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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

地方メディアのありがたさ~震災関連報道に思う

2011年03月16日 06時04分39秒 | Weblog
地震の後、停電しているときに頼りになったのが、中波ラジオのNHK第1放送や地元の山形放送でした。余震の中で、仙台のスタジオ等から伝え続ける地震報道は、放送マンの職業倫理の高さを感じさせるもので、本当にありがたかった。最初は断片的なものでしたが、徐々に被害の様子がわかってくると、隣県であまり被害のなかった私たちにも、巨大な災害であろうことが伺えました。おそらく不眠不休の努力が続けられているであろう、裏方のスタッフの苦闘がしのばれ、頭が下がります。

そして翌朝、「宮城 震度7」という強烈な見出しの朝刊が配達されたときには、思わず感動しました。全く広告のない八ページ建ての特別紙面を構成するために、取材し、記事を書き、編集し、印刷して配達するまでに、どれほどの時間が許されていたのだろうか。共同通信社のヘリから撮影された写真が中心とはいえ、崩壊したJAやまがた長崎支店の米倉庫やJAさがえ西村山の職員の避難の様子、鳥居にひびが入り立入りを制限した上杉神社、山形市立病院のエレベータに閉じ込められた人の救助活動、全面運休となり混雑するJR山形駅の改札口の様子、地震の影響で隆起した中山町長崎の国道112号の写真など、各地の生の姿を伝えています。記事のほうも、食料品や生活用品を買い求めるために長い列を作る市民や、陸や空の交通の状況、県内の消防隊員が岩手県に即日派遣されたことなど、かなり多面的な記事構成となっています。通信社の記事を生かしながら、地元に密着した取材と編集が行われていることがよくわかります。交通信号が停まり電話も通じない中で、どういう方法で実現できたのか、実に不思議です。もしかすると、非常用電源を備えた専用回線があったのかもしれません。

電気が復旧し、テレビで詳細がわかるにつれて、犠牲者の数は阪神淡路大震災を上回るだろうと感じました。と同時に、犠牲者の人数が何度も繰り返される報道のあり方に、強い疑問も感じました。被災者が聞きたいのは、もっと別のことだろう。私たちが知りたいのも、救援隊の懸命の努力で多くの方々が救出されつづけている事実など、希望をつなぎ励ますような報道ではないかと思います。その意味では、衝撃的な映像を何度も流すだけのテレビ報道よりも、生活に密着した中波ラジオのローカル放送や、目配りのきいた地元紙の報道がありがたいと感じました。

担当されている方々に、感謝と応援のエールを贈ります。
ありがとう、地方メディア!がんばれ、地元メディア!
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ガソリンスタンドに車の列、コンビニの棚はまだら模様

2011年03月15日 06時02分28秒 | Weblog
地震の影響で、仙台市など宮城県内に物流基地があった地域は、大きな影響を受けているようです。開いているガソリンスタンドは、どこも長蛇の列。とくに、宮城県と接する市町の国道沿いには、仙台ナンバーや宮城ナンバーの車が目立ちます。給油や食料・日用品の買出しでしょうか。

当地のコンビニの棚も、パンやカップ麺などは姿を消し、牛乳やレトルト食品もありません。バレンタインのお返しを当て込んだホワイトデー・ギフトや酒類、おつまみ類、清涼飲料などが売れずにずらりと並んでいます。当面、必要ではない、という判断なのでしょう。店員さんの話では、売れそうにないものだけが二日分も届いたそうで、本部も混乱しているんでしょう、ということでした。宅配便も受付を全面ストップ、バスもトラックも燃料が補給できないのですから、陸送も緊急用が最優先になっているようです。

