電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「二十四の瞳」を観る

2011年02月15日 06時04分33秒 | 映画TVドラマ

フォーラム東根で、一週間だけの特別上映、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」を観ました。休日勤務の代休日となった平日の午後の回ですから、ゆったり気分です。観客層は圧倒的に年配者が多く、お孫さんらしい娘さんに車で連れてきてもらったという風情の老夫婦の姿もちらほら。こういう風景もいいものです。

昨年の秋にはじめて原作を読み(*1)、この映画を一度観てみたいと願っておりました。幸いに劇場で観ることができたことを、企画してくれた方々に感謝したいと思います。今回上映されたものは、昭和29年の映画(*2)のデジタルリマスターだそうで、画面の荒れも感じられず、舞台となった小豆島の、モノクロームの光と陰影が美しい。あらすじは原作を読んだ際の記事にゆずるとして、気がついたことをいくつか。

まず、原作をほぼ忠実に再現する形の脚本に感心しました。原作と映像作品とは別だとはいうものの、原作の想定とあまりにかけ離れた映画化はいかがなものかと思ってしまいます。その意味では、脚本がポイントになると思いますが、本作は二時間半を越える時間をかけて、島の生活を丁寧に見せながら、大石先生と12人の子供たちを中心に、島の人々を押し流す時代の荒波を描き、原作の香りを充分に感じさせてくれます。

母親に死なれ、残された赤ちゃんも死に、自分も奉公に出る少女の悲哀。百合の花が描かれたアルマイトの弁当箱のエピソードは悲しい。戦場から帰還しない夫や息子。戦争の悲劇と貧しさと。当時、この映画を観た人々には、各場面に共感する要素がたくさんあったのだろうと思います。空腹のために柿の木に登り墜落した幼い子供の事故死の話は、飽食の現代の子供には、笑われてしまうかもしれません。でも、たしかにあの時代には、ごくありふれたことだったのです。
そうそう、戦争未亡人となり、バスに乗るお金もなく、生活のために再び教壇に立つ決心をした大石先生に、自分たちのお金を少しずつ出し合って自転車を贈った教え子たちの気持ちが胸をうちます。たぶんそれは、怪我をした大石先生に米や大豆を贈ったような、島の大人たちの生きる姿勢が、無言のうちに教えた知恵だったということなのでしょう。いい映画でした。

ここからは、例によって無用のツッコミです(^o^)/

大石先生は、自宅から岬の分教場まで、自転車で50分の通勤時間だそうです。片道四里、現代風に言えば約16kmですから、平均時速は 19km/h に達します。自転車とはいえ、かなりの健脚です。洋服も着物もよく似合う、高峰秀子さん演じる大石先生はとっても魅力的ですが、昔の人はたくましかったのだなぁと、あらためて車に頼りがちな自分の軟弱さを反省しました(^o^)/
低学年の子供たちがわりに素朴で田舎風なのに比べて、高学年になると、修学旅行の船上の場面など、しぐさがどことなく都会風になる、というところは「うふふ」でしたが、師範学校出の大石先生の薫陶よろしきを得てのことだろうと好意的に解釈しました(^o^)/
また、映画では歌を歌っている場面ばっかりで、算数や理科の授業の場面などは出てきませんでした。大石先生が子供たちの心をしっかりつかんでいることは素晴らしいと感じましたが、教え子の一人が、数字を見ると頭が痛くなる、と話す場面を見ると、名教師でも算数を教えるのは難しいのかなと、ちらりと思ったり(^o^)/
修学旅行先の飯屋のおばちゃんは、浪花千栄子さんでした。当方が若い頃には、老け役でよく出ていたものでしたが、実に何十年ぶりでしょうか、思わず粛然といたしました。

(*1):壺井栄『二十四の瞳』を読む~「電網郊外散歩道」2010年11月
(*2):二十四の瞳(映画)~Wikipediaより

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