ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

ビオトープ

2019年06月11日 19時43分34秒 | 田舎暮らし
我が家のミニミニビオトープ、
2~3日前に睡蓮を植えてますますそれらしくなってきた。
ただ睡蓮を植えたところには赤玉土を敷いたので、そこだけとってもわざとらしく不自然だ。
赤玉土を隠すべく、沢の砂を撒こうかと思っている。

今ここに住んでいるのは川エビが5匹ほど、小さな沢蟹も5匹ほど、アメンボも5匹ほど、勝手に住みついたボウフラが何10匹か・・・
沢の砂をもってきた時ついてきたのかよく知らない小さな生物が2~3匹、
そしてカワニナが何十匹か、それからメダカ槽の藻をすこし移したときについてきたのは赤ちゃんメダカが1匹。
メダカとカワニナだけのメダカ槽に比べてずっと楽しい。
生かされてるだけのメダカ槽のメダカと違って、いかにも生きてる!という気がする。
よ~く見ないと、わからない。
何にもいないように見える。
でもよ~く見るとよくわかる、そこには小さな世界があることに、小さな命が生きてることに。
そしてそこには過酷な生存競争があることに。

カはたくさん卵を産んでいる。
でも孵ったボウフラは意外と少ない。
川エビが食べているのだろうか?
アメンボはいったい何を食べて生きているのだろう?
まだ小さな沢蟹も何をたべてるのだろう?
やがてトンボがやってきて、卵を産み付けヤゴになる。
ヤゴはメダカを全滅までにも追い込む。
さらに蛙もやってくる。
すると蛙はみんな食べつくして生き物は全滅状態になる。
にもかかわらず沢ではさらにイモリも住んでいるのに、
川エビや沢蟹やアメンボも全滅することはない。
こんな状況がもし小さなビオトープで再現できたらいいなと思う。


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桃の袋掛け

2019年06月11日 18時31分14秒 | 田舎暮らし
昨日隣の町まで桃の袋かけに行ってきた。
もう桃のオーナーになって何年たつかな?
3~4年かなぁ~
その中で今年が一番実の付きがいい、異常なほどいい。
これはうれしいことだけど、でも作業が大変!
摘花、摘果、袋掛け、
今までの数倍の作業!

みんな夫婦で来てたいてい1本の木の袋掛けをしてるのに、
こちらはこの数回は一人での作業。
しかも2本もある。
ということは4倍の労働だ。
いつもは朝は朝ドラが終わって、しばらく休んでから作業を開始するのだけど、
6時半に鶏の餌やりをして、朝食をして、7時半には出かけた。
そして8時から12時までみっちり袋かけ作業。
さすがにうんざり!

なんで袋をかけないといけないのだろう?
野菜には袋なんてかけないよ。
米にも袋はかけないよ。
人間だってそうじゃない?
子どもに袋をかけて育てる?
虫がついたっていいじゃない。
虫食い野菜も自然の野菜。
少しくらい虫に食べられたっていいじゃない・・・
なんて、訳の分からぬことをぶつぶつ言いながらの作業だった。

もともと果樹栽培はとっても苦手な人間。
剪定、摘花、摘果、袋掛け・・・こんな不自然は作業はとってもにがて。
ねえねえ、もっと自由に育てたらいいじゃない。
すくすく育てたらいいじゃない。

一部の選ばれた実を大きくするためにその数倍の実を間引きする、犠牲にする、そんなんじゃなくて、
みんな育てて、その中でいいものだけを食べたらいいじゃない。
あとはジュースにするとか、それぞれの使い道はあるはず。

・・・なんてこんな作業をしてるとすぐに、ぐじぐじ考えてしまうので、作業はなかなか進まない。
早く着いたのに最後まで残ってしまった。
う~~~ん、やっぱり苦手だね、こんな作業。

ところで我が家の桃の木、
もう15年以上育ててるのにまったく実がつかない。
実がついても途中でみんな落果してしまう。
そしてそのうちの1本は去年とうとう枯れてしまった。
残りに1本はなんとか生きている。
そんな状態の中、なんと実がついた、そして大きくなった。
1個だけだけど。
それで今日袋掛けをした。
きのうの桃、2本で120個以上袋がけしたよりも、この1個の方がずっとうれしい。
ぜひうまく育って、欲しい。
この貴重な貴重な1個の桃を家族みんなで食べたいものだ。
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突然の雷雨のことなど・・・