新聞等によれば(*)、出張や旅行中だった人たちが、東北新幹線が不通になり帰れなくなっていましたので、被害の少なかった山形空港では増便し、さらに救援のヘリコプター等の発着の基地としても機能しているため、24時間態勢なのだとか。物流については、仙台市に通じる、例えば国道48号線に近い東根市あたりで支援物資等を集積し、関山峠を越えて陸送するという方法がとられるようです。日本海ルートをとれば酒田港経由の陸送という方法も考えられるのでは、などと想像したりしています(*2)が、そうは言っても今まで電子化に頼っていた物流を臨機応変に変えるには、担当する方々の努力も大変なものでしょう。それは充分にわかりますが、報道を見る限り、なんとか隣県の困窮を救ってほしい!と願わずにはいられません。

当方、ガソリンを節約するため、買い物に出かけるのは当分見送り。不要不急の電気も節約し、厚着をして過ごしております。食料については、幸いに地産地消できるお米や野菜、鶏卵やきのこなどを使って、細々と食べつなぐしかないでしょう。

水曜日からはまた寒くなるそうで、天気予報は雪となっております。被災し孤立されている方々が、一刻も早く救援されることを祈っております。

(*):たとえばこんな記事~被災地復旧へ本県に物資基地、山形空港に国内外から救援機~山形新聞より
(*2):物流、日本海側に比重~読売オンライン山形版
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なんとか、元気です。

2011年03月14日 06時03分40秒 | Weblog
避難して孤立している方々の一刻も早い救援と、行方不明者が一人でも多く無事で発見されますようお祈り申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。



いやはや、びっくりしました。今まで経験したことのない、強く激しく、周期の長い揺れがかなり長い時間続いたので、これは大きな地震だと思いました。揺れている真っ最中にテレビをつけたら、震源地は宮城県沖とのこと。すぐ停電になりましたので、その後の情報は途絶えてしまいました大きな余震が続いたので、これは相当に大きな規模の、普通でない大地震だと感じました。夜は停電で真っ暗になりましたが、ペットボトルや水筒、魔法瓶などに水をたくさん蓄えておいたのと、生産農家の強みで食料には困りません。写真のように、懐中電灯とろうそくで真っ暗な夜を過ごしはしましたが、石油ストーブでお湯を沸かし、湯たんぽと猫たんぽで、寒さにふるえることはありませんでした。

翌朝、私は信号が消えた郊外路を車で出勤しましたが、幸いにほとんど被害はありませんでした。妻のほうは、一人暮らしの老人宅を見回り、声をかけて歩きましたが、皆さんいたって元気そうで、停電の夜は戦時中の生活を思い出したそうです。でも、そうは言っても、心細い思いをしたことは間違いないことでしょう。ふだんから声をかけあう田舎のご近所パワーは、いざというときにはなんとも心強いものです。

我が家のあたりは、地盤が比較的安定しているせいか、震度5とはいっても室内落下物はこけし程度でほとんどなし、いたって落ち着いています。ただし、地盤の関係か、妻の実家のあたりが被害が大きく、門が倒れたり土蔵の壁が落ちたりなどの被害があったとのこと。とりあえずどっさりおにぎりを作って、妻と二人でボランティアに行ってきたところです。

そうそう、福島県にある東京電力の原子力発電所は大変なことになっているようです。宮城県の女川にある東北電力の原子力発電所に関する報道が少ないようですが、いったいどうなっているのか、そちらのほうも心配です。もぐらたたきのように原発事故が連鎖したりしたら、最悪の事態です。なんとかうまく、全基を停止に持っていってほしいところです。

まだまだ強い余震や、内陸直下型の誘発地震の可能性もありそうです。備えよ、耐えよ、希望を持て、ですね。節約生活で乗りきりましょう。
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セカンドバッグの中でPHSの電源が

2011年03月11日 06時04分06秒 | 手帳文具書斎
普段の使用状況では、ほぼ二週間、電池が持つことを確かめておりましたが、セカンドバッグに入れて外出した場合に、なぜか電源が入らなくなってしまうことがありました。調べてみると、いつのまにか放電してしまっています。ひどいときには充電した翌日に!
これはおかしいと、原因を追求すると・・・

