電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

変化がほしくなるとき

2009年04月16日 06時39分07秒 | クラシック音楽
同種の音楽を聴き続けると、変化がほしくなってきます。たとえば交響曲の全集を聴き始めたとして、1番からはじめて4番くらいまでくると、違う響きの音楽を聴いてみたくなります。私の場合、どうもこの分岐点が、第4番くらいなのです。実際、マルティヌーの交響曲も4番で止まり、声楽曲に話題が移っていますし、モーツァルトのピアノ協奏曲やベートーヴェンの交響曲なども、間に相当の期間を置いてシリーズを再開しています。その点から行くと、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲は4曲、シューマンやブラームスの交響曲も4曲、なかなか区切りのよい曲数です。
バックアップを取りながらブログの過去記事を眺めていたら、変なことに気づいてしまいました。
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佐伯泰英『梅雨ノ蝶~居眠り磐音江戸双紙19』を読む

2009年04月15日 05時43分19秒 | -佐伯泰英
当方が読み進む速度と作者が新刊を発表する速度がつりあい、一進一退の双葉文庫『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第19巻、佐伯泰英著『梅雨ノ蝶』を読みました。

第1章「番頭殺し」。神田三崎町佐々木玲圓道場の改築は、いよいよ完成に近付き、こけら落としの剣術大会の準備が進められます。その間にも、佐渡金山から悪人どもが抜け出したとか、火事騒ぎに殺人事件と、色々と大変です。
第2章「不覚なり、磐音」。佐々木道場の師範である本多鐘四郎が、依田お市と祝言をあげ、依田家に婿入りすることになっておりますので、佐々木先生は磐音に養子になってくれと頼みます。豊後関前藩へ戻る気はなし、さりとて用心棒稼業の長屋ぐらしでは、おこんと所帯を持ってやっていけるのか。思い悩む磐音は、刺客につい不覚を取り、負傷してしまいます。中川淳庵が適切に処置したので大丈夫とは言うものの、おこんさんは気が気ではなく、寝ずの看病です。発熱による昏睡状態から脱した後の磐音とおこんの会話は、ひたむきな愛情が感じられて、よい場面ですね~。
第3章「怪我見舞い」。今津屋吉右衛門の前で、金兵衛に佐々木玲圓の養子になる話をしたら、金兵衛さん、

「吉右衛門様、おこんは町娘ですよ。お武家のお嫁にはなれませんよ」

と悲鳴を上げます。そりゃそうでしょう、その気持ち、よくわかります。しかし今津屋さんは、おこんをどこか武家方に養女に出し、佐々木家の養子になった磐音と祝言を挙げればよいと知恵を出します。な~るほど!
しかし見舞客の顔ぶれは多彩ですなぁ。それなのに、早々に試合をするなど、トンでもありませんぞ、磐音クン!
第4章「千面のおさい」。佐々木道場の剣術大会の準備が着々と進む中で、盗賊・庚申の仲蔵一味が、千面のおさいという女を使って竹村武左衛門に接触を図ります。さらに、今津屋のお佐紀は懐妊の様子、当座のクライマックスに向けて、粛々と物語は進みます。
第5章「41人目の剣客」。全編、これ佐々木道場の剣術大試合の経緯かと思ったら、違いました。最後に二つほど、庚申の仲蔵一味のエピソードと、磐音に不覚を取らせた男との結着が残っておりました。

なるほど、幕府と縁の深い佐々木家の養子となれば、磐音は将軍家、特に世子家基にぐんと近付くわけですね。そうなれば、反家基派の某田沼父子との確執の真っ只中に飛びこむことになり。一介の浪人に過ぎない男をなぜむきになって倒そうとするのか、という、対立の背景と言うか、必然性が大きくクローズアップされてくることになるわけです。な~るほど。
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記憶に残る農村の寄合の席と音楽

2009年04月14日 06時52分31秒 | クラシック音楽
昨年度は、山形弦楽四重奏団の演奏会で、幸松肇さんの「弦楽四重奏のための日本民謡」を堪能し、あらためてのびやかな民謡の良さを感じました。また、亡き父を送り、様々に工夫された畑や果樹園の設備を体験しながら昔の記憶を断片的に思い出しております。

