ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

里山再生~延命医療と安楽死

2014年11月09日 12時01分43秒 | 田舎暮らし
里山再生・・・いったい何のための再生だろう?誰のための再生だろう?
イベントをしてよそからたくさん人を集めても、
それがどれほど再生に役立っているのだろう?
地元の人がそれを望んでいるのだろうか?
単に里山の延命医療をしているだけなのではないだろうか?

よそ者が勝手なことをするな、とか
郷に入りては郷に従え、とか
(言われたわけじゃないけど)こんな言葉を聞くとあほだなと思っていた。
そんなこと言ってる場合か、
よそ者を排除して村が活性化するとでも思っているのか?
・・・でも今では必ずしもそうは思わない。
このままで何もしなかったら村はいずれ廃村になる。
そんなことは誰でもわかっている。
それにもかかわらず、よそ者を受け入れない。
それは延命医療を拒否しているのではないかと。
それはそれでよいことではないかと。

里山の活性化は人を増やすこと、
そのためには田舎暮らし派の人を呼びよせること・・・
そう思ってイベントなどもしてきた。
でもそれは延命医療をしていただけなのではないだろうか?
と今では思う。

地元の人が望んでいるのはそんなことではないだろう。
田舎暮らしを始めてとっても不思議に思ったことがある。
それは地元の人が定年退職後家を改築したり増設したりすること。
それは都会に出ていった子供たちがいつでも帰ってくれるようにするのだという。
退職金だけでなく借金してまですることだろうか?
そして当然のように、子供たちは帰ってこない。
広々とした家に老夫婦だけの住まいがとっても寒々と感じた。

でもやっぱり田舎の人たちが望んでいるそういうことなのだろう。
田舎暮らしの人たちがくることをそんなに望んでいるわけではない。
田舎の活性化とは出ていった人たちが再び戻ってきて、昔のにぎやかな田舎になることだと。

里山再生・・・いったい何のための再生だろう?誰のための再生だろう?
都会の人たちがたまに田舎に来てイベントを楽しんで帰る。
それはそれでいいだろう。
ただ田舎の活性化とはあまり関係のないことだ。
大事なのは田舎の人たちが自分たちの力だけで、補助金や人の無償奉仕を当てにしないで、活性化させること。
それができないなら延命医療をやめて安楽死を選ぶことではないだろうか。
そして9割の里山はつぶれてもいいと思う。
でも残りの1割の里山はなんとか自分たちの力で生き残ってほしい。
そして田舎から出ていった人たちが再び蹴ってくるようになったらいい。
それから残りの9割はつぶれた後、果樹か牧畜、あるいはキノコ栽培など若い人たちを呼び寄せて大規模な農業ができるかもしれない。
こんなことにどんどん補助金を投入すればいい。
コメント
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