロシア国内の歴史資料館などで保管されています。しかし私が知っている限りではベラルーシにはないようで、復刻版も弊センターにあるのが現時点ではベラルーシ国内唯一みたいなのです。
 「ろしあのいろは」は本当におもしろいですよ。和とじの本で150年前の人がこれを手に取ったら、「わあ、何だろう、この本!」と興味津々だったろうなあ、と思います。子どものときにこんな本をもらったら、宝物にしていますよ。ロシア語と日本語が入り混じった本は当時とても珍しかったと思います。

  3月20日からはミンスク市内の歴史文化博物館で、ゴシケーヴィチの生涯と日本文化を紹介する展示が行われており、ミンスクのあとはロシアのサンクト・ペテルブルグ(6-7月)、パリ(9月)、函館(10月)などに巡回展示される予定です。
 函館の会場は、函館市地域交流まちづくりセンターです。

 4月5日にはベラルーシ大学歴史学部とミンスク州学習メソッドセンター共催の学術会議が予定されており、これにも私は出席予定です。
 また秋にはベラルーシ科学アカデミー主催の円卓会議もあるそうです。

 日本文化情報センターでもゴシケーヴィチ生誕200年記念テーマ展示を開催中で、「ろしあのいろは」も公開しています。

 このような関連行事を通じて、ベラルーシでも日本でももっとゴシケーヴィチの業績が広く知られるようになればいいと思います。

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 追記です。

 2014年3月21日に行われたゴシケーヴィチ生誕200年記念学術会議に出席したとき、発表した論文が、10月28日、ベラルーシ大学国際関係学部発行の「国際法と国際関係」誌2014年第3号に掲載されました。
 その後、ネット上で閲覧できるようになりましたので、ここでもご紹介いたします。
「函館でのイオシフ・ゴシケーヴィチの活動」(ロシア語)
 会議にはたくさんの発表者がいましたが、論文が掲載されたのは私を含め2人だけでした。
 内容が掲載に値すると認められたようで、とてもうれしいです。

離婚率はロシアがトップ。ベラルーシ2位・・・

2014-03-15 | ベラルーシ生活
離婚率はロシアがトップ! 世界の離婚率事情

 「世界で一番離婚が多い国がロシア? そうだろうなあ。ベラルーシも高そうだけど、世界で何番目ぐらいなんだろう。」と思ったら、2位でした。(^^;)

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2014年3月14日(金)15:01 (←どうしてホワイトデーにこんな記事を公開するのか・・・。)

 日本の離婚率は約36%だそうです。つまり、結婚したカップルの3組に1組は離婚しているということになります。では海外の国々ではどうなのでしょうか? 海外の離婚事情を調べてみました。

■世界一離婚している国はロシア!


 国連が、2011年の統計年鑑(Demographic Yearbook)を基に調査したデータを2013年に発表しました。そのデータによると、国民1000人当たりの離婚件数のトップ10は以下のようになっています。

第1位 ロシア......4.7件
第2位 ベラルーシ......4.1件
第3位 ラトビア......4.0件
第4位 リトアニア......3.2件
第5位 モルドバ......3.1件
第6位 ベルギー......2.9件
同6位 キューバ......2.9件
第8位 ウクライナ......2.8件
第9位 チェコ......2.7件
第10位 デンマーク......2.6件
同10位 ヨルダン......2.6件

※集計年は国によって異なります。


 ロシアやベラルーシ、ラトビアといった東欧の国々が上位を占めています。ロシアは男女の経済状況差が少ないことや、男性があまり積極的に働かないことなどが原因で離婚をする夫婦が多いそうです。ロシア政府の戸籍登録機関によると、2組のうち1組は別れてしまうほどなのだとか。

 ベラルーシやラトビア、リトアニア、モルドバなどは経済状況が良くないことが主な原因となっています。元ソビエトの国々で安定した夫婦生活を送るのは難しいようですね。

 暖かいキューバでは「離婚して当たり前」といわれるほどだそうです。再婚してもまた離婚する人も多いのだとか。また、ビザやお金目当てで結婚をする人や、結婚詐欺も多く、それが離婚率の増加につながっています。

 また、「離婚大国」といわれているアメリカですが、この統計年鑑ではデータがありませんでした。しかし、米国国勢調査局の2011年度の統計(statistical abstract of the united states 2011)のデータによる推定値では、1000人当たり3.6と、世界順位では4位に値します。やはりアメリカも離婚は多いようです。

 ちなみに、日本の国民1000人当たりの離婚件数は1.9。日本の婚姻率は国民1000人当たり5.2ですので、先に述べたようにだいたい3組に1組は離婚しているということです。

 たとえ数字の上だとしても、結婚しても別れてしまう可能性がここまで高いと知ると、なんだか結婚する気も起きなくなってしまうかもしれません。でも、幸せな結婚生活を送っている人も少なからずいます。結婚すれば、離婚のリスクは避けられないものですが、あなたは結婚を選びますか? それとも一生独身でいることを選びますか?