私が子どもの頃、自宅で寄合(よりあい)が開かれることがありました。農作業上の様々な相談を行った後で、テーブルに簡単な料理を並べ、お酒を酌み交わして、やがて座が賑やかになります。そこで様々な音楽が登場するのです。ある人はお謡を披露し、多くの人たちは民謡を歌うのですが、どうやら流行歌は場違いとされ、唱歌は大人の席には出てこないようなのでした。

同じ民謡とはいっても、「さんさ時雨」や「南部牛追唄」など、静かでしっとりした歌の後には、「花笠音頭」や「真室川音頭」、「ソーラン節」など、陽気でにぎやかな歌が続き、雰囲気を盛り上げ、最後は一番上手な○○さんの父ちゃんが「最上川舟唄」を朗々と歌っておひらきになるのでした。

こうした寄合のルールは割に厳然としたもので、大半は酔っ払っても機嫌良く従っていましたが、中に決定事項に不満があるのか、酒癖の悪い人なのか、宴席が終わってもまだ飲みつづけようとして、会場となった家の家族を困らせることがあります。すると、よくしたもので、ちゃんと別の人が、「当番の家に迷惑はかけられねぇ。おらほうで飲むべぇ。」と、連れて行ってくれるのでした。

古い記憶には美化作用があり、子どもは見たいテレビ番組を我慢しなければならないなど、実態はもっと生々しいものがあったのだろうと思いますが、今にして思えば、農村の寄合の席の音楽は、演奏会のプログラミングにも似て、一定のスタイルがあったのだなあと、回想にふけっております。
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果樹園の病虫害

2009年04月13日 05時52分03秒 | 週末農業・定年農業
老父の病気と死去により、一年以上放置した果樹園のうち、サクランボのほうはなんとか剪定をしましたが、他の果樹までは手が回りませんでした。晴天に恵まれた日曜日、ウメ、リンゴ、モモ、ナシ、プルーンの剪定をしました。脚立をかけ、剪定ノコギリと高所剪定ハサミを持って、伸びすぎた徒長枝を切り落とします。よく見ると、カイガラムシにやられた枝が目立ちます。写真は、ウメシロカイガラムシにやられたウメの病枝です。とにかく切り取って焼き捨てることにしました。先日行ったハーベストオイルによる防除が効果を示し、これ以上の広がりを食い止めてくれるとよいのですが。
(*):Wikipedia より「カイガラムシ」

さて、今日からは再び単身赴任生活に戻ります。
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山形弦楽四重奏団第31回定期演奏会を聴く

2009年04月12日 05時09分29秒 | -室内楽
ぽかぽか暖かな陽気、一斉に花開く山形の春です。11日の土曜日、山形弦楽四重奏団第31回定期演奏会を聴くために、文翔館ヘ向かいました。プライベートでの課題に一歩前進が見られた後ですので、気分も爽やかです。
プレコンサートは、アンサンブル・ともズ(Ensemble Tomo's)のお2人。ヴァイオリンの茂木智子さんと、ヴィオラの田中知子さんです。ハイドンの「6つのヴァイオリンとヴィオラのためのソナタ」から、第6番。春らしく、暖かな音楽です。

続いてプレ・コンサート・トークは、中島光之さん。さすがは元国語の先生ですね。簡潔に的確に曲目を紹介するトークは、一語の無駄もありません。ハイドン、シュターミッツ、服部公一、ベートーヴェンの四人の作曲家の、ほぼ30代の作品を取り上げたプログラムは、カルテットの四人のメンバーも同世代の親近感を持って演奏できるもの、とのことです。

