電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』を読む

2019年10月08日 06時02分23秒 | 読書
風邪ひき絶不調状態も少しずつ脱してきましたので、寝床で本を読んだりラジオを聴いたりできるようになりました。手にした本が、幻冬舎文庫で伊坂幸太郎著『アイネクライネナハトムジーク』です。以前、一度読み終えているのですが、登場人物の関連性が一度では把握しきれず、とりあえず保留にしていたものです。

第1話:「アイネクライネ」。妻子に去られた藤間先輩の家庭事情は同情に余りありますが、なにせタイミングが悪かった。はずみでコーヒーをこぼした佐藤くんも、街頭アンケート調査とはいかにも罰ゲーム的。街頭テレビで眺めたボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチは、後に再度登場します。また、さらりと登場するのが大学時代の友人で中退し居酒屋店長をしている織田一真と由美の夫婦。二人はすでに二児の親ですが、娘の名前が織田美緒、こちらも後で高校生として登場します。

第2話:「ライトヘビー」。美容師の美奈子さん、客の一人板橋香澄の弟の学と時々電話で話す関係に。ボクシングの試合で勝ったら告白するという話は、実は学くんのことでした。板橋香澄さんは、前話の織田由美さんと友人関係にあります。

第3話:「ドクメンタ」。藤間さんの別居生活の発端は、ハサミを片付けるのを忘れたこと。そういう日常の積み重ねが、ある日、爆発するのですね。運転免許更新にぎりぎりまで行かない性分の人は、何でも早め早めと済ませるタイプの人とは合わないのでしょうか。必ずしもそうではなかろうと思いますけどね〜。免許センターで更新時に五年ごとに会う女性の話は、ほのぼの感があります。

第4話:「ルックスライク」。高校生の久留米和人君は、お父さんにそっくりなのだそうです。同級生の織田美緒さんと一緒に駐輪場でのトラブルに突っ込んでしまい、結婚して深堀姓になっている学校の英語の先生の機転に助けられます。その機転のルーツは、若い頃に交際していた和人くんのお父さんにありました。

第5話:「メイクアップ」。あまり好きな話題ではありません。まさしく、人の不幸を喜んではいけないのですよ。「人を呪わば穴二つ」と言うではありませんか。まあ、だから「憎まれっ子世に憚る」のでしょうが(^o^)/

第6話:「ナハトムジーク」。美奈子と一緒になったけれど、ボクシング世界チャンピオンタイトル防衛戦に失敗し長く低迷したウィンストン小野(学)の再挑戦。壮絶な試合、劇的な幕切れです。これは、映画のクライマックスになりそうです。

うーむ、作者は恋愛小説は得意じゃないと言っていますが、そのせいか、複雑な人物相関図をプロットとして持つのであろう、技巧的な恋愛小説作品のようです。実際、二度目に読み終えて、人物相関図を書こうとして呆れました。「田舎の濃密な人間関係」なんてもんじゃない、これは「都会の複雑な人間関係」そのものでしょう。すでに映画化されているようですが、映画を観た後に読んだほうがわかりやすいのかもしれません。



作者はどうして「アイネクライネナハトムジーク」なんて題をつけたのでしょう。モーツァルトなんて登場していないみたいだし、曲名の訳「小夜曲」に「さよきょく」とルビを振っていますが、「しょうやきょく」ではだめなのか?

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村田沙耶香『コンビニ人間』を読む

2019年10月05日 06時03分43秒 | 読書
文春文庫で村田沙耶香著『コンビニ人間』を読みました。2016年、第155回芥川賞受賞作です。

本作は、「コンビニエンス・ストアは、音で満ちている」の文で始まります。売り場の音に反応して次の行動を決める経験豊かなコンビニ店員として、主人公の古倉恵子は働いています。恵子が子供の頃のエピソードや、ヒステリーの女の先生を静かにさせた行動、子供を静かにさせるために果物ナイフをちらと見るあたり、どうもいわゆる高機能自閉症、アスペルガー症候群のタイプのように思えます。彼女は、定型的な作業に自分を当てはめて行動するのが得意で、マニュアル重視のコンビニ店員として「生まれ変わって」いるのです。

恵子は、家族の中でも友人たちの中でも、ちょっと変わった子として扱われ、いつか「治って」「普通」の生活が送れるようになることを期待されていました。恵子が働くそのコンビニに現れたのが、(素人判断は危険ですが、)どうやら妄想が出ているらしい白羽君。いろいろあって、周囲の「普通」圧力に同調し、白羽君と同居生活を始めます。周囲は勝手に盛り上がり、白羽君は勝手に恵子を働かせようと就活サポート役を始めますが、恵子はふと入ったコンビニであまり慣れていない店員の仕事ぶりに不満を持ち、「コンビニの声」を聞く、というようなお話。正直に言って、芥川賞らしからぬ面白さ(*1)と感じました(^o^)/



ところで、「普通」という言葉に抵抗を感じるという点について、言葉の意味が複数あるということが原因なのではなかろうか。例えば「きれい」という言葉には(1)美しい(beautiful)という意味と(2)清潔な(clean)、あるいは(3)整然とした(orderly)というような意味があるように、「普通」という言葉にも、例えば次のような意味と使われ方の違いがあるようです。

  1. 日常性の面  震災後の生活の中で普通の日常の価値を感じた
  2. 規範性の面  そんなに普通の服装をしろって押し付けないで!

