イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「生物の意味論」読了

2016年07月09日 | 2016読書
多田富雄 「生物の意味論」読了

この本は以前に読んだ、「免疫の意味論」の続編として書かれたものだ。
相変わらず専門用語はまったくわからない。主題は “自己”とは何かということを遺伝子、免疫系を中心に語られている。

人間を含めて多細胞生物は受精卵の細胞分裂が始まった胞胚という状態になったときにたったひとつの遺伝子が発現する。それが引き金になって連鎖的に次々と遺伝子が発現し生物の形が出来上がってゆく。設計図はDNAの上に書かれているが遺伝子の発動は曖昧であるである。だから一卵生の双生児でもまったく同じ外見にはならない。受精したときにすべてが決まっているというわけではないらしい。同じプラモデルを作っても作る人が違うと出来上がりも違うというのと同じことだ。

次に免疫系。免疫というのはひとつひとつの異物にひとつずつの受容体をもって対応することになっている。そうなると免疫細胞をつくる遺伝子がいくらあっても足りない。DNAは30億の塩基でできているそうだがそれでも足りない。そこでどんなことをやっているかというと、まず、抗体というたんぱく質を作るための遺伝子はDNAのなかでは不思議なことに飛び飛びで存在していてそれを拾いながら組み合わせて抗体を作ってゆくのだが、そこで隣の塩基を拾ったり組み合わせを変えたりして無限に近い抗体たんぱく質を作り出すのだそうだ。
これも曖昧な形で製造されてゆき、同じものを取り揃えている人はいないそうだ。だから臓器移植をするとほぼ拒絶反応が起こる。

こうやって“自己”というものが出来上がってゆくわけだがそこには指揮官はいない。まったく自発的に発動され、進化してゆく。これを著者は“スーパーシステム”という言葉で表現している。
なぜ、スーパーシステムというものが地球上で生まれたのか、そして何を目的に生まれたのか。もちろん、なぜ生まれたのかという理由がないので多分目的もない。目的はないけれどもそこで自律的、自発的、合目的に自己が成立している。
そこにはただ“自己”があるだけだ。

著者はさらにこのスーパーシステムを都市形成や企業、大学まで当てはめて考えようとする。
都市はかつて自然発生的に生まれスクラップアンドビルドを繰り返しながら進化、拡大を続けた。そしてそれぞれの都市独特の自己ともいえる特色を作り出してきた。都市にも企業にも確かに当面の目標はあっても最後の目的というものはないような気がする。企業にあるのは三か年計画だけだ。その先の目的は多分誰も知らないはずだ。以前にユ○○ロの辣腕会長のコメントを聞いてあの会社は一体どこまで行こうとしているのか?拡大し続けることに意味があるならそれは癌細胞と同じではないのかと恐ろしくなったことがある。それも人間に似ているといえば似ている。
バルセロナ、ニューヨーク、フランクフルト、すべてまるで自己を持つかのように特色を持っているという。
かたや、シンガポール、ブラジリア、東京、“都市”を作る目的で作られた都市、官僚機構を支える目的で作られた大学などは少なからず問題を抱え、自然の力に任せては永続できないように思える。
何が違うのか、曖昧さや無駄を持つかどうかの差だ。DNAの配列はその95パーセントは意味のない配列だそうだ。その配列はたんぱく質を製造できない。しかし、免疫系に代表されるように多様な自己を生み出すチャンスを持っている。それは危機に際してもなんとか生きようとするリスクヘッジである。
効率的に作られたものにはそれがない。
現代はまさに効率の時代。多様性や余裕というものがない。そこには危うさしかないように見える。多様な自己を持つはずの人間でさえ生きづらい世界になってしまった。
アリの巣のアリの四割は働かないアリだそうだ。その四割を除去するとまた残りの中の四割は働かなくなるそうだ。
しかし、この四割は巣の危機(外敵がやってきたり巣が壊れたりしたとき。)には突然働き始める。そして何億年もの間生き続けてきた。
そういうことがないと都市も企業も永続することができないということを暗示しているかのようだ。

生物学の一般向けの解説書のつもりで読み始めたが、これは哲学を語っているのではないかと思える一冊であった。


そして僕は“目的”とは何であろうかと考えを巡らせてみた。
たったひとつの細胞が知性をもって星の表面を眺めることができるようにまでなったことを考えると、きっとこれは宇宙のすべてを知るということがこの自己の目的ではないのだろうかと考えた。宇宙のすべてを記録する。それが最終の目的だったりするのではないだろうか。もし、神がこの宇宙を作ったのならこの素晴らしいシステムの存在を神様も誰かに知ってもらいたいたいのは必定だ。
しかし、自己の根元は人間ではなくて遺伝子だ。宇宙のすべてを知るのはべつに人間でなければならないことはない。いまの世界でその最適者は人間ではなく人工知能ではなかろうかと背筋を寒くした。
リチャード・ドーキンスという学者は遺伝子は利己的であり、自分だけが増殖、永続すればいいと考えている。人間でさえもただの遺伝子の乗り物にすぎない。もっといいものがあれば簡単に乗り換える。と語っている。
そうだとすればコンピューターほど最適なものはないのではないか。多様性はなくても確実に効率的にコピーを残し続けることができる。有機化合物でできた炭素体ユニットはややこしい免疫やややこしい人間関係を克服する心の強さがないと遺伝子を未来に残すことができないが、ケイ素が主体の半導体ユニットにはそんなものは必要ないような気がする。
宇宙に出ても酸素はいらないし高温でも低温でも稼働できる。宇宙を知るにも最適だ。
この本は20年近く前に書かれているから著者も人工知能、コンピューターがこれほどまでに発達するとは思ってもいなかっただろう。もし、それが予測できたのなら著者も同じことを思ったのではないだろうか。それとも生命の意味を信じる著者はやはり生命の可能性を信じるのだろうか。

僕の考えていることがいくらか正しいのだとしたら、高齢化社会、テロ、宗教の敵対、国家間の軋轢、すべては人間が邪魔になった遺伝子のたくらみではないのだろうか。スティーブン・ホーキンスもこう言っている。「自ら発展し、加速度的に自身を再設計する完璧なAI開発は人類の終焉をもたらす。」と。もう人間に抗う術はないのではないだろうか。あと20年もすると人工知能は間違いなく感情まで持つようになるそうだ。もしそうなら、自己は自己らしく、自分らしく今を生きるだけで十分なのではないだろうか。

最後にまったく関係がないことだが、化粧品の話。
似ても似つかわしくないのだが、僕は化粧品なんかも扱う仕事をしている。よく広告のコピーに、「ナノレベルでの皮膚細胞への浸透力・・・」とか、「お肌に栄養を・・・」とか書かれていることがあるが、免疫という観点から、もしナノレベルで化粧品が皮膚に入っていったり直接皮膚に栄養を与えたりしようものなら、抗体反応が働いてお肌が真っ赤に炎症を起こしてえらいことになってしまうに違いないのだ。
何年か前にカネ○ウという会社が本当に皮膚に浸透させちゃったものだから大問題になったのがその事実を物語っている。
化粧品とはお肌になんの役にも立たないからお肌にいいのであるのだが、それがどうしてあんなに高価なのだろうか。僕の職場にも12万円というのがある。
こんな高価な化粧品を見ながらいつもこんなことを思っている。

このブログを読んでいただいている女性の方というのはごくわずかだと思うが、薬局で売っているワセリンで十分なのじゃないだろうかと言ってしまうとやっぱり、叱られるんだろうな~。

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