【出典】
国連統計年鑑(Divorces and crude divorce rates by urban/rural residence: 2007-2011)
米国国勢調査局 統計概要(statistical abstract of the united states 2011)

(貫井康徳@dcp)


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 確かに旧ソ連の国が6つも入っていますねえ。
 経済状況が悪いのと離婚率は比例するのか・・・
 逆に言うと離婚しても女性が子連れで生活できるという保障体制が整っているとも言えるし、女性の権利が認められているとも言えるし(女性から離婚を切り出すのはご法度、という国もありますから。)離婚経験者に対する偏見の目が少ない社会とも言えるでしょう。

 私の実感としては、本当にベラルーシは離婚が多いです。2組に1組、というのは本当だと感じます。再婚を繰り返す人もたくさんいますが、世間体とかそういったことはまるで気にしていません。本人も気にしていないし、周囲も(社会も)気にしていない、という感じです。細かいところにこだわらないんですよね。戸籍に傷がつくというような表現は全くありません。こういう話をしても、ベラルーシ人はきょとんとするだけだろうなあ。どうして戸籍がきれいでないといけないの?って感じで。
 
 私が知っている限りではベラルーシ人が離婚する最大の原因は国の経済状況云々よりも、アルコール中毒です。
 だんなさんがアル中になって、失業したり、暴力振るったり・・・で女の人から離婚を切り出す、というパターンが多いですね。
 次は浮気ですね。ベラルーシ人は細かいことにこだわらないので、他人の夫あるいは妻であっても、好きになったら好きなんですね・・・。
 その次は「だんなが育児を手伝ってくれなかったから。」という理由ですかね。これで離婚した人を二人知っております。
 ご主人のほうはアル中ではなく普通に仕事してましたけどねえ。
 だんなが育児を手伝わなかったからって離婚してたら、日本人夫婦の多くが別れてしまいますよ。日本人男性は仕事に時間を拘束されていますから。手伝いたくても手伝えない、という人が多いと思いますが、それでもベラルーシ人女性は理解できないようです。仕事が忙しくて子育てを手伝ってくれないんなら、残業のない仕事に転職して、早く家に帰って育児を手伝う男性のほうがいい、という価値観なのでしょう。

 親の世代も離婚している人がいっぱいいるので、子どもが「離婚しようかなあ・・・」と言い出したときに「我慢しなさい。」とか言わずに、「さっさと分かれて実家に戻っておいで。」と理解を示すパターンも多いです。離婚にブレーキをかけるものがないんですよ。
 離婚暦があることで再婚しにくくなる、といったこともないし。

 私の周囲にも離婚した人、再婚した人、シングルマザーに愛人と修羅場、とかそういう話を山盛り聞いていますが・・・。
 一方で少数派ですが、熱心なキリスト教信者の人は結婚をまじめに捉えていることが多いです。そういう人たちは同じ考えの者同士結婚することが多いので、離婚している人は少ないです。
 私は夫がベラルーシ人だけど離婚はしたくない・・・。このまま何とか平穏無事に暮らしたいものです。


震災から3年

2014-03-11 | 放射能関連情報
 短いようで長い3年でした。
 去年の3月11日も「来年はどうなっているのかな・・・」と思いましたが、状況は予想以上によくありません。
 
福島・子どもの甲状腺がん患者――「疑い」は16人増に (週刊金曜日)

どこまで子どもの甲状腺がん患者は増えるのか。第14回福島県「県民健康管理調査」検討委員会(星北斗座長)は2月7日、福島市内で会議を開いた。子どもの甲状腺がん検査で、26万9000人の受診者のうち、がん患者は33人(前回比7人増)、「疑い」は41人(同9人増)で、前回より16人増の計74人が甲状腺がん、あるいはがんの疑いと診断されたと発表した。

 検討会のたびに患者が増加しているが、星座長は「(患者数は)想定の範囲内。放射線等の影響との関係は検討する必要があるが(影響は)考えにくい」との見解を示した。県立医大は県の委託で調査を実施、さらに「研究」の名目で、大学の倫理委員会に申請して承認を得た。申請書では「小児甲状腺がんは年間100万人あたり1~2名程度と極めて少なく、結節の大半は良性」(2011年9月)としていたが、患者数が増えてくると、「最新の研究で4000~5000人に1人」「スクリーニング効果(検査による早期発見)」と当初の基準を変える見解を示してきた。