ですから、日常性の面を話題にしているときに規範性の面から受け止められてしまうと、ズレというか誤解が生じてしまうのでしょう。

(*1):アクタガワ賞とナオキ賞〜「電網郊外散歩道」2012年2月
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池井戸潤『下町ロケット〜ヤタガラス』を読む

2019年08月06日 06時02分01秒 | 読書
小学館から2018年10月に刊行された単行本で、池井戸潤著『下町ロケット〜ヤタガラス』を読みました。前作『ゴースト』が前編、この『ヤタガラス』が後編という位置づけのようで、実際、物語の始まりは「濃い夕景に塗れ、(中略)佃の前からその姿を消した」はずの天才エンジニア島津裕が、応接セットのソファの足元にクマのプリントのトートバッグを置き忘れたことから、話は再開されます。作者は、前作の「ICレコーダーを忘れちゃった作戦」がよほど気に入ったらしく、またこの手を使ったようです(^o^)/

帝国重工内の社内抗争のあおりで、宇宙航空部の主役を外れ脇役にまわることになった財前道生は、今までのGPSに比して画期的な精度を誇る準天頂衛星ヤタガラスの能力を活かし、社会に貢献できるものとして、無人農業ロボットを発想し、まず無人自動運転トラクターの開発を企画します。エンジンとトランスミッションは佃製作所に外注し、トラクター本体は帝国重工で作るという案でした。そのための自動運転のプログラムは、佃社長の学生時代の仲間で、今は北海道農業大学の教授となっている野木博文のものです。ギアゴースト社を離れ、佃製作所に迎えられた島津裕は、自分の設計した小型トランスミッションの不具合に気づき、その解決法として特許を取得します。しかし、ライバル会社ダイダロスのエンジンとギアゴーストのトランスミッションに、以前、野木研究室から盗んだプログラムをもとに企業化したキーシンの通信制御システムという組み合わせの「ダーウィン」が華々しくデビュー、帝国重工側も的場俊一の誤った舵取りのおかげで迷走を余儀なくされます。

しかし、結局は現場で実際のニーズに向き合う開発か否かがポイントになるわけで、水害に會った殿村の実家の田んぼが実験ほ場の役割を果たし、帝国重工の「ランドクロウ」も着実に改良されていきますが…というお話。



前作『ゴースト』に続く『ヤタガラス』。いや、実に面白かった。最初の『下町ロケット』で宇宙航空技術に始まった物語が、ついに準天頂衛星による無人農業ロボットとして結実するのですから、なかなか考えられた構成です。テレビ番組が人気シリーズとなるのも納得の面白さです。

ただし、いざ自分の世界に置き換えて、「ランドクロウ」は農業を救うかと問われれば実は疑問符が付いてしまいます。そうですね、たしかに誤差が数センチの精度を持つ無人農業機械が普及すれば、農業の担い手不足の問題はだいぶ緩和されるかもしれません。でも、高額な農業機械を導入できるのは、平坦な農地を確保した大規模農家や農業法人に限られ、農業法人も担い手の病気やリタイアで、徐々に一人に集積してしまうことになり、それを突き詰めれば戦前の大地主の姿を変えた復活にほかならないのでは? 別の言い方をすると、戦後の農地改革はマチガイでしたということになるでしょう。農業の大規模専業化という方向が本当に日本の農業を救うことになるのかは、いささか疑問に感じられてなりませんけどね〜(^o^)/

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池井戸潤『下町ロケット〜ゴースト』を読む

2019年08月04日 06時01分07秒 | 読書
これまで『下町ロケット』(*1)、『下町ロケット〜ガウディ計画』(*2)と二作を読んで来ましたが、今度は三作目にあたる『下町ロケット〜ゴースト』を読みました。宇宙ロケットエンジンのバルブシステムに技術的強みを持つ中小企業・佃製作所が大企業との知財訴訟に勝利し、医療用バルブシステムに進出、こんどは農機具の分野です。まさに現在のわが領域です(^o^)/

