電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ビゼー「アルルの女」組曲を聴く

2007年02月14日 06時48分43秒 | -オーケストラ
図書館で借りて来た『トップランナー』に、サキソフォン奏者の須川展也さんが出ており、たいへん興味深く読みました。
実は、だいぶ前に須川さんのリサイタルを聴く機会があり、サキソフォンの素晴らしい音色に、うっとりとなったことがあります。サキソフォンといえば、ジャズを思い出すくらいですが、もともとはクラシックの楽器なのですね。ビゼーの「アルルの女」(*)に出てくるサキソフォンの話に、思わず同曲のCDを取り出して・・・。見事にミイラ取りがミイラになってしまいました。

写真右下のCDは、先日の山形交響楽団の1月定期演奏会で入手した飯森範親指揮の山響ライブCDで、R.シュトラウスの「イタリア」とビゼー「アルルの女」第1・第2組曲カプリングされたもの。シュトラウスの「イタリア」も珍しい曲目と言ってよいかと思いますが、「アルルの女」がなんともフレッシュな、活きのよい演奏です。楽員のみなさんが、「のっている」のがわかるようです。

【第1組曲】
第1曲、プロヴァンス民謡をもとにしたと言われる「前奏曲」。アルトサキソフォンが登場します。それにしても、サキソフォンは独特の音色ですね。昔、中学校の鑑賞曲として聞いた記憶があるなぁ。
第2曲「メヌエット」、田舎の祝宴だそうです。
第3曲「アダジェット」、弱音器をつけた弦楽器の四部合奏。
第4曲「カリヨン」、冒頭の音型、鐘の音を模倣したのだそうですが、ほんとにそんな感じです。フルートの活躍が見事です。

【第2組曲】、こちらはビゼーの死後、友人のギローが編曲しました。
第1曲「パストラール」、ピッコロの活躍ががぜん目だっています。オーケストラの盛り上がりも見事です。
第2曲「間奏曲」、中間部のサキソフォンが甘い音色で、ハープの音とともに、近代的で自由な意識を感じさせるようです。
第3曲「メヌエット」、こちらは有名なほう。冒頭のハープとフルートの旋律がうっとりするような美しさです。
第4曲「ファランドール」、第1組曲の第1曲「前奏曲」で出てきたメロディが再び堂々と現れ、プロヴァンスの軽快な舞曲ファランドールも登場し、両者が重なり合ってクライマックスとなります。オーケストラの技量が明瞭にあらわれるところでもあり、なかなかすばらしい演奏だと思います。

録音は、2006年3月に山形テルサホールでの定期公演をライブ収録したもの。5chサラウンドSACDとなっており、オーディオ的にも面白いものです。

■飯森範親指揮山形交響楽団(CD: OVCX-00031)
第1組曲 I=6'34" II=2'59" III=3'09" IV=4'01" total=16'43"
第2組曲 I=5'15" II=4'01" III=3'53" IV=3'19" total=16'28"

もう一つ、カラヤン指揮ベルリンフィルのCDも持っていますが、こちらはゆったりしたテンポでレガート奏法を徹底した耽美的な演奏。今の気分としては、若い演奏家のフレッシュな成果にじっくりと耳を傾けたいところです。

(*):「アルルの女」~Wikipediaより
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暖冬少雪の思わぬ影響

2007年02月13日 21時42分13秒 | 季節と行事
例年にない暖冬少雪の今冬、各地の自治体では除雪費が例年実績の半分以下で、余りそうだといいます。昨年の豪雪では、特別予算を組んでしのいだだけに、自治体の予算関係者はホクホク顔でしょう。

ところが、暖冬少雪を喜ばない人もいます。その代表が、毎年冬季の除雪を請け負っている建設業者でしょう。県や市町村の委託を受けて道路を除雪する例もあれば、病院やスーパーといったところから駐車場の除雪を依頼されるケースもある。これらがパタッと止まるのですから、事態は深刻です。除雪機のオペレータとして、豪雪の中を未明から活動する季節労務者も、生活の当てが失われてしまいます。

大雪の年には拝み倒されて未明から出動し、少雪の年にはお声もかからない。業務の平準化などのできない、お天気しだいな仕事なだけに、業者も働く人もさぞや困っていることでしょう。雪も迷惑なばかりではない。お金を地域社会に回す働きもしている、ということでしょうか。
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手造り「かりん糖」を買いに上山へ

