<鎌倉幕府成立にはたくさんの命が奪われた>
昨日に引き続き家でくすぶっていた。こんな日は読書に限る。11月半ばに風來で伊豆方面に行った折、修善寺によって、源頼家や範頼のお墓にお参りした。その時に改めて感じた鎌倉幕府勃興時の悲惨に興味を持ち、関連した本を読むようになっている。岡本綺堂「修禅寺物語」、永井路子「炎環」「北条政子」、「吾妻鏡現代語訳」などである。
平治の乱で殺されるところだった源頼朝は、平清盛の義母池禅尼に命を救われ、伊豆蛭ヶ小島に流された。その頼朝が30代半ばになった時、北条氏をはじめとした坂東武士にかつがれ挙兵。見事、平家を駆逐し、鎌倉幕府を開くまでに成功を収めたのだが、その後は悲惨だった。平家滅亡に活躍した頼朝の弟たち義経、範頼は殺され、頼朝の死後(この死も多分に怪しいが)も、後継の頼家、実朝、公暁も殺された。さらに、幕府設立に功のあった、梶原、比企、和田、畠山、三浦なども粛清されてしまうという凄惨な出来事が続き、「執権北条」が誕生する。
栄枯盛衰というか、諸行無常、盛者必衰というか。誠に驕れるもの久しからずである。鎌倉勃興期、多くの人が非業の死を遂げたが、よく読んでみるとそれらは単なる暗殺、虐殺ではなく、それぞれにいた仕方ない理由が存在する。北条政子自身、実の息子たち(頼家、実朝)や孫(公暁)を失っている。実家の北条家が生き残って執権政治を始めたからといって、喜んだわけではないだろう。きっと、心苦しい一生だったに違いない。
この平安時代の終焉から鎌倉幕府成立までの数十年間は、のちの戦国時代や幕末と匹敵するぐらい、歴史好きにはたまらなく面白い時代だ。小生も大いに興味ある時代である。この時代はNHK大河ドラマでも「平家物語」や「義経」「草燃える」などで取り上げてくれてはいるが、個人的には「北条義時」を主人公とする鎌倉時代勃興期をやってもらえるとありがたいと思っている。武士達の生き様だけではなく、その時代に行きた文化人、西行や運慶などにもスポットをあててもらえたら、この上ない。