goo blog サービス終了のお知らせ 

ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

アーネスト・サトウの明治日本山岳記

2018年01月13日 03時44分35秒 | 本の中から
「アーネスト・サトウの明治日本山岳記」を読んだ。
アーネスト・サトウは「一外交官の見た明治維新」の著作で有名だけど、
この本はアーネスト・サトウが書いた日本ガイドブックの一部、富士山と周辺、日本アルプス、吉野~熊野、日光・尾瀬などを抜粋したもの。
登山好きの人にはお勧めの本。

車のない時代、車の代わりというとせいぜい人力車、それも山道だとそうもいかない。ひたすら歩く。
ただ必ず案内人と荷担ぎ人を雇っている。
今では登山には詳しくないのでよくわからないけど、案内人を雇うことはまずないだろうし、必要なものはみなリュックに詰めて自分で持つと思うけど、
でも標識などが整備されていなかったら、きっと今でも案内人は必要なのだろう。

サトウが歩いた道は今では失われた道も多いという。
訪れた集落も今どれほど残っているのだろう?
とまった旅館や民宿~というより個人の百姓家も克明に記されている。
昔は旅館が(山小屋も)とても多かったようだ。
それもそのはずで旅はもっぱら徒歩、それだけ泊まる日数も多くなる。
そして今では旅館ではめったに見られないカやハエやアブ、ノミ、シラミに悩まされたことなどが書かれている。
これらの旅館や百姓家も今どれほど残っているのだろう?

この本には残念ながら写真がない。
当時手軽なカメラがなかったのかもしれないけど、サトウはスケッチブックを持参してたので、スケッチはしていただろう。
せめてスケッチをのせてくれてたら、それもなかったら現在の写真でものせてくれてたらもっと面白かったのに・・・

ともあれ明治の登山記。
富士山はもちろんのこと立山などとっても険しい山にも意外と多くの人が(信仰目的ではあっても)登山していたし、山小屋も多かったことに興味をもった。

サトウは登山記だけでなく北海道から九州までも多くの旅行記を残しているらしい。
故郷の長崎は幕末から明治維新にかけてよく本に取り上げられ、たいてい読んだけど明治中期のころのことはほとんど読んだことがない。
サトウが当時の長崎のことを、幕末からどう変わってきたか、どう感じたか、読んでみたいものだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« うむ、いかん!水道管が!! | トップ | 死神(4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

本の中から」カテゴリの最新記事