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ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

「騎士団長殺し」

2018年01月17日 11時00分30秒 | 本の中から
外は雨
しとしとと、昨日の晩から続いている。
朝室内で気温は5度。
マイナス1度~1度の朝が続いたので、暖かく感じられた。

こんな日は晴耕雨読といいたいところだけど、昼間はなんか落ち着かない。
読書は夜に限る。

村上春樹「騎士団長殺し・第一部」を読んだ。
村上春樹ってとっても面白いのでたいていは読んでるけど、それでもちょっと違和感を持つ。
ここは自分のいる場所じゃない・・・みたいな。
それで村上春樹のファンという気はしないし、ノーベル賞候補と言われてもピンとこない。
三島由紀夫の方がずっとノーベル賞にふさわしかったと思う。
ノーベル賞候補作・・・というよりも大衆小説という気がする。
そこらへんがなかなかノーベル賞をもらえない理由ではないだろうか?
まあとろうがとるまいが、ファンとは言えないのでどちらでもいいことだ。

アーネスト・サトウの明治日本山岳記

2018年01月13日 03時44分35秒 | 本の中から
「アーネスト・サトウの明治日本山岳記」を読んだ。
アーネスト・サトウは「一外交官の見た明治維新」の著作で有名だけど、
この本はアーネスト・サトウが書いた日本ガイドブックの一部、富士山と周辺、日本アルプス、吉野~熊野、日光・尾瀬などを抜粋したもの。
登山好きの人にはお勧めの本。

車のない時代、車の代わりというとせいぜい人力車、それも山道だとそうもいかない。ひたすら歩く。
ただ必ず案内人と荷担ぎ人を雇っている。
今では登山には詳しくないのでよくわからないけど、案内人を雇うことはまずないだろうし、必要なものはみなリュックに詰めて自分で持つと思うけど、
でも標識などが整備されていなかったら、きっと今でも案内人は必要なのだろう。

サトウが歩いた道は今では失われた道も多いという。
訪れた集落も今どれほど残っているのだろう?
とまった旅館や民宿~というより個人の百姓家も克明に記されている。
昔は旅館が(山小屋も)とても多かったようだ。
それもそのはずで旅はもっぱら徒歩、それだけ泊まる日数も多くなる。
そして今では旅館ではめったに見られないカやハエやアブ、ノミ、シラミに悩まされたことなどが書かれている。
これらの旅館や百姓家も今どれほど残っているのだろう?

この本には残念ながら写真がない。
当時手軽なカメラがなかったのかもしれないけど、サトウはスケッチブックを持参してたので、スケッチはしていただろう。
せめてスケッチをのせてくれてたら、それもなかったら現在の写真でものせてくれてたらもっと面白かったのに・・・

ともあれ明治の登山記。
富士山はもちろんのこと立山などとっても険しい山にも意外と多くの人が(信仰目的ではあっても)登山していたし、山小屋も多かったことに興味をもった。

サトウは登山記だけでなく北海道から九州までも多くの旅行記を残しているらしい。
故郷の長崎は幕末から明治維新にかけてよく本に取り上げられ、たいてい読んだけど明治中期のころのことはほとんど読んだことがない。
サトウが当時の長崎のことを、幕末からどう変わってきたか、どう感じたか、読んでみたいものだ。

図書館の効用

2018年01月06日 18時19分59秒 | 本の中から
もう何年も本を買っていない。
もっぱら図書館で借りて済ませている。
もっぱらタダ読みして済ませている。

これに対して物凄く後ろめたさを感じていないわけではない。
作家・出版社・印刷会社・本屋・そして図書館
これらはみな一心同体、これらはみな「紙」で繋がっている。
ところが「紙」はあくまで情報の媒体でしかないのだ。
読者が求めているのは「紙」ではなく「中身」なのだ。

昔はは本を買っては本棚に並べてはそれを見て喜んでいた。
でも今では邪魔でしょうがない。
再読することはまずないから。
古本が価値を持つ時代はもう終わった。

かって本を整理しようと思い切って千冊近くも古本業者に持ち込んだ。
ところが全部で1000円にもならなかった。
とってもショックだった。
本の中身ではない、本が新しいかどうか汚れがないかどうか、昔の古本の店主と違って、
本をまともに読んでないような人間が査定する。
これがとってもショックだった。

今までとっても大切にしてきた本、それをゴミとして捨てる気には到底なれない。
読んでくれる人がいたらタダでいいからあげたいと思った。
でもそんな思いが千冊近くでわずか1000円?!
これだったらわざわざガソリン代を使って売りに行かなくても、ゴミとして捨てたらいいじゃない?・・・とは思わない?!
とは思わない。
だってみんな本の一つ一つに昔々の思い出が残っているんだよ。
タダでもいいから読んでほしい!