2007年02月12日 06時17分28秒 | 散歩外出ドライブ
先日、知人にいただいた手造り「かりん糖」がたいへんおいしかったので、上山市の利久堂を訪ねました。ところが、あいにく日曜日はお休みとのことで、お店は閉まっていました。残念がっていると、近所の人に「上山城に行けば、売ってるよ!」と教えてもらい、さっそく上山城へ。



急な坂道を登り、丹野こんにゃく店とのぼりの出ている休憩所内のおみやげコーナーをのぞくと、利久堂の手造り「かりん糖」が出ていました。



ついでに大蔵屋の「黒胡麻きなこ飴」も一緒に買い求め、みぞれ気味の天候の中を帰りました。自宅に戻り、緑茶でいただきましたが、素朴な黒砂糖の味で、やっぱり格別においしいです。


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『小説家を見つけたら』を読む(2)

2007年02月11日 09時50分36秒 | -外国文学
本来はこういう文庫を手にすることはなかったであろうに、某ブックオフで105円という値段とショーン・コネリーの顔につられて、ついでにDVDまで購入したJ.W.エリソン著『小説家を見つけたら』(石川順子訳、ソニー・マガジンズ文庫)。先日(*)の続きです。

物語は、バスケットボール・チームと作文の授業を中心に、ジャマールの学園生活が展開されます。同じバスケ・チームのハートウェルはジャマールをライバル視し、なにかと対立します。作文のクロフォード先生は、ブロンクス出身の黒人少年の作文の質の高さに驚嘆し、盗作を疑います。それが思わぬ展開をうみ、ジャマールは窮地に立たされてしまいます。

作文コンクールにジャマールが提出した作品が、ピュリッツァー賞を受賞した大作家と同じ題名であったことから、審査会で説明を求められますが、ジャマールはフォレスターとの約束を守り、一切弁明をしません。バスケットボールの試合も、大事な場面でフリースローを落とし、クロフォード先生と理事会への謝罪を拒否したジャマールには、退学の道しか残されていませんでした。

ところが、対人恐怖、群集恐怖に捕われていたウィリアム・フォレスターが、メイラー校の作文コンクール発表会場に現れ、スピーチをさせてほしいと言います。大勢の生徒の前で見事なスピーチをしたフォレスターの原稿は、実は彼のオリジナルではなかった。それは、・・・という物語です。



環境に恵まれない少年のサクセス・ストーリーの展開を基本とする、アメリカらしい物語です。ブロンクスの生活と仲間の率直さに、メイラー校に代表される富裕な社会の雰囲気とを対比させつつ、いったん筆を折ったウィリアム・フォレスターの秘密と、若い友人に最後の作品と希望を託して命の尊厳を全うするエピローグなど、少年向けとばかりは言えない香りもあります。

映画の方も、ショーン・コネリー扮するウィリアム・フォレスターが格調高く素晴らしい演技です。古風なタイプライターや、タイプされた原稿が年代順に納められたファイル・キャビネットなど、懐かしいものがいっぱい登場します。ワードプロセッサを用い、ハードディスクに格納される原稿の保管に慣れ切っていますが、たしかに格調は失われたよなぁ、と感じてしまいます(^_^;)>poripori

(*):『小説家を見つけたら』を読む(1)
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ブルックナー「交響曲第8番」を聞く

2007年02月10日 20時16分22秒 | -オーケストラ
激務の一週間を終えて、ようやく迎えた週末、好きな音楽を充分に聴くことができない鬱憤を存分に晴らそうと、ブルックナーの交響曲第8番を聴きました。演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1969年10月に、クリーヴランドでアナログ録音された、2枚組の正規盤(CBS-SONY 52DC207-8)です。

交響曲第7番の初演と成功で、他にも第3番などの作品が演奏されるようになり、ブルックナーが満足感を持って次の作品に向かった、それがこの第8番だそうです。大きな伽藍を見上げるような音楽。

かつて長距離通勤だった頃に、CDから二本のメタルカセットテープにダビングし、連日好んで聞いていた時期がありました。通勤の音楽として、だいぶ長い間楽しみました。以来、音楽を「聴いたぞ~っ!」という満足感を味わいたいときに取り出す、定番CDとなっております。

