日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『初級』授業の『進度』」。

2009-07-03 09:56:05 | 日本語の授業
 外に出た時には、暑くなかったのです。けれども、自転車を飛ばしているうちに、やはり汗がにじんできました。暑くはないと思わせておいて、ムシムシさんという伏兵をどこへやら隠している。この時期は、どうも、こういう、奇襲攻撃によく見舞われてしまいます。

すずめ

 今朝も、学校への道を走っていると、蹲って逃げない雀の子を見かけました。おっとっと、危ない、危ない。
「雀の子 そこのけ そこのけ お馬が通る」(小林一茶)

 さて、沖縄で梅雨が明けて、もう随分になります。関東の方では、どうでしょう。梅雨明けはいつになりますかしらん。夏の到来に先んずるように、道路沿いのお宅には夏特有の草花が姿を見せています。

 お庭の花は、華やかであったり、涼やかでスッキリとした風情であったりなのですが、空き地に生えた草花は、そうはいきません。「はびこる」とか、「しこる」としか言いようのないような状態です。雨が降り続いたからでしょう、ぐんと根を張り、茎も太くなり、また、花の茎を間引いていくという観念(自分自身で)はありませんから、伸びられるだけ伸びよう、太れるだけ太ろうと、身体をグイとばかりに突っ張っています。

 一見、鬱陶しいような有様にも見えますが、それも、この時期だけの「命の雄叫びである」と思えば、それもまた良しなのです。しかも、冬になれば、それらのほとんどが立ち枯れた姿を晒すことになるわけですから、寂しいですね。

 誰の一生にも、得意の絶頂期、「旬」というものがあります。そう思えば、我先に、空き地にギュウギュウとひしめいている、命の一つ一つが、愛しく思えて来るではありませんか。

 ところで、学校です。
 4月から始まった「Dクラス」は、今日で「初級Ⅰ」が終わります。それほど勘のいい人たちが集まっているというわけでもなく、また、「初級(Ⅰ)クラス」というのは(特に「4月開講」のクラスというのは)、途中から在日の方が入ってくることも多く、復習を繰り返したりしなければならないので、ペースが崩れやすいのですが、その割には、(三ヶ月で終了できたわけですから)まあ、予定通りと言えるでしょう。

 この「初級クラス」の「進度」についてなのですが、決して「速ければいい」というものではないのです。どんな学生が集まっているか、また、どれくらいのレベルや経験がある教師が教えるのかというのが大切なのです。ある程度の能力を備えた教師が教えるしても、(そのクラスに)休みがちの学生が何人もいたり、やる気がなかったり、しかも、勉強の習慣がない人ばかりだったりすると(まず、教えられる状態にないわけですから)、そちらの方を先に解決していかなければなりません。「どうして休むのか」、「どうしてやる気がないのか」を、授業を進めながら、個人指導していかなければならないのです。また、それとは別に、勉強の習慣がついていない人には、勉強の仕方を教えていかなければなりません。

 小学生ならいざ知らず、(すでに二十歳を過ぎているのにも係わらず)そうなのですから、「習慣を変えさせる」ということは、そう簡単な作業にはなりません。しかも、共通語(共に理解し合える言語)なしにです。教室で日本語を教えるだけではなく、こういう作業が必要になる人も、日本語学校には来ているのです。

 勿論、そういう人達ばかりということはありえませんから、常識的なスピードというのは、維持しなければなりません(他の人が困りますから)。私がここで言った「常識的なスピード」というのは、語学を習得するのが、多少苦手の人であろうと、(教師のやり方次第で)普通の人と一緒にやっていける速さという意味です。具体的に言うと、「初級」は(Ⅰ)、(Ⅱ)ともに、三ヶ月で終了ということです。これが、やる気があるだけでなく、語学を学ぶ上での勘が良かったり、既に外国語を習得(母国で、外国語を学び、しかもかなりのレベルに達している)していたりしますと、授業のスピードをさらに上げることができます。

 しかしながら、日本語学校に来る人達(「初級クラス」)のレベルが揃っている(クラス全員がそうである)ということは、普通考えられませんから、勢い、スピードはそれほど速くも遅くもできないということになります。その分、出来のいい人達のクラスでは、(他の人達の足並みが揃うまで)他の教材も入れ、別の意味で、(中級や上級になったときに)差が出るような授業構成にしていくと思います。

