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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉田篤弘『台所のラジオ』を読む

2021年09月16日 06時00分07秒 | 読書
角川のハルキ文庫で、吉田篤弘著『台所のラジオ』を読みました。2017年刊行で単行本は前年に出ているようです。今年の真冬に購入したのは2020年5月発行の第4刷ですから、ある程度、安定して読まれているのでしょう。本書カバー裏の内容紹介には

それなりの時間を過ごしてくると、人生には妙なことが起きるものだ―。昔なじみのミルク・コーヒー、江戸の宵闇でいただくきつねうどん、思い出のビフテキ、静かな夜のお茶漬け。いつの間にか消えてしまったものと、変わらずそこにあるものとをつなぐ、美味しい記憶。台所のラジオから聴こえてくる声に耳を傾ける、十二人の物語。滋味深くやさしい温もりを灯す短篇集。

とありました。短編集の中身は、

  1. 紙カツと黒ソース
  2. 目薬と棒パン
  3. さくらと海苔巻き
  4. 油揚げと架空旅行
  5. 明日、世界が終わるとしたら
  6. マリオ・コーヒー年代記
  7. 毛玉姫
  8. 夜間押しボタン式信号機
  9. <十時軒>のアリス
  10. いつか、宙返りするまで
  11. シュロの休息
  12. 最終回の彼女

というもので、著者のあとがきによれば女性と男性の主人公が交互に登場する配列にしたのだそうです。『台所のラジオ』という題名のとおり、また以前読んだ『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(*1)と同様に、何かしら食べものや料理が登場するのですが、今回はそれらがどれも「ひねている」というか、登場人物が力説するほど美味しそうには思えない。どこかフワフワした物語はいつのまにか終わっている、というようなタイプのお話が並びます。

うーむ、やっぱりこれは、もっと若い頃に都会の空気の中で読むには良かったのかもしれないけれど、もうすぐ古希の爺さんが果樹園の草刈りの一服で読むような本ではなかったなあ。まあ、夢に出てくるような強烈さは皆無なので、寝床で一話ずつ読み進めるのには良かったけれど。一緒に購入した『農ガール、農ライフ』は、すぐに面白く読んだ(*2)のでしたが、こちらは読みかけては中断、また読みかけては中断と、だいぶ時間がかかりました。

(*1): 吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』を読む〜「電網郊外散歩道」2013年7月
(*2): 垣谷美雨『農ガール、農ライフ』を読む〜「電網郊外散歩道」2021年2月

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深水黎一郎『詩人の恋』を読む

2021年09月05日 06時00分23秒 | 読書
読書の秋の手始めに、深水黎一郎著『詩人の恋』を読みました。角川書店刊の単行本で、2020年9月に第1刷が発行されている音楽ミステリーです。本書の構成は、次のとおり。

第1部 杜塞道夫(デュッセルドルフ)1856年秋
第2部 伝記的事実
第3部 奇蹟のように美しい五月に
第4部 手紙
第5部 薔薇に百合 鳩に太陽
第6部 伯林(ベルリン)
第7部 君たちに解るかい この棺桶がどうしてこんなに巨大で重いのか

第1部は、夫R.シューマンが亡くなり、子育てと生活に奮闘するクララ・シューマン一家のもとにJ.ブラームスが訪れ、夫人から脅迫状が届いていることを相談されます。シューマンの歌曲集「詩人の恋」の秘密を暴露する証拠の手紙を三万ターラーで買え、という内容のものでした。ブラームスはクララを安心させ、念のために自分がベルリンに向かうと申し出ます。
第2部は、ローベルトとクララのシューマン夫妻とブラームスに関して、物語に必要な伝記的事実を簡潔に整理したもの。
第3部は、日本の男子高校生が偶然にも「詩人の恋」のCDを購入することとなり、片思いしながら1日1曲ずつ聴いていくという、現実的とは言えない想定の青春モノ。
第4部は、シューマンの秘密の手紙の全文。もちろんこれは作者の創作であって、実在するものではありません。
第5部は、大学公認の混声合唱サークルを舞台にした楽曲の解釈をめぐるやりとりが、顧問の先生を通じてドイツにある自筆楽譜の確認へと発展していく一方で、大学生たちの今風の恋愛模様を描いたもの。
第6部は、ベルリンの古書店で未発表のシューマンの自筆の手紙を目にした私大の独文の准教授が、せっかく入手の許可を得たのに、古書店はテロで焼けてしまうという不運が描かれます。でもなあ、これって、作者による証拠隠滅だよなあ。
第7部、国際的なテノール歌手・藤枝和行と、一回り年下の「芸術探偵」神泉寺瞬一郎による「詩人の恋」の分析です。ここで提示される新解釈がこのミステリーの眼目であって、結末はブラームスに委ねられています。