ところが本の中身ではなく外観、本が新しいか、きれいかどうか、だけで判断で決まる。
こんなことおかしいと思わない?

これからはもう「紙」を売ろうと思わない。
作家・出版社・印刷会社・本屋・図書館・そして何より読者。
情報の媒体産業はすべてそのうち間もなくつぶれる。
本だけじゃない、新聞紙という「紙」を売ってる暮らしている横柄な、自分たちが日本を支配している思っている新聞記者、
とりわけ朝日・毎日、こんな新聞社は間もなく潰れる。

それではどうしたらいいか?
媒体をなくして情報を売ること、情報を直接使用者に提供すること。
そうすると情報の消費者はこれからは個人で情報を蓄える必要がないことに、
本箱にいっぱい本を並べる必要がないことに、
CDやビデオをたくさん並べる必要がないことに、
(もう今ではそんなものを売っても2足3文なのだよ)
気づくだろう。
もう本自体には何の価値もないことに。

というわけでこれからは作家・出版社・印刷会社・本屋・図書館、
これからはどうしたらいいか?
紙を売るのでなく、
中身を売るためにはどうしたら、真面目に考えろ!

ギリシャ人の物語

2018年01月06日 17時41分21秒 | 本の中から
塩野七生・著「ギリシャ人の物語」を読んだ。
あの膨大な「ローマ人の物語」と比べると、えっ、もう終わったの?という感じでいかにも短い。
それもこちらの感覚ではギリシャがマケドニアに征服されて古代ギリシャは終わった、という感じだけど、
この3巻の中にはアレクサンダーの征服、ヘレニズムまで含まれている。
純粋の古代ギリシャの物語というと2巻とちょっとしかない。
「ローマ人の物語」(全15巻)を大河小説とすると「ギリシャ人の物語」(全3巻)は中編小説。
ローマ帝国の歴史はおおよそ1200年。
古代ギリシャ歴史は(ヘレニズムを含めて)700年以上。
それで駆け足でギリシャを書いたという気がする。
ローマ帝国嫌い古代ギリシャ大好き人間いとってはとっても残念なことだ。
それはともあれ面白く読んだ。

塩野七生という人を知ったのは確か文藝春秋に連載されていたエッセーを読んでから。
とってもユーモアのある記事だったので興味を持った。
てっきり男かと思った。
ユーモアとは人を物事を正面だけでなく斜めから後ろから、違った角度で見ることから生まれると思っている。
そしてたいていの女性は人を物事を正面から見ない、別の発想をしない・・・という気がしている。
だからそこからはユーモアは生まれないと。
もちろんこれは個人的な感想で人さまざま、ユーモアのある女性もいるし、体育会の男・大脳が筋肉で硬直している目隠しをされ、ただまっすぐ走るだけの競馬馬みたいな男もいる。
しかしそれだけにユーモアのある女性には魅かれる。

とうわけでずいぶん昔からの塩野七生ファンなのだ。
そういうわけで本もたくさん買っている。
(いつも図書館でただ読みしているわけじゃないよ!)

ただ「ローマ人の物語」はものすごく気合を入れて書いた作品なのだろう、
それで残念ながらこの人の魅力、ユーモアが感じられない。
もうちょうと息抜きして書いたらもっと面白かったのになぁ~
しかしこの「ローマ人の物語」とってもいい作品だと思っているし、
ローマ帝国の歴史というとギボンの『ローマ帝国衰亡史』を誰でも思い浮かべるだろうけど、
それよりもこの「ローマ人の物語」のほうがずっといいと思っている。
毎年毎年ノーベル文学賞の候補にあがって毎年毎年落選している作家が日本にいるようだけど、
この人よりもよほどノーベル文学賞にふさわしい思っている。

読書

2018年01月05日 17時48分57秒 | 本の中から
この正月たくさん本を読んだ。
年末図書館に行ったらいつもよりたくさん借りれて返却日も長い。
これは借りねば損だ!
そんなみみっちい気がついついしてきていっぱい借りてきたのだ。