2019年06月10日 17時07分43秒 | 田舎暮らし
夕方、雷、そしてすごい雨!
そのうち雹まで降ってきた。
こんな雨が数時間続いたら、たちまち裏の沢はあふれて、洪水になっただろう。
でも幸いなことに1時間くらいで止んだ。

しかしねぇ~6月に雹が降るなんて!
これが票だっらねぇ~
選挙日に票が降ってきたら、候補者は大喜び!
もっと降れ~!もっと降れ~!
候補者は我を忘れて票をかき集めるに違いない。
でも残念ながら票ではなかった。

でもこれが本当の豹だったら・・・これは恐怖だね。
道路も駐車場も畑も豹だらけ、警察や消防署に電話殺到・・・でもどうすることもできない。
今の法律は豹が降ることは想定していない。
警察署や消防署は始末に困り、自衛隊に電話しようかと思ったけど、それもなんだかなぁ~
村役場に電話してもただただおろおろしてるだけ。
それで猟友会に電話したら、猟友会でもどうしようもない。
鹿や猪が少ないからこそ猟の対象になる、食べられるから猟の対象になる。
いきなり降ってきた豹を撃ったからと言って、それが何になる?補助金でるか?
慌てふためきいろんな書類を探しても「豹の対処方」なんてどこにも書いてない。
周り一面豹だらけ、これじゃ、外に出たって豹を撃つどころか、豹に食べられてしまう。
豹に食べられたからと言って労災はきくか?保険は出るか?
相手は鹿や猪ではない、獰猛な豹。
今では会のメンバーもすっかり高齢化してしまった。
ところが豹は見るからに敬老の精神に欠けていそう。
電車で立ってても豹は席を譲ってくれそうにない。
わざとらしく「ごほん、ごほん!」と席をしても、知らん顔。
それどころかそのうち煩わしそうに「うぉ~~~!」と威嚇する。
それに豹を撃ったからと言って、その肉何に使える?
豹の肉美味いか?食べたことある?
隣の国の人は犬の肉が大好きらしいけど、さすがに豹の肉も大好き!なんて話は聞いたことない。
豹の肉はまだしも猫の肉を食べるという話も聞いたことはない。
そうそうライオンの肉はとってもまずい!らしい。
それなら同じネコ科、猫も豹もきっとまずいのだろう。
そういえばさらにさらに隣の国、四つ足ならば机以外は何でも食べる、飛ぶものならば飛行機以外は何でも食べるという、
それに何を血迷ったか蛇を高級食材としてありがたがってる、ゲテモノ食いの大国の人種が、それはそれは不思議な人種が住んでいるけど、でもそんな人種でもネコ科の動物を食べてるなんてことは聞いたことはない。
としたら、もし豹が降ってきたら・・・もはや猟友会でもどうしようもないだろう。
じゃあ一面に降ってきた豹を、これをどうしたらいいの?

うむ?なんか変だなぁ~?
そうだそうだ豹の話ではなかった。
票の話でもなかった。
いやいや、蛇を食べようが、
日本人がクジラをイルカを食べようが・・・
他国の人にいろいろ言われたくない。
犬を食べようが、蛇を食べようが、そんなことはどうでもいい。
それで日本人がクジラをイルカを食べたからって、欧米人からとやかく言われることはない。

うむ?なんか変だなぁ~?
そうそう豹の話じゃなかった、犬や猫の話でもなかった。
雷雨の話だった。
というわけで雹には襲われたけど、豹に襲われることもなく、
でもまあ何とか無事に雨もやみ、
あすもまた令和な、じゃなかった平和な日になることだろう。
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お葬式

2019年06月09日 17時34分05秒 | 田舎暮らし
暑い中、黒い喪服と黒いネクタイでお葬式。
そう久久ぶりに久しぶりにネクタイを締めた。
長さが合わず何度か締めなおした。
サラリーマン時代はこんなしょうもないものを毎日締めてたのだよね。

つい先日、もう2度と着ることもないスーツ、
もう2度と締めることもないネクタイを、処分した。
今までずっと、また使うこともあるかなぁ~なんか思って、未練がましくて持っていたのだった。
でもみんな処分してすっかりすっきり。
もうこれですっかり会社勤め人間とはお別れ。

もしも万一不幸にして就職の面接を受けに行くことがあっても、
作業着姿に軍手と長靴、そして野球帽といういつもの姿で面接に行くほかない。
こんな姿で面接で受かるわけはない。
それでみんな処分してすっかりサラリーマンからおさらば。
これでやっと普通の人間に戻れたのだ。