佃製作所がエンジンを納入している農機具メーカーのヤマタニが、社長の交代を機に計画を白紙に戻したいと言い出します。背景にあるコスト競争の相手は、かつて危機を経験し経営改革によって復活してきたメーカー「ダイダロス」でした。佃製作所の経営陣が鳩首協議する中に、経理部長の殿村直弘の父親が倒れたとの報せが入ります。心筋梗塞だそうです。後日、佃社長が見舞いにでかけた先は、栃木県の稲作地帯で300年間代々稲作を受け継ぎ、今は二十町歩の水田を経営する旧家(*3)でした。そこで、ヤマタニ製トラクターによる農作業の様子を見て、農機具用トランスミッションに着目します。使われるバルブに佃製作所の技術を生かせないか、というわけです。

コストダウンをねらうヤマタニが目をつけた会社・ギアゴーストは、帝国重工から飛び出した二人、伊丹大と島津裕が起こしたファブレス・ベンチャー企業でした。同社のCVTタイプのトランスミッション用バルブのコンペで、大森バルブに競り勝った佃製作所チームは、ギアゴーストに降りかかった特許侵害の知財訴訟に肩入れすることになります。ところが、この裁判には実は裏がありました…というお話です。



ストーリーはおもしろいし、農業機械に関する描写もかなりリアルです。例えばトランスミッション。今回、我が家で更新した乗用草刈機の場合はマニュアル・トランスミッションで、前進1速〜4速と後退とを手でギアを切り替えるタイプです。これに対して、20万円ほどお高い上級機種は、フットペダルを踏む方向で前進と後退を、また踏み加減で前進速度を無断階に変速できるタイプでした。おそらくはCVT型のトランスミッションだったのでしょう。こういう機械の開発現場が舞台なのだと思うと、読む方にも思わず力が入ります。

がんばれ、島津裕! 

そうそう、なんだか同じように企業に勤める理系女子ということで、下の娘を応援しているような気分にもなってしまいます(^o^)/

(*1):池井戸潤『下町ロケット』を読む〜「電網郊外散歩道」2012年2月
(*2):池井戸潤『下町ロケット〜ガウディ計画』を読む〜「電網郊外散歩道」2018年10月
(*3):このへん、ちょっと戦後史的におかしい。農地改革を経て稲作を継続できたのは自作農までで、かつての大地主はほぼ耕地を失っていたはず。当地では、かつての大地主はほとんど没落し、代わって昔小作人だった農家のごく一部が多くの水田を集積し、何十町歩も耕す大規模専業農家になっている例がほとんどです。

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梶よう子『赤い風』を読む

2019年07月31日 06時04分25秒 | 読書
文藝春秋社から2018年に刊行された単行本で、梶よう子著『赤い風』を読みました。2017年に埼玉新聞に連載された、地域史に基づく作品のようです。

物語は、江戸時代の武蔵野台地に残された入会地が、多くの村落の秣場(まぐさば)として利用されているところから始まります。境界がはっきりしないために、複数の村落が互いに争う中で、とうとう十歳になったばかりの正蔵の父親・吉二郎が他村の五人組の男たちに襲われた際に息子をかばって頭を強く殴打され、帰宅後に死亡します。しかし、犯人は軽い叩き刑で放免され、遺された母子は他村に労働力として縁付くのです。このような多年にわたる秣場の争いも、新たに川越藩主となった柳沢吉保とその腹心の家老・曽根権太夫らの調査により、川越領として解決をみますが、問題はここから。将軍徳川綱吉の肝いりで三富神殿の開拓が始まります。

ここからは、二年と期限が切られた開拓の経緯が、かなり具体的に描かれます。一軒あたり五町歩の細長い短冊状の土地は、防風林に囲まれた家屋とこれに続く耕地、その奥の屋敷林からなっています。赤い風となる火山灰の土地に、落葉樹の落ち葉を集めて作る堆肥をすきこみ作物を育てるという、今風に言えば「循環エコ農法」。開拓を志して集まってきた人々の中に、成長した正蔵と、父親を殺した鶴間村の悪党・藤兵衛が名前を変えて加わっています。家老・曽根権太夫と嫡男・啓太郎が自ら村に住む開拓は、はたして成功するのか、また正蔵らはどうなるのか、叙事詩的な展開で物語は進みます。



なかなかおもしろかった。今も残る川越の三富新田が日本農業遺産に指定されていることなど、初めて知る史実も興味深いものがありました。しいて言えば、後に登場する荻生徂徠など歴史を有名人の智謀に帰着させて展開しようとする傾向には疑問を感じます(*1)が、まあこれは歴史学の論文ではなくて小説ですから(^o^)/

(*1):当地には、やはり江戸時代に、地域の豪農たちが中心になって灌漑用水路を開削したり、あるいは大きな溜池をいくつも作ったりした史実があり、かならずしも有名人の名前が出てこなくても歴史は作られてきたという認識があるからです。

