日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

ベトナム人学生を教えるのに苦労したということも、「今は昔」のこととなりました。

2019-06-06 09:02:22 | 日本語学校
晴れ。

「梅雨入り」が、間近に迫っているというのに、梅雨時の花、「ホタルブクロ(蛍袋)」の花が、まだ見当たらない。例年、「このお宅の庭に咲いていたのだけれども…」と思って、通るたびに気をつけているのですが、…まだ見当たりません。もう、「ホタルブクロ」を育てるのは、止めたのかしらん。

「ホタルブクロ」を見るたびに、「宮沢賢治」の世界にスウッと入っていくのは、私だけではないでしょう。「アカマンマ」の花と言えば、中野重治であり、「ナノハナ」と言えば、山村暮鳥、「アジサイ」といえば、萩原朔太郎。自分勝手な思い込みですが、どうもそうなってきます。もちろん、他にも、「風」や「雲」や「裸の木々」などがあり、それが我々の心を豊かにしてくれる…。

さて、学校です。

一年も経つと、それぞれの個性が、生活面だけでなく、日本語の分野でもはっきりしてきます。理屈は苦手だけれども、体で覚えるタイプ。経験から導き出されるというのは苦手だけれども、文法で理屈づけていくと判ってくるタイプ。実生活から、帰納法ではないけれども、言葉を紡げていけるようになるタイプ…。

もちろん、なかなか日本語が伸びないと言う人もいますが、それでもひと頃のように、最後まで、「先生、『北海道は東京より寒い』、この文は正しいですか」と聞かざるを得ないような人はいなくなりました。

この学校では、もう7、8年以上前のことになるかしらん、それくらい前には、ベトナム人学生に、どうやって教えていったらいいのかと試行錯誤を繰り返していたものでした。真面目に勉強してくれる人も、中にはいたのですが、「ヒアリング難」「文法難」「発音難」の人が多かったので、教えるのも大変なことでした。よくて「5課」、悪くすれば「ゼロ」での来日。別に彼等を否定するわけではなく、いい人もたくさんいたのですが、教えるにはこちらの力量がたらなかったのです。

他の国の学生が、まっさらな状態で来日しても、一年ほどでどうにかなっていたのに比べ、ベトナム人学生だけは、本当にどうしようと悩まされていたのです。

なにせ、ここのスタッフは、皆、日本人。ベトナム人の先輩もいなかった頃、だれも彼等を助けてくれる人はいません。ベトナムに行った時に、ベトナム語の辞書や文法書を数冊買い、それを見せても、喜びません。文法書はかなり難しかったらしく、すぐ「見せて」とは言わなくなりました。その解読の方に時間がかかったのです。本を見ながら、4、5人で、ああでもない、こうでもないと討論会が始まってしまうので、そのたびに授業は中断してしまいます。

最初は、それを、「ベトナム人で、大卒の、見事な日本語を話す人に勧められたのだけれどもなあ」と溜息交じりに見ていたのですが、途中から見せるのを止めにしました。まだ私の説明の方が勝ると思ったからです。

また、辞書では、どうも同じ意味の訳語が多かったらしく、「AとBは同じか」と尋ねられても、答える私の日本語が、まず、わからない。双方、顔を見合わせて「『困ったなあさん』になる」という状態が続きました。

それで、当時、ベトナムの学生だけは、最低、「『みんなの日本語Ⅰ』を学んでから来てほしい。その中に出てくる単語だけは覚えてきて欲しいし、文法はベトナム語で説明しておいて欲しい。それから、できれば、『Ⅱ』までやって来て欲しい」などというお願いをすべく、現地の(ちゃんとした)日本語学校探しを始めました。

他の国の学生のように、来さえすれば、どうにかできるとは思えなかったのです。なにせ、来ても、他の国から来た学生達とは、一緒の授業が、なかなか成立しないような状態でしたから。とはいえ、それが出来るような現地の学校が見つからなかった…。

もちろん、これは当時の話です。今は、「N3」くらいまで教えられるという学校もザラですし、「N2」まで大丈夫という学校もチラホラ見受けられるようになりました。

もっとも、そんな学校が、見つかってからは、彼等も他の国の学生達と一緒に授業ができるようになりました。一応、理屈が判っていると、ヒアリング力が劣っていても、発音に難があっても、日本にいて、しょっちゅう日本語を聞いているわけですから、どうにかなっていくのです。それに、漢字だけは他の国の学生達よりも、頑張っていましたから。

ベトナムの学生達の能力が低いというわけではありません。彼等の国の言葉が、日本語と文の構造がかなり違う上に、既に漢字を捨てていたので、文法がわからなくても、漢字を拾っていけば、意味が判るという中国人のようにはいかなかったということもあったでしょうし、音がなかなか掴めなかったということもあったのでしょう。

聞き取れないが故に、せっかく日本にいるというメリットを活かすことが出来ない。暗記が出来ないのです。語順が狂ってしまうのです。単語自体もスッと入っていかないような感じなのです。

もちろん、個人差はありますが、ヒアリングがいいベトナム人学生は、それをよいことに、ベトナム人であっても、漢字を覚えようとしませんから、落ちていきます。当時、ベトナム人の強みは漢字だけでしたもの。

努力はするのですけれども、聞き取れないと、なかなかそれが活かされません。それが本当に気の毒でした。

もちろん、今はもう、それも「今は昔」のことです。

日々是好日
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