なるほどね。作家は「詩人の恋」を題材に、ローベルトとクララの夫婦とブラームスのエピソードを織り交ぜながら、伝記的事実といくつかの創作と楽曲の解釈を材料にピースを作り、ジグソーパズルのような作品を作り上げたのだな。長短さまざまな文章を読んでいくと、やがてパズルがぴたっと合わさったときのような興奮が得られる、という仕掛けのようです。自分がこういう解釈をどう思うかは別として、本書をきっかけに久々に R.シューマン「詩人の恋」を聴き直し、あらためて「いい曲だなあ!」と感嘆するばかりです。

YouTube より、フィッシャー・ディースカウ(Bar)とイェルク・デムス(Pf)による1957年の録音。
Schumann - Dichterliebe - Fischer-Dieskau / Demus


こんどはテノールで。フリッツ・ヴンダーリッヒ(Ten)とヒューバート・ギーセン(Pf)、1965年。
Fritz Wunderlich - Dichterliebe (Robert Schumann)


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垣谷美雨『農ガール、農ライフ』を読む

2021年02月09日 06時02分22秒 | 読書
祥伝社文庫で、垣谷美雨(かきや・みう)著『農ガール、農ライフ』を読みました。1月の山響第289回定期演奏会の日に駅ビル内の某書店で見つけて購入していましたが、このほどようやく読み終えたものです。

物語は、主人公の久美子が派遣切りにあうところからスタートします。よりによってその同じ日に、同棲中の修から、別の娘と結婚したいので部屋を出てほしいと宣告され、焦り、怒ります。たまたまテレビで見た農業に取り組む若い女性の姿に惹かれ、職なし・家なし・彼氏なしのどん底の危機感から、県の農業大学校の新規就農コースに申し込み、アルバイトのかたわら農業、しかも野菜作りに取り組むようになります。

もちろん、この後も順調に進むはずもなく、たまたま思い出した大学のサークルの先輩の実家に助けられて、なんとか農業を始めるのですが、例えば農地を借りるにもたいへんな苦労がありました。たしかに、なかなかお話のようにうまくはいきませんでしょう(^o^)/
このあたり、農業委員会の委員に対する批判がたいへん辛辣で、おそらく著者の取材時の実体験なのではないかと思われますが、そういえば農業委員は選挙で選ばれるのではなく、市町村議会の同意を経て市町村長の任命により選任されることになっています。ですから、地域によってはトンデモナイ古臭い人が委員になっている可能性はあるかもしれません(^o^)/

また、後半の婚活エピソードは、底辺の暮らしを余儀なくされる女性の事情と境遇を描いて秀逸ですし、登場する女性たちのリアルな目線は、なかなかスゴイです。
書名は、おそらく「No 〜, No 〜」というキャッチフレーズをもじったものでしょう。それを思えば、農業だって「No girl, No life」だよ、という主張なのかもしれません。そういえば、当地には「ガールズ農場」(*1)という先輩もいました。

(*1):菜穂子『山形ガールズ農場』を読む〜「電網郊外散歩道」2012年9月

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池井戸潤『陸王』を読む

2020年12月14日 06時01分47秒 | 読書
先日、図書館に出かけ、池井戸潤著『陸王』を借りてきました。読み始めると夢中になる、期待を裏切らない面白さです。2016年刊行の単行本ですので、文字の大きさも読みやすく、やや度が弱く感じられるようになった自宅用老眼鏡でも充分に読みやすいものです。



埼玉県行田市にある老舗の足袋製造会社「こはぜ屋」は、ジリ貧の本業を支える新規事業を探していましたが、ランニングシューズの開発に参入します。厚底のシューズではかかとから着地するために膝を故障するランナーが多いことから、足裏全体で着地し蹴り出す走法に適した薄底の軽いシューズが望ましい。それは、資金力も技術力もある大メーカーへの挑戦となりますが、チャレンジャーとなったのは、挫折を味わい失意の底から復活しようとするランナーと、それを支えようとして大企業からはじき出されるシューフィッター、繭を使った新素材の特許技術を持ちながら資金力・経営力の面から会社を倒産させた経歴を持つ技術顧問、そして経営者とベテラン従業員たちでした。



池井戸ドラマに付きものの、いけすかない悪役やライバルたちはちゃんと登場しますし、クライマックスには陸上競技やマラソンらしい高揚感が用意されて、ああ面白かった!

