行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2015年2月28日(土)の日記

2015年02月28日 | 日記

3年ぐらい前から週1回程度、この日記を休むようにしているが、この2月は週休2日にしてみるのを試してみた。先週は間を1日空けた飛び石連休にしたが、今週は木金と連休にした。これでちょうど28日=4週間ある2月で8日の休みにした。

今後、どうしようかと思ったが、別に絶対に週休2日というふうにはしない。書くことがあれば週に1日も休まずに書くし、書くことが無ければときには3連休にしてもいいだろう。土日祝日は他の曜日よりも書いているが、書くことがなければ休むことにする。

ただ、自分の生活の中で、散髪とダンベルエクササイズは、前はいつだったかとかどれぐらいの頻度かとかを記録したいので、それがある日は書くことにする。

 

この週末の行徳雑学館トップページのレポートは、行徳総合病院の移転を取り上げるつもり。明日は雨になりそうなので、今日、カメラを持って新旧の病院のようすを写しに行く。

最初に行徳駅前で昼飯。

去年夏、南行徳メトロセンターにあった、そばの松ちゃんが高架の耐震強化工事でスペースが使われるとのことで閉店してしまった。行徳駅前の店は続いていると思っていたが、何ヶ月あとにこちらも閉店していたことを知った。そして、行徳駅前の松ちゃん跡には、そば処やしまという店が入ったことを知る。

そのやしまへ行ってみる。看板のカラーリングなどは松ちゃんのときとほとんど変わっていない。

店内もほとんど変わっていない。ということは居抜きで新しい店になったということ。メニューも松ちゃんのころと同じぐらいの値段。つまりは立ち食いそばの値段。

食べたのは春菊天そば(380円)。

 

カメラを出して、新旧の行徳総合病院以外にも目に付いたものを写していく。

行徳駅南口広場の花壇。

同じく南口の駅前広場。

行徳駅前一丁目の(旧)行徳総合病院。

南行徳に住んでいる自分はここはちょっと遠いので、これまでお世話になったことはない。だけど、このあたりに来ると、道路を挟んだ建物間の連絡橋は目に付く。

玄関のガラス扉の向こうには、移転についてのお知らせが掲示されていた。

昨日2月27日で現病院(旧のほう)での受付終了。そして3月4日(水)から新病院で受付開始とのこと。病院の公式サイトにもこの情報は掲載されている。

新病院への移転作業が行われていた。

行徳駅前通りを海の方向へ歩き、千鳥橋から病院の移転先・・・加藤新田の再開発エリアであるミントガーデンシティを見る。

2棟の大規模マンション・・・ヴェレーナシティ行徳の向こうに、新しい行徳総合病院の建物の上層階が見えている。

市川水路沿いを歩いて再開発エリアへ向かう。途中見かけた水路を泳ぐ水鳥。

大規模マンション・ヴェレーナシティ行徳の2棟目は、とっくに完成している。マンション前の道に入っていくと、街路樹として植えられたヤシの木が目に付いた。

ショッピングセンター・フォルテ行徳と道路を挟んだ向かいが新しい行徳総合病院。

正面玄関には引っ越し作業用の養生が行われていた。

この病院がある場所は住所だと加藤新田になるはずなのだが、なぜか新住所は本行徳5525-2。

本行徳と言っても旧道(行徳街道)沿いの本行徳ではなく、建設残土の山、いわゆる行徳富士があったりする、まだ住居表示が実施されていないエリアの本行徳。東西線が通った時期にそれまで水田だった地域を区画整理して、新しい町名が付けられたわけだが、それまでは本行徳やそのほか旧道沿いの町名の範囲はもっと海側まで広い範囲だったのだろうと思う。それが、富浜や塩焼といった新しい町名で分断され、旧道沿いの本行徳と海側の住居表示未実施エリアの本行徳が存在する形になっているようだ。

だけど、住居表示未実施の本行徳はミントガーデンシティとは道路(千鳥町ランプのほうからの道)を挟んだ反対側。市販の昭文社の県別マップルや、ネット上の地図サービスで見ても、この道が加藤新田と本行徳との境界。なぜ病院の新住所が本行徳なのかは謎。

バスで妙典駅へ向かい、電車で南行徳へ帰る。行徳雑学館トップページのレポートは明日やるつもり。

 

今日は家呑み。笹かまやチーズを海苔手巻きにして、それをつまみにして飲む。

飲むのはキリン一番搾りの350ml缶と菊正宗の樽酒300ml瓶。

飲みながら録画しておいた映画を1本、片付ける。

 

朝、ネットのニュースを見ていたら、大きなニュースが一つ。

スタートレックでミスター・スポックを演じたレナード・ニモイ氏死去。

それまでのシリーズの少し先の未来から、スポック...ではなく、その敵役のロミュラン人ネロが過去にタイムスリップしてきたことで新しいタイムラインが生じた設定で、スタートレックの世界がリスタートしたわけだが(映画「スター・トレック」(2009年))、その第2弾の映画「スター・トレック イントゥ・ダークネス」での、新しいタイムラインの若いスポックと未来から来たスポックとの会話が思い出される。

カーンという人物を知っているかという新スポックが問う会話で、未来から来た(レナード・ニモイの)スポックが、
「君たちの未来は君たちが作る。」
という意味のことを言う。

これが、自分のように、長くスタートレックのシリーズを見てきた者から見ると、旧シリーズのスポックの遺言のようだと思えたが、本当にそうなってしまったかのようだ。

一昨年ぐらいから、自分の年代が子供の頃から馴染んできた芸能関係の人たちの訃報が相次いだ。自分の親年代の人たちだが、そういう時期に差しかかっていると思える。自分の親もいつ送ることになるか分からない歳だが。

一昨年だが、納谷悟朗氏。「仮面ライダー」でショッカー首領の声、「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長、「ルパン三世」の銭形警部。

昨年は、加藤精三氏。「巨人の星」の星一徹。「ウルトラマン」のメフィラス星人。スタートレックのシリーズでは「スタートレック・ディープスペースナイン」吹き替えでオドー。
そして、永井一郎氏。訃報のときは「サザエさん」の磯野波平役が長年演じた代表的な役として報じられたが、自分には「宇宙戦艦ヤマト」の徳川機関長と佐渡酒造医師の二役、「機動戦士ガンダム」のナレーションが強く記憶に残る。

レナード・ニモイ氏、そして遅ればせながらこの2年ぐらいの間に鬼籍に入られた方々の冥福をお祈りいたします。