(1) 胸ポケットに入れたまま、腕組みをしていた
(2) セカンドバッグに入れたとき、ぎゅうぎゅう詰めになっていた

という共通点がありました。むむ、これは怪しい!と説明書を調べてみると、この機種は、着信時にすぐ応答できるよう、ロックしていても電源スイッチと通話スイッチは動作するようなのです。すると、腕組みをしたりぎゅうぎゅう詰めにしたりすると、パネルを表示し続けることになってしまいます。なるほど、こちらはロックしてあるから大丈夫という先入観が働いていたため、こんな笑える事態になったわけです(^o^)/

以前の Panasonic 製の PHS は、アンテナがロック解除のスイッチになり、着信があったらアンテナを引っ張ると通話ができ、アンテナを戻すと再びロックされました。今回は、ロックされた状態でも通話ボタンは生きている、という落とし穴で、ストレート・バータイプの弱点というべきでしょうか。
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確定申告の準備に追われています

2011年03月10日 06時01分13秒 | コンピュータ
当方、勤め人でありながら週末農業を営む、いわゆる兼業農家ですので、毎年、農業所得について、確定申告をしなければなりません。年度末は、その準備に追われます。領収書をきちんと保管し、その整理をすることはもちろんですが、その他に農協への出荷証明書やら出資額に対する配当金などの収入に対して、土地改良の負担金、農機具共済等の経費および減価償却、肥料や農薬など購買金額、あるいは収穫作業等の雇人経費などの支出を、細かく確認していく必要があります。

正直言って、この仕事を手作業でやるのはかなり大変です。当方、もう何年も表計算の自作ワークシートで処理し、だいぶ手間を省いてきております(*)が、それでも大変な仕事であることに変わりはありません。文字通り「パソコン様様」です。

ただし、計算した結果を、毎年手書きの用紙に転記して、封書で税務署に送付しています。電子申告の制度があることは承知しておりますが、以前、Linux+Firefox で挑戦しようとしたときは、某社の某ブラウザでないとダメよ~ん!と門前払いをくらってしまいました。今も、相変わらず同じなのでしょうか。これもヘンな話で、ホンダの車で病院へ行ったら、トヨタ車でないと受付できませ~ん!と断られるようなものです。なんだかな~と、今も割り切れない思いを抱いております。

まあ、いずれにしろ、この期間の多忙は仕方がありません。ブログ記事にうつつをぬかしているよりも、さっさと領収書を整理しなさい、ということですね(^o^)/

 目標:土曜夜の山形交響楽団第211回定期演奏会までに仕上げること!

(*):確定申告の季節~「電網郊外散歩道」2006年1月
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私の好きな「第(n>9)番」

2011年03月09日 06時07分47秒 | クラシック音楽
「私の好きな『第n番』」という題で、第1番から第9番まで、オールジャンルのクラシック音楽から番号のついた曲を1人1曲ずつ、計10曲を選ぶという試みをしてきました。自分の音楽的な好みの方向性がわかり、なかなかおもしろいものでした(^o^)/

でも、これだと、どうしてもロマン派以降に偏ってしまうのですね。多作家ハイドンはもちろん、ヴィヴァルディやコレルリ、そしてモーツァルトもバッハも、著しく不利になってしまいます。また、番号のない、作曲家渾身の「これ1曲だけ」というものもたくさんあります。
そこで考えたのが、

(1) 10番以上の番号を持つ曲
(2) 番号を持たない曲

を、それぞれノミネートしてみよう、というプランです。

まずは前者からですが、その際に、10番台、20番台、というふうに、細かく区切ることも考えられますが、それぞれに10人10曲をノミネートすることに一苦労しそうです。そこで考えた秘策が、一気に「第(n>9)番」というくくりにしてしまうこと。これなら、第10番でも第999番でもオッケー、候補に悩むことはなさそうです(^o^)/

そして選定した結果は、以下のとおり。

コレルリ 合奏協奏曲Op.6から、第11番
ヴィヴァルディ 協奏曲集「和声と創意への試み」Op.8から、第12番
J.S.バッハ カンタータ第211番「お静かに、お喋りめさるな」(コーヒー・カンタータ)
ハイドン 弦楽四重奏曲第67番「ひばり」
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第10番
シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
メンデルスゾーン 無言歌第12番「ヴェネツィアの舟唄」
ドヴォルザーク スラブ舞曲第10番
マーラー 交響曲第10番