『下町ロケット』とパターンが同じ? アホ猫が元気な頃だったら「いやいやダンナ、それを言ったらおしまいよ」と言うだろうなあ(^o^)/

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大江健三郎『ゆるやかな絆』を読む

2020年11月29日 06時01分08秒 | 読書
図書館から借りてきた本で、大江健三郎著『ゆるやかな絆』を読みました。著者は、ノーベル文学賞を受賞した著名な作家であると同時に、知的障碍を持って生まれてきた息子の父親でもあるわけで、本書は奥様が挿絵を描き、表紙もまた母親が子どもにお話を読んできかせる情景を描いたものとなっています。私の場合、祖母が緑内障のため30代で中途失明しており、祖父は妻を支えながら長年ずっと生活していましたので、障碍者との共生といってもとりたてて新しいテーマとは感じません。むしろ、「後期のスタイル」というテーマのほうが興味深いものがありました。

芸術家たちに生産的な出発時の若わかしいスタイルがあるように、かれらの晩年にはやはり独自の「後期のスタイル」があって、芸術家はそれをつうじてのみ、かれの生涯に積み重ねられた死生観や次の世代への祈念を語りうるのではないか?(p.57「後期のスタイル」より)
もう一つ、作家とその時代の関係にまつわるものですが、とても大切で面白い問題があります。芸術家でありながら、時代に帰属しないことは可能か、という問題です。無意識に私たちは時代精神につながっていると信じ込んでいる、自分は今の人だ、と思っていますが、後期のスタイルの問題は、今を超越して考えたらどうなるかを問いかけてくる。(p.57〜58「後期のスタイル」より)

ベートーヴェンについては、晩年の作品の大きさ、深さは理解するけれども、若いベートーヴェンの魅力もまた感じるところで、年齢を重ねることで得るものと失うものと、両方を大切なものと感じながら、例えばこのような言葉をノートに書き抜いてみるのです。

ただ、共感とともに幾分かの疑問も感じる面があります。例えば、障碍を持つ息子を死んでほしいとは思わないだろうということ。それは、失明した妻を支えて生きた祖父の教えに明らかに反します。祖父の教えとは、誰にでも生きる役割があるのであり、祖母の役割はお前たちに「生きる勇気」を教えることだ、というのでした。無名の百姓の老人が、長年ずっと考え抜いたことだったのでしょう。



著者は1935年生まれですから、現在は85歳か。私の学生時代にはすでに著名人であり、様々な著作を通じて大きな影響力を持つ作家でもありました。先年、亡くなった叔父(*1,2)が某出版社の文芸編集部で文学全集の編集に携わっていたそうですが、氏に月報の原稿を依頼し、完成後にご本人に持参した際、自筆原稿を記念にもらいたいと願ったところ快諾していただいたのだそうです。署名入りの手書きの原稿をずっと大切に保管しておりました。太字の万年筆で書かれた独特の文字を、興味深く眺めたものでした。また、『ブリキの太鼓』を世界文学全集に初収録し完結した記念だか何かで、著者ギュンター・グラス氏を日本に招聘した際に、岩波書店と共同で大江健三郎氏との対談と懇親会をセットしたのだそうで、ともにノーベル文学賞を受賞したお二人が宴席についているスナップを見せてもらったこともありました。今年は叔母さんも亡くなり、そんな昔の話を聞くこともできなくなりました。

(*1):叔父の訃報を機にペリカン万年筆を再び使い始める〜「電網郊外散歩道」2015年7月
(*2):叔父の遺品のモンブラン〜「電網郊外散歩道」2015年7月

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「ライトノベル」と一口に言うけれど〜『本好きの下克上』の面白さ

2020年01月04日 06時02分07秒 | 読書
この年齢になってから、『本好きの下克上』という物語にハマりました。はじめはWEB 上で、次は紙の書籍を全巻購入して楽しんでおります。紙の書籍ならば区切りがつけやすいけれどWEB上でだと途中でやめるのが難しく、特に中高生の場合は生活に支障をきたす可能性があります。年末年始休業などの長期休暇中ならばいざ知らず、期末試験の直前などは最悪のタイミングになるだろうと、60代後半のジイサンが余計な心配をするほどです(^o^)/



ところで、この物語は「ライトノベル」というジャンルに属するものだと思いますが、どうも一口にライトノベルと言っても、同じではないようです。この作品以外の、いわゆる「なろう系」と呼ばれるライトノベルを二、三読んでみたのですが、いささか物足りない。それは、誤字脱字が散見されるとか、流行りの言い回しが多いとかいうようなものではなくて、なんというか、率直に言って文章や内容に品がない。

その点、『本好き』は誤字脱字や言い回しのヘンさがごく少なく、著者の教養を感じます。内容的にも、貧しい兵士の娘に転生した幼女が、「本を読みたい」一心から紙や印刷技術を作り出し、階級や魔術が存在する中世風のファンタジックな世界を変えていく話で、いい大人が読んでもさほど違和感がありません。私は見ていませんが、この秋に始まったアニメもだいぶ人気なのだとか。書籍のほうでも、ジュニア向けに総ルビの新書判が開始されたり、英語、中国語、ハングルなど海外版の展開も順調のようで、少々大げさに言えば日本発『ハリーポッター』になりそうな勢いです。