もう読んだ本
・「広重ー雨、雪、夜」
・「道」で謎解き合戦秘話 ~跡部蛮・著
・「シルバー川柳」青い山脈編 ~みやぎシルバーネット
・「ヤギ飼いになる」 ~ヤギ好き編集部編
・「ギリシャ人の物語(3)」 ~塩野七生・著
今読んでる本
・「寝台車の世界」トラベルムック 
・「農学が世界を救う!」 ~生源寺眞一、他編
これから読む本
・「アーネスト・サトウ明治日本山岳記」 ~アーネスト・メイスン・サトウ

まったくみごとに何の関連もない本ばかり。
この中でお目当ては「ギリシャ人の物語(3)」と「アーネスト・サトウ明治日本本山岳記」だけであとはついでに借りた。
図書館の効用に一つには読む範囲が広がること。
自腹ではまず買うこともない本を読むことができること。
こうして図書館で多くの作者を知ることができた。
はずれも多いけどそれはそれで貴重な経験だ。

・「広重ー雨、雪、夜」
 これは広重の版画集。よく知ってる作品も多かったけど、別の視点、広重のユーモアを感じて面白かった。
 広重はすごく旅をしたんだなぁ~と思ってたら、旅をしないで人の絵を広重流に写した絵も多いらしい。
 有名な東海道五十三次の絵もやたら立て版にしたり芸者版画にしたりと使いまわしをしている。
 流行画師・広重の別の一面が見えてきて面白かった。

・「道」で謎解き合戦秘話
 信長・秀吉・家康・・・などを「道」から見た著作。
 司馬遼太郎の「街道を行く」を意識したのだろうか?
 ちょっと違った見方に新発見はあるものの、それほど感動はしなかった。
 ついでの作品という感じがした。

・「シルバー川柳」青い山脈編 ~この手のものにはあまり興味が持てない。
 読んでも大して面白くなかった。
 もちろんこれは個人的な感想。
 これを面白いと思う人はたくさんいるだろう。
 これを借りたのはなんかこんな川柳を作ってみようかなと思ったから。
 でもあまり参考にはならなかった。

・「ヤギ飼いになる」 
 これは読んでみようかなぁ~と思っていた本。
 やぎ飼い初心者やこれから山羊を飼おうかなぁ~と思っている人にはお勧めの本だ。
 写真も多く本もきれいに仕上げている

・「ギリシャ人の物語(3)」
 これについては書きたいことがいっぱいあるので、明日投稿することにする。

今読んでる本

・「寝台車の世界」
 別にこちらは鉄道オタクではない。
 それで普通はこの手の本は借りないのだけど、でも昔の寝台車の雰囲気が懐かしくなって借りた。
 そうそうこんなんだったなぁ~
 3等寝台の一番上、うっかり起きたら天井に頭がぶち当たる。
 とっても寝苦しくって朝までうつらうつら・・・
 やっと夜明けを迎えると駅の放送が「あさぁ~あさぁ~」
 うるさいなぁ!わざわざそんなこと言われなくても朝だってわかっているのに!
 そこは「厚狭」という駅だった。
 そんなことを思い出させる本。

・「農学が世界を救う!」
 今密かに別のブログで書いてる今までの田舎暮らしのこと、なんか参考になればと思って借りた。
 でもまだ読み始めたばかりなので感想はパス。

次に読む本

・「アーネスト・サトウ明治日本山岳記」 
 アーネスト・サトウは幕末の日本のことを書いた有名な著作がある。
 そのサトウがまったく違って日本の山のことを書いた著作、興味はあったのだけど、山にはあまり興味のない人間。
 それでどうしようかなぁ~と迷ってたのだけど、たまたまNHKでこのアーネスト・サトウの山のことが報道されたので、
 俄然興味を持って読もうと思ったのだ。
 というわけでまだ読んでいないので感想はこれから。

ともあれ読書に明け暮れ、さらに呑むのに明け暮れ、そうそう今年どうしようない新年を迎えたのでありました。

深海散歩

2017年12月19日 05時17分31秒 | 本の中から
「深海散歩」という本を読んだ。
カンブリア紀の奇妙な過去の動物たちだけでなく、
最後の秘境、深海の現在の動物たちにもとっても惹かれている。
地球外の生命体の姿を想像するとき、
きっと誰でも想像力の限界を感じるだろう。
その時はこんな深海の動物たちをそのまま写したらいい。
その方がきっと地球外の生命体の姿に近いだろう。