【次点】
ブラームス ハンガリー舞曲第10番

コレルリやヴィヴァルディの曲は、あまりたくさん聴いているわけではありませんので、どうしてもふだんよく聴いているいくつかの録音に偏りがちですなのですが、ヴィヴァルディの第12番RV.449は、また格別。ふつうはヴァイオリン協奏曲として演奏されるそうですが、DENON のイタリア合奏団のCDではオーボエで演奏されており、これがたいへんに魅力的なのです。
モーツァルトについては、後期三大交響曲やセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、あるいは第25番など他のピアノ協奏曲も悩ましいところですが、よく聴く頻度から考えて、これに決定。ハイドンもまた、第77番「皇帝」など他の弦楽四重奏曲やザロモン・セットの交響曲群もあり、選択に悩むところですが、ハイドンらしい明るい曲調が好ましく、こちらを選定しました。ベートーヴェンも、後期の弦楽四重奏曲もあるわけですが、「私の好きな」という冠を付けることを思えば、やはりこちらでしょう。シューベルトについては、弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」という選択肢もありましたが、迷わずためらわず、「死と乙女」を選びました。
メンデルスゾーン、ドヴォルザークは、大曲に偏りがちなところを中和する上でも、きらりと光るところを。とくにドヴォルザークについては、先ごろ実演を聴いたばかりの弦楽四重奏曲第10番という選択肢もあるわけですが、故ジョージ・セルがクリーヴランド管を率いてEMIに録音した「交響曲第8番」にフィルアップされたものが、格別にお気に入りであります。もう若くはないから、という言葉をよく使うようになった頃にこういう音楽を聴くと、ほんとに切なくなりますね~(^o^)/
次点のブラームスは、ブラームス自身による編曲。場合によっては、選手交代するかもしれません。まあ、気分次第で(^o^)/

(*):これまでの結果~私の好きな「第○番」の過去記事~「第1番」「第2番」「第3番」「第4番」「第5番」「第6番」「第7番」「第8番」「第9番
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何を考えているのやら

2011年03月08日 06時05分52秒 | アホ猫やんちゃ猫
当年12歳の我が家のアホ猫、年はとってもまだまだ元気です。元気な娘猫がちょっかいを出すと、猫パンチで撃退しておりますが、あまりにうるさいときは、私か妻の膝の上に避難してきます。きょうは私の膝の上に。やや上から目線で、何を考えているのやら。

うちの娘ったら、ほんとにしょうがないわね~。
いつまで子供なのかしら。
いいかげん、大人の猫になりなさい。
まったくもう。

こんな感じなのでしょうか、クルミの脳みそで(^o^)/

そういえば、今年の初獲物は、たしか先月の下旬でした。例年は今月の上~中旬だと思いましたが、少しばかり動きが早いようです。寒さはまだまだ厳しいけれど、春の足音はすぐそこまで近づいてきております。
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天童市の旧東村山郡役所でひな飾り展を観る

2011年03月07日 06時03分40秒 | 散歩外出ドライブ
三月は、お雛様の季節です。当地では、雪のせいか、ずっと旧暦で飾るところが多い(*1)ため、これからがお雛様の季節となります。山形県内では、河北町のひな祭りをはじめ、あちこちで雛街道が企画されるほどで、伝統のお雛様が展示されます。以前も、何度かお雛様記事を掲載しました(*2)が、今回は、天童市の旧東村山郡役所資料館を訪ねました。



天童市内の旧家に残る古今雛や享保雛などを、山形に多数残る明治初期の下見板系擬洋風建築の一つとして著名な建物の中に展示してあり、なかなかレトロな雰囲気を楽しむことができました。内部の写真は遠慮しましたが、パンフレットでおよその雰囲気をつかむことはできることと思います。期間は4月3日(日)まで、入館料は大人が1人200円。紅花の種もいただいてきました。こんど、畑に蒔いてみましょう。
さて、今年はお雛様を見る人もいないし、半日がかり(*3)ですからね~。どうしましょうかね~。飾ろうか飾るまいか、老母と妻の意向はいかに?

