ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

引用

2007年07月14日 07時28分07秒 | 田舎暮らし
相変わらず雨が降り続いている。
都会にいる頃は晴耕雨読の生活にあこがれていたけど、
いざ田舎暮らしが始まると、意外と本を読まなくなるものだ。
雨の日もついつい畑や動物たちのことが気になって落ちつかない。
でも雨続き、寝転んでうつらうつらしながら読書をしている。

田舎に来て一番役に立たなくなった本は田舎暮らし系の本だ。
田舎暮らしをするまではたくさん読んだのに、今ではまず読むことはない。
毎日が田舎暮らしなので、書いていることは当たり前のことばかりなのだから。
でもたまたま今、必要があってある田舎暮らし系の本を読んでいる。
そしてうんざりさせられてなかなかすすまない。

いつも文章を書くときは次のことに気をつけるようにしている。
・文章は短く
・リズムのある文章にする
・引用はしない
長い文章はまったくいらいらさせられる。
同じ文章が3行も続くとうんざりして、読むのをやめたくなる。
日本語の文章は接続詞でつながっていくので、
気をつけないとだらだらとどんどん長くなって、
そのうち読んでるうちに前のを忘れてしまって、
また戻って読み直したりして、
それでいつまで経っても終わらなくて・・・。

それからリズムのある文章は調子がよくて読んでて楽しい。
切れ味のいい文章にするとか、韻を踏むようにするとか。
日本の詩でさえも韻を踏んだものは少ないけどね。
もっともいつも書きなぐりの駄文を書いているので、えらそうなことはいえないけど、もしじっくり推敲する時間があったらきっと韻にも気をつけるだろう。

実は、こんなこと書いたのは、今読んでる本が引用が多くてうんざりさせられているからだ。
引用はどうも好きじゃない。
引用の主たる目的は:~
・権威付け
・読書の自慢
・未消化の状態の消化
~なのではないだろうか?
こんな有名な人が言ってるんだぞ。
自分はこんなにたくさん本を読んでるんだぞ。
・・・と虎の威を借り自慢する態度、ちょっと嫌味だね。
そしてなにより、引用はまだ自分のものになっていない状態なのだと思う。
本を読んだだけでは、まだ他人の言葉の受け売りでしかない。
それを自分の言葉に置き換えて初めて理解したといえるのだから。
もちろん学術書など引用が必要な場合もあるだろう。
でも普通の文章では引用なんか必要でもない。
それでも自分が読んだ本の引用ならまだ許せる。
「うんうん、あっ、それねぇ。大分前に読んだなぁ・・・。」
でも読んでない本だったら、なんか不安になって
「いかん、読んでなかった。負けた!」なんて思う。
引用は健康によろしくない。
それで引用なんかもういいんよ。
コメント (2)
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