電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

地方メディアのありがたさ~震災関連報道に思う

2011年03月16日 06時04分39秒 | Weblog
地震の後、停電しているときに頼りになったのが、中波ラジオのNHK第1放送や地元の山形放送でした。余震の中で、仙台のスタジオ等から伝え続ける地震報道は、放送マンの職業倫理の高さを感じさせるもので、本当にありがたかった。最初は断片的なものでしたが、徐々に被害の様子がわかってくると、隣県であまり被害のなかった私たちにも、巨大な災害であろうことが伺えました。おそらく不眠不休の努力が続けられているであろう、裏方のスタッフの苦闘がしのばれ、頭が下がります。

そして翌朝、「宮城 震度7」という強烈な見出しの朝刊が配達されたときには、思わず感動しました。全く広告のない八ページ建ての特別紙面を構成するために、取材し、記事を書き、編集し、印刷して配達するまでに、どれほどの時間が許されていたのだろうか。共同通信社のヘリから撮影された写真が中心とはいえ、崩壊したJAやまがた長崎支店の米倉庫やJAさがえ西村山の職員の避難の様子、鳥居にひびが入り立入りを制限した上杉神社、山形市立病院のエレベータに閉じ込められた人の救助活動、全面運休となり混雑するJR山形駅の改札口の様子、地震の影響で隆起した中山町長崎の国道112号の写真など、各地の生の姿を伝えています。記事のほうも、食料品や生活用品を買い求めるために長い列を作る市民や、陸や空の交通の状況、県内の消防隊員が岩手県に即日派遣されたことなど、かなり多面的な記事構成となっています。通信社の記事を生かしながら、地元に密着した取材と編集が行われていることがよくわかります。交通信号が停まり電話も通じない中で、どういう方法で実現できたのか、実に不思議です。もしかすると、非常用電源を備えた専用回線があったのかもしれません。

電気が復旧し、テレビで詳細がわかるにつれて、犠牲者の数は阪神淡路大震災を上回るだろうと感じました。と同時に、犠牲者の人数が何度も繰り返される報道のあり方に、強い疑問も感じました。被災者が聞きたいのは、もっと別のことだろう。私たちが知りたいのも、救援隊の懸命の努力で多くの方々が救出されつづけている事実など、希望をつなぎ励ますような報道ではないかと思います。その意味では、衝撃的な映像を何度も流すだけのテレビ報道よりも、生活に密着した中波ラジオのローカル放送や、目配りのきいた地元紙の報道がありがたいと感じました。

担当されている方々に、感謝と応援のエールを贈ります。
ありがとう、地方メディア!がんばれ、地元メディア!
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