(*1):ひな人形はいつまで飾るか~「電網郊外散歩道」2006年3月
(*2):「もがみ雛めぐり」に行き、ご馳走に感動!~「電網郊外散歩道」2009年4月
(*3):旧暦で飾る雛人形~「電網郊外散歩道」2010年3月
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プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」を聴く

2011年03月06日 06時03分50秒 | -協奏曲
近頃の通勤の音楽は、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」です。アシュケナージのピアノ、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の演奏による、プロコフィエフのピアノ協奏曲全集から。

音楽院卒業の頃、1912年末から1913年にかけて作曲され、同年夏に初演されたそうですが、第1番と同様に、第2番もやはりセンセーションを巻き起こしたのだとか。ただし、現在のスコアは、ロシア革命の混乱で失われた原譜ではなく、1923年に記憶に基づき復元改訂したものだそうです。1923年といえば、作曲者は32歳、アメリカからパリに移った遍歴の時代で、最初の妻カロリナ・コディナと結婚した頃です。日本で言えば、関東大震災が起こり、憲兵甘粕正彦大尉が大杉栄らを殺害するなど、世情騒然とした頃。

楽器編成は、Wikipedia によれば、独奏ピアノ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、タンブリン、弦五部だそうです。

第1楽章:アンダンティーノ。低弦のピツィカートに導かれて、独奏ピアノがメランコリックな第1主題を提示します。これに対し、第2主題は、若いプロコフィエフらしいリズミックで活気あるもの。ピアノ独奏によるカデンツァ風の展開部はいかにも力のこもったもので、初演時、オーケストラは呆気に取られて沈黙していたことでしょう。再びオーケストラが入ってくると、曲はメランコリックな冒頭の主題をちらりと示して終わります。添付リーフレットの解説では、ソナタ風の自由な形式とされています。なるほど、です。
第2楽章:スケルツォ、ヴィーヴォ。三部形式による激しいトッカータ風の音楽です。ピアノ・ソロは、呆れるほどに猛烈にエネルギッシュで、オーケストラも対抗するようにひたすら突進。
第3楽章:間奏曲、アレグロ・モデラート。低弦がうなり、猛獣が咆哮しつつ転がるような音楽、とでも言えばよいのか、まあなんともすさまじいエネルギーを持った音楽です。野獣的な楽想にピアノがグリッサンドでお付き合いするかと思うと、童話的な幻想の要素や、回転する踊りの要素もあったり。ここはほんとにプロコフィエフらしいところです。運転しながら、力感あるリズムに思わず体が動きます(^o^)/
第4楽章:終曲、アレグロ・テンペストーソ。冒頭、軽やかに奔放に始まる音楽は、やがてゆっくりしたメランコリックなピアノ・ソロに変わり、オーケストラも同じ主題を歌います。次第に速い速度にもどり、印象的な全休止の後のピアノソロは、徐々に速度と力強さを増していきます。一転して終結部は速く奔放な音楽に戻り、未練を残さずスパッと終わります。中間部での、ゆっくりした民謡風のファンタジーが印象に残る音楽です。

第1番第3番のピアノ協奏曲にはさまれて、人気の点では一歩ゆずりますが、演奏時間から見れば最も長い時間を要する、プロコフィエフの力作だと言えます。体調おもわしくないときにはちょいと聴くのもつらいものがありますが、春を待つ季節に、粉雪をぬって疾駆するドライブのお伴に、あるいはちらちらと雪が舞う早春の休日にはぴったりの音楽です。

参考までに、演奏データを示します。
■アシュケナージ(Pf)、プレヴィン指揮ロンドン響
I=12'04" II=2'35" III=6'21" IV=11'25" total=32'25"
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また雪!!