第1楽章、アレグロ・モデラート。初めてこのCDを聴いたときに、出だしの始まりの部分から、もうぐいっと引き込まれるような感じがしました。明晰で響きの均衡の取れた、それでいて神秘性を有する演奏がありうるのですね!
第2楽章、やはりアレグロ・モデラートと指示されたスケルツォ。何度も繰り返されるスケルツォの主題が、何か煽り立てられるような気分になります。でも、ハープが登場するあたりではすでに気分も変わり、主題が再び登場するときには、金管部隊の大活躍に胸がスッとします。
第3楽章、おごそかにゆっくりと、しかしだらだらせずに、と指示されたアダージョ楽章。この楽章だけで、古典交響曲のほとんど1曲分に相当します。そっと控えめですが、ハープの音も印象的。徐々に緊張感が高まってコーダに至る高揚感は、言葉がありません!
第4楽章、おごそかに、速くなく、との指示のあるヒロイックなフィナーレ。冒頭のロシアのコサック連隊ふうの金管がなんともかっこいいい。堂々たるフィナーレも、いかにも「シンフォニーを聴いたぞっ!」という満足感を味わうことができます。

ブルックナーというと、金管がパッパカパッパカ派手に鳴る印象が強いのですが、弦楽の部分が、なんともいえず厳しく清楚で、そして素晴らしく美しい。特に、第3楽章のアダージョなど、その感を強く持ちます。その上で咆哮するだけに、金管がことさら印象深く感じられるようです。

■セル/クリーヴランド管
I=14'33" II=16'19" III=29'09" IV=22'00" total=82'01"

ちなみに、世の多くのジョージ・セルのファンが投票した、セルの名演ベスト10なる結果(*)が発表されており、この録音は第3位に入っているようです。ちなみに、ここで推薦者として記載されたE教授とは、歴史学者の故江口圭一教授のことらしい。理系人間の私は、氏についてはよく存じ上げませんが、ジョージ・セルの音楽をこよなく愛された方だったようです。

(*):ジョージ・セルを知っていますか?~ジョージ・セル名演BEST10~投票結果
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雪が降ってきました

2007年02月10日 09時19分11秒 | 季節と行事
今週は、なんとも激しい一週間でした。ようやく週末になり、自宅でほっとしています。今までの、好きな音楽を心ゆくまで聴けないという鬱憤を払拭するべく、ブルックナーの交響曲第8番を聴いています。ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏です。

さて、老父母二人とも、手術をしてから一年が経過(*1,*2)しましたので、先日、いつもの病院で胃カメラ等の検査をしたそうです。手術時の病理検査の結果が「無罪放免」で、それほど心配はしていませんでしたが、一年後もやはりシロだったそうで、二人とも喜んでおりました。80代の老父母が元気で美味しいものが食べられて、ひ孫を抱き、年齢と体力にあった畑仕事ができることをありがたいと思います。病院勤務医や看護スタッフの過酷な状況については、実状を知るにつけても、たいへんだなぁと思いますが、その中でもベストな結果を出してもらったことに感謝、です。

それにしても、今年の雪の少なさ。写真は、これでも今冬最大の積雪となった、一月の雪景色です。本日の雪は、みぞれ状の湿った雪で、これほど積もりそうにないですね。

(*1):老母の胃ガン手術終わる
(*2):老父の直腸ガン切除手術終わる
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『小説家を見つけたら』を読む(1)

2007年02月09日 23時27分53秒 | -外国文学
本来はこういう文庫を手にすることはなかったであろうに、某ブックオフで105円という値段とショーン・コネリーの顔につられて読みました。ついでにDVDまで購入。J.W.エリソン作の『小説家を見つけたら』(原題"Finding Forester")を読みました。

ニューヨークのブロンクスに、母と二人で住む16歳の黒人の少年ジャマールは、バスケットボールがうまい。それだけでなく、実は作文が好きで、自分だけのノートにたくさんの文章を書いています。
ある日、少年は仲間と賭けをして、古いアパートの最上階に閉じこもって外出することのない、いつも窓から自分達のバスケのゲームを見下ろしている謎の老人の部屋に忍び込むことになります。見つかってしまったジャマールは、ナップザックを置きっぱなしで逃げ出しますが、翌日謝罪に出向いたところ、ノートに書きためていた文章には、徹底的な添削批評が加えられていました。