「ライトノベル」と一口に言うけれど、香月美夜著『本好きの下克上』シリーズは別格に面白いです。

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山本一力『ジョン・マン』第7巻「邂逅編」を読む

2019年12月03日 06時02分47秒 | 読書
1849年8月、ジョン・マンが乗り組む捕鯨船フランクリン号は、太平洋におけるクジラ漁を終えて、インド洋から大西洋を越え、アメリカ合衆国東海岸、ニューベッドフォードに帰還します。デイヴィッド船長が精神を病み、死去してはいましたが、その後は大成果をあげての帰港でした。ジョン・マンは、新船長エーキンの下で一等航海士に昇進していました。船主組合で理事長らに報告をした後に、対岸のフェアヘブンに渡り、馬車でスコンチカットネックのホイットフィールド船長の家に戻ります。そこで、ハワイに残した土佐の難船仲間と共に日本に帰る決意をあらためて表明します。

帰国のための資金作りとして考えたのは、斜陽になりつつある捕鯨船ではなく、ゴールドラッシュにわく西海岸への片道航海の船に乗り組むことでした。軍隊経験のあるチャンスに射撃を教わり、拳銃とライフル、銃弾を購入、デイジーには丈夫なガンケースを縫ってもらいます。乗り組んだスティグリッツ号はついにサンフランシスコ湾に到着します。



ジョン・マンが日本に帰国したいという意思が固いことをしったホイットフィールド船長夫妻。心情としては行かせたくないけれど、あえて賛成せざるをえない、複雑な心境でしょう。まさに大恩人なのですね。

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多和田葉子『容疑者の夜行列車』を読む

2019年11月29日 06時05分26秒 | 読書
青土社から2002年に刊行された単行本で、多和田葉子著『容疑者の夜行列車』を読みました。谷崎純一郎賞受賞作品とのことですが、作者は1960年生まれで現在はドイツ在住、ドイツ語と日本語で作品を発表している作家とのこと。著者の本は、先ごろ岩波新書で『言葉と歩く日記』を読み終えたばかりです。

全部で13篇の話が載っていますが、それが第1輪「パリへ」から第13輪「どこでもない町へ」まで、「第○話」ではなく「第○輪」となっているのが駄洒落っぽい。思わず伝統的駄洒落保存会への入会をおすすめしたくなるところですが、中身はそういう軟弱なものではありません。「あなた」と呼ばれる主人公は女性のダンサーのようで、列車で国外旅行、しかも夜行列車での旅なのです。出発前の高揚感はどこへやら、母国語の通じない、国情も不安定な国をも通過しなければなりません。心細く、不安で、少しのことにも緊張してしまいます。

実際、ザグレブに向かう途中に乗り込んできた乗客からコーヒー豆を預かる話などは、密輸の片棒を担がされた容疑者として検挙されるのではないかという緊張感とは裏腹に、外国人旅行者はお構いなしの特別扱い=自国民への圧政を示唆しており、庶民の生活の実態が想像されます。

もっとも、そういった社会的・政治的レポートの面はごく少なく、むしろイルクーツクへ向かう列車から降り立った駅で、朝四時のシベリアの外気に触れたときの様子が;

外気に触れた途端、肌がばりっと音をたてて、樹皮に変わった。あなたもいつか白樺になっているのかもしれない。

という具合に、独特の幻想性を持った新鮮な表現を楽しむことができます。

ストーリーの展開の面白さといったものにはあまり拘泥せず、あちこちに言葉遊びのような要素をちりばめながら、非母国語圏へ単独行で越境する女性の、夜旅の不安感や頼りなさを感じさせる、一種独特の雰囲気を持った作品です。



ん? もしかしたら「容疑者」は「夜汽車」の駄洒落? やっぱり伝統的駄洒落保存会に…モゴモゴ(^o^)/

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伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』を読む

2019年10月08日 06時02分23秒 | 読書
風邪ひき絶不調状態も少しずつ脱してきましたので、寝床で本を読んだりラジオを聴いたりできるようになりました。手にした本が、幻冬舎文庫で伊坂幸太郎著『アイネクライネナハトムジーク』です。以前、一度読み終えているのですが、登場人物の関連性が一度では把握しきれず、とりあえず保留にしていたものです。

第1話:「アイネクライネ」。妻子に去られた藤間先輩の家庭事情は同情に余りありますが、なにせタイミングが悪かった。はずみでコーヒーをこぼした佐藤くんも、街頭アンケート調査とはいかにも罰ゲーム的。街頭テレビで眺めたボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチは、後に再度登場します。また、さらりと登場するのが大学時代の友人で中退し居酒屋店長をしている織田一真と由美の夫婦。二人はすでに二児の親ですが、娘の名前が織田美緒、こちらも後で高校生として登場します。

第2話:「ライトヘビー」。美容師の美奈子さん、客の一人板橋香澄の弟の学と時々電話で話す関係に。ボクシングの試合で勝ったら告白するという話は、実は学くんのことでした。板橋香澄さんは、前話の織田由美さんと友人関係にあります。

