ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

山城

2007年07月18日 19時41分56秒 | 雑感
たつの埋蔵文化財センターの講演会・木内内則「中世山城を描く」に行った。
あまりスポットを浴びることもなくうずもれていく山城。
とりわけ滅ぼされて、藪の中に消えていった山城や、すぐそばにありながらすっかりみんなから忘れられている山城に興味をそそられる。
ここ西播磨は赤松氏のゆかりの地でどこに行っても赤松氏の城跡がある。

赤松氏は楠正成に匹敵するくらいの活躍をしているのだけど、足利氏についたことで太平記の世界ではもうひとつ評判がよろしくない。
それに後の赤松氏は将軍をだまして殺したり、応仁の乱などでろくなことをしていないので、さらに評判が悪くなった。
おまけにこの播磨の地はまったくまとまりがなく、あの斎藤道三さえもあきれて断念し、美濃をとることにしたというほどの土地なのだ。
山城が多いのもわかるというもの。

ところがその山城の実態はほとんどわかっていなかった。
まして、勝者の城、安土城や大阪城にはみんな興味を持つが、滅んでいった城にはたいていの人は関心を持たない。
木内内則氏は播磨の山城の跡を一人で計測して遺構図を作り、それを元に建物の配置を考えて、当時の山城の想像図を作った。
それはとてもすばらしい絵で当時の山城を空から見てるように描かれている。
(ネットで紹介したいところだけど、ネットではのせてないようだ。たつの埋蔵文化財センターでは9月24日まで展示しているので興味のある方は見に来てください。)

山城は大きな城も本当に小さな城もある。小さな城というと砦みたいなものを想像するけど、砦ではなく村城というもの、村の人がこもって自分たちを守った城がたくさんあったそうだ。
播磨はばらばらな国だったので、村の人たちが野武士・夜盗の類から自分たちを守らないといけないこともあったのだろう。
我が家のすぐ近くにも城跡がある。きっとこの村の祖先たちもこの城に立てこもったときがあったに違いない。
ここはひとつ昔の人を見習って、ばか高くなった国保や住民税なんか絶対払わないぞ!、無駄に使われる年金なんか払うもんか!、といって山城の跡にみんなで立てこもったらどうだろう。
コメント
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