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樋口直哉『星ヶ丘高校料理部・偏差値68の目玉焼き』を読む

2019年07月28日 06時08分57秒 | 読書
講談社文庫で2018年5月に刊行されたのを購入したまま積読していた本、樋口直哉著『星ヶ丘高校料理部・偏差値68の目玉焼き』をようやく読みました。なんでまた、学園料理ドラマ文庫書き下ろしなんぞを読もうと考えたのか、すでに忘却の彼方ですが、たぶんプロローグの目玉焼きのうんちく部分にピピっと反応したものと思われます。登場人物は、料理部顧問の沢木先生に気があるらしい藤野和音に誘われて入部した篠原皐月、部長の内海明人先輩の腕前にびっくりしています。

第2話:「メレンゲの秘密ーふわふわオムレツ」。スフレ・オムレツを上手に作るためには、メレンゲづくりが大切です。泡立ちをよくするために、「クレーム・オブ・タータ」(*1)を微量添加して卵白の状態を安定させようと、産地見学にでかけます。ぶどう園の先には坑道がありましたが、終戦の年に大量のワインが一夜にして消えた事件があったことを聞きます。部長の内海は謎を解いたみたい。私もわかりました。県産ワインの醸造元「天童ワイン」を見学した際に、発酵タンク内に付着する「酒石」のかたまりを見せてもらったことがあり、これが潜水艦のソナーの圧電素子の材料として使われたことを知っていたからです(^o^)/

第4話:「母の味ーカレーライス」。夏休みに料理部で合宿をすることになります。場所は伊豆下田。沢木先生が若い頃にアルバイトをしていたという、今は廃業した温泉旅館や、内海の父親が買ったという日本家屋、離婚して今はイギリスにいるという内海の母が作ったレシピなどが登場します。部長の内海先輩の秘密が少しずつ明かされてきます(^o^)/

第5話:「星祭りー模擬店のハンバーガー」。学校の文化祭で、料理部はハンバーガーを出すことになりますが、ハンバーガーなんて、と思ってはいけないのですね。専用のパン、中に入れる肉の焼き方、いや、もっと大事なことがありました(^o^)/



高校生の、ちょいとこそばゆいほのかな恋模様を織り交ぜながら展開される料理うんちくのドラマ仕立て、といったところでしょうか。料理に関心を持つ若い人だけでなく、れっきとした中高年ヲジサンの読者を獲得しましたよ、作者殿(^o^)/
作者は、どうやら本職のフレンチの料理人らしいです。どうりで詳しいわけだ!

(*1):酒石酸水素カリウム。例えばこんな商品
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ベルンハルト・シュリンク『朗読者』を読む

2019年07月22日 06時02分12秒 | 読書
この冬に久保寺健彦著『青少年のための小説入門』をおもしろく読み(*1)、この作品のベースとなっているものの一つに、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』があるのではないかと想像しました。そんな連想がきっかけではありましたが、新潮社クレストブックス・シリーズ、『朗読者』を再読しました。2000年4月発行、訳は松永美穂。



本書を初めて読んだのはいつごろだったのかな?
どれどれ?

$ grep "朗読者" memo-utf.txt
〜中略〜
2003/09/22 ベルンハルト・シュリンク『朗読者』読了 ○○○○○△△店で新潮社刊のベルンハルト・シュリンク著『朗読者』を購入、読了した。第1部は少年と30代女性の恋、第2部は女性の強制収容所における役割を問う裁判、第3部は女性の晩年の死である。1人の貧しい女性の文盲を背景とし、終身刑を宣告された刑務所内で、読み書きできる力を得て、アウシュヴィッツ等の強制収容所関連の書籍を読んでいた事実などを示す。年の離れた恋人どうしは、若い世代と上の世代とを象徴するのだろう。表紙の人形も示唆的である。



このブログを始める少し前、最初の単身赴任の頃でしょうか。読み終えた後の印象は、今回も変わりませんが、細部で理解が深まったと感じるところがいくつかありました。例えば第二部、ナチスの戦争犯罪の責任を問う裁判の中で、収容所の看守仲間だった口の悪い女がハンナに罪を着せて自分は責任を逃れようとします。

「あの女に訊いて下さい!」
彼女はハンナを指さした。
「あの女が報告書を書いたんです。あの女のせいなんです。あいつ一人の。報告書を書いて事実をもみ消そうとしたのも、あたしたちを巻き込もうとしたのもあの女です」(p.120〜1)

そんなはずはありません。ハンナはなぜミヒャエル少年に朗読してもらっていたのか。なぜ二人だけの旅行でメモを残していたのにあんなに怒ったのか。ハンナは文字を読むことも、自分の名前以外に字を書くこともできないのですから、筆跡鑑定をされれば字を書けないことが知られてしまうのです。だからこそ、裁判長に