 33人という数字は、福島県内の拠点病院等での新たながん登録で肝臓がん33人、すい臓がん30人(11年総数・全年齢、国立がん研究センター)に匹敵する。放射能の影響を考慮しない場合、各地で同率の子どもが潜在的に甲状腺がんであると想定され得るが、国・厚労省による対策の動きはない。調査結果は「福島県の地域限定」に矮小化される可能性もある。

 同医大の鈴木眞一教授は同日、甲状腺がんの遺伝子解析・ゲノム調査を今後、行なうと説明。「保護者に説明できる根拠」を示すとした。調査と治療、研究、情報の管理と活用が特定のグループに独占され、医療政策が「県―県立医大」という閉鎖系で完結する可能性も否めない。この検討会が「新たな安全神話」構築の場にならないよう、今後も多様な視点でチェックしていくことが重要だ。

(藍原寛子・ジャーナリスト、2月14日号)

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 チェルノブイリのときよりペースが速いので、憂慮しています。一方でチェルノブイリのときとはパターンが違うので、福島の原発事故は関係がない、という意見もあるでしょう。

 そしてどうしても地域としては福島だけに注目しがち、また病名は子どもの甲状腺がんだけに気を取られがちですが、他の地域でももっと検査・調査をして、またさまざまな病気についても患者数が増えていないか正確な統計を取って発表するほうがいいと思います。
 日本がベラルーシのようにはなってほしくないので、早め早めの医療体制を整えてほしいです。
 ベラルーシでは1年に1回の身体検査のときに身長・体重を計るのと同じように、子ども達の甲状腺の大きさをチェックをしていますよ。
 これぐらいのことを日本でもするように早くなってほしいです。

 

日本語能力試験の認定書が届きました

2014-03-08 | 日本文化情報センター
 昨年12月に世界各国で行われた日本語能力試験ですが、合格者に認定書が郵送されてきました。
 受験地を通すので、ウクライナで受験した2名はキエフからの郵便の到着を待っていたのですが、最近のウクライナ情勢が緊迫しているので心配していました。しかし予定通りミンスクに届けられました。

 それで親馬鹿なので、ちょっと自慢させてください。今年受験したうちの1名は私の娘なのです。受験したとき、12歳と2週間でN2(旧2級)に合格しました! 
 試験会場では周りは大人ばかりで、子どもの受験者はいなかったので目立ちまくり、休憩時間には隣の席の学生さんに「あなた何歳なの?」ときかれたそうです。
 うちの子が日本語能力試験2級の歴代最年少合格者だとは思わないのですが、小学生で2級に受かるのは珍しいケースだと思います。(N2のサンプル問題はこちら。)

 日本語能力試験ですが、大雑把にレベルの説明をすると、一番簡単なN5は日本の小学校低学年レベル、N4は小学校高学年レベル、N3は中学生レベル、N2の認定証を持っている外国人は日本の大学に留学でき、N1の認定証を持っている外国人は日本企業に就職できる・・・ようです。
 もちろんうちの子はまだ子どもなのでN2に合格しても日本の大学に留学できるわけではありません。

 ちなみに今回は3名受験したのですが、ミンスク言語学大学で2年間日本語を勉強している学生さんはN2を受験し、不合格でした。(この人はN3だったら絶対合格していたと思うのですが。)
 独学で日本語を勉強し始め2年目という1名(社会人)はN4を受験し、合格しました。
 目安としては日本語を勉強し始めて、1年目だとN5合格、2年目ならN4合格、3年目ならN3合格、4年目ならN2合格、5年目ならN1合格・・・になってほしい、といつも自分の教え子に願っているのですが、実際には途中でやめてしまう人がほとんどです。

 こうして考えるとうちの子の場合、ベラルーシ人の日本語学習者とちがって、もう10年ぐらい日本語をしゃべっているので(^^;)N2に合格するのはそんなにすごいことではないのかもしれません。
 しかし試験前は一生懸命に受験勉強をしていたので、よい結果が出てほっとしました。
 ベラルーシは住んでいる日本人は数が非常に少なくて、当然日本人学校も補習校もなく、しかも片親は日本人でない(日本語もできない)ので、家庭内ではロシア語が共通語、という状況下、娘に日本語を教えるのは実際には苦労があるのです。
 今後はN1合格を新しい目標にしようと思っています。

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 2016年1月の追記です。
 うちの子はN1に合格しました。詳しくはこちら