第3話:「ドクメンタ」。藤間さんの別居生活の発端は、ハサミを片付けるのを忘れたこと。そういう日常の積み重ねが、ある日、爆発するのですね。運転免許更新にぎりぎりまで行かない性分の人は、何でも早め早めと済ませるタイプの人とは合わないのでしょうか。必ずしもそうではなかろうと思いますけどね〜。免許センターで更新時に五年ごとに会う女性の話は、ほのぼの感があります。

第4話:「ルックスライク」。高校生の久留米和人君は、お父さんにそっくりなのだそうです。同級生の織田美緒さんと一緒に駐輪場でのトラブルに突っ込んでしまい、結婚して深堀姓になっている学校の英語の先生の機転に助けられます。その機転のルーツは、若い頃に交際していた和人くんのお父さんにありました。

第5話:「メイクアップ」。あまり好きな話題ではありません。まさしく、人の不幸を喜んではいけないのですよ。「人を呪わば穴二つ」と言うではありませんか。まあ、だから「憎まれっ子世に憚る」のでしょうが(^o^)/

第6話:「ナハトムジーク」。美奈子と一緒になったけれど、ボクシング世界チャンピオンタイトル防衛戦に失敗し長く低迷したウィンストン小野(学)の再挑戦。壮絶な試合、劇的な幕切れです。これは、映画のクライマックスになりそうです。

うーむ、作者は恋愛小説は得意じゃないと言っていますが、そのせいか、複雑な人物相関図をプロットとして持つのであろう、技巧的な恋愛小説作品のようです。実際、二度目に読み終えて、人物相関図を書こうとして呆れました。「田舎の濃密な人間関係」なんてもんじゃない、これは「都会の複雑な人間関係」そのものでしょう。すでに映画化されているようですが、映画を観た後に読んだほうがわかりやすいのかもしれません。



作者はどうして「アイネクライネナハトムジーク」なんて題をつけたのでしょう。モーツァルトなんて登場していないみたいだし、曲名の訳「小夜曲」に「さよきょく」とルビを振っていますが、「しょうやきょく」ではだめなのか?

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村田沙耶香『コンビニ人間』を読む

2019年10月05日 06時03分43秒 | 読書
文春文庫で村田沙耶香著『コンビニ人間』を読みました。2016年、第155回芥川賞受賞作です。

本作は、「コンビニエンス・ストアは、音で満ちている」の文で始まります。売り場の音に反応して次の行動を決める経験豊かなコンビニ店員として、主人公の古倉恵子は働いています。恵子が子供の頃のエピソードや、ヒステリーの女の先生を静かにさせた行動、子供を静かにさせるために果物ナイフをちらと見るあたり、どうもいわゆる高機能自閉症、アスペルガー症候群のタイプのように思えます。彼女は、定型的な作業に自分を当てはめて行動するのが得意で、マニュアル重視のコンビニ店員として「生まれ変わって」いるのです。

恵子は、家族の中でも友人たちの中でも、ちょっと変わった子として扱われ、いつか「治って」「普通」の生活が送れるようになることを期待されていました。恵子が働くそのコンビニに現れたのが、(素人判断は危険ですが、)どうやら妄想が出ているらしい白羽君。いろいろあって、周囲の「普通」圧力に同調し、白羽君と同居生活を始めます。周囲は勝手に盛り上がり、白羽君は勝手に恵子を働かせようと就活サポート役を始めますが、恵子はふと入ったコンビニであまり慣れていない店員の仕事ぶりに不満を持ち、「コンビニの声」を聞く、というようなお話。正直に言って、芥川賞らしからぬ面白さ(*1)と感じました(^o^)/



ところで、「普通」という言葉に抵抗を感じるという点について、言葉の意味が複数あるということが原因なのではなかろうか。例えば「きれい」という言葉には(1)美しい(beautiful)という意味と(2)清潔な(clean)、あるいは(3)整然とした(orderly)というような意味があるように、「普通」という言葉にも、例えば次のような意味と使われ方の違いがあるようです。

  1. 日常性の面  震災後の生活の中で普通の日常の価値を感じた
  2. 規範性の面  そんなに普通の服装をしろって押し付けないで!

ですから、日常性の面を話題にしているときに規範性の面から受け止められてしまうと、ズレというか誤解が生じてしまうのでしょう。

(*1):アクタガワ賞とナオキ賞〜「電網郊外散歩道」2012年2月
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池井戸潤『下町ロケット〜ヤタガラス』を読む

2019年08月06日 06時02分01秒 | 読書
小学館から2018年10月に刊行された単行本で、池井戸潤著『下町ロケット〜ヤタガラス』を読みました。前作『ゴースト』が前編、この『ヤタガラス』が後編という位置づけのようで、実際、物語の始まりは「濃い夕景に塗れ、(中略)佃の前からその姿を消した」はずの天才エンジニア島津裕が、応接セットのソファの足元にクマのプリントのトートバッグを置き忘れたことから、話は再開されます。作者は、前作の「ICレコーダーを忘れちゃった作戦」がよほど気に入ったらしく、またこの手を使ったようです(^o^)/