さて、ステージ左から右へ、第1ヴァイオリンに中島さん、第2ヴァイオリンに駒込さん、ヴィオラが倉田さんでチェロが茂木さんと、楽器の配置も少々変更がありましたし、そもそも第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの交代を行わず、役割を固定しての試みです。駒込さんは黒のロングドレス、男性三名は同じく黒の略式服でしょうか、それともダークスーツなのでしょうか、蝶ネクタイではなくふつうのネクタイです。髪を切ったらしい茂木さんの黄色いネクタイがよく似合います。中島さんと倉田さんは紺系のネクタイなのでしょうか、照明の関係でネクタイも黒に見えてしまい、一瞬、喪服スタイルかと錯覚(^o^)/

最初の曲目、ハイドンの弦楽四重奏曲ト長調、Op.17-5「レスタティーヴォ」、第1楽章、モデラート。出だしから素敵なアンサンブルに、なんだか一皮むけたみたいな感じがします。第2楽章、メヌエット:アレグレット。第1ヴァイオリンの後ろで、第2ヴァイオリンとヴィオラとチェロが奏する響きのすてきなこと!第3楽章、アダージョ。ほんとにオペラのレシタティーヴォのように、声と言葉の代わりに、弦楽で表現しようとしたかのような音楽です。第4楽章、フィナーレ:プレスト。なかなかいい曲、そしていい演奏!春の日らしい、前向きな音楽でした。

続いてシュターミッツのクラリネット四重奏曲です。ステージ左から、ヴァイオリンの中島さん、ヴィオラの倉田さん、チェロの茂木さんに、右側にクラリネットの郷津隆幸さんが座ります。第1楽章、アレグロ。弦楽三重奏にクラリネットが加わったような編成で、ヴァイオリンとヴィオラが組んでクラリネットと掛け合い、チェロがピツィカートを交えつつ低音を支えるような感じです。流れるように歌う、楽しい曲です。チェロの茂木さんが調弦を確かめ、第2楽章、ラルゴ。クラリネットが、甘い高音と、意外なほど低い低音との間を行き来しながら。第3楽章、Allemande これはアルマンドと読むのかな?くるりくるり回り踊る、陽気な舞曲のようです。

三人目は、服部公一さんの「弦楽四重奏のための二楽章」。作曲者37歳の、1970年の作品だそうです。郷津さんが退き、駒込さんが加わって、オリジナルメンバー4人に戻ります。第1楽章、モデラート・エスプレッシーヴォ。ずらしのテクニックなどを多用し、ピツィカートが四人の奏者の間を行き来します。この楽章は、やや不安気な要素がありますが、第2楽章も同じモデラート・エスプレッシーヴォの指示にもかかわらず、時折日本の伝統音楽あるいは民謡風の節回しも登場し、なかなかかっこいい音楽です。エネルギッシュなフィナーレに、聴衆から大きな拍手が送られ、作曲者の服部公一さんがステージに近づき、中島さんと握手を交わします。なかなか気合の入った音楽で、当方もたいへん気に入りました。

15分の休憩時に、次回、第32回定期演奏会の前売券を購入しました。客席を見渡すと、地味な曲目のわりにお客さんの入りも多く、90人は越えていそうです。人口20万人規模の地方都市、周辺人口を入れても40万人規模の地域で、コアな室内楽の定期演奏会にこの聴衆というのは、けっこう多いのではないかと感じます。もともと、厳本真理弦楽四重奏団の時代から室内楽の素地のあった地域とはいえ、山形弦楽四重奏団の活動の成果であることは疑いのない事実でしょう。当方のような一音楽ファンにとっては、実にありがたいことです。

さて、後半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番、ヘ長調Op.18-1。当方のお気に入りの曲目でもあり、今回のプログラム中、もっとも期待を持っているものでもあります。第1楽章、いかにもベートーヴェンらしいアレグロ・コン・ブリオ。ヴィオラの刻みが、いつも聴いているCDよりずっといい音に聞こえます!たいへんに緊密なアンサンブルです。第2楽章、アダージョ・アフェットゥオーソ・エ・アパッショナート。開演前の中島さんの解説によれば、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にインスピレーションを受けて作曲されたという、緊張感に満ちた緩徐楽章です。悲痛な表情の中にも甘美さがあります。第3楽章、スケルツォ:アレグロ・モルト。ふっくらとした柔らかさのあるスケルツォです。第4楽章、アレグロ。すでに貴族のアマチュアが演奏して楽しむための音楽ではなくなっているようです。飛ぶような速さのパッセージがあるかと思えば四者の緊密なバランスも求められ、しかもフィナーレの解放感も必要になってきます。気力、体力ともに要求される音楽を、山形弦楽四重奏団は十分に表現していたと思います。