ねぇねぇ~~~サラリーマンってなんか変だと思わない?
サラリーマンってなんかとっても病んでると思わない?
田舎暮らしを始めて、ふと思った、
自分で作った野菜を食べた時、ふと思った。
いったい今まで何のために働いてきたのか。
短い人生を、一度しかない人生を他人のためにどれほど無駄にしてきたか・・・

そして思う、本当の喜びは人のために自分の時間を切り売りすることじゃない。
自分の時間を自分のために使うこと。
それなのにこの一番大切な自分の時間をどうして今まで人に売ってきたのだろう?
エンデ風に言うなら時間泥棒に時間を奪われてきただけじゃなかったか?

いえいえこんな話じゃない、葬式の話だった。
お決まりの葬式の、そんな手順なんかどうでもいい。
葬式で気になるのは代表者の弔辞や喪主の言葉。
それによって今までの亡くなった人の生き方がわかるかもしれない、
今まで知らなかったことがわかるかもしれない。

・・・それは、とってもしみじみとしたいい弔辞だった、心にしみる喪主の言葉だった。
今まで知らなかったことを初めて知った。
それを通してとってもいい生き方をされたのだと思った。

ただ、もっともっと生きてる間にいろんな話をしてたら良かったなぁ~なんて、しみじみ思った。
昔ながらの普通の葬式もいいなと思った。
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紫陽花

2019年06月08日 21時05分37秒 | 花便り
ちらほらと紫陽花が咲きだした。
梅雨だねぇ~







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お通夜

2019年06月08日 20時17分18秒 | 田舎暮らし
久しぶりにお通夜に行った。
今ではこの田舎でもすっかり家族葬が主流になっている。
でも今日は由緒ある旧家ということもあったのだろう、集落の人総出での自宅葬だった。
参列者も多いだろうと、お通夜の1時間前に行って、焼香だけして早々に帰ってきた。
このパターンとっても楽でいい。
明日は葬式。
駐車場はいっぱいだろうね・・・

我が家の場合は家族葬と決めている。
しかも坊さん不要、戒名不要、墓不要、樹木葬と決めている。
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日日是好日

2019年06月08日 18時55分45秒 | 映画の話
市民ホールのサタデーシネマ「日日是好日」を見た。
いつもは中ホールで上映するのに今日は大ホール。
人気の映画なのだろう。
きっといつもの3倍の観客はいたけど、なんせ大ホールなのですし詰め状態ではなくゆったりした雰囲気だった。

内容はというと、これがお茶!お茶だけ。
女子大生とそのいとこがお茶を習いに行く。
そして季節の移り変わりと20数年の年をかけ茶道を映す。

でもこちらは茶道にはまったく無縁の人間。
陶芸をちょっぴり齧ったので茶器には興味ないこともないけど・・・でもやっぱり門外漢。
茶道の深さはわからないでもないけど、なんかやっぱり間が持たない。
きっと茶道をしても周りを気にしてそわそわ落ち着かない時を過ごすに違いない。

というわけで、別に退屈したわけではなく、興味深くもそれなりにそれなりの時間を過ごしたのだった。
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命の帳に・・・

2019年06月07日 19時30分36秒 | 雑感
友はみな別れていった。
命の帳に消えていった。

このまま生き続けることが良いことか悪いことか、
それは誰もわからない。

友はみな別れていった。
命の帳に消えていった。
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ビオトープ

2019年06月07日 17時46分07秒 | 田舎暮らし
今日はまじめに雨だった、それもかなりの雨だった、気合が入った雨だった。
まあ、もうこれできっと梅雨入りだろうね。

でもまあそんなことはおいといて、
長いことメダカを飼っている。
別に由緒あるメダカではない。
黒いのと赤いのが少し。
単なる駄メダカのだけど、そこはそれ長いこと、10年以上も育てたのだから、愛着もわく。

毎年春から夏にかけて子メダカが増えるのが楽しみだった。
でも去年はまったく増えなかった。
きっとヤゴや蛙にやられたのだろう・・・

それで3っつあった衣装箱を使ったメダカの水槽。
今では2つ余っているので、そのうちの一つをビオトープにしようと思った。
それで裏の沢から沢蟹や川エビやアメンボや・・・そんなのをとってきて、
沢に生えてる雑草を植えたりして、
メダカの水槽に住んでる川ニナも入れたりして、
小さな小さなコミュニティーができたりして・・・
そんなビオトープができたら、楽しいな。

というわけで、ビオトープを作ったんだよ。
ここに睡蓮を植えたら楽しいだろうなぁ~
なんて思っているのでありますよ。
小さな小さなビオトープ。
きっと楽しいだろうな。
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明日は雨!さて?

