ブログのアクセス解析ができるようになって、あらためて感じることがあります。それは、過去の記事へのアクセスがかなりあるということです。
例えば、ある時期になると銀鏡反応に伴う爆発事故に関する記事(*1)がよく読まれますが、これはおそらく中学や高校の科学部あたりで、文化祭での実験テーマを考えているうちに、検索によってたどり着いたのだろうと思います。あるいはまた、動噴の使い方(*2)や、フルニエとジョージ・セルとベルリンフィルの組み合わせによるドヴォルザークのチェロ協奏曲(*3)、ボロディンの「愛妻に捧げる夜想曲」の記事(*4)等も、かなり長く継続して読まれているようです。
流行の Twitter や Facebook などのソーシャル系では、投稿後の数時間で、フォローが途絶えてしまう傾向があるとのこと。それと比較すると、ブログというのは、予想以上に、じっくりと読まれる性格の記事に適しているのかもしれないと思います。何年も前に書いた過去の記事に、新たにコメントをいただくというのは、実は記事を書いた者にとっては勲章のようなものなのかもしれません。
(*1):高校文化祭における銀鏡反応の爆発事故について~「電網郊外散歩道」2005年10月
(*2):スプレーヤー修理と動力噴霧器の使い方~「電網郊外散歩道」2009年3月
(*3):カール・ライスターの「一番印象深かった録音」~「電網郊外散歩道」2005年5月
(*4):愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く~2008年7月
例えば、ある時期になると銀鏡反応に伴う爆発事故に関する記事(*1)がよく読まれますが、これはおそらく中学や高校の科学部あたりで、文化祭での実験テーマを考えているうちに、検索によってたどり着いたのだろうと思います。あるいはまた、動噴の使い方(*2)や、フルニエとジョージ・セルとベルリンフィルの組み合わせによるドヴォルザークのチェロ協奏曲(*3)、ボロディンの「愛妻に捧げる夜想曲」の記事(*4)等も、かなり長く継続して読まれているようです。
流行の Twitter や Facebook などのソーシャル系では、投稿後の数時間で、フォローが途絶えてしまう傾向があるとのこと。それと比較すると、ブログというのは、予想以上に、じっくりと読まれる性格の記事に適しているのかもしれないと思います。何年も前に書いた過去の記事に、新たにコメントをいただくというのは、実は記事を書いた者にとっては勲章のようなものなのかもしれません。
(*1):高校文化祭における銀鏡反応の爆発事故について~「電網郊外散歩道」2005年10月
(*2):スプレーヤー修理と動力噴霧器の使い方~「電網郊外散歩道」2009年3月
(*3):カール・ライスターの「一番印象深かった録音」~「電網郊外散歩道」2005年5月
(*4):愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く~2008年7月