なんだかエラそうな物言いですが、今回の定期演奏会は、一段と成長し、一皮むけたような印象を受けました。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの固定も成功しているのではないかと思います。もう次の定期演奏会が楽しみです。第32回は、7月26日(日)、夕方18時の開演、ハイドンの「皇帝」やメンデルスゾーンの6番など、これも楽しみな曲目です!


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私の好きな「第3番」

2009年04月11日 07時31分27秒 | クラシック音楽
オールジャンルで、作曲家1名につき1曲のみという制約がつきますが、とにかく該当する番号の、好きな音楽10曲を選ぶ試みです。第1番(*1)、第2番(*2)に続き、第3番の巻。第3番は、有名どころが多く、選ぶのには苦労しませんが、1人1曲に絞るのに苦労します。

バッハ ブランデンブルグ協奏曲第3番
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」
メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」
シューマン 交響曲第3番「ライン」
ブラームス 交響曲第3番
ドヴォルザーク ピアノ三重奏曲第3番
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」
マーラー 交響曲第3番
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番

次点
ブルックナー 交響曲第3番
オネゲル 交響曲第3番「典礼風」

こんなところでしょうか。
バッハは、華麗な管弦楽組曲第3番と最後まで迷いましたが、第2番で管弦楽組曲を選んだこともあり、今回はこちらを。
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、「何かいいことありそうな」日曜の朝にでも聴きたい音楽ですし、おでかけ前にもよろしいでしょう。
ベートーヴェンは、これはもうこの1曲だけで堂々たる火山が屹立するようなもの。東北の山にたとえれば、朝日連峰の主峰・大朝日岳のようなものでしょうか。ベートーヴェンは、チェロソナタ第3番をとも考えないでもなかったのですが、やっぱり「エロイカ」でしょう。
メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスは、ロマン派三大「第3番」交響曲ではないかと思います。馥郁たるロマン派の香りをいっぱい身につけたシンフォニーです。いずれも、弦楽四重奏曲やピアノ四重奏曲などの、強力な「第3番」があるのですが、こうして並べてしまうと、やっぱりセットで取り上げたいという気になります。
その分、ドヴォルザークは室内楽で。第1番で取り上げられなかったピアノ三重奏曲を、第3番で取り上げました。これは、第4番「ドゥムキー」のように愛称はついていませんが、なかなかいい曲です。
思わずアクセルを踏みたくなる衝動に駆られる、サン=サーンスの「オルガン付き」交響曲第3番は、交通安全運動中のマイカー通勤の音楽にはまことに不向きではありますが、自宅のステレオ装置で聴く時には、後半の高揚する響きはまた格別です。
長大なマーラーの交響曲第3番は、長距離通勤の友でしょうか、あるいは遠距離出張の親しい道連れかも。CD1枚には収まらない長さですので、MP3等の形式にするなど、携帯音楽プレイヤーに適している曲なのかもしれません。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、アルゲリッチ(Pf)とアバドや、グラフマン(Pf)とセル/クリーヴランド管の演奏などで愛聴しておりますが、ほんとに20世紀の名曲の一つだと思います(^_^)/
次点は、ほんとに惜しいところで、気分次第でサン=サーンスあたりと入れ替わるところです。

(*1):私の好きな「第1番」~電網郊外散歩道
(*2):私の好きな「第2番」~電網郊外散歩道
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里山を歩き、野の花を撮影する

2009年04月10日 05時46分44秒 | 散歩外出ドライブ
忙中閑あり、里山を散歩していると、小さな花の群生を見つけました。林縁の日当たりの良い場所に、白い花と青い花がたくさん咲いておりました。