2019年06月06日 18時36分53秒 | 雑感
今日も一日晴れだった。
でも明日は一日雨らしい。
でもね、そろそろ真面目に降ってよね。
もう梅雨なんだからさぁ~!!
ここら辺の分をわきまえて、そうそう分をわきまえて、そこら辺をわきまえて、
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たまにはベートーベンを

2019年06月05日 17時59分30秒 | 音楽の話
趣味はいろいろあるけど、中学時代からずっと続いている趣味はというと、読書とクラシック音楽鑑賞。
読書は今でも昔のままに続いているけど、音楽鑑賞はずいぶん変わってきた。
昔はレコードの時代。
聞けば聞くほどレコード盤もすり減る針もすり減る。
レコードにはほこりもたまるので、しょっちゅうクリーナーでレコード盤を掃除をしないといけない。
そんな手間がかかるのでレコードを聴くとき、慎重に真剣に聞いたものだった。
真面目に聞かねば損する!とばかり、真剣に聞いたものだった。
人に寿命があるように、それ以上にレコードには寿命がある。
それでレコードは真剣に聞いたものだった。

ところがCDになってすっかり堕落した。
アナログは劣化するけどデジタルは劣化することはない。
というわけで聞き流しの楽しみを味わった。
そして一度でもこんな楽しみに、きっと悪魔の楽しみに染まると、これはすっかり癖になる。
昔はヨーロッパの上流貴族はバッハやヘンデルやハイドンやモーッアルトの演奏する音楽をきっと食事のつまに、酒のつまに、
適当に聞いたのだろうね。
でも今では聞きたいと思ったらいつでもネットを通して聞くことができる。
レコードはもちろんCDさえも持つことはない。
ただ配信サービスで聞くだけでいい。

こう考えると情報っていったい何なのだろう?
与えられるのではなく、選ぶ時代になったのではないだろうか?
本やレコードやCDという旧媒体を通してではなく、今では直接情報が視聴者のもとにすぐに届く、

ねぇ、ねぇ~、こんなこと、本当に考えたことある?
正直、今では朝日や毎日なんかの反日新聞がなくなってもみんな少しも困らないよ。
こんなことわかっている?
情報は「与えてやる」のではなく、視聴者が選ぶ時代にとっくになってるんだよ。
朝日・毎日・NHK、地上波テレビ、こんなことわかってる?
もうとっくにあんたたちの時代は終わってるんだよ。

いえいえこんな話じゃなかった。
クラシック音楽の話。
今では車の中でしか聞くことはなくなったけど、
クラシック音楽鑑賞も楽しみの一つ。

でも、もう、今では、重い音楽ではなく軽い音楽がいい。
バッハやベートーベンでなくヘンデルやハイドンやモーツァルトがいい。
気楽に楽しく聞けるのがいい。

でもね、ベートーベンは今ではちょと苦手・・・だと思っていたけど、たまに聞くととっても楽しい!
いま2番と4番を車で聞いてるけど、これがとってもいいね、とっても楽しいね。
あと6番と8番。
偶数番号の交響曲、とってもいいね。
やっぱりベートーベンもいいね。
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国民文学

2019年06月04日 19時40分59秒 | 本の中から
ふと何気なく、指輪物語を読んでいる。
かねてから気になっていたのは「ハリー・ポッター」と「指輪物語」。
どちらもイギリスの作家の作品。
イギリスの小説というと、ついついフィールディングの「トム・ジョーンズ」のようなだらだらとした、長たらしい小説を想像してしまう。
でも、きっと「トム・ジョーンズ」はイギリスの国民小説なのだろう。
そして「指輪物語」も「ハリー・ポッター」イギリスの国民小説になるのだろう。
国民小説って何だろう?
国民の誰からも愛される小説、日ごろ小説を読まない人も、一押しで自慢できる小説。
国民性が色濃く反映している小説。
ディケンズの小説にもとっても国民色を感じる。