深海にはこんな動物がいるのだよ。
コンドラクラディア・ランパディグロバスとタテゴトカイメンです。


「お寺さん崩壊」

2017年12月17日 18時06分02秒 | 本の中から
「お寺さん崩壊」水月昭道(著)を読んだ。
坊さんというとついつい、坊主丸儲け!と思ってしまう。
京の祇園は坊主で持っている。
遊びまわり飲んだくれ、元手ゼロの戒名をつけては20~30万もふんだくる。
そのうえ、初七日・・・三回忌・・・7回忌・・・などなど何十年も50年以上も法事と言ってはふんだくる。
まったく坊主丸儲け!
きっと時給換算したら医者や弁護士や総理大臣よりも坊主が一番高いだろう。
しかもしかも大した知識はいらない。
医者のようにやたらと丸覚えすることもない。
手術に失敗したからといって訴えられる医者とは違う。
なんせ相手は死人。
死人はとってもおとなしい。

少々お経を間違えても、誰も気づかない、気づいても文句を言われることはまずない。
極楽に行くはずの死人が読経を間違えて地獄に行くなんてこともないだろうし、
たとえ地獄に行ったからといって、な~にそんなこと何でもない。
前世の行いが悪かったのだ、でみな済む。
法律なんてすべて前世の人間をさばくためのもの。
来世のことなんか法律に縛られることはない。

というわけで、大した努力もなしに、お経なんて覚える必要もなく、
だって経典を見ながらただただ棒読みしたらいいのだから・・・

なんてことを実は言いたいのではない。
言いたいのはまったく別のこと。

うむ、いかん!
なんとかそんな風情がよみがえらないかな~と思う。

いったうこんな風情を亡くしたのは誰?
寺?坊主?
いえいえそれは違う。
坊主まる儲け、どころか、里山の寺が今どれほど苦しんでいるのか。
そんなことを書きたいのだけど・・・

うむ、いかん!
ますます酔いが回ってきた!!
続きは明日書きます。

「古生物たちの不思議な世界」

2017年12月08日 18時10分27秒 | 本の中から
毎晩9時ころには寝て夜中に起きる。
それからは本を読んだり、うとうと寝たりが朝まで続く。

古代ギリシャの本もまだ読んでるけど、合間に他の本も読む。
今読んでいるのは「古生物たちの不思議な世界」(土屋健)著
古生物というとすぐに恐竜を想像するけど、この本は恐竜以前の生物たちについて書かれている。
自分でも恐竜よりは恐竜以前、とりわけカンブリア紀の不思議な生き物・小さな怪物たちに魅かれている。
それでカンブリア紀の本を見るとすぐに読んでしまう。
恐竜だったら形が大きいだけで、その姿自体にはそんなに驚きはしない。
でもカンブリア紀の生き物たちはとっても奇妙な姿をしているので驚かされた。

もし地球に存在しない生物をあるいは宇宙人を描くならどんな姿を描くだろう?
それは間違いなく地球に存在するものを描くに違いない。
ウェルズの宇宙人はタコ、あるいはクラゲのような形だった。
岡本太郎の考えた宇宙人はヒトデの形だった。
それなら生物以外の形を書こうとしても、机とか椅子とか時計とか掃除機とか、結局周りにあるものに似てくる。
それが想像力の限界だ。
そこで宇宙の生物たちのモデルならカンブリア紀の生き物たちにしたらよかった。
生命は原始的であればあるほど、きっと宇宙でも普遍性を持つだろう。
それなら何も失われたカンブリア紀の生命でなく今でも生きている顕微鏡でしか見れないミクロの世界の生物たち。
実にとっても奇妙な形をしている。
こんな生物たちをモデルにしたらいいだろう。
するときっと宇宙にも同じような生物がいるに違いない。

「新しき村」の百年

2017年12月05日 17時48分27秒 | 本の中から
「新しき村」の百年~という本を読んだ。
武者小路実篤が宮崎・日向で作った「新しき村」
今からもう100年も前、作家や芸術家などが集まって新しい村づくりを始めた。
今でも田舎でいい物件を探すのは難しい。
まして100年も前のこと、いろいろさがした後やっととっても辺鄙な痩せた土地を見つけた。
そこは宮崎の山奥。
そこに武者小路実篤など20人が移り住んだ。
一日8時間共同作業をして後は自分たちの好きなように時間を過ごす。