そこから、ジャマールと老人との交流が始まります。ジャマールが統一学力テストの成績とバスケットボールの素質を買われて、私立の名門校メイラー・キャロン高校にスカウトされても、謎の老人は(1)他人に話をしないこと、(2)過去を聞き出そうとしないこと、(3)文章を持ち出さないこと、の3つを条件に、同様に作文を教えるのでした。

転学したメイラー高で作文を教えるのは、かつて文筆を志した、辛辣で厳格なクロフォード先生。そして最初に学校を案内してくれた少女クレア・スペンスと仲良くなりますが、彼女は作家ウィリアム・フォレスターの『アヴァロンを求めて』の愛読者だといいます。お金持ちの彼女が所有する初版本には、著者の若かりし日の写真が掲げてあり、それはあの謎の老人だったのでした。



ウィリアム・フォレスターなんて、どこかで聞いたような名前ですが、表紙のショーン・コネリーの写真がいいですねぇ。いかにも老作家という感じが出ています。続きはまた明日。
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投稿原稿が・・・

2007年02月08日 23時40分06秒 | Weblog
連日、遅い帰宅が続いており、いささかくたびれています。今朝はまた、せっかくの投稿原稿が、パーになる事件が発生しました。
いつもは、自宅のLinux機からの投稿が多いのですが、今朝はたまたまプレゼン用のモバイル・ノートパソコンからインターネットに接続し、WindowsXP+InternetExplorer6.1から投稿しようと、オンラインで原稿を書いておりました。ところが、日付と時刻を訂正しようと思って、何の気なしにバックスペースキーを押したら、突然、保存されずにログイン直後の画面に戻ってしまいました。一瞬、呆然。
出る時刻が迫っておりましたので、あきらめて出かけてしまいましたが、幸先悪い一日の始まりでした(^_^;)>poripori

失った原稿は、『小説家を見つけたら』というもの。この週末の休みを利用して、もう一度試みてみたいと思います。今日は、モーツァルトのクラリネット五重奏曲を聴いて、もう寝ます。
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ニッサン・ラティオの燃料消費率データは

2007年02月07日 23時30分19秒 | 散歩外出ドライブ
先日来、冬タイヤで走っている新車のニッサン・ラティオ、先頃、満タンに給油したので、燃料消費率を計算してみました。その結果、15.4km/lという結果が出ました。雪が降らないのでほとんど渋滞がないとはいうものの、1.1tの1500cc車がスタッドレス・タイヤで走行した燃費としてはかなりいいほうではないかと思います。

ちなみに、これまでに乗ったガソリン車の、同時期のデータとしては、

Nissan Skyline 1500 C10 4MT - 1979年1月 11.2km/l (関東圏)
Nissan Auster 1600 CS 5MT --- 1983年1月 9.5km/l
Nissan March 1000 F# 5MT ---- 1997年1月 12.2km/l
Nissan Latio 1500 MX CVT ---- 2007年1月 15.4km/l

のようになっています。Skyline1500 (C10型) を除き、いずれも同県内での走行であり、車庫の有無でアイドリング時間が短いなどの条件は異なりますが、それにしてもかなりいい値を出しているのがわかります。通年の燃料消費率がどうなるか、興味深いです。

なお、参考までにディーゼル車の場合は以下のとおり。
※Nissan Pulsar 1700 J1 5MT -- 1987年1月 18.8km/l -- diesel
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ブラームス「クラリネット五重奏曲」を聞く

2007年02月06日 06時31分28秒 | -室内楽
一度は引退を決意した、ブラームス最晩年に作曲された、クラリネット五重奏曲を聴きました。例の、ミュールフェルトという名奏者に出会って一気に創作意欲が高まった、という、モーツァルトと同様のエピソードを持つ音楽です。

演奏は、ウィーン室内合奏団。アルフレート・プリンツ(Cl)、ゲルハルト・ヘッツェル(Vn)、クラウス・メッツェル(Vn)、ルドルフ・シュトレング(Vla)、アーダルベルト・スコチッチ(Vc)というメンバーです。1980年の4月に、ウィーンのポリヒムニア・スタジオで収録された、アリオラ=オイロディスク原盤のアナログ録音。