フランスではというと、デューマの「ダルタニアン物語」
あるいはユーゴーの「レ・ミゼラブル」かな?
きっと日頃あまり小説を読まない人でも、フランス人は誰でもみんな読んでるに違いない。
そして外国人にこれを読めと自慢して勧めるに違いない。
そんなのが国民小説。

スペインだと「ドン・キホーテ」。
きっとスペイン人だったら、みんな読んでるだろう・・・

ロシアではドストエフスキーではなくゴーゴリでもなくトルストイ。
トルストイの長編3編はきっと国民文学としてずっとロシア人の自慢ではないかと想像する。

日本は司馬遼太郎の「竜馬が行く」と吉川英治の「宮本武蔵」。
あるいはもううちょっと昔だったら滝沢馬琴の『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』。
「源氏物語」は国民文学とはなりえない。
いったい日本人で「源氏物語」を全部読んだ人がどれほどいる?

イタリア人はダンテの「神曲」をほとんどの人が全部は読んでいないらしい。
学校でその断片を教材として習うので、それだけでもううんざりして全編を読む気にならないらしい。

いったい国民文学とは何だろう?
それは国土に密着した土着性。
それと、切れの良さ。
そう、改めて国民文学の定義を考えると、土着性以外に切れの良さを感じてならない。
「竜馬が行く」も「宮本武蔵」も「ダルタニアン物語」も新聞に連載されていた。
ということは毎日小さい切りをつけないといけない。
一日分の終わりに翌日に期待を持たせないといけない。
そこが「だらだら」でなく「切り」になる。
日頃小説を読まない人も、「切り」がある方が都合がいい。
ちょっとトイレに行きたい、ちょっと休んで一杯飲みたい・・・
そんな時に切がある文章はとっても都合がいい。

ところで話は戻るけど、「ハリー・ポッター」と「指輪物語」。
どちらも書下ろし小説。
でも、「ハリー・ポッター」はとってもとっても切りがいい、
一方「指輪物語」はきりが悪く呑みに行くチャンスやトイレに行くチャンスをついつい逃してしまう。
そんな意味では、「ハリー・ポッター」の方が「指輪物語」よりも国民文学としては優れているかもしれない。
でもまぁ~文学的価値なんてそんなものはどうでもいい。
面白ければいい。
そして面白ければ、国民文学としての価値が出るし、
されにもっともっと面白ければそれが歴史に残る世界文学になるのだよ。
ハムレットやドン・キホーテのように。
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半そで

2019年06月02日 17時44分28秒 | 田舎暮らし
雨は降らなかったけど、終日曇り模様の肌寒い日。
こんなはっきりしない日は、もやもや過ごすにかぎる。
もっとも晴れ渡ったかんかん照りの日も、「暑くてやってられるか!」とばかりぐうたら過ごすのだけど・・・
しかし、悩みながらも、不安ながらも半そでに替えたのに、今日はうすら寒かった。
でも面倒くさい衣替え、天候などに左右されてたまるか!とばかり半そでで過ごした。

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コメンテーター・・・

2019年06月01日 18時40分48秒 | 雑感
テレビはほとんど見ないけど、朝・昼・夕、ニュースや報道番組・報道バラエティー番組はやっぱり食事どきのついでに見る、見てしまう。
そしていつもものことながら、そこに登場するコメンテーター、評論家には・・・まったくうんざりさせられる!
中身がまるでない!!
批判はするけど提案はしない。
批判だけしとけばいい。
悪口だけ言っとけばいい。
そして自分はいつでも安全地帯。

そしてそこで言ってるのは、悪口だけ。
「安倍が悪い!」
これって単に井戸端会議、風呂場会議のレベル。
批判はしても提案しなければ、何の責任も問われることはない

批判だけだったらいいたい放題、何の下調べもいらない、何の責任もない。
ねぇ~、ねぇ~、あんたらコメンテーターとして、恥ずかしくない?
ねぇ~、ねぇ~、素面になって考えたら?
ねぇ~、ねぇ~、もっとちゃんと考えたら?

大切なのはその後なんだよ。
いったいあんたら、コメンテーターとして、何を言いたいの?
そうそう、それはきっと今の首相の、「安倍」の悪口だけ。
それも何にも調べることもなく、ただただ安倍が悪い!
まるであんたら第二期反抗の子どもだね。

ねぇ~、ねぇ~、ほんと恥ずかしくない?
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ウツギ

2019年06月01日 06時49分19秒 | 花便り


ふと気づいたらウツギがたくさん咲いていた。





こちらはハコネウツギ

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