さっそく写真に撮り、調べてみると、どうやらキクザキイチゲという花のようです。類似の花に、アズマイチゲというのもあるようですが、葉っぱの切れ込みの深さが、たしかに深いようです。これなら、キクザキイチゲと断定してもよさそうです。

Wikipedia(*)によれば、キクザキイチゲは、カタクリやフクジュソウなどと同じく、スプリング・エフェメラル(spring epemeral) と呼ばれる植物だそうで、春先に花を咲かせ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす草花のことをいうのだそうな。「春の儚いもの」「春の短い命」などの意味なのだそうで、なかなか味のある命名です。
そういえば、昨年はカタクリの群生を発見しています。もうすぐカタクリも咲く頃でしょう。楽しみです。

(*):Wikipedia より~「キクザキイチゲ」
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N響アワーのありがたさ

2009年04月09日 05時56分04秒 | クラシック音楽
先頃、13年の長きにわたりN響アワーの司会をつとめ、的確な解説と軽妙な駄洒落で信頼され親しまれていた池辺晋一郎氏が退き、西村朗氏にバトンタッチしました。
岩槻里子さんとコンビをくんでの第一回目の放送では、まだ慣れないためでしょうか、緊張の様子がありありとわかりましたが、軽妙な駄洒落連発の池辺さんとは違い、乗ってくると熱弁をふるうタイプの方とお見受けしたところです。
曲目は、チャイコフスキーの交響曲第5番を全曲。これも、いい曲・いい演奏でした。
N響アワーは、特に協奏曲などで、国際的に活躍している演奏家の近況を知ることができ、音楽ファンには嬉しい番組です。「芸術展望」が花の金曜日の夜に移行してからは縁遠くなってしまいましたが、こちらは、日曜夜九時というゴールデンタイムの時間枠を確保しているのがありがたい番組になっています。
さて、今後の放送予定は、次のとおり。楽しみです。
■4月12日、「オーケストラって何ですか?」
■4月19日、「名曲の難所・急所」
■4月26日、「シュトラウスの交響宇宙」
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ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第3番」を聴く

2009年04月08日 06時03分29秒 | -室内楽
室内楽は、いいものです。オーケストラ音楽の多彩な音色やダイナミックな響き、とくに演奏会で実際に聴くときの楽しさ、ワクワク感は格別です。ですが、室内楽には見通しの良さというか、少人数で音楽を作り上げるがゆえに、一人一人の奏者の呼吸や意図が比較的明確であるという特徴があるように思います。とりわけピアノ三重奏の場合、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの各奏者が、それぞれ緊密なアンサンブルを展開しつつ、なお自己主張し合うような面白さがあります。これは、弦楽四重奏の求心的な親密感とはまた少し異なる、独特の面白さであるように感じます。

近頃とくに集中している、室内楽の大家でもあるドヴォルザークの4つのピアノ三重奏曲のうち、第3番を聴きました。

この曲は、1882年の12月に母の死を経験した翌年、作曲者42歳の1883年の2~3月にかけて作曲されたもので、同年秋に若干の改訂を施し、作曲者自身のピアノと、ラハナー(Vn)、ネルダ(Vc)とにより、同年10月に初演されたものだそうです。この年は、ちょうど古いフス派の聖歌を主題とする劇的序曲「フス教徒」が書かれたころでもあり、ハンスリックに「ウィーンに来ないか」と誘われ、だいぶ葛藤があった頃で、けっきょくチェコにとどまることを選択したドヴォルザークには、不惑の頃とは言いながら、悩みが尽きなかったことでしょう。