帝国重工内の社内抗争のあおりで、宇宙航空部の主役を外れ脇役にまわることになった財前道生は、今までのGPSに比して画期的な精度を誇る準天頂衛星ヤタガラスの能力を活かし、社会に貢献できるものとして、無人農業ロボットを発想し、まず無人自動運転トラクターの開発を企画します。エンジンとトランスミッションは佃製作所に外注し、トラクター本体は帝国重工で作るという案でした。そのための自動運転のプログラムは、佃社長の学生時代の仲間で、今は北海道農業大学の教授となっている野木博文のものです。ギアゴースト社を離れ、佃製作所に迎えられた島津裕は、自分の設計した小型トランスミッションの不具合に気づき、その解決法として特許を取得します。しかし、ライバル会社ダイダロスのエンジンとギアゴーストのトランスミッションに、以前、野木研究室から盗んだプログラムをもとに企業化したキーシンの通信制御システムという組み合わせの「ダーウィン」が華々しくデビュー、帝国重工側も的場俊一の誤った舵取りのおかげで迷走を余儀なくされます。

しかし、結局は現場で実際のニーズに向き合う開発か否かがポイントになるわけで、水害に會った殿村の実家の田んぼが実験ほ場の役割を果たし、帝国重工の「ランドクロウ」も着実に改良されていきますが…というお話。



前作『ゴースト』に続く『ヤタガラス』。いや、実に面白かった。最初の『下町ロケット』で宇宙航空技術に始まった物語が、ついに準天頂衛星による無人農業ロボットとして結実するのですから、なかなか考えられた構成です。テレビ番組が人気シリーズとなるのも納得の面白さです。

ただし、いざ自分の世界に置き換えて、「ランドクロウ」は農業を救うかと問われれば実は疑問符が付いてしまいます。そうですね、たしかに誤差が数センチの精度を持つ無人農業機械が普及すれば、農業の担い手不足の問題はだいぶ緩和されるかもしれません。でも、高額な農業機械を導入できるのは、平坦な農地を確保した大規模農家や農業法人に限られ、農業法人も担い手の病気やリタイアで、徐々に一人に集積してしまうことになり、それを突き詰めれば戦前の大地主の姿を変えた復活にほかならないのでは? 別の言い方をすると、戦後の農地改革はマチガイでしたということになるでしょう。農業の大規模専業化という方向が本当に日本の農業を救うことになるのかは、いささか疑問に感じられてなりませんけどね〜(^o^)/

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池井戸潤『下町ロケット〜ゴースト』を読む

2019年08月04日 06時01分07秒 | 読書
これまで『下町ロケット』(*1)、『下町ロケット〜ガウディ計画』(*2)と二作を読んで来ましたが、今度は三作目にあたる『下町ロケット〜ゴースト』を読みました。宇宙ロケットエンジンのバルブシステムに技術的強みを持つ中小企業・佃製作所が大企業との知財訴訟に勝利し、医療用バルブシステムに進出、こんどは農機具の分野です。まさに現在のわが領域です(^o^)/

佃製作所がエンジンを納入している農機具メーカーのヤマタニが、社長の交代を機に計画を白紙に戻したいと言い出します。背景にあるコスト競争の相手は、かつて危機を経験し経営改革によって復活してきたメーカー「ダイダロス」でした。佃製作所の経営陣が鳩首協議する中に、経理部長の殿村直弘の父親が倒れたとの報せが入ります。心筋梗塞だそうです。後日、佃社長が見舞いにでかけた先は、栃木県の稲作地帯で300年間代々稲作を受け継ぎ、今は二十町歩の水田を経営する旧家(*3)でした。そこで、ヤマタニ製トラクターによる農作業の様子を見て、農機具用トランスミッションに着目します。使われるバルブに佃製作所の技術を生かせないか、というわけです。

コストダウンをねらうヤマタニが目をつけた会社・ギアゴーストは、帝国重工から飛び出した二人、伊丹大と島津裕が起こしたファブレス・ベンチャー企業でした。同社のCVTタイプのトランスミッション用バルブのコンペで、大森バルブに競り勝った佃製作所チームは、ギアゴーストに降りかかった特許侵害の知財訴訟に肩入れすることになります。ところが、この裁判には実は裏がありました…というお話です。



ストーリーはおもしろいし、農業機械に関する描写もかなりリアルです。例えばトランスミッション。今回、我が家で更新した乗用草刈機の場合はマニュアル・トランスミッションで、前進1速〜4速と後退とを手でギアを切り替えるタイプです。これに対して、20万円ほどお高い上級機種は、フットペダルを踏む方向で前進と後退を、また踏み加減で前進速度を無断階に変速できるタイプでした。おそらくはCVT型のトランスミッションだったのでしょう。こういう機械の開発現場が舞台なのだと思うと、読む方にも思わず力が入ります。

がんばれ、島津裕! 