「専門家をよぶ必要はありません。報告書を書いたのはわたしです」(p.124)

と嘘をついたのでした。

文盲であることを知られたくない、知られれば自分の出自(ロマ)が推測され、自分自身も収容所に入れられてしまいかねない。それがハンナの生き方を決めている。収容所の看守仲間に裏切られたのも、その事実を知られたくないために強引なことをやって恨まれたりしていたからでしょうし、36歳のハンナが15歳の少年を恋人にしたのも、性に夢中になる少年ならば自分の秘密を隠すことができるからという要素もあったのでしょう。ところが、必ずしもそうはいかなかった。

第三部の終わりに、終身刑で服役中に、ミヒャエルが朗読して送ってくれるテープと本を照合して文字を覚え、手紙を書けるようになり、様々な本を読めるようになったハンナが、仮出所を前になぜ自殺したのか。結果的にナチスの戦争犯罪に加担したことを理解した罪の意識もあったでしょうが、おそらくそれだけではないでしょう。ハンナから自筆の手紙を受け取りながらその返事を書くことはせず、相変わらず朗読のテープを送り続けた「坊や」が、若かった頃の自分を大切に思ってくれるのは嬉しいけれど、過ぎ去った時の重さというか、服役して年老いた今の自分を受け入れ以前のように愛してくれるとは限らない、一度は捨てた彼の人生にさらに負担をかけるだけだと思ったのも大きな要因なのではなかろうか。

晩年のハンナと同年代になった今、この心境はよく理解できます。そして、収容所から生き延びた少女に会い、ハンナの遺志を伝えるエピソードは、余韻の残るものです。16年後の再読は、人生のほろ苦い味わいとともに、良い作品を読んだ後の充実した読後感でした。

(*1):久保寺健彦『青少年のための小説入門』〜「電網郊外散歩道」2019年2月

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岩岡千景『セーラー服の歌人・鳥居』を読む

2019年07月14日 06時04分05秒 | 読書
過日、鳥居『キリンの子・鳥居歌集』を読み(*1)、そのインパクトの強さに、この歌人がどんな境遇で育ったどんな人なのか、興味を持ちました。同じ角川から、岩岡千景著『セーラー服の歌人・鳥居』という本が出ていましたので、読んでみました。

帯には

母の自殺、小学校中退、
施設での虐待、
ホームレス生活

とあり、「拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」と紹介されています。いささかセンセーショナルな宣伝ですが、いやはや内容もすごかった。これが実話だというのですから、思わずため息が出ます。

歌人・鳥居の誕生までの経緯もそうですが、むしろ鳥居さんの母親の不幸がいたましい。娘時代に、その父(鳥居から見れば祖父)から性的暴力を受け、それが背景になって家を嫌い、家を飛び出します。女優として、脚本家を目指す夫と貧しい暮らしを続ける中で鳥居さんを出産、しかし両親は離婚。典型的な不幸街道まっしぐらです。どうやらこの家族の不幸の発端は、この祖父にあるみたい。家族を守るはずの家で、子どもが犠牲になった事態だったようです。

とかく変な目で見られがちな「セーラー服姿の歌人」という点について、義務教育である中学校を形式的に卒業してはいるけれど、実質は小学校中退であることから、夜間中学などでもう一度きちんと勉強したいけれどそれが許されなかったことへのアピールで始めたのだそうな。なるほど、それで『キリンの子・鳥居歌集』に

慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

という歌があったのですね。

(*1):鳥居『キリンの子〜鳥居歌集』を読む〜「電網郊外散歩道」2019年7月
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鳥居『キリンの子〜鳥居歌集』を読む

2019年07月08日 06時02分19秒 | 読書
たまたま薦められて手にした本、鳥居著『キリンの子〜鳥居歌集』を読みました。2016年に角川書店から刊行されています。
冒頭の「海のブーツ」の章、始まりは

病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

というものです。はて、多くの窓が割れていて、一つだけ割れていないという荒れ果てた病院なのかという想像が一瞬頭をよぎりましたが、いや違う、割ろうとしても割れない窓が一つだけある病室ということは、帚木蓬生さんの本(*1)にあるような精神科病棟なのだろうと想像を訂正。これに続く二首は、

助けられぼんやりと見る灯台はひとりで冬の夜に立ちおり
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で

