雨。
早朝は降っていなかったのですが、「今日は一日中、雨」との予報に、慌てて早めに出てきました。が、五分ばかり遅かった…。出たときは、ポツン、ポツンくらいだったのに、小学校の角を曲がる頃には、それが、かなり大つぶになり、もう、それこそ急いで(私としては)速くペダルを踏んで頑張って来たのですが…濡れてしまった…(もう、乾きましたけれども)
ところが、それが、着いて2、3分もすると、また小降りになり、そしてまた、止んで…。このときはガックリと来ましたね。それでも、また、降り始めたようですから、今日は、「5分降っては、5分止み」が、続くのかもしれません。
さて、今日から新学期。忘れている人もいるでしょうね、今日から学校ですよ。
休み中も、何度か学校に来て、勉強をしていた人もいましたが、その反対に、一度も顔を見せなかった人もいました。ということは…、皆が顔を揃えられるかどうかは…ちと怪しい…ということなのでしょうね。
夏休みがあると、日本人であっても同じことでしょうが、新学期が始まっても、なかなか休み癖が取れない人もいますから。まあ、それが普通なのでしょうけれども。
休みの時は、アルバイトの時以外は、自分の好き勝手に時間を使えた。普段は行けない友達の所へ、電車に乗って行ったり、秋葉原や銀座などへ行くこともできた。ところが休みが終わると、途端に、学校生活に戻らなければならない。毎日、苦手な、勉強と格闘し、その上、アルバイトに追われる生活が続くことになる。アルバイトはお金がもらえるからいいけれども、勉強はお金を払って、しかも文句を言われるのだからたまらない。あ~あ、こんなはずではなかった…。
結局は、何をしに日本へ来たのかを忘れずにいられるかどうかなのでしょうね。国でも勉強が嫌いだった(ここで言う「勉強」というのは、学校でのことです)のに、何を好んでこんな目に遭っているのだろう…と、日本に来たことを後悔している人もいるのかもしれません(けれども、不思議なことに、誰に聞いても、「後悔はしていない」と言うのです。日本での生活は楽しいと言うのです。「アルバイトが大変でしょう。勉強も大変でしょう。なのに…」と言っても、そうなのです)。
とはいえ、日本語学校で受ける日本語教育というのは、毎日学校へ来て、言われたとおりのことさえしていれば、そんなに苦手意識を持たずにすむ程度のもの。毎日学校へ来ないから、また、来てもずっと眠っているから、辛くなるのです。
中には、「僥倖を期待し、何でも一気にできてしまう」と思い込んでいる人もいて、困りもの(そう思える理由がわからない。これまで、国でも、彼等が期待しているところの「僥倖」なんて起こらなかった。それが日本に来て突然に起こるなんてことはあり得ない…のに。こんなこと、少しでも考えれば判りそうなものなのに。もっとも、考えないから、期待できるのでしょうけれども)。語学に関しては、普通の能力しか持っていないのに、「来週、きちんとするから大丈夫」と言い放ち、やろうとしない人もいる。この「来週」というのは、永遠に続く来週のようで、いつ聞いても、「明日から」とか、「来週から」と言う。
「普通の(能力の)人は、何でも、コツコツと、一歩一歩、歩いて行かねばならないのですよ」と言うのですがね、どうも、それが判るのにも、能力が必要なようで、これまた、大変。
教室でそれを繰り返せば、お互いに不愉快だし、毎日それを聞かされることになる、他の学生達にとっても、堪らないこと。で、結局、誰も何も言ってくれなくなるのでしょう。これは、とても悲しいことなのですが、それも、よくわからない…ので、何とも思わないのです。
そう、思っていると、夏休み中に遊びに来た卒業生が、こんなことを言っていました。彼は、IT関係の専門学校へ行ったのですが。
「今、私は、一人で漢字の勉強をしています。日本語の勉強ができるのは、日本語学校のときだけ。だから、今、一生懸命に勉強すればいいのに、みんなはそれがわからないんですよ」
…君も、ここにいるときはわからなかったんだろうが(ムカッ)。私の顔色を見て、
「先生、後悔していますよ(あのとき、きちんと勉強しておけば良かったと思って)。だから、弟にはそうさせません。一緒に暮らして、ちゃんと勉強させますから」。
そうですね、弟には同じ轍を踏ませないように、ね。
日々是好日