そんなユートピア作りがはじまった。
農業経験者は一人だけ、あとはみなずぶの素人。
そこは水道も電気もない、井戸も掘れない・・・そんなところに移住した。

そこにあるのは何だろう?
経済基盤がまるでない。
あるのは夢だけ理想だけ。
たちまちいさかいが起き多くの人が去っていった

その原因は何だったのだろう?
移住してきた人はほとんど20代の若い男女。
男女の問題でトラブルがあったとしか認識していない。
その視線はとっても卑しい。
もっともっと調べたら、「新しい村」構想の問題点が浮かび上がってきただろう。
でもこの著者はそんな問題には何の関心もないらしい。
そもそもこの著者は農業そのものがまるで分っていないし何の関心もないのだろう。
ほんの少しでも農業に関心があったならばもっともっと違ったレポートができただろう。
この人に関心があるのは「新しき村」とはまったく違ったこと、この本のあちこちに出てくる、「新しい村」とは何の関連もない記事

 ・中国の尖閣諸島海域への進出や北朝鮮の核ミサイルを口実に軍備を増強する日本政府・・・
 ・一党支配のもと、民意をふみにじった原発最稼働やマイナンバー制度、個人情報保護法、安保法テロ等準備法・・・

こんな風な文章がやたら目に付く。
いったいこの著者は何を言いたいのか?!

しかし気になるいさかいの原因は何だったのだろうか?
去っていった人に何のインタビューもしていない。
残った人にもその原因を聞いていない。
ここをもっと掘り起こしたら、「新しい村」作りの問題点が浮き彫りになっただろう。

それにいったい一日8時間労働(のちに6時間になる)、1週間に一日休み。
こんなことが可能なのだろうか?
農繁期の時はどうする?
農閑期の時も雨の時も8時間労働か?
もちろん実際には(明確に書かれてはいないけど)年間を通しての8時間労働なのだろうが、
それをするためには細かなスケジュール管理が必要になるし、それをしないと不公平になる。
まして機械化されてない昔のこと、ましてやせた土地、1日に8時間まして6時間労働で農業ができるわけはない。
そのために寄付でしのいでいた。
自助・共助・公助が暮らしの基本。
それを自助をいい加減にして共助を他人の助けを当てにし続けてきた。
これが「新しい村」ではなかったか。

その後日向の「新しき村」はダムができて3分の1が水に沈むことになった。
そのため1世帯を残してみんな新しい土地、埼玉に移っていった。
開村して20年後のことだった。
3分の1が水沈したからと言ってどうしてみんなほかの土地に移っていったのか?
それは完全に今までの農業が失敗だったからではないか?
それを口実に移っていたのではないか?
ここらへんの掘り下げがまるでない。
20年も農業をやってて自活さえもできていないのだ。
ただ大半を武者小路実篤の寄付、残りをそのほかの賛同者の寄付で暮らしていた。
(武者小路実篤は開村して数年後都会に移っていた)
こんなの農業じゃない。
寄生虫だ。ダニだ。完全に「新しき村」構想は失敗なのだ。
例によってこの著者はここら辺の掘り下げもまったくない。

さて埼玉に移って、相変わらず赤字は続く。
そこでたまたま当たった養鶏。
ケージ飼いで1500羽くらいまで飼育を広げてやっと黒字になる。
「新しい村」作りが始まって40年。
普通の農家はとっくにつぶれている。
その後養鶏を1万羽までに広げる。
ところが鶏卵の暴落。
たちまち養鶏を縮小してついにはやめてしまう。
養鶏についても詳しい記述はない。
餌は?糞は?肉は?
どのようなところにどのようにして販売したか?

野菜作りも最初は普通に農薬を使っていたけどそのうち世間の流れをみて無能薬の野菜作りを始めた。
ここらへんも農業に対するビジョン、主体性が感じられない。

今この「新しき村」は日向も埼玉も高齢化に悩んでいるらしい。
きっと新参者を拒むそんじゃそこらの普通の田舎になったのだろう。
もうきっと今は「新しき村」じゃなく「古き村」になってしまったのだろう。
そしてあとは後は静かに死をまつだけ・・・

この本を読んでる限りそんな印象しか浮かんでこない。
まだ「新しき村」が続いていたことを知った以外、何の収穫もないつまらない本だった。


 


