電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

壺井栄『二十四の瞳』を読む

2010年11月05日 06時07分52秒 | 読書
壺井栄著『二十四の瞳』は、たしか中学生の頃に読んだ記憶があります。でも、その後はずっとご縁がなく、最近になってから書店の新潮文庫の平積みコーナーで見つけて、懐かしく手に取りました。

普通選挙法(*)が行われて間もない昭和3年、女子師範学校を出た大石久子先生は、瀬戸内海の一寒村にある、岬の分教場に赴任します。小学校の四年まではこの分教場に通い、五年から本校に通うとされていますから、在籍する児童の数は、一年から四年まで五十人足らず。そこへ、洋服を着てさっそうと自転車で現れたわけですから、話題にならないはずがない。受け持ちの児童は、入学間もない一年生です。師範学校を出たとはいっても、新米には違いない大石先生は、村の人々と子どもたちの、生活の中に入っていきます。その中でかわされる交流は、心のこもったものではありましたが、貧苦があり、病気があり、また身売りがあります。弁当箱のエピソードや、修学旅行に行けない子どものエピソードなど、戦後の一時期にもそうだったと、身につまされる方々も少なくないことでしょう。

わんぱくどもの思わぬいたずらでアキレス腱を切るはめになった大石先生は、学校を休み、なかなか出てきません。子供たちは、先生がやめてしまうのではないかと心配になります。岬の長い道のりを歩いて来た幼い子供らの心情を思えば、先生の胸には、いとしさがあふれたことでしょう。しかし、過酷な時代の風は冷たく吹きつのります。治安維持法の成立から戦争へ、島の生活にも暗い影が落ちてきます。



本作品は、プロレタリア文学の系譜に属するものなのかもしれませんが、当初連載されたのがキリスト教関係の雑誌であったということからくるのか、むしろ童話のようなと形容したいほどのあたたかさを感じます。今の若者は、当時の時代背景や貧苦の生活を想像できないかもしれませんが、本作品に貫かれているあたたかな視線は、たぶん感じ取れるのではないかと思います。さて、どんなものでしょうか。

たしか、『母のない子と子のない母と』も同じ著者の作品だったのではなかろうか。これも、小・中学生の頃に読んだ記憶があります。先の戦争の記憶が、まだかなり濃厚に残っていた時代でした。

(*):戦前、わが老母が生れた頃の話ですので、むろん婦人参政権はまだありませんでした。

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