ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

裁判員制度

2008年12月21日 09時47分38秒 | 雑感
われわれは普通に牛肉や鶏肉を店から買ってきて食べる。
そして牛や鶏を殺す人がいることにほとんど注意を払うことはない。
いやな仕事は人にさせてる、なんて思うこともなく普通に肉をいただく。

死刑は死刑を求刑する検事、死刑を判決する裁判官、執行を許可する法務大臣、そしてとりわけ刑務所の死刑執行人によって支えられている。
しかし死刑に賛成する大方の人にとってはそれは人ごとなのだろう。

古代ギリシャでは死刑の判決も執行もみな自分たちで行った。
ソクラテスの死刑を執行した人もまたアテネの普通の市民だった。
それが民主主義の原点なのだ。

裁判員制度で裁判員に選ばれるともしかしたら死刑を宣告する側に回るかもしれない。
しかし死刑に賛成している人はそれを回避しないでほしい。
そして死刑ということに、ついてもう一度自分で考えてほしい。
裁判員制度は死刑について考えるいいチャンスなのだ。

ところが裁判員に選ばれた人の1/3が裁判員になるのを拒否したという。
もちろんその理由は人によって色々あるだろうけど、
中には人を裁くのがいやだ、とりわけ死刑を宣告するのがいやだという人もいるだろう。
しかし死刑に賛成するならそれだけの重みと自覚を持って賛成してほしい。
栽培員になるのを回避しないでほしい。
コメント
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