幻庵

2017年12月01日 18時05分45秒 | 本の中から
「幻庵」(百田尚樹著)を読んだ。
この人の作品はたいてい読んでいる。
「永遠の0」「海賊とよばれた男」「ボックス!」「風の中のマリア」「影法師」「錨を上げよ」「夢を売る男」・・・
などなど、そして不思議なのはジャンルがまるで違うこと。
「永遠の0」ゼロ戦のパイロットの話、「海賊とよばれた男」は出光の石油の話、「ボックス!」はボクシング、「風の中のマリア」はスズメバチの話、
「錨を上げよ」は北海道の密漁の話・・・
一つの小説を書くにはかなりの取材・下調べをしないといけないだろう。
そのため同じ時代や同じような場所・環境の話を書くと調べたことの使いまわしができて効率がいい。
ところが毎回こんなに違うことを書くと下調べが大変だろうなと思う。
読む方は次はどんな話なんだろう?と、とっても楽しみだけど・・・

そればかりでなくこの著者、講演やネット・テレビ、ツイッターなどでおなじみ。
忙しいだろうなと思う反面、なんか見てて楽しい。
すぐに「かっか」するところが面白い。

そこで今度は「幻庵」。
なんと囲碁の世界の話。
小説というよりも江戸時代の井上因碩という棋士の伝記あるいは囲碁の歴史書と言ってもいいくらいの、ちょっと変わった小説だ。
囲碁はまったく詳しくないので本の中にたくさんのせられてある棋譜をみてもよくわからないけど、詳しい人だったらもっと面白かっただろう。

本の旅

2017年11月20日 17時58分03秒 | 本の中から
たまたまモリエール全集を読み、
それに刺激されてラシーヌを読み、
さらに刺激されて古代ギリシャの悲劇、
エウリピデス、アイスキュロス、ソポクレスを読み、
今はアリストパネスを読んでいる。
アリストパネスは昔々・・・高校時代夢中になって読んだ。
今でも結構覚えているはず・・・と思ってたけど、結構忘れていた。

昔の喜劇は悲劇と違ってとても読みにくい。
モリエールの性格劇のような作品なら時代の予備知識がなくても、時代・空間を超えてそのまま楽しむことができるけど、
風刺・皮肉・パロディ・洒落・・・はその時の時代背景、言葉を知らないと面白さがわからない。
そのためやたらとページをめくっては(注)を読むのがとっても煩わしい。

それでたいした予備知識がなくてもそのまま楽しめる悲劇と違って、
しばしば時代・世相に左右される喜劇は悲劇よりも劣ったものとみられがちだ。
でもそれは違う。
人を楽しませ喜ばせるのはやっぱり喜劇だ。
それに喜劇には悲劇よりも大きな大きな世界がある。
地獄に旅することもできる。
雲に乗ることもできる。
鳥の国に行くこともできる。
それにアイスキュロス、エウリピデス。ソクラテスまでも劇に登場するのが楽しい。
ソクラテスがプラトンを通してでなく、アリストパネスの喜劇に登場するととっても身近に感じられる。
もっともプラトンも「饗宴」でそのお返しか、アリストパネスを登場させて面白おかしくアリストパネスの説を披露させているのも、
当時のアテネのサロンの自由な雰囲気を感じさせて楽しい。
そんな輝かしいアテネの時代が終わってペロポネソス戦争に負け暗い暗い時代のアテネ。
ソクラテスも死刑になった。
そんな暗い暗い時代のアテネ。
でもそこに喜びを希望を与えるのは喜劇、笑い。
喜劇の世界だったら、そこは(女だけで)簡単に平和を得ることもできる。
災害や戦争などで打ちひしがれた人たちにまず必要なのはパンと笑いと音楽。

アリストパネスの自由奔放な発想、まるで現代のSF小説だ。
そこに新しい希望を見出すことができる。
これこそ喜劇の王道、醍醐味。
アリストパネスやルキアノス。
世相が暗ければ暗いほど、アリストパネスの喜劇やルキアノスの作品が輝きを増す。

街道を行く~因幡・伯耆のみち

2017年11月06日 18時10分24秒 | 本の中から
司馬遼太郎はほとんど読んでいる。
でも街道を行くは興味のある街道しか・・・多分半分くらいしか読んでない。
でも今ふと図書館で目についたので借りて、因幡・伯耆のみちと檮原街道を読んでいる。
この本は前にも読んだはず、今でも我が家にもあるはず。
でも探すのも面倒だし、借りて読んでいる。

