電網郊外散歩道

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映画「武士の家計簿」を観る

2011年02月07日 06時04分05秒 | 映画TVドラマ
過日、フォーラム山形にて、映画「武士の家計簿」を観てきました。おもしろい視点・着想ですが、もともとは磯田道史著『武士の家計簿~「加賀藩御算用者」の幕末維新』という新潮新書をもとに映画化したものだそうです。この本については、2004年の10月9日付の朝日新聞土曜版beに、「デジカメで変わる古文書の研究」として取り上げており、興味を持ってスクラップしておりました。



映画は、加賀藩の御算用者である猪山直之(いのやまなおゆき)を中心として、猪山家の日常とともに、幕末から明治への時代の変化を描いています。
和算が趣味で『塵劫記』(*1)を愛読する、リケジョ=理系女子の大先輩かもしれないお祖母様の薫陶を受けたためか、抜群の計算能力を示す、若き猪山直之が、算盤侍として頭角をあらわし、血筋から言えば町方、商家の出自である妻・駒と結婚します。しかし、藩の御救米にかかわる不正を頑固に探ったために、あやうく左遷されるところを、政変によって陽の当たる道を進むことになります。藩主の信頼も厚く、本来ならばメデタシメデタシに終わるはずですが、現実はそうならない。地位は上がっても収入は増えないのですから、借財が累積するいっぽうです。跡継ぎ息子の年祝の席を設けたくても金子がないという事態に立ち至り、ついに非常手段に訴えます。それは、家族全員の財産を売り払い、借財の四割を返済するとともに、残りの六割を無利子の10年賦にしてもらう、というものでした。

なるほど、高利の利子負担をストップし、計画的に返済しつつ生活を維持するには、その方法しかないのかも。そうでないと、立場上、不正に手を染め、やがてお家を絶やす結果になってしまいかねません。御救米の不正追求を行った青年官吏の時代を彷彿とさせる、思い切った決断です。
この厳しさは、家族に対して、とくに長男の成之に対して、つらく作用します。算盤と筆というお家芸を伝授するため、技術だけでなく、その根底にあらねばならない、数字に対する無私の正確さ、厳密さを、身をもって叩き込むのです。

おそらく、映画を観る人の中には、なぜあそこまで厳しく子どもを躾けようとするのか、理解できないと感じる方も少なくないことでしょう。ですが、統計やデータの数量的な処理を日常とした経験のある方々は、技術の根底に流れる思想を子どもに伝えることで、自家の芸の本質を伝えようとした意図を、明瞭に読み取ることでしょう(*2)。

映画は、父に反抗し、明治政府の海軍主計大監という要職に付いた長男・成之が、武力ではなく統計と政策が国を動かすことに思い至り、その技を厳しく叩き込んだ父の意図を理解し、和解するところで終わります。
いい映画でした。

(*1):塵劫記~Wikipediaの解説
(*2):数字に対する無私の正確さ、厳密さこそが、統計の信頼性の根底をなすものであり、統計の信頼性の程度は、その国の政治のありようや民度を如実に表してしまうものだと思います。ソ連の計画経済の破綻や、アマルティア・セン教授が指摘する、戦後中国の新五ヶ年計画の失敗等に伴う飢餓の背景には、情報に関わる民主主義の未熟とずさんな統計があるはずです。
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