ベラルーシの状況

2014-03-06 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
  昨年11月からウクライナの情勢が悪くなり、今年に入ってからは特に混迷・悪化し続けています。ベラルーシに隣接しており、さらにもともと同じ旧ソ連の国だったこともあり、「ウクライナが大変なことになっていますが、ベラルーシは大丈夫ですか?」というメールをいただきました。
  確かに地球規模から見ると、ミンスクとキエフの距離なんて札幌と那覇の距離より短いわけだから、ミンスクのすぐそばで流血の暴動が起こっているのを聞いたらびっくりしてしまいますよね。
  でもベラルーシとウクライナは別々の独立国家で、間に国境もありますし、ウクライナで流血の政権崩壊が起きてもベラルーシは特に関係がありません。
  ウクライナからベラルーシへ親戚を頼って避難してくる人は増えるでしょうが、ベラルーシの治安が悪くなるとか、反政府派のデモが飛び火してくるとか、そういったことは全くありません。
  ベラルーシ人はニュースを見てウクライナ情勢を心配はしていますが、ベラルーシ社会はずっと平穏無事です。

  というわけで、私も家族もみんな平和に暮らしています。
  でも遠く離れたところからでも心配してくれる人がいるのはうれしいことですね。(^^)お心遣いありがとうございます!

ミンスク市立134番学校で新美南吉を紹介しました

2014-03-04 |   新美南吉
3月4日ミンスク市内にある第134番学校で、新美南吉の紹介を行いました。
 この学校は普通の教育課程のほか希望者に音楽教育をしている学校です。

前回この学校で出張公演をしたときのようすはこちらです。

 待ち遠しかった春がやっと来たので、毎年この時期になると春のコンサートを校内で開くのですが、それに合流して新美南吉の紹介をしてきました。
生徒さんたちが19人も壇上に上がって、いつも練習している曲を演奏しました。日本人作曲家の作品もあって、驚きです。私の出番はその後で、日本の春のお祭り(ひな祭りやお花見など)の紹介をした後、「手袋を買いに」の朗読を行いました。それぞれの持ち時間が限られていて、1作品しか紹介できませんでしたが、この学校にはまたお邪魔して他の作品についても少しずつ紹介しようと思っています。
生徒さんたちの年齢は1年生から4年生までだったのですが、みんなとても静かに聞いていました。100人ぐらい子どもがいるとは思えないぐらいの静けさでした。
この学校には立体折り紙の鶴や漢字が染め出された手ぬぐいを寄贈しました。また図書室に日本のことを紹介する本や雑誌を寄贈しました。
子どもたちも先生方もとても喜んでいました。立体折り紙の鶴を作ってくださった日本の方に感謝しております。こういうところでとても役に立っています。
少しずつですが、ベラルーシの子どもたちに日本のことが知られていってほしいです。
もっとも、中田義直作曲のピアノ曲を弾いているような小学生なので、とても国際的だと思います。
 音楽など文化を通じて外国のことを学ぶようにしているこの学校は本当にすばらしいと思います。

チロ基金の活動「ビタペクト&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第160回」

2014-03-03 |   ビタペクト配布活動
 3月3日にビタペクト3と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第160回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。


 今回はビタペクト3を7個、そして「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2、ビタペクトT、ビタペクト3の合計は2144個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1970部となりました。
 今回で通算174回目の配布となりました。
 延べ人数ですが、2144人の子どもにビタペクトを、1970家族に「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(ビタペクト3についてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/922c333857741c5448f66d4fe00b25e1


(チロ基金は以前ビタペクトに代わり、ペクチン入りセルロースを配ったことがあります。セルロースについてはこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/43f810eddd1efc451f5171ef3cd35a7a



(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(WBCによる測定、ビタペクトを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%89%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80




今回は2家族が保養滞在していました。それぞれの家族にお話をうかがいました。

(家族A)

 モギリョフ州オシポビッチ地区リペニ村(チェルノブイリ原発から約240キロ)から来た家族。この家族は2008年8月にもSOS子ども村に保養滞在したことがあります。そのときの様子はこちらをご覧ください。
 チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第78回」(家族A)

 家庭タイプ型孤児院の家庭で、お母さんと実子1人、里子6人が母親と一緒に保養に来ていました。この家族には4個のビタペクト2を渡しました。
 それぞれの体内放射能値は次のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。前回の滞在のときに測定した人の結果も表記しています。

母親(事故発生時25歳)18ベクレル → 8ベクレル 
女子(16歳)19ベクレル
男子(15歳) 0ベクレル → 24ベクレル ○
女子(14歳)17ベクレル
男子(12歳)38ベクレル ○ → 38ベクレル ○
男子(12歳)36ベクレル ○
男子(12歳)30ベクレル ○
男子(10歳)18ベクレル 