たまにちょっぴり遠出しようかと・・・車で日帰りで帰れるところに遠出しようかと・・・
鳥取・岡山・島根とかだったらその気になったらすぐに行ける。
でも大阪とか京都とかそんなところには到底いけない。
だって運転にがて都会は苦手、高速苦手。
できれば田舎道をのほほんと行きたい。
というわけで選択肢は限られる。
鳥取・島根でどこか行くとこないかなぁ~と思ってたので、「街道を行く」が目に付いた。
この「因幡・伯耆のみち」を読むととっても魅力的に思えてくる。
鳥取・島根・・・というと、ついついからかいたくなるけど本当は大好きなのだよ。
倉吉もゆっくり見たい。
以前行ったことはあるけど通り過ぎただけだった。
今度はゆっくり古い町並みを見てみたい。
鹿野にも行ってみたい。
美保関もとっても魅力的な所なのでもう一度いきたいなぁ~

なんて「街道を行く」を読んでたら読んでた頃のことをそのまた昔々のことなども、思いめぐらしている。

「楠正成」

2017年11月03日 18時10分47秒 | 本の中から
ソポクレスの悲劇をまだ読んでいる。
アイスキュロス、ソポクレスと比べるとやっぱりエウリピデスの方が面白い。
きっと当時でも通俗受けしたのだろう。
まあこれからしもばらくは古代ギリシャやローマにはまるつもりだ。

ともあれそこは置いといて、今ちょっと目先を変えて、
北方謙三の「楠正成」を読んでいる。
たまたま「楊令伝」を読んでからずいぶんこの作家の本を読んだ。
気になるところはいろいろあるけど、でも読みやすい、面白い。
とっても長い~長い~本が多いけど、でも長さが気にならない、すぐに読んでしまう。

というわけで今ちょっと目先を変えて「楠正成」を読んでいる。
(「正成」を「まさなり」と読んではいけないよ。「まさしげ」と読む。
こんな読み方ありか?
手持ちの辞書で見ても「成」を「しげ」という読み方はない。
でもまあそんなことはどうでもいい。
歴史用語だと割り切るほかない。)

まっ、そんなことはどうでもいい。
太平記の世界こと。
NHKの大河ドラマにはまったくうんざりさせられる。
幕末と戦国時代、たまに源平と赤穂浪士。
他に日本の歴史はないのか?
そんなことはない。
世界的な大事件、元寇。
日本だけが蒙古に勝ったのだよ。
にもかかわらず大河ドラマで取り上げられたのは確かただ1回だけ。
関ケ原の戦いにも匹敵する壬申の乱も確かまだ取り上げられてない。
そしてとりわけ興味があるのは太平記の世界。
その規模と言いドラマ性と言い戦国時代に匹敵する、
それどころか戦国時代の正規軍の戦よりもゲリラ銭をした楠木正成ほかの悪党たちの戦いの方がずっと面白い。
にも関わらずドラマになったのは確か1回だけ。
戦前軍国主義教育の中で楠木正成はさんざんもてはやされた。
そのために戦後意図的に楠木正成は抹殺された。
もう今では若い世代の人で楠木正成や新田義貞を知ってる人はほとんどいないだろう。
みんな今でも進駐軍の教育に洗脳されているとしか思えない。
歴史は歴史としてちゃんと教えるべきだ。
歴史のエピソードもちゃんと教えるべきだ。
今だに洗脳されている朝日・毎日・NHK
進駐軍の手先朝日・毎日・NHK
ねえもういい加減に日本の歴史を見直したらどう?

意思と認識

2017年10月15日 18時05分00秒 | 本の中から
若い頃に読んだショーペンハウエル。
晩年になってもう一度読み直そうと思った「パレルガ・ウント・パラリポメナ」(だったかな?)
今読んだら、きっとあのころとは違った印象を得ることができるだろう。
ニーチェは若者向けの哲学者、ショーペンハウエルは老年向けの哲学者。
とっても、しみじみ、しっとりと、そんな味わい深さを感じさせる哲学者。
今こそしっとりしみじみ「パレルガ・ウント・パラリポメナ」を読めそうな気がする。
晩年になって読もうと思っていた。

今は古代ギリシャの悲劇を読んでいる。
そのあと喜劇を再読しようと思っているので、そのあとで読み直すことになりそう・・・
そして意思と認識の世界に埋没しようと思う。

田舎暮らしは忙しい。
この雨がもっともっと続いてほしい!