 けれども、この学校のように小さな学校では、学習に余力がある人には、(主に自習室で勉強しているときに)問題などを与えています。嫌がらないのです。ドンドン問題をしていきたがっているときに、問題を集中させて与えた方がいいときもあるのです。ただ、「ヒアリング」は別です。ある程度の時間が必要になります。速く進めすぎて、内容を消化できぬまま「中級」に入ってしまったら、それこそ、大ごとになってしまいます。

 一言で言えば、どのように低いレベルの教師であろうと、「『教科書』を『ハヤク』終える」ことはできます。「ハヤク」読めば、「ハヤク」終えられるではありませんか。レベルが低ければ低いほど、学生の状態が見えませんから、「終わった。終わった」、「『初級』は一ヶ月で終わった」とか、「『初級」は二ヶ月で終わった」とか、言ってのけることができるのです。当然、「きちんとした授業をしなければならない」というプロ意識もありませんから、それに対する罪の意識も、ありません。幸せなものです。

 またその反対に、クラスの学生達の素質は優れていて、しかもやる気に溢れているのに、「初級」の(Ⅰ)、(Ⅱ)の習得に9か月も、一年もかかるという学校もあります。そういう場合は、ゆっくりやるのではなく、一度普通のスピードで、先に流してみた方がいいと思いますが。全体が見えて初めて、わかると言うこともありますから。タラタラやっていたら、学生が飽きて、あったはずのやる気まで失せてしまいます。一度、「クラス」がそういう状態になってしまうと、立て直すのには何倍かの時間がかかってしまいます。

 「初級」の場合は、「(学生に)どうして」と思わせることなく、「あら、私、言えている」とか「あれ、出来てる。聞き取れている」という気にさせて、終わってしまった方がいいのです。授業の流れが止まると、普通の人は、考えても判らないことに引っかかって、先に進まなくなります。

 「初級」のうちは、教師には「授業力」プラス「騙しのテクニック」も必要になってくるのです。(学生が)それと気づかないうちに(立ち止まって考えたりしないうちに)、「初級」を終えてしまった方が勝ちなのです。「初級」さえ、終わっていれば、日常会話は一応できますから、世界が拡がってきます。その後、「中級」はいいとして、「上級」ともなりますと、彼らの母語のレベルが関係してきますから、一概に教師を責めることは出来なくなってきます。ただ、このことが判らない学生が案外多いのです。

 昨日のことでした。少しずつ、日本語の会話が「成立」し始めた「Dクラス(今年の4月生)」の学生に、「母国での学歴は忘れた方がいい。大学を卒業しているからといって、『留学生試験』や『一級試験』で、高得点がとれるとは限らない」と、非常に真っ当な、当然のことを、言いました。

 すると、「へえ~、本当ですか」という、ばかげた反応が、何人かから返ってきたのです。どこの国の人でも同じですが、特に、高等教育がそれほど普及していない国であればあるほど、そうなのです。教育を受ける機会が少ない処(そのほとんどは、経済的な理由と言えましょう。どこに生まれたか、或いは誰の子供として生まれたかで、すべては決まってしまうのです)から来た人達は、「大卒」というだけで、どうにかなる、または偉いと思っているらしいのです。(実際に、この学校は出来てから、すでに7年目に入りますが、この学校で、これまで「日本語能力試験(一級)」で、一番高い点数をとったのは、中国の日本語学科(本科生)卒業の学生でも、中国の有名な大学を卒業した学生でもありませんでした。中国人ではありますが、普通高校卒業生でもなかったのです。同じ教師が、同じように教えたにもかかわらず。

 彼らの反応を耳にして、またまた、「鉢巻き」を締め直しました。甘く見てかかっている連中には、少しでも早く痛い目を見せておかなければなりません。実際、このクラスはこの学校で勉強を始めてから、すでに三ヶ月近く経っているわけですから、この間、休まず、まじめに、学校で勉強を続けてきた人と、母国での学歴や日本語歴にあぐらをかいていた人達との間には、歴然とした差が出始めています。このことに気づけるかどうかも、これからを占う「よすが」となると思うのですが、こういう人達は、えてして気づかないものなのです。気づくように水を向けても、自分に不利なこと(本来は反対なのですが)には、目も耳も塞ぐという習慣がついているようで、せっかくの助言も無駄になることが多いのです。

日々是好日
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