2011年03月05日 06時01分05秒 | 季節と行事
朝、起きたらまた雪です。カーテンを開けて外を見たとき、地面に白い物が見えると、思わずため息が出ます(^o^;)>poripori

もう三月だというのに、まだ雪降りが続くとは、冬将軍殿も、そろそろいい加減にしてほしいものですね~。それとも、春の女神が朝寝坊をしているのでしょうか。
う~ん、もう少しよ~、もう少しだけ寝かせてちょうだい~てなもんでしょうか(^o^)/

春の女神さん、あなたが寝坊すると、水仙もクロッカスも梅もフキノトウも、みんな困ってしまうのですよ。室内のデンドロちゃんも、そろそろくたびれたと言って、ぼけて下を向いてしまったではないですか。



春の女神をたたき起・・・いやいや、そっと揺り起こすには、どんな方法があるのでしょうね~。南の地方の皆様、御地では、どのようにして朝寝坊な春の女神を目覚めさせておられるのでせうか(^o^)/
ストラヴィンスキーの「春の祭典」をがんがん鳴らすとか?うーん、その手もあるかもしれない(^o^;)>poripori
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コーヒーと甘味~お土産にいただいたお菓子など

2011年03月04日 06時04分21秒 | Weblog
早朝の一杯のコーヒーは、たいへん美味しく、寒い季節には実にほっと(^o^)します。
これに何か甘味が添えられていれば、なおよろし(*1)。このところ、各地のお土産でいただきものが続きました。

写真の上の方は、近所の娘さんが里帰りしたとかで、イタリアからのお土産だそうです。Sperlari と綴るのでしょうか、このページ(*2)によれば、イタリアの伝統的な Torrone というお菓子の一種なのだそうな。一見すると固くて歯が折れそうなのですが、包装袋の上からすりこ木で荒く砕いてから食べてみると、やがて口の中でとけていき、アーモンドが香ばしい。お土産にいただいたのは、Classico Alla Nocciolla というタイプのようで、やみつきになりそうな、なんだか不思議なお菓子(*3)です。

下の方は、GODIVA のビスケット(*4)。今は双子ちゃんの親となった某夫婦の、最近の海外旅行のお土産だそうです。こちらは、たっぷりチョコレートが盛られたビスケットですので、美味しくいただきました。

いずれも食べてしまってから写真を撮り忘れたことに気がつき、箱だけを撮影したというお粗末(^o^)でした。
それはそうと、なんでもコーヒーが値上がりしているのだそうな。まあ、当方の消費量などたいしたことはありませんので、暖かくなればそれほど暖房費がかからなくなり、コーヒー代くらいは充分にカバーできそうです(^o^)/ その意味では、太陽は実に偉大です(^o^)/

(*1):コーヒーと甘味シリーズ~「電網郊外散歩道」
(*2):Trrone del Festa ~ diario angoscioso torrone
(*3):Sperlari社のホームページ
(*4):GODIVA社の日本語WEBサイト
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岡田暁生『西洋音楽史~「クラシック」の黄昏』を読む

2011年03月03日 06時03分13秒 | クラシック音楽
中公新書で、岡田暁生著『西洋音楽史~「クラシック」の黄昏』を読みました。ちょうど一年前に、同氏の『音楽の聴き方』(*1)を読んでおりますが、前半は興味深く読んだものの、後半はギブアップと言うか、論旨に違和感を感じて、総体的には、残念ながらあまり感心しませんでした。では、今回はどうか。結論から言えば、たいへん興味深く読みました。

本書の構成は、次のようになっています。

まえがき
第1章 謎めいた中世音楽
第2章 ルネサンスと「音楽」の始まり
第3章 バロック~既視感と違和感
第4章 ウィーン古典派と啓蒙のユートピア
第5章 ロマン派音楽の偉大さと矛盾
第6章 爛熟と崩壊~世紀転換期から第一次世界大戦へ
第7章 二〇世紀に何が起きたのか
あとがき

