ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

国定忠治

2007年02月22日 11時36分15秒 | 雑感
昔は芸を持っている人がたくさんいた。
結婚式の時には高砂を謡い、風呂につかると浪曲、森の石松の三十石舟の件を語り、酒の席では国定忠治の「赤城の山も今夜を限り~」を演ずる。
三味線や尺八が出来る人もたくさんいた。
でも今ではこのような芸を持っている人は本当に少なくなった。
たいていのイギリス人は今でもシェークスピアの台詞のいくつかは暗誦できるだろう(・・・と思う)。
では日本人は近松の台詞をどれほど暗誦できるだろうか?
今では呑んでもせいぜいカラオケだ。
カラオケには生活の歌がない。昔はよくみんなで歌った。仕事でも酔いの席でも。
民謡のほとんどは労働の歌か酒の席の歌だ。カラオケはこのような生活に根ざしていないのでとてもむなしく感じられる。

物が豊かになればなるほど、どうやら人の心は貧しくなるらしい。
今日本の庶民の文化といえるものがどれほど生活の中に残っているのだろう。
もっとも、こういう自分自身まったく無芸なのだが。

というわけでふと気になって、「国定忠治」(津本陽著)を読んだ。
国定忠治というとあの有名な・・・
「赤城の山も今夜を限り
生まれ故郷の国定の村や
縄張りを捨て国を捨て
可愛い子分のてめえ達とも
別れ別れになる首途(かどで)だ。」
の場面しか知らなかった。
それで今までどちらかというと惨めなさえない親分というイメージしかもってなかった。
けれども読んでみるとこれが惨めな親分どころか、配下の人間は千人を超える大変な大親分なのだということがわかった。
そして当時の乱れきった役人たちを相手に暴れ回り、天保の大飢饉では、私財を投じて窮民を救い、最後は磔になった。
所詮「やくざ」、といえばそうなのだけど鼠小僧次郎吉とともに庶民の英雄になったのもわかるのだ。

今時の「やくざ」はなかなか難しい立場にある。阪神大震災のとき山口組はその組織力を動員していち早く救援活動に当たり、任侠道が健在であることを示した。
しかしその後、国定忠治のような人気を得ているわけでもない。もっと国が乱れないと国定忠治型の人間が現れるのは難しい。
今の世に、また国定忠治が現れて、政治家も手をこまねいている、むしろ政治家と結託している、乱れきった役人を退治をしてくれると面白いのだが。
コメント
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