第1楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ヘ短調。チェロに導かれて始まる冒頭から、かなり激しい感情が表されるようです。しかも、悲しみとも嘆きとも怒りともつかないような、緊張感に満ちています。
第2楽章、アレグレット・グラツィオーソ、嬰ハ短調。弦が規則的なリズムをせわしなく刻む中で、ピアノが民族舞曲ふうの主題を奏します。中間部では、規則的なリズムは後退し、ヴァイオリンとチェロが旋律を奏でますが、再びせわしないリズムが復帰します。曲中もっとも短く、スケルツォ楽章に相当するのでしょうか。
第3楽章、ポコ・アダージョ、変イ長調。憂い顔のチェロが第1主題を奏でると、ヴァイオリンとチェロが追いかけるようにカノン風に対話を交わします。優しく繊細な、心にしみるような緩徐楽章です。
第4楽章、アレグロ・コン・ブリオ、ヘ短調。チェコの民族舞曲フリアントのリズムに乗って、これを主題としたロンド形式で書かれた楽章です。古典的な解決にとらわれない、決意のほどが表されているのでしょうか。

演奏はスーク・トリオ、ヤン・パネンカ(Pf)、ヨセフ・スーク(Vn)、ヨセフ・フッフロ(Vn)の三人からなる、常設のピアノ・トリオでした。録音は、デジタル初期に属する1977年5月2~3日、プラハのスプラフォン社ドモヴィナ・スタジオで行われたもの、と記載されていますが、明快な、しっかりしたものです。型番は、DENON の COCO-70443 です。

■スーク・トリオ
I=13'09" II=6'47" III=9'48" IV=10'10" total=39'54"
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藤沢周平『神隠し』を読む

2009年04月07日 06時13分05秒 | -藤沢周平
新潮文庫で、藤沢周平著『神隠し』を読みました。昭和54年に刊行された短編集を文庫化したもので、時期としては直木賞受賞後に発表されたもののようです。ごく短いものが多く集められており、後年のものよりも、未発表初期作品集に収録されたものとの親近性が強いと感じられます。
「拐し」から表題作「神隠し」まで、11の短篇からなり、読んで心楽しいというよりは、リアルで切なく苦い味のものが中心です。
とりわけ印象的なのは、「疫病神」「鬼」「桃の木の下で」「小鶴」などで、とくにサスペンスふうの「桃の木の下で」は、意外性のある謎解きと解決が、珍しく少し甘さのあるロマンティックなハッピーエンドの形を取っているのが注目されます。
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「もがみ雛めぐり」に行き、ご馳走に感動!

2009年04月06日 05時55分04秒 | 散歩外出ドライブ
結婚前に相談にのり、先ごろ双子の赤ちゃんが生まれた若夫婦(*1)のご実家からお招きを受け、先日、休みを取って妻と二人で出かけてきました。たくさんご馳走になり、もうおなかいっぱい。良い機会ですので、少し足を伸ばして、「もがみ雛めぐり」も楽しんで来ました。



上の写真は、金山町の「草々」で拝見した丸井家のお雛様。



同じく、川崎家のお雛様です。左側には、かなり大きな、御所を模したような立派なお雛様が飾られています。



川崎家は、旧郵便局前の呉服屋さんです。

こちらは、お供えのご馳走に思わず感動した、某家のお雛様。



「もがみ雛めぐり」で、大きさも種類も新旧様々なお雛様を見てきましたが、感心したのは、お雛様にお供えするご馳走の見事なことです。手作りの意匠を凝らしたのり巻きやちらし寿司、くじら餅やひな餅、団子やかど焼き、煮物など、それはそれは立派で美味しそうなものばかり。







当方は、老父の病気入院と死去で、昨年も今年もお雛様を飾る余裕もなく、あわただしく過ごしてしまいましたが、娘と孫たちが来たときに喜ぶように、1年に1回、お雛様を出して飾ってあげないとなあ(*2)、と感じたことでした。

(*1):双子の赤ちゃんを見に行く~電網郊外散歩道
(*2):半日かけておひな様をかざる~電網郊外散歩道
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新米農業後継者、生まれて初めて果樹園の消毒をする。