 子どもたちの健康状態についてもお母さんにお聞きしました。
 16歳の女の子はお母さんの実子です。生まれつき心臓に穴が開いており、片耳が難聴です。
 31ベクレルだった12歳の男の子は片方の足が内側にねじれてきており、今は普通に歩いているし、痛みもないそうですが、ねじれがひどくなってきたので、医者から足をまっすぐ伸ばすための矯正用の靴を履くように言われ、近いうちにそれを注文する予定だそうです。
 36ベクレルだった12歳の男の子はおねしょが治らないそうで、原因を調べましたが、検査の結果は特に異常はなく、病院からは原因不明と言われました。里子なので、実の親(アルコール中毒)から育児放棄されていたらしく、精神的なトラウマが原因ではないか、とお母さんは考えています。
 引き取った里子のほとんどは最初の頃、栄養不足状態と慢性胃炎を持っており、食事つくりに気を使うそうです。しかし今は養母の心のこもったご飯を食べて胃炎はほぼ治っているということでした。

 この一家は畑を持っており野菜を作って食べているそうですが、食品の測定をしたことはありません。村の中に測定する場所がなく、測定しようと思ったら、20キロ離れたオシポビッチまで持っていかないといけないので、面倒だからです。
 この村は汚染地域に指定されたことはありません。しかし村の中でがんや甲状腺の病気になる人が増えたそうです。お母さん自身は健康ですが、そのお母さんのお母さんは現在甲状腺の病気になっているということでした。


(家族B)

 スラブゴロド(チェルノブイリ原発から235キロ)から来た家族。この一家も家族タイプ孤児院で、お母さんが6人の里子を連れてきていました。この家族には3個のビタペクト3を渡しました。それぞれの体内放射能値は次のとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時30歳)10ベクレル
女子(17歳)14ベクレル
女子(16歳)12ベクレル
男子(14歳)11ベクレル
男子(14歳)22ベクレル ○
女子(11歳)21ベクレル ○
男子(10歳)35ベクレル ○

 
 お母さんに子どもたちの健康状態について質問しました。
 17歳の女の子は胃炎持ちでしたが、成長した現在は治ったそうです。この女の子と14歳の男の子(11ベクレル)は実の姉弟です。二人とも体が弱く、予防接種をするだけで体調が悪くなる(ワクチンのせいで軽く発病してしまう。)ということでした。
 11歳の女の子と10歳の男の子は実の姉弟です。弟のほうは最近食欲がなく、顔色も悪くなってきたので、お母さんは心配していました。情緒不安定なのか、よく理由もなく泣くそうです。私が話をしているときも、この子がうっかりコップを倒してジュースをこぼしてしまったのですが、泣き出してしまい、その後30分ぐらいずっと泣いていました。絵葉書をあげたら笑っていたけど、何だか心配な感じですね。
 お母さん自身は甲状腺に良性の腫瘍ができており、それがどんどん大きくなるので、手術するよう勧められましたが、まだ決心していないそうです。

 スラブゴロドは放射能汚染地域です。人口は1万1000人だそうですが、全員に1年に1回甲状腺と血液検査が義務付けられているそうです。それで異常が見つかると、WBC測定も義務付けられます。検査は全て無料です。
 異常が見つからなくても希望する人はWBCの測定ができます。この場合も無料です。しかし無料でも測定に行く人は少ないそうです。測定をしてよくない結果だとしても、ではどうしたらいいのかという対策方法を教えてくれないのが理由だと思います。
ビタペクト3は薬局では売られていないし、今回はチロ基金からあげることができましたが、ふだんはマルチビタミン剤とセルロースで代用するしかなさそうです。
 スラブゴロドには食品の測定もしてくれるところがあり、これも無料で測定してくれます。この一家はきのこの測定など頼んでいるということでした。

 このお母さんは事故が起きたとき30歳で、汚染地域の住民ですから、事故当時のことをよく覚えており、いろいろ詳しく話してくれました。
 これについては後ほど「聞き取り調査」のほうで詳しくご紹介します。

 画像は記念撮影したものです。
 今回も子どもたちに折り紙、折り鶴、折り鶴の作り方(千羽鶴プロジェクト)、日本語で子どもの名前を書いた絵葉書、着物で作った巾着袋などをプレゼントしました。
今回は年齢が高い子どもが多かったので、日本語のことなどけっこうつっこんだ質問がありました。
 このように興味を持ってくれる子が増えてくれるとうれしいですね。

 最後になりましたが、ビタペクト3の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や絵葉書など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に深くお礼申し上げます。ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。