このように、軽装の新書判ながら、西洋音楽の通史となっています。日本の場合、西洋クラシック音楽が「真っ昼間」だった時期はなさそうですので、クラシックの「黄昏」と言われてもぴんと来ないのですが、ヨーロッパの宮廷時代や市民社会が成長する時代のような尊敬を受ける状況ではなくなった、という点では、そうも言えるかもしれません。果たして黄昏に向かっているのかどうか、という点は保留するとしても、本文中の記述は興味深いものがあります。いくつかを、断片的に抜粋してみます。

古典派音楽の作曲技法の特徴は対位法と通奏低音の廃止にあることは承知しておりましたが、本書ではそれを「旋律と和音伴奏だけでできたシンプルな音楽」「低音ではなく旋律がリードする」「(旋律が)自由に躍動する」(p102)などとと表現しており、たいへんわかりやすい。

ハイドンの弦楽四重奏曲Op.33、いわゆる「ロシア四重奏曲」は、仕えている「宮廷からの注文ではなく、当初から出版を目的として書かれていた」という指摘(p110)に、驚きました。良識の人・ハイドン、という印象があるだけに、宮仕えをしながら、楽譜出版を通じて自らを広く世に問うという、新しい時代のやり方を試しているとのこと。これは、けっこう新鮮な驚きです。

さらに、社会的に「音楽における公共空間が成立」(p104)したために、「公的な晴れがましさ」と「私的な親しさ」との均衡を図った音楽が(p112)魅力的に登場し、「対立を経て和解に至る」ソナタ形式は弁論の精神に通じ、「啓蒙の時代が生み出した最も輝かしい音楽形式」(p115)であるとする点も、鋭い指摘です。

また、二十世紀前半の音楽の風景として、「前衛音楽、巨匠の名演、ポピュラー音楽」の併走(p221)だと指摘する点も、なるほどと頷けます。

著作隣接権の保護期間が満了して、多くのステレオ録音がパブリックドメインになろうとしている昨今、巨匠の名演が従来どおり聴かれ続けるのか、それともかつての神通力を失うのか。若い演奏家が次々に登場し、聴衆に支持されていくことができるのか。いわゆる前衛音楽とは違うタイプの音楽が、現代の聴衆に支持されていくのかなど、興味深いものがあります。個人的には、たとえば幸松肇さんの「弦楽四重奏のための四つの日本民謡」のような音楽なら大歓迎。演奏者も別に有名巨匠でなくてもいいし、CD/DVD、あるいはデジタル音源が出たら、いつでも購入したいと思っています。

(*1):岡田暁生『音楽の聴き方』を読む~「電網郊外散歩道」2010年2月
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藤沢周平『春秋山伏記』を読む

2011年03月02日 06時03分46秒 | -藤沢周平
藤沢周平著『春秋山伏記』を読みました。会話に庄内地方の方言を生かした中編で、羽黒山伏の慣習を素材にとった野趣あふれる作品で、新潮文庫による再読です。