というもので、ははあ、入水自殺を図ったことのある人なのだなと察します。
続く「職業訓練校」の章では、

昼ごはん食べず群れから抜けだして孤独になれる呼吸ができる
セパゾンの袋をコートに隠しつつ「不安時」の印字見られぬように

というような生活を送りますが、ここで得たタイピング等の技能は、後の活動に役だったと言って良いのでしょう。
そして「キリンの子」の章では、

亡き母の日記を読めば「どうしてもあの子を私の子とは思えない」
花柄の藤籠いっぱい詰められたカラフルな薬飲みほした母

おそらく母子家庭で、作者が子供の頃に母親が心を病み自殺したという経験をしているようです。そしてその後の人生を送った場所である孤児院も、

帰りたい場所を思えリ居場所とはあの日の白い精神病棟

と歌うような、壮絶な環境だったようです。

しかし、「家はくずれた」の章でで描かれた作者の小学生時代の母親の姿には

サインペンきゅっと鳴らして母さんが私のなまえを書き込む四月
味噌汁の湯気やわらかくどの朝も母はわれより先に起きていて
金柑の垣根の前でもう一度手を振り返す朝の約束

など、どこか優しさが感じられるところがありますが、心を病んだ母には過酷な生活だったのかもしれません。

カーテンを開けない薄暗い部屋に花柄を着た母がのたうつ
副作用に侵されながら米を研ぎ、とぎつつ呻くあの人は母
夕飯を一人で片付ける母の味方は誰ひとりいない家
泣いたってよかったはずだ母はただ人参を切るごぼうを洗う

うーむ、こんな調子で続けていたら、本一冊を全部紹介してしまいそうです。それは適切ではないでしょうから、このへんで本書の中でお気に入りとなった短歌をいくつか書き留めて終わりにします。

壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ

本書の帯には、作者についてこんなふうに紹介していました。

目の前での母の自殺、児童養護施設での虐待、
小学校中退、ホームレス生活------
拾った新聞で字を覚え、
短歌に出会って人生に居場所を見いだせた
天涯孤独のセーラー服歌人・鳥居の初歌集。

作者について、作者の母の境遇について、もう少し知りたいところです。

(*1):帚木蓬生『風花病棟』を読む〜「電網郊外散歩道」2015年11月帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む〜「電網郊外散歩道」2016年4月

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久保寺健彦『青少年のための小説入門』を読む

2019年02月09日 06時05分56秒 | 読書
集英社刊の単行本で、久保寺健彦著『青少年のための小説入門』を読みました。イジメられっ子中学生の入江一真が万引きを強要され、駄菓子屋の店番をしていたヤンキーの田口登につかまります。登は文字を読んだり書いたりすることが困難なディスクレシアという学習障碍を持っており、一真に本の朗読をするなら許してやると持ちかけます。実は登は、文字の読み書きはままならないけれど、抜群の記憶力と創作力を持っており、作家になるのが夢でした。その日から中学を卒業して高校生になっても、一真は図書館員の勧める様々な名作を朗読し、これが二人の文学修行になります。やがて二人は、清水健人というペンネームで覆面の二人作家としてデビューし、人気が出ていきますが…というお話。

いや、おもしろかった。久々に引きこまれ、一気に読みました。同時に、本作のベースの一つになっているのは、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』ではなかろうか、と感じました。『朗読者』のほうは、虚弱な少年ミヒャエル・ベルクが、偶然にずっと年上の女性ハンナ・シュミッツに助けられたことがきっかけとなり、彼女のために朗読をしつつ性の経験を重ねるうちに、互いの関係が密接に離れがたいものに変わっていくのですが、彼女はある日突然に姿を消してしまいます。実は…という話でした。

弱っちい少年が、だいぶ年齢の離れた大人に助けられ成長する中で、彼を助ける大人の弱さや罪に気づき、その悲哀を理解する話であるという点で、共通するところがあります。どちらも大人(登とハンナ)の死によって終わりますが、『青少年のための小説入門』の方は、少年がそこから再びスタートする点が違っています。



小説家の苦悩を描く部分は、たぶん著者自身の経験が色濃く反映されているのでしょう。ありすの存在は、一真の少年時代の健康さを確保するための役割でしょうか。本書をきっかけに、『朗読者』をもう一度読んでみたいものです。

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上田岳弘『ニムロッド』を読む

2019年02月02日 06時03分36秒 | 読書
講談社の文藝雑誌『群像』の2018年12月号で、上田岳弘著『ニムロッド』を読みました。第160回芥川賞受賞作の1つですので、実にタイムリーではあります。

「心臓麻痺」で停止したサーバーを再起動するのが中心のサーバー管理の仕事をしつつ、仮想通貨のマイニングをはじめ、実用にならないダメな飛行機の話(*1)を書いてくる男や、染色体検査で異常がわかった胎児を中絶した女、皆が同じように考え一つになってしまうのを塔の上から眺める話、左目だけから流れる涙など、色々な素材をつなぎあわせて、現代の雰囲気の中に昔の人と変わらぬ疑問を投げかける話、と読みました。

