雨。
さっきまで我慢してくれていたのに、耐えきれなくなったのでしょう、パラパラと雨を降らせ始めました。降り始めると、途端に「梅雨」時の雨になってしまいます。空気がしっとりと雨を含み、匂いまで、雨一色です。この時の雨の匂いは、「アジサイ(紫陽花)」の匂い…「アジサイ」の花の匂いが雨を伝わって漂ってくるのか、それとも、目にするのが色とりどりの「アジサイ」の花と、大きな葉に打ち付ける雨音だからか、それはわかりませんけれども。
しかしながら、もう「アジサイ」も終わりでしょうね。
昨日、地域の公園の美化活動に参加しましたら、公園の低い垣根のあちこちから「クチナシ(梔子)」の花が白い顔を覗かせていました。もう「クチナシ」の季節です。そう言えば「ホタルブクロ(蛍袋)」はまだかしらん。毎年、同じ花を同じところに探してしまいます。それを見つけることが、私にとっての「季節」なのでしょう。公園の「クチナシ」は誰かがそっと植えたのでしょうし、「ホタルブクロ」は野の花、こういうのがいい。
さて、学校です。
6月に入ってから、「二年生クラス」で「世界のニュース」を週一で始めています。今の学生の大半は真面目に見ているようで、少し助かっています。わずか30分ほどですし、こちらも口喧しいことは言わずに、せいぜい最初に地図で国の位置を確認させるから見せているのですが、「Aクラス」にいる在日の方から、「日本のニュースは面白いですね」と言われてしまいました。
これは、どこが面白いというよりも、相手に理解させるように話しているから…なのでしょうし、できるだけ、子供に偏見を持たせぬように偏りなくするというのも、「こどもニュース」の特徴なので、それも関係しているのでしょう。もちろん、人のやることですから、偏りはどんなに注意しても生じてしまうことはあるでしょう。けれども、意図的にそれをやるか、それとも注意しても生じてしまっているのかの差は大きいのです。
それに、人に、ある主義・主張を強制的に注ぎ込もうというわけではありませんから、安心してみていられるのでしょう。もっとも、そういう国から来ている人にとっては、叫びたくなるほど偏って感じられるのかもしれませんが。
先日、テレビを見ていましたら、あるアメリカ人の発言でしたが、こんなのがありました。
「私達には財産を相続する権利がある。父祖が危険を冒して海を渡り、戦って手に入れたものだから」もちろん、同席していた人の多くから、「まだ、あなたのような考え方をする人がいるなんて」と反論されていましたが。
歴史が、たとえ100年ほどのものであろうと、歴史がある国には、必ずと言っていいほど血生臭い何かがつきまとっています。こういうのは、洗っても洗っても洗い流せるものではありません。ただ、人間である以上、どこかで、歴史のどこかで、どの国も、同じようなことをしてきているのです。
学生達が、日本で、自国の価値観とは違うものを見て、少しでも、「あれっ」と思うことがあればと思います。それが自国のものを見直すきっかけにもなるでしょう。
グローバル化というのは、少なくとも、こういう点ではいいものです。
日々是好日
さっきまで我慢してくれていたのに、耐えきれなくなったのでしょう、パラパラと雨を降らせ始めました。降り始めると、途端に「梅雨」時の雨になってしまいます。空気がしっとりと雨を含み、匂いまで、雨一色です。この時の雨の匂いは、「アジサイ(紫陽花)」の匂い…「アジサイ」の花の匂いが雨を伝わって漂ってくるのか、それとも、目にするのが色とりどりの「アジサイ」の花と、大きな葉に打ち付ける雨音だからか、それはわかりませんけれども。
しかしながら、もう「アジサイ」も終わりでしょうね。
昨日、地域の公園の美化活動に参加しましたら、公園の低い垣根のあちこちから「クチナシ(梔子)」の花が白い顔を覗かせていました。もう「クチナシ」の季節です。そう言えば「ホタルブクロ(蛍袋)」はまだかしらん。毎年、同じ花を同じところに探してしまいます。それを見つけることが、私にとっての「季節」なのでしょう。公園の「クチナシ」は誰かがそっと植えたのでしょうし、「ホタルブクロ」は野の花、こういうのがいい。
さて、学校です。
6月に入ってから、「二年生クラス」で「世界のニュース」を週一で始めています。今の学生の大半は真面目に見ているようで、少し助かっています。わずか30分ほどですし、こちらも口喧しいことは言わずに、せいぜい最初に地図で国の位置を確認させるから見せているのですが、「Aクラス」にいる在日の方から、「日本のニュースは面白いですね」と言われてしまいました。
これは、どこが面白いというよりも、相手に理解させるように話しているから…なのでしょうし、できるだけ、子供に偏見を持たせぬように偏りなくするというのも、「こどもニュース」の特徴なので、それも関係しているのでしょう。もちろん、人のやることですから、偏りはどんなに注意しても生じてしまうことはあるでしょう。けれども、意図的にそれをやるか、それとも注意しても生じてしまっているのかの差は大きいのです。
それに、人に、ある主義・主張を強制的に注ぎ込もうというわけではありませんから、安心してみていられるのでしょう。もっとも、そういう国から来ている人にとっては、叫びたくなるほど偏って感じられるのかもしれませんが。
先日、テレビを見ていましたら、あるアメリカ人の発言でしたが、こんなのがありました。
「私達には財産を相続する権利がある。父祖が危険を冒して海を渡り、戦って手に入れたものだから」もちろん、同席していた人の多くから、「まだ、あなたのような考え方をする人がいるなんて」と反論されていましたが。
歴史が、たとえ100年ほどのものであろうと、歴史がある国には、必ずと言っていいほど血生臭い何かがつきまとっています。こういうのは、洗っても洗っても洗い流せるものではありません。ただ、人間である以上、どこかで、歴史のどこかで、どの国も、同じようなことをしてきているのです。
学生達が、日本で、自国の価値観とは違うものを見て、少しでも、「あれっ」と思うことがあればと思います。それが自国のものを見直すきっかけにもなるでしょう。
グローバル化というのは、少なくとも、こういう点ではいいものです。
日々是好日