第1話:「験試し」。亭主に死なれ、若後家となって貧しい生家に戻ってきたおとしは、畑の帰りに近道をしようとしたばっかりに、三歳の子供が崖から滑り、川の淀みに落ちそうになります。手を差し伸べて支えたものの、ぶら下がる子供の身体が重い。もう駄目かと思ったところを、白装束の大男に助けられます。男は羽黒山の行者で大鷲坊と名乗り、同じ村でおとしの二つ上だった鷲蔵でした。大鷲坊は、村に住み着いていた偽山伏の月山坊を追い出そうとしますが、村の長人は験試しをします。それは、歩けなくなった娘を直せ、というものでした。
第2話:「狐の足あと」。乱暴者の広太の嫁は、内に好色の本性を隠していたのか、またしても間男事件が持ち上がります。ところがそこへ、娘を身売りした金で酒を飲んですっからかんになってしまった男が、困った挙句に間男の脅迫を思いつき、実行したものですから大変です。関係者の口を噤ませ、なんとか隠し通したと思ったら、人の口に戸はたてられず、ついに広太が暴れだす破目に。事を収めた大鷲坊のやり方がユーモラスなもので、読む方も思わず微苦笑です。
第3話:「火の家」。ありもしない噂で火をかけられ潰された家の息子と、偶然に大きな赤犬に咆えられたところを助けられた娘との、ほのかな心の通い合いは、山火事を背景にした命がけの救出劇となり、過去の因縁を捨てる結果をもたらします。映画にすればさぞや劇的であろうと想像される、見事なクライマックスです。
第4話:「安蔵の嫁」。力持ちで働き者だが、男らしくないということで嫁の来手がない安蔵は、刀を持ち気が狂った男が立てこもった納屋をゆさゆさとゆさぶります。あわてて出てきた男を、大鷲坊が金剛杖で捕えます。でも、安蔵の嫁にという娘は出てきません。狐憑きで困っていた娘が、庭で切り倒した栗の木の下敷きになってしまいます。安蔵が自慢の大力で梢を浮かすと、古孤は娘から逃げだし、怪我の治った娘と安蔵は・・というハッピーエンド。多少の怪奇性が加味された、ユーモラスな佳編です。
第5話:「人攫い」。おとしの娘で、以前に赤川の岸で助けてやったおたみが、祭りの夜になぜか姿を消します。母親のおとしは必死になって探しますが、見つかりません。人攫い事件です。大鷲坊は、箕つくりの夫婦が攫って行ったらしいと見当を付け、数人の村の若い衆と、どうしても行くといってきかない母親と一緒に、探索に出ます。山深くにある大鳥を通り、さらに山の奥にあるという箕つくりの村へ、案内人は因縁のあった月山坊でした。途中の波乱は省略しますが、子持ちの後家と羽黒の山伏のハッピーエンドが次のように示唆されて、物語が閉じられます。

「亭主と嫁か」
大鷲坊がぼんやりと呟いた。おとしの肌のぬくみに助けられた昨夜のことを思いだし、この女はもう他人でなくなったのだと思っていた。山伏は巫女を娶るという厄介な定めがあるが、それは何とか考えるしかない。
おとしも昨夜のことを思い出したかもしれなかった。
「誰が見てもそう思いますよ」
にじり寄ってきて、うるんだ眼でそう言うと、大鷲坊の手を取って静かに頬を重ねた。熱い頬だった。



作者が、庄内弁に徹底してこだわった物語のようです。藤沢周平記念館の「春秋山伏記」企画展では、単行本化したり文庫化されたりする都度、少しずつ丹念に庄内弁を手直ししているとのことでした。例えば、「人攫い」では、「家の光」での連載において「たみえ、見なかった?」となっているところを、単行本では「たみえどご、見ねけが?」としています。図録にも、このあたりの事情が、一部ですが収録されています。30年前には鶴岡市民だった私にとっても、地元の会話、たとえば「こげだ家では、嫁もこねさげのう」と笑うおとしの弟の描写など、思わず懐かしくなります。作者の格別の愛着と思い入れを感じるところです。


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上野の科学博物館を見学する

2011年03月01日 06時01分57秒 | 散歩外出ドライブ
まだ雪が残る山形から、陽光があたたかい東京に行くことになり、上野の科学博物館を見学しました。現在、「歴史で見る・日本の医師のつくり方」という企画展が開催中で、興味深く眺めて来ました。展示内容は撮影禁止でしたので、入り口のポスターだけとなりますが、幕末の蘭学から始まり明治・大正期の医師養成の制度や教育内容、戦前・戦中の医師養成の現実や、戦後のドイツ医学からアメリカ医学への変化、最近の大きな制度変更など、なかなか充実した展示内容でした。



常設展示もさらりと見ましたが、「地球館」で天童市に落下した隕石を発見。表示が暗いので、Gimpで部分的に少し明るさをいじってみましたが、やっぱりわかりませんね。右上の大きなものがそれで、鉄隕石(隕鉄?)だそうです。かなり大きなもので、驚きました。流れ星が落ちてきたのを見た人はもっとびっくりしたことでしょうが(^o^)/



出口にあった、バック転じゃなかった、急速潜航!態勢に入ろうとするクジラ(^o^)/ です。


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