サーバー管理の日常は職業や仕事の、仮想通貨は金儲けの意味を問い、駄目な飛行機の話にはどこか虚無感が流れます。染色体検査のエピソードは夫婦や愛情やハンディキャップと人生の意味に苦味を与え、塔のエピソードには疎外感や孤独感が流れます。現代風のよそおいの下に内包される普遍性。おそらくは、だから多くの人に訴えることができるのだとも言えるでしょうか。

(*1):このサイトは実際にありました。ダメな飛行機コレクション



余談です。

1台や2台のサーバーならば、管理するのも楽しさがあるでしょう。純粋な好奇心から、様々なプログラムがどんなふうに動いているのかを知るのは実に興味深いものです。しかし、管理しなければいけないサーバーの数が数千台を超えるようになると、これを1台1台こまかく管理するのは事実上無理でしょう。不具合が起これば再起動するだけの作業員になってしまうのも無理はありません。好きで入った仕事が、やがて苦痛になり、意味が感じられなくなる。台数の、もっと言えば数量的な増加は仕事の質を変える、ということでしょう。実感としてわかります。

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『文春文庫解説目録2018』を眺めて

2018年12月28日 06時04分15秒 | 読書
先日、行きつけの書店で『文春文庫解説目録2018』という冊子を入手しました。文庫本の書名と短い解説を、著者名順に並べたもので、かつては岩波文庫や新潮文庫などでもよく見かけたものです。自分がすでに読んだものをマークして、未読のものでおもしろそうなタイトルの目星をつけるのは、読書好きにとってはけっこう楽しみな時間でした。

同様に、今回も文春文庫等をリサーチ。「文春学藝ライブラリー」というシリーズの中に、E.G.ヴァイニング著『皇太子と私』という本を見つけました。これはたぶん、以前に記事にしたことがある、リーダーズ・ダイジェスト選集の中にあった、あの本(*1)ではなかろうか? 50年ぶりの出会いになるのかもしれません。行きつけの書店に、さっそく手配・入手しました。

(*1):祖父の本で『リーダーズダイジェスト選集:世界のベストセラー16選』を読む~「電網郊外散歩道」2017年5月

ん? 我が家のアホ猫が何か言っています。

でもねぇ、この表紙はなあに? ブサカワイイって、こういうの? それならアタシたちのほうが、よっぽど表紙にふさわしいと思うわ。モデル料は要らないから、あ、違った、ササミでいいわ。

うーん、思わず絶句(^o^)/
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門井慶喜『家康、江戸を建てる』を読む

2018年12月09日 06時05分10秒 | 読書
祥伝社文庫で、門井慶喜著『家康、江戸を建てる』を読みました。以前、単行本が出た時には注目したのですが、入手する前に忘れてしまったようで、この度、文庫本として発売されたのを機に、読んでみようと手にしたものです。
構成は次のとおり。

第1話:「流れを変える」
第2話:「金貨を延べる」
第3話:「飲み水を引く」
第4話:「石垣を積む」
第5話:「天守を起こす」

ここで、第1話:「流れを変える」は、利根川東遷の話(*1)です。秀吉の小田原攻めの際に、秀吉は家康に、北条氏の旧領である関東八カ国を与える代わりに、現在の所領、駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を差し出すように命じます。
これを承諾した家康は、江戸・千代田の地に住まい、伊奈忠次の案により利根川の流れを変えて、水浸しの江戸の地を干そうとします。
このあたりは、現在から昔を推測した傾向があり、始めからそのような雄大な意図を持っていたかどうかは疑問なのですが、家康個人に結びつけることによって、お話としては面白くなった面があるでしょう。

第2話:「金貨を延べる」は、後藤庄三郎と小判の話。家康が秀吉に願って、貨幣鋳造役の後藤家から名代が到着しますが、関東があまりに田舎なので、橋本庄三郎という職人を置いてさっさと京に帰ってしまいます。庄三郎はようやく実力を発揮できるようになり、十両の大判ではなく、使い勝手の良い一両の小判の鋳造を始めます。いろいろあって、関ヶ原の決着がついた直後に、京都に高札を立てた庄三郎の行動は、なかなか読ませる場面です。

第3話:「飲み水を引く」。湿地は多いが良質の飲料水は乏しかった江戸に、上水道を引く話です。江戸の水道インフラの整備が後の百万都市の基礎になったことを思えば、溢れる水を制御する工夫は、たんなる水力学上の意義にとどまらないでしょう。

第4話・第5話も面白いのだけれど、城や天守の話はいまひとつピンときません。やっぱり多くの人々の生活に直結する土地や貨幣経済や上水道の話のほうが興味深いです。さらに言えば、下水道の代わりに整備された人肥リサイクルのしくみは、徳川の誰の時代に、どなたが考案したものか?そんな方向に興味が向かいます。「天守は不要」、同感。まあ、理想的には城自体が不要な方が望ましいのですが(^o^)/