早朝は降っていなかったのですが、「今日は一日中、雨」との予報に、慌てて早めに出てきました。が、五分ばかり遅かった…。出たときは、ポツン、ポツンくらいだったのに、小学校の角を曲がる頃には、それが、かなり大つぶになり、もう、それこそ急いで(私としては)速くペダルを踏んで頑張って来たのですが…濡れてしまった…(もう、乾きましたけれども)
ところが、それが、着いて2、3分もすると、また小降りになり、そしてまた、止んで…。このときはガックリと来ましたね。それでも、また、降り始めたようですから、今日は、「5分降っては、5分止み」が、続くのかもしれません。
さて、今日から新学期。忘れている人もいるでしょうね、今日から学校ですよ。
休み中も、何度か学校に来て、勉強をしていた人もいましたが、その反対に、一度も顔を見せなかった人もいました。ということは…、皆が顔を揃えられるかどうかは…ちと怪しい…ということなのでしょうね。
夏休みがあると、日本人であっても同じことでしょうが、新学期が始まっても、なかなか休み癖が取れない人もいますから。まあ、それが普通なのでしょうけれども。
休みの時は、アルバイトの時以外は、自分の好き勝手に時間を使えた。普段は行けない友達の所へ、電車に乗って行ったり、秋葉原や銀座などへ行くこともできた。ところが休みが終わると、途端に、学校生活に戻らなければならない。毎日、苦手な、勉強と格闘し、その上、アルバイトに追われる生活が続くことになる。アルバイトはお金がもらえるからいいけれども、勉強はお金を払って、しかも文句を言われるのだからたまらない。あ~あ、こんなはずではなかった…。
結局は、何をしに日本へ来たのかを忘れずにいられるかどうかなのでしょうね。国でも勉強が嫌いだった(ここで言う「勉強」というのは、学校でのことです)のに、何を好んでこんな目に遭っているのだろう…と、日本に来たことを後悔している人もいるのかもしれません(けれども、不思議なことに、誰に聞いても、「後悔はしていない」と言うのです。日本での生活は楽しいと言うのです。「アルバイトが大変でしょう。勉強も大変でしょう。なのに…」と言っても、そうなのです)。
とはいえ、日本語学校で受ける日本語教育というのは、毎日学校へ来て、言われたとおりのことさえしていれば、そんなに苦手意識を持たずにすむ程度のもの。毎日学校へ来ないから、また、来てもずっと眠っているから、辛くなるのです。
中には、「僥倖を期待し、何でも一気にできてしまう」と思い込んでいる人もいて、困りもの(そう思える理由がわからない。これまで、国でも、彼等が期待しているところの「僥倖」なんて起こらなかった。それが日本に来て突然に起こるなんてことはあり得ない…のに。こんなこと、少しでも考えれば判りそうなものなのに。もっとも、考えないから、期待できるのでしょうけれども)。語学に関しては、普通の能力しか持っていないのに、「来週、きちんとするから大丈夫」と言い放ち、やろうとしない人もいる。この「来週」というのは、永遠に続く来週のようで、いつ聞いても、「明日から」とか、「来週から」と言う。
「普通の(能力の)人は、何でも、コツコツと、一歩一歩、歩いて行かねばならないのですよ」と言うのですがね、どうも、それが判るのにも、能力が必要なようで、これまた、大変。
教室でそれを繰り返せば、お互いに不愉快だし、毎日それを聞かされることになる、他の学生達にとっても、堪らないこと。で、結局、誰も何も言ってくれなくなるのでしょう。これは、とても悲しいことなのですが、それも、よくわからない…ので、何とも思わないのです。
そう、思っていると、夏休み中に遊びに来た卒業生が、こんなことを言っていました。彼は、IT関係の専門学校へ行ったのですが。
「今、私は、一人で漢字の勉強をしています。日本語の勉強ができるのは、日本語学校のときだけ。だから、今、一生懸命に勉強すればいいのに、みんなはそれがわからないんですよ」
…君も、ここにいるときはわからなかったんだろうが(ムカッ)。私の顔色を見て、
「先生、後悔していますよ(あのとき、きちんと勉強しておけば良かったと思って)。だから、弟にはそうさせません。一緒に暮らして、ちゃんと勉強させますから」。
そうですね、弟には同じ轍を踏ませないように、ね。
日々是好日