電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「蜩ノ記」を観る

2014年10月16日 06時02分43秒 | 映画TVドラマ
三連休の最終日、妻とともに、映画「蜩ノ記」を観てきました。葉室麟原作の直木賞受賞作品を映画化(*1)したもので、たいへん味わい深く、良い映画を観た、と感じてきました。

羽根藩の右筆である壇野庄三郎は、突然の突風によって隣席の友人の家紋を墨で汚してしまいます。激昂し刀を抜いた友人・水上信吾につられて庄三郎も脇差を抜き、この友人を傷つけてしまいます。城中での刃傷はご法度ですが、家老の中根兵右衛門は、自分の甥である信吾を助けるために、庄三郎の罪を不問に付すこととし、そのかわりに、特別の任務を与えます。それは、七年前に藩主の側室と不義密通し、小姓を斬り捨てるという不祥事の責任を問われ、向山村に幽閉されている戸田秋谷が書き継いでいる藩主・三浦家の家譜に、七年前の不祥事がどう書かれるかを報告し、秋谷が逃亡するときは、家族もろとも斬り捨てよ、というものでした。十年の間に家譜を完成させたら切腹しなければならない戸田秋谷も、三年後に夫であり父である秋谷の最期を迎えるその家族も、きわめて淡々と、清廉な生活を送っていることから、庄三郎は秋谷の人格を信頼し私淑するようになります。そして、七年前の事件の真相を調べ始めます。不義密通の相手とされた藩主の元側室・お由の方は、今は髪をおろし、松吟尼となっていますが、庄三郎に事件の真相を語ります。そして、事態は大きく転回します。それは……。



映画として、映像表現の素晴らしさは、ほんとうに特筆ものです。遠野を舞台としたらしい向山村の風景の描写や村の生活の描き方はごく自然で、しかも実に美しい。神社を舞台とした巫女の舞いの場面や畑を耕す師弟の姿などには、音楽と詩情が感じられます。

蛇足ながら、映画のストーリー上の設定で疑問に思った点を。
稲刈りの時期について、村人たちの会合に郡奉行が単独で乗り込んだ点は、いささか疑問です。普通に考えて、要職にある者が随行者も連れずに単身で馬に乗って往来するなどは、ありえないことなのでは。話の展開上、単身でないと困るのはわかるのですが、どうも設定に無理があるような。原作ではこのあたりの設定がどうなっていたのか、筋の単純化のための映画的作劇術なのかもしれないと思いながら、いささか釈然としません。

ただし、秋谷の切腹の場面を直接的に描かなかったのは良かった。原作を読んだとき死を美化する傾向を懸念(*2)しましたが、その点はうまく薄められており、監督の見識かな、と感じました。

(*1):映画『蜩ノ記』公式サイト
(*2):葉室麟『蜩ノ記』を読む~「電網郊外散歩道」2012年3月

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