2009年04月05日 05時15分06秒 | 週末農業・定年農業
ここしばらく、週末にはかかりきりになっている「果樹園防除プロジェクト」ですが、ようやく実施の運びとあいなりました。実は、チェーンソーとスプレーヤの修理をしてくれたKさんが、さすがに見るに見かねてでしょうか、「教えてあげましょう」と、土曜の朝6:00に、わざわざ我が家まで来てくれたのです!
いや、実にありがたい申し出です。感謝感激、修理が完了したスピード・スプレーヤも快調です。
早朝の使い方講習会の内容を、一言も聞き漏らすまいと、新米農業後継者も緊張します(^o^)/
後々のために、以下、当方の備忘メモです。



スピード・スプレーヤは、ディーゼル・エンジンです。起動するには、クラッチをぐっと踏み込み、まずキーを左に回したまま数十秒、真上の小窓に予熱フィラメントが赤くなるのを待ちます。アクセルを少し踏み加減でキーを右に回し、エンジンを始動します。



ハンドル左脇の操作部です。ポンプ・スイッチを入れ、エンジン回転数は2500~3000回転くらいに保ち、左・中・右の三つに分かれた個別バルブを開き、噴霧バルブを開くと消毒液が出ますので、ファンのスイッチを入れると噴霧されます。



こちらは、スプレーヤ本体の右後部のボンネットを開いたところ。燃料の軽油タンクと、右側の前後ノズルのバルブが見えます。慣れないうちは速度を出せないので、前ノズルだけを用いてゆっくりと移動しながら散布するほうがよいでしょうとのこと。ローギアで二速くらいがちょうどよいそうで、そういうノウハウはやっぱり実務経験者でないとわかりません。たいへんありがたい。朝食前に、基本的な使い方の手ほどきを受け、あとは実践あるのみと励まされ、週末農業後継者は勇気百倍でした。いや、ありがたいものです。Kさん、ほんとにありがとう!



朝食後、写真のように園地をまんべんなく散布することができ、おかげで午前中に懸案の消毒作業がすっかり完了いたしました。良かった~。お風呂に入り、頭からシャワーを浴びて石けんでよく洗い、すっきりして一安心。老父も天国でにっこりしていることでしょう(^o^)/
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ポンプで地下水を汲み上げるには

2009年04月04日 19時41分50秒 | 週末農業・定年農業
果樹園防除プロジェクトと勝手に命名し、プライベートでは春季最大の課題と位置付けて取り組んでいる、サクランボの消毒作業のために、スピードスプレーヤの修理も依頼し、動力噴霧器の点検も終えて、さて次は消毒液の調製です。マシン油の懸濁液が主成分のハーベスト・オイルを希釈し、散布できる濃さにして、数百リットルを用意するために、いちいち水道を使うわけにはいきません。水道代も大変ですが、タンクに満タンになるまで時間がかかり、作業効率が上がりません。
そこで、老父が設置していた汲み上げポンプで、地下水を汲み上げ、利用することにしました。
農業用汲み上げポンプのてっぺんにあるバルブを開き、呼び水をバケツで3回も4回も注入し、いっぱいになったところでバルブを閉めて動力モーターのスイッチを入れると、少々時間はかかりますが、やがて地下水がどんどん汲み上げられるようになります。直径50mmΦのホースで、タンクはたちまち一杯になるでしょう。これならばっちり大丈夫です。

こうして一つ一つ覚えていくと、80歳を越えてなお様々に工夫し農業を楽しんでいた老父の喜びがわかるような気がします。
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アホ猫がまだ仔猫だったとき

2009年04月04日 05時07分35秒 | アホ猫やんちゃ猫
娘が引越の準備をしていると、我が家のアホ猫がまだ仔猫だったときの写真が出てきました。たった一度だけお産を経験した母猫から、一度に五匹が生まれ、きりょうよしの順にもらわれていきました。三匹が残り、次はアタシかな~と背伸びをしているのでしょうか。
やがて左右の二匹ももらわれていき、ついに売れ残った中央の三毛猫をどうするかが話題に。
しょうがないから捨てようか、と言ったら、まだ小学生だった息子が、「ぼく、また拾ってくる」と。
それでは仕方がありません。とうとう二匹も飼うことになってしまいました(^o^)/