そうそう、なんだか同じように企業に勤める理系女子ということで、下の娘を応援しているような気分にもなってしまいます(^o^)/

(*1):池井戸潤『下町ロケット』を読む〜「電網郊外散歩道」2012年2月
(*2):池井戸潤『下町ロケット〜ガウディ計画』を読む〜「電網郊外散歩道」2018年10月
(*3):このへん、ちょっと戦後史的におかしい。農地改革を経て稲作を継続できたのは自作農までで、かつての大地主はほぼ耕地を失っていたはず。当地では、かつての大地主はほとんど没落し、代わって昔小作人だった農家のごく一部が多くの水田を集積し、何十町歩も耕す大規模専業農家になっている例がほとんどです。

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梶よう子『赤い風』を読む

2019年07月31日 06時04分25秒 | 読書
文藝春秋社から2018年に刊行された単行本で、梶よう子著『赤い風』を読みました。2017年に埼玉新聞に連載された、地域史に基づく作品のようです。

物語は、江戸時代の武蔵野台地に残された入会地が、多くの村落の秣場(まぐさば)として利用されているところから始まります。境界がはっきりしないために、複数の村落が互いに争う中で、とうとう十歳になったばかりの正蔵の父親・吉二郎が他村の五人組の男たちに襲われた際に息子をかばって頭を強く殴打され、帰宅後に死亡します。しかし、犯人は軽い叩き刑で放免され、遺された母子は他村に労働力として縁付くのです。このような多年にわたる秣場の争いも、新たに川越藩主となった柳沢吉保とその腹心の家老・曽根権太夫らの調査により、川越領として解決をみますが、問題はここから。将軍徳川綱吉の肝いりで三富新田の開拓が始まります。

ここからは、二年と期限が切られた開拓の経緯が、かなり具体的に描かれます。一軒あたり五町歩の細長い短冊状の土地は、防風林に囲まれた家屋とこれに続く耕地、その奥の屋敷林からなっています。赤い風となる火山灰の土地に、落葉樹の落ち葉を集めて作る堆肥をすきこみ作物を育てるという、今風に言えば「循環エコ農法」。開拓を志して集まってきた人々の中に、成長した正蔵と、父親を殺した鶴間村の悪党・藤兵衛が名前を変えて加わっています。家老・曽根権太夫と嫡男・啓太郎が自ら村に住む開拓は、はたして成功するのか、また正蔵らはどうなるのか、叙事詩的な展開で物語は進みます。



なかなかおもしろかった。今も残る川越の三富新田が日本農業遺産に指定されていることなど、初めて知る史実も興味深いものがありました。しいて言えば、後に登場する荻生徂徠など歴史を有名人の智謀に帰着させて展開しようとする傾向には疑問を感じます(*1)が、まあこれは歴史学の論文ではなくて小説ですから(^o^)/

(*1):当地には、やはり江戸時代に、地域の豪農たちが中心になって灌漑用水路を開削したり、あるいは大きな溜池をいくつも作ったりした史実があり、かならずしも有名人の名前が出てこなくても歴史は作られてきたという認識があるからです。

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樋口直哉『星ヶ丘高校料理部・偏差値68の目玉焼き』を読む

2019年07月28日 06時08分57秒 | 読書
講談社文庫で2018年5月に刊行されたのを購入したまま積読していた本、樋口直哉著『星ヶ丘高校料理部・偏差値68の目玉焼き』をようやく読みました。なんでまた、学園料理ドラマ文庫書き下ろしなんぞを読もうと考えたのか、すでに忘却の彼方ですが、たぶんプロローグの目玉焼きのうんちく部分にピピっと反応したものと思われます。登場人物は、料理部顧問の沢木先生に気があるらしい藤野和音に誘われて入部した篠原皐月、部長の内海明人先輩の腕前にびっくりしています。

第2話:「メレンゲの秘密ーふわふわオムレツ」。スフレ・オムレツを上手に作るためには、メレンゲづくりが大切です。泡立ちをよくするために、「クレーム・オブ・タータ」(*1)を微量添加して卵白の状態を安定させようと、産地見学にでかけます。ぶどう園の先には坑道がありましたが、終戦の年に大量のワインが一夜にして消えた事件があったことを聞きます。部長の内海は謎を解いたみたい。私もわかりました。県産ワインの醸造元「天童ワイン」を見学した際に、発酵タンク内に付着する「酒石」のかたまりを見せてもらったことがあり、これが潜水艦のソナーの圧電素子の材料として使われたことを知っていたからです(^o^)/

第4話:「母の味ーカレーライス」。夏休みに料理部で合宿をすることになります。場所は伊豆下田。沢木先生が若い頃にアルバイトをしていたという、今は廃業した温泉旅館や、内海の父親が買ったという日本家屋、離婚して今はイギリスにいるという内海の母が作ったレシピなどが登場します。部長の内海先輩の秘密が少しずつ明かされてきます(^o^)/