古代ギリシャと今の日本と・・・

2017年08月27日 17時48分09秒 | 本の中から
エウリピデスを読んでいる。
エウリピデスは生涯100篇近くの劇を書いた。
それはアイスキュロスやソポクレスよりもずっと多い。
にもかかわらず1等賞を取った作品は5回だけ。
ソポクレスの24回と比べるとはるかに少ない。
にもかかわらずたくさんの作品が残っているのは、
作品が批評家好みでなく大衆好みだったからだろう。
しかし本当の名作というと大衆好みの作品。
批評家の評価なんて当時の世界に縛られた評価でしかない。
シェークスピアだってセルバンテスだって近松門左衛門だって大衆から好まれたからこそ今まで生き残っている。
ドン・キホーテなんて今では世界文学に君臨しているけど、当時は偽物が出るほど大衆受けする作品だった。

・・・なんて話ではなく、
エウリピデスの話も置いといて、
古代ギリシャの民主制の話。

エウリピデスは晩年マケドニアに移った。
それはペロポネソス戦争の末期。
アテネが滅びようとしていたころだった。
アテネを愛しながらも衆愚政に落ちたアテネに絶望してマケドニアに移ってそこで客死した。
同じころソポクレスも死に、ソクラテスも死刑になった。

あの輝かしい古代アテネの民主制がどうして滅びたのか?
そこにあるのは衆愚政、ポピュリズム。
絶対的に優位だったアテネの同盟がどうしてスパルタのペロポネソス同盟に負けたか。
アテネに優位な和平条件をアテネ市民は拒んだ。
そこにあるのは衆愚政、ポピュリズム。
そしてアテネの無条件降伏。
まるで日本の敗戦を見るようだ。
現実が全然わかっていないのだ。

デマにのせられるのでなくもっと自分の目で見て自分の頭で考えろ!と言いたい。
今の日本のデマゴギーは誰か?
民衆を扇動しているのは誰か?
そしてそれにのせられているのは?
・・・あんたたちだろう?!と言いたい。

古代アテネの輝かしい民主制を破壊したのは誰?
そして今、日本の民主政を破壊しようとしている人は誰?
籠・・・何とかいう人を裏で操って、突然安倍夫人から100万円寄付されたと言い出した・・・その裏には?
前・・・何とかいう文化省の前事務次官を裏で操っているのは誰?

そうデマゴーグ、あんたらはこのデマゴーグに操らて日本の民主制を潰そうとしているんだよ。
どうかマスコミの色眼鏡を外して自分の目で見てほしい。
自分の頭で考えてほしい。

自社の利益のためなら国をも売る新聞社。
視聴率という餌を食い漁るハイエナ集団・テレビ局。
ねえ、もういい加減、こんな集団にのせられることなく、
自分の目で見たらどう?
自分の頭で考えたらどう?

(以下ちょっとネットからの引用)
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(デマゴーグ)
古代ギリシアの民主政治において,その声望および弁舌によって民会の決議に影響を与えて,政治を左右する者,つまり「民衆の指導者」を意味したのが原義であるが,現代では刺激的な弁舌,文章によって大衆を政治的に動員する扇動政治家をいう場合が多い。デマゴーグそこにあるのは衆愚政、ポピュリズム。そこにあるのは衆愚政、ポピュリズム。そこにあるのは衆愚政、ポピュリズム。によって,特定の政治目的のために意図的に捏造され,流布される虚偽の情報がデマゴギーであって,一般にデマと略されている。

クレオン(Κλέων)はアテナイの政治家である。典型的なデマゴーグとされ、好戦的な主張で民衆を煽動した。

ペロポネソス戦争中の紀元前429年に指導者ペリクレスが病死すると、弁論術を武器に民衆の人気を集めたクレオンらは、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張した。このため戦争は続行されたが、クレオンは紀元前422年に戦死した。彼の死の翌年にニキアスの和約が成り、平和が訪れるかに思えたが、後に遠征軍が悲劇的な末路を遂げたシケリア遠征を唱えたアルキビアデスによって戦争は再開された。アテナイは適切な指導者を欠いたため漸次敗北した。紀元前404年に降伏したアテナイはギリシアの覇権を失い、デロス同盟は解散し、全てを失った。
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