(*1):利根川の東遷、荒川の西遷〜東京の川と橋

【追記】
なんでも、NHK の正月時代劇でこの作品を取り上げるのだそうです。調べてみたら、そのとおりでした。放送予定は1月2日と3日の21:00〜22:13、2夜連続。お正月が楽しみになりました。
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山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』を読む

2018年11月21日 06時01分27秒 | 読書
雑誌『文藝』の新人賞受賞作品で、山野辺太郎『いつか深い穴に落ちるまで』を読みました。理系的センスで言えば荒唐無稽でも、小説的面白さの観点からは、ある意味、痛快な話です。

戦後のある時期、ある官僚の発案で、日本から地球の裏側にトンネルを掘る計画が立てられ、なんともはや、その計画は実際にスタートしてしまいます。山梨県からブラジルへ、温泉を掘削するというような偽装をしながら実際に温泉を掘り当てたりしつつ、穴は深部へ延びていきます。逆にリオ・デ・ジャネイロ側からも着々と掘り進められているのだそうで、広報係のもとへリオの広報担当の女性からメールも届きます。このあたり、歴史の大雑把な輪郭をたどりながら、地球深部には高温のマントル層があるという地球科学の知識などは一切無視して、ついに深い穴は貫通の時を迎えます。

この時点で、結末を予想してみました。おそらくは、男が穴に飛び込んで、地球中心部までは加速しつつ落下するけれど、地球の中心を過ぎれば引力のために次第に減速し、リオ側の穴から飛び出すことが出来ず再び落下していき、日本とブラジルの間で振り子運動を繰り返す、というオチではなかろうか?

残念ながら、実際の結末はまるで違いました。物理学の法則などまるで無視して、地球の中心を過ぎてもぐんぐん加速を続け、やがてリオの側で受け止めようと網を張っていたのも突き破り、宇宙空間へピューン!(^o^)/
そうか、ブラジルでは重力が反対向きに働いているんだ。すると、ブラジルではリンゴは上方に落下するんだ(^o^)/



作者は、たぶん意図的に地球科学や物理学的制約を外し、想像のおもむくままに物語を作り上げたのでしょう。ライトノベルの魔法や転生や、ありえない想定と根っこは一緒です。想像のおかしみ、真面目な相貌を持つ破天荒な空想力。深読みして、何か別なふうに読み解こうとすることもできるでしょうが、この作品の「呆気にとられる」ほどの可笑しさを楽しむことといたしましょう(^o^)/

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池井戸潤『下町ロケット・ガウディ計画』を読む

2018年10月24日 06時03分53秒 | 読書
小学館文庫で池井戸潤著『下町ロケット・ガウディ計画』を読みました。2012年の冬に、前作『下町ロケット』を読んで(*1)から、もう六年以上経っていることに驚きながら、佃製作所に舞い込んできた謎のバルブ部品の試作の話を読み始めたら、もう大変、思わず引き込まれて一気に読んでしまいました。

今回の話は、帝國重工に継続して納入しているロケット用バルブ部品の話にも、新規に試作依頼があった人工心臓「コアハート」のバルブ部品の話にも、共通して絡んでくるライバル企業サヤマ製作所との軋轢です。佃 vs サヤマ。経歴も社風も考え方も違う対立に加えて、貴船 vs 一村 という医科大学の心臓血管外科の医師どうしの対立もあり、以前の帝國重工におけるトラブルで佃製作所を憎んでいる者や、許認可権限をかさに威張る役所の人間なども、複雑な動きをします。そういったしがらみの中にあって、娘を失ったサクラダの社長の思いや佃製作所の若い社員たちの奮闘など、思わずじんとくる場面もありました。

あらすじを追うことは、これから読む方々にとってはせっかくの作品の興趣を損ねる面がありましょうから割愛いたしますが、思わず一気読みしてしまう面白さでした。



心臓外科手術といえば、先年老母の経カテーテル大動脈弁置換術に立ち会う経験(*2)をしたばかりです。トイレに行くためにわずかな距離を歩くにも、途中で一休みしなければいけなかったのに、手術後は90歳を過ぎてなお、再び畑に出て二時間程度の畑仕事で野菜作りを楽しめるようになっています。大動脈弁と言えば、まさにこのバルブに相当するものではなかろうか。たかがバルブ、されどバルブなのです。心臓という収縮型ポンプシステムのキー・デバイスと言っても良いでしょう。その意味でも、リアルに面白く読むことができました。

(*1):池井戸潤『下町ロケット』を読む~「電網郊外散歩道」2012年2月
(*2):リアルタイムに見る経カテーテル大動脈弁治療(TAVI)に感動する~「電網郊外散歩道」2017年7月

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