おい、おまえ、息子は命の恩人なんだからな。



「フン、アタシは最強よ!」

さて、今朝はこれから果樹園の防除作業の予定。一週間遅れてしまいました。花芽に影響がでないといいけれど。
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ハルトマンの交響曲第4番を聴く

2009年04月03日 06時07分55秒 | -オーケストラ
グラモフォン社の「ラファエル・クーベリックの芸術」シリーズから、バイエルン放送交響楽団を指揮した、カール・アマデウス・ハルトマンの「交響曲第4番」全3楽章を聴きました。このところ、通勤の音楽で耳に慣れ、アパートでも一人でじっくりと聴いています。厳しく悲痛な音楽です。

カール・アマデウス・ハルトマンは、1905年にミュンヘンで生まれ、1920年代から30年代にかけて、当時のストラヴィンスキー等の新古典主義やマーラーや新ウィーン楽派等の表現主義の影響を受けながら作曲家として成長します。しかし、リベラルで反ファシズムの作曲家が、ナチスドイツの台頭の中で「現代音楽」作品を発表できる当てもなく、第二次大戦中は妻の実家の資産で暮らしながら「抽斗(ひきだし)のため」に作曲しつつ、オーストリアでウェーベルンに作曲を習っていたのだとか。戦後、公然と作品を発表できるようになると、現代音楽運動の旗手として、ミュンヘンの音楽活動の中心人物となります。1961年、指揮者であり作曲家でもあるクーベリックがミュンヘンにやってきて、バイエルン放送交響楽団を指揮するようになると、マーラーを愛好する二人は急接近するようになります。Wikipediaの解説(*1)や、本CD(DG UCCG-3963)に添付の日本語解説などを読むと、このあたりの事情がよくわかり、なるほど、です。

ハルトマンの交響曲第4番は、戦時中に書かれた「弦楽とソプラノ独唱のための交響曲」から声楽部を削除・改訂し、戦後に発表された弦楽合奏のための作品で、3つの楽章からなっています。
第1楽章、レント・アッサイ~コン・パッショーネ。冒頭から、ただならぬ緊張感に満ちて、弦楽合奏による息の長い主題が歌われます。
第2楽章、アレグロ・ディ・モルト、リゾルート。執拗でエネルギッシュな常動曲が、やがて身振りの大きな旋律の形となり、しだいに高揚していきます。
第3楽章、アダージョ・アパッショナート。ソプラノによる声楽部を削除した後に追加された悲痛なアダージョで、戦後の作品。CDに添付の解説リーフレットでは、ファシズムの犠牲者に捧げる哀悼の音楽とされています。

20世紀の音楽の場合、なぜ厳しく悲痛なものが特徴的なのか。それは、おそらく歴史上初めて経験した、二度の世界大戦の経験によるものが大きいのだと思います。それ以前には、戦争といっても局地的なものであり、ある国で戦争が起こっても、国王や貴族とともに別の国に逃げて行けば、作曲家や音楽家が直接戦争に巻き込まれることは少なかったでしょう。ところが20世紀には、世界中の主な国々が否応なく戦争に巻き込まれ、しかもいつ果てるともしれない塹壕戦や、機械化された戦争、毒ガスや核兵器など悲惨な兵器の使用、軍人でない民間人の大量虐殺など、衝撃的な現実を経験せざるを得なかったのだろうと思います。そのとき、音楽家が自分の深刻で悲痛な感情を表現する手段として、それまで用いて来た、美しいハーモニーや軽快なリズムなどはそぐわないと感じたためではないか。
また、書かれた音楽が、戦後に多く開かれた、戦争の犠牲者たちの鎮魂の行事や式典などで発表されることが多かったことなども、反映しているのかもしれません。
西洋音楽の内的な進化の過程として、和声の崩壊や無調の音楽などが説かれることも理解はできますが、私には、どうも音楽自体の進化論で説明されるよりも、歴史的背景や時代の影響のほうが強く感じられてしまいます。

参考までに、演奏データを示します。
■クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
I=14'37" II=10'06" III=7'16" total=31'59"

(*1):Wikipediaより、「カール・アマデウス・ハルトマン」
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