第5話:「星祭りー模擬店のハンバーガー」。学校の文化祭で、料理部はハンバーガーを出すことになりますが、ハンバーガーなんて、と思ってはいけないのですね。専用のパン、中に入れる肉の焼き方、いや、もっと大事なことがありました(^o^)/



高校生の、ちょいとこそばゆいほのかな恋模様を織り交ぜながら展開される料理うんちくのドラマ仕立て、といったところでしょうか。料理に関心を持つ若い人だけでなく、れっきとした中高年ヲジサンの読者を獲得しましたよ、作者殿(^o^)/
作者は、どうやら本職のフレンチの料理人らしいです。どうりで詳しいわけだ!

(*1):酒石酸水素カリウム。例えばこんな商品
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ベルンハルト・シュリンク『朗読者』を読む

2019年07月22日 06時02分12秒 | 読書
この冬に久保寺健彦著『青少年のための小説入門』をおもしろく読み(*1)、この作品のベースとなっているものの一つに、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』があるのではないかと想像しました。そんな連想がきっかけではありましたが、新潮社クレストブックス・シリーズ、『朗読者』を再読しました。2000年4月発行、訳は松永美穂。



本書を初めて読んだのはいつごろだったのかな?
どれどれ?

$ grep "朗読者" memo-utf.txt
〜中略〜
2003/09/22 ベルンハルト・シュリンク『朗読者』読了 ○○○○○△△店で新潮社刊のベルンハルト・シュリンク著『朗読者』を購入、読了した。第1部は少年と30代女性の恋、第2部は女性の強制収容所における役割を問う裁判、第3部は女性の晩年の死である。1人の貧しい女性の文盲を背景とし、終身刑を宣告された刑務所内で、読み書きできる力を得て、アウシュヴィッツ等の強制収容所関連の書籍を読んでいた事実などを示す。年の離れた恋人どうしは、若い世代と上の世代とを象徴するのだろう。表紙の人形も示唆的である。



このブログを始める少し前、最初の単身赴任の頃でしょうか。読み終えた後の印象は、今回も変わりませんが、細部で理解が深まったと感じるところがいくつかありました。例えば第二部、ナチスの戦争犯罪の責任を問う裁判の中で、収容所の看守仲間だった口の悪い女がハンナに罪を着せて自分は責任を逃れようとします。

「あの女に訊いて下さい!」
彼女はハンナを指さした。
「あの女が報告書を書いたんです。あの女のせいなんです。あいつ一人の。報告書を書いて事実をもみ消そうとしたのも、あたしたちを巻き込もうとしたのもあの女です」(p.120〜1)

そんなはずはありません。ハンナはなぜミヒャエル少年に朗読してもらっていたのか。なぜ二人だけの旅行でメモを残していたのにあんなに怒ったのか。ハンナは文字を読むことも、自分の名前以外に字を書くこともできないのですから、筆跡鑑定をされれば字を書けないことが知られてしまうのです。だからこそ、裁判長に

「専門家をよぶ必要はありません。報告書を書いたのはわたしです」(p.124)

と嘘をついたのでした。

文盲であることを知られたくない、知られれば自分の出自(ロマ)が推測され、自分自身も収容所に入れられてしまいかねない。それがハンナの生き方を決めている。収容所の看守仲間に裏切られたのも、その事実を知られたくないために強引なことをやって恨まれたりしていたからでしょうし、36歳のハンナが15歳の少年を恋人にしたのも、性に夢中になる少年ならば自分の秘密を隠すことができるからという要素もあったのでしょう。ところが、必ずしもそうはいかなかった。

第三部の終わりに、終身刑で服役中に、ミヒャエルが朗読して送ってくれるテープと本を照合して文字を覚え、手紙を書けるようになり、様々な本を読めるようになったハンナが、仮出所を前になぜ自殺したのか。結果的にナチスの戦争犯罪に加担したことを理解した罪の意識もあったでしょうが、おそらくそれだけではないでしょう。ハンナから自筆の手紙を受け取りながらその返事を書くことはせず、相変わらず朗読のテープを送り続けた「坊や」が、若かった頃の自分を大切に思ってくれるのは嬉しいけれど、過ぎ去った時の重さというか、服役して年老いた今の自分を受け入れ以前のように愛してくれるとは限らない、一度は捨てた彼の人生にさらに負担をかけるだけだと思ったのも大きな要因なのではなかろうか。

晩年のハンナと同年代になった今、この心境はよく理解できます。そして、収容所から生き延びた少女に会い、ハンナの遺志を伝えるエピソードは、余韻の残るものです。16年後の再読は、人生のほろ苦い味わいとともに、良い作品を読んだ後の充実した読後感でした。

(*1):久保寺健彦『青少年のための小説入門』〜「電網郊外散歩道」2019年2月

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