第1楽章、アレグロ。悲劇的な、しかし激しさと強さを秘めた嘆きの音楽は、クラリネットの調べによりやわらげられているようです。
第2楽章、アダージョ、ピゥ・レント。しみじみと心を打つ、クラリネットの響き。さまざまな民族音楽を研究していたブラームス(*)らしい、どこか民族的なメロディです。
第3楽章、アンダンティーノ、プレスト・ノン・アッサイ、マ・ノン・センティメント。ブラームスは、ミュールフェルトというクラリネット奏者のどこに魅力を感じたのでしょう。どうも、音域により音色が大きく変化する、クラリネットの特徴を存分に生かす演奏技術、というところのように思います。
第4楽章、コン・モト。早朝だと、ちょっともの悲しくなるような旋律。いや、夜ならもっとでしょうか。作曲時のブラームスと年齢的に近くなりましたので、創作力の衰えや意欲の低下などは、他人事ではありません。それだけに、こういうしみじみとした音楽にはほっとするところがあります。

この演奏、実はCDを2枚持っています。1枚はDENONのクレスト1000シリーズのもの。こちらは、ブラームスのクラリネット三重奏曲が併録されています。もう1枚は、同じくDENONのClassic Galleryシリーズの分売品で、ブックオフで入手したもの。モーツァルトのクラリネット五重奏曲に併録されています。組み合わせが異なるため、気分によってどちらかを選び、聴いています。

■ウィーン室内合奏団、プリンツ(Cl)
I=11'55" II=11'35" III=4'44" IV=8'20" total=36'34"

(*):ブラームスが日本の音楽を研究したきっかけ
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プリンタを複合機に交換する

2007年02月05日 07時05分44秒 | コンピュータ
1997年に購入し、10年ほど使ったパーソナル型レーザー・プリンタ、CANON の LBP-310 が故障して、ついに真っ黒になって出てくるようになりました。制御する基盤が壊れたかな?

このプリンタ、実によく使いました。最初に使ったのが FM-TOWNS で Windows3.1 でした。TeX for Windows で出力すると、実に美しい出力で、感動したものです。やがてWindows95 になり、EPSON VT516SR に導入した VineLinux1.1 から使うようになり、最近は WindowsXP と VineLinux3.2 から出力しておりました。トナーを交換すること 3回、地域の会合の資料や同窓会の案内など、通常の印刷物はほとんどコピー要らずでした。

さてプリンタをどうしようかと思っていたら、お嫁に行った娘からメールが届き、プリンタ複合機いらないか、とのこと。なんでも、ダンナが DVD-Rのタイトルを印刷できるプリンタに買い換えたとかで、場所ふさぎになったそうな。スキャナとインクジェット方式カラープリンタの複合機で、コピーとしても使える、キャノンの PIXUS MP55 です。「ちょうどよかった」と事情を説明すると、さっそくダンナと一緒に持ってきてくれました。実はこれも娘が学生時代に買ってやったものですので、お下がりならぬお上がり機です。しかし、動作は全く正常で、予備のインクも用意してあるという周到さ。誰に似たんだか。

LBP-310 を取り外し、MP55 に交換して、テスト印刷してみました。レーザープリンタのような速さは望むべくもありませんが、カラー印刷はけっこうきれいです。大量印刷は無理としても、これで当面は間に合いそうです。
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新田次郎『武田三代』を読む

2007年02月04日 06時01分26秒 | 読書
文春文庫で、新田次郎著『武田三代』を読みました。もう20年以上前に、同氏の『武田信玄』を読んでおり、今またNHKの大河ドラマ『風林火山』を2回ほど続けて見ましたので、武田信虎や信玄と勝頼、あるいは山本勘助について、興味再燃というわけです。

「信虎の最期」は、『武田信玄』を書き上げた後で、エピソードとしてまとめました、といった風情の小編です。息子の信玄よりも長生きした晩年の信虎が、孫の勝頼を頼って甲斐の国に帰りたがっています。しかし、かつての暴君の記憶が残る家来たちは、まず高天神城で様子を見ることにします。戻ってきた信虎は、ますます無礼で傍若無人、しかも残虐で暴力的で、始末に困ります。『甲陽軍鑑』の記述に拠りながら、老いてなお大悟できない信虎の最期を描きます。

「異説 晴信初陣記」は、板垣信方が捕えた間者の大月平佐衛門の情報をもとに、武田晴信が初陣を飾る海ノ口城の合戦のお話です。重臣を次々に手打ちし、次男の信繁を偏愛しする父・信虎が、晴信の見事な勝利を認めない。ついに愛想をつかした家来たちが、信虎の長男・晴信のもとに心を一つにするまでを描き、その背景には情報の重要性を認識できた若い武将・武田晴信の新しさがあったことを示します。

「消えた伊勢物語」は、武田信玄と長男義信の確執を背景とした物語です。駿河の今川に対する政策で対立する父と子。ここに溝を作ろうとする北条氏康の陰謀でした。ここでも間者の大月平佐衛門が活躍します。新田次郎は、大月平佐衛門に代表される忍びの者を情報収集部隊として組織化したところに、信玄の強さの秘密を見ているようです。

「まぼろしの軍師」は、山本勘助を扱ったお話。しかし、山本勘助を実在の軍師として描くものではありません。史実に乏しいわりに、稀代の軍師として山本勘助の名を後世に伝えた『甲陽軍鑑』の元となった『甲陽軍談』の作者・鉄以を描きます。山本勘助の子として、武田家のエピソードを集めた戦の思い出話の中に、ついに影の存在で終わった父の夢の活躍の物語を描いた。軍師・山本勘助は、父の事績をたどる息子の想像の中でふくらんだ幻の物語であった、とするものです。井上靖の『風林火山』に見られるスーパーマン山本勘助も魅力的な人物造型ですが、こういう見方もあるのですね。

「孤高の武人」は、勝頼の時代の悲話です。桜井信久が見初めた豪士の娘には許婚がいた。湖上でオシドリのつがいの片方を射殺してしまったときに、家来が見せた悲しくかたくなな表情と態度に、信久は悟るものがあります。鉄砲を毛嫌いする勝頼の若さによって滅亡する武田家の姿を遠景として、つがいのオシドリに仮託された、著者には珍しいロマンティックで印象的な短編です。

「火術師」は、今で言えば花火師兼通信技術者兼諜報部員になるのでしょうか、勝頼の時代のお話です。「武田金山秘史」は、勝頼を裏切る穴山梅雪と、堺の商人・塩屋三郎四郎のだましあい。武田の金山の秘密を守る、破局を描きます。「孤高の武人」同様、著者がまだ『武田信玄』を起筆する前の小編です。

武田信虎・信玄・勝頼という父子三代の相克の全体像を把握していて読めば、味わい深い小編ばかりですが、単独で読んでもそれぞれの武将とその時代の悲劇性が描かれた短編集になっています。もう一冊、左は奈良本辰也『武田信玄』、角川文庫です。
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「ウィーンの森の物語~ヨハン・シュトラウス ワルツ&ポルカ集」を聞く

2007年02月03日 08時05分07秒 | -オーケストラ
今週は、通勤の音楽に、カラヤンとベルリン・フィルのコンビで、ヨハン・シュトラウスの「ウィンナ・ワルツ&ポルカ集」を聞きました。もう、豪華絢爛という表現がぴったりくる、それはそれはリッチな演奏です。

曲目は次のとおり。
(1)ワルツ「ウィーンの森の物語」(13:57)
(2)ポルカ「狩」(2:05)
(3)ピチカート・ポルカ(2:33)
(4)ポルカ「雷鳴と電光」(2:55)
(5)ワルツ「ウィーン気質」(9:19)
(6)ワルツ「美しく青きドナウ」(9:53)
(7)皇帝円舞曲(10:47)
(8)アンネンポルカ(4:23)
(9)トリッチ・トラッチ・ポルカ(2:33)
(10)ワルツ「うわごと」(8:28)
(11)常動曲(2:47)

「普通の演奏だなぁ」と思わせておいて、クレッシェンドするところの音色や粘り方に、思わず「おお!」と思わせる。眠くなりそうな心地よさの中で、ここぞというところでリズムをちょっとだけずらして「おっ」と思わせて寝せない。静かなところではひたすら耳に快く、盛り上がるところでは迫力の低弦と魅惑の管楽に支えられた大オーケストラの豊麗な魅力を発散する、そういう演奏。文句なしにうまい!

1966年12月と1969年4月に、ベルリンで録音されたもので、F26G 29029という型番のCDです。ようやくCDが普及期に入り、1枚3800円といった価格から、1枚2600円といった相場になってきた時分に購入したものです。表紙は、エリエッテ・フォン・カラヤンというから、カラヤンの奥さんでしょうか?

新しい車のカーステレオは、前のと比べて低音が出るようになったので、逆に低音の質が気になります。自宅のステレオと同等の音は望むべくもないが、ブーミーにならないようにコントロールする必要がありそうです。
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備忘メモ~おいしい「かりん糖」

2007年02月02日 06時50分12秒 | 散歩外出ドライブ
先日、知人からいただいた「かりん糖」がとてもおいしかったので、後日、散歩がてらでかけて購入してきたいと思います。忘れないように、備忘メモ。

かみのやま温泉銘菓、利久堂の手造り「かりん糖」
■上山市新丁7-12、お菓子司、利久堂、0236-72-0324

雪が降りました。10cmくらいでしょうか。一面、白い世界にはやがわり。ようやく冬らしい景色になりました。
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藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』(下)を読む

2007年02月01日 07時03分48秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平の『よろずや平四郎活人剣』の下巻を一気に読みました。

下巻の最初は、商家の若旦那のあほさ加減が際立つ「消えた娘」から始まりますが、平四郎の周囲の人間の中でも、とくに北見十蔵が苦労人で、いい男ですねぇ。詐欺漢・明石半太夫のデタラメさと好対照ですが、明石の細君のほうは明るくなかなか世話女房のようです。捨て子の赤ん坊を背負わされた平四郎も、まさか昔の許婚の早苗さんに見られるとは思わなかったでしょう。

この物語では、様々なタイプの夫婦の姿が描かれます。ユーモラスに描かれる逆転夫婦や破滅へと転落する夫婦の物語を笑い・見つめながら、嫉妬や疑いや倦怠に躓きつつ、日常生活の中で少しの憐憫や多くの信頼・愛情を大切にすることを、あらためて「そうだよなぁ」と頷かされます。

特に印象深いのは、何と言っても北見十蔵の秘密が明かされる「暁の決闘」の章。仙台藩の金蔵から借入金を盗んだ上司の野瀬金十郎による、故郷に残してきた美しい妻と幼い息子への迫害。無口で静かな北見の怒りが、悪辣ではあるが三徳流の使い手である野瀬を圧倒します。けれども、これで帰藩することも家族が一緒に生活することもかなわなくなったのですね。平四郎は手を握りしめて夫を見つめている北見十蔵の妻女に話しかけます。

「これから、どうなされます?」
「十年・・・・・・」
と妻女はつぶやいた。眼はまたたきもせず夫を見ている。
「あと十年経てば、保之助は元服を終わって嫁をもらいます。そうしたら、私はおひまをもらって北見のそばに参ります」
妻女は平四郎を見て笑おうとした。だが、その眼に不意におびただしい涙が溢れた。
北見が気合を発したとき、一度黙り込んだ鳥が、またにぎやかにさえずりはじめた。東の空に赤いいろがさして来たが、霧はまだ動いていた。

こんな幕切れは、映画監督ならずとも、実に名場面だと感じます。

子どもを育てる夫婦の十年。それは、平板な年月ではありません。子育てを終えて振り返るとき、北見十蔵の妻女の決心が、どれほど深い夫への愛情に基づいているか、よくわかります。それだけに、こういう場面を描いた作者の心情を思うと、普通の夫婦の日常の価値を、どれほど大切に思っていたかがよくわかります。

そして最終章「燃える落日」、金貸しの菱沼惣兵衛からようやく去り状を取り、早苗さんと結ばれることができた平四郎、悲しい曲折をものともせずに、ハッピーエンドとすることができました。未婚の女性をヒロインに想定することが多い時代小説の中で、不幸な既婚女性を主人公の相手役としたあたりも、藤